「こんにちは。」
沢渡ほのかはそう声をかけた。
札幌市、大通り公園のそばのバイクショップ「モトスペースカトウ」。
店の前には4〜5台のスポーツタイプのバイクがおかれ、値札とともに、客を待っている。
その中にはスクーターなど1台もない。
ショーウインドゥの中には古ぼけた、それでいて磨きこまれたレトロなスポーツタイプのバイクが飾られている。
そんなバイク屋。
North Wind 〜fake windy
正直、薄汚れた雰囲気の、それでいて一見の客を拒むような、そんな雰囲気があった。
ほのかにとっては声のかけづらい店。
通りの向こうには全国チェーンの小奇麗なバイク屋があり、スクーターをはじめとした流行のバイクをお買い得価格で販売している。
この店はどちらかと言えば、バイクを趣味とする正統派のライダーたち、悪く言えばバイクマニアたちの店だった。
本当に大丈夫なのだろうか、そう感じながらほのかはバイクの整備をしている店長らしき中年の男に声をかけたのだ。
「はい、いらっしゃい。」
意外に優しい声が返ってきた。
「あのスクーター・・・ほしいんですけど・・・。」
「スクーター?」
一瞬、いぶかしげな表情。
やだ、とほのかは心の中でつぶやく。
「ひょっとして沢渡教授の紹介かな?」
男が口にする。
「え、あ、はい。父にここへ、って。」
「ほぉ、きみがほのかちゃんかい。」
え、と目を丸くして驚く。
私の・・・名前?
「元気かい?沢渡教授は。」
「え・・・ええ。元気です。はい。」
「そうか、そうか。きみがほのかちゃんか。えっとスクーターだったね、車種は決めてる?」
言いつつ、男は立ち上がった。
「い・・・いえ。」
車種まではまだ決めていない、というかどんなものがよいのかも決めかねていた。
だから父親に相談し、そしてこの店へとやって来た。
「じゃあカタログだな。」
男はつぶやきつつ店の奥へと入る。
「さ、こっちへ。」
すすめられるままに、店の奥へと入った。
そして、接客用のカウンターの前の椅子に座る。
ホンダとヤマハのスクーターのカタログがどさささと引っ張りだされる。
「今のは性能的にどれも不足はないから、ま、デザインかな?どれがいい?」
一番手前のカタログをとりあえず手に取る。
表紙の真っ赤なスクーターを見つつ、正面に立つ男の顔をのぞき見る。
「あの・・・。」
「うん?」
「父とはどういう・・・。」
失礼かな、とは思いつつほのかはストレートに聞いた。
ほのかの持つ父のイメージと目の前の男とはどうしてもつながらなかった。
子供の頃からの幼なじみ、という関係なのだろうか。
「意外かい?俺と沢渡が友達って。」
男は割とうれしそうに言った。
悪戯っ子の目。
ほのかはそんな印象を感じた。
「俺の名は加藤。沢渡の昔の話って聞いたことないのかい?」
「え、ええ。あまり昔の話は・・・。母との馴れ初めとかは聞かされたことがあるんですが。」
「じゃあ沢渡がバイクに乗ってたっていう話は?」
「え?」
「この辺りでは有名なバイク乗りだったのさ、きみの親父さんは。」
そう言って加藤はショーウインドゥの中の古ぼけたバイクを指差した。
「あれが沢渡が乗っていたバイク。ヤマハRZ250。あれできみの親父さんはレースに出たことがあるんだ。それも表彰台に乗った。」
「パ・・・パパが・・・オートバイでレース?」
絶句。
ほのかは思わず人前では使わない「パパ」という呼び方をしていることにも気付かない。
「そうさ。」
加藤はつぶやいた。
「かれこれ20年ぐらい前か・・・。沢渡はこの辺りではかなり名の知れた走り屋だった・・・。」
80年代初頭。
排ガス規制という暗い時代を越え、空前のバイクブームが訪れた。
日本各地でオートバイレースが開催され、加藤と沢渡も雑誌に載るリザルトに一喜一憂していた。
二人が駆るヤマハRZ250は、市販車を使って行うプロダクションレースの常勝マシンだった。
だからこそ、二人はいつか自分達の愛車でサーキットを走ることを夢見た。
そして峠走りとバイトに明け暮れる毎日の中、ある決意を固めた。
「筑波のF3に出よう。」
沢渡はそう加藤に告げた。
F3は2ストロークは250ccまで、4ストロークは400ccまでの市販車にかなり大きな範囲の改造を加えて行うレースである。
市販車をベースにしたハイパフォーマンスバイクによるレースは、非常に人気が高く、かなり熱い視線を集めていた。
しかしながら、最新型のCBX400Fをはじめとする4ストローク400cc勢はかなり速く、その排気量のパワー差を埋めるのはかなり厳しいものがあった。
それ故に、沢渡はF3を選んだ。
自分の腕で400cc勢を打ち倒す。
そう決意しての告白だった。
加藤も言うまでもなく賛同した。
沢渡がライダーで加藤がメカニック、という役割分担はあっさりと決まった。
元々、実家がバイク屋の加藤は機械いじりが趣味で、加藤の愛車はあちこちに改造が施されていたのだ。
問題は金だった。
学生だった二人は必死に働いた。
ライセンス取得はもちろんのこと、北海道から筑波は遠い。
いや、筑波だけでなく、全ての国内サーキットが遠かった。
だが、二人はそれを乗り越え、82年のノービスF3クラス最終戦の決勝グリッドにマシンを並べた。
圧倒的パワーを誇る400cc勢にコーナーで稼ぐ250cc勢の戦いの中、沢渡は鬼神のような走りを見せ、3位の表彰台に立った。
そして、それが最初にして最後のレースとなった。
「え・・・どうして?」
ほのかはつい聞き返した。
加藤はほのかを見つめ、そしてゆっくりと言った。
「きみが生まれたんだ。」
「え?」
「父親になる、と分かったとき沢渡は悩んだ。筑波のレースでの走りが認められ、メーカーや一流のチームからも誘いの声が来ていた。当然俺もまだまだ沢渡とレースを続けたかった。」
加藤は何かを想い出そうと目を閉じた。
「あれは雪の日だった。結構、吹雪いていて、店も開けられなかった日だ。沢渡が思いつめたようにやって来た。」
ほのかは話続ける加藤の顔をじっと見つめた。
「『子供のためにバイクをやめる。』あいつはゆっくりとそう言った。俺は『裏切り者』となじった。完全に喧嘩別れだ。俺には分からなかった。走る才能が溢れているヤツがバイクを降りる。何故なんだ、と。」
加藤はそこでいったん言葉を切る。
「分かったのは、俺に子供ができてからだ。親が子供に感じる愛情の深さを知ってからだ。」
バイク屋の中、時計の音だけがやけに耳につく。
「結局あいつは勉強を重ね、大学教授に、俺はバイク屋にと収まった。お互い落ち着いた頃に、あいつは店に顔を出した。そして言った。いつかまた取りに来る。こいつに乗る日がまたいずれ来る。だからその時まで預かっておいてくれ、と。」
そう言ってショーウインドゥの中の古ぼけたバイクを再び指差した。
「あれがそうだ。」
ほのかの目には、サーキットを駆ける父の姿が映っていた。
「と、いう話なのよ。」
ほのかは少し興奮気味に電話に向かって話した。
電話の向こうは、はるか彼方の東京。
電話口の相手は、ほのかが恋人としてつきあっている少年だった。
「へー。何か印象変わるねぇ。お父さんの。」
「そうでしょ。びっくりしちゃった。」
ベッドの上で、買い込んできたオートバイ雑誌に目をやりつつ、そう答える。
ほのかは電話口で父親の話をすることが多い。
相手の少年としては、おおいに気になるところなのだが、少々ファザコン気味なほのかがそういう話をするのは少年に甘えているのだと考え、できるだけ気にしないようにしていた。
だから、それなりに人となりは知っているつもりだった。
だが、今回の話は男としても興味深かった。
理知的な大学教授の過去がレーサーだったなど。
そう転がっている話じゃない。
「あなたもバイクの免許取っているんでしょ?何を買うの?」
「うーん、悩みどころなんだけどねぇ。SRっていうバイクにしようと思ってたんだけど、そういう話を聞くとそういうバイクもいいなぁ、って思うし。」
「じゃあ、パパのと同じバイク?」
「えっ?そこまで古いバイク、維持しきれないよ。それに似たようなバイクって言っても、今は2ストは生産中止になっちゃったから手に入れにくくなってるし・・・。」
「ふうん。そうなんだ。」
ほのかは少し残念そうな声を出す。
ほのかとしては、新しい、アグレッシブなイメージの父親が気に入ったのだろう、同じイメージを少年にも求めていた。
少年もそんなほのかの想いに気づき、雑誌の中古車コーナーに目をやる。
「どっちにしろ、夏にそっちに行くまでには手に入れているからさ、タンデムであちこちまわろうよ。」
「その時、パパも一緒じゃイヤ?」
「え?ええ?」
ほのかは、くすっと悪戯っぽく笑った。
「あと、私も免許とるって言ったら、きみはどうする?」
釧路港に向かうフェリーの中は、ツーリングライダー達でごったがえしていた。
少年は一人、海を眺めつつ、北海道で待つほのかのことを考えていた。
何度か電話で相談しつつ、少年は結局ヤマハR1−Zを手に入れた。
2ストローク250ccのバイク。
かつてほのかの父が駆り、戦ったヤマハRZの後継車種。
この夏は二人で北海道の大地を走る予定だった。
結局のところ、あれ以来、少年も妙に2ストロークエンジンを積んだバイクに憧れを持ってしまっていた。
実際手に入れ、大学の仲間と出かけてみると、これぞバイクと感じさせる「何か」が、少年の選んだバイクにはあった。
軽い車体。
強烈な加速感。
教習所で乗ったCBとは何もかも違うパフォーマンス。
排気量は小さくなっているのに、それ以上にスピードという麻薬を感じさせるバイク。
恋人の好みに合わせた、のではなく自分自身がこのR1−Zというバイクを気に入り、そして選んだのだ。
なけなしのブライドが少年にそう思わせる。
実際、ほのかからあの話を聞かされなければ、このバイクを選んではいなかっただろう。
その事実が少し、少年を卑屈にする。
「ま、よしとするか。」
つぶやくと遠くに北海道の大地が見えてきた。
フェリーが港に着き、少年は北の大地に愛車と共に降り立った。
ポケットから携帯電話を取り出し、ほのかをコールする。
「今、着いたよ。」
そう話すつもりだった。
だが。
「わっ!」
いきなり声がかかった。
「え?」
少年は振り返った。
そこにはあざやかなライディングジャケットをまとったほのかがいた。
「どうして?」
「えへへ。来ちゃった。」
少年の問いに悪戯っぽく微笑んで答える。
「こっちだよ。」
ほのかが先に立って歩き出す。
少年はその後を、R1−Zを押しながら続く。
「あそこ。」
指差す先には白いRZ250。
「まさか・・・。」
「パパ、着いたよ。」
「お、おじさん・・・?」
ほのかの父がそこにいた。
照れくさそうに、かつどことなく嬉しそうに笑っていた。
「久しぶりだね。バイクの免許取ったんだってな。」
「お、お久しぶりです・・・。」
「さ、北海道を案内しよう。本土とはひと味違うからな。」
「え、ええ。」
正直、父兄同伴のツーリングとは思っていなかった少年は、横目でほのかを見る。
少し舌を出し、悪戯っ子のようにほのかは笑った。
「ごめんね。ちょっと話をしたらパパがぜひ、って。」
ふう、とため息をつく。
仕方ない。仲良くしておいて損はない相手である。
「じゃ、おじさんの後ろに乗るのかい?」
少し不服そうな声。
ほのかはその声に笑顔で答える。
「ううん。」
そして指差す。
白いRZ250の向こうのコンパクトなバイク。
細いスチールパイプのトラスフレームが美しいバイク。
ヤマハSDR200。
「あたしの、バイク」
一言ずつゆっくりと口にする。
「ほのか、の?」
少年は目を丸くした。
古いとはいえ、軽量ハイパワーの200cc2スト単気筒エンジンを積んだそれは、美しいスタイルとはうらはらに、ワインディングをハイスピードで駆け抜けることを目的としたバイク。
「さ、行こ。」
ほのかが笑った。
少年も笑みを返す。
ほんの少し引きつっていたが。
3台のバイクがそろって吠えた。
そしてゆっくりと走り始め、やがて北海道の大地にとけ込んでいった。
「ところで父は『いつかまた取りに来る。』って言っていたんですよね。」
「ああ。」
「まだここにあるってことは・・・。」
「まださ。沢渡はこう言っていたよ。『いつか子供と一緒に走れるようになったら取りに来る』とね。」
「こいつに乗る日がまたいずれ来る。だからその時まで預かっておいてくれ。娘と、それと娘が一緒に走り続けるヤツと一緒に取りに来るから。」
おしまい
とあるサイトに投稿した、「センチメンタル・グラフティ」というゲームのサイドストーリーというテーマで書いた物です。
基本的な小説というには形がへろへろです。「センチ」というゲームがあってこそのお話です。その点はご容赦を。
私自身、80年代初頭のレースをテーマにした作品というのが結構好きで、それに対する憧れをプラスしてこんなお話となりました。「沢渡」という名前から結構安直に「ふたり鷹」を連想して書いてましたし。
おススメは前記の新谷かおる「ふたり鷹」に高千穂遙「夏・風・ライダー」ですか。 ぜひともご一読を。
書いた当初は続きを書くことになるとは思ってもいませんでしたが。
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