その大学は小高い山の中腹にあった。
美由紀はこの大学に通うため、この町へとやってきた。
そして一人暮らしを始めた。
下宿先のアパートは父の知り合いという車屋の隣だった。
引越の前、アパートを決めるため、父と共にこの町を訪れた時、父は開口一番、「どの車にする?」と言った。
美由紀はスクーターを買うつもりでいた。
不便な場所にある大学へ通うためには、何か足が必要なのは確かだった。
とは言え、いきなり車を買う気などは毛頭なかった。
そんな美由紀に向かって父は「あんな不安定な乗り物はいかん」と言い切り、父の知り合いの経営するこの店につれてこられた。
父と車屋の主人がにぎやかに談笑している中で、美由紀は店の中を回った。
まず、国産車というものがなかった。
「マニアのお店だ・・・」
美由紀はつぶやいた。
国産車にない個性的なデザインがそろっているのは楽しかった。
しかしながら、それに自分が乗るのだ、と考えると話は別だった。
流線形の2ドアクーペやクラシックなオープンカー。
どうも違うような気がした。
「この中から選ぶの?」
ふと、ため息をついた時、一台の白い車が目に止まった。
シンプルな3ドアハッチバック車。
決して派手ではないのだが、そのシンプルな美しさは美由紀の心を打った。
「あの・・・これ・・・」
振り向いてつぶやいた美由紀に対して車屋の主は一言で答えた。
「おっ、プジョー106か。いい趣味してるね」
こうしてこのフランス車が美由紀の愛車となった。
日々の通学の中、106は美由紀の足として活躍した。
コンパクトなサイズと、きびきびとした足回り。
当初、マニュアルミッションに抱いていた不安もあっさりと消えた。
美由紀本人は意識していなかったものの、国産車に乗る友人達からは、「速すぎて着いていけない」という言葉すら出てきていた。
「おっ、和見峠の走り屋娘のお出ましか」
美由紀のことをそう呼ぶのは、サークルの先輩にあたる佐々木である。
佐々木は学生ながら、カワサキZ900改を愛車とするバイク乗りだった。
その佐々木が、美由紀のことをそう呼ぶと、彼女は必死に抵抗する。
「えー。あたしとヴィンセントは走り屋なんかじゃないです。先輩と一緒にしないでください」
この頃、美由紀は106に「ヴィンセント」という名前を付けていた。
名前の由来は「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」からである。
ヴィンセントと美由紀のコンビはどこへでも出かけていった。
それこそ郊外のスーパーマーケットから大学周辺の峠道まで。
美由紀はヴィンセントと走るのは結構好きだった。
車を使って「スキーに出かける」でもなく、車に乗って「温泉へ行く」でもなく、「車に乗る」ことを目的として出かけることも多かった。
そのように、「走り屋」と一口にくくられるのを嫌がってはいたが、その心のありようはまさに同一のものだった。
もっとも、現代の峠道を支配する「走り屋」達特有の目立とう精神やモラルに欠けた態度が嫌いだった。ただの「暴走族」である、という認識だった。
山間の峠道に、わさわざ「走る」ためだけに出かけていこうとも、そこに集まっている連中とは決して交わろうとしなかった。
ついでに言えば、この時点で、美由紀はまだ、自身の駆るヴィンセントが、コンパクトながら世界のラリーフィールドで愛用されている、「106ラリー」と呼ばれる特別なバージョンであることを知らなかった。
しかしながら、そのような車と美由紀のような美女(困ったことに本人にはあまり自覚がないが)の組み合わせは否応無しに目立った。
それ故に気軽に声をかけるお調子者も多く、その行動がますます美由紀を「走り屋」嫌いにさせていた。
だから、美由紀が走るのはもっぱら早朝から午前中のうちが多かった。
それも一人で。
仲間と一緒に走る、というのは美由紀の意識にはなかった。
あくまで「ヴィンセント」と一緒に駆け抜ける。
美由紀にとって、「走る」ということはそういうことだった。
そして今日も、出かける準備を始める。
コーヒーとトーストで朝食をすませる。
顔を洗い、軽く化粧をする。
そしてジャケットをはおり、ドライビングシューズを履き、ヴィンセントに乗り込む。
朝の、まだあまり人の起きていない時間ということもあって、美由紀は余計な空ぶかしをせず、丁寧に暖機する。
そして走り出す。
街はまだ完全には起きていないが、それでもそこかしこに人の姿が見える。
犬と一緒に散歩するお年寄りや、日曜だというのに、眠そうな目で出勤する早出のサラリーマン。コンビ二に商品を納品するトラックや、それを受け取るバイト店員。
それぞれの生活の中を美由紀とヴィンセントは駆け抜ける。
三川スカイラインは矢萩川、木祖川、天神川の3つの河川の源流となる三川山の中腹にある観光有料道路である。
日曜の午後などは周囲の湖や牧場で観光する家族連れも多い。
適度な道幅とよく整備された路面が特徴のワインディングロードである。
もっともさすがに早朝となるとあまり車はいない。
美由紀はそのタイミングを狙って、ここへやって来た。
高速コーナーの多いこの道路を、右に左に、時にはテールスライドをかけながら走り抜ける。
軽い汗をかきつつ、美由紀はヴィンセントを走らせる。
その時。
背後に気配。
赤いバイク。
「うわ・・・来ちゃった・・・」
美由紀にとって知らない車やバイクの乱入は「嫌なこと」であった。
こういう時、美由紀はペースを落として先に行かせるようにしていた。
そしてこの時もそうした。
ペースを落とし、道の端に寄せ気味に走る。
赤いバイクが抜いていく。
抜いていくバイクのライダーがこっちを見ていた。
シールド越しの顔は見えない。
だけど。
「一緒に走ろうよ」
「声」が聞こえた。
聞こえるはずのない声が。
風に乗って。
一瞬にして右手が動く。
一速落とし、アクセルを踏み込む。
ヴィンセントが喜びの咆哮をあげた。
美由紀は、自分の持てる技術を全てつぎ込んで赤いバイクについて行った。
残念ながら、バイクの方があきらかに速い。
しかし。
ついて行く美由紀のペースも昨日までの彼女のペースより上がっていた。
バイクに引っ張られることでレベルアップしていた。
美由紀はヴィンセントが喜んでいるように感じた。
自分のもつポテンシャルをフルに発揮できることを。
そして。
美由紀も笑っていた。
競り合うことの楽しさ。
自分の持てる力を発揮することの楽しさに目覚めていた。
頂上の駐車場で赤いバイクが止まった。
美由紀もヴィンセントを滑り込ませる。
隣につけると、バイクのライダーがシールドを開けた。
真っ赤なルージュに彩られた唇。
「女性?」
美由紀は目を疑った。
「こんにちは。いい・・・カンジだよね。この道」
ライダーは、そう言いながらヘルメットを取る。
少し赤毛がかったショートカットの女性。
美由紀と同い年くらいだろうか・・・。
「私は優。七瀬優」
そう名乗った。
「私、保坂、保坂美由紀、です」
「キミの走り、きれいだよね」
優は微笑みながら、そう言った。
美由紀は何となく、照れつつ「あ、ありがとう」と答える。
ふと、気づくと優のことを男性と同じように意識している自分に気づく。
おかしいな、と思いつつ言葉をつなげる。
「でも、『きれい』って言われたのなんて、初めて。そういう言い方、するんだ」
「うん、私だけ、かもしれないけどね」
優の笑顔に、美由紀も笑顔で返す。
「保坂さんはこのあたりの人なの?」
「ええ。今年の春からだけどね。元々は金沢なんだけど」
「ふうん。この峠にはよく走りに?」
「ま、割と。でもこのくらいの時間が多いかな。人が多いのイヤだから」
「この人って見たことないかなぁ」
そう言って、優は一枚の写真を取り出した。
ずっと持ち歩いているらしく、角が丸まった写真の中には一人のライダーが微笑んでいた。
「赤い、ドゥカティってバイクに乗っているはずなんだ。私のも同じドゥカティだけど、もっと古いヤツ。クラシックと言ってもいいヤツ。ドゥカティ900マイクヘイルウッドレプリカっていうバイクなんだけど」
「この人って、優の・・・」
美由紀の言葉に、優は顔を赤らめる。
「わ、私が勝手に想っているだけで、別に彼がどうこうって言うんじゃなくて・・・」
慌て気味に話す優を、思わず美由紀はかわいい、と想ってしまう。
「探しているの?彼を」
「うん」
優は真っ赤になってうつむいた。
美由紀は手を伸ばした。
そして、優の手を握る。
「ちょっと待ってて」
美由紀は携帯を取り出す。
アンテナは2本立っている。
何とか通話できそう。
相手は、大学の先輩である佐々木。
美由紀のことを走り屋娘と呼ぶバイク乗りである。
よく、あちこちの峠に走りに出かけているため、ひょっとしたらどこかで出会っているかもしれない、そう考えたのだ。
「何かあったら」と無理やり教えられた携帯番号が役に立った。
しばしのコールの後、眠そうな声が応答する。
「おはようございます、先輩。保坂です」
その言葉の後、電話の向こうの声がしゃっきりとする。
「寝てました?申し訳ないです。先輩にちょっとお聞きしたいことがあって」
そう言って、優の瞳を見る。
「ドゥカティって先輩、わかります?それの・・・、えーと」
「マイクヘイルウッドレプリカ」
優がそっとつぶやく。
「マイクヘイルウッドレプリカなんですけど、わかります?え?わかる?じゃあ、ですね」
そう言ってことばを続ける。
「この辺で、それに乗っている人、知りませんか?・・・そう、ですか。知らない・・・ですか」
美由紀の声が沈む。
「え、別の所なら会ったことがある?どこです?それ?え、大阪?」
美由紀は目を丸くした。
「大阪の環状高速・・・。真っ赤なマイクヘイルウッドレプリカとバトル・・・」
その言葉を聞いた優の瞳が輝いていた。
「その人って・・・、大阪の人かどうかは分からない。はい、はい。ありがとうございました」
美由紀は電話を切った。
「聞こえた?」
「うん」
「行くの?」
「うん」
「大阪の人かどうか、分からないって言ってたよ。それでも行くの?」
「うん」
優は笑顔で答えた。
「がんばってね」
美由紀の言葉に優はうなずいた。
「でも、さあ」
美由紀は言葉をつなぐ。
「朝ご飯食べる時間、あるよね。おいしいドーナツのお店があるんだけどさ」
優はくすっと笑った。
「そう・・・だね。ご飯食べよ」
「ええ。ご飯はちゃんと食べなきゃね」
おしまい
さて、ここでこの話は三次創作となります。
もともと、このお話、サイトヲ・カヅキさんのwindyという二次創作のシリーズの番外編として書きました。
そこに登場するのが、ドゥカティに乗る優でした。
美由紀のエピソードを考えたとき、本来はゲームの主人公である「少年」の成長した「青年」を登場させるはずでした。
ですが、ふと考えを変えて、彼女を登場させてみました。
その方が面白い、と思ったからです。
サイトヲさんの同シリーズには他にも魅力的な姿を見せる「センチメンタル・ガールズ」がいました。
どうせなら彼女達も。
そんなこんなで、このwindy special stageはスタートしました。
残念ながら、2002年3月現在、サイトヲさんのサイト「mist」は閉鎖されていますので、元の姿をお見せすることができないのが残念です。
ともあれ、しばしの間、おつき合いいただければ、と思います。
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