おかしな場所だ、と思った。
永倉えみるは、愛車のニッサンマーチのドライバーズシートで、ぼんやりと待っていた。
深夜のラジオ局の駐車場。
紹介してくれたアルバイトのことを悪く言うつもりはないが、やはりだまされているのか、という思いもあった。
「まー君、えみりゅんってだまされているのかなぁ?」
呟く。
えみるは、オカルト雑誌「レムリア」の編集部から仕事をもらっているライターだった。
中高生たちの噂をキャッチし、いち早くそれに関する記事をまとめる。
フットワークが軽く、対象読者層の中高生に人気のある記事を持ってくるえみるは編集部員からも受けがよかった。
そんなえみるが注目したのが、首都高速に現れる幽霊車だった。
首都高を走る「走り屋」達に「ゴースト」と呼ばれるその車は、夜な夜な首都高湾岸線に出没し、300キロを超える猛スピードで走り去り、時には追いすがる車を事故らせるという。
この「ゴースト」の取材を決意したものの、「ゴースト」の出現条件にはひとつの特徴があった。
目撃したドライバーは、皆、180キロ以上で飛ばしていた。そしてその速度域以下では目撃証言がほとんどない。自分のマーチでは不可能だと感じたえみるは、編集部にバイトで来ていた大学生から地元の走り屋を一人紹介してもらうことにした。
条件は女性であること。そして、こういうことを楽しめる性格であること。
そして、えみるは今、この場所で待っていた。
愛用のニコンを手に。
そこへ、ウインドゥをたたく音。
「え?」
顔をあげたえみるの前に一人のショートカットの女性。
元々、小柄なえみると比べても、まだ少し小柄な感じ。
「え、あ、あなたが・・・」
「永倉・・・さんですよね。あーちゃんから聞いてます。お待たせしました。星野明日香と言います」
さわやかな声でそう告げられ、えみるはますますとまどう。
正直、走り屋と聞き、男勝りの逞しい女性を連想していた。
「『ゴースト』のことですよね。さ、行きましょう。あ、私のことは明日香でいいです。あーちゃんとは同い年って聞きましたから、私とも同い年なんですよ。あ、こっちです。私の車。どうぞ」
まくし立てられ、無理矢理引っ張られる。
「ちょっ・・・ちょっと」
えみるはあわててカメラや取材道具一式の入ったデイパックをひきずり出す。
「マーチはここに止めておいていいですよ。局の人たち、何も言いませんから」
「あ、あの」
「さ、これです」
明日香の指し示すその先には黄色のスポーツカー。
微妙な曲線で構成されたそれはたしかにスピードというものを具現化しているようにも見える。
「マツダRX-7。これが私の愛車です。そして、「ゴースト」を追うマシン」
えみるには分からないものの、当然ノーマルではない。
後付けのエアロパーツにホイール。
マフラーもノーマルの倍以上の太さである。
だが、えみるの心が気づいたのは別のこと。
汚さ、というと語弊がある。
流麗なボディも、風を操るためのエアロパーツも細かい傷が山ほどついている。
ボディ下部の塗装がはげかかっているところもいくつか。
えみるの「まー君」ことニッサンマーチのように、まめにワックスをかけ、大切にピカピカにしているのではない。
だが、その外見は荒い使われ方、というイメージを与えない。
むしろ使い込まれた道具の潔さ、というか格好よさを感じる。
「さ、どうぞ」
促され、助手席のドアを開け乗り込む。
フルバケットのシートに体を埋める。
「わわ」
「フルバケットのシートは低いですから気をつけてくださいねー」
「さ、行きましょうか」
そう言って、明日香も乗り込む。
「ベルト、してくださいね」
えみるは言われて、あわててベルトを手に取るも四点式シートベルトはどうしていいのか分からない。
「こうですよ」
とっちらかっているえみるの様子を見て、明日香は体を寄せ、ベルトを締める。
「じゃ、行きます」
一言そう言ってエンジンをかける。
地の底から湧き上がるような唸り声がRX-7の車内に響く。
「ちょっとやかましいけど、すみませんね。とりあえずベイブリの方まで行きます。ま、ジェットコースターだと思っててください」
一言言って走り出す。
えみるの両耳を爆音が包む。
体全体に加速のGがかかる。
その勢いはえみるの知っているどのジェットコースターをも越えている。
「せ・洗濯機で振り回されてるみたいりゅん・・・」
えみるが落ち着いたのは20分ほどしてから、ベイブリッジ下の大黒PAに到着してからであった。
「大丈夫・・・です?」
明日香が心配そうに尋ねる。
えみるはゆっくりと起き上がる。
「りゅんりゅんりゅん・・・大丈夫りゅん」
「この後、湾岸線を行きますけど、何か目撃パターンとかってあるんですか?『ゴースト』って」
明日香の質問に、えみるはプロ意識を取り戻す。
「目に見えるようなパターンはないりゅん。でも・・・」
「でも・・・?」
「えみりゅんの調査が真実を引き当てていたなら夜1時頃、横浜からスタート。その後C1、環状線を走ってまた湾岸線を戻る、このコースりゅん」
「え・・・、何でそんなに詳しく・・・」
「ずばり、『ゴースト』の正体りゅん!」
そう言って、えみるは一枚の新聞記事のコピーを差し出した。
『深夜の暴走、高級外車の青年事故死』
そう、見出しが書かれている。
「これ・・・は?」
「3ヶ月前に起きた、不幸な事故。『ゴースト』の噂が出たのも大体3ヶ月くらい前から。そして、赤いフェラーリってのも共通りゅん。おそらく、この人の霊りゅん。地縛霊の行動は生前の行動に文字通り縛られているりゅん。だからこの人の生前の行動を確認すれば、大体分かるりゅん」
「へぇぇ。さすがプロですねぇ」
「だから、今言ったルートでお願いりゅん」
「はい。わかりました・・・。ところで・・・」
「りゅん?」
「その『りゅん』って口ぐせですか?」
明日香の言葉にえみるが真っ青な顔になる。
「え・・・、今わたし、『りゅん』って言ってました?」
「ええ」
えみるは後悔したようにため息をつく。
「直したはずなのに・・・、今も興奮すると出ちゃうんですよ。子供の頃、自分独特の『えみる語』っていうことで作って口ぐせになってて・・・」
「いいじゃないですか。かわいいですよ。それ。そういう口癖って、うちのリスナーの子たちにはウケそうですよ」
「リスナー?」
「ええ。星野明日香の『センチメンタルナイト』火曜日の深夜12時より2時間番組で放送中!です」
明るい言葉にえみるは目を丸くする。
「ええっ?DJだったんですかぁ」
「ちょーっとアイドルもやりました。CDも出しましたよ。あんまり売れなかったけど」
そう言われると明るく、そして可愛らしい雰囲気がブラウン管に似合いそうだ。
「さ、じゃあ、行きましょうか」
RX-7が湾岸線に飛び出す。
出現予定ルートに沿って走り始める。
遠慮のないスピード。
一般車の間をすり抜けつつ走る。
カーステレオもラジオもエンジンにかき消されあまり意味がない。
いきおい、口数が少なくなる。
ふと、えみるの背中を何かが走った。
悪寒。
「来る」
呟く。
その感覚は明日香にも伝染した。
しかし。
「え?」
えみるの方を見る。
えみるががたがた震えている。
えみるは明日香以上に「敏感」らしい。
そして理解気付く。
それが気のせいでも何でもなく、物理現象として来ていることを。
バックミラーにライト。
そのまま、抜きにかかってくる。
その姿は。
闇夜に浮かぶ、真っ赤なフェラーリ348。
「ゴースト!」
明日香はアクセルを踏み込む。
RX-7は弾かれたように飛び出す。
が、それを突き放すようにゴーストが前に出る。
えみるは震える体をおさえ、ニコンを構えた。
夜間用の高感度フィルムがどれだけ役に立つか。
見せつけるテールを狙いシャッターを切る。
ゴーストはじりじりと離れていく。
逃がさない。
明日香はアクセルを踏み込む。
一般車をスラロームしながらよける。
速度差は150キロ以上。
まさにパイロンといっていい。
だが、明日香は学んでいた。
自分が積極的に動くことで危険度が減ることを。
相手に期待しない。
自分がやる。
それが湾岸のルール。
そう思いアクセルを踏む。
ゴーストの背後に食らいつく。
「逃がさない・・・わよ」
寒気と恐怖が体を支配しつつある。
やめよう―、そんな思いが頭の中を駆け巡る。
だが、心臓がそれを許さない。
熱くなった血液が、さらにアクセルを踏み込めと刺激する。
二律背反する体とともに、明日香はゴーストを追う。
いきなり、赤い車体の中からバイクが現れた。
「!!」
恐怖と死の予感が全身を貫く。
両手と両足が勝手に動く。
事態を認識するより先に明日香はバイクを避ける。
タイヤがたわみ、強大なエネルギーを車体が受け止める。
RX-7が悲鳴をあげる。
「まだまだっ!」
暴れまわるRX-7を立て直し、ゴーストを追撃にかかる。
ブーストコントローラーに手を伸ばしタービンのブースト圧を上げる。
スクランブルブースト。
アクセルを一気に踏み込む。
RX-7が一気に加速する。
景色がゆがむ。
強烈なGが明日香を襲う。
それに耐え、加速を続ける。
ゴーストを視野にとらえる。
―後一歩―
そのとき、13Bロータリーターボエンジンが悲鳴をあげた。
ブロー。
寸前でクラッチを切り、かろうじてホイールロックだけは避ける。
だが・・・。
すでにゴーストの姿はない。
ふう、というため息をつく。
「やられた・・・か」
明日香は惰性で進むRX-7を、路肩に寄せ止めた。
悔しかった。
「センチメンタルナイトの星野明日香を甘くみちゃダメよ。絶対捕まえてやるから」
そう、つぶやき、自分自身の意思を確認する。
そこへノック。
RX-7のサイドウインドウを一人のライダーが叩いていた。
「何て運転してるねん!」
ドアを開けた明日香の前に二人の女性ライダー、七瀬優と森井夏穂が立っていた。
◇
「信じます?」
長々とした説明の後、明日香はとりあえず、そう口にした。
「信じます・・・言うてもなぁ」
夏穂はつぶやきつつ、首をひねる。
ファミリーレストラン「ボナサン」の店内は早朝ということもむあり、まだ閑散としている。
「ところであなたたちはどうして横浜へ?見たところ地元の人じゃなさそうだけど」
「人を探しに。『クール・ウインド』ってバイク屋に勤めているらしいんだけど」
そう、優が答える。
「『クール・ウインド』?ああ、知ってる。すぐ近くだよ。ここの」
「え?」
「地図書いてあげるよ」
明日香はそう言ってナプキンの裏に簡単な地図を書く。
「ありがとう」
優がうれしそうに微笑んだ。
「彼氏?」
明日香はふと尋ねてみた。
すると優の顔が真っ赤になる。
「え?えええぇぇぇえぇぇっと」
「彼氏や」
横から夏穂が助け船を出す。
正確には助け船でも何でもないのだが。
「い、いや、まだ・・・」
「がんばってね」
明日香は言う。
「やっぱ恋する女の子はカッコいいね。七瀬さん」
「え・・・あ」
優はリアクションが取れない。
「あたしの仕事、女の子の味方だから」
「え」
いぶかしげに言うのは夏穂。
明日香はにっと笑って答える。
「星野明日香の『センチメンタルナイト』火曜日の深夜12時より2時間番組で放送中!です。よろしくね」
優と夏穂が席を立った後、えみるがそっと口を開いた。
「明日香さん・・・。今日はありがとうございました」
えみるはショックを受けていた。
ゴーストの恐怖。
スピードの恐怖。
そして、死の恐怖。
「もう・・・結構です」
呟くように言う。
「これ以上、ゴーストを追わなくてもいいです。あまりに危険が大きすぎます」
「ゴーストって、何で走ってるんでしょうね」
明日香がぼそっと口にした。
「え・・・?」
「走りたい、だけならあたしもゴーストになります。もちろん、あたしの知ってる人、みんな。でもゴーストになってまで走るのなら、いきなりバイクの中を走り抜けたりしない。だって、バトルを楽しみたいから。でもあのゴーストは違う。何があったんでしょうね」
「さ・・・あ」
「私、あきらめません。決して」
「明日香さん・・・」
「えみるさん、私、会いに行ってみようと思います。ゴーストの生前の関係者に。そして・・・」
「そして?」
「もう一度、走ります。『彼』と」
「私・・・も行きます」
えみるは決断しするようにゆっくりと言った。
「あなただけ行かせるわけにはいきません」
「じゃあ、一度仮眠しましょうか。寝不足はお肌に悪いし」
「え」
一瞬、気勢を削がれる。
「私の家、すぐ近くですから。ね」
一つ、ため息。
そして。
「はい」
二人は立ち上がった。
次のアクションのために。
まだ、負けてはいなかった。
◇
「やめた?」
バイクショップ「クール・ウインド」で優は思わず声をあげた。
「ああ、実家の青森へ帰るって」
「青森・・・」
「何でも親父さんが入院してしまったとかでね。青森第一病院。実家も確かその近くのはずだ」
その言葉とともに、住所のメモをもらう。
「さ、次は青森か・・・。じゃ今日は横浜に泊まってってとこやね」
「うん・・・」
「何や、落ち込んでもしゃあない。とうとう居場所がはっきりしたんやから」
「うん、そうだね」
優の返事は今ひとつ気乗りしない。
「夏穂・・・。今朝の話、どう思う?」
「何や、あの幽霊の話か」
「うん」
「うちも・・・幽霊になってるかもしれん。悔しいわな、やっぱり」
「気に・・・ならない?」
「なる・・・」
「乗りかかった船・・・だしね」
優の瞳に決意の色が浮かんでいた。
「まー君」こと、えみるのニッサンマーチは市内の病院へと来ていた。
何人かの関係者を回り、ようやくたどり着いた場所。
杉原真奈美。
ここに入院している彼女こそ、生前、ゴーストと親しかったという女性。
そして、彼女は「彼」の葬儀の日以来、意識不明の状態だった。
彼女がスピードの魅力に取り付かれ、この世界に入り込むのは、生まれ育った高松から横浜に出てきた後のこと。
元々、体の弱かった彼女だったが、友人に連れられ湾岸線に遊びに出たその時、一人の青年と会い、車に興味をもつようになったのだ。
それが、ゴーストの青年。
恋人同士、というよりはむしろ真奈美が青年の後をついていっていた、そんな印象の方が強かったという。
真奈美にとって、青年は憧れの存在であったらしい。
そして、彼女は自分の愛車を手に入れ、青年とともにスピードの世界へと向かう。
そこには、体の弱い自分が、普通以上の力を持つことの喜びもあったかもしれない。
そして、彼女は運命の日を迎える。
明日香は走り屋仲間と名乗り、病室の真奈美を訪ねた。
そこには目を閉じた真奈美と疲れた顔の母親がいた。
ひとしきり、話をした後、明日香は「あの日」のことを尋ねた。
「あの日、この娘は急な発作に襲われ、この病院に来ていました。何か約束をしていたようで、この娘はずっとそのことを悔やんでいました。そして、この娘は心を閉じてしまいました。このままでは、何も変わらないというのに・・・」
弱々しい言葉。
「約束・・・」
「彼が憧れの車を買ったから一緒に走るんだ、って・・・。ずっと」
「一緒に・・・走る・・・」
明日香は少し考えていた。
そして、一つの結論を出した。
「お母さん、幽霊って信じていますか?」
◇
ニッサンスカイラインGT-R。
それが真奈美の愛車だった。
年式は少し古い。
R32型と呼ばれるタイプ。
もっとも、明日香にとってはもっとも好きなタイプ。
真奈美もおそらくはそうなのだろう。
あえて最新型ではなく、好きなタイプを選ぶその姿勢に好感を抱く。
母親からキーを借り、そして真奈美を助手席に乗せる。
えみるはリヤシートに。
「えみるさん、あたしの想像、聞いてもらっていいですか?」
「え、ええ」
「ほんと、あくまで想像なんですけど、ゴーストがこの娘の来るのを待っているんじゃないかって」
「うん、私もそう思う」
「だから、ゴーストは凶暴になっているんじゃないかって。いつまで待っても彼女が来ないからって」
明日香はそう、口にした。
「で、彼女がこの車で行けば、ってこと」
「うん。約束・・・果たさなきゃって」
「明日香さんは何故そんなにこだわるんですか?これに。走り屋同士の友情・・・ですか」
しばらく明日香が黙る。
そして、横浜市内をゆっくりと進む。
「約束を守れない悔しさとかつらさは分かっているつもりだから・・・。あたし、中学の頃、一人の男の子を好きになったの。そして、一緒に映画に行く約束をして・・・、あたしが風邪をひいて行けなくなって、連絡取れればよかったんだけど、今みたいに携帯があるわけじゃなし。結果として約束を破っちゃって。で、次の日からしばらく風邪で学校に休んじゃって・・・」
「で」
「彼は転校しちゃった」
「え?」
「で、あたしは今もチケットを持ってたりして」
そう言って明日香は免許証ケースを取り出し、えみるに手渡す。
えみるが開くと、中には古い映画のチケット。
「明日香さん・・・」
「だからさ、約束ってやたら気になるんですよ」
「だから、これから走るのは、全くの個人的事情ってやつなので、えみるさん、何だったら降りてもいいですよ。無理に付き合わなくても」
明日香の言葉にえみるは否定の言葉を返す。
「いいえ。『レムリア』に永倉あり、と言われてますし」
―想い出に振り回されるなんて悲しすぎるし―
「さあ、失われし約束を果たすため、二人の美女、出撃りゅん!」
「あれー?あれは・・・」
明日香がふと気付くとインター前に2台のバイク。
「あれ?どうしたの?」
優と夏穂。
「あー、車が違うー。わかんないよ。それじゃ」
夏穂が叫ぶ。
明日香は身を乗り出して話す。
「分かった?『クール・ウインド』?」
「ええ。わかったけど、辞めてた。今、青森らしい」
「青森?行くの?」
優の言葉に明日香は大きく反応する。
「ええ」
「がんばるねー。で、これは何事?」
「何か気になってさ」
「私たちも幽霊が見たくなったってこと」
夏穂が叫ぶ。
今夜は本当にお節介焼きが多いらしい。
「4人になっちゃったねー。えみるさん」
「いいりゅん。多いほうが楽しいりゅん」
「じゃ、行くよ、着いてこれなくても知らないからね」
優と夏穂が頷いた。
◇
R32GT-RはRX-7に比べると格段の安定性を誇る。
ニッサン自慢のアテーサ4WDシステムと剛性の高いボディ故だ。
これに、国産最強のRB26ツインターボエンジンが加わって、公道最速を名乗る。
「さ、着いてこれるかな?」
ミラーで2台のバイクを見つつ、アクセルを踏み込む。
力まかせにぐいぐいと加速するR32GT-Rに対し、優と夏穂は正直、手が出ない。
特に夏穂のマッハは不利な条件がそろいすぎている。
元々、最後までついていけないことを知っていても悔しいことに変わりはない。
必死についていく夏穂の背中に何かが走る。
「え?」
悪寒。
「マジ?」
空気が何かに変わっていく。
切り裂いていくはずのものが、ねっとりとまとわりついていく。
優も同じ感覚に包まれていた。
「これが・・・」
そして、彼女たちの目の前に、「それ」が少しずつ形を整えていく。
赤い、フェラーリ348。
ゴースト。
「来た」
優が呟く。
明日香とえみるも気付いた。
ゴーストに。
「さ、どうなる」
明日香の呟きに反応したのか、助手席の真奈美の目が開いた。
そして、いきなり叫び声。
「あああああああああ」
「ええっ?」
明日香とえみるはともにぎょっとした。
あまりにも予想外の反応。
「ど、どうしたりゅん?」
えみるが真奈美に飛びつく。
その時。
えみるの中に真奈美の意識が飛び込んだ。
「―――――」
「あ・・・明日香さん・・・、あの・・・ゴースト・・・抜いてください。負けちゃ・・・ダメ」
「えみるさん!」
「勝って!」
えみるが叫ぶ。
強い、断定的な口調。
「わ・・・わかったわ!」
明日香はアクセルを踏み込んだ。
GT-Rがリヤを沈めダッシュする。
ゴーストが追いすがる。
「後についたけど、あっさり抜けると思わないでよ」
呟きつつ、視線は前。
まるで突進してくるかのような一般車両に向けられている。
ゴーストが横に出る。
スピードメーターは200キロを越えている。
「頼むわよ。GT-R・・・」
車速が上がる。
じりじりと。
風景は高速度撮影のように溶けてくる。
ゴーストが前に出る。
「くそっ」
離させない。
明日香の意識が研ぎ澄まされる。
抜き身のナイフのように。
そして、気付く。
料金所の存在。
ゴーストはスピードを落とさない。
物理現象と無縁の存在なら料金所などは関係ないだろう。
だが、明日香たちは・・・。
このスピードで激突したら大惨事は間違いない。
わかっていて明日香はアクセルを踏みつづける。
負けられない、という思いが。
空いているか?
空いていなければ死。
生還を念じつつアクセルを緩めはしない。
勝負。
青シグナルと空きレーン。
「逃げてよ!」
料金所の収受員は焦った。
一台の車が猛スピードで突っ込んでくるのを見たからだ。
「な・・・!」
大慌てで逃げ出す。
そして。
そこに。
GT-Rは突っ込んだ。
風圧が料金所のブースのガラスを粉々に砕く。
そして、雪のように舞い散るガラスの中を。
GT-R。
「逃がさないわよ!」
明日香は叫ぶ。
湾岸線をひた走る。
何度走ったかわからないこの道を死に者狂いで飛ばす。
勝てる・・・か?
「勝てる!」
気合をいれ、自分自身を鼓舞する。
その明日香の前に。
光が現れた。
「え?」
光はゆっくりと車内に入り、そしてえみると一体化する。
「えええ?」
そして、えみるが口を開く。
「真奈美・・・ごめんね」
男の声だった。
「きみの気持ちに気付いてあげられなかったうえに、こんな形で会うことになって」
真奈美がゆっくりと目を開けた。
「あな・・・た?」
「うん。ひさしぶり」
ほのぼのとした会話。
明日香はあまりのギャップに気が萎えそうになる。
「もう・・・いいんだよ」
真奈美が涙を流している。
「大好き・・・でした」
「うん。ありがとう」
えみるが背後から抱きしめる。
その手に真奈美が自らの手を重ねる。
「じゃ・・・行くね」
「はい・・・」
「おーい」
自分たちの世界に入っている二人に明日香が声をかける。
「あれ、そのまま?」
「ごめんね。そうだね」
えみるが答えると、光の球体が再び現れた。
えみるはきょとんとしている。
そして、光はゴーストへと向かう。
一体化。
ゴーストの周囲の禍々しい気が一瞬にして吹き飛んだ。
「いいじゃん」
走りが気持ちよくなる。
バトルがランデブー走行に変わり、やがてダンスになった。
それをぶち壊すようにサイレンが鳴った。
パトカーが一台。
「あ・・・」
明日香は料金所突破を思い出す。
「やばかった・・・よなぁ・・・あれは」
あきらめの言葉。
「逮捕・・・かぁ」
明日香はアクセルを緩める。
車速が落ちる。
すると、パトカーはそれに気付かぬかのように必死に抜いていく。
はたと気付く。
「あいつ・・・」
ゴーストがGT-Rの姿になっていた。
パトカーはそれを追いかけていた。
誰かに声をかけられた。
明日香はそっと礼を述べた。
明日香はGT-Rを路肩に止めた。
真奈美は泣いていた。
えみるは放心していた。
明日香はため息をついた。
しばらくすると2台のバイクがやって来た。
そして、朝がやって来た。
◇
真奈美を病院に送り届けた後、4人はファミリーレストラン「ボナサン」で朝食を取っていた。
「結局、ゴーストって何だったの?」
「あれは・・・」
夏穂の問いにえみるが答えた。
「彼女の想い・・・」
「え?」
「あれは・・・、ゴーストは彼女の創り出した幻影りゅん。死んだ青年の霊ではなく、彼女、杉原真奈美が創り出した、生霊とでも言うべきものりゅん」
「生・・・霊?」
皆が絶句する。
「約束を破ってしまった後悔。告白できなかったという現実。終わらせたくない時間。そして失いたくなかった人。そんな彼女の想いがゴーストを産み出していたりゅん。それは、彼女自身と、そして・・・彼・・・が言ってたりゅん」
「あの光は・・・」
明日香の言葉にえみるは頷く。
「そうりゅん。彼だりゅん」
「最後の別れ・・・か」
誰ともなくつぶやく。
表へ出ると、通学の時間か、女子高生たちがぞろぞろと歩いている。
「じゃ私たちは」
優が声をかける。
明日香が返す。
「がんばってね」
微笑みで返す。
優と夏穂のドゥカティとマッハは右へ。
明日香とえみるのマーチは左へ。
互いに片手を挙げ、あいさつを交わし、そして別れた。
太陽とともに、横浜の街に賑わいが戻る。
その日以後、首都高速に、赤いフェラーリの幽霊が現れることはなかった。
おしまい
さて、舞台は首都高。
首都高バトルや湾岸ミッドナイトの領域です。
実は構想自体は、阿月の「Hot Heart」シリーズのうちの一編です。
一時期、一部のみ公開していましたが、この話をUPするに伴い削除しました。
そういうこともあり、シリーズ中、もっとも思い入れが深いかも。
いや、明日香が主人公だからってワケではなく。
(ちなみに阿月の中のベストキャラが明日香です)
明日香は阿月の中ではこんなイメージです。
えみるはもっと積極的に動くのかなぁ、と思いつつ、こんなカンジでまとめました。
彼女の愛車がマーチ、というのは伊達政宗を「まー君」と呼んでいましたので、そこから引っ張っています。
ともかく、軽かコンパクトカー。そして、あまりこだわってマイナーな車種は選ばないだろうな、ということでマーチに。
もっともかわいそうだったのは真奈美でしょうか。
若菜よりもかわいそうかなぁ、と。
あんな役だし。
ホントはオースチン・ヒーレーに乗って北海道のペンションで静養している役のはずだったのに、急遽横浜に引っ張ってしまいました。
さて、ストーリーはいよいよ折り返し点を越えました。
後は予告にある通り、舞台は北へと向かいます。
ちなみにこのストーリー、一応「主人公」君は12人いることになってます。
優が追っている「青年」はその一人。
それぞれがそれぞれの人生を生き、そしてその途上で偶然出会う。
センチメンタルグラフティの2次創作と言いつつ、そんな所は勝手な設定となっています。
一応、基本設定はできるだけ押さえているつもりではいるのですが・・・。
それでは、今しばらくおつき合いのほどを。
|