![]() ![]() 国内の金山・油田、高層ビルと郵便番号、銘柄米、都市鉱山、学校方言、ブランド魚、ブランド牛、農産物輸出、四角いスイカ、ニワトリ一羽が産む卵、乳牛一頭が出す牛乳 |
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上の表からも分かるように鉄鉱石や石炭などはこの20数年で,国内の産出量は激減し,ついに国内生産は0になってしまった。これは,資源の枯渇というより,海外の鉱山との採掘規模の違いや円高などによる生産性の差が大きい。しかし,金の産出量のみはこの間に3倍に増えている。この日本の金採掘の好調を支えているのが鹿児島県にある菱刈(ひしかり)金山である。
エネルギー資源のほとんどを海外に依存する日本,石油も99.7%を中東などから輸入している。ということは残る0.3%は何とか国内で生産しているわけである。
国内の石油産出量は73万キロリットル(1999年),その76.7%は新潟県で産出する。次いで秋田県14.9%,北海道6.7%と新潟以北の日本海側にわが国の油田がある。ところが,太平洋岸でも石油が採れる町があるという。それは静岡県牧之原市相良(さがら)町である。相良町は御前崎に近く駿河湾に面した温暖な気候の町で,背後に日本一の茶の産地である牧ノ原台地が広がる。この相良町で初めて石油が発見されたのは明治5年(1872),その翌年から採掘が始まった。初期の頃は手掘りにで深さは100mほど,やがて機械による掘井も始まり,もっとも産油量の多かったのは明治の中頃で、年間721.6キロリットル(ドラム缶3,600本)もの石油を産出した。その油質もかなり良質であったそうだ。しかし、その後しだいにに石油の産出量は減っていき、最盛期には約150本あった井戸も次々と取り壊され,昭和30年代に約80年間の石油採掘の歴史の幕を閉じた。油田のあとは現在「油田の里公園」として整備されている。 ●
通常,郵便番号は××町,○丁目というように区割りごと設定されている。ただ,ランドマークタワーのように数十階の超高層ビルともなれば,ビル内には数百のオフィスや店舗があり,郵便局あり,銀行ありで,地方の小都市を上回るりっぱな一都市の機能を有している。そこで新宿に出現した超高層ビル群をきっかけに1990年,「超高層ビル番号」と呼ばれる新たな郵便番号制度が導入された。 ●
1978に完成したサンシャイン60は東京タワーとともに,東京の街を見下ろす人気スポットとして今なお多くの人々に親しまれている。しかし1991年,新都庁ビルの完成により,13年間保持してきた日本一高いビルというタイトルは失ってしまった。その都庁ビルが日本一の座にあったのもわずか2年,1993年に横浜みなとみらいに完成した地上70階のランドマークタワーが日本一になった。69階の展望フロアまではエレベーターで40秒で到達し,テニスコート5つ分のフロアからは富士山や遠く伊豆大島まで望むことができる。その後も,大阪や名古屋に相次いで超高層ビルが建設され,サンシャイン60は今では第11位にまで順位を下げてしまった。しかし,サンシャイン側では,何とか他のビルに負けないようにと屋上を一般客に開放し,日本一高い屋上スカイデッキは新たな人気を呼んでいる。
長崎県の対馬にあった「オメガ塔」と呼ばれる塔は,その高さ455m,東京タワー(333m)やあのエンパイヤステートビル(381m)よりはるかに高く,当時は国内はもとより東洋一高い建造物であった。この塔は船舶や航空機にその位置を知らせるためのオメガ波という電波を発信するために,海上保安庁が1975年に建設した。東京タワーのような自立塔ではなく,塔本体を多数のワイヤーで支える形式で,設置面積は1km四方におよび,中は空洞で垂直タラップが設置されていたた。 ●
かつては,「日本晴れ」や「ササニシキ」などコシヒカリの系統ではない銘柄も,国内で多く生産されていたが,現在では非コシヒカリ系の品種はすっかり影を潜めてしまった。とりわけ「ササニシキ」は,吉川団十郎さんのヒット曲「ああ宮城県」の歌詞にあるように1980〜90年代には「コシヒカリ」と並ぶ人気銘柄だったが,今や地元の宮城県でも「幻の米」とまで呼ばれるほど生産量は減少した。 「ササニシキ」低落の最初のきっかけは1993年の冷夏である。ササニシキは宮城県をはじめ東北地方で広く栽培されていたか,耐冷性が弱く,この年は大きく減収となった。そんなときに,宮城県の古川農業試験場で開発されたのが,ササニシキより耐冷性に優れているコシヒカリ系統の「東北143号」である。試食会でも,好評を得たこの新品種は「ひとめぼれ」と名づけられ,ササニシキに換わって宮城県の特産となり,その後,全国でも「コシヒカリ」に次ぐ収穫量を誇るブランド米となった。 では,なぜコシヒカリがこれほどまでに日本人に好まれるようになったのだろうか。味覚おんちの私にはよく分からないが,コシヒカリのおいしさは,もっちりした食感と一粒一粒のうまみにあると言われる。炊き上がりはもちろん,おにぎりにすると,冷めてもそれだけでおいしいという。洋風化してきた日本人の食生活の変化のため,あっさりしたササニシキのようなコメよりもよりも,コシヒカリのような粘りのあるコメが人々が好まれるようになってきたからではないかと言われている。また,コシヒカリ」は,いろんな土壌や気候に適応することも生産が増えた要因だ。コシヒカリは北陸地方から西日本各地で広く栽培され,東北や北海道など寒冷地では,品種改良されたコシヒカリ系統の「あきたこまち」「はえぬき」「きらら397」などが栽培されるようになった。そのため,今では猫も杓子もコシヒカリ,あるいはコシヒカリ系統のブランド米というコシヒカリ・モノカルチャーとなってしまった。 ○国産米の銘柄別収穫量<農水省統計2009>
○銘柄米の系図<田中燃料センターHPより> ![]() ・お米のことがわかるホームページ「お米百科http://www.kamedaseika.co.jp/r_story/okome/
わが国の食料自給率は年々下がり続け,今や先進諸国のなかでは最低水準,主要品目の自給率を見ると,米だけがほぼ100%で,あとは鶏卵96%,野菜84%,魚介類66%,肉類55%,小麦にいたってはわずか6%,豆類も5%にすぎない(1998)。鶏卵も自給率が高いとはいえ,鶏のエサの大半は輸入に頼っている。そんな食料事情の日本において,さて表題のように,日本国内で自給できるものだけで食事をつくることが果たして可能だろうか。その場合,まずネックとなるのが日本料理には欠かせない味噌やしょうゆが使えないこと,味噌やしょうゆ,豆腐,納豆などの原料となる大豆の自給率はたった3%,味付けに使えるのは北海道産の昆布か塩くらいである。結局純国産のメニューとなると,梅干し入りのおにぎり(ただし,海苔は韓国などからの輸入が増えており,使えない),ミツバを入れ,塩で味つけした雑炊,いろいろ調べてみたが,コンニャクなど単品ならともかく料理となると100%純国産というのはかなり困難というのが結論である。
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世界の主要国のなかでは,日本がもっとも農業にとって恵まれた自然環境にあるといっても,多くの人はにわかには信じがたいであろう。多くの農産物を海外からの輸入し,国産のものは米も肉も野菜も外国産よりも価格が高く,農業に従事するのは高齢者ばかり,それらが日本の農業が直面している現実である。しかし,農業の原点から日本の農業を考察してみると,違った側面が見えてくる。農業の原点とは何か。それは植物を育てることである。植物が育つために必要な条件,それは適切な温度,適切な水,適切な日照,適切な土壌である。
現実にもどるが,そんな農業最適国日本が農業不振に陥っている理由は何だろうか。まず人口が多すぎること。過密になれば,当然経営規模は小さくならざるをえない。上記の4つのポイントで,比較的日本とよく似た国はニュージーランドである。ニュージーランドでは生産性の高い農業が行われているが,日本と根本的に異なるのは,人口密がわずか370万人,人口密度は14人と実に日本の1/24である。 ●
日本人は一人あたり年間355個の鶏卵(タマゴ)を食べているそうだ。多くの食料を海外からの輸入に依存している昨今,米と並んでこの鶏卵は,自給率が96%とかなり高い(ただし,ニワトリの飼料の大半は輸入に依存しているが)。また,鶏卵は物価の優等生といわれ,その価格もこの30年ほどほとんど変わらず,諸外国の食料関連の物価と比べても鶏卵だけはにむしろ日本が安い。その理由は,何よりも日本の養鶏技術が世界の最高水準にあることによる。 下の表に示されるように,この30年間に養鶏農家数は激減しているが,飼養羽数は逆に増えており,養鶏の経営規模は年々大きくなっている。現在,1養鶏場あたりの飼養羽数の全国平均は2.3万羽であり,十万羽以上飼育している養鶏場が全国各地に見られるようになった。そのような養鶏場ではニワトリはケージに1羽ずつ仕切られて飼われ,すべてがコンピュータによって管理・制御されている。温度や光量の調節,給餌,集卵,ふんの処理まで全自動でおこなわれ,産み落とされた卵はベルトコンベアですぐに回収される。なお,近年のグルメ志向のため,一部の高級卵は,ニワトリをケージに入れず鶏舎内を自由に動き回れるようにして,産卵箱に卵を産ませる「平飼い」によって生産している。 さて,1年間に1羽のニワトリは何個くらいの卵を産むのだろうか。ニワトリは通常ふ化して4ヶ月前後で卵を産み出す。1年間の産卵数は品種によって異なるが,白色レグホンなど通常の卵用種の場合,300個くらいは産む。5〜7年くらい産み続けるが,産卵率や卵質が低下したニワトリは処分されるそうだ。
たまご博物館のホームページhttp://homepage3.nifty.com/takakis2
なお,ハマチは成長するごとに名前が変わり,出世魚としてめでたい魚とされている。 ●
日本人一人が1年間に飲む牛乳の量は約39リットル,1000ccのパック牛乳で約40本である。この数字には料理やお菓子作りに使われる牛乳は含むが,チーズやバターなど乳製品への加工分は含まない。この牛乳は,もちろん牧場などで飼育されている乳牛から搾取するわけだが,さて乳牛1頭は1年間にどれくらいの乳を出すのだろうか。代表的な乳牛であるホルスタインを例に説明する。
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○海上を通る国道 鹿児島市と沖縄県那覇市を結ぶこの国道58号は,総延長881.3kmにおよび日本一長い国道である。しかしこの国道,鹿児島市内,途中にある種子島や奄美大島,そして沖縄本島を除く609.5kmが海上部分を通っておりフェリーでも利用しなければクルマは走れない。このような海上国道は他にもある。 国道42号は,浜松市から渥美半島を西へ進み,半島先端の伊良湖岬〜鳥羽港までの19.6kmが海上を通り,紀伊半島の南岸を和歌山市まで続く。国道197号は高知市から愛媛県,そして四国・九州間の豊予海峡の30kmの海上区間を通り大分市へ続く。 他にも青森県から北海道へ津軽海峡を渡る国道279号,280号,338号,熊本から長崎へ島原湾を渡る国道57号などの海上国道がある。なお,国道28号の明石海峡大橋や,国道317号のしまなみ街道ように,海上ではあっても架橋され,自動車走行が可能なところもある。 ○登山道になっている国道 福島県いわき市と新潟市を結ぶ国道289号は,阿武隈川源流ふきんの甲子温泉までは舗装された通常の国道なのだが,そこから先はクルマは進めない。289号は甲子温泉から甲子峠を越えてさらに下郷方面へ通じ,峠の稜線ふきんからはまた舗装道となり,もちろん自動車は通行できる。いずれ国道トンネルが完成するらしいが,今は,甲子峠を越える国道289号は登山道となっており,徒歩で約3時間ほどかかるという。 ○階段になっている国道 青森県の弘前市から津軽半島の先端の龍飛崎へ続く国道339号,この国道が全国でただ一つ途中に階段部分がある国道としてテレビなどでもしばしば紹介された。海岸沿いを三厩町の龍飛集落まで来た国道は,龍飛集落から龍飛崎の上の方まで階段の道となる。下の写真のように国道を表す標識がちゃんと立っている。 もちろん、自動車は通れないがときどきバイクや自転車を押して通る旅行者がいるそうだ。 登山道国道 ![]() ![]() ●
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日本が資源に乏しい国であることは,誰もが知る事実だが,そんな日本が世界一を誇る鉱産資源があるといっても,にわかには信じがたいだろう。
○ヨウ素生産に関するホームページ<関東天然瓦斯開発> http://www.gasukai.co.jp/
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東京から西へ向かう新幹線「のぞみ」号,約5時間後博多に到着する。新大阪からこの博多までが山陽新幹線と呼ばれる。博多から先は,「つばめ」「さくら」「みずほ」が走る九州新幹線,路線は鹿児島中央まで延びる。九州新幹線は開通したのは1911年,しかし,実はそれ以前から博多から南へ九州新幹線ではない新幹線の路線が延びていたことは,地元の人々か一部の鉄道マニアにしか知られていない。この路線は,福岡県春日市博多南駅まで延びる博多南線で,もちろん路線図にも時刻表にも掲載されている。
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金が全世界の現有埋蔵量の約16%に相当する6800トン、銀が世界の22%にあたる4万2000トン、さらにテレビの液晶ディスプレーや太陽光発電などに使われているインジウム、次世代電池に欠かせないタンタルなどさまざまなレアメタル(希少金属)が、日本の都市鉱山に埋蔵されているという。実は日本は世界有数の資源大国であった。といってもにわかは信じがたいだろうが,そもそもこの都市鉱山とは何だろうか。 都市鉱山とは、使われなくなって廃棄された家庭電化製品、パソコン、携帯電話などのことで、実はこれらには多くの金属資源が含まれているのである。しかも、その含有率は、携帯電話1トン(約1万個)あたり金300〜400gと、南アフリカの金鉱石の1トン当たりの金含有量のおよそ10倍の量に相当する。さらに、ノートパソコンの場合は、1トン(約700台)あたり金が約180g、銅が700gが含まれているという。 ほとんどの鉱物資源を海外に依存している日本にとって、都市鉱山はまさに「宝の山」だ。さらに,都市鉱山の開発には,価格が不安定な海外への資源依存を減らすし,資源の安定確保が可能になることに加え,金属リサイクルの確立によって環境保全,循環型社会が実現できるという利点もある。 ただ、どんなに豊かな鉱山でも採掘しなければただの山,都市鉱山を採掘するためにはクリアしなければならない課題があるのも事実だ。一つは採掘技術、もう一つは利益,つまるところ都市鉱山の採掘は,通常の天然鉱石の採掘と比較して,まだ採算性がとれないという問題点である。廃棄機器からの金属リサイクル技術については,日本は世界に先行しており,金や銀など高価な金属リサイクルでは,かなりの収益を上げている企業もある。その一方,銅や亜鉛など安価な金属では販売益は出ず,レアメタルも微量すぎて採掘には経費がかかりすぎるのが現状だ。都市鉱山の特徴は,テレビやパソコンなどの廃棄機器に少量多種の資源が混在していることであり,それらをすべて分離抽出する技術はまだ完全ではなく,経費がネックとなっている。今後は、採掘の効率アップのためのさらなる技術革新、低コスト化をめざすとともに、循環型社会を前提とするならば、電化製品や自動車をリサイクルしやすい構造にすることが必要となってくる。メーカーは製造段階において、解体や分解がしやすい設計、再利用に適した原材料の使用など、廃棄後のリサイクルを考慮することが求められる。 ○世界の全埋蔵量に対する日本の都市鉱山の蓄積量が占める比率
昨今,食品の偽装が社会問題となっているが,あまりにも多すぎて,新聞やテレビの報道に接しても,国民は「ああ,またか」と慣れてしまった感がある。もちろん,だます側が悪いのだが,消費者はなぜそんなにもコロリとだまされてしまうのだろうか。その一因として,昨今の日本人のブランド盲信が指摘されている。夕張メロン,魚沼産コシヒカリ,名古屋コーチン,松阪牛,鹿児島黒豚など,特定の産地名を冠したこれらの産地プランドは多くの人々に好まれている。しかし,1個が数万円もするメロンの味ってどんなだろうか。魚沼産コシヒカリと他産地のブレンド米の味の違いをどれだけの人が識別できるのだろうか。さかなの有名ブランドを事例にちょっと私見を… ○ 下関ふぐの場合 「フグといえば下関」「下関といえばフグ」といわれるほど下関はフグの本場として知られている。東シナ海,玄界灘,瀬戸内海など付近にフグの好漁場を控えた下関は,全国のフグの約8割を取り扱う日本一のフグ集散地だ。しかし,近年は下関近海のフグの漁獲量が激減し,ちょっと事情が変わってきた。天然トラフグの場合,2000年代に入って,愛知県,三重県,静岡県の東海3県の漁獲量が増え,とりわけ,2001年以降は愛知県が日本一となり,全国の漁獲量の4分の1を占めるまでになった。愛知県で水揚げされたトラフグの大半は下関へ搬送される。さらに下関から大阪などの大消費地へ出荷される。大阪市内の高級ふぐ料理店では,「下関直送のふぐ」と謳っているが,実は愛知県産のフグの場合もある。輸送コストや鮮度が落ちるというリスクにもかかわらず,このような不合理な流通体系がとられているのは,もちろん下関というネームバリューの効力だ。この2,3年は,中国産フグの輸入も増えてきた。「ふぐちりセット 本場下関より直送」などとネット販売されている。 生鮮食料品の産地表示については一定の規則があるが,加工品は拘束されない。下関の水産会社でふぐ刺しやなべ用に加工されたものは,下関という表示がOKとなる。偽装ではないといわれても何かすっきりしない。
一般に魚介類の場合は生産水域や水揚げ地が産地として表示されている。しかし,養殖魚の場合はもっとも長く飼育された場所が生産地となる。そのため,台湾などから輸入されたウナギの稚魚が,浜名湖や一色(愛知県)の養殖場で飼育されと,浜名湖産や一色産などブランドの国産ウナギとなる。よく似た事例として,松阪牛や近江牛も,但馬(兵庫県)産の仔牛が肥育されたもので,三重県や滋賀県で産まれたわけではない。 そこで当たり前の結論だが,ブランドや産地名などに惑わされず,自分の味覚でおいしいと思ったものが一番だ。大阪の料理屋で食べる下関直送のフグよりも,三河湾の民宿で食べる新鮮なフグのほうが断然うまい。 ※拙著「地理の素」より抜粋 ● ● ***********************************************************************************************************
学校で遣う用具類にも,各地で特有の呼び名がある。関西では画鋲を『押しピン』,長さを測る定規を『サシ』という。定規は静岡県では『せんひき』,山口県では『すじひき』という。関東地方では体育館シューズのことを『かんばき』といい,体操服は宮城県では『ジャス』,山梨県では『ジャッシー』という。ユニークなのが鹿児島の学校で遣われる『ラーフル』という言葉,これは黒板消しのことだ。 全国各地でさまざまな呼び名があるのが,壁新聞などに遣う模造紙。全国的には模造紙が一般的だが,左の地図に示したように,大判紙,大洋紙,広用紙,鳥の子用紙など地域によってさまざまな呼び名がある。私が住む愛知県ではB紙といい,模造紙では通じない。そんな各地特有の学校方言の語源を調べてみるのもおもしろいだろう。それにしても,模造紙っていったい何を模造したのだろうか? ![]() ※拙著「数字が語る現代日本のウラオモテ」より抜粋
商品のネーミングも重要な販売戦略だ。北海道の「白い恋人」が大ヒットしたきっかけは,そのロマンチックな名がとくに若い女性たちの心を掴んだからだという。その名の由来は,ある年の暮れの夜,社長が静かに降り始めた雪を見て何気なく言った「白い恋人たちが降ってきたよ」という一言だったそうだ。「白い恋人たち」とはグルノーブル冬季オリンピックの記録映画のタイトルでもあった。 東京ばな奈の発売開始当時,東京にはすでに名の知られた老舗のみやげが多くあったが,商品名に「東京」の名を入れたのは東京ばな奈が初めてだった。「東京みやげに東京ばな奈はいかがてすか」というリズミカルな呼びかけと,黄色い看板は人々に商品名を印象づけ,テレビなどでとくにコマーシャルをしたわけではないが,次第にその名を知られるようになった。また,りんごやぶどうのように国内に既存の産地がない輸入フルーツのバナナは,日本人にとってちょっぴり都会の香りがする親しみのあるフルーツであり,さらに一文字「奈」を漢字にしたのは,「加奈」「里奈」「まり奈」など少女の名をイメージしたそうだ。 東京ばな奈にはさらに独特の工夫がある。それは,パッケージをA4サイズにしたことだ。このサイズは出張帰りのサラリーマンのアタッシュケースにちょうど収まるサイズである。私にも経験があるが,新幹線から降りたサラリーマンは,観光旅行帰りじゃないので,できればスーツ姿でみやげの紙袋を下げて歩きたくはない。A4サイズのパッケージはそんなサラリーマン心理を狙った戦略である。 ところで,最後にごくあたりまえのことだが,お菓子の場合,売れる商品の第一条件はおいしいこと,飽きさせないことが大切だ。そこで東京ばな奈が人気ブランドの地位を築いたさらなる戦略がある。東京ばな奈のメーン商品「見ぃつけたっ」は,1991年に売り出され,今では年間650万本が売れている。しかし,「見ぃつけたっ」のヒット後も,「チョコばな奈」「ばな奈パイ」「黒べえ」「しっとりクーヘン」などが順次販売され,今では14種類の東京ばな奈がある。「見ぃつけたっ」を買った人が,売り場でそんな商品を目にすると「あっ東京ばな奈には□□もあったんだ!」と興味を持ち,そこでまた別の商品が売れる。すっかりファンになった人は,一通り全商品を食べてみたくなり,また新商品への期待が高まる。京都の生八つ橋や広島の紅葉饅頭のように,チョコ味,抹茶味,いちご味など,味のバリエーションを増やしただけのみやげは他にもある。しかし,東京ばな奈は,本来のスポンジケーキとはまったく別の洋菓子であるパイやクーヘンなども,同じ東京ばな奈のネーミングで売り出している。この東京ばな奈という徹底したネーミングへのこだわりも戦略の一つだろう。東京ばな奈がおみやげ激戦区東京を制したウラには,このようなさまざまな工夫や企業努力があったわけだ。 ちなみに私は東京ばな奈も好きだが,古くからの定番のおみやげである人形焼きや雷おこしなども大好きだ。 ○全国各地の売れ筋みやげ(2009年調査)
といっても、しばしばマスコミを騒がす食品の不当表示事件のことではない。しかし,全国の米穀店やスーパーで「新潟産コシヒカリ」として販売されている米は、実際はわれわれが知っている「コシヒカリ」という品種の米ではないのである。コシヒカリ生産日本一として知られている新潟県だが、今や県内ではコシヒカリはほとんど生産されていない。 現在,新潟産コシヒカリの名で市販されている米は,実は従来のコシヒカリとはDNAが異なる別品種の「コシヒカリBL」という新種の米である。「コシヒカリBL(以下、BL米)」は,いもち病に弱いコシヒカリの短所を克服するため,従来のコシヒカリにいもち病に強い他品種を交配することを重ねて,新潟県が15年をかけて開発した新品種である。BLというのは,いもち病抗生系統の意味であるBlast resistance Lines(ブラスト・レジスタンス・ライン)の略で,2005年以降,新潟県では,県内全域にこのBL米を導入し,現在,全国で「新潟産コシヒカリ」や「魚沼産コシヒカリ」という銘柄表示で販売されている米は,100%がこのBL米である。県内のJAでは,今や従来のコシヒカリはまったく取り扱っていない。 そんな別品種の米をどうして,今までの米と同じ「コシヒカリ」のブランドのままで販売しているだろうか。これは不当表示にはならないのだろうか。この米の呼称について法律上の規定は次のようになっている。 ○生産段階(種苗法) 『コシヒカリ新潟BL1〜6号 9〜21号』 ○出荷段階(農産物検査法)産地品銘柄『新潟産コシヒカリ』 ○品種名『コシヒカリBL』 ○消費段階(JAS法) 銘柄名『コシヒカリ』 つまり、農家が「コシヒカリ新潟BL6号」という品種の種もみを蒔いて,収穫した米を,JAを通じて「コシヒカリBL」として出荷し,小売店がそれを「コシヒカリ」という銘柄で販売しているわけである。流通過程で表記が変わるのは,一般消費者には複雑で理解しづらい。ちなみに,従来のコシヒカリは品種名も銘柄名も「コシヒカリ」で,新潟産以外のコシヒカリはすべてこちらである。「あきたこまち」や「きらら397」なども品種名と銘柄名は一致している。BL米も「コシヒカリBL」という銘柄名にすれば問題はなかったのだが,BLという表示では,ブレンド米や遺伝子組み替えを連想させ,イメージダウンになってしまうのではと懸念する声が多かった。それならば,やはり「コシヒカリ」の改良種である「ひとめぼれ」や「あきたこまち」のように新しい銘柄名で販売することをどうしてしなかったのだろうか。これには宮城県特産の「ササニシキ」の教訓があった。ササニシキはかつてはコシヒカリとともに米の両横綱と称された人気銘柄だったが,いもち病や気象災害に弱く,1993(平成5)年の冷害では大きな被害を出した。そこで,県ではササニシキの改良を進め,「ササニシキBL」を開発し,「ささろまん」の名で販売を始めた。しかし,「ささろまん」の名は消費者に浸透せず,売れ行きは今一歩伸びなかった。 宮城県や秋田県では,地元の新たな銘柄米をつくろうという意欲から「ひとめぼれ」や「あきたこまち」のブランド化に成功したが,新潟県の場合は、コシヒカリの名があまりにも絶大すぎて,BL米に新しい名を付けて販売することは大きなリスクを伴ったのである。「世間で高い評価を受けているコシヒカリの名に代えて、あえて別の名前で売っていく勇気がなかった」という現場の声に本音が窺える。BL米が「コシヒカリ」の名のまま,市場で出ているのはそのような背景があった。 しかし,消費者側がそんな事情を知らされていないことはやはり問題ではないだろうか。コシヒカリの通販をおこなっているネットショップにもBL米に対する説明はほとんどなく,「味が違う」「古米ではないのか」「甘みやつや足りない」という消費者からの声も寄せられているという。ただ、これらは苦情と言うより、情報不足からくる消費者の素朴な疑問なのだ。 2004(平成16)年に就任した新知事は「BL米という新品種に替えたのに名称をコシヒカリのままにしたのは情報隠しではないか。」と,BL米導入を決定した当時の県の農政を厳しく批判した。「コシヒカリBL」という素晴らしいイネを開発した関係機関の15年の努力に敬意を表するためにも,消費者に必要な情報を提供し,消費者の正しい評価を受けなくてはいけない。BL米の導入によって,県内のいもち病の発生は激減し,さらに農薬の使用が4分の1に削減されたため,環境に優しいより安全安心なコメの提供ができるようになったという。この数年,食品偽装問題がしばしばおこったが,BL米は新潟県内でしか生産されないため,新潟県産と他県産の識別が科学的にできるようになった。他県産のコメを新潟産コシヒカリと産地偽装しても、DNA鑑定で容易に見破ることができるのだ。新潟の人たちは堂々とこの新種の米を誇ればよい。 ※拙著「数字が語る現代日本のウラオモテ」より抜粋 ● ***********************************************************************************************************
松阪牛といっても,松阪で産まれ育ったわけではない。近江牛や神戸牛も事情は同じだが,8〜10ヶ月の仔牛を他県から購入し,現地で20〜30ヶ月間,出荷まで肥育する。松阪牛の場合は,以前は但馬(兵庫県)産の仔牛を,松阪地方で長期肥育した黒毛和種の未経産(子を産んでいない)の雌牛と説明されていた。しかし,近年は但馬産の比率が低下し,北海道から沖縄まで購入先が広まっており,この数年は宮崎産が約半数を占めている。それでは,松阪牛は他産地の牛とはいったい何が違うのだろうか。 産地偽装事件やBSE問題などをきっかけに,松阪牛協議会は松阪牛として認定するための条件を次のように定めている。 @三重県中央部の肥育対象地域内の旧松阪牛生産者の会会員が肥育すること A対象地域での肥育期間が最長・最終であること B黒毛和種の未経産雌牛であること C松阪牛個体識別管理システムに登録されていること 松阪牛個体識別管理システムは,牛1頭ごとに識別番号をつけ,出生地,血統,肥育地,肥育者から給餌飼料,生育状況,格付け,出荷までの徹底した一元管理によって,産地偽装を防止し,BSE感染の不安を取り除いて,安全性や信頼度の面からも,ナンバーワンブランドの維持・向上に効果を上げている。 松阪牛の中でも最高ランクのものは「特産松阪牛」と呼ばれる。特産牛は,通常の松阪牛よりも認定基準が高く,黒毛和種の未経産の雌牛という基準に,但馬産の仔牛を900日以上肥育したものという条件が加わる。牛の食欲増進のため,マッサージをしたり,ビールを飲ませたりすることが知られているが,特産牛はこのように1頭1頭を手塩にかけて肥育する。 毎年11月に開催される松阪肉牛共進会に出品される牛もそのような但馬産の松阪牛でなければならない。共進会は,伝統の技術により育てられ,選び抜かれた松阪牛50頭だけが出場できる「松阪牛の中の松阪牛」を決めるイベントである。1頭の平均入札価格は300〜400万円,一席となった牛は1〜2千万円の高値で落札される。バブル期には5千万円ほどの高値がついたそうだが,この高額の落札価格が,日本一のブランド牛の証明である。 特産牛の出荷量は,全体から見れば1割ほどにすぎないが,この1割の但馬産特産牛によって,松阪牛は選び抜かれた最上級の牛肉という日本一のブランドイメージを消費者に与えている。そして,このブランドイメージが残る9割の松阪牛の評価を底上げし,松阪牛全体が他のブランド牛より高い販売価格を維持することを可能にしている。 もっとも,但馬産の特産牛以外の松阪牛の品質が但馬産より見劣りするようならば,この戦略はかえって松阪牛の評価を下げることになりかねない。宮崎など他県産の牛であっても,特産牛と同様に選び抜かれた黒毛和種の未経産の雌牛を,松阪で最長期間肥育するという松阪牛の生産のしくみは同じであり,肉質,旨みなどは特産牛と何ら遜色はない。松阪牛が雌牛に限定しているのは,雌のほうが甘み・旨みのもととなる不飽和脂肪酸を多く含み,肉質も柔らかいからだそうだ。ちなみに他のブランド牛では雌雄の限定はあまりしていない。 それでは外国から仔牛を購入して,松阪牛に育てることは可能だろうか。黒毛和種はもちろん日本固有の品種だが,今,オーストラリアでは黒毛和種の和牛生産が注目されており,日本へ年間1万5000〜2万頭の生体牛を輸出している。牛の場合は3カ月ルールというものがあり,生体輸入した牛を3ヶ月以上国内で飼養すれば,国産和牛と表示することができる。オーストラリアから輸入された牛も一定期間日本国内で飼養され,国産和牛として焼肉店やステーキハウスで消費されている。これまで,和牛の生産は日本でしかできない,風土の異なる外国では無理だと思われていたが,黒毛和種は性格が温厚なため,意外と環境適応力が高く,オーストラリアの広大な牧場でも十分に生育する。オーストラリアでは,エサの配合などついて日本から技術者を招き,日本式の和牛肥育方法の導入にも積極的で,今後はいっそう和牛の生産は増えるだろう。今,但馬地方の和牛繁殖農家は,後継者不足や高齢化という時代の波の影響を受け,農家数や生産頭数は年々減少しているという。ブランドは品質そのものだけではなくイメージも重要であるため,にわかには実現しないだろうが,オーストラリア産松阪牛も,将来的にはあり得るかも知れない。今までは「安い輸入肉」「おいしい国産肉」という対立の図式であったが,「安くておいしい輸入肉」や「外国生まれのおいしい国産肉」の出現に今後松阪牛など国内のブランド牛は新たな対応が必要となってくる。 ※拙著「数字が語る現代日本のウラオモテ」より抜粋 ● ***********************************************************************************************************
今,海外では日本の農産物に対する評価が高まり,農水省も農林水産物の輸出拡大政策を積極的に進めている。そこには2つの大きな背景があり,まず,ひとつは世界的な日本食ブームである。平均寿命世界一の日本人の健康を支えるもととして,魚や野菜類を中心に脂肪,炭水化物,タンパク質のバランスのとれた日本食が世界各国で支持されるようになった。日本人が多く住むアメリカやアジア諸国では,以前から静かな日本食ブームは続いていたが,近年はヨーロッパでも低カロリーでおしゃれな健康食としての日本食が人気を得ている。 もうひとつの背景は,アジア諸国の経済発展にともなう富裕層の存在である。日本の農産物は決して安くはない。しかし,品種改良や生産技術が優れ,高品質で安全性が高い日本の農産物はアジアでは高級品のブランドイメージを持たれており,それらを購入することはアジアの富裕層のステータスになっている。この富裕層の規模は,おもな国を見てみると中国に約4000万人,台湾に約500万人,マレーシアに約600万人とその規模はけっして小さくはない。 日本が輸出する農産物の中で,青森産りんごは量・金額とも最大である。 青森県では,2004年に輸出促進協議会を発足しさせ,りんごの輸出量を90年代の約10倍にまで飛躍させた。最大の輸出先てある台湾の1人当たりのりんご消費量は日本人の2倍近くあり,りんごは台湾にとって最大の輸入果物だ。輸入先はアメリカが第1位だが,アメリカ産は小玉のデリシャス系が多く,青森産は「むつ」「世界一」「金星」などの高級な大玉が中心である。台湾では旧正月(春節)や仲秋節などの季節行事には神仏供養や贈答の習慣があり,見栄えのする高級果物や食品の需要が増える。とくに縁起の良い赤いりんごが珍重され,日本の大玉のりんごがよく売れる。近年は家庭消費向けの「ふじ」「王林」など中玉の売れ行きも伸びている。今後は,台湾と生活習慣が共通する中国が大きなマーケットだ。リンゴなど果物類は,日本産と外国産とでは外観や味が明らかに違っており,価格は高くてもそこに高品質の日本産の勝機が見い出せるのである。青森に続けとばかり,農産物輸出に力を入れている自治体が,今,増えている。 しかし,一方では食料自給率40%の日本が成すべきことは,農産物輸出を増やすことではなく,食料自給率を高めることが先決だという声がある。日本のGDP(国内総生産)に占める農業生産額の比率はわずか1.2%,農産物輸出額は輸出総額の100分の1に満たず,農産物輸出の拡大といっても,それは決して日本の農業の起死回生を期待させる切り札ではない。自給率の問題に加え,農業従事者の高齢化の進行と後継者不足,低価格の外国産農産物の輸入増と価格競争など日本の農業には課題が山積している。ただ,これらの多くの課題の根は密接に関連しており,何かきっかけをつくれば農村は活性化する。農産物輸出はそんな農村を活性化させるのに有効性があるのだ。外国市場に参入するということは,価格の安い外国産農産物と競争することであり,いっそう高品質の商品開発が求められる。限られた国土で生産性を高めるため,つねに新品種の開発や,栽培方法の革新に努力を重ねてきた日本の農業技術は,世界の最高水準にある。農産物輸出にとって高められた技術と成果は,当然国内消費のための農業生産の向上にも結びつくと私は思う。 ※拙著「数字が語る現代日本のウラオモテ」より抜粋 ***********************************************************************************************************
今,日本国内には新潟県や京都府の人口とほぼ同数の約250万人の外国人が居住している。そのうち,日本の義務教育年齢(6〜15歳)にあたる子どもたちの数は約13万人,ところが,その約半数推定6〜7万人の子どもたちは学校へ行っていない。国内で不登校の子どもたちが増えていることが,マスコミでも取り上げられるが,不登校の子どもたちはそれでも学校に籍がある。しかし,学校へ行っていない外国人の子どもたちは,学校に籍そのものがない。学齢期の外国人の就学率がこのように低い状況は,ドイツやフランスなどEUの国々では考えられないことだという。 世界の中でも日本の教育は高水準にあり,学齢期の子どもたちの就学率は100%を誇る。それなのに,日本ではなぜこのように外国人の子どもたちの就学率が低いのだろうか。EU諸国では,国籍を問わず,国内に居住する外国人にも義務教育を課しており,子どもをきちんと学校へ通学させることが彼らの国内在留を認める条件にもなっている。日本の場合は,現在の法制上,国内に住む外国籍の子どもたちには義務教育は適用されないのである。日本国憲法第28条は,国民の教育について次のように謳っている。 @ すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,等しく教育を受ける権利を有する。 A すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。 すなわち,日本国憲法は日本国民を対象として権利や義務を規定しており,義務教育は日本国籍を有するもののみに課せられおり,外国人には権利も義務もない。ただし,政府は「就学の義務はないが,希望すれば日本人と同様の機会が与えられる」という見解を示している。しかし,日本人のための教育という前提に立ってカリキュラムが作成されているため,日本の学校の授業は外国人の事情は考慮していない。 私も中学校で,日本語がほとんど理解できない外国籍の生徒と接することがたびたびあったが,彼らには後醍醐天皇や尊皇攘夷など難しい漢字を覚えたり,荘園制や幕府政治など日本特有の歴史事象の意味を理解しなければならない社会科の一斉授業よりも必要ことがあるはずだ。私が勤めた学校を含め,多くの学校では日本語の学習など別ニューの授業を取り入れるなど,現場の先生方はみんな親身になって彼らの指導に臨んでいる。しかし,教員数や時間数は限られており,また,生徒個々の在日年数や日本語力にも差があるため,学校で彼らにできることには限界がある。 また,今の学校教育では,多文化社会の中でそれぞれの文化の違いを尊重し合い,共存・共生していくことの大切さを教えようとしている。もちろん正しいのだが,学校の現実として,豚肉の入った給食を拒否するイスラム系の子ども,ピアスをする少女など,集団の秩序を重視する日本の学校はどう対応すべきなのだろうか。「郷に入れば郷に従え」という格言があるが,彼らに日本の言葉や習慣を教え込むことばかりが重視されていいだろうか。それらを学ぶことに加え,母国の文化や言葉などの彼らのアイデンティティを尊重し,彼らの誇りを大切にすることも,彼らが日本の社会で自信を持って生きいくための支援として必要なことではないだろうか。 日本の学校は,残念ながら彼らにとって理想的な教育の場とはなり得ていないのが現状だ。外国人の子どもたちは就学を拒んでいるのではなく,日本の学校に適応できないのだ。 少年期に適切な教育を受けらないことは,人格形成に支障を与えることがある。また,社会人としての教養や知識の十分な習得がなければ,次世代社会を構成する市民の一員として,責任ある役割を果すことができない。日本に住む外国人は今後ますます増えるだろう。学校現場はもちろん,多くの自治や地域社会,さらにNPOが外国人教育に真剣に取り組んでいるが,今後は法整備な国の強力なパックアップが不可欠である。国籍,言語,宗教,出生などいかなる差別なく,すべての子どもたちに教育の機会が保障される国でなければならない。 ※拙著「数字が語る現代日本のウラオモテ」より抜粋 *********************************************************************************************************** ※ 以下は準備中です。今後,順次アップロードしますので今しばらくお待ちください。
いくつかを紹介しよう。 ○イナゴ…佃煮にするのが一般的で,味や食感はエビに近い。伊那地方以外でも,かつて日本ではイナゴは広く食用に利用されていた。 ○蜂の子…佃煮や甘露煮,炒め物,蒸し焼きなどいろんな料理方法があり,お米と炊き込んだ蜂の子ご飯というのもある。珍味として瓶詰めや缶詰めにしたものが土産店などで売られている。 ○ざざむし…ざざむしとは,天竜川の清流に住むカワゲラ・トビゲラ等の水生昆虫の幼虫を食用とするときの総称である。佃煮にすることが多いが,最近は数が減ってきたためか30g入りの缶詰めが1500円ほどとかなり高価である。 他にもゲンゴロウを油で炒めた料理,クロスズメバチの素揚げなどがあり,蚕のさなぎも戦前は養蚕のさかんな長野県では煮付けなどにしてよく食べたという。 昆虫を食べることに抵抗を感じる人も多いだろう。しかし,昆虫は人類が数百万年の昔から食べてきた食料であり,現在でも世界の多くの地域で食用にされている昆虫類は多い。信州に旅行の際には,蜂の子の佃煮をおみやげにどうでしょうか。
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○あんパン化現象とは 最近はあまり聞かなくなったが,社会科の授業で『ドーナツ化現象』ということばを習ったことを覚えておられるだろうか。都心部の人口が減少し,大都市周辺部の人口が増える現象のことである。この現象は1960年代の高度経済成長期に始まり,その後,住宅難や交通ラッシュなどさまざまな都市問題を派生させ,20世紀末まで続いた。しかし,21世紀に入ると,全国の大都市で中心部の人口が急増するというドーナツ化とは逆の現象が進行している。2005年の国勢調査によると,東京の都心千代田区を例に見てみよう。2005年の国勢調査の人口増加率は,当時の約2300の市区町村中全国第1位の35・7%増,2010年は国勢19.2%で第2位(人口1万以上の市区町村の中では第1位)と人口増加が著しい。中央区は日本橋や銀座などの都心部一帯から汐留や晴海のウォーターフロントまでを区域としている。人口は高度経済成長が始まった1960年の17万1316人をピークに,人口流出が進み,1996年には約3分の1の6万3856人まで減少した。しかし,97年より再び増加に転じ,以後10年間で人口は1.8倍に増えている。 他を見ても,都内では豊島区,千代田区,港区,大阪市内でも福島区,中央区,西区,浪速区,さらに名古屋市中区,横浜市都筑区などでは人口増加率が10%を上回っており,全国の多くの大都市でこのような現象が見られる。このような人口の都心回帰現象を,商業開発研究所レゾン所長の西川りゅうじん氏は,『あんパン化現象』と名付けている。中心部が空洞化するドーナツ化に対し,あんパンのあんのように真ん中が詰まっていくからである。 ○ あんパン化現象の要因 当たり前のことだが,人口が増えるために不可欠なものは住宅である。住宅が増える要素のない場所では人口は増えようがない。ドーナツ化が進行したときには,東京や大阪郊外の田園地帯や雑木林がたちまちカラフルな分譲住宅地に変貌した。しかし,あんパン化現象で住居に変貌したのは土地ではない。それは,それまでハトやカラスが飛んでいるだけのまったく未利用だった空中空間だ。土地の平面的な活用には限界があり,また土地の入手には巨額の資金が必要だが,空中空間の確保には資金は不要だ。2000年代に入ると,そんな空中区間を活用した大規模超高層マンション建設のラッシュとなる。 なぜ,この時期に大規模超高層マンションが出現したのだろうか。その背景に何があるのだろうか。 その第一は, かつてのドーナツ化の要因であった都心部の地価高騰がストップし,バブル崩壊後,地価が大きく下がったことだ。1991〜2000年の10年間に,都心部では,地価が7分の1に下落している。 第二は,マンション建設のための適地があったことである。不良債権処理や遊休地を処分するため,企業は駐車場や倉庫・工場跡地などを放出した。また,これらの土地の多くは,通勤アクセスが遅れていたため,住宅地には不適とされていたが,地下鉄など鉄道新線の開通によって一等地に一変した場所もある。 第三は,建築技術の進歩てである。超高強度コンクリートなどの新素材,耐震・免震などの新技術,ブレキャスト工法など新工法の発達によって超高層ビルの建築工期が短縮し,建築コストも下がった。 都心に住むことのメリットとして,職住接近により通勤時間が短縮し,映画やコンサートなどの文化に接しやすく,ショッピング,さらに高齢者にとっては医療面でも利便性が高くなる。30〜40代の子育て世代から,セカンドステージを求める中高年の富裕層まで,都心居住を希望する人たちが増えた。 新潟市など雪国では,郊外の一戸建て住宅では大変な冬の雪下ろしが,マンションでは必要なくなることが,都心のマンションへ移り住む一因となっいる。あんパン化は日本だけではない。かつて,ニューヨークの都心は治安が悪く,白人富裕層は郊外のロングアイランドなどに住んでいたが,近年は都心の治安が向上し,マンハッタンなど都心のセキュリティの充実したマンションに移り住む人が増えているそうだ。
※拙著「数字が語る現代日本のウラオモテ」より抜粋 ***********************************************************************************************************
花粉症の最大の原因となっているのはスギ花粉だが,スギの人工林の比率は国内の全森林面積の18%,全人工林面積の44%を占めている。しかし,北海道の森林に占めるスギの割合はわずか1%,沖縄県では0%,そのため,両県の花粉症の有症率は全国ではダントツに低い。花粉症の人たちにとっては理想郷である。 北海道と沖縄県以外では,九州と日本海側の諸県が太平洋側の諸県に比べて花粉症有症率が低い。いっぽう花粉症の有症率が高い県は,高知県と東海地方〜関東地方に多く見られる。その一因として,当然,スギ分布の影響が考えられる。日本海側とりわけ北陸地方では,冬の積雪のため林業はそれほどさかんではなく,スギ人工林の比率はきわめて低い。いっぽう,関東7都県のスギ人工林の比率は31.4%あり,石川・富山・新潟の北陸3県の比率18.6%の2倍に近い高率を示している。 ただ,スギ人工林の比率と花粉症有症率との関連性は高いものの完全に一致しているわけではない。花粉症有症率全国1位の山梨県の山岳地帯には天然林が多く残されており,スギ人工林の比率は10%以下と北陸3県よりも低い。また,日本三大美林の一つ「秋田杉」で知られる秋田県はスギ人工林の面積は全国第1位だが,花粉症有症率は全国39位とかなり下位である。その理由として考えられるのは,スギに次いで花粉症の要因とされるヒノキの人工林である。山梨県では,ヒノキの人工林の比率がスギよりも高く,秋田県ではヒノキはほとんど見られない。スギ花粉の飛散は3月ごろがピークだが,ヒノキ花粉の飛散時期はスギ花粉より1カ月ほど遅く,そのため山梨県では花粉の飛散時期が秋田よりもかなり長くなり,花粉症患者が多くなるという。 気候の影響も大きい。花粉は,夏の日射量が多く,降水量が少ないほど飛散量が多くなることが知られており,山梨県の気候がこれにあてはまる。逆に秋田や青森など東北地方の北部は夏の日照時間が短い。 スギやヒノキなどほとんど見あたらない日本最大の都市東京の有症率が32.1%と非常に高い。都心に花粉の発生源はなくても花粉は周辺部の山々から飛来する。ある気象会社の調査によれば,東京から200km以上も離れた静岡県からスギ花粉が飛来していることが確認されている。東京西部の奥多摩地方や隣の埼玉県,さらに栃木県や群馬県の山々から2〜5月には季節風に乗って膨大な量の花粉が運ばれてくるのだ。さらに,農村部に田畑や林野に落下した花粉は,土壌に吸収され,再び舞い上がることはないが,都会のアスファルトの上に落下した花粉自動車のタイヤで粉砕されていっそう細かくなり,風が吹けば何度でも舞い上がる。 花粉症は,外国でも見られるそうだが,日本ほど患者数は多くないそうだ。どの国にも花粉症の原因となる植物はいろいろあるようだが,日本のスギがどうも最強らしい。何せ日本では,イヌ,ネコ,サルまでがくしゃみをし,涙を流している。花粉を飛散しない無花粉スギの開発も進んでいるが,まだ,大規模な植林が可能な段階ではない。今の日本にとって花粉症対策は,がん撲滅と同様の重要な課題だと思う人はきっと多いだろう。
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○ ツーリングのメッカ北海道のバイク普及率は全国最下位 毎年,夏になると、北の大地を突っ走ろうと津軽海峡を渡って日本の各地から多くのライダーが北海道にやってくる。大自然が残る広大な北海道はツーリングのメッカ、ライダーにとっては憧れの地だ。しかし,ちょっと意外だが,地元の北海道の人々はあまりバイクには乗らないという。北海道の一般世帯のバイク普及率は100世帯当たり5.7台、これは全国平均の3分の1以下、何と47都道府県中ダントツの最下位なのである。乗用車の普及率は85.8%,こちらはほぼ全国平均なのだが,なぜ北海道民はバイクに乗らないのだろうか。その理由は北海道の気候にある。日本列島の大部分は温帯に属しているが、気候区分では北海道だけが冷帯に属している。北海道は冬が長く、積雪期間は1年のうち4〜5カ月にも及ぶ。その間は道路が積雪・凍結し、スリップや転倒などの危険があるためにバイクが使えない。バイクは、日常の交通手段として冬には使用できないため、普及率が他の地方よりも低くなっているのである。 そこで、冬になると全国で札幌だけに見られるのが、「徒歩暴走族」だ。徒歩で暴走するわけではない。夏場の暴走族がバイクに乗れない冬になると、刺繍をした特攻服を着て、薄野などの繁華街や地下街を集団でかっ歩し、自分たちのグループ名などを大声で叫んだり、道路の真ん中で円陣つくって座り込んだりするそうだ。バイクで暴走できなくても、組織を維持する必要があり、そのような示威行動をおこなっているという。 ○ 厳寒の北海道,ホームごたつ,電気カーペットの普及率が全国最下位 冬の寒さが厳しい北海道は、床暖房の普及率や暖房のための灯油の購入額が全国第1位である。しかし、暖房器具でも電気カーペットや電気ごたつの普及率は、全都道府県中47位、つまり最下位だ。こたつを囲んで家族が団らんし、こたつの上にはみかん、そのそばにはネコが丸くなって寝ている、そんな冬の日本の叙情的な光景が北海道では見られないのた。 これは北海道独特の暖房方法のためである。開拓時代の北海道では、極寒の冬には室内暖房を完璧にしないと生命にかかわるため、また、当時の住居は現在のように密閉性がないので、とにかく石炭ストーブをがんがん焚いた。外気がマイナス20度を下まわることが珍しくない北海道では、今でもこれが暖房の基本である。電気カーペットやこたつによって人の居場所だけを暖める方法では暖房効果が弱く、大型ストーブや床暖房によって、住居全体を暖めるのが北海道の暖房方法なのだ。 北海道の衣類乾燥機の普及率が全国で最下位となっていることも、この暖房方法が関連している。北海道の家庭では、外に洗濯物が干せない冬はストーブで暖まった室内に干す習慣があり、わざわざ乾燥機を購入する家庭は少ない。 環境省の調査によると、冬季の北海道では、一般住宅の室内温度は21・7度、本州以南の19・2度に比べ2・5度も暖かい。熱燗より、冷えたビールやウイスキーり水割りが好まれるのは道理だ。以前、テレビの人気番組「秘密のケンミンSHOW」の中で、北海道の人は真冬でも真夏並に暖房をした室内でTシャツに短パン姿でアイスクリームを食べると紹介され、大げさすぎると物議をかもしたことがあった。Tシャツ姿はともかく、室内が暖かいので、冬でもアイスクリームの消費量が増えるのは事実のようだ。 ○ 酪農王国北海道民は牛乳が苦手 北海道で飼育されている乳用牛は、全国の2分の1以上80万頭、牛乳生産も全国の2分の1を北海道が占めている。当然、北海道民は牛乳をよく飲むのだろうと思いきや、ところが意外にも北海道の1世帯当たりの牛乳消費量は全国平均を下まわっている。最近はやや順位が上昇してきたそうだか、何しろ2005年前までは全国最下位、日本でもっとも牛乳を飲まないのが北海道民だったのだ。酪農王国北海道の人々は、なぜ自分たちは牛乳を飲まないのだろうか。 北海道の酪農の歴史は、明治初期まで遡り、それ以来、北海道は日本の最大の酪農地帯として発展してきた。しかし、北海道は東京などの大市場からあまりにも距離が遠く、保存がきかない牛乳を飲用として出荷することができなかったのだ。そのため、北海道では、牛乳を飲用ではなく、バター、チーズ、生クリームなどの乳製品に加工して出荷していた。北海道内で生産された牛乳は、飲用としては市場に出荷されることが少なかったために、北海道民にあいだには牛乳を飲む習慣が定着しなかったのだろう。もちろん、生産が全国一のバターやチーズの北海道民の消費量は、全国のトップクラスである。 なお、近年は輸送や保存の技術が向上し、飲用牛乳の生産も北海道が全国一となっている。しかし、大手の乳業メーカーも、さかんに牛乳を飲むようPRしているが、なかなか北海道の牛乳消費量は伸びないようだ。 ※拙著「数字が語る現代日本のウラオモテ」より抜粋 ***********************************************************************************************************
○資源大国への期待「メタンハイドレート」とは?
雪冷熱エネルギーとは、雪が溶けて水になるときの熱エネルギーで、冬に降った雪を貯雪槽に蓄え、夏になると冷房に利用する雪冷房と思えば分かりやすい。貯雪層の冷気をファンやダクトを使って冷やしたい部屋へ送るだけの極めてシンプルなしくみだ。雪冷熱エネルギーは、省電力に効果があるのはもちろん、CO2発生の抑制にも有効なクリーンエネルギーである。 北海道の新千歳空港は,年間1800万人の人が利用するわが国を代表する空港の一つである。しかし,雪国の空港の宿命として,12〜3月の降雪日は月に20日以上,ときには積雪が1メートルを超える。この新千歳空港では,2008年から,『エコエアポート新千歳』を目指して,『クールプロジェクト』と呼ばれる事業に取り組んでいる。敷地内に積もった膨大な雪を,雪山を築いて保存しておき,夏にターミナルビルの冷房に活用しようという試みである。まず,積雪期に滑走路や誘導路から毎日のように除雪される雪を集めて,空港敷地内に設置された貯雪ピットに100m四方,高さ10mほどの巨大な雪山を築く。雪山には太陽熱を反射する特殊な素材でコーティングした断熱シートをかぶせて雪が融けないように保存する。そして,夏になると少しずつ融ける冷水をターミナルビルに循環し,ファンやダクトを使って館内の冷房に役立てるものである。2010年には,従来の冷房システムの経費を30%節減し,さらにCO2放出量2100トンの削減を実現した。なお,雪山はもちろん融けて低くなるが,秋までに消滅してしまうことはない。 北海道美唄市では、老人福祉施設や小学校などの公共施設、さらに賃貸マンションなどに雪冷房を利用している。 農業施設への利用も各地で進んでいる。JAびばいの米穀貯蔵施設「雪蔵工房」は、3600トンの貯雪によって、倉庫内は米の貯蔵に最適の温度5度、湿度70%が維持され、6000の米の貯蔵が可能となっている。米の貯蔵だけでなく、温度と湿度を変えれば野菜や切り花、苗の育成など様々な用途に活用できる。このような貯蔵施設は北海道以外に青森県、新潟県、秋田県でも設置され、りんごなどの長期貯蔵に利用されている。 雪冷房を利用したハウスの抑制栽培も試みられている。抑制栽培とは、太陽熱や暖房によってハウス内の温度を上げて、収穫時期を早める促成栽培とは正反対で、ハウス内の温度を下げて収穫時期を遅らせる栽培方法のことを言うが、自然光や重油を使うハウスの暖房に比べ、冷房は電気でしか行えなかったため、光熱費が高額となり、ハウスを使った抑制栽培は今までは実現しなかった。しかし、ここへ来て低コストの雪冷熱エネルギーの活用による抑制栽培が俄然現実味を帯びてきた。まだ試行段階の分野だが、いちごや花卉栽培への利用が有効と考えられている。 雪冷房システムを設置するには,貯雪のための広いペースと通常の冷房設備よりも多くの経費が必要だが,その後は電気冷房の4分の1ほどの経費で済む。自然エネルギーといえば,太陽光にしろ,風力にしろ採算性が常にネックとなるが,設備さえ整えば,雪冷熱エネルギーのコストは格段に安い。 雪1トンの冷熱エネルギーは,石油に換算すると約10リットルに相当する。今、全国で利用が可能な雪堆積量は約5000万トンと推定され、石油に換算すれば約50万キロリットル、ドラム缶250万本になると試算されている。地域限定,場所限定のエネルギーだが,国土の60%が雪国の日本,天からの恵みのこの豊かな資源を活用しない手はあるまい。 ■雪冷熱利用システム(福井県雪対策・建設技術研究所)) ■福島県西会津町雪質貯蔵システム ![]() ![]() ※拙著「地理の素」「数字が語る現代日本のウラオモテ」より抜粋 ***********************************************************************************************************
一般に日本人の血液型A,O,B,ABの比率は4:3:2:1といわれている。しかし,この比率は全国同じではなく,それぞれの血液型の分布には次のような傾向がある。まずA型は西高東低,中国・四国地方以西の分布率が高く,徳島・福岡・鳥取・愛媛など8県が40%を超えている。B型は東高西低,東日本,特に青森・秋田・岩手など本州北部ではとくに分布率が高い。O型は太平洋岸の分布率が高い。沖縄・千葉・青森など地理的に隔絶した地方ほどこの傾向が顕著に見られる。 地球物理学者竹内均氏によると,この血液型分布から日本人のルーツが分かるという。日本列島に最初にやってきたのはO型の民族だそうだ。約2万年前,黒潮に乗り,あるいは海岸沿いに当時は大陸と陸続きであった日本の太平洋岸にたどりついた南方系の古モンゴロイドと呼ばれる人々である。この年代の人骨が,沖縄県の港川や静岡県の三ヶ日や浜北など太平洋岸で多く発見されていることがこれを裏付けている。 1万4000年前,樺太や北海道を経由して北方からB型の古モンゴロイドが次に日本列島にやってきた。この頃まで日本列島に住み着いた人々がやがて縄文文化を創成する。 約6000年前頃から,A型の新モンゴロイドが中国南部から朝鮮半島を経て北九州に次々とやってくる。彼らは西日本に居住するが,東日本に多く住む縄文人とはまだ接触は少なかった。2400年ほど前からA型の新モンゴロイドの渡来が活発になると,彼らは日本に稲作を伝え,弥生文化を創成する。さらに,O型・B型の縄文人を北へ追いやり,居住範囲を広げてA・B・Oの混血を進め,われわれ日本人が誕生した。現在見られる都道府県ごとの血液型分布の違いはそのなごりである。 ちなにみに学校・職場などで,血液型によって性格を決めつけたり,能力や仕事ぶりを判断したりすることを,ブラッドタイプハラスメントと呼ぶそうだ。気をつけよう。
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30.5