みんなでトロプス!

 盗作されるトロプス!!!


よみがえるトロプス!!!new


盗作されるトロプス!!!

 何ということであろう。トロプスが至るところで盗作されている。つい先日、体育教師の指導者講習会なるものに参加したのだが、そこでは堂々と「身体ほぐしと仲間作り」と言うテーマで、「大根ぬき」をやっているではないか。しかもあたかもそこにいる指導者が発案したごとく得意満面でレクチャーしていた。そして、この官製研修の会場の入り口には、出世まっしぐらの体育教員(しかも同期)が、受付をやっておる。クソ熱い6月の梅雨のときに、ネクタイに背広なんぞ着込んで「ご苦労さん、学校名に丸をうってください」などと言っていた。確かこの人たちは、名古屋体育研究会なる体育会系派閥(しかも愛知教育大学の学閥でもある)であって、かつてわれわれのトロプス活動を「反体制的・さよく的過激派の運動」と言って批判していた輩だ。「競争一番、闘争心があってこそいずれ立派な社会人になれる。身体ほぐしとか助け合いなんて軟弱でちょこざい」なぁーんていっていたんじゃないか。それなのに、トロプスをレクチャーしているのだ。
 われわれがトロプスをやっていた頃、草の根市民運動家の人たちとか、幼稚園や保育園、その他社会的弱者の人たちが、嬉々としてトロプスを楽しんでいる頃は主催者であるわれわれは、とても充実感を感じていた。しかしあの連中が、トロプスをわれわれになんの断りもなく、しかも実践者と言うよりも指導者として使っているのはどうも、気に食わない。どうやらお上(文部省→教育委員会)の意向で路線変更したようであるが、それにしても今まで後生大事に、言ってきた、運動文化の継承とか、競争原理による精神鍛錬とかマッチョマン的体力づくりなんていうのはどう彼らの頭の中で、整理されていったのであろうか?・・・あっそうかぁ!!あの人たちは脳も筋肉でできているんだった。要するにお上の意向に対するS−R反応なわけね。納得。
 しかし、いつの時代も発案者の原点を見失ってはいけないと思いますので、以下に、「みんなでトロプス!」の理論編の抜粋をここに掲げておきたい。いろんな方々が書いていますが、まあ一応私の書いたところを載せておきましょう。 1984年4月25日に第1刷発行でそれから、すでに10刷以上ハンを重ねているロングセラーなんですけどいまだ古さを感じませんね。とはいえ若干右だ左だと言う視点の形はとってありますが、これはその当時の戦略上の観点でやっていたのです。すでにこの頃は自由スポーツ研究所においては、抑圧・被抑圧、専門・素人、テクノ・エコなどと言う論理展開はとっくの昔に卒業していまして、産業か土俗文化かという視点で考えて活動していたことをここに記しておきたい。

1、抑圧装置としてのスポーツ

競争や闘争をくりひろげながら、力の優劣や勝敗を決め、序列化することを本質とするスポーツは、一方ではなばなしい勝者の舞台を飾りながらも、他方で差別され、拒絶され、いためつけられる多数の被抑圧者を作り出しています。
 マラソンの選手、円谷は、このスポーツの2つの側面を1人で演じた人でした。彼は東京オリンピックで銅メダルを手にして賞賛され、その後、次期オリンピックに向けて、多くのスポーツ関係者から期待をかけられました。しかし、彼は、その精神的抑圧に堪えられず自殺してしまったのです。
 スポーツの行われる舞台では、必ずといってよいほど、抑圧という名のテロが生じてきています。平和の祭典であると思われていたオリンピックは、べルリン、ヘルシンキ、東京、メキシコ、ミュンへン、モントリオール、モスクワと、どれひとつとっても、その舞台裏で血なまぐさい、大国の思惑がらみり、政治そのものとしての歴史を刻みこんできています。
 私自身も、名古屋オリンピック招致運動の中でその市民不在の反民主主義的な運営方針とオリンピックそのものに対する疑問からこの招致運動に反対したのですが、いざ反対運動に参加してみると、オリンピックに名を借りた民衆へのあらゆる形での抑圧を目にすることができました。この点につぃては、『反オリンピック宣言』(風媒社)の中でくわしく述べましたので参考にしてみてください。
 ここでもスポーツというものが民衆を抑圧する装置として機能していました。いっさいの民衆の反対の声を、スポーツという健康的なイメージ(権力者がかってにそう決めたのですが)によって有無なく押しつぶして行こうとしたのです。
世界中から集まったスポーツマンが、すばらしいスポーツを披露するのだから、福祉予算が削られてもよい。土地収容してもよい、平和公園(名古屋市東部のメインスタジアム予定地だったところ)の自然がつぶれてもよい、町が警察と自衛隊でいっぱいになってもよい、物価が上がってもよい、高速道路反対運動も押しつぶせ」等々となんでもまかり通ってしまったのです。
 「スポーツは善いものなのだから、国際的な祭典であるオリンピックにだれも反対するはずはない」というひとつの神話が、こうした抑圧の正当化に用いられてしまったのです。
 このようなスポーツにまつわる権力者による民衆の抑圧劇は、オリンピックなどの大きな大会に限らず、さまざまなあらゆるスポーツ大会においても生じて来ています。
 その1例をあげてみましょう。

2、政治セレモニーとしてのスポーツ

  ―1983愛知県高校総合体育大会とその反対運動

 俗に言う高校総体=インターハイが愛知で開催されることになりました。インターハイというのは、教育委員会の主催のもと、全国の高校生スポーツマンが一堂に会して、体育系教師(コーチ)の指導のもとに多種のスポーツ
を行うスポーツ大会です。
 この大会は、名古屋オリンピックの前哨戦として位置づけられたもので、愛知県下でのオリンピック選手育成や、来たる名古屋オリンピックでの市民の「理解」と「承認」を得るための政治的な思惑のからんだスポーツ大会となっていました。
 オリンピック招致失敗によってこれらの政治的意義は薄れましたが、そのかわりに、本来この全国大会自体がもっている問題が浮上し、また愛知県下に内在する教育問題もこの大会とともにクローズアップされてきました。
そこで、どういった問題点が噴出してきたのかを以下、反対運動のビラから列挙してみます。

1、今の愛知における管理主義教育−軍国主義的秩序訓練(軍事教練)などを生徒に強制している東郷、豊明高校に端的に見られるファシズム教育―は、生徒の基本的人権をはなはだしくそこなうものであり、多方面から辛辣な批判を受けている。ところがその全責任を負うはずの県教育委員会は、反省するどころか、全国の小中高等学校へ管理主義教育
を拡大させるため、今回のインターハイを利用し、そこでくりひろげられる開会式等のスポーツマンの、捏造された健康イメージをもって批判をかわし、一挙に管理主義教育の承認を得るよう大衆操作をはかった。

2、いやがる児童・生徒をむりやり動員し、大会運営補助を強制した。事実、総合開会式のリハ一サルのために授業がたびたびカットされたり、日曜日も強制的に動員されたりしている。

3、一般高校生から300円、定時制生徒から150円を強制的に徴収しその使途も不明確である。

4、一部のスポーツエリートのみ優遇し、他の生徒(特に文化系クラブ)を予算的にも精神的にも圧迫して、高校総体総動員体制のもとで1人1役運動を押しつけ、服従を強いている。

5、ファシズム体制下の教育官僚が好んで使うマスゲームを、全県的に高校生を動員して強要した。その結果、練習で1日に150人もの生徒が日射病でたおれている。

6、皇太子の来名の名のもとに、スポーツのソフト、純粋イメ=ジで、日の丸・君ケ代を日常化し草の根天皇制の浸透化をはかった。さらに、全国のスポーツエリートに、入場行進において皇室に対し、ナチ式(一部、旗や帽子を使った)の敬礼をさせ、皇室への敬重を誇示した。(以上、反高校総体のビラに加筆した)

その他、入場行進の練習で、マーチングバトンとして木製のカービンライフルを持たせ軍隊行進を行おうとしたり、(これは反対派の指摘によって中止された)、会場周辺のクリーン作戦と称し、一時しのぎの美化として花を植えたり(大会後の花の世話の予算は組まれていない)、会場付近の河川清掃に高校生を動員したりしています。
 一般市民、教員、公務員、高校生などから成る私たち高校総体反対派は、こうした問題点を広く市民に訴えながらできる範囲での抗議行動に出ました。しかし、県教委は、こうした問題点に目を向けることすらせず、大会を強
行したのです。
 さらに、反対派に対する警察権力の圧力は、露骨なものとなってきました。とりわけ皇室がらみのスポーツ大会であるため、その圧力たるやただものではありません。反対派の抗議集会に何人もの私服刑事がカメラを持って取り囲んだり、80人規模の反対デモに、3台の装甲車と100人以上の警官が圧力を加えたりしてきました。また、総体に疑問を持ち反対している1高校生に6人もの私服刑事がまとわりついて精神的に圧迫したり、電話を盗聴したりしたのです。
 開会式当日には、入場門できぴしいチェックが行なわれ、反対運動をしていた人などは、持ち物をかってにとりあげられ保管されたり、警備室へ連れ込まれ尋問されるなどのいやがらせがなされました。
 また、開会式会場には、立て礼が立てられ、会場内で横断幕や、ビラなど、とにかく総体に反対し、皇室を侮辱するようなものを持って入ったり、そうした行動をしたりする者は入場させないし、即刻退場させるむねのお触れ書をしたためるなどの徹底ぶりでした。
 お金を湯水(8億相当)のように使い、いやがる生徒をむりやり動員し、反対する入たちを徹底的に抑圧してこのスポーツ大会は開催されたといってもよいのです。
 市長、知事、高校体育連盟会長、教育長など大会に関わった責任者たちは、その祝辞で皇室の参加をあおぎ県民全員がこのスポーツ大会を祝福しているむねのあいさつをしたのです。
 これほど欺瞞に満ちたスポーツ大会はありません。
ところで、スポーツ大会のこうした現実を前にして、スポーツそのものは善なるものと考えている人たちは、大会のやり方が悪いのだ、もっと良い方法で行えばよいのだという考えに陥いりがちです。そうなれば、あとはスポーツをやる人たち、すなわちスポーツマンの態度や行為に目が向けられることになります。
 ところが、このスポーツマンたるもの、エリートになればなるほど、つまりはスポーツを極めれば極めるほど、儀式めいた、金のかかる大きな国家的、国際的規模の大会に参加することを望むようになるのです。その上、そうした願望の足伽になるような意見に対しては、ますます感情的に反発したり、無視するような行動に出てきます。ましてや、スポーツ大会の在り方に批判をするような人の意見に耳を傾けるようなスポーツエリートはいません。
 スポーツというものは、もともと競争や闘争によって、力の優劣や勝敗を決め序列化することを本質としておりますから、スポーツをやればやるほどエリート意識というものが育っていきます。その結果スポーツマンは、弱い者に対しては権威主義的となり、強い者に対しては、卑屈な態度に出ることが多いのです。このことはスポーツクラブに参加したことのある入ならば経験したことがあるでしょう。
 こうした、スポーツマンの気質を時の権力者たちは、常々利用してきました。彼らスポーツマンか望む大きな大会を用意するかわりに、体制側に味方することを求めたのです。60年以降の日本の大学闘争において、常に権力者側に立って、持ち前の腕力で反体制派の学生に殴り込みをかけたのは、体育系のスポーツマンでした。
 また、軍隊などではスポーツの闘争性や攻撃性、そしてそこにできる権威主義的な上下の人間関係に着目して、強くてしかも命令に柔順な人間を鍛練する手段としてスポーツ教育を重視してきました。
 こうした事実からもわかるように、スポーツのやり方が悪いというだけに問題は留まらないのです。スポーツそのものの中に、民衆を抑圧する構造が仕組まれているのです。
 この点をもう少しくわしく見ていくために、ファシズム体制下でのスボーツセレモニーと、それに歴史的に通底している愛知の管理主義教育体制下でのスポーツ教育を述べていきたいと思います。

3、支配と管理のためのスポーツ

スポーツを善なるものと見なすスポーツ賛美論の中でもとりわけ、よく鍛練されたスポーツマンの身体の躍動美とか、ギリシア彫刻で表現されたような神聖な肉体美の礼讃があります。これは世俗の人間像を超越した神秘的な存在としてイメージされます。
 そして、この形でのスポーツの礼讃が過去、有効な政治的プロパガンダとなったのです。
 これをイデオロギーとして組み込んだのが他ならぬナチスドイツのファシストたちだったのです。ローゼンべルクの人種論によってドイツ民族は、アーリアン系人種の肉体的理想像を古代ギリシアの肉体彫像に求めるべしとされたのです。そのことを最も象徴的に表わしたものが、レニ・リーフェンシュタールの製作した、ナチプロパガンダ映画「民族の祭典」でした。このべルリン五輪大会を記録した映画の冒頭で、ギリシアのオリンピアでのスポーツをなす彫像にカメラを向けながら、その彫像が、ドイツの青年にかさなっていくシーンがあります。このアーリアン人種の理想とされる青年は、聖火を手にして、ギリシアから北上してべルリンまで聖火を受けついで行き、ついに、ヒットラーと彼を賞讃しハイルヒットラーを連呼する人々の待つスタジアムへと入場するのです。
 この映像効果は、圧巻で、これによってスポーツマンによるアーリアン人種の理想像は、民衆の目にやきつけられました。
  ナチスドイツは、ヒットラーの教育理論に基づき従来の知育偏重を排し、体育を重視しました。そこで常に求められたものは、国民協同体、国防精神、民族意識、指導者精神のもとに民族の力の保存と進展を計ることでした。
 スポーツは、この目標にとって大いに役立つものとされました。マスゲームによる身体の構成美やたくましく鍛えた肉体美は、人種的理想像に基づく民族意識を満足させることができます。ボクシングやサッカー、ワンダ一フォーゲルは国防精神を、各種スポーツクラブによるエリート養成は、指導者精神を育成させることができたのです。
 かくして、皮肉にも、スポーツマンの聖火ランナーが北上したそのコースの逆を、ドイツ軍が侵略することになったのです。
 こうしたファシズムのスポーツ理念というのは、現在までも脈々と生き残ってきています。後に述べます日本の新設校教育のスポーツに対する考え方などがその良い例でしょう。
 スポーツによる身体美を礼讃するということは、はなはだ国家主義的な民族思想に基づく人種差別主義につながることが多いのです。
 事実、ナチスの人種主義は、ユダヤ人ほか非アーリアン人種の撲滅と奴隷化とセットとなっていました。日本では、大和民族とそれ以外の支配される民族という二分法でもって征服者としてアジアに侵略した歴史があります。
 スポーツへの盲目的賛美。それは、スポーツに関わるいっさいの社会的脈絡を捨象することになってしまいます。また、そこにこそファシストたちがスポーツによって社会的抑圧の事実を隠蔽し正当化する契機があるのです。
 健康でたくましい肉体が賛美され、とりわけそれがスポーツマンによって表現されるとき、権力者は民衆の身体を通じて、或いは身体に権力のまなざしを向け、それを管理することによって民衆を抑圧することを画策しているのです。
私たちがスポーツと権力者との歴史から学んだこととは、こういうことなのです。
 このような抑圧装置としてのスポーツは、ファシズム時代という過去の歴史に終焉してしまうものではありません。現代のスポーツ教育ー般に通底するものです。以下、その状況を、端的に露呈している管理教育体制下のスポ
ーツ教育から見てみましょう。
 愛知県の東郷高校では、毎年春になるとマル東訓練という集団行動のセレモニ一が行われます。このセレモニーは、高校総体の開会式での入場行進やマスゲームに類似したものですが、東郷の場合、それがはっきり軍事教練の形式をとってなされます。
  その訓練の目的とするところは、集団としての規律を尊ぶ意識を育て、集団として敏速かつ的確に行動できる生徒を育てるということになっています。集団というところを軍隊に置き換えれば、そのまま軍事教練になるのですが、事実、管理主義教育の生みの親、もと愛知県の高校校長会の会長鈴木泉氏は、これについて対ソ連兵士育成という意味の内容を発言しています。
 こうした教練を実施している新設校(1968年東郷高校が開校されたが、それ以後愛知県で東郷方式をとり入れて開設された高校を新設校という)の教育のそもそもの目標は、管理主義教育2大校の1つ豊明高校校長、加藤十八
氏のことばを借りれば、

「ア、明るく活気のある校風を樹立し、規律ある行動ができる集団の育成を目指す。
 イ、人間の尊厳を尊び、権威を重んじ、学業に励む若人の育成を目指す。校訓”学ぴ休す"
 1つは、規律ある集団行動ができる、集団の規律がしっかりできること、これが学校としての基礎的なものと考えたわけです。もう1つは、個人の問題で、生徒1人ひとりが、真の人間性に目覚め、自己確立の尊さを認識し、権威すなわち、オーソリティとか絶対性を尊重して勉強に、部活動に一生懸命励み、若人の感激と感動が体験できる場でありたいと考えたわけです。」
(豊明高校研究紀要第1集)

ということになります。

このような教育目標や、集団行動などからわかるとおり、新設校は権威に従順な、体力ある、まさに予備役兵士を訓育することを最大の目標とするわけです。
 そうした目標から加藤氏が言うとおり、「学び体す」の教育方針に基づき、課外でのスポーツ活動が強化されてきます。
 新設校では、だいたい、1年生は部活動に全員加入が強制され、上下の規律とか集団行動がしこまれます。2、3年生は、受験臨戦体制ということで、勉強の落ちこぼれ対策として部活動が利用されます。つまり勉強のできない
者は、受験のじゃまにならぬようスポーツをやらせよというわけです(もちろん、スポーツエリートは優遇される)。
 新設校での理想的な生徒像というのは、「妙に思慮深く、理論を振りまわす生徒よりも、五感の発達した、たくましい野生味あふれる生徒」(豊明研究紀要第1集p.47)ですから、スポーツのもつ競争性や闘争性、スポーツによってできる能力の上下関係とその階層化など、まさに、思慮深くない、権威に従順な、たくましい生徒(=兵士)を訓育するには、ぴったりということになるでしょう。 i
 こうした新設校のスポーツ教育は、スポーツそのものに含まれる抑圧装置によって生徒を権威に従順な兵士として飼い馴らしていく手段となっているのです。
 ところで、スポーツを善なるものとして擁護する立場の人からすれば、この新設校の例も、やはり、スポーツをこのように利用するのが悪いということになるでしょう。そして彼らは、スポーツそのもののもつ理想的形態を並べ立てるのです。その理想像に合わないスポーツが出てくると、やる人ややり方を批判し、もとの理想像は、そのまま保全しようとするのです。
 そこで彼らのスポーツの理想像とは何か、ということになるわけですが、およそ次のようなものとして、イメージされてきます。
 スポーツは、人類が残してきた文化遺産であり、純粋で美しい身体の躍動でありひとつの芸術である。「より高く、より速く、より遠く、より強く」と可能性の限界を人類がチャレンジするのは当然であり、その良い機会としてスポーツがある。
 スポーツを賛美する場合、こうした理屈が、必ずといって良いほど出てきます。
 しかし、スポーツというものは、このように賛美されるものとしてのみ存在するわけではありません。スポーツは、人間によってなされるのであり、その人間は、「関係」の存在ですから、スポーツも社会的関係として具体化されてくるのです。スポーツだけを取り出して語るのは、絵空事を語ることになるのであって元来、スポーツの在り方というのは社会的脈絡の中でのみ語りうることができるのです。
 この視点を見失いますと、名古屋オリンピックでのスボーツ関係者のように、福祉が切りすてられようと、自然が破壊されようと、土地収容されようと、おかまいなく、スポーツ賛美論でもってオリシピックを強行する考えに
なってしまうのです。
 ですから、スポーツが社会の中でどのように存在しているのかということこそを、スポーツの姿を見るための視座としなければなりません。
 そして、私の知るかぎり、スポーツは権力者による民衆の抑圧を解放するどころか、むしろ、抑圧装置として、社会で機能しているということを反オリンピックや反高校総体運動の中で見ることができたのです。

4、スポ一ツによる健康、その欺瞞性

最後に、スポーツと健康という問題について考えてみたいと思います。
先日、私は親戚の家で現代医療の悲喜劇とでもいえる話を聞きました。それは、おばの知人である、かなり高齢のおばあさんが、耳が不自由になってきたので治してもらおうと耳鼻科へ行ったことがこの悲喜劇の発端です。そのおばあさんは、例のごとく両手に余るほどの薬をもらったそうです。このおばあさんはたいへん几帳面な人で、通院するたびにもらう有り余るほどの薬を全部記憶しておいて、1つでも欠けているとわざわざ病院に薬をもらいに行くという徹底ぶりでした。耳以外は、いたって健康だったこのおばあさん、耳の薬の投与を受けるようになってからからだの調子が悪くなり、ついに危篤状態にまでなってしまいました。そこで内科の医者が診断したところ、やはり、耳鼻科の薬が悪いということが判明して、薬をやめたそうです。そうしたらいっぺんに生気をとりもどし、今ではピンピンしているそうです。もっとも未だに薬好きは直らず、多くの薬を服用しているそうですが。
 こうした話はだれでも1度や2度は耳にしているはずです。医療は、はじめ病気を治すことを仕事としていました。しかし、医者が増え、医療と患者の関係が経済的な需要と供給の関係になったとき、医療は、病気を捜すようになりました。そしてついには、医療自体が病気を生産するようになったのです。医療事故や不正医療薬の過投与などによって医療の作った新たな病気はあとを断ちません。
 その結果、あるデータによれば、医療制度の完備した国(それは高度に産業化された国でもある)はここ20年来、平均寿命がほとんど伸びていないのに対し、水準の劣った2〜3の国の方が平均寿命が高いという結果が出てきました。
 また、健康になるべく使われる医療費が、医療制度の整った国の方が、そうでない国よりも多く使われており(例、アメリカ合衆国1人=320ドル/年に対してジャマイカでは1人=9.6ドル/年)、しかも、平均寿命ということになれば差異はないという結果も出ています(もちろん第3世界での死亡率の、特に幼児のそれの増加は、病気ではなく、社会的要因=戦争、災害、貧困による栄養失調によるところが大きい−以上のデータは『エコロジスト宣言』アンドレ・ゴルツ著技術と人間刊より)
 医療の進歩と普及によって病気が増え、人々はますます、健康になるために金を支払うようになったというのが今の現状です。こうしたジレンマの中で医療制度は、新たなるもうけ口を発明したのです。それこそ医者がプライマリープリベンションと呼んだもの、すなわち第1次的予防です。第1次的予防とは、病気の過程が進行する前に予防がなされることを意味していますが、医療は、病院に来る前の家庭での日常生活の治療まで始めようとしたわけです。それが結果として優生保護法や精神病患者に対する予防的拘束制度、各種健康産業へと拡大されていきました。
 折も折、こうした中からジョギングブームやストレッチ、エアロビクスなどがひとつのスポーツ健康ブームに乗ってやってきたのです。スポ一ツ・体育の研究者たちは、ここぞ我らの出番とばかりに、医者もどきの態度を露呈し始めました。彼らは健康のためのスポーツを公言してはばからなくなったのです。
 彼らは健康管理を理由に、民衆の日常生活にまでえらそうにロ出しするようになったのです。そして健康産業が彼らに追随しました。いやむしろその逆で、体育・スポーツ研究者の方が健康産業に追随したといった方が正しいでしょう。
 体力を向上させ健康な生活を送るためにスポーツは必要であるというのが、彼らの新たなスポーツ肯定論になったわけです。
 彼らは、この健康論をもとに、つとに批判の多かった従来のスポーツも、正当化していきました。つまり、健康のためならば、権力のスポーツによる民衆の意識操作は必要だ、薬づけのエリートスポーツもリハビリテーションを用意すれば問題ではない。従来よりある巨大化したスポーツ大会も、健康のためのスポーツの宣伝に必要である。健康とは、身体と精神の健康を言うのだからスポーツによる精神教育も強化せねばならない、等々。
 こうして、「健康のため」の「スポーツ絶対論」が製造されてきます。これによってスポーツに対する従来の批判は、すべて無視されました。
 スポーツは今や医療と同じ地位を与えられ、治療という動詞が付加されたのです。現代人の産業社会での緊張の倍加と運動量低下に基づくストレスの治療として、スポーツが必要だというわけです。しかしこの理論はまったく欺瞞に満ちています。というのも、これは、ストレスを生み出す現体制(高度産業社会)のありようを問うことなしに、むしろこの体制を積極的に補完する商品スポーツの消費を民衆に強要することになってしまうからです。これは、右手で不健康人を作り、左手でそれを治療することと同じことになるのです。このサイクルをくり返せば、健康産業は、莫大な利益をあげることができます。現に大手企業は、体育・スポーツ関係者に、研究費を投入して、生産性をあげる労働者作りのためのスポーツ教育や労働管理を円滑にするためのスポーツ教育といったことを研究させています。
 現在の体育・スポーツの研究者の多くが、戦前の軍政権がつとに関心をもっていた「国民の体力向上」に関しての研究を行っています。戦前は、軍備のための体力であり、現在は健康のための体力というニュアンスの違いを彼らは強調します。しかし、この体力というもの本当に自分のためにあるのではないことは、戦前も現在も変わってはいません。
 現在の体力とは、国家のため、消費産業のため、健康産業のため、スポーツ研究者の分析のため、教育による人間の管理のためにあるのです。
 私たちは、こうした産業と権力と抑圧に結びついてのみ存在しうるスボーツそのものから、手を切らなければなりません。民衆を抑圧するスポーツイデオロギーを、全面的に否定し粉砕しなければなりません。
 でないと、好むと好まざるとに拘わらず、これ自身を抑圧するスポーツを消費するために、せっせと健康を害しながら働かなければならなくなってしまうからです。
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よみがえるトロプス

 中学2年生の野外学習で、夜のファイヤーフェスティバルを立案することになったのだが、薪の周りでゲームを考える担当の教師が悲鳴を上げた。180人からいる生徒にどんなゲームをすればよいのか?当然、実行委員の生徒に考えさせるわけだが、うまくいかない。彼らの案はほとんどがテレビで放映されるゲームの模倣なのだ。「学校へ行こう」などの番組でやっているゲームがそのまま使えると思い込んでいる生徒たちはまったく、実際上の活動をイメージできず、ただ、テレビでやっていて面白いからやろうという思考パターンである。
 幸い担当の教師は、場数を踏み経験豊かであるため生徒のこのバーチャルな提案においそれとはのらなかった。
 テレビは、演出とスピード、面白いキャラクター、そして撮影後の編集によって、視聴率を稼げるゲームが視覚化される。それがそのまま野外学習のファイヤーの周りでできるはずもなく、よって担当教師によりことごとく生徒の案は却下された。それも実際に教室でやらせてみて「こりゃできん」と納得させての却下だ。しかしはたして、それに変わるゲームが浮かばない。そして「ヘルプ」が私に投げかけられた。

 私は迷わずトロプスの本を二冊渡して、参考にするようにすすめた。ところがここで面白いことが起こったのである。トロプスのゲームのいくつかを生徒に提案したところ、そのほとんどを生徒たちは経験しており、「確かにこのゲームは面白いし、みんなも経験しているので、うまくいくだろうが、新鮮味がない」というのが生徒たちの意見であった。幼稚園や小学校で、生徒たちはトロプスのいくつかをやってきたのだ。トロプスはすでにその原本を乗り越え、普及し、ごく当たり前の体験ゲームとなっていたのだ。(少なくとも私の近辺の学区では)
 さらに面白いものを発見した。それは小説である。恩田 陸の「六番目の小夜子」という、ファンタジー系のベストセラーである。この小説のプロローグに次のような一文がある。「こんなゲームをご存知であろうか。・・それが誰であるかわからぬように犯人と探偵をきめ、ゲームを開始する。・・犯人は、探偵に悟られぬようにウインクをして、一人一人殺していく・・・この物語はこのゲームのように・・」というくだりがある。まさにこれは、トロプスで紹介された「ウインク殺人」「犯人は誰じゃ」をヒントに作られた小説なのだ。恩田さんはトロプスを読んでいる。あるいはそのようなゲームをどこかで楽しんだのであろう。トロプスは小説の題材にもなっているのだ。

 ところで私は、先の教師にトロプスを貸す前に、自分の書いた部分を、そしてそのほかの方々の部分をも読み直してみた。自分で言うのもなんであるが私はある種のカルチャーショックを受けたのだ。24〜5年前に書かれたこの本、決して古くない。とりわけ、例の小学生の殺傷事件やイラク問題に直面した私にとって、トロプスは再度読み直し、それを元に、考え行動するヒントとなりえると感じたのだ。もちろんこの本だけではない。辺見庸の「抵抗論」や小田実の「戦争か、平和か」なども実に新鮮に私に様々な問題提起をしてくる。
 そしてトロプスだ。小田実や辺見庸は、これからの社会的な状況に対峙しての在り様、生き様を、時に厳しく、また時に穏やかに語りかけてくる。一方、トロプスは、学校という場や地域社会での人とのつながりのまさに具体的で、実現できる実践を提案している。そして、それは現実に様々な場面で実践されてきたのだ。また競争よりも共生。このトロプス魂は、今のイラクや北朝鮮問題の核心を突いてくる。 さらにバーチャルな人間関係から発生したあの痛ましい殺傷事件もトロプスによる身体接触や人間関係の作り方の様々な手段・方法の提案が、やはりこれからの学校という場や子どもたちの遊び空間での活動に今流の提案をしているように思えるのだ。
 確かにトロプスは、様々な現場でごく普通の、遊び、身体活動として実施されている。ではトロプス魂はどうか?この点については、いささか置き去りにされてきた感もあるようだ。
 トロプスを楽しんだ後、今生きているこの世界、この時代について夜を徹して語り合ってみる。そしてまたトロプスを・・この本、もはや書店にはならんでいないかもしれないが、どうぞ、図書館などで見つけて読み直していただきたい。様々なヒントが、「今・・」を考えるヒントが満載であること請け合いだ。


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