10月・11月の「思い」


 早くも10月です。日が立つのは早いです。公募展の結果が月末にでます。
吉と出るかどうか?楽しみです。
 タリバンとアメリカの争いは長引かせる作戦かもしれません。
10月になると山岳地帯は雪が降り始め、地上戦はアメリカにとっては大変不利です。
空曝をして世論、世界の動向をみながら雪解けの春を待つのではないかと思います。
その間テロ組織の壊滅へ経済的制裁をもってタリバンをお追い込むのではないかと
思います。兵糧攻めです。経済、食料の補給を断ち、タリバンを自滅へと追い込む
作戦ではないかと思います。ただ長引けば長引くだけアフガニスタン難民の方々は
一層大変です。再度アメリカの良心に問いたいです。(10.2)

すこし長い休暇?をとりました。 何もしなくても世の中は動き時間は過ぎて行きます。 私が創作をしなくても世の中は変わることなく動いています。 何故創作をするのか? 何故人は生きるのか? 自己の存在意義は人類の存在意義と重なると思います。 今のタリバンとアメリカの争いをみると「己の存在を脅かすものは排除すべき」 といった感があります。哀しいことです。  (10.12)   
地球温暖化防止の京都議定書にアメリカは加わろうとしません、 大国のエゴが見え見えです。今回のテロも大国(アメリカ)のエゴが生みだした 副産物です。何が正義なのか?聖書を手にして宣誓するアメリカ大統領、形式的 儀式でしかありません。アメリカの何処がキリスト教国なのか? 信仰とは何か?改めて考える必要があります。一個人としても反省させられる 今日この頃です。 話しは変わりますが、ノーベル賞を取られた野依教授はガンガーの直ぐ 近くに住んでいらっしゃいます。ガンガーにも来られたことがあると思います? 気難しい?感じを受けた印象がありますが、わたしの思い違いかもしれません。 今度、来られたらサインをいただきたいとおもいます???(10.13)
 内でバイトをしている女子高校生のおばあちゃんが野依教授の奥さんと極 親しくお付き合いしているとのことです。近くに住むお客さんのお子さんが野依教授の サインをもらったと自慢していました。日進市の名誉市民として表彰されるのは 間違いありません。ガンガーでは当分ノーベル賞の話題は尽きないと思われます。 今日の中日新聞に「ノーベル賞の明と暗」のいう記事がありました。 光りあるところに暗ができます。アメリカの繁栄の影にアラブの貧困があります。 繁栄ばかりを追い求めるた結果、今の消費文明、環境破壊、温暖化などなど多くの問題が 発生してきました。人類(個人的にも)は反省すべきなのにアメリカは・・・。  今年は柿がいつになく豊作ではないかと思います。内の隣の柿の木にいつもより 多くの柿の実が熟しています。毎朝、鳥が食べに来ています。右隣りのお隣さんは 「好きなだけ取っていいですよ」と言って下さり、さっそく息子と妻をけしかけ 取りに行かせました。わが家では私しか柿を食べません。 せっせっせと一人柿を食べ食べ秋の夜長を楽しみたいと思います。(10.14)
 期待していた童話の公募展で大金?を取り損ね、ちょっと創作意欲を無くし パソコンを避けていました。私の思いとは関係無く時間は流れ、蒼生舎通信に掲載する 「サトルの冒険」の原稿に蓄えの余裕が無くなりました。 物語の先を書き進まないと締切りに追われる羽目になりそうです。 尻に火をともしながら創作させていただけることに感謝したいと思います。(10.23)
10月は雑用に追われて書き込みが出来ませんでした。一段落したので前のように 書き込みが出来ると思います。(11.4)
 ウサマビンラディンさんの最新映像メッセージは何か悲愴感の漂うものでした。 sosを発信しているように思えるのは私だけでしょうか? 圧倒的武力を持つアメリカに反撃するすべを探しているようです。民族と宗教のプライド? を保持すべくイスラム教国に呼びかけど、動こうとしない国々。孤立無援の戦いに信仰は 神は答えてくれるのでしょうか?ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も神と人の相互契約で 成り立っています。人の側が契約を守っているつもりでも神の側からみると 契約違反ということはないのでしょうか?イスラムもスンニー派とシーア派に分かれ 少数派のシーア派はさらに分裂しています。タリバンはシーア派の中でも過激原理主義です。 マスコミの報道はアメリカサイドの情報が圧倒的に多く、情報操作もあるのではないかと 思われます。一方的にタリバンが悪でアメリカが正義だとは思えません。 同じく北部同盟が正義でタリバンが悪だとも思えません。 かといってタリバンが正しいかというと・・・???です。何が正しく何が正しくないのか、 正義は立場が変われば正義ではなくなるのだと思います。 「ロックを好きな人は善人でジャズを好きな人は悪人だ」と言う人がいましたが 音楽の趣向で善悪を判断すべきではないと思います。ただ自分との関わりだけで善悪 を判断するとなると「ロックを好きな人は善人・・・」となるのかもしれません。 自己中心的価値判断です。アメリカが今やっていることも同じレベルです。 世の中全体、自己中心的行動が目立ちます。 「千と千尋の神隠し」は大ヒットをしました。これも宮崎駿的価値判断であって 違う価値判断もあるべきなのです。マスメディアをフルに使い消費を促す宮崎さんの宣伝方法 には一種の恐怖を覚えます。「みんなで渡れば怖くないよ、こっちの水はおいしいよ」と 言わんばかりです。映画を見てないのであまり言えませんが彼ら(スタジオジブリ)の宣伝 方法を見る限り人の欲望をそそるコツをうまく利用していて映画の内容うんぬんよりも以前の 問題がそこに隠されているような気がします。妻と息子は「面白い映画だったよ」と言って 私にも見るように奨めます。CDも買ってきて、主題歌を歌う練習を日々しています。  私のような意見は少数派だと思いますが大勢が正しいとはかぎりません。 「正しい正しくないかではなく、面白い映画だよ」と妻は言います。そうかもしれません。 何が正しい、正しくないかを問うているのではないのだと思いますが、 ただ宮崎さんのこれまでの作品を見ると多少のメセージ性を感じるのです。 そのメッセージは現実のアフガンの前では色あせてみえます。私にはジブリ美術館も同じく 色あせて見えるのです。「違うのではないか!」大勢への疑問が起こります。(11.6)
 「聖書に真理が隠されている」と私の心の師は語ります。自己の能力では理解出来ない物事 を解明(納得?)するには先人の知恵を学ぶのも必要です。 私は自分がクリスチャンだとは思っていませんが、 聖書に真理が隠されているのなら聖書を学ぶことに暇は惜しみません。 ただこの書物は信仰なくしては理解できないのです。故に我は隠れクリスチャン?として聖書を 学ぶつもりです。以前にも同じような宣言をしています。時々思い出しては 自己啓発するのもいいのでは?三日坊主になりませんように神に祈りたいと思います。(11.7) 
 コスモスの花が花器にさされています。 コスモスは人を楽しませるために咲いているわけではありません。 子孫繁栄の為、あのかわいらしい花を咲かせるのです。見る側(人)のことは考えていません。 花粉を受精させてくれる蜂や風さんのことを考えて咲いているのだと思います。 生きる姿が美しい、そんな生き方をしたいものです。人の目を気にすること無く、 コスモスのように自然と見る人をなごませるような生き方をしたいものです。  雑草の中にもきれいな花を咲かせる草があります。 きれいな花を咲かせない雑草もあります。それらの雑草も生きているのです。 むやみに引き抜くことにためらいを感じない人がほとんどです。 奇麗な名の在る花を守るため名も無い雑草を平気で抜き去る人、人、人。 このような人がアフガンの平和を語る。人と雑草は違うとの認識・・・。 突き詰めて考えるときアメリカがアフガンを攻撃するのも、奇麗な花を守るため 名もない雑草を抜き去ることも同じ次元で考えるべきではないかと思います。 極端過ぎるかもしれませんがそこまで掘り下げて考えないと アフガンの問題は解決しないと思います。  夏、蚊が人を刺す。人はためらわず蚊を殺す。テロリストがアメリカ帝国主義を刺す。 アメリカはためらわずテロリストを殺す。 蚊は何故人を刺すか?テロリストは何故アメリカを刺すか?考えるべきです。 蚊もテロリストも命の重みは同じと考えられるかどうか? ほとんどの人は平気で蚊を殺します。 人類は生きるために邪魔なものを殺しているのです。 私もあなたも殺しているのです。 そんなことを考えると偉そうに平和を語ることはできません。 でも語らなくてはいけません。 蚊を殺すとき、雑草を抜くとき、心に痛みを忘れないために平和を語る必要があります。 (11.8)
インドの宗教にジャイナ教という宗派がありそのなかの厳格な信者は歩くとき ホウキを持ち自分の歩く前方を掃きながら歩くそうです。蟻とか小さな虫を殺さないように するためです。無駄な殺生をしないためです。そこまでいくと日常生活などはもっと大変だと 思われます。生活を規制することにより己の欲を規制しているのかもしれません。 現代人はこのような無駄なような戒め?を改めて多少見習う必要があるのかもしれません。 (11.9)
 「無駄」という言葉から「寄り道」を連想しました。無駄も必要です。寄り道も必要です。 目的主義?こんな言葉ありましたっけ?目的達成のため最短コースを最速で到達する。 無駄や寄り道からは正反対の発想です。人生の肥やしはこの「無駄」や「寄り道」にある ような気がします。肥やし(肥料)だけでもものは育ちません。 しっかりした種がなくては肥やしの必要性がありません。人それぞれ種を持ち合わせています。 ただ何処に落ちどんな肥やしを掛けるかが問題です。肥沃な土壌に落ちるか、じゃり石の上に 落ちるか、砂地におちるか??? 種は自分から移動できません。 この辺に運命論?が入りこむ余地があるのかもしれません。 (運命論、宿命論このへんは余り知りませんので書きません。時間があれば調べてみます) (11.10)
アメリカで航空機の墜落事故が起こりました。テロか事故か調査中とのことです。 どちらにしろ哀しむべき事です。アフガンも戦闘が激化しています。 日本の景気も良くなる見通しがつきません。二年続けてのマイナス成長は始めてのこととか、 大変な時代になってきました。暗い時代の予兆???。こういう時代は自分の身を守るため 自己防衛をするしかないのかもしれませんが、何か寂しいです。 信じるものがあれば救いなのですが・・・。信仰、自己の才能、金、友、家族 などなど人それぞれ信じるものがあるのだと思います。私は・・・?内緒。 与えられたことを一つ一つこなしていくことも大切なことです。 まずは身の回りのことから始めるとします。  インドの大学にいっている知人(日本人)から手紙がきました。 治安がよかった大学都市ですが、ここのところ8人組のピストル強盗が 頻繁に起きているそうです。多少、アフガンの影響でしょうか?  物騒な世の中になりました。 経済のデフレスパイラルというよりも平和のデーモンスパイラル?です。 貨幣経済でお金が足りない、貧乏になると生き方(精神)も貧しくなり、 そこに悪魔がささやき、人の心に忍び込むのです。「自分だけ良ければいいじゃない」 その悪循環現象をデーモンスパイラルと命名します。なんちゃって独り言をいっています。 (11.13)
 詩人・金子みすずの展覧会が名駅西の三井ビル東館地下一階のギャラリー大地で 開催されてます。今月の30日までです。希有な詩人です。私も行きたいのですが月曜の 午後2時以降しか自分の時間がとれないので・・・。  タリバンはカンダハル周辺でゲリラ戦に持ち込むしか勝算はないのでしょう。 信仰の名のもとに戦うタリバン兵、神は何と答えるのでしょう? タリバン側が負けることはあっても神は負けることはない?唯一神は絶対なのです。 イスラム教とキリスト教の神は同じ神です。馬鹿げてます。アメリカはテロ報復という 名目で自国の国益の為に戦いを挑み、 タリバンは神の名のもとジハード(聖戦)に立ち上がる。 国益のために戦うアメリカがこの戦いに勝つとして、神の裁きはどちらに下されるやら??? (11.14)
 先日書いたデーモンスパイラルを断ち切るには「己を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」 聖書の有名な言葉を思い出します。「良きサマリア人」の話しも思い出されます。 報復の繰り返しは際限がありません。しかし、これが現実なのも事実です。 アメリカもタリバンも北部同盟もみな泥沼の欲望?に溺れています。 誰かが言わなくてはいけません「あなたは裸(欲望)の王様ですよ!」と。 わたしが言っても誰が聞いてくれますか、 神を信じる心で祈れば神様が聞き入れてくれるのでしょうか? 「人類をお救い下さい」???人類は救われるのか??? 「分かりません」それだけは断言できます。 独り言、独り言、我は与えられた道を歩むのみです。 恩師の一人・浅見望先生の告別式の記録を読みなおしてみました。 キリスト信仰は神と人(個人)との関係を問うものですが、その信仰を育むものは信者どうしの 交わりです。信仰は人から人へ伝えられていくものだと思いました。 神にすがり必死に神に捕まるのも信仰のひとつの在り方ですが、神に捕まえられるのも また一つの信仰の在り方です。サウロのちにパウロとなりますが彼などはそのいい例です。 (11.15)
参議院予算委員会がいま行われています。自民の舛添要一さんが二日続けて質疑をした もようです。初日の14日の内容は新聞で確認でき、まあこんなものかと及第点をつけました。 15日の内容を新聞(中日)で確認しょうと思い、調べましたが???、アフガンの記事ばかり で掲載されてませんでした。夜のニュースで日銀総裁に厳しく「世紀の大失策」と本人の前で 明言したもようです。以前から彼の主張を気にしていた私としては「やはり」と思いました。 民社党の新人・田嶋某さんはワイドショーレベルでしたし、民主党の新人・大橋某さんも ワイドショーレベルでした。「やはり」と思いました。舛添さんのような人がもっと国会に 出馬すべきです。数合わせの田嶋さんや大橋さんはいりません。 (11.16)
 アフガンがあわただしくなりました。オマル師は何を思いながら神へ祈っているのでしょう? 先日のテレビでオマル師のラジオメッセージが放送されました。それは神が何かをするといった 内容でした。さあ何をされるのでしょうか?最高指導者の祈りを神はきかれるのでしょうか?  アメリカがこの戦いで勝利を治めたとしても後のもろもろのことを考えたとき 力が正義と勘違いするやからが威勢を振るう世の中になるのではないかと心配です。 ウサマビンラディンさんは何を伝えたっかたのでしょう? アメリカの傲慢さ、国連の不公平、世界の不公平、それらによってもたらされた イスラム世界の貧困を訴えたかったのか?彼のメッセージは何度かビデオで放送されていますが テロに関してのはっきりした意図は聞きとれませんでした。貿易センタービルへの自爆テロで 多くの人を道ずれにすることによって、その後アフガンがどうなるか考えた上でのテロ行為 だったのだと思いますが読みが浅かったのか、読み間違えたのか??? 孤立無援の状態での自滅???もし、彼が生き延びたとしたら面白いかもしれません。 不正な世の中へ彼なりの視点でメッセージを伝え続けると面白いかもしれません? いまの状況では生き延びることは至難の業だと思いますが・・・。(11.16)
 ブシュ大統領夫人がアフガンのラジオ放送に女性解放宣伝をしたみたいですが何か偽善ぽい 行為です。アメリカの本質は別の所にあり、それらを誤魔化すために夫人を使って善意の押し売り を平気でする、ずるがしこさが気になります。ラディンさんは「私がテロを計画しました」と 言って国際裁判?に名乗りでて、公開裁判を受けると面白いのですが・・・。 当然、有罪で死刑を宣告されると思いますが、彼の主張は世界に伝えられ公の場で アメリカの片寄った(イスラエル寄りの)正義をも糾弾できるかもしれません。(11.18)
 昨日の筑紫哲也news23で井上ひさしさんの企画?でアフガン支援団体 ペシャワール会代表中村医師の報告会が放映されました。教会で行われたみたいですが私は 全部は見ていません。彼の体験談は貴重だと思います。彼はいまの片寄った(アメリカより) マスコミの放送状態を危惧していました。しかし、私は彼の体験もある意味で一部 (片寄っている)でしかないような気がします。彼の情報がすべてだとも思われません。 真理は一つでは無いというのが私のいまの心境です。何度もこの書き込みで書いていますが、 タリバンにも北部同盟にもアメリカにもそれぞれの正義があり、真理はあるのだと思います。 それらを客観的に判断するには情報が入り乱れすぎています。 限られた情報で判断するにはその判断する人の価値観(人生観)が問われるのだと思います。 またまたブシュ大統領夫人が(偽善ぽっく)テレビ演説をしたみたいです。 アフガンの女性解放を唱える前にやることがあるのでは?アメリカが誤爆して亡くなられた 一般市民への謝罪と救援をすべきです。大統領夫人の演説がタリバンを見下したような態度に 見えるのは私だけでしょうか。    今日の中日新聞朝刊『クリスチャンもアラーの神に祈り』という見出しの記事について一言。 南山教会のインド人神父さんが信者といしょにイスラム教の作法でアラーの神に世界平和の 祈りを捧げたとのことです。それぞれ(イスラムとキリスト)の神が同じ神なので出来た 祈りです。これが他の神々なら在りえない行為です。一神教のキリスト(イスラム)教信者は 創造主以外の神を信じては絶対いけないのです。他の神に祈りを捧げることじたい大罪なのです。 今回は同じ創造主を信じているイスラム教だから出来たイベントです。 キリスト教の寛大さを表現したかったのかもしれませんが、何か匂うのです。 宗教論を言い出すと大変なので私の感じたことを言わせてもらうと「これはブシュ大統領夫人 と同じ感覚なのではないか」ということです。 なぜクリスチャンがイスラム教の作法でアラーの神に祈らなくてはいけないのですか? このことについて私なりにもっと探究してみたいと思います。    私の平和、家族の平和、日本の平和、アフガンの平和、アメリカの平和、 人類の平和、地球の平和。地球の平和を考えたとき一番の害虫は? 人が害虫を駆除する感覚で考えたとき、地球上で一番の害虫は人類です。環境破壊、 オゾン層破壊、地球温暖化、酸性雨、公害、戦争、人類は地球にとって良くないことを 数えきれないほどやってきています。 人より優れた(力のある)ものが地球を守もろうとしたとき、まず駆除するのは人類でしょう。 人はそんなものなのです。反省すべき生き物なのです。自分が宇宙の主とでも思っているような 愚かな生き物なのかもしれません。一部の人々は反省して生き方を改めようとしています。 しかし、いまだ大勢は大量生産、大量消費の繰り返しです。そういう私もそのシステムの中で ぬくぬくと生活しています。「神」というものを信じなくては人は世の中の矛盾から 永遠に抜け出せないのかもしれません。(11.20)  
 個々の価値観を尊重すべきです。いろいろな価値観があってお互いが認め合い、 おかしなことは話し合い、間違いは素直に認め、修正していくような生き方をしたいものです。 おかしなところに気付く視点の鋭さは何処からくるのか、個々が違う人間で価値観も違うと いうことを身を持って体験していて、感覚として本能的に身についているかどうか??? タリバンの正義はアメリカにとっては正義ではないのです。その逆も真成りです。 アメリカの正義はタリバンにとっては正義ではないのです。 この矛盾を受け入れられるかどうか? イスラム教にとってイエス・キリストはただの予言者、キリスト教にとっては イエス・キリストは神なのです。 キリスト教にとってムハンマッド(マホメット)はただの人(あるいは偽予言者)?、 イスラム教にとってはムハンマッド(マホメット)は最後で最大の予言者です。 この矛盾を受け入れなくてはキリスト教とイスラム教の共存はありえません。 この矛盾の事実の中に「なぜ人が神を求めるのか?」という疑問への答の糸口が 隠されているような気がします。 人類になぜ信仰が必要なのか?宗教は人類の欲望の先にある、 見えない不安を取り除くために存在しているのか??? 宗教は人類の欲望の先の破滅解除のためのリセットボタンなのか??? 宗教の存在価値は人の存在を肯定するために人類に与えられたものなのか??? 宗教は人に存在価値を与えるために存在している、人の存在価値は各宗教によって多少違う。 宗教は拒否反応抑制剤???共に仲良く共存しましょうという役割を宗教は担っている??? 人類を救うのはこの宗教なのかもしれません。 哲学は学問、宗教は実験。哲学は理論、宗教は生活の中での体験。哲学では人類は救えない、 やはり宗教なのかもしれません?とめどもない疑問ばかりが沸き起こります。 インド料理屋の店主が人類について書く、これも面白い事実です。仕事には役立たず この書き込みを見る人も限られ、何の役にも立ちそうにありませんが、何か楽しいのです。 自己満足なのかもしれませんが、何かが分かってきたような・・・? 今回のアフガン問題にしてもそうです。 新聞、テレビなどより自分の分析が先をいっているのです。 妻は私のことを典型的なナルシストと言います。そかもしれません・・・。(11.21)
 狂牛病の牛がまたまた発見されました。焼き肉屋も大変ですが、炭屋さんも大変みたいです。 内に炭を持ってきてくれる炭屋さんは足助の炭焼き組合の組長さんです。 焼き肉屋などの炭の使用量が減れば組合の維持が難しくなるとのことです。 不景気から10月に50人いる組合員を半分にしたそうです。25人のリストラです。 12月も様子をみて組合を維持するためさらにリストラをするかもしれないと 先週内に来られて言ってましたから、昨日の狂牛病騒ぎからするとさらに半分に減らすのでは? 大変な時代です。人ごとではありません、私も頑張らないと・・・。(11.22)
 21日行われた党首討論のテレビ中継を少し見ることがげきました。民主党の鳩山さんは 小泉首相へエールを送るような質問をしていました。小泉節は水を得た魚のように 生き生きしていました。彼のしたさかさだけが目立ち鳩山さんは完全な脇役です。 器が違う感じです。今日の新聞で「七法人廃止、民営化」の影に民主党の鳩山、管さんの 恨み節が出ていました。三十年を五十年に延期で妥協です。「落としどころ」を心得ていると 野中広務元幹事長は微笑んでいました。小泉さんは予想以上にしたたかです。 政治は駆け引きなのかもしれません。アフガンの駆け引きは?「落としどころ」は何処に? 見守りたいと思います。(11.23)
 紅葉狩りで香嵐渓は人、人、人の山です。渋滞がすごい!先週の月曜3時ごろ平日だから すいているだろうと家族三人、のほほんと香嵐渓に出かけました。手前9Hから一寸ズリ?です。 着いた時は日も暮れ、夜景です。ライトアップは黄色いライト色があまりに強く、紅葉かどうか? 分からなく、人、人でお祭りさわぎです。もう来ることはないなと思いながら家族三人 五平餅のおいしさに満足して帰りました。紅葉より五平餅です。 (11.24)
 昨日NHKスペシャルで宇宙の「真空エネルギー」についての話を聞きました。 宇宙科学の歩はここまできているのかと驚きを覚えました。これらの理論からは神という 言葉は死語に等しいです。先日、「脳」についてのテレビ放送をみました。脳の一部の損傷 で正常な脳でも幻覚を見るとのことです。神とはこの脳が生み出すものかもしれません。 宇宙などの外界に存在するのではなく、自己の内(脳)に内在するものかもしれません。 なぜ神は存在するのか?それは人が霊長類の長たらん欲望が生み出すとこの幻覚なのか? 人類が選ばれていることの証なのか?また堂々巡りです。この先を行く勇気がないのか、 確信がないのです。欲望の幻覚なのか?選ばれた証なのか?神とはいかなるものか??? まあこんなことを考えながら日々の生活をこなす・・・。 タリバンの最高指導者のオマルさんはいま何を考えているのでしょうか? アラーの神は祈りに答えてくれたのでしょうか?彼にいまの心境を聞いてみたいものです。 「ハリー・ポッター」がやたら評判です。世の中に遅れないよう本でも読んでみましょうか。 (11.26)
 打ちのめされ、助けを求める弱い人に信仰は救いを与えるのだということを忘れて、 五体満足の平和ボケしている私などが宗教をうんぬん語るのは論語読みの論語知らず なのかもしれません。神に祈るしか救いの道がないような状況にたたされたとき始めて 神への信仰を与えられる(勝ち取る?)のかもしれません。 アフガンの現状はなんなんでしょう? 民族の勢力争いをしている場合ではないと思うのですが???原理主義のタガが外れたら、 今度は権力という欲望の渦に翻弄される一部の人達によって国が平和に治められるのか 多いに疑問です。多くの貧困にあえぐ人々のことを救済することを優先するような政治を してもらいたいものです。    「『いい人』論についての思考」  ある人には良い人でも他の人には良くない人?良い人、良くない人、自分にとって どうかという判断は絶対ではないが人が生きていくうえにおいて大きな影響力があります。 この人のここが良くないと言っても、他の人にはそうではない。その人が人によって無意識に 接し方が違うとしても、それはその人(良くないと思っている人)の問題であって良い関係の 人にはどうでもいいことなのです。何を言いたいかというと正義とはこの「いい人」論に似ている いるのです。絶対的正義というものがあるとすればそれは世の中に受け入れられない正義だと 思います。私にとって「いい人」なのにあなたは良くない人とケチをつけるのですかと 自分の価値判断の間違いを指摘されたと怒り出すのです。こういうことは多にしてあります。 理解しあうことなく自己の正当性を主張するだけの人たち。その人たちにとっての正義は自分 なのです。私はこういう人たちには何も言わないようにしています。自分が悪い人間と 思われたくないのと議論する以前の問題があるような気がするのです。自分にとって良ければ それでいいのです。私はそれでは納得出来ない人種なのかもしれません。 自分に甘く他人に厳しいのかもしれませんが納得できないことな出来ません。  (11.27)
 昨日の『「いい人」論』理解出来ますか? 私があることで嫌いになったBさんをCさんが「Bさんはいい人ですね」とある事を聞くと 言い出すのです。私はただ黙るだけですが、腹の中では「違うんだ!」と言ってます。 私も偏屈なところがあるのです。Bさんの行為は他の人にとっては許される範囲のこと なのかもしれませんが、私にとっては・・・。Cさんに会ってもBさんの話はしないように しているのですが、つい昨日「何々どうですか?」と聞いてしまいました。するとまた 「Bさんはいい人ですね」と返事をするのです。何を言っているのでしょう?そんなこと 聞いてもいないのに「いい人」論をいいだすのです。変にこっちが勘繰ってしまいます。 たわいのないことかもしれませんが「許す」ということの難しさを実感させられます。 私も自己中心的人間なのです。反省と「いや違う!」私は正しいと心の中で煩悶します。 しかし、あのCさんはなんでBさんは「いい人ですね」を繰り返すのでしょうか??? 私が嫌いなった理由を教えてあげたくなりますが言ったところで第三者にはどうでも いいことですし、また言うべき問題でもありません。プライベートな問題なのです。 しかし、自己肯定をしたいのです。私は「正しい」Bさんは「間違っている」と 言われたいのかもしれません。人は弱い存在だと思わされる出来事です。    アジアウェーブの12月号が届きました。さっそく覗いてみるとフィリピン特集 『「開発」の原罪』という題名が付いていました。開発による悲惨さをレポートしています。 「○○○シンフォニー」という地球、人類を美化した映画が自主上映され、話題になった ことがあります。当時全国的ブームを呼びました。最近も続編がいまだに作られているよう ですが一時の勢いはないようです。今回のアジアウェーブを見る限り、人類の歩は決して 美化されるようなものばかりではないことを物語っています。愚かな行為の連続です。 映画「○○○シンフォニー」を賛美していた人たちはこの悲惨な現実を どう受け止めるのでしょうか?この映画は原発建設反対運動の地域でよく上映され、 原発反対運動というマイナス思考は止めて、精神の向上のためにプラス思考で物事を 考えましょうと、反対運動の矛先を撹乱させるために利用された節が多々あります。 監督その他制作に関わった人達はこれらの利用方法に矛盾を感じないどころか、このように して利用されるために作った節があるのです。「神」がいるとすればこれらの誤魔化しは きっと裁かれることと思います。私がこのように書いても「あの映画は良かった」 という人が圧倒的多数なのです。物事の真理、表裏を見抜く鋭い感性を失わないように したいものです。(11.28)
 某有名人が原発の安全性をPRするコマーシャルに出演していました。 映画「○大将シリーズ」やシンガーソングライターのはしりで一世を風靡した人です。 私が若いころ歌・テレビ・映画と活躍され憧れの人でしたが・・・、 原発の安全性など何処に保証があるのですか???コマーシャル出演の裏には後援会や政治家 との関係があるのだと思いますが、無知は犯罪につながります。この人は以前テレビで 某ゲームを10回クリアしたことを自慢して「私はまだまだ若い」と自負していました。 自立した人だと思っていましたが・・・。思考の成長というものがあるとすれば、 若くして名声と財を成すと思考の成長が停止してしまうのかもしれません。  「千と千尋・・」が終わると今度は「ハリー・ポッター」後から後から押し寄せてきます。 私は本は読むけど映画は行きません。レンタルビデオが出来たら借りると思いますが。 (11.29)
 またクリスマスの時期がきました。毎年この季節になると私は 「本当のクリスマスは12月25日ではない」と言ってます。 またその説明をするのも面倒です。理由を知りたい人は昨年の私の「思い」を見て下さい。 本当のクリスマスは3月か4月ごろなのです。はっきりした日までは分かっていませんが 聖書学者の間では常識なのです。でもイエスの生まれたことを祝う気持ちは大切だと思います。 なぜ25日が誕生日ではないのに祝うのか?それもアメリカやバチカンなどのキリスト教国が です。真理よりも世の中の行事が優先されるのです。25日がクリスマスでなかった時代は 25日はただの収穫祭だったのです。クリスマスもいっしょに祝いだした時期からいつしか 夲元の収穫祭が忘れられクリスマスが25日を占領してしまったのです。(12.1)

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