2002年1月の「思い」


明けまして、新年です。今年も宜しくお願いいたします。
 
今日は大雪、家族全員部屋の中で過ごしています。昼からちょっと買い物にいき
 
明日からの仕事に備えたいと思います。NHKテレビで「世界はどこへむかう向かうのか。
 
新たな秩序への模倣」(21世紀を世界の知性が予測)という番組を見ました。貧困は
 
経済のグローバル化によってもたされたとの話でした。アメリカの富を増やすための
 
グローバル化、技術の進歩がもたらした貧富の差、技術の進歩を止めることは出来
 
ないのか?
 
人の欲望を止めることが出来ないのか?「no!」です。これらの欲望を抑制する
 
ために宗教が必要なのかもしれません。今年も探求心を持って自分の出来ることから
 
やっていきたいと思います。(1.3)

 仕事始めはゆっくりと、寒さにお客さんもぱらぱらと雪のようにやってくる。 近々新メニューを出します。「あっ!」と驚くメニューになること間違いなしです。 夜は常連さんが来られ多少あわただしく仕事をしました。一人の常連さんは私の童話を 快く読んで下さり、ありがたいことです。3月に出産を控え、よく来ていただくお客さん です。良いお母さんになられることと思います。恩師の渡辺先生から便りが ありました。昨年書いた童話などをお送りしたことへの返事です。クリスチャンの先生 にどのように映るか多少不安でしたが、文面からは快く思っていただけたようなので、 まずは一安心です。夢は「天路歴程」のような物語りを書くことです。 いつか死ぬまでにキリスト教の物語りを書きたいと思っています。 能力があればのことですが。(1.4)
 「飛んだ鳥」について知り合いがハッピーエンドより失敗して挫折して、それでも人は 生きていかねばならない、そんな落ちにした方がいいのではとの助言をいただきました。 最初に作ったのは失敗する話だったのですが、「薬売りのアスピリン」が哀しい物語りに なったので、こちらはハッピーにと思いなおして飛び立つ鳥の話にしました。最後に「崖の 下では蟻さんたちが鳥の死骸をせっせと運んでいました」の一文を加えるかどうかです。 それとタイトルが「飛んだ?鳥」に変更です。(1.5)
 今日から「カレーうどん」を始めました。少しでもお客さんを増やしたいので、 カレーうどんに挑戦しました。インド料理店は毎年冬の売り上げが落ち込みます。 生き残る苦肉の策です。でもこれがなかなかおいしいのです。身内で喜んでいます。 夏のかき氷も内輪で盛り上がりましたが・・・、そんな予想もなんのその今年は新しい事に チャレンジです。息子が「明日『ハリー・ポッタ』を家族で見に行きたい」と いいだしました。正月何処にも行かず冬休みが終わってしまったので、一度ぐらい 息子の希望をかなえてあげてもいいかなと思っています。あまり見たくないのですが・・・ 家族で見にいくことに息子の喜びがあるみたいです。妻が「ハリー・ポッタ」の英語版の夲 を四巻まで読みました。私も対抗意識を起こし、挑戦しましたが・・・、2ページで 挫折しました。息子が日本語版の夲を三巻まで読み、家の中に本があり、正月することが なく暇だったので、私も日本語版を読み出しました。三分の一ほど読んで「もういい」と 思いました。たしかに面白いのですが、読んでいっても何も残らない虚無感が残りそうです。 欲望を煽り、欲望を満たすために読み進めるだけの作品ではないか?いまの私には興味の ない読み物です。世界のベストセラーでも私にはただの欲望のはけ口にしかみえません。 年で好奇心が薄らいできたのでしょうか、いえいえ興味のあることは山ほどあります。 対象が違うのです。  今日の中日新聞の社説はなかなかいいことを書いていました。「情報のリテラシー」=情報 を読み解く能力のことです。これには多少自信があります。自慢してもかまわない??? 例としてアフガンと東シナ海の不審船について書いていました。情報の裏を読む。 世界情勢の裏に何が隠れているのやら?人の人生の裏に何の意味が隠されているのか? ハリー・ポッタよりこっちのほうが私には面白いです。(1.6)
 ハリ・ポッター現象をどう説明すればいいのか?「千と千尋の神隠し」も同じ現象です。 昨日ハリー・ポッターの映画を見ました。何も残らない感動?息子と妻は本とここが違う、 話が省略されていて本の方がいいとか何とか言っていました。世界中で読まれ、一億冊以上の 売り上げ?印税だけで毎日100万円以上の収入があるとか?すごい数字です。 なぜこんなに世の中に受け入れられるのか?解りません。妻曰く「読んでいてイメージが 浮かんできて自分で空想してしまう楽しさがある。著者の文才が大ヒットの秘訣だと思う」 とのことです。「う〜ん?」とうなりたくなります。ゲームなどの仮想世界の蔓延が生み 出した。21世紀の文学の傾向の象徴かもしれません。(文学など偉そうに言う私はあまり本 を読まない人間です)文学というよりも社会現象かもしれません。夢を仮想世界に求める傾向 は現実の世界からの逃避?なのかもしてません。ただ、文学はそうしたものをも含んでいて、 いままでも文学の一部の分野を担っていたにすぎなかったこのような夢物語りが主流に踊り出 てしまい、この世界的現象となってしまった。でも後に残るものは?次を読みたい見たいと いう欲望のみ?欲望を満たすことへの意欲のみが一人歩きをする?そういう自分もそうやって 大きくなってきた(大人になった)のです。「鉄腕アトム」「巨人の星」「ドラゴンボール」 などのマンガを読んで大きくなってきました。評論家は世の中に数え切れないほど いらっしゃいます。世相評論をしても現象を後から追いかけているだけで、誰でも出来ること であまり興味ありません。それよりも今の世の中の動きのその先を読むことが出来れば、 そのことのほうが興味があります。  「サトルの冒険」もついに最果ての島に上陸です。これまでのすべては島でのことを 書くための序曲?です。さあ、どのように書きましょう?自分自身決まってないのです。 書きながらそのときの気分で書いてきましたが、ちょっと考えてみます。 どのようにして終わらせるかを・・・。(1.8)
 今日の中日新聞の社説もなかなか良かったです。ただ人類を奇蹟の賜のように扱って いるとこに、ちょっと疑問を感じないでもありません。聖書でも人類は神に似せて作られ、 他の生き物を司る選ばれた生き物として創世記に記載されています。ただ、人は神に逆らい エデンの園から追い出されます。選ばれた人類が過ちを繰り返すこの現実を観ると、選ばれた のは人類全体ではなく、良き行いをして神(創造主)?に認められた一部の人達のことでは ないかと思われてしかたありません。しかしその反面、自分こそが選ばれた人達の一人と 思いこむところに、人の欲望と傲慢さを感じるのも事実です。私たち人類は朽ちていき土に 返る他の生き物達となんら差異はないのだと思います。ただ、そこに信仰という人類だけの? 「想い」が存在するのです。 良き行いをして神(創造主)?に認められた一部の人とはどういう人のことなのか? 良き行いとはどういう行いのことなのか?神(創造主)とはいかなるものか? 聖書に書かれていることを書き連ねても信じる人にしか理解出来ないものです。信仰を抜きに してこれらの神(創造主)を言い表せないかと思っているのですが・・・、これがなかなか 難しいことなのです。ここ2年程ことあるごとにこのようなことを書き連ねていますが、 いまだ表現しきれません。信仰抜きに人の側から神(創造主)を言い表すことは不可能なのか しれません。「?」いかにしたものか、不可能を可能に出来ないものかと思いをめぐらす 日々です。  信仰は人から人へ伝えられていくものです。神(創造主)を追っかけても見つからないの なら信仰のある人を追っかければ「信仰とは」の問いの答えがでるのではないか? そうです!信仰者です。無教会では内村鑑三、塚本虎二、矢内原忠夫、などなど 偉大な信仰者がいらしゃいます。宗教に関わった最初が高専の聖書研究会です。 これが仏教研究会だったら仏教の勉強をしたのかもしれませんが、聖書だったのです。 しかも研究会を指導された先生が尊敬に値する先生だったのです。しかも、人生で最初で最後 かもしれない?胸の内の苦しみを彼にさらけ出せたのは・・・。この体験があるからあれから 26〜27年たついまも聖書の神を忘れられないのだと思います。なにか信仰告白みたいに なりましたが、このようなことを聞くのが嫌いな人には申し訳ございません。突き詰めて いくとどうしてもここに戻ってくるのです。高専には行きたくていったのではなく・・・。 不思議な縁で行かざるをえなっかたというか、運命とはこういうことなのかもしれません。 まだ回顧録を書く気はありませんのでこのへんで止めさせてもらいます。もし興味のある方が いらっしゃいましたらお知らせ下さい。書く必然性を感じたらいつでも書きますので。 (1.10)
「ホカポン山の極楽温泉」という童話を書きました。続編も考えています。詩の創作が少し 怠慢になっていますが、長い文章を考えていると詩に興味がいま一つわきません。 まあ自然にまかせます。書きたくなれば自然と詩も生まれると思います。今日はよく 書きました。原稿用紙何枚分書いたのでしょうか?昨晩書き始め、今日は仕事の合間に書き 連ね、夜完成しました。少し書き疲れました。(1.11)
 昨晩書いた童話を原稿用紙に換算するとなんと、なんと15枚半でした。時間は約5時間 ぐらいです。これも書きながら物語りを考えました。今回はハッピーな物語りにするつもりです。 続編も書くつもりですが、ちょっと充電したい気もします。しかし、書けるときに書き上げた 方がすっきりするので、暇をみつけ続編を書いていたら、なんと!店がお客で忙しくなり、 パソコンに打ち込む暇がありません。いい感じで続編を書き出したところですが・・・。 残念ですが、明日にします。(1.12)
 「ホカポン山の極楽温泉」の続編も完成させました。「サトルの冒険」も進めないと いけません。忙し忙しです。あと雑用があるのでそれもこなしながら仕事をする毎日です。 そろそろ「思考の断片」の2号も編集しなくてはいけません。遊びでないと、こんなに出来ま せんよ。嫌な仕事なら疲れますが、遊びなので楽しくやってます。  木村某氏の記事が中日新聞に掲載されていました。ちょっと洞察が足りません。毎回ですが 一歩足りないのです。彼は自己満足する性格なのかもしれません。ニュースキャスターもされ ていますが、ご意見番に鎮座するにはちょっと役不足だと思いますが、世の中はそうは思って いないようです。あと幾人か世間の評価と私の評価の違う人がいます。個人攻撃すつもりは ないので、あえて言いません。木村さんは今回「日本人の存在証明」という見出しで記事を 書いていました。ウィン・フィルの「ニューイヤーコンサート」を指揮した小沢さんと 和服で記者会見した小泉首相の二人について書いていました。二人とも個人の存在証明なの です。たまたま、日本人だから日本的な服装になっただけだと思います。結果があって、原因 があるのではないのです。原因の中に結果はすでに含まれているのです。木村さんは結果だけ を見て原因を結論づけているのです。 「存在することに意義があり、その存在証明は他者がする。」 (存在証明がないと人は生きて行けない、よって他者は大切なのです)以上のようなことを 私は去年の書き込みですでにしていますので、興味のある方は見てください。 (2001年6.11〜13の「思い」)    (1.14)  
 昨日はケーブルインターネットのホームページを立ち上げるのに、随分時間を取られました。 夜遅く一応出来ました。一部やり残したところもありますが、暇をみつけ仕上げたいと 思います。マックからウインドウズへの変換はいろいろと余分な作業が伴い、試行錯誤で ボンミスの繰り返しでした。これで変換も多少スムーズに出来るようになったと思いますが、 まだ分からないところがあり、勉強しなくてはいけません。(1.16)
 
やはりプロバイダーを二つもつのは不経済なので、新しいケーブルインターネット 一本にします。いままでのアドレスは2月いっぱいで利用できなくなりますので、よろしく おねがいいたします。「思考の断片」第2号が出来上がりました。興味のある方はガンガー まで来てください。以前の文章を読み直していると、同じことを繰り返しをしていて、 迷路の中にいて、出口を見つけたと思ったらまた同じ迷路の中にいる。不可解なものの中に 確信を得たいと、もがいているのが良く分かります。進歩という言葉とはちがうんですが、 進歩?していない、変わっていない自分に気付かされます。某雑誌にアフガン問題、平和問題 について著名人の方々が文章を書かれているのを読むと「精神性、洞察力は才能とか知性 ではなく、与えられたもの(才能、知性など)をどう使うか、目的意識の違いが影響する のではないか」と思いました。具体的に言わないと分からないと思いますが、個人攻撃は したくないので...。これらの分からないことに信仰は答を与えてくれます。 それが信仰の強みです。しかし、その答は信仰によって違う?違うがそれなりの答は与えて くれる。信じれば救われる、そこが信仰の強みです。答が信仰によって違うことへの疑問が 起こる。この答は何処からくるのか?その答は正しいのか?こんなことを考え出すと・・・ 信仰が分からなくなり、最初に振り出しです。この双六の上がりは「信じる」ことなのか?  知り合いの店が閉店するとの情報が入ってきました。店に置いていた アジアの情報誌も廃止になるとのことです。不景気の波がひたひたと押し寄せてきます。 生き残るのも大変です。(1.17)   「別れは出会いの始まり」   知り合いの画廊が店を閉める いままで読んでいた雑誌が廃止になる 不景気の波がひしひしと押し寄せてきます 目に映るものははかなく何時かは消え去るもの 目に映らない「思い」は個々の胸の内に残り 消え去ることはない 別れは出会いの始まり 「さよなら」は一時的なもの またの出会いのための別れ いつかまた出会えることを信じ「さよなら」は言わない 「ありがとう」と言いたい そして「また何時かお会いしましょう」
 妻がインターネット上で「もしもこの地球が100人の村だったら」の原文との違いを 書いた記事を見つけたと言っていました。もともとは1000人の村だったのがいつのまに か100人になり、内容も一部改作されているとか言っていました。先日、本屋でこの詩が ご立派な本になって店頭に鎮座していました。たった何十行かの詩だけで一冊のしかも、 ご立派な製本で格調高い?仕上がりなっていました。やはりです。偽善です。誰が企て たことか知りませんが、善意を金儲けにすり替えた商売人がいます。この詩の元々の 原作者は日本で自分の詩が改作され一冊の本となって出版されたことを知っているの でしょうか?著作権の問題をちゃんと解決しての出版だとすると原作者もくわせ者です。 世の中、欺瞞に満ちています。しかも、その欺瞞がもてはやされるのです。 おかしな世の中です。妻が調べてところ原作者(アメリカの科学者)はすでに亡く なっていらしゃるとのことです。 善意を金儲けに利用している人がいるということです。 (1.18)
 昨日、知り合いの画廊にいきました。画廊の常連さんたちで和気あいあいとした 雰囲気でオーナーの人柄だと思いました。私には出来ない雰囲気です。「サトルの冒険」の 読者の方もいらっしゃり「楽しみにしています」と励まされました。出歩くことを ほとんどしなくなってしまい、久しぶりに出歩きました。いいことですが、やはり疲れます。 時間があったら寝ていたほうが楽です。  「ハリー・ポッター(賢者の石)」カバーの裏の著者の紹介に「処女作」と書かれて いるのを見つけました。以前、藤原新也さんだったと思いますが「『処女』は差別用語 だからといって本の帯び紐に書かれていた『処女作』の文字が削除された」と本に書いて いたように記憶したいます。今回、処女作という言葉を見つけ今も言葉として使われて いることに少し安心しました。「処女作」が差別用語なら私は「童貞作」という言葉を 使おうかなと思っていました・・・?(1.20)
 「思考の断片」のコーナーをホームページに設けました。ガンガーで売っている月刊誌 「思考の断片」を掲載しています。あと聖書のコーナーの更新が一年以上されてなかった ので、古い書き込みは削除して、新しく「聖書」についての書き込みをすることにしま した。これはいつまで続くか分かりませんが、書けるうちは書いていきたいと思います。  アフガンの再建も少しづつ始まってきました。長い道のりになると思いますが希望が 見えてきました。いい事だと思います。戦争で協力するのではなく平和で協力することは 善いことだと思います。一方、ダイエーの再建は険しいと思います。日本経済のため政府の 胆入りでの再建ですが大変厳しいと思います。こちらは希望が見えてきません。自由競争 の中生き残れそうにないのですが・・・。一旦潰して、国営?の別会社でも起こして元社員 の雇用を確保して、負債は政府が肩代りでもしないと再建できないと思うのですが・・・。 脳死状態の患者(ダイエー)の一時的な延命策にすぎないような気がしてなりません。 (1.22) 
 ユニクロ神話が崩れ、アメリカ大手スーパーのKマートが倒産、負債額1兆5000億 不況の波は世界的に一段と高くなってきています。経済の停滞がもたらす不安が悪い方へ 悪い方へと人類を導かないことを祈りたいです。こうゆうときだからこそ生き方を変える 善い機会かもしれません。物の豊かさではなく、心の豊かさを追い求めたいと思います。  ある展覧会で何か足りない感じがして、作者の熱心さみたいなものは感じられるのですが、 対象をただの被写体としてとらえているだけで、愛情というか思いやりというか 何か暖かいものが感じられませんでした。ある人がその展覧会を見て「動きがない、もしか したら死体を撮っているかもしれない?昆虫の動きを捕えていればいいが・・・」と言われ ました。そうです、生きてないのです。ただ、最新の機械で精巧に捕えているようでいて、 何も捕えていない。ひとりよがりの傲慢な作品なのかもしれません。これも人柄だと思いま す。謙虚さがないといけません。その人は「この人は自身満々だから、私の言ったことは 本人に言わないように」とも言われました。「思いやり」です。展覧会の主は多分、自分 の欠点にきずくことなく、同じような作品を撮り続けるのだと思います。「知る」ことなく 幻想の中、自己満足の殻を破ることなく人生を終えられるのでしょうか?(1.23)
 雪印食品の牛肉産地偽装事件は組織の中の個人の存在意義を問うているようような気が します。事件に関わった一人一人に聞けば「悪いことと思いながら、組織の中の自分の立場を 守るためしかたなくやりました」このようなことを言うのだと思います。自分の立場を守る ための自己防衛です。以前からこの「自己防衛」について「思い」のコーナーで書いてきて います。自己を守ることに過剰防衛するとかえって害になるのです。 子供のころの純真さは大人になるにつれ世間の垢にまみれ、その垢は自己を守るための殻と なり、自己防衛をする。そこからはみずみずしい発想は消え、世渡りの術に長けた人生を 送ろうとするのです。幼子の「純真」は殻の奥の奥に隠されて、いつしか忘れ去られて しまっているのです。もう一度「純真」を取り戻すためには殻を壊さなくてはいけません。 組織の中にいるとなかなか壊せないのです。一個人に戻り、人生を問い直すぐらいの出来事 が起こらないと自分からは出来ないことかもしれません。目に見えない「創造主」なり 「本質」(ブラフマン)を「知る」こと、あるいは「認める」ことができるのはこのような 出来事を通して始めて可能なのかもしれません。歴史という時の流れの中で時代が個人の 存在を問うているのかもしれません。自分の存在を問い直す必要があります。「雪印」という 会社組織は社会のニーズから見放され、消滅するかもしれませんが、社員の個々の人達は 残ります。組織の前に個人が問われる時代だと思います。(1.24)
 田中外相、鈴木宗男、野上次官、三者の言い分を聞いていたら羅生門を思い出します。 真実はどれか?お互い自分の保身?のため相手が嘘を言っていると主張する。田中外相は 真実を暴くため嘘を言っているようですし、鈴木さんと野上さんは真実を隠すため嘘を言って いるようです。真実は別のところに行ってしまい、三人漫才が演じられているようです。 雪印食品事件と似たようなことです。個人の資質が問われます。 (1.25)
「本質」を直感的に掴む、田中外相の優れたところですが、その後の感情的対応が残念です。 間違っていないが手法が・・・。でもこういう人がいることはいいことです。対抗勢力を 浮き彫りにしてくれます。ただ回りの人達は大変だと思います。「本質」は何処に在るか、 これが大切です。  聖書に関連した本を読んでいましたが、何か面白くないのです。日本を代表する聖書研究者 の一人と言うと本人は多分「違う!」とお怒りになるかもしれません。研究者ではなく、 伝道者といえばいいのかもしれません。彼の本ではすでに解答が用意されているのです。信者 にとっては安心の元、支えとなるような内容です。私も参考になりますが、何か違うのです。 間違っているとかいうのではなく、「本質」を知るにはやはり人の説く教えではなく、 「本質」そのものから直接学ぶべきなのです。ここでは「聖書」です。 聖書から直接学ぶべきなのです。よって聖書の解説書は読まないことにします。多分、 自分勝手な解釈に終わる可能性がありますが、もともと昔は「聖書」しかなくイエス のいた時代では旧約聖書しかなかったのです。新約と旧約さえあれば充分です。 「本質」はこの中にあるはずです。ただ、前にもいいましたが、信仰心をもって読まないと ただの本です。そこからは何も得ることはなく、かえって害になるかもしれません。 以前「コピー」文化について書きました。コピーをいくら勉強してもしょせんコピーなの です。聖職者の話した言葉あるいは書いた物をああでもない、こうでもないと勉強しても 「本質」を学ぶことにはなりません。参考あるいは助けにはなりますが、それ以上でも 以下でもないのです。信仰は人から人へ伝わるものだといいました。それは人格を通して の伝達です。書物を通してではありません。「聖書」は違います。これはただの書物では ないのです。キリスト教の「本質」が隠された、生きた書物?です。「生きた書物」って 何でしょうか?「真理」がそこに在ると言いたいのです。??? 「真理」ってなんでしょう?またまた堂々巡りをしそうです。キリスト教の「真理」です。 キリスト教の「真理」が全宇宙の「真理」かというと・・・? キリスト教においては全宇宙の「真理」ということになっていますが、・・・? キリスト教の「真理」が全宇宙の「真理」かどうかはいま一つ分かりませんが、 「真理」に間違いはないのです。(敬虔なクリスチャンではないのかもしれませんが、 信じたいとの思いはあります)  探すこと自体に意義があり、探しているものがかりに見つからなっかたとしても、 それはそれでいいのかもしれません。信仰とはそういうものかもしれません? 分かったようで分からない不可解なものが存在することに意味があるのかもしれません。 禅問答みたいです。(1.26)
「世界がもし100人の村だったら」の出版についての記事が中日新聞に記載されていました。 もともとの著者はアメリカの環境学者ですが、この本は別の日本人が原文を変え、「再話」 という形での出版にしたとのことです。原作者は著作権を唱えることなく亡くなられたのだと 思います。印税は途上国の支援団体に寄付するとのことです。しかし、本にするのなら原文の まますべきだと思うのですが、数字の整理とか言われていますが、そんなことよりも原作者の 「文」を大切にすべきだと思います。やはり別の意図が見えるのですが・・・。(1.27)
 努力はしているが結果が伴わない、結果がすべての世の中、努力は評価されることなく 罵倒に等しい言われ方をされる虚しさ、ただ黙って罵倒を聞くしかない惨めさ、そんなとき「聖書」 マタイ福音6章25節〜34節を読むと救われます。「思いわずらうな、思いわずらうな」と 癒しの声をかけてくれます。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、 これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」現実の苦しみから解き放たれ、癒しの 救いを与えられる喜び。神の国を乞い求める心が現実の苦境からの「救い」をもたらす。 信仰とはこのような弱き人のための助けであり、強き健康な人には必要ないのかもしれません。 「わたしは病人のためにきたのであり、健康な人に医者はいらない」このようなことを イエスは言われています。ただ、健康な人などいるのでしょうか?誰でも病気はしますし、 死にます。「健康な人」とは?自分は健康だ、神などいらないと思い込んでいる傲慢な人を 差しているのだと思います。キエルケゴールが「死にいたる病」という本を書いています。 「死にいたる病」こそがこの「健康な人」が陥る病かもしれません。(1.29)
 田中真紀子さんがついに辞めさせられました。大橋巨泉さんも辞めました。 組織の中の個の存在が問われ、二人とも個の存在を優先した結果の辞任だと思います。 組織の正義と個の正義がかけ離れているところに問題があるのだと思います。 組織の改革(構造改革)は何のための改革なのか?小泉首相に問いたい気持ちです。 田中さんの正義(自分の思い通りに部下を動かしたいだけだったのかも?)が通らないのを 見殺しにして、抵抗勢力をかばう形で田中さんの首を切る。 「抵抗勢力は協力勢力と思いなさい」という小泉さんの言葉は妥協という条件があっての 話なのかもしれません。田中さんのプライドはずたずたに引き裂かれたことだと思います。 この後どう田中さんが動くかが興味あります。この一連の事件を振り返って思うにNGOの 大西さんが「鈴木宗男」さんの名前を出さなければ今回のような展開にはならなっかったと 思われます。田中さんはこの大西さんの発言を聞いて、この機会に言うことを聞かない野上 事務次官を更送しようと「わたしも鈴木宗男議員の名前を事務次官から聞かされた」と嘘を 言い、今回のどたばた劇に発展したのだと思います。(1.30)
 今日の新聞や昨日からのテレビで「田中真紀子さんは今回にかんしては間違ったことは していない」という批評家が圧倒的ですが・・・、私は「野上事務次官が鈴木宗男議員の 名前を言った」という田中さんの発言は嘘だと思っています。真実をあきらかにするため 嘘をいい反対勢力を燻り出そうと画策した結果、同士と思っていた小泉首相によって返り 討ちにあったのだと思います。同士を討った小泉首相は自己防衛したのだと思われます。 ただの自己防衛です。改革をするための自己防衛はつまるところ改革ではないのです。 大橋巨泉さんも辞めてからいろいろ言ってらっしゃいますが、この混乱を外から批評家の ように傍観者的発言はいま一つ説得力がありません。一部の世論調査では小泉内閣支持率 が17%まで落ち込んだと聞きました。もしこれが事実なら構造改革は後回しにされ、 その場しのぎの景気対策が優先され小泉さんの存在意義がなくなります。内閣改造で、 緒方貞子さんを外務大臣、副大臣に鈴木宗男さん、田中真紀子さんを官房長官、 舛添要一さんを金融相か日銀総裁に任命すると面白いかもしれません。(1.31)   
 
  「お知らせです」   新しいホームページのアドレスは        http://www.ccnet.ne.jp/~ganga Eメールは  ganga@ccnet.ne.jp です。


生徒募集!   植物画クラブ「アトリエ花」  植物画をいっしょに描きましょう。      日時:月曜日午後2〜4時。月2〜4回     入会金:2000円 月謝2000円〜4000円 場所:ガンガー梅森店 日進市梅森町上松661ー6 TEL(052)806ー5547又は  806ー5570  
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