2002年3月の「思い」


 ゲームにはまり書き込みを避けてきましたが、そろそろ復帰できそうです。
ときどきはまるのです。まあこれも私なのです。そのうちしだいに罪悪感にさいなまれる
ようになりだすと元の生活に復帰ができます。創造とは別世界の自己陶酔型逃避とでも
いえばいいのかもしれません。「思考の断片」3号も1週間遅れの発行となりました。
興味のある方は店までおいでください。
 小泉さんの次ぎは誰が日本の首相になられるのでしょうか?人材不足は国の衰退を意味
するのではないでしょうか。小子化がもたらす国体への影響は怖いものがあります。
 飽和状態はいろいろな危険性を内に含んでいることを意味していると思います。
世界経済の飽和状態、人口の飽和状態は危険性を内に含んでいます。
自由経済は貧富の差があって始めて成り立つのではないかと思われます。
経済の飽和状態は好ましくないのです。何処かが富、何処か貧しくなくては困るのです。
富める国はあえて貧しい国を作りださなくてはならないのです。アメリカは戦争をもって
この飽和状態を打破しようとしています。アフガンでは成功しましたが自国の利益ばかり
を追いかけているとそのうち墓穴を掘ることになると思います。  (3.7)
 「聖書」創世記8章「ノアの箱船」についての一考 ギルガメ叙事詩というものが発掘され一躍有名になり、日本に紹介されたのがかれこれ 二十数年前だと記憶しています。メソポタ文明の一時期、この聖書の「ノアの箱船」と 酷似した物語りがあり、その言い伝えを証明したのがこの粘土版のギルガメ叙事詩の 発掘だったと記憶しています。歴史的証明をもって聖書が理解できるものでもなく、 人類の歩みそのものが聖書の真実性?を現わしているような気がします。良い意味でも 悪い意味でも、人類の歩み、歴史が聖書という書物を生み出したのだと思います。 「ノアの箱船」を読むかぎりは矛盾だらけの物語です。象徴として書かれているものと して理解するべきものなのか?歴史の垢(あか)を取り払い、自己の垢も取り払った時 本当に聖なる書として理解できるのかもしれません。  (3.12)
 ここ二、三日店が忙しくなりました。暖かくなり、そろそろカレーの出番が回って きたのかもしれません。国会があわただしく動いていますが、今回の出来事の発端は NGOの問題から始まりました。このことに対する政府と小泉首相の対応はおかしな ものです。鈴木宗男さんのことが大きく取り上げられていますが、その鈴木さんに 対する対応において政府と小泉さんは明らかに間違っていました。そのことを棚に上げ 小泉さんは世論の情勢をみながら、鈴木さんに対して強い対応に変わりつつあります。 田中真紀子さんへの対応にたいする間違いを口にすることなく悪者・宗男たたきで 自分達のミスを隠そうとしているようです。小泉さんは田中さんに謝るべきです。 「私の判断ミスでした」と国民の前に明言すべきです。
 『「サトルの冒険」が止まっています。理由があるにはあるのですが・・・。 純粋に書くことに専念出来ないモヤモヤしたものがちらほら漂ってきます。 「サトルの冒険」を連載することに対しての必然性を見失っているのです。 純粋にならなくてはいけないのですが何かと邪推が漂ってきます。 蒼生舎通信に連載することへの抵抗がそこにあります。これらは書けない言い訳 なのかもしれません。「いい人」に満たされた人達の集まりに関われないことへの 疎外感からくる邪念が創作という純粋性を犯し「書きたくない」という思いへと 誘うのです。こんな状態では先へ進めません。私の勝手な言い分ですが、 一度「サトルの冒険」の筆を置いて、冷却期間を設けたいと思います。』 こんなことを書いてみると邪念が払拭され、新たな創作意欲が沸き起こりました。 久しぶりに「サトルの冒険」の書き込みができました。このまま一気に先へ押し進め たいと思います。(3.14)
 この書き込みを幾人の人が読まれているのやら?昨日「サトルの冒険」の書き込みが 進まない言い訳を被害者意識で愚痴ぽく書き込んでしまったら、即、蒼生舎の関係者が わざわざ店に来て下さり、連載への励ましをいただきました。これは偶然なのか? それとも私の愚痴を聞きつけ来られたのか分かりませんが、いたく励まされ創作への わだかまりが消え去りました。些細なことですが大切なことです。 「ありがとうございました」来てくださったお二人に感謝します。  たまたま手に入れた某宗教の教会員への雑誌に『「ハリー・ポッター」についての警告』 という記事を見つけました。内容は「悪魔を讃美するこの著書は神を冒涜しているもので、 読んではいけません」という内容でした。いろいろな人の感想も書かれていましたが 捏造としか考えられないような内容です。著者は悪魔崇拝で神を冒涜することを、 このように言っているとその内容も明記されています。あほらしくて読んでられません。 あの物語のどこにイエス・キリストが弱く、愚かな者であるなど明記してますか。 こんな記事を信者は鵜呑みするのでしょうか?多分するのでしょう。怖いことです。 一種の「魔女狩り」です。信仰というなの傲慢がなせる偏見です。 世の中「正義」という名での差別、偏見が蔓延しています。 裁くのは神であり人ではありません。宗教家の陥りやすい過ちがこの「裁き」です。 人を裁く難しさ、裁いてるその本人が実は裁かれているのです。私も反省しなくては いけません。(3.17)
 内の店の常連さんから「いらない土地を処分したい」と相談を受けたので、 田舎暮しをしたい知り合いに連絡をとったら「遠慮します」と言われ、それなら 他の人にと思って考えたら、私でも買えるお値打ち価格なのです。ひょうたんから駒 です。思いもしなかったことですがその土地を私が買うことになりました。 軽井沢の別荘地に土地を持つ。夢のようですが棚からぼた餅的出来事でした。 浮かれて自分を見失わないように慎重にことをすすめたいと思います。 必要と思われる人には縁がなく、必要だと思っていない私に縁が転がり込んでくる。 私とその常連さんの関係があっての縁なのですが、でもよくよくその土地の経緯を聞く と不思議な巡り合わせとしか思えないような経緯なのです。縁は大切にしたいものです。 (3.22)
 土地の話からちょっと気分が高揚しています。不景気のご時世、買いたくても買えない 方がいるのに贅沢な話です。聖書の使徒行伝第5章にアナニアとその妻サッピラの出来事 が書かれています。教会に資産を提供するにあたり二人は売った資産の金額をごまかすの ですがそのことに対してペテロ(神?)は死を二人に与えます。神に対する欺きの罪です。 怖い話です。神が直接二人に死を与えたとは書かれていません。ペテロの言葉によって 死がもたらされたような書き方になっています。教会組織の有り様を象徴しているよう にも受けとれます。神という名を使って組織を維持するいまの教会組織の原形をみる ようです。この出来事だけでこの二人に死が与えられたとすれば、よほど心して信者に ならなくてはいけません。生半可な気持ちでクリスチャンになるとすぐ殺されてしまい ます。律法によって死がもたらされ、イエス・キリストを信じることで救いがもたらされ、 永遠の命が与えられる。さあ信じなさい!これは何なんでしょう?アメとムチ。 マインドコントロールするためのプロセスなのかもしれません。こんなことを言うと 悪魔の手先といわれそうです。何でアナニアとサッピラの出来事が記載されているのか? 後世の書き込みのような気がします。教会運営のための処世術?あるいは信者への教訓?  物を多く持ち過ぎる(欲を持つ)と物事を判断をするときに的確な判断が出来にくく なる可能性があります。気を付けなくてはいけません。  小泉総理がそうです。無欲で総裁戦で戦い橋本派を蹴散らしたのに、総理になると 欲が出てきて田中真紀子さんの問題で判断を間違え、ついには橋本派に寄生しながらしか 生きていけなくなってしまったようです。煩悩渦巻くこの世の中を無欲で生きて行くには よほどの覚悟が必要なようです。難しいことです。(3.23)
 辻元晴美さんずっこけました。将来の日本政治を背負って立つ人材と期待していた だけに残念です。事務所全体で行なっていた感があります。本人もうすうす気付いて いたのではないでしょうか?小泉さんがずっこけ、辻元さんまでこけたら日本の将来は ???田中さんも起爆剤としては貴重ですが、実務の政策実行となると疑問があります。 誰と組むかだと思います。小沢、石原、管さん他にいるのか?  明日は店を休んで、軽井沢に日帰りで行ってきます。息子と妻は卒業旅行で瀬戸内海の 島に2泊3日の旅行に行きます。明日はハードな一日になります。事故に気を付け楽しみ たいと思います。店は月曜だけ臨時休業で火曜日から平常営業ですのでよろしくお願い いたします。 (3.24)
 辻元さんの人格はどうなっているのでしょう?「バレなきゃいいや」浪速女の心意気。 宗男さんへの質疑で税金の還流のことも言っていましたが、自分のことは棚に上げて 平然と攻撃していらっしゃるその精神はまさしく犯罪者特有のものではないでしょうか? 善悪の基準が固定していないのです。善悪の基準が絶対的なものではなく基準が相対的に 変わるのです。詐欺などの犯罪者の多くがこのタイプだと思います。自分が基準なのです。 「さようなら晴美さん」いつの日かまたお会いできることを期待しています。 しかし、辻元さんが議員辞職されるのならもっと悪者の宗男さんが辞職しないのは 納得できません。ぜひとも刑事告発されるべきです。野党は踏ん張りどころです。  「軽井沢は遠かった」感想です。シーズンオフだったので道路はすいていましたが、 6時間かかりました。もっと近ければいいのですが・・・。 土地は納得のできるものでした。軽井沢というブラインドを取るか、現実に必要かどうか という利便性をとるかです。後日、家族会議を開いて決めたいと思います。  新聞を読んでいたら辻元晴美さんの両親が名古屋でうどん屋をやっているそうです。 カレーうどんやってれば食べにいきたいです。行ったら晴美さんが店で働いていたりして、 可能性無きにしもあらず。(3.26)
 昨晩、NHKで安部譲二さんが思い出の地イギリスを尋ねて亡き父への思い出を 語る番組がありました。青春の懺悔と後悔を綴った内容でした。何を彼は言いたかった のか?自分は父に愛されていたのに反発ばかりしていた、親不幸者を再確認しただけ なのか?父の小説を書きたいと言っていましたがどういう父親像を描くのか? 感傷的讃美で終わりそうな内容でした。痛みは人それぞれ違います。恵まれた環境で 育ち、その環境に反発した青春、そこから何を得たか?恵まれた環境に私は反感を感じる のかもしれません。恵まれた環境に感謝の気持ちが持てなかった安部さんへの反発です。 ただの父親讃美ではファザコンで終わります。(3.30)
 イスラエルとパレスチナが大変です。宗教の名のもと聖戦?を繰り返す愚かさを 止める手だては・・・?世界の宗教家は何をしているのでしょうか!政治ではなく 宗教の問題なのです。自爆テロでしか対抗できないパレスチナ人、悲惨です。何が この世界が100人の村だったらですか!のほほんと対岸の問題として受け止め、 自分達はこちら側にいて悲劇を憂うだけです。そういう自分は何が出来るのか? ホームページで鬱憤をはらすだけです。ブッシュ大統領はアラファトさんを非難して イスラエルを擁護しています。シャロン首相とぐるになっている感が拭えません。 何を企んでいるのやら?アメリカの良心に訴えたいです。 ブッシュさん「聖書」に恥じないですか?私に出来ることは何か・・・?(3.31)
 昨日は徳林寺(緑区相生山)の「花祭」と映画「ロード・オブ・ザ・リング」に 行きました。  徳林寺では知り合いがあちこちにいて「やあ!」と声をかけながら 話をしてまわりました。絵本作家の伊藤昭さんともゆっくり話ができ、私の童話の感想 も聞かせていただき楽しく過ごせました。「ありがとうございました」 いままでどうり何ものにも囚われず、自由に創作活動を続けていくつもりです。  「ロード・オブ・ザ・リング」内容を知らないで見て、こんな内容だったのかと 思わされました。本を読むつもりはありません!どろどろしたこの世の中を象徴して いるような大人の御伽(おとぎ)話です。3時間は長かったです。息子が疲れからか? 頭が痛くなり「もう映画は見たくない」と悲鳴を上げていました。密室で空気は悪いは 椅子は子供に合わないやら彼には苦痛の3時間だったみたいです。家でレンタルビデオを 見る方が楽です。わが家では当分映画館には行かなくなりそうです。 (4.1)
  
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