2002年5月の「思い」


   ごきぶりの童話を作り出しました。百科事典で「ごきぶり」を調べると おもしろいことが出ていました。秋田県やヨーロッパ、フランスの一部では この「ごきぶり」を守護神として大切に扱われている地域があるそうなんです。 やった!そうこなくっちゃあ、「ごきぶり」への偏見を無くそうキャンペーンを考え ていた私としては胸を撫で下ろす思いです。おもしろいですね、一般的には嫌われ者 のごき(ごきぶりのことを以後ごきと記します)を守護神として扱う地域があるなん て嬉しくなります。最初に守護神として「ごき」を崇めたのは誰なんでしょうか? 興味がわきます。他のことでも同じ様なことが沢山有るはずです。すべてを同じ価値・ 生命として認めることがなぜ出来ないのか、人の側の選びの問題です。 選ぶ行為自体に見下ろした感覚、優越感的な思い上がりがあるのだと思われます。 人にとっての都合上の選び、以前から言っている私論の「いい人論」です。 生命全体にとっての選びではなく、人類の都合による選びなのです。 偏見を無くし、総てを同じ命として認め合いましょう! 「ごき」を虐待から守りましょう!といいながら店の「ごき」を殺している私です。 自己防衛と主張しても矛盾を含んだ思考です。 理想と現実のギャップ、罪悪感にさいなまれる私です。(5.2)
 人知れず静かにいられることの幸せと自分の思いを世に問うことのできない矛盾。 必要ならばいつか思いはかなえられることと信じ、今を生きる。必要でなければ かなえられないだけと割り切って生きられる人生はすっきりしていて私らしいと思う 今日この頃です。宇多田ヒカルさんが入院されたとの報道で心配したファンが彼女の ホームページに1200万件ものアクセスをしたそうです。このアクセスの多さは ただものではありません。わたしが入院しても心配してくれる人は数十人か数人です。 ははは、開き直って笑えてきます。私の作品たちも多くの人の目に止まることなく、 消えていくのでしょうか?神が良しとすれば、すべて良しです。ははは、笑えてきます。   (5.7)
 息子が中学に入りクラブ活動を始め、小学校とは違う学校生活になじんでいる みたいなので私としてはこれでいいのではないかと思っているのですが、妻は勉強の ことが心配で私の中学生のころの話を聞きたがります。 「あなたの失敗を息子にさせたくないから・・・」 私は中学の3年間成績は常にトップを走り、三年間の偏差値が4.63という成績で した。ただ、進学校に進みましたが、一年の2学期の途中から燃え尽き症候群とでも いうのでしょうか、結局登校拒否をしだし、三学期の途中で退学して翌年国立高専へ 新しく入学し直しました。高専でも成績は常にトップでしたがこれまた卒業するころ には別の方向へ進みたくなり、就職することなく文系大学への受験をしたのです。 この受験に失敗してから転々と職探しをして現在にいたっています。 なぜ学業を生かせないのか?ただ成績だけがよくてその先の目的がなかったのです。 なんのために勉強するのか、勉強を生かすすべをしらなかったのです。目的も無く 成績争いに精を出していたみたいです。「あなたの失敗を息子にさせたくないから・・」 私は失敗とは思っていないのですが、世間では失敗とみなすのでしょうか? 人生経験として誇りにさえ思うところがあります。やれば出来るという意味では自信に つながっているのだと思いますが、妻は「その自信過剰は何処からくるの」とよく 言います。多分この辺からくるのでしょう。あとこの中学時代には別の家庭内の問題 が大きく影響していると思われるのですが、このことは語ることができません。 私の奥底に潜むものはこのへんから生まれたのだと思います。トラウマかもしれません。 あと高専では一生の師と仰ぐことができる恩師に出会えたことだけでも高専に行った 価値があると思っています。このコーナーで私的な問題を書くことは珍しいことです。 妻の言葉がやはり引っかかるのでしょう。「あなたの失敗を・・・」(5.8)
 同人誌蒼生舎通信の連載小説「サトルの冒険」が来月で第20回になります。 何度か挫折しそうになりながらもここまで続いていることに驚きを感じ得ません。 やっと終わりが少し見えてきました。このまま静かに終わらせるつもりです。 あとしばらく遊べます。次何をするか?次の書き物を構想中です。小説に力を入れると 詩の方がおろそかになる傾向が有ります。この辺のバランスを考えながら進めたいと 思っています。 (5.11)
 今日は寝不足のうえに、午前中いろいろあり、昼ですでに疲れてしまいました。 知り合いの詩人・堀雅子さんから作品(詩集と童話)の感想をいただきました。 大変好意的に受け止めていただき励みになります。彼女から「サトルの冒険」を読んで みたいとのご要望が有り、昨晩さっそく原稿の校正にとりかかったのですが、書きっぱ なしでいままで校正していなかったので、改めて読み直すと粗が見え、書き直しをして いたら寝不足になってしまいました。原稿の量がかなりあるので当分この作業に追われ てしまいそうです。  いまうちの店で個展をされている田原、小川さんご夫妻が来られ、世間話をしていたら 「(私の)ホームページをちょくちょく見てる方がいらっしゃいますよ」と言われました。 私はまったく個人の日記のつもりで書いていて、見てくださる方のことを考えずに書いて いました。思い当たる節がなきにしも有らずだったのですが・・・。 いままでは偶然だろうと思っていたのですが、そうなんです。見ていらっしゃったのです。 心して書かなくてはいけません。でも意識しすぎると書けなくなりそうなので、やはり 日記として、独り言として書くしかありません。 私の書き込みに失言、暴言がありましたらお知らせください。  先日の「あなたの失敗を・・・」の妻の言葉を聞いた後、私は新作の童話 「泣き虫ゴッキ」を妻に見せました。 彼女はそれを読んだ後からは「失敗」の話をしなくなりました。ペンは強し! (5.14)
 昨日は夜おそくまである会の親睦会があり、仕事柄付き合っていたので疲れが 取れないまま朝になってしまいました。こういう日もありです。色々な人が個性豊かに 存在感を漂わせていましたが表面の見栄えと中味は?嵐のように語り、去っていった人 もいれば無口にただ聞いているだけの人・・・、でも誰も自分のことか、目に見えること しか興味をしめしていないようです。何を言わんとしているかといえば、 もっと大切なことが有るのにそのことに気付かないのです(わたしが勝手にそう思い 込んでいるだけかもしれませんが)。何が大切か、静かに心の耳をそばだてることです。 聞こえる人には聞こえ、そうでない人には永遠に聞こえない声があるのです。 私は何も語りはしません。私の存在がすでに何かを語りかけているのです。だから私から は何も語りはしません。聞こえる人を待ちます。その人には語らなくてもそちらから 問いかけてきてくれます。そう、あなたもそういう人であってもらいたいと思います。 まだ見ぬ友へ。    知り合いに葉書をかいていたら短歌ができました。      
見えざる手に    つなげられしは    我と友    生きる糧にと    与えられにし    こう原病の神野君の了解を得て、来月の彼の個展を新聞に掲載してもらう話を知り合い の新聞記者に頼みました。病魔と闘いながら創作活動をする彼の姿を通して生きる意味を 考える機会になればと思っています。記者からも二つ返事で了解をえました。  彼の個展のチラシに「夜露死苦」とありました。ただの当て字なのか、死ぬ苦しみを 日々味わっていることを暗示しているのか?本人に確認したいとおもいます。 のほほんと生きている私達は死をもって生の意義を知らされるのです。死が身じかに感じ られることはある意味で貴重なことかもしれません。それだけ生きる大切さを身をもって 知っているはずですから、中にはそうでなく苦しみから逃避してしまう人もいるかも しれませんが・・・。(5.15)
 本来、小説を読まない(読むのが嫌いな)私が小説(サトルの冒険)を書くこと自体 おかしなことなのです。校正と書き直しをしていて文章を推敲することが面白くないと 思う私はやはり小説(長文)には性格的にむかないのではないかと思いはじめました。 でも「サトルの冒険」は完結させなくてはいけないと思っていますので、関係者の方々は ご安心ください。詩の方が性格的にはあっていると思えます。発想と瞬発力でさっと 書き上げる詩の方が相に合っています。そういいながら最近の詩は魂の抜けたものが多く 反省させられます。右に左に揺れながらヤジロベーは悩みます。(5.17)
「『世界ふしぎ発見!』という番組で第二次世界大戦後、ドイツの人々をチフスの猛威 から救った日本人医師、肥沼信次さんの知られざる奉仕とその死に様を見て思った こと」  肥沼さんのように公になることなく名も無く他の人のために死んでいった人は世の中 数多くいらっしゃることと思われます。肥沼さんはいまだドイツのブリーツェン町で、 彼のことを命の恩人と覚えていてくださる人々がいらっしゃるからこそ このようにマスメディアが取材して放映されたのだと思いますが、これがあと百年 もすると彼も完全に忘れられていることでしょう。死後、身内の者にも知られること無く 数十年が過ぎてから彼の奉仕活動は公の目に止まり評価されることになるのです。  誰かが覚え記憶していなくては公になることはありません。誰の目にも止まること無く 他の人のため自分の命を捧げる様な行為を誰が評価してくれるのでしょうか? 誰も評価してくれないとなるとあまりにみじめです。 すべてを見ている神のような存在がいなくては不公平です。 誰も見ていなくても、神が見ていてくれていると思えるとき、人は心強く生きて行ける のだと思います。人の存在はその人を認めてくれる他の認識者がいて始めて可能なのだと 思います。誰も一人では生きて行けないのです。言い替えれば自分を認めてくれる人を 探し求めて歩む行程が人生そのものなのかもしれません? これは「サトルの冒険」のテーマになります。 実のところいままで具体的な目的もなく思いつくがまま「サトルの冒険」を書き連ねて きていたのが正直なところなのです。その思いつきは見えざる声?というと何か 神がかり的で私としては嫌な表現です。心のおもむくまま素直に書いてきたつもりです。 ここにきてやっとテーマがみつかりました。このテーマは以前からうすうす気付いて いた節があるのですが、今日始めて自覚できました。 「サトルの冒険」のテーマは以下です。 「自分を認めてくれる人を探し求めて歩む行程が人生そのものなのです」 サトルは母のため薬を求めての旅に出ます。母を救うための旅は結局サトル自身の自分 探しの旅だったのです。 人生とは自分の存在を認めて、さらに愛してくれる人を探し求める旅なのです。 それは恋人であり、妻、夫であるのですが、究極はすべてを見つめているところの 「創り主」を知る旅なのです。宗教的に語るつもりではありません。人間以外の 何物かが存在してすべてを見通しているそんな存在を「知る」ことが人生に与えられた ところの尊い価値かもしれません。でも「創り主」などを持ち出すと片寄った宗教と 勘違いされると困るので、愛する人、恋人、妻あたりで終わらせるつもりです。 「すずなりの樹」あたりが私の言いたいことを象徴的に表現しているのかもしれません。 今日の書き込みも「世界ふしぎ発見!」のテレビ番組からの思いつきを書き連ねて いたらこんな結論がでてきました。書く前は思いもしなかった結論です。 「サトルの冒険」のことにつながるとは考えもしませんでした。ふしぎ発見!です。  (5.19)
 ラジオをたまたま聞いていたら、面白い話をしていたのでその内容をかいつまんで 書いてみます。うすら覚えです。 「ヨーロッパ大陸では出血してもすぐに血が固まってしまう特異体質の人が人口の7% いるそうです。ところが東南アジアの農耕民族にはほとんどこのての特異体質はいない とのことです。なぜ、いないか。その逆にじゃあなぜヨーロッパには7%もいるのか? それは狩猟民族は怪我をしたとき薬の発達していない昔は出血を止めるのに時間が かかることは命にかかわることだったのです。怪我に時間をとられては敵などに攻撃を されたとき防ぎようがなかったからです。そのような時、自然と出血が止まってしまう 体質は強い者の必要条件だったのです。一方、農耕民族はそんな心配がないので必然的に そのような特異体質は生まれなかったのです。平和?で薬の発達した、いまとなっては この特異体質は血液を固める血小板が多いため、かえって動脈硬化などを引き起こし やすく、かえって嫌われる体質になってしまっているそうです」 このような内容だったと思います。話は私ごとになりますが、わたしはヨーロッパの7% の体質ではないかと思うのです。小さいころから血が出ても、すぐに止まりました。 ふしぎなほど早く出血が止まるのです。薄々特異体質ではと思っていたのですが、 動脈硬化になりやすいといわれるとちょっと心配にもなります。それに東南アジアには いないとなると、わたしは日本人ではなくヨーロッパ系民族の子孫なのでしょうか? そんなこともないと思います。ただ人より血小板が多いいだけだと思います。 動脈硬化に気をつけなくてはいけません。わたしは細く長く生きるのが夢ですから。  「サトルの冒険」の校正と書き直しが順調に進みだしました。今月中に終わらせたいと 思っていますが、このままのペースだと大丈夫です。原稿が少しずつ増えていくと 一冊の本にしたくなります。物語りが完結したら、いろいろな人の意見を聞いて 考えたいと思っています。(5.22)  
 「サトルの冒険」はまだ完結していませんが、本にするための表紙を昨晩作りました。 気の早いことですが、パソコンの前の壁にその表紙をはっています。日々みることで 完結への意欲をもりたてたいとの思いからです。  兵庫県の女性からお手紙をいただきました。彼女の私の作品に対する反応を聞くのが 楽しみになってきました。実に素直に反応して下さり、私のよき理解者の一人です。 彼女も「サトルの冒険」を楽しみにしていてくださるそうなので、いっそうの励みに なります。(5.23朝)  突然ですが、「サトルの冒険」完結しました。 原稿用紙約162枚「やった!」って感じです。 島でのことをもう少し書き、物語を引き伸ばそうかと思っていたのですが、ふとした ことで終わらせることにしました。なにげない電話のやいとりの中で、相手の方が 「『サトルの冒険』終わったの?」と聞かれたのがきっかけでした。そうか終わらせる こともできるなと思いたち、さっそく終わらせました。 これはこれでよかったと思っています。ながながと延ばしてもつまらなくなるよりは 丁度区切りがいいところだったのです。今日の朝の書き込みから数時間のうちに急転直下 で、完結へとなりました。不思議なことです。昨晩の表紙がこんなに早く使えるとは・・・ 嘘のようです。いまは達成感でいっぱいです。一年八ヶ月長いようで、終わってみると あっけないような気もします。しかし、文章が残り、一つの形として残せたことは 意義深いことだと思います。このさきこの「サトルの冒険」をどのような形で発表するか 知り合いの方々の知恵をかりていきたいと思います。(5.23)
 次なる物語を書き始めました。以前、一度書いた童話「なにわともあれ村のアシカレ」 の再登場です。アシカレの遊びをシリーズで書いていく形式をとり、最終的に一つの 物語になればと思っています。最初は「ターザン」の巻です。 わたしの詩集にある「ターザン」をテーマに、その背景を書き込み一つの短い話に するつもりです。つぎは「ハエ殺しのジョニー」、「卓球」そのつぎが「イチゴがり」 さらに「みつばち」、「台風」と続く予定です。このシリーズを「蒼生舎通信」に連載する つもりです。後2〜3ヶ月したら連載が始まると思います。 まだ「サトルの冒険」の連載が続いていますのでその後からです。 はやばやと「ターザン」ができました。次の「ハエ殺しのジョニー」もできそうです。 (5.24) 
 「ハエ殺しのジョニー」書き終わりました。 次の「卓球」も昨日詩の方を作りましたので、その背景を書き込めばできあがりです。 ちょっと待てよ、昨日の詩は大人になったアシカレの思い出としての詩になっています。 ちょっとこれは使えません。・・・別の詩を探します。そうそうツバメの詩がありました。 これを使いましょう。次は「つばめの赤ちゃん」です。(5.25)
 「つばめの赤ちゃん」できました。一昨日から筆が進みます。書ける時に書く が基本です。また書けなくなるのです。そして、また幾日かすると書け出すのです。 そのくりかえしをしてきていますので、自分のリズムがだいたい分かってきました。 次は「イチゴがり」にします。これは話だけにするつもりです。途中、詩ができれば 載せるかもしれません。  妻が「サトルの冒険」を読んでいますが、現実の私の生活態度と小説で言っていること の差がありすぎると苦情?をいいます。表面の現象をみているだけで、その裏の「思い」 を読み取っていないのだと私は反論したいのですが、私は何もいいません。 人が語り説明することではないのです。分からない人には分からないのかもしれません。 「真理は少数と共にあり」自己満足の思いから言っているのではないつもりです。 答は自分で探さなくてはいけません。私の答は私だけのものなのかもしれません。 答を共有できる友が多く現われることを願っています。 「イチゴがり」の詩ができました。さっそくアシカレの話に使わせてもらいます。 (5.26)
「サトルの冒険」を書き終え、一年八か月の感想を書こうと思っています。 後日のおたのしみです。 先日の「鉄板卓球」の詩を使って、やはり物語を書くことにします。 これもたのしみにまっていてください。(5.28) 
 以前書いた童話「なにわともあれ村のアシカレ」を今回の連載シリーズに入れました。 アシカレの仲間の名前を訂正してそのまま第六話「ハチミツとり」として使いました。 長い話も書きたくなってきたので、ストーリを考えています。(5.30)   
「サトルの冒険」を書き終え、一年八か月の感想を書こうと思っています。 後日のおたのしみです。 先日の「鉄板卓球」の詩を使って、やはり物語を書くことにします。 これもたのしみにまっていてください。(5.28)「思考の断片」第5号が出来ました。 ご希望の方はご足労ですが、ガンガーまでお越しください。
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