2002年8月の「思い」 (下記に7月の「思い」があります。)

 8月です。今の時期が一番暑いような気がします。去年はもっと暑かったです。 38度の日が続きました。昨年の2日はタロウが熱射病で倒れ、そのまま意識が戻ること なく息を引き取りました。命日です、好きだったナンを焼いてお墓に手向けましょう。 新作「タロウのひまわり」まだ終わりがみえません。今日中には出来そうにもありません。 後日になりそうです。(8.2)
浜岡原発の前から電話をいただきました。 「いっしょに平和を祈りましょう」と加藤君から8月6日の朝7時半にいただきました。 几帳面なかたです。忘れずに電話していただき、こちらこそありがとうございます。  暑さのせいか?創作意欲が湧きません。「タロウのひまわり」も途中で止まったままです。 もやもやしていたら、あの詩人・堀雅子さんから感激の手紙をいただき、嬉しくなりました。 私の作品「サトルの冒険」「蝉の声・その延長上」、新連載の「なにわともあれ村のアシカレ」 「鬼の節分」「泣き虫ゴッキ」その他の童話数点、すべてに感動されたとかかれたいました。 プロの児童文学者として自覚して作品作りをするように励まされました。 文学のプロからプロとして認められたのは始めてで、光栄です。 「やっぱり!」という思いと、「だからどうだというの?」というひねくれた思いが ないわけでもありませんが、好意をもたれたことえの喜びを素直に感謝したいと思います。 プロ、アマ関係なく作品の内容がすべてです。 これからも踊るカレー屋として、無欲で創作活動を続けたいと思います。(8.8)   
 田中真紀子さんが議員を辞職されました。あと残された楽しみ?は暴露本です。 小泉首相への怨念がこもった裏話がいつ聞けるか楽しみです。すぐには無理でもいつかは 出版されるものと思います。
 8月はいろいろ寄り道をしてしまい、書き込みがかなりご無沙汰になってしまいました。 30日になってやっと童話「タロウのひまわり」が完成しました。 乗鞍でかなり充電できたみたいです。「なりわともあれ村のアシカレ」もそろそろ先を 書かなくてはいけません。構想はいろいろあるのですが、さてどれを選ぶか? 地に足をつけた作品にしたいので、充分検討して書き進めたいと思います。(8.30)
 
  2002年7月の「思い」
 

 さあ七月です。書き込みをそろそろ復活させねばなりません。まずは何から? 先日某テレビ番組で膜宇宙論についての最新?情報が放映されていました。 ビッグバン以前の宇宙?について膜と膜が波打ち、その衝突でビッグバンが起こり、この 私達の宇宙が始まったということです。そこでは11次元あり・・・。途中からしか 見ていないので、それ以上詳しくは言えません。この膜宇宙論がいまの宇宙論では最先端 だと思います。後日、図書館でこの膜宇宙論を調べたいと思います。  次はアメリカ経済における先行き不透明な事件の続出についてです。世界不況の先駆け ではないかと心配されるのですが?米エレルギー大手エンロン、さらに長距離通信大手の ワールドコムの破綻、今日の新聞に7兆ドルの損失とも書かれていました。アメリカ経済 がマネーゲームを仕掛け、その裏でユダヤ人が暗躍?している。政治、経済、宗教が入り乱れ、 混沌とした世界を作り出しています。(7.4)  
 アフガンではいまだ治安がよろしくないみたいです。副大統領が暗殺されました。 誰が何の目的で・・・?喉元過ぎればの部類なのでしょうか?内部闘争? 田中知事もそうですが、共存する手だてを模索しなくてはいけません。 仕事の分配です。お金も分配が必要ですが、これは難しいことです。 欲を無くさなくてはいけませんから。しかし、人類が共存するには ワークシェアリングとマネーシェアリングがこれから必要になるのではないかと思います。 21世紀は分配の時代かもしれません。限られた資源、食料、水、富、平和の分配です。 これらはいままでの大量消費、大量生産とは逆の発想が必要です。先月の終わりに書き込み ましたインデアンの首長シアトルさんの手紙(1854年)を思い出します。 アメリカ合衆国はあの手紙の意味することをまったく理解することなく、インデアンの文化を 無視して、逆にインデアン文化を壊滅してしまいました。(7.7)
 夏が来ました。一年が立ち、また同じように季節が来る。忙しいとき、暇なとき、 寒いとき、暑いとき、周りの状況で私の心情もそのつど変わります。  「忘れること」の怖さと裏返しにそのことで得られる安らぎもあります。 とりとめもないことを書くことで何かが見えて来ることもあり、また見えないこともあります。 長野県知事の不信任問題で田中知事は失職を選び、不信任を突きつけた議会側は対立候補 選びで右往左往しているみたいです。田中知事の政治家としての手腕に疑問を持つ私です。 マスメディアを利用しての自己ピーアールは長けたものを感じますが、県政を停滞させた ことへの反省が見えてきません。ダムのことと失職による県政の空白は別問題です。 売られた喧嘩は買いますよでは先が見えてきません。有能な政治家とはとても思えません。 マスメディアによる変な人気が先行しているのは小泉さんと同じです。同じ田中さんでも 真紀子さんはもっと悲惨です。自分がいまどういう状態に置かれているか分かって いらっしゃらないのです。彼女はすでに過去の人になってしまったようです。辻元晴美さん のように一から出直す覚悟がない限り彼女の未来はありえません。批評家みたいな言い方 をしていますが、この変は反省しなくてはいけません。人の振り見てわが身を・・・です。 世界情勢についてもいろいろと批評家のように言うことはできますが、それが的を得手いた としても別にたいしたことでもないよう気がしてきました。いろいろな情報分析に長けていた としてそれがどうしたというのでしょうか?別にたいしたことでもありません。 自慢してもしかたありません。世界はどうなっていくのか?始まりがあれば終わりがある のです。その終わりに向かって人類はつき進んでいるだけです。どのような終わりを迎える かは選択の範囲内です。個人の肉体の終わりも同じです。終わり方の選択の余地はあります が終わりは必ずくるのです。  八尾恵(元赤軍派妻)の書かれた「謝罪します」という本が気になります。 図書館に入ったら読みたいと思っています。今日の新聞にその内容が多少記載されて いました。自己反省と赤軍派メンバーへの忠告、真実がそこにあるようなきがします。しかし、 懐疑的な私は素直に評価できないものを感じます。このように書物にして公表することは 本心から反省しているのでしょうが・・・、裏があるのではという憶測もなきにしもあらず です。自己ピーアールをすること自体はいけないことではないと思っていますが・・・、 そのことによって自己の正当性を強調しているにすぎないのではないか? 反省している自分は正しいと思いたいのでは?そのことがいけないとは思いませんが、 そうせざるにはおれない何かがその奥に隠されているのでは?裏の裏は表なのか?(7.15)
 久しく書き込みをしていませんでした、まあ「夏休み」のつもりで遊んでいましたが その間にも世の中は動いています。書き込みをしなくても世の中にとっては何の不都合もなく 時は刻まれています。自分の中の必然性が一番大切だと思っている私は書きたくなるまで 何もしないことにしています。やっと書かなくてはいけないという意思が沸き起こりました。 今日からまた書きますので、もしこの私の書き込みを読まれる方がいたら 「お待たせしました」です。(7.19)
 いままで乗っていた妻と私の車をそれぞれ廃車にして新しい車を一台買いました。 車は7年間の間にずいぶん進化しました。乗る人のことを考え、考え、快適な乗り心地です。 燃費も驚くほど進歩しています。今度の車は軽自動車ですが、前の車1300ccとほぼ同じ 感覚で運転できます。環境のことなどを考えると自家用車はみんな軽にしたらどうでしょうか? 660ccあれば充分です。見栄や体裁ではなく、将来の子供たちのために環境に負担の少ない 軽自動車を普及させるNGOでも起こしたくなります。でもそうなると普通車を製造している 会社から抗議を受けそうです。廃車をするにあたり助手席のボックスを整理していたら 6年前に亡くなった知り合いからの私あての葉書が出てきました。懐かしくもあり、感慨に ふけりました。いまの店をオープンするとき、食器類をネパールで買ってきてくれるように 依頼した件について、準備できましたという内容の葉書でした。私と彼しか知らない内容です。 書いた本人はすでにこの世にはいなく、私だけがこの世でこのことを知っている。 私も居なくなればこの葉書は存在理由が無くなってしまいます。第三者が見てもなんのこと やら?意味の無いただの葉書です。このようなことは他にも多くあると思います。人が死んで 物だけが残り、その物の価値が消滅してしまい、その物自体が忘れられていくのです。 消え行くものへの哀悼を忘れたくありません。私が消え行くときも家族やその他、幾人かの 知人、友人が覚えていてくれることでしょう。それで充分なのでしょうか? 死に行くことへの怖れ?が絶対なるものへの一体感を望ませるのでしょうか? 他の人は知らなくても神様は知っていてくださっていると思えることで安心を得られることが、 間違っているのでしょうか?神様は人類にとっての精神安定剤なのでしょうか? 誰からも認められることなく死んでいく人がいます。その人を誰が知るのでしょう? イエス・キリストが生まれたとき、ヘロデ王はイエスを怖れて2歳以下の子供を皆殺しに しました。この幼子たちを誰が知りえるのか?イエスの誕生によって殺されていった子供たち 不条理です。私はゴキブリを見ると反射的に殺しています。この殺されたゴキブリを誰が知り 得るのでしょうか?私とゴキブリしか知らないことです。ゴキブリは死んでいくので、この世 でこの事実を知っているのは私だけです。誰かが総てを見通していてくれたらいいのですが・・・ いいことも悪いこともすべてを見ていてくれる方がいらっしゃると思えたら、少し救われます。 一人ではないと思えるのです。そんな存在が神様なのでしょうか? 死んでいった知人からの葉書を見つけ、そのことから思うままに書き連ねました。誰かが 知っていないと寂しいです。葉書もゴキブリも私も・・・。(7.20)
 私にか分からない、他の人には理解しがたいような内容の書き込みをしています。 この書き込みは私の創作活動の元になるものです。思うがままに意味も無いようなこと を書き連ねていると、ふと!思いつくことがあるのです。 創作の糸口がみえることがあるのです。自問自答することで何かが見えてくるのかも しれません。自分のための書き込みです。  今日は知人の展覧会のオープニングパーティがあり、その料理を担当することに なっているのでちょっと忙しい日です。バリ舞踊の踊り子を鉛筆だけで細密描写した 作品を作られる知人の個展です。覚王山のギャラリー安里です。その奥さんがパーティで バリ舞踊を踊られるそうです。一見の価値があります。常連のお客さんがちょうど昨日 インドネシアの画家を連れて来られたのですが、偶然その個展をされる知人と奥さんも 私の店に来られていてお互い知り合うことが出来ました。 偶然ですが必然的偶然?かもしれません。 私を通してお互いはメールでは連絡を一度したことがあるのです。初顔合わせが偶然 パーティの前日だったのです。インドネシアの画家も加わり国際色豊かな夕方でした。 そのインドネシアの画家が10日だけ日本にいらっしゃるのですが私の店でその間だけ 展覧会をしたいといわれましたので急遽?(前もってその可能性を言われていた)私は いまやっているわが家の家族展に飛び入りのかたちで参加していただくことにしました。 その画家はカナダ在住でインドネシアとカナダで活躍されている現代美術の作家です。 詳しくは後日書き込みます。  アメリカの株の暴落は世界不況の現われです。アメリカは先日イラクを空曝しました。 アメリカは戦争をもってこの不況を克服しようとしているみたいです。発展途上国の躍進、 特に中国産業の躍進がアメリカ不況の根源の一つに上げられるのではないかと思われます。 中国を直接叩けないので、まずはイラクと北朝鮮あたりが狙われているのかもしれません。 アメリカは戦争をしたいのです。喧嘩相手をさがしているのです。北朝鮮を叩くことが できればその先は中国へと鉾を向ける可能性があります。すぐには無理ですがじわじわと 北朝鮮を追い込み、その先をこしたんたんと狙っているのではないかと私はにらんで います。これは私個人の憶測です。  今日の中日朝刊に田中前長野知事の元特別秘書杉原さんの特別記事が記載されていま した。私の憶測をずばり言い当てていました。彼(杉原さん)に立候補していただきたい 思いです。田中康夫さんに一泡ふかせられる人はそんなにはいらっしゃらないのでは ないかと思います。(7.21) 
 週間ポストに小林よしのりさんの記事が載っていました。「新しい教科書をつくる会」 と決別したとのことですが、その理由が去年のアメリカのテロ撲滅におけるアフガン 攻撃に対して「つくる会」のメンバーがアメリカを擁護したからだそうです。 「つくる会」といっしょになって第二次世界大戦の日本の在り方に対する主張と 貿易センタービルで起きたテロに対するアフガン報復におけるアメリカ批判の間に 矛盾がないのでしょうか?よく分からない人です。 自分にとってどうかという個人的価値観のみで動いているように思われます。 私の持論「いい人論」の典型的な人ではないかと思われるのですが、 いかがなものでしょうか?一貫性が有るようで無いのではないかと思われるのですが、 本人はそうは思ってないようです。  あと不可解なことが二つほどあるのですが、いずれも身近な人の批判になってしまうの であえて書き込みはしないことにします。 これらの人は多にして「いい人論」的個人主義です。 「いい人論」的個人主義とはいかなることをいうのか、自分にとって都合のいい人たちの 間でのみいい人を演じてられるような人のことを差しています。 「いい人論」は以前から持論として主張していますが、「いい人論」的個人主義は今日 始めて造語としてつくりました。「いい人論」的個人主義の人が唱えることは普遍的な ことを言っているようでいてよくよく考えてみると自己中心的な発想でしかないことが ほとんどです。そういう私もしょせん、井の中の蛙です。「いい人論」的個人主義はだれ にでも多かれ少なかれあるのです。ただそのことに敏感かどうかです。 敏感だとこれまたいろいろと不可解なことに気付き、その不可解なことに対してどのよう に対処すべきか、ある種の覚悟みたいなものがないと人生を生き抜いていけません。 これらのことを少しでも理解してくれる友なり、家族がいれば心の気休めになります。 (7.23)
 田中真紀子さんの秘書給与流用疑惑に対する政治倫理審査会の模様をラジオで聞きました。 疑惑はやはり残ったままです。「すいませんでした。私の監督不行届でした」といって 議員を辞めて、出直すしか真紀子さんの道はないように思われました。 嘘をどんなに言い繕っても、やはり嘘にしか聞こえてきません。(7.24)
 アメリカがこけかけて、よろよろです。ここ2〜3年日本叩きみたいな状況だったので かえって日本にとっていい状態になったのではないかと思います。 不況、アメリカがいっしょならこわくない!アメリカを見なさい、まだ日本はいいですよ。 と言えるのではないかと思います。慰め合ってともに坂を転げるのもいいかもしれません。 一人だと心細いのですがアメリカがいっしょなら・・・。しょせんこんなことで現状に 妥協するしかないのでしょうか?  田中真紀子さんは日本のサッチャーにはなれませんでした。しょせん、二世議員です。 親(角栄)の負の遺産をそのまま受け継いでいただけでした。「辻元晴美さんがんばって!」 彼女の政界復帰がたのしみです。一皮むけた人間?になってビシバシ与党を叩いて いただきたいものです。自衛隊がアメリカ軍のもとでイラク攻撃の研修に行くことが正式に 決まりそうです。テロ対策の名目ですが、近い将来起きるであろう戦争への布石です。 経済の沈滞を戦争(テロ報復)で解消しようとしているアメリカに追随していいものかどうか? 距離をおいて接するほうが得策ではないかと思われるのですが、いまの日本政府では とても難しい選択です。新しいリーダーによる新しい日米関係を作っていただきたい ものです。新しいリーダーはさて誰になるのでしょうか?(7.25)
 おかしなことがまたまた起こりました。蒼生舎通信の私の原稿が間違って掲載されました。 話せば長くなりますが太田さん(蒼生舎の責任者)へのメールをそのままここに記載します。    わたしの確認不足だったのか?いつも私のホームページからダウンロードして いただき、おまかせ状態だったのがいけなかたのだと思います。古い童話の 「なにわともあれ村のアシカレ」を掲載されてしまいました。 これは新作の連載話「なにわともあれ村のアシカレ」の種本です。 これを最初に掲載されては新作の話がみな泡と消えてしまいます。ちょっとした 手違いですが作者としてはこれ以上書き続けることが出来なくなってしまいました。 いろいろと迷いましたが、申し訳ございません。 作品提供を辞退させていただきたく思います。 また何か別の形で蒼生舎のみなさまと関わりが持てますことを期待したいと思います。 これをもって「なにわともあれ村のアシカレ」連載中止お願いの文章とさせていただきます。 2002年7月26日 眼我 真     当分、作品の公表をやめて、ガンガーの店だけで発表したいと思います。 もくもく、もくもくと作品作りに専念したいと思います。ホームページにも載せない かもしれません。(7.26) 
 欲望をどれだけ制御できるか?人を押し退けてまで世に問いたいとは思いません。 誰にも知られずに作品だけがこの世に残るのもいいかもしれません。 欲望を捨ててくると、他の人の小さな欲望までがいやらしく見えてきます。世間からは 「いい人」で通っている人も私からみると欲望の固まりの(自分さえよければいい)人が いらっしゃいます。物事の真実を見抜くにはこの欲望をいかに無くすかです。 欲望に囚われた心でいくら物事の真理を見抜こうとしても見えてこないのだと思います。 何も見えていないのにいかにも真理のように語る人をみると「そうじゃないよ」と言いたく なります。偉そうに言う私は何様のつもりなのでしょうか? ただのカレー屋のおやじです。それでいいのです。 普通の人であることが大切なのかもしれません。「人と違うんだ」と思うことがすでに欲望の 現われであって間違いの元です。純粋に平凡なことが大切なのかもしれません。 読み人知らずの詩などいいですね。読み人知らずでいいというぐらいの覚悟があれば 怖いもの知らずです。急に店の中で虫が鳴きだしました。夏のこの暑さを避けてクーラーの 効いた涼しい部屋にきたのでしょうか?不自然な虫の鳴き声ですが、客の来ない夜にはいいの ではないかと一人楽しんでいます。何というなの虫なのかも知らず、鳴き虫知らずです。 すべてを委ねることが出来れば気が休まります。読み人知らずも良し、鳴き虫知らずも良し。 作品だけが後の世に残れるような、そんな作品を作りたいものです。(7.26夜) 
 テレビで元公設秘書だった人が田中真紀子さんのことを暴露していました。 もうここまでくると彼女も終わりです。政治生命が完全に絶たれる前に辞められた方がまだ 特策だと思います。  田中前長野県知事の元特別秘書だった杉原さんが長谷川候補の応援で田中康夫さん と県議会を鋭く批判していました。杉原さんが長谷川さんの応援団長になればもしかして、 もしかです。田中さんの欠点を知り尽くしている杉原さんが対立候補の応援をするとなると 田中さんもやりにくいのではないかと思います。ダムについての論争よりももっと大切なこと があるのです。ダム問題はそれらの中の一つにすぎないのです。ダム建設中止は自然の流れで それはそれで正しいと思いますが、その過程においてのいろいろな問題を考慮しなくてはいけ ません。田中さんにはその過程が短絡的なのです。まずダム中止が有りなのです。国からの 補償問題、長野県の経済的な問題等など、聞く耳をもたなくてはいけません。杉原さんの声も 無視して彼を一方的に切り捨てました。傲慢な方です。ある意味で田中真紀子さんと共通する 欠点を持っていらっしゃるようです。(7.27)
 ユニークな人物の陶芸家加藤君がひょっこり店にあらわれました。何という格好で! 時々「旅行中でお金がなくなったのでお金貸して下さい」と言ってくるいかがわしい人が いますが、そのたぐいかと一瞬身を引いてしまいました。よくよく見るとあの多治見の加藤君 でした。四月の徳林寺では余り元気なく、やつれた感じだったのですが、今日は生き生きと して目が輝いていました。彼本来の人間性があらわれていて、とてもたくましく感じました。 昨日多治見を出て朝方この近くの公園で野宿をして、朝その辺の枯れ木でご飯を炊いて おにぎりをつくり、昼ここガンガーについたのです。これから徳林寺に行き、最終目的地は 浜岡原発だそうです。歩きながら原発反対のチラシを配るみたいです。うちのお客にも チラシを配っていました。この冬にはアフガンに行き、金がなくなってしまい、貧しい アフガンの人から200ルピーもらったそうです。日本円で400〜500円ぐらいです。 それで1週間過ごせて無事日本に帰れたといってました。来年の一月にうちで個展をすること になりました。彼のユニークな自由奔放さが作品に反映されますことを祈りたいです。 交通事故に合わないで無事8月6日に浜岡原発に着くことができますように お祈り申し上げます。(7.28)
 カナダ在住インドネシア人画家スシヤワンについて インドネシアで学生時代に軍事政権にたいして反対運動をしたため迫害を受け カナダに亡命、カナダ人女性と結婚、現在ボランティア活動としてインドネシア、カナダで 児童への絵画指導を通して、平和や環境問題などについて啓蒙活動をしていらっしゃいます。 うちのお客さんで大学の先生をされている人の紹介で私の家族展に飛び入り参加された方です。 自分の絵を売られて、活動資金にされているそうです。抽象画なので売れるかな?と 思っていたら、なんと一枚売れました。よかった、よかったです。 買われた方はこれまたユニークな方で英語が堪能なのでスシヤワンと意気投合され、 私が決めた絵の値段よりも高く買われ、スシヤワンさんは喜んでいました。 いまどき定価よりも高く買われるなんて? 意気投合して彼の活動資金にと考えたのかもしれません。彼は決して金持ちではありません。 まだ31歳の若者です。今どき珍しい人です。一昨日の加藤君といい昨日の31歳の若者と いい、決して世間で言うエリート?ではありません。世間からはかえってアウトローに見られ る彼等が私には輝いて見えます。残れる者と共に真理は有り。(7.29)
 今日の中日朝刊に「サルタヒコの波紋」と題しての記事がありました。日本の古来の 国作りの神の一人、猿田彦は渡来の天皇族(大和朝廷確立)と対立した先住土着の神々を 統合した仲介者だと書かれていました。梅原猛さんの名も出てきました。一方、井沢元彦の 名は出てきませんでした。この著者は正しいとの確信をこの辺で判断できました。 ベストセラー「逆説の日本史」で有名な井沢さんも見る人から見れば・・・です。 この「・・・」は私のこの「思い」を読んでいれば理解出来ることだと思います。 人のフンドシで相撲を取っている人は見る人から見れば、評価外です。 私の評価も独断的かもしれませんが、この辺は言論の自由の範囲内だと思っています。  昨日息子と二人で「スター・ウォーズ、エピソード2」を見てきました。 混んでいるかなと思ったら、夏休みでいろいろな話題作が上映されていて、人が分散 されたのだと思います。余裕で見られました。内容はウ〜ン?脚本がいまいちでした。 不自然なところが数ヵ所ありました。ヒロインのアミダラを暗殺しようとした賞金稼ぎ がヒーローのアナキンたちに捕まり口を割ろうとしたとき、特殊な毒矢で 殺されます。その矢が大変珍しいものでそこから犯人の足がついてしまうのです。 このことはこのストーリにおいて大変重要なキーポイントなのです。その大切なところで、 仮にも足がつくようなもの、身元が張れるようなもので殺すこと自体が不自然です。 さらに戦闘シーンでアミダラが勇ましく機関銃で闘うのですが、他の人は防御しながら 闘っているのに彼女は防御することなく先頭に立って機関銃を撃ちまくるだけです。 しかも無傷です。本当ならまっさきに死んでおかしくありません。こんな細かいことを言う と切りがありません。アクションの醍醐味とお涙ちょうだいの変なロマンスをミックスした 映画でした。息子は満足げに喜んでいました。こんな映画が世界的にヒットするとは? 私にとってはこの不思議さが真夏の怪談のようにゾッ!とさせられました。 そういう意味では面白いかもしれません???(7.30) 家庭菜園と言うと少しおこがましいのですが、妻がトマトとイチゴの苗を裏庭に 植えました。店で使う炭の残りかすなども土にかけているせいかどうか知りませんが、実に このトマトがおいしいのです。トマトはたわわに実をつけ後から後から収穫でき、少し 心豊かにさせられます。イチゴもすでに食べごろの実が二つほどあるのですが、妻が写生で 描いているので「写生が終わるまで食べてはいけません」という御達しが出ました。今日、 お米を配達して下さる農協の方がイチゴを見て「早く食べないと虫にやられるよ!」と忠告 して下さったのですが、お上の御達しは出たままです。そのうち虫さんの餌になりそうです。  犬のタロウの一周忌がもうすぐです。8月2日もう一年立ちます。今年、彼の墓から 向日葵が芽を出し、いま立派な花を咲かせています。墓に埋めるとき近くの向日葵の花を 千切って一緒に埋めた記憶がよみがえります。あの花から芽がでたのかと思い、妻に確認 したら彼女が向日葵の種を蒔いたとのことです。なんだ、残念!埋めたひまわりから芽が 出たとなると何かそれにまつわった物語が出来そうだったのに・・・。まてよ!この辺は 脚色して、埋めた向日葵から翌年芽が出て大輪の向日葵を咲かせるっていう・・・。 いけそうです。童話にしてみます。「タロウのひまわり」題です。 (7.30夜)
 今日の昼、蒼生舎の太田さんが店に来られ「ぜひ、継続して連載していただけませんか?」 と原稿の依頼を再度受けました。一度切れた糸をまた繋げるのは実をいうときつい仕事です が・・・、わざわざ来ていただいたことへの感謝を思うと断われなくなりました。 「いいですよ」という自分の人の良さ?に苦笑いが出てしまいます。また、書き続けなく てはいけなくなりました。これもなりゆきです。自然に身をまかせるだけです。  実家にも太郎という犬がいました。親父が発病して散歩に行けなくなってからというもの 食欲がなくなり、あっというまに動けなくなり、あまりの弱りようにみかねた母が保健所へ 電話をいれて安楽死?させてもらった思い出がよみがえります。あれは本当だったのか? 別府の母に聞いてみないといけません。(7.31)
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