2003年5月の「思い」


 一日から大曽根の「いんやん堂」で大泉讃さんの企画で
展覧会をおこなっています。息子と妻も私といっしょに出品しています。
興味のある方は覗いてみてください。
 私が書く話・詩のファンでいらっしゃる千里さんは兵庫県から本当に来られるので
しょうか?なにもおもてなしをすることが出来そうにないのですが・・・。
私に会うためにゴールデンウイークに来られるとのことですが、仕事でゆっくりと
おとてなしができないのではないかと危惧しています。わざわざ来ていただいても
お相手できないのではと思い、来ていただくのは申し訳ない気がしてなりません。(5.2)
 
ある人の今を想うにあたり、彼の過去をひもとかなくてはいけません。 少しの事実と今の彼を分析して分かることから推し量って、私的想像で物語を作ってみる ことにしました。 題名「再生」(下書き) 「三つ子の魂、百まで」三歳までの育った環境でその人の人格が決まるとの発想です。 彼はおばあちゃんっ子だったのではないかと思われます。 長男の初の子で、初孫だったのです。目に入れても痛くないほどの孫可愛がりで、溺愛して いたのです。おじいちゃんもそのときは健在で同じく初孫に大喜びでした。彼は祖父母の 愛を全身に浴びて成長していきます。妹が出来たときは少し愛の対象が妹に注がれたので、 以前のように祖父母の愛を全身に浴びたいと思い、以前以上に優等生を演じ始めるのです。 学校でも、家でも優等生で通しました。少し疲れることもありましたが、小学校では褒められる とうれしくなり、別に無理をしなくても優等生を演じきれていたのです。  ところが、中学に入るとそうはいかなくなってきました。一年生の間はどうにか成績も 良くて、優等生を演じることができたのですが、二年生になると勉強の方が難しくなってきたの です。いままではその場しのぎのごまかしでどうにかやってきたのですが、根本的に学ぶ ことの楽しさを知らずにきていたので、成績が落ちてくると、勉強をする気力もなくなり 雪だるま式に成績は転がり落ちていきました。みるも無残な成績になってしまうと、回りは どうしたのかと過剰に反応してしまうのです。彼自身も溺愛されて育った分、冷静に自己 分析をすることが出来ない性格になっていたのです。すべては回りのせいにして、 現実から逃避してしまうだけでした。両親、祖父母の過剰反応に本人も戸惑い、 精神不安定になってしまいました。そのうち感情のはけ口を身近な家族に求めるように なっていったのです。 「こんな自分は違う!俺は優れた人間だ!」自己を冷静に見つめることが出来ない 彼は悪いことの原因をすべて外に求めました。それが彼の自己防衛だったのです。 あの人のせいで自分は悪くなったのだ、すべて悪いことは他人へ責任転換をはかります。 学校にも行かない日が続きました。祖父母もしだいに孫の不出来に苛立ちをみせ始めました 「こんな孫は親戚中に一人もいない!こんな出来の悪い子は私の孫じゃない!」 この言葉が彼を奈落の底につき落しました。中学までの溺愛から一変してのこの言葉が 決定打となり、彼は自分の存在価値を否定され、自暴自爆になってしまうのでした。 感情の爆発を抑えることができず、はけ口を家族に求めました。いつしか、ちょっとした ことでも家庭内暴力を振るようになり、家族もどうしていいか分からず、ついに精神病院 へ入れられることになりました。祖父母の豹変ぶりに対して母親は子供かわいさから、 彼を守ろうとしますが、誰も知恵ある助言をしてくれる人がいませんでした。 父親はというとこれまた困ったことに我関せずといった感じで、無頓着でした。 祖父母と妻の間に入り、家の舵とりをすべき重責があるはずなのに、 ただ、傍観者のような振る舞いをするだけでした。 息子の人生を左右する大変な出来事だという感覚がまるでなく、家庭内はばらばらな状態で お互いを批判しあっているだけでした。彼にとってどこにも救いの道はありませんでした。 あと妹についても書かなくてはいけません。彼女は兄の素行のために、いじめを受けた被害者 でもあるのです。不登校を世間では落ちこぼれとみなす節がいまだにあり、彼女もいつしか 落ちこぼれの妹というレッテルを貼られ、偏見で見られるようになりました。 それがいじめとなり彼女も辛い中学時代を経験するのでした。家族は兄のことばかり気にして 彼女のことは後回しにしていました。 それでも無事中学を卒業すると誰も知らない高校へ彼女は進み、やっと落ちこぼれの妹の レッテルは付かなくなりました。彼女は始めて楽しい学生生活を過ごすことができるように なったのでした。兄の方はあれから高校に行きましたが、そこでいじめに合ったのでした。 その結果、彼はさらなる人間不信に陥り、自分の殻の中に引きこもり、他人と接触することを極力嫌うように なりました。何故いじめに合ったのか?彼の性格がもたらした結果なのだと思われるのですが、 ここでも彼は自己分析がちゃんと出来なくて、いじめの原因を他に求めました。 彼の性格からくるこれらの出来事に対しての根本的解決をはかることなく。問題は先送り され、、最初の挫折を味わった中学生時代から何も解決されていないのです。 その場しのぎの対処療法でいままで過ごしてきただけです。 家庭内暴力もそのまま続き、そのたびに薬の量が増え、もうろうとなっては寝るような 生活を繰り返す日々が続いています。もう十年以上たちますが、いまだ薬の助けを かりなくては生活していけない状態が続いているのでした。薬で感情を抑えることで回りへの 暴力はなくなっても、彼の人格はその薬によってぼろぼろにされてしまっているような気が してなりません。怒りをいかにして自力で抑え、感情をコントロールするか、その方が薬で 抑えるよりも彼にとって大切なのに、医者は怒る前に彼の人格を壊してしまう薬で彼の感情を 闇へ葬り去る治療方法を選択しているのです。患者のことを思っての治療ではなく、回りに 迷惑がかからなければいいという安易な考えで、治療しているだけです。根本的な治療では なく、ただ人格崩壊を促進させるような薬づけはかえって彼のためにはよくないのではないか と思うのです。専門家でもない私が「薬を止めなさい」と言う自信もありません。  怖れを乗り越え過去の自分を真正面から認め、現実をしっかり見つめ、これからの再生を 目指してどのようにして歩んだらいいかを自分の判断で自ら歩み出す勇気がいまの彼には 一番必要です。自分の判断で自ら歩み出すことが必要なのです。 (つづく)小説にするかどうかいま一つ迷っています。このコーナーでの書き込みは ここまでにします。(5.6) --------------------------------------------------------------------------------  知り合いが白川公園でホームレスをしているとの知らせを受けました。 ついにという感じです。彼の何がそうさせたのか?彼にとってはそのほう(ホームレス)が、 楽な生き方なのかもしれません。「再生」の彼といい、考えさせられます。(5.8)
 毎日新聞の五味記者の爆発事故について一言。 彼は「人間の盾」として、イラクに滞在していたとのことです。人間の盾を利用していたに すぎないのです。純粋な思いではなく、下心がありありなのです。このような事故を起こして しまうのも当然かもしれません。過失にしろ人が一人死んでいるのです。大変なことです。  お客さんの一人息子が引きこもりだったことを今日知らされました。少しおとなしくて 母親がいつも息子が口を開く前に話をしてしまい、過保護と思っていた母と子でした。 出しゃばっていたわけではなく、彼が話せないのを察知して、代りに話していたのです。 2年間引きこもりでも内の店には来ていたとのことです。うちで働きたかったといわれましたが、 そのときは他のバイトがいて断わったのでした。もう3年ぐらいまえですか? 彼の父親は単身赴任で家にいないとのことです。(5.9)
 新風舎出版賞に応募したのですが、誘いの案内が来なければ出さなかったような もので、まったく気にしていませんでした。案内もろくに読まずに、作品だけ締切り日 ぎりぎりに送りました。小説「サトルの冒険」と詩集「生きる仲間」それに 童話「冬ちゃんのふうわふわ・つばめの赤ちゃん・イチゴ狩り」の三部門に応募したら三点 とも最終審査に残っているとの報告をうけました。棚からぼた餅です。どれかが賞でも 取れればめっけもんです。あまり気にしていなかったのですが、最終審査に残っていることを 知らされ、ちょっと欲がでてきました。六月の中旬あたりに受賞発表があるそうです。 (5.11)
 知り合いがホームページを開いたとの知らせを受けさっそく、覗いてみました。初心者の ホームページという感じがして初々しさがありました。シンプルさがいいのです。 みんな(私も含め)懲りすぎないようにしましょう。話は変わりますが、ある夫婦がことある ごとに「ホームページを開きたい」と言っているのを聞いて私は親切心から 「じゃあ、教えてあげましょうか?」といってわが家に招いて、基本的なことを教えてあげて ホームページを開くために必要なソフトもコピーして、困ったときの手助けになる本も ちゃんと紹介してあげました。「あとは自分で実際やれば出来ますよ」というところまで教え たつもりです。でもいまだにホームページは出来てないようです。それはそれでいいのですが、 それからかなり立って、何処かで、その夫婦がホームページを開きたいと言っていることを 人づてに聞いて、私は驚きました。ちゃんと教えて上げたではないですか! あの夫婦は何を考えているのでしょうか?やって分からないのなら私に聞けばちゃんと教えて あげるのに?多分この夫婦はホームページを開く努力をしていないのです。 自分でやる気もないのに何かあるとその気が有るようなことをみんなに言う。 本気になって教えた私は無駄をしただけです。 「豚に真珠」です。このような人には気をつけましょう。 いまこの書き込みを読んでいらっしゃるあなたは違うと思います。(5.12)  
雨の日が今年は多いのではないでしょうか?疲れた体で書き込むことは なかなかできないことなのかもしれません。最近、書き込みの量が減っているのは そのへんが原因かもしれません。なぜ疲れているのか、理由ははっきりしているのですが、 生活のために働いているのです。しかたのないことなのです。疲れを残さないように日々の 自己管理を徹底しなくてはいけません。限られた時間をすべて創作にあてるように常々 心かけるようにします。「なにわともあれ村のアシカレ」も書き上げなくてはいけません。 (5.15)
「なにわともあれ村のアシカレ」の書き込みが進行形で進んでいます。来月の蒼生舎通信に 掲載出来ると思います。今月号で連載中断のコメントを入れていただいたのに、すぐに その言葉を反故にしてしまう私はいいかげんな人間なのでしょうか?でもいいことならば 許されるのではないかと一人自己肯定しているところです。(5.17)
 息子(13歳)が今年の夏休みにインドへ一人旅の計画を立てています。知り合いの 日本人留学生のところ(サンティニケタン大学)に遊びに行くという計画です。本人が 自分で言い出したことなので、すべては彼の実行力にかかっています。親として出来ることは サポートしますが、余りおせっかいはやかないつもりです。その日本人留学生が夏休みで 一時帰国しているので、実家の豊浜まで明日会いにいきます。何年ぶりでしょう? 四年ぶりぐらいたちます。息子のほうが彼女より背がたかくなっているのは間違いありません。 彼女は妻と同じか、やや低かったのです。息子は妻よりも高くなっているのですから、 間違いありません。きっと驚かれることでしょう。(5.18)
  豊浜までちょっとありました。でも行ってよかったです。相川さんは以前にもまして、 自然であるがまあを受け入れているというか、無理が無く、自然にまかせ生を生きて いまいした。いい人に恵まれていることに感謝します。息子もこれで安心してインドに 行けることでしょう。私たちも相川さんなら安心して息子を任せられます。 よっかたよかった。   お客が「あそこの店ははやっているよ。毎日いってるけど、昼時は40〜50人ぐらい は来るよ。おたくはすいているね」と言うので、ちょっと腹が立ってきました。そこの店の いいことばかりを自慢げに言われるのは同業者に対して失礼です。以前もそんなお客が いました。そのお客さんはそのあとしばらくして、亡くなられましたが、言われる方に とってはいい気はしません。無神経な人が増えています。何に価値をみいだすかです。 生きていければそんなに儲からなくてもいいと思っている人間と、繁盛させることが 人生の成功者と思う人と、同じ土俵では論じられません。私は商売人としては成功者とは なりえないかもしれませんが、もっと大切なことがあるのではないかと思っています。 (5.20)
 新風舎出版賞について新風舎のホームページで昨年の総評を調べてみたら、なんという ことでしょう。昨年は2719の応募から最終選考に残ったのが、27作品で、その中で フィクション部門は11作品だったそうです。そうすると今年の私の場合はフィクション部門 に3作品残っているということですから、かなりの確率で受賞の可能性があるのではないかと、 一人胸踊らせているところです。ただ、結果をみなくては何ともいえません。 ぬか喜びで終わらないように祈りたいものです。 (5.22)
 昨日のテレビ番組でジャズシンガー綾戸智絵さんの人生を放映していました。いま気になる 人の一人がこの綾戸さんで、あとヘミングウエイ・フジ子さんです。二人ともハンディをバネ にして生き抜いてきた女性です。生きる姿が美しい人たちです。(5.23) 
 かなり忙しくなってきました。創作時間を意識的に確保しなくてはいけません。 日進市長さんから個展をしたいとのご要望があり、6月9日から7月20までの間私の店で されることになりました。市長さんの趣味は絵画を描くことです。4年前の個展ではなかなか の作品を出されていました。今回はどんな作品になるのでしょう?楽しみです。 先日、店に来られた折りに市長さんは私の書き物(小説、詩集、童話)をわざわざ買って 下さりました。ちゃんと読まれるでしょうか?彼は好奇心がおおせいな方ですから、 多分全部読まれると思います。今度店に来られたら、感想を聞いてみることにします。 感想を聞くのが楽しみです。(5.27)
あと幾日寝ると発表?新風舎出版賞の結果がたのしみです。受賞者には先に電話があって、 出版に対する確認があるとのことです。電話待ちです。電話がなければただの入選で、 出版はされないのです。蒼生舎の太田さんが手作りのホウバ寿司を持ってきて くださいました。とてもおいしくて、あっという間に四つも平らげてしまいました。 ありがとうございました。知り合いの書いた短編小説を蒼生舎に掲載していただけないかと 思い、太田さんに読んで頂いたら・・・、内容が分かりづらくて、第三者に理解出来ない 文章だから、掲載できないとの返事をいただきました。確かにそうです。知り合いの「再生」 への道をと思っていた私は情に流され、少し甘くなっていたようです。作品の質を問う ことも必要なのです。厳しいようでいてそれが現実社会でもあります。どこがどういけないか 彼に伝えるべきかもしれません。同時に太田さんに見せた彼の詩は掲載していただけることに なりました。まあせめてもの慰めになればと思います。(5.28)
彼に掲載の件で電話を入れました。小説は掲載できなくて、詩の方は掲載できるとの内容を 伝えました。ショックだったのか?彼の声が震えているようでした。自分の作品の欠点を知ら されることはいいことだと彼が思えるかどうか?彼にそれだけの素直さがあるかどうか? 「持っている者はさらに増し加えられ、持っていない人は持っているものまでも 取り上げられてします」何を持っていて、何を持っていないのか。 心してかからなくてはいけません。「掲載される、されない」はたいしたことではありません。 そのことじたいよりも「何故書くのか」を考える方が大切だと思います。彼は何故書くのか、 私も何故書くのか。「山があるから登る」では答になっていません。達成感、自然との一体感 など山登りが趣味の方には体験からくる喜びがあるのだと思います。物書きも同じ かもしれません。達成感、作品との一体感、などなど・・・。そこに喜びがあるのです。 自己満足の世界かもしれません。それでいいのかもしれません。欲を出さなければ、それは それでいい趣味なのです。しかし、達成感、一体感などを突き詰めればその人の人生観が そこに表われるのです。言い替えれば、彼の人生観は他人に感銘を与えるほどのものでは ないということかもしれません。それは私にも同じことが言えます。私の人生観が問われて いるのです。(5.29)
 昨日からの出来事で、多少冷静になることができました。賞、賞と妄想に駆られていた自分に 気付かされました。書き続けること自体に、ある種の意義があるのであって、書いた物への評価は 別にたいしたことではないのです。もう妄想は消え去りました。あるがままに自然に在りたいと 思います。(5.31)


2003年4月の「思い」
 

 書かなくてはいけないことがあります。そうなんです。書かなくてはいけないのです。 だから書きます。  と言いながら、一ヵ月が立ちました。変わらなくてはいけません。 自分が変われば回りも変わるのです。聖書の読書会も続いています。  メシアとしての自覚がイエスを変えました。イエスが変わればイエスの回りも変わって きます。大工の息子ではなく、救い主として回りはみるようになったのです。ただ、肉親、 近所の人たちにはイエスの変化が狂気にみえたのでしょう。昔から知っている人にはイエスの 変化が霊的なのに気付かないのです。つい目でみてしまい、外見で判断してしまうのです。 よって霊的に理解しにくいのだと思います。 マルコ三章31節から35節は 肉体の関係よりも精神(信仰)の関係を大切にしているイエスの姿が見受けられます。  心理学の分野で「悪い人ゲーム」?という現象があるそうです。 「あの人が悪いから私は不幸なのだ」と不平ばかりいう人は自分の現実が不幸なのは あの人たちの所為だと悪いことはすべて他人の責任にしてしまうのです。そこからは何の 解決も得られず、常に他人を意識して不平をいうのです。他人を意識しすぎるあまり、 被害妄想に陥ったりもするのです。 この悪循環を断ち切るには、まず自分が変わることなのです。 どのようにしたら変われるのでしょうか? まず自分が変わりたいと切望することだと思います。信仰的にいえば神に祈る ことです。ひたすら祈るのです。何をいのるかといえば「自分を変えてください。 あなたを信じて歩めますように」そうすればいつかかなえられるはずです。  
 
 
2003年3月の「思い」

二月は書き込みが少なかったので、三月分を同じテキストに書き込むことにしました。 平和行進を知人が企画して、今日白川公園から栄まで歩きます。昨日は大雨出したが、 今日は嘘のように晴れ渡り、春一番が吹いています。垂れ幕を持って歩くといってましたが、 風で幕を持って歩くのは大変かもしれません。集合場所が分からないと知人から電話が ありました。携帯を持っている別の知人に電話をして迷子?の彼を探してもらうことに しました。私は店でパソコン?とお客さんの世話です。  花粉症に甜茶が効きます。一日1000cc飲むと嘘のように咳、鼻水がとまり、普通の 生活ができます。花粉症のお客さんにも奨めています。一人のお客さんは私と同じく ピッタっと止まった人がいらっしゃいます。あとカスピ海のヨーグルトで治った知人も います。花粉症に効くカレーを開発すれば売れるかもしれません。(3.2)
 またはまってしまいまいた。脱ゲーム宣言をして半年持たなかった情けなさ、意思の弱さを 改めて知らされました。悔い改めの日々です。目標を掲げていかなくては弱い意思では継続が できなくなることを改めて知らされました。  イラク問題について、毎日のようにテレビなどのメディアでは評論家なりを招いて 討論を重ねています。アメリカの正義が人類の救いとなるのか? 先日の聖書勉強会で読んだマルコ伝二章13節〜17節はまさにブッシュ大統領への イエスの忠告です。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」 ブッシュさんは典型的な義人です。ブレーンに聖書学者を用い、演説にはかならず聖書を 引用しながら語るその言葉はパリサイ人そのものです。 パリサイ人的アメリカ人が戦いを好んでいるようです。パリサイ人とはイエスの時代に おいてユダヤ原理主義(国粋主義)を掲げ、イエスを十字架に架けた人たちのことです。  以前テレビ番組であと余命数ヵ月の主人公が「人生はいつからでもやり直しができる」 という言葉を信じて、己の人生の最後の最後にやり直すことが出来た彼はイエスの言う ところの「悔い改め」を人生の最後の最後にしたのだと思います。 主人公・真田広之、松嶋菜々子、玉置浩二などが出演していました。 うちの妻は人の顔を覚えるのが苦手で、ドラマなどでも役者さんの顔が分からなくなる ことがあるようです。真田広之さんが出ていたら私が「植木屋さんの社長だよ」というと 「ああ、あの人」と分かるようです。妻のため一言、別にぼけている訳ではありません。 苦手というか余り興味がないのだと思います。  イラクへ「人間の盾」になるために行かれた、日本人元教師がテレビで自慢めいた言動で 行動していたのが少し気になります。自分のやっていることは正しいことだと自信満々の 方をみると「?」と思ってしまう私です。(3.9)
 某週刊誌に「フセインが軍需工場に強制連行した『人間の盾』が逃げ出した」 の見出しで記事が書かれていました。戦争反対を唱え、世界中から1500人ほどが 「人間の盾」としてあつまりましたが、イラク政府の強制があり、爆撃されそうな軍需工場 に連れらていかれたようです。彼等は病院や学校などの市民が爆撃に合わないようにとの 思いで世界中から集まってきたようです。旅費も滞在費もイラク政府持ちとのことです。 軍事施設での人質にされてはと逃げ出す「人間の盾」の人たちは何を考えていたのでしょうか? 軍需施設だろうがなんだろうが爆撃の阻止ならばいいのではと考えてしまう私です。 威勢よく自慢げに語っていた、あの元教師の日本人はどうしたのでしょうか? 命が大事と日本に逃げ帰っているのでしょうか?(3.10)
「悔い改め」についての一考。 以前の書き込みからの引用を参考に「悔い改め」について考えてみたいと思います。  先週から見続けているテレビドラマがあります。昼の3時35分からの再放送 シリーズ「こんな恋のはなし」です。真田広之、玉置浩二、松嶋菜々子の演技が光り ます。もう終わりに近いと思います。時間があり、興味のある人は見てみるといいかも しれません。終わりをどう終わらせるか、「死」をテーマにして「生」を問うています。 歌手の玉置さんは以前も役者としていい演技をされていたので記憶にありましたが、 今回もなかなかいい味を出しています。バックに流れる音楽も玉置さんの曲です。 真田さんの抑制された演技もなかなかです。松嶋さんも新鮮です。 (2001.7.18)  テレビドラマ「こんな恋のはなし」が終わりました。 「いつからでも人生やり直しは出来る!」 「決して最後まで諦めない!」主人公の言葉です。 主人公は最後の三ヶ月を人生の良き思い出作りに費やしたみたいです。 さわやかに終わりを迎えたようです。思い出を残して去っていく主人公、 残された人たちは各々の人生を歩む、一年一度彼を偲んで集まることにして 思い出の中の彼は生き続ける。人生で何を残したかではなく、人生をどう生きたかが 問題なのだと思います。「死」を考えることが「生」にとって 大切なことなのだと思います。いかに生きるかは「死」を前提に考えるとき、 その生き方が変わってくるのだと思います。 限られた条件の中で生き抜くところに人は感動するのだと思います。その条件が 厳しければ厳しいほど物語としては感動ものに仕立てられやすいのだと思います 「こんな恋のはなし」も後6ヵ月の命という設定で話しは進みます。 限られた時間でも人はやり直しが出来、充実した人生を送れる。 時間の長さでもお金の有る無しでもない、「生きる」とは心と心のふれあいに よる一体感からくる喜びを分かちあう 友人、恋人、妻、夫、子供などが身近にいることに感謝でき、そのことに「幸せ」 を感じることができるかどうかです。(2001.7.27)  主人公は仕事優先の利己的な人でした。利己的でない金銭的に貧しい人たちと 接するうちに価値観が変わってきて、死の直前に180度の転換をするのです。 「いつからでも人生はやり直しがきく」と信じ、最後は自己犠牲をもいとわない 勇気を持つのです。信仰のお話ではありませんが「悔い改め」をそこに見ることが 出来ます。「やり直し」は悔い改めなくしてはありえません。以前の自分をただ 否定するのではなく。間違っていたことに対しての「悔い改め」なくしては 「やり直し」もできないのではないかと思います。(2003.3.12)
しばらくぶりです。アメリカのイラク攻撃に対するメディアの反応、人の反応、 賛成、反対多くの方々が語られていますが、根本的な問題を忘れているような気がします。 アメリカのいう平和はイラク国民の願う平和ではない。フセインの願う平和はブシュの 願う平和ではない。どっちもどっちなのです。戦いという形でしか解決できないところに 人類の愚かさがあります。イブがヘビに誘惑され「命の木」から実を取って、食べてしまい ます。ヘビの誘惑なのです。ブシュもフセインもその他の人たちもヘビの誘惑に踊らされて いるのです。問題の本質をすり替えられているのです。誰もそのことに気付いていないのです。 共食いをしながら、人類は滅びへの道を進んでいるのです。愚かな話です。  「戦場のピアニスト」「千と千尋の・・・」がアカデミー賞をとりました。 ヤンキースの松井選手が毎日テレビで話題にされています。これらは裏に何か別の意図が 隠されしているような気がしてならないのです。本来の価値以外の別の価値が付加されて 賞なり話題なりを与えられている。アメリカとの一体感です。「戦場の・・・」は アメリカの後ろに控えているイスラエルへの擁護です。(3.26)
 ホームページとメールのアドレスが変わります。公にしないつもりです。この書き込み だけにします。あまり人に見られたくない変なホームページです。店の宣伝はどうでも いいのです。店の方は一年一回ぐらいしか更新しないのですから。私のホームページは主に 自己の記憶としてのホームページです。検索してまで見たい人は見てください。 リンクして下さっている知人にも知らせないのですから、不親切極まりない行為です。 関係者の皆様私のわがままをお許しください。  明日、徳林寺へ「花祭」の搬入に行きます。詩、小説、童話の展示です。徳林寺の関係者で 始めて私の作品を読まれる方々はどのような反応をされるか?いまから楽しみです。 夕方は息子と映画を観ることになっています。春休みの貴重な子孝行?です。親孝行が あるなら子孝行があってもいいし、子守歌があるのなら親守歌があってもいいのです。 以前ラジオで親守歌ということを言われていたのを思い出します。  一月から義理で読売新聞を三か月だけ取ることにしたのですが、噂は本当でした。 読売は右翼的思想がみえみえです。アメリカ追随の小泉首相をべた褒めした記事を臆する ことなく全面に出しています。今日の朝刊「地球を読む」岡崎久彦の記事はその最たる ものです。日本の生きる道はこれしかないと断定して書き進めらされた内容は表面的にしか 事象をみることが出来ない短絡的評論にすぎません。それを惜しげもなく掲載する読売新聞 はおかしいです。辺恒さんがオーナー?なのでおかしいと思っていましたが 実際読んでみて、やはりおかしな新聞でした。もう定期購読はいたしません。 義理もあったものではありません。(3.30)


2003年2月の「思い」

 二月に入っての書き込みは今日が始めてです。聖書勉強会の書き込みに精を出して いたら、ついついこちらが遅くなりました。正直言って聖書が面白いのです。 有頂天になっていると足元をすくわれるかもしれません。慎重に、慎重に歩んで行き たいものです。本業がちょっと暇です。「お客さん!来てください」手を打たなくては 現状の打破はありえません。(2.4)
 いま展示している「多様なインド観」についての作者への私のメールを掲載します。   松山君へガンガーです。 展覧会の感想をお伝えいたします。  サデゥーにとっては悟りの道としての修行として、「非常識」を常識に、常識を 「非常識」に変える必要があっての行為なのだと思います。その行為を見て、松山君が いままでの常識を覆えされたのならばサデゥーも修行の意図が多少達成されたかも しれません。しかし、彼等にとっては自己の問題なのです。他者への影響は考えている のかどうか?今回の展示も松山君個人の問題であって他者は関係ないのかもしれません。 サデゥーと同じく分かってもらえなくてもいいのかもしれません。しかし、展示という 形をとって、他者に自己主張することは松山君自身にとってはサデゥーの行為と同じく 大切なことかもしれません。無関心、無感動な人が増殖している時代にあって、サデゥー を通して「非常識」をインドで感じられたのならば、インドへ行かれた意味は大きい かもしれません。繰り返しますが、サデゥーは修行の一貫として「非常識」を あえて行為として行なっているのだと思います。他者にとっては理解しがたい行為でも、 その本人にとっては神聖な行為なのだと思います。誰も彼等を非難することはできません。 世の中には常識と思っている中に案外「非常識」があったりするのです。 サデゥーのように視点を変えてみると社会の歪が見えてきたりするかもしれません。 若い内に見聞を広め、視野を広くすることは大切なことです。 ドイツでも「非常識」に遭遇することを期待しています。(2.5)  
  昨日も充実した「聖書勉強会」を行なうことが出来ました。参加者はいつもの メンバーでした。「悔い改め」をイエスは繰り返し唱えます。まずは「悔い改め」から すべてが始まるのです。サウロ(パウロ)の悔い改めについても学びました。さあ来週は どのような話になるやら、じゅっくり読み進めたいと思います。 勉強会の内容についての書き物(少し専門的?)を店に置いています。 希望者には差し上げますので、私にお聞きください。(2.6)  
 ダマスコ城外でサウロに光りがさして、天からの声を聞く「サウロ、サウロ、なぜ わたしを迫害するのか」天からのイエスの声です。イエスが死んで、天に上げられた後の 出来事です。イエスの天からの声はいまも聞く耳さえあれば、聞こえるのでしょうか? (2.7)
 年に数回はまる物にはまっていました。その間はパソコンをさわることもなく、月日は 立ちすでに二月も終わりにさしかかりました。昨日、やっと抜け出せました。またいつもの 書き込みが出来ることと思います。けさのニュースからアメリカのグラミー賞が昨日決まり、 ノラ・ジョーンズ(23歳)新人の女性が8部門を受賞しました。野球でいえば三冠王に 最優秀新人賞、ついでにMVPも取ってしまったようなものです。すごい新人です。 このノラさんのお父さんが83歳のラビシャン・カーンなのです。インドの楽器シタール の名演奏者で世界的に有名な方です。83歳の娘が23歳とは60歳のときに出来た子供 なのです。彼女の音楽が癒し系なのもお父さんのシタールが影響しているものと思われます。 インド系アメリカ人になるのだと思います。先日亡くなられた宇宙飛行士の中にもインドの 女性がいらっしゃいました。イスラエルの宇宙飛行士もいらっしゃいました。アメリカは あらゆる機会を使って自国(アメリカ)を支持する国との関わりを深めています。日本が そのいい例です。宇宙飛行士・毛利さんが宇宙から地上の細かく、精密な立体地図を作る ためのデータを取っていると以前宇宙船の中から地上の私たちへ語られていましたが、 世界平和に貢献する前にアメリカの世界戦略のためにこれらのデータは利用されるのは みえみえです。毛利さんもうすうす気付いているのに表だっては語らず、世界平和という 言葉でごまかしているのです。建て前と本音を使い分けて語る人、真実は別の所にある のに偽善を語る人、そんな人にはなりたくないものです。  アカデミー賞も近づいていますが、「戦場のピアニスト」あたりが取るのではないかと 予想します。何故かといえば・・・、同盟国イスラエルを擁護するためと言うとちょっと 考えすぎかもしれませんが、何かと日本のマスメディア、政府がアメリカ支持をしている ようにアメリカもイスラエルを支持するのです。お互いが「いい人論」なのです。 「いい人論」は私の持論です。お知りになりたい方は私の書き物「思考の断片」を読んで みてください。それか直接私にお聞きください。  昨日は昼の二時で店が閉店の日(月曜)だったので、のんびりとテレビを見ていたら NHKの「公園通り」という番組で打楽器奏者のヒダノ修一さん特集にゲストとして 音楽グループ「上々颱風」が出ていました。実によかったです。ちゃんとしたメッセージ を持っている方々の語りには納得させられる物があり、聞く側にとっては有益です。 私もそのように有りたいと思わされました。何かを伝えることに喜びを見い出すことが できればすばらしいと思いました。何を伝えたいのかが問題です。さあ私はわたしで やらなくてはいけません。(2.25)
 今日は聖書勉強会の書き込みだけで終わらせようとして、暇つぶしに新聞でもと思い 朝見たのでそんなに目新らしいこともないと思っていたら有りました有りました。 「私たち医療人はイラク攻撃に反対します」 という見事な意見広告が出ていました。 医療団体連絡会議、六団体が連名で連ねていました。 興味の有る方は http://www.yuiyuidori.net/idanren/ を見てください。(2.27)
 今日で二月も終わりです。あっという間でした。蒼生舎の山崎浩太君が来られ、話を していたら「聖書勉強会」に参加したいとの事なので、来週の聖書勉強会に来られるかも しれません。責任が伴います。しっかり読まなくてはいけませんが、気負ってもしかた ないので、いままで通りやるだけです。ほんと時間が有りません。やっらなくては いけないことばかりが増えます。睡眠時間はこれ以上減らせないので・・・。 祈るます。(2.28)
 
「ガンガー聖書勉強会」   毎週水曜日夜9〜10時  聖書をみんなで読んでその箇所を話し合う。 新約聖書「マルコによる福音書」を勉強しています。 途中からの参加も大歓迎です、始めての方でも心配なくお越しください。 参加希望者はガンガーまでご連絡下さい。   場所・インド料理ガンガー    日進市梅森町上松661ー6        (052)806ー5570
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