2003年6月の「思い」


 インドのタゴールが創立した大学に留学されている女性の展覧会を昨日から
ガンガーで行なっています。
心情をドローイングなどで表現されている作品群です。ドローイングに言葉が
添えられている作品もあり、タゴールの影響なのか、環境がそうさせるのか?
タゴールもインドの大地が生み出した偉人だと思います。やはりインドの大地、
環境が彼女にそのような作品を作り出させるのだと思います。 環境は大切です。
自然環境、生活環境、人間環境?は人の思考に影響を与えます。日本にいては
同じような作品は作れないと思いますが、インドでの体験から生み出される
別の「もの」が新しく生まれるのではないかと思います。根本は自己なのです。
昨日から続きますが、自己の人生観です。それらが作品に反映されるのだと
思います。絵が上手とか下手とかではなく、いかに生きるかという作者の
生きる姿が作品に反映されるのだと思います。作者の生き様が表わされたような
作品は見るがわに感銘を与えるのだと思います。その生き様が高尚ならばなる
ほど感銘は深いものになるのです。
高尚な生き様とはどんな生き方なのでしょうか?
個人個人で考えてみるべきことです。私はわたしの生き様で表現していきたいと
思っています。(6.1)
 自民党の麻生太郎政調会長が変な発言をされたようです。日韓の戦時下に おける認識の違いを自国の都合のいいように解釈してしまう、愚かな政治家ぶりを 自ら暴露されたそうです。これで彼の総理への道は閉ざされたのではないかと 思います。顔に一癖あり、悪役顔なのが気になっていたのですが、性格も生粋の 悪役だったのです。お悔やみ申し上げます。人材不足が日本の危機だと以前から 言ってきましたが、つくづく今回の件で痛感いたしました。  息子がインドに夏休み行きます。200坪の庭つき一軒家が一ヵ月5000円で 借りられ、大学の授業料が一年で5000円です。物価が日本の20分の1です。 60歳になって年金がもらえるようになったらインドで暮らした方が、日本で暮らす よりもずっといい暮らしができそうです。真面目に考えてみようかと思います。 60歳になってインドの芸大生というのもいいかもしれません。 入学が許可されればのことですが・・・。(6.3)
 「平安の所在」という本をある恩師が書かれていました。 その方は敬虔なクリスチャンなので、平安の所在は神に帰することだということを いいたいのだと思います。自力本願、ではなく他力本願が宗教の基本です。 昨日、NHK番組の「プロジェクトX」を見ました。プラズマテレビ開発の苦労、 挫折と努力の果ての成功物語、夢をかなえられた人の感動物語です。肝炎による 2年間の病院生活、諦めることなく、自分の夢に向かって進む意思の強さには 敬服いたします。彼には使命があったのだと思います。信仰うんぬんを語る 前に、彼にはやるべき使命があったのです。それがプラズマテレビの実現だった のです。現実の社会では自力がものをいうのですが、それだけでは成功しないの です。他者の協力なくしては何事も達成できません。プラズマのために多くの人 を協力者にしてしまう彼の人間的魅力が成功のカギだったような気がします。 (6.4)
 いま行なわれている展覧会のテーマが「平和、平安」だそうです。 「in my heart」という見出しで始まる作品群は彼女の心情を 表わしているのです。彼女の心の平安、平和は自己の内面に関わることですが、 常に社会、外部との関係なくして自己の平和、平安は存在しえないと思います。 社会、世界との関わりの中での自己の平安、平和なのです。 瞑想の中の平安は自己満足?にすぎないと言い切ってしまっていいものなのか どうか・・・、個人的には「瞑想」という言葉は好きではありません。 瞑想といったぎょうぎょうしい?ことをしなくても、日々の生活の中で想いを 深めていけば同じ効果があると思っています。生活の中ということが重要なの です。普段の生活の中にも瞑想?と同じ効果があるのです。神秘的なひびきの 「瞑想」ではなくて、掃除をしながら、仕事をしながらでも得られる深い想いが あるのです。「思考」という言葉をよく私は使いますが、「瞑想」よりも「思考」 の方が私は好きです。他と違うことを強調するような言葉(瞑想)は嫌いです。 普通でいいのです。平凡でいいのです。「瞑想」という言葉に、おごり高ぶった 優越意識を感じるのは私だけでしょうか?(6.5)
ソウル大学の学生が麻生太郎氏に講演の要請をしたそうです。先日の発言に対する 反応です。朝日新聞の呼びかけのようですが・・・。 太郎さんはこの要請に応じられるのでしょうか?多分、応じられないと思われます。  先日知り合いが始めた本屋にいきました。新刊と古本が置かれていて私は「ソフィー の世界」を100円で買いました。さっそく読んでいるところですが、ベストセラー になった本ですが、何でしょう。たいしたことないのです。ソフィーという少女に 謎の哲学者からの手紙がきて、哲学のダイジェスト版を順に披露するのです。 本物まがりの口当たりのいい偽物?です。偽物というと語弊がありますが、いまの世相 を反映しているといったらいいのかもしれません。苦労して自分のものにするのでは なく、楽をして自分のものにしたと錯覚を起こさせるようなしろもの?とでもいうの でしょうか。まだ出だしを読んだだけなので、断定はできませんが、そんな気が するのです。(6.6)  
「ソフィーの世界」NHK出版で訳した人が例の池田香代子さんです。 「もしもこの地球が100人の村だったら」の作者です。先日は憲法記念日だったか? メーデーのイベントだったか?よく覚えていませんが、パネリストとして話された みたいです。何かにつけ、いま話題の人物かもしれません。(6.7)
 日進市長の個展が始まりました。抽象画が8点、アフガンの戦いを表現した絵が1点、 計9点です。なかなか色彩がこなされています。一ヵ月ちょっとの間されますが、その 間市長の関係者で店はにぎわうことと思います。  映画「マトリックス・・・?」昨日封切された話題作です。前作はレンタルビデオ でたまたま見て、なかなかの作品と思い、ホームページに書き込みをしたことを思い 出します。息子と突然ですが今日見に行こうかと思っています。息子が学校から帰って きたら聞いてみることにします。月曜は男性が1000円の日なのです。店も2時で 終わりですから丁度いいのです。と思っていたら、息子が帰ってきて「今日これから 松坂屋の旅券センターにパスポートを取りにいかないといけないから、またの日に して」と言われてしまいました。やるべきことをちゃんと心がけているようです。(6.9)
 朝のテレビを見ていたら今日の占コーナーで水がめ座「努力の成果が表われる日」と ありました。妻が意味しんにいうので、そうかあのことかもしれないと思って しまいました。息子だけがきょとんとしていましたが、そろそろなんです・・・。 決して努力とは思っていませんが、私の生き様が公に認められるかどうかということ かもしれません。別に認められなくてもかまわないのですが、いちいち周囲の人に私の 生き方を説明しなくてもよくなるという意味では楽になります。それは家族に対しても いえることです。才能が有る、無しに関係なく好きなことをやっていけたらいいのですが、 なかなか世の中そうはいきません。才能が有ると関係者が認めれば、世の中の接し方が かわります。本人は何も変わらないのに、回りの人が変わるのです。まあ、生き方が 楽になる分、他の負担が伴うかもしれません。私は何を言っているのでしょうか・・・。  中島みゆきさんの新曲が三年ぶりに出ます。「地上の星」は空前のヒット作と なりましたが、今回もヒットしそうです。テレビ番組の主題歌と挿入歌、挿入歌が これまたよさそうなのです。柴咲コウさんが歌います。「月のしずく」はよかったです。 柴咲コウさんの歌が楽しみです。(6.10)
昨日はパソコンが進み、書き込みがかなりできました。アシカレ「天狗山の仙人」の テーマが重く、シリアスになってきたので、ちょっと話の筋を検討してみることに します。戦争で引き裂かれた愛と裏切り、ちょっと重たすぎます。戦争については 余り深く掘り下げて扱わないようにして、主人公の再生を盛り込むことでパピーエンド にしていくことにします。   「天狗山の仙人」の先が少し見えてきました。行き当たりばったりで 書き進めているので、どうなるのか?自分でもわかりませんでしたが、ここにきて やっと筋書がみえてきました。まだ先がありますので、これからも楽しみながら 進めたいと思います。店が暇だと書き込みが進みますが、それだと経営としては 大変です。書くことで生計が立てればいいのですが・・・、世の中そうはうまく いきません。苦悩が人間を成長させると信じているので、これも感謝かもしれません。 「助けてください」と神様に祈る日々です。「私の歩む道を開いてください」と 自分の都合のいい祈りばかりをしています。祈りは報われることを信じて歩んで 行きたいと思います。(6.11)
昨日の聖書読書会はマルコ4章の最後の話、イエスと弟子たちが乗った小船が沈み そうになり、弟子たちが寝ているイエスに助けを求める出来事の続きという形で、 ペテロの「にわとりが二度鳴く前に三度イエスを知らないという」という出来事に ついて学びました。何か月も苦楽をともにした弟子でさえ、自分の命ほしさにイエスを 否定した事実。ペテロはこの出来事で人の弱さをつくづく思い知らされたことでしょう。 何も分かっていなかったのです。復活のイエスを目の前に見るまでは弟子でさえ イエスのいわんとすることを真に理解していなかったのです。ペテロのこの挫折感が その後の使徒ペテロを作り上げたといいてもいいのかもしれません。 ピアニストのフジ子・ヘミングさんジャズシンガーの綾戸智絵さん、この二人に共通 するのが、若い時の挫折です。挫折を乗り越えさらに前へ前へ、前進なのです。 めげない強さが生きる強さとなり、聞く人に感動を与えるのです。(6.12)
 13日の金曜日です。別に変わったこともなく、夜は展覧会の申し込みがあり、 新しい人が写真展をされることになりました。45枚展示したいとの希望をかなえる べく展示方法を話し合い、どうにかできそうです。白黒の風景写真、シンプルな感じ がして、好感が持てました。武豊から来られましたこの方は蒼生舎の太田さんの紹介 でした。写真展は始めてだということで、一生懸命さがこちらにも伝わってきて、 好感がもてました。これからも良い付き合いができますように祈りたい気持ちに なります。以前下書きをした「再生」も書かなくてはいけないテーマの一つです。 人生の始めにおいて、ちょっと踏み外した程度で、生きる生き方を見失った若者の 再生への遠い、遠い道のりを書きたいのです。でも、その前に書かなくてはいけない ことがあります。アシカレの完結、サトルの続編、ゴッキの宇宙、この三つがあります。 カタツムリのようなのろい歩みでしか書けない環境ではどしようもありません。 カタツムリの良さを発揮できればいいのですが・・・。(6.14)
 15日です。ちょうど六月中旬です。梅雨の花、紫陽花(あじさい)をお客さんが 持って来てくださいました。菊のシーズンには鉢植えのりっぱな菊を持って来て くださる例の「菊の人」です。今年は「紫陽花の人」にもなられました。ガンガーを ひいきにしていただいてありがたいことです。  今日の朝日新聞、読書欄の本紹介から 「偏見から共生へ」名古屋発・ホームレス問題を考える。(風媒社) 以前、市民版のコーナーで紹介されていた本です。題名から内容は予想できます。 身近な人間がホームレス生活をしだしたので、ちょっと気になる本でもあります。 「再生」は彼等の側だけの問題ではなく、共生なのです。私たちの方が価値観の転換 をしなくてはいけないのかもしれません。偏見で彼等を見下してはいけないのです。 知り合いが自分が主催しているミニコミ紙にホームレスになった知人を小馬鹿?にした ような表現で彼のことを書いている記事を読んで、唖然としてしまいました。 心貧しい人はどちらですか?そのミニコミ紙に長いこと店の広告を載せていましたが、 思うところがあって今回で中止にしました。ちょうどいい機会かもしれません。 (6.15)
 新風舎出版賞の最終結果がでました。わたしの作品は残念ながら、受賞することは できませんでした。でも、出版奨励作品としての認定証なる賞状をいただきました。 賞状をもらったからとて、出版していただけるわけでもなく・・・。残念でしたという ことです。審査委員の評価はとても良く、ならどうして受賞しなかったのですかと 質問したくなります。ただ単に受賞作品が私の作品より良かったということです。 昨年の約倍の5329作品もの応募があったのですから、最終選考に残っただけでも・・・。 昨年の比率からだと、どれかの作品が受賞しているものと思って、密かに期待して いたのですが、甘かったようです。なぜ受賞できなかったかを聞きたい気持ちです。 そのへんのことを私の担当になられた新風舎の出版プロデュサーに質問してみる つもりです。  家庭の事情から、会社を辞めることになってしまった少女。母親とおばあちゃんとの 母子家庭で育ち、母親は持病持ちで仕事にも付けなくて、おばあちゃんの年金で生活を してきた貧しい家庭。母親の社会への猜疑心は娘の会社へと飛び火、社会保険の手続き で母親と社長婦人がちょっともめたことで、娘の立場は一変してしまいました。小さな 会社ではそんなことでも人間関係が崩れるのです。雇う側は面倒な親子だと思い、 母親は貧しくてもプライドが高く「そんなにしてまで働くことはない」と娘に怒りを ぶっつける。娘は農業高校で学んだハム作りをやりたくて、この会社に入ったのでした。 母親と会社の板ばさみになってしまい、親を取るか会社を取るかと決断を迫られました。 結局彼女は自分を殺して、親を取るのでした。親離れ、子離れの難しい家庭環境に育った 彼女です。常に前向きな姿勢が彼女の取り柄です。他だ心配なことは、男性問題です。 いままで三人の男性と深く付き合っています。多少重複して付き合っていた時期も ありましたが、一人の男性に尽くすタイプです。母親の男性観が刷り込まれているのか、 男との関係にも母親がしゃしゃり出てくるのです。母親の意見が彼女の判断の基準に なっているところがあり、この辺が心配の種です。 またまた、小説の種が見つかりました。「再生」といい、まてよ今回を少女を「再生」 のヒロインにしてはどうでしょうか?「再生」の主人公が社会復帰への過程で彼女と 出会い、お互いの傷をいたわりあっていくうちに愛が芽生える。いいかもしれません。 次ぎの小説はこれで決まりです。 仮題「再生・傷ついた過去を背負って、ケンとメイの愛」 種ばかり植えて、肥料や水をやらないと、すぐに枯れてしまいます。育てることが 大切なのです。書き物も同じです。「サトルの冒険」の加筆をしてみようかと 思います。出だしと終わりをもう少し、推敲してみるつもりです。出来たら他の 公募展にも出品してみるつもりです。(6.17)
眼我 真の新風舎出版賞騒動  二月に新風舎の出版相談を名古屋で受け、始めてだったのでとても新鮮な体験でした。小山和彦さんの 親切な応対で作品への手応えをいただき、感謝です。出版賞のことはそのときお聞きしたのですが、 まったく忘れていましたし、新風舎のホームページというかホームページ自体あまり興味なく、毎日を 忙しく過ごしていましたら、新風舎から出版賞の御案内をいただきました。正直、出そうかどうしょうか 迷いました。「サトルの冒険」は同人誌に連載していた書き物で、昨年の九月に終わらせたものです。 一年と七ヶ月続いた連載小説で、まったくの処女(童貞?)作です。少し長く続いたので、そろそろ終わら せて次ぎの新作の連載をと思い、二部を意図して終わらせた小説でした。すでに過去の作品で、新作を 書きていてそちらの方が重要だったので・・・、でもわざわざ案内状をいただいたのだから、出すだけ 出そうかと思い直し、案内状もろくに読まないで他の作品といっしょにそちらに送ったしだいです。 応募したことを意識していなかったのですが、一次通過、二次通過とご案内をいただいて「へえ、二次が あれば三次もあるのかな?」程度に考えていたのです。でも一次、二次と知らせを受けるとちょっと気に なってきました。案内状をじゅっくりと読み直してみたら、二次のつぎが最終選考になっていたのです。 これはもしかして・・・、あわてて新風舎のホームページを開いて見てみました。 過去の受賞者のインタビューを読んでいたら、もしかしたら自分もこの仲間に入れるのではないかと思えて きて、むくむくと欲望が沸き起ってきました。それからは毎日のようにホームページを見ては、 去年の最終選考に残ったフィクション部門の作品は11作品で・・・、私はフィクション部門に三作品応募 したので三作品とも残っているものと思い込み、かなりの確率で可能性があると一人夢を広げていました。 でもあるとき一部門に一作品の注意書きを読み、愕然としました。一次、二次通過は三作品全部では なかったのです。この時点でそれまでの有頂天から谷底へ落された思いで、冷静に自分を見つめることが できるようになりました。でも六月になるとだめでした。発表の中旬が待ち遠しくて、待ち遠しくて。 まず、電話で確認の知らせがあると受賞者の感想が書かれていたので、電話がなければ賞はありえないと 思い、13、14、15日と電話がなれば、もしかして・・・。悪戦苦闘の待ち日でした。 終わってみれば、いい経験になりました。可能性が残っていると思い直し、同人誌に掲載している 連載小説「なにわともあれ村のアシカレ」の書き込みに励んでいるしだいです。 次ぎの小説のストーリもほぼ決まり、昨日題名を「再生・傷ついた過去を背負って、ケンとメイの愛」 としました。来年も新風舎出版賞に挑戦します。 夢を与えていただき新風舎のみな様並びに審査委員のみな様、本当にありがとうございました。 2003年6月18日 眼我 真(荒金 誠)

 昨日から新風舎出版賞騒動の文章に振り回されています。何度も読み返し、自分で陶酔?
とはいいませんが、文に酔っています。一連の騒動の余韻に浸っていると言ったらいいので
しょうか?次ぎの一歩を踏み出さなくてはいけません。アシカレと新作の「再生・・・」、
まずはアシカレです。早く完結させねばなりません。(6.19)
  
 以前出版賞の話をしたお客さんから「結果はどうでしたか?」との質問を受けました。 家のトイレに貼っていた認定証なる賞状を見せることにしました。家のトイレで毎朝見て は励みにしようと思っていたのですが、お客さんへの説明には実物をみせ、なおかつ審査 委員の評価書も添えて見せることにしました。さらに今回の騒動の解説書?も添えることに しました。これでいちいち説明しなくてもすみます。賞状と審査評価書、解説書、 これらを読めば、みな様納得していただけることと思います。自慢するためではなく、誰に この話をしたか、さだかに覚えていないところがあるため説明責任としての公表です。 誤解のないように。本心は内緒にしたいのですが、言ったてまえ説明責任があるので、 そうもいかないのです。(6.20)
 久しぶりに新聞の記事から一言。 「救出女性兵の物語にも疑惑」(英テレビ「病院に敵兵不在)/米紙「味方事故で重傷」) 拷問による両足骨折と以前書かれていたように記憶していますが、これらがまったくの でっち上げだというのです。そこまでやるのかという思いがおこりますが、有りえること かもしれません。目的達成のためなら、嘘も方便なのです。こんな正義は正義ではありま せん。アメリカの栄光もそう長くは続かないと思います。アメリカも日本の自民党と同じで、 正しいリーダシップを取れないのに、アメリカに変わる国家がないので、ただそれだけで 世界のリーダー気取りをしているのです。怖い話です。 そんなアメリカに尻尾を振り続ける小泉さんは私に言わせてもらえれば、無能な総理です。 目先の利益しか考えれない短絡的思考のおぼちゃま総理には 早く辞めていただきたいものです。  梅雨と同じく、滅入ってしまいそうですが、雨の好きなわたしは 何故か?元気なのです。(6.23)  
新風舎からアンケートとメールに対する返事がきました。 「最終審査で、荒金様の作品は大変評判の高いものでした」との褒め言葉です。 じゃあ何故、受賞しなかったのでしょうか?第21回出版賞の締めきりが9月5日とのこと です。私の作品をぜひ本として流通させたいとの言葉も添えられていましたが、このへんは 営業辞令だと思っています。要はいい作品を書き上げることです。すべてはそこから 始まります。9月までにアシカレを書き上げ、校正も済ませたいと思っています。 ちょっと馬力を入れて書き込みに精を出したいと思います。  知人が動脈流内剥離?で緊急入院されました。血管がコレステローズなどで細く、弾力 がなくなって起こる症状です。治療方法は薬などで、現状維持を保つぐらいで、根本的な 治療方法はないようです。再発しなければいいのですが、爆弾をかかえて生きていかなく てはいけないようなものです。残された人生をどのように生きるか?生活のため働かなく てはいけませんし、かといって無理もできません。選択肢を列挙して消去方で選ぶしか ないのかもしれません。やはり健康が第一です。 (6.26)  感動とはいかにして起こるのか?共鳴し合うものが作品の中に有り、その共鳴が読者の 感動を呼び起こす。聖書を読んでいても、ある人はここで感動して他の人は別の所で感動 する、そんなことはしょっちゅうです。感動の種はいたるところに落ちていて、誰が何処で 感動するかは誰もわからない。私は何を言いたいのでしょう。 いい作品作りというよりは受賞するためのノウハウでもあれば知りたいという よこしまな考えがこんな書き込みをさせるのです。うけを狙っても当たるものでは ありませんし、私がそういう器用な人間でもないことを自分自身知っています。 書きたいものを書く姿勢が一番あっているのかもしれません。でもそれでは公募展での受賞 は難しいと思われます。公募展を意識しなければいいのです。そうです。でも、それでは 本として出版されません。出版は魅惑のオアシスです。蜃気楼に惑わされないように、真の オアシスは何処にあるか?そうです。聖書に戻ります。聖書が真のオアシスなのです。 惑わされないように、常々胆に命じておくべきです。サタンよ退け!イエスが荒野での誘惑 に打ち勝ったように、我も打ち勝てり!(自画自賛的自問自答、変なの) (6.28)


「ガンガー聖書読書会」
  毎週水曜日夜8:30〜9時30 
聖書をみんなで読んでその箇所を話し合う。
新約聖書「マルコによる福音書」を勉強しています。
途中からの参加も大歓迎です、始めての方でも心配なくお越しください。
参加希望者はガンガーまでご連絡下さい。   場所・インド料理ガンガー
   日進市梅森町上松661ー6    
   (052)806ー5570

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