2003年8月の「思い」


 

八月です。息子のことを書いていますが、妻に事実確認をかねて、
校正してもらっています。記憶違いなどあり、訂正箇所が多く、一歩一歩進めています。
夫婦共同作業で、これはこれでいいかもしれません。
「息子の旅立ちへ」という題ですが、題は変更するかもしれません。帰国して展覧会
までを目安にしています。そこそこの量の原稿用紙になるようでしたら、新風舎の
公募展にノン・フィクション部門で応募するかもしれません。フィクション部門には
「なにわともあれ村のアシカレ」を出す予定です。両部門に出せば受賞の確率が高く
なるかもしれません?人生そんなに甘くないのですよ。甘い考えです。
(8.3)
 「息子の旅立ちへ」の書き込みが日記のようになっていて、こちらへの 書き込みが留守になっています。アシカレの校正をしています。(8.6)
 「息子の旅立ちへ」終わりました。そんなに長くならなかったので、水晶山と乗鞍の エッセイもいっしょにして、一つの作品として応募するつもりです。(8.9)
   いま写真展をされている太田義之さんとコラボレーションをすることになりました。 太田君の写真を見て、私が詩(短歌?)を作るのです。写真と詩のコラボレーションです。  ただし、私の言葉は未公開とします。来月の蒼生舎通信から掲載されますので そちらを見てください。(8.13)
 創作が進むので、ホームページへの書き込みを後回しにしています。公募展に出す 作品を校正していますが、公募展に出すことに、また興味がなくなってきたみたいです。 人の評価に興味がないと言えばいいのかもしれません。成り行きから、「アシカレ」は 出すつもりです。 (8.16)
 久しぶりに「わっぱんの会」の黒田さんに電話をしました。何年ぶりでしょうか? 農業も、家庭も軌道に乗っているみたいなので、よかった、よかった。 良い人が努力している姿は美しいです。良い人ネットワークでも作りたくなります。 あなたもメンバーに入りませんか?でも、良い人、良くない人は何処で判断するのですか? それは私が持っている「良心の天秤」で量ります。「良心の天秤」それはなんですか? 私の心にある魂の善し悪しを量る天秤のことです。魂の善し悪し? つまらない戯言です。そんなもので人の善悪など量れませんよ。人を裁くなかれ! うぬぼれる者は久からずや!冗談はこのくらいで、私の中に「良い人ネットワーク」 なるものが、なんとなく有るみたいです。黒田さんはその中の一人です。  黒田さんは太田君にとって必要な人になりえるかもしれません? 良い出会いがあって、道は開けていくのかもしれません。  善かれと思ってしたことも、相手にとっては迷惑なこともあります。でも、何かの 機会に、また繋がる可能性も残されていると思えば、気は楽です。黒田さんの玉葱を 何年ぶりかに買うことになりました。これも今回の件で動いた結果です。何事も 前向きに考えられることに感謝したいものです。  聖書の読書会をしていますが、私にはとても益になっています。熱しやすく冷め やすい性格から、聖書も読んだり読まなかったり中途半が続いていたのですが、 今年の一月から始めた読書会のお陰で聖書を読み続けています。いままで三回ほど 休んだだけで、以前読書会は続いています。私がほとんどの時間を語るのですが、 ちゃんと勉強していないと話すことがなくなり、参加者が退屈してしまいます? それなりに本を読み、聖書の勉強もしています。 でも、欲をいえば・・・。「聞く耳を持つ者は聞け!」です。いくら言っても 聞く耳を持たない?人にはただの昔話です。でも、それでも会の存在意義はあります。 私にとってはとても大切な時間なのです。聖書の言わんとすることを学ぶにおいて、 貴重な体験をさせてもらっています。そういう意味では、小野田さんと本田さんに 感謝です。わたしの話を毎週飽きずに聞いていただき、ありがたいことです。 「人がいて、自分がいる」自分だけでは生きていけません。小野田さん本田さんがいて 読書会は存続するのです。私一人ではとうの昔に読書会は止めています。ささいな 読書会が生き甲斐に繋がるのです。この読書会が文筆活動にも刺激を与えている ところがあると思っています。あと店の存在も大きく影響しています。自営業で、 儲かっていないので、自由に使える時間が充分あり、文筆活動には打ってつけです。 家族には経営の面で、心配をさせているようですが、これまたどうにか潰れないように 運営できているのは、ある種の神の奇蹟かもしれません。こんなことを妻が読むと 雷が落ちてきそうです。全身全霊、精一杯、頑張っているからこそ、奇蹟?も起こる のかもしれません。与えられた境遇に感謝です。この感謝を何かの形で反映させたい ものです。(8.19)
 「バカの壁」が110万部突破という宣伝が新聞に出ていました。 各紙絶賛のようです。私の反論など、世に出ることもなく埋もれてしまうのでしょう。 別に世に出ることに対して、気にしていないので、それはそれでいいと思っています。 「バカの壁」が絶賛されればされるほど、彼(養老)は己の位置を見失うのではないか と思います。彼の先が見えてきます。自己中心の頑固おやじ。これらは私のひがみから 出た偏見ではないつもりです。(8.21)
 残暑がきつくなってきました。三時の休憩時間に、テレビで放映していた 「達磨大師」物語を見ました。中国映画でした。輪廻思想はいつから仏教に入り こんだのでしょうか?バラモン教の修行僧としてブッタは修行して、仏教を 悟った。輪廻はバラモン教の中にすでにあったのでしょうか?輪廻思想がどうも 理解できないのです。キリスト教を理解できない人がイエスの復活を理解できないように 輪廻して生まれ変わることが私には理解できません。共通するような教えも 多々あるのですが。(8.22)
 
2003年7月の「思い」

 


もう七月です。早い、早い。自分は止まっているつもりでも、地球規模でみたら
高速?で回転しているのです。時の流れも同じです。自分は立ち止まり、人生を見つめて
いるつもりでも、時は勝手に流れています。
 今日の聖書読書会はマルコ5章の21節からです。ヤイロの娘の前に、12年もの間、
長血を煩っている女性の出来事。ころもを触っただけで、癒されるイエスの奇蹟。あなたの
信仰があなたを救った。平安であれ、健康であれ。これらのイエスの言葉に生きる上での、
知恵が書かれているように思われます。信仰があっての、平安と健康。人は平安と健康さえ
あれば充分生きていけますが、共に不安定なものです。歳をとれば健康の上で、支障がでて
きます。また、いろいろな出来事により不安にもされます。信仰がここにあれば、奇蹟が
実際におこらなくても、病気のままの体でも、その人は強くされ、人生を生き抜くことが
できるのです。イエスを触った人は他にもたくさんいたと思いますが、すべての人がこの
女性のように、癒されたかというと「?」です。たぶん、そうではなく「あなたの信仰が
あなたを救った」というイエスの言葉のように、その人の信仰によって癒される、癒され
ないの差がでていたと思います。癒しは他者の目に見える形として現われもすれば、本人
しか分からない他者には見えない形をとることもあるのでは?でも、そのことを公にする
ことで、自分がイエスを受け入れたことの証明をしなくてはその信仰はいばらに合うと
くじけてしまうのです。証をすることの大切さも書かれているのです。その女性に語らせた
イエスは愛ゆえの問い詰めだったのです。癒されたことをイエスにつげることなく、だまっ
て逃げ去ったのなら、この女性はその瞬間は癒されても、魂まではいやされることなく、
すぐにまた別の病なりに犯され、苦しむことになったかもしれません。信仰があっての、
平安であって、健康なのです。根本の治療は魂からしなくてはいけないのです。イエスを
受け入れたことを公表することで、真の救い(魂の救い)に預かるのです。
信仰(魂)、平安(心)、健康(体)について考えされる箇所です。(7.2)

 忙しい日でした。パーティがあり、疲れました。また、15日にあります。感謝です。 昨日の続きです。ころもを触って、癒された女性が、黙ってその場を立ち去れっていたら、 その病気は癒されたとしても、魂の救いには預かることはなく、一番大切なものを見失う ところだったのです。 イエスが「誰が触ったか?」問いただしたおかげで彼女は名乗り出る機会を与えられたの です。この問いかけは、イエスの愛情の表われだったのです。彼女は自分を公にすることで、 イエスの奇蹟の証人となったのです。そのことによりイエスからの心温まる言葉をいただき、 病気の癒しだけではなく、もっと大切な魂までも癒されたのだと思います。(7.3)
 息子がインドから帰国したら個展をしたいというので、さっそくテレビ局へ 一報をいれました。中学二年生のインド一人旅は珍しく、すぐに取材の話が成立しました。 展覧会の題名を何にするかで、息子に話したら「おとうさんなら何て付ける」と聞かれた ので「13歳インド一人旅」というと「演歌だね!」といわれてしまいました。演歌か、 歳は取りたくないものです。さて息子は何と付けるのでしょうか?楽しみです。(7.6)
 「マトリックス・リローデット」息子と観てきました。思考的は筋書は私の興味をそそ りました。気になる点も幾つかありましたが、三部作で完結ということですので、矛盾は 次回の話で解決されるものと思われます。興味をそそられたことから、書き込みます。 マトリックス(コンピュータの中の仮想世界)のソース(コンピュータ・ソフトの元)での 創作者との会話で「いままでも救世主として5人ここに来た、君は6人目だ。右のドアは プログラムの破壊による、機会社会(マトリックス)と人類の滅亡。 左のドアは機会社会によるエグザイル?の破壊。でも、男12?人女12?人は助かり、新たな エグザイルを作り、またいままでと同じように7人目の救世主を生み、同じことを繰り返す。 君の選ぶ道はすでに決まっている。人類に選択の余地があるかのように思われているが、 それは違っていて、選択は「何故、未来がそうなったか」の理由を知るための行為にすぎ なくて、未来はすでに決まっている。ただ、いままでの救世者5人は不特定多数を 救った(愛した)が君は彼女一人を愛した」過去5人の救世主との違いが変革を生みだす のかもしれません。その兆候が終わり近くのシーンに表われていました。現実の世界でも ネオはクラゲ型のロボットを一瞬にして倒します。マトリクスの世界ではスーパーマン顔負け の活躍でしたが、現実の世界?でもそれらしきことをしてしまうのでした。  (7.8)
 さてと、今日の読書会はどのようになるのでしょう? ヤイロの復活?についての出来事です。「恐れることはない。ただ信じなさい」 イエスの言葉は重たい意味を含んでいます。 「信じなさい」簡単なようで、実に難しいことです。「ああ、そう」なんてものではなく、 信じる=命を捧げるぐらいの重みがあるのです。信じる側の思いとイエスの思いが一致した とき、始めて奇蹟はおこるのです。どちらかが欠けたときは奇蹟は当然起こらないのです。 (7.9)  長崎県の4歳児殺害事件の犯人が中学1年生とは、哀しくなってしまいます。 家庭が問題です。一人っ子を両親がいかに育てたか?ここに問題があるような気がします。 被害者の家族も加害者の家族も重荷を背負っていかなくてはいけません。救いの光りが 見えるようになることを期待したいものです。何故このような事件が起こるのでしょうか? 生命ある物をただの物質のように扱い、思いやり、愛情などの感情が欠落していている人 が社会生活に破綻をきたし問題を起こす。これらの一部の人がいつしか多くをしめるように なる、未来への不安はこのへんに存在しているのでは?人類の精神的堕落、衰退によって、 人類の未来は衰退への道を歩むのではないかと思われます。 情報社会の落し穴に落ちていく人たち、踏みとどまり流されない少数の人が 人類を救うのかもしれません。映画「マトリックス」は人類への警鐘です。 (7.10)
 インド行きまで、後3日です。荷造りもそろそろ始めているみたいです。無事に帰って 来ることを信じるのみです。自分で判断して行動して、すべて自己責任なのです。 いい思い出作りが出来るといいですね。将来に繋がる何かを見つけてくるかもしれないし、 何もないかもしれません。すべては彼の体験になるのです。帰国後の展覧会も楽しみです。 記念コンサートも企画しました。(7.16) 「インド・スケッチ展覧会記念  投げ銭コンサート」  夏の夜の、インドの調べ   シタールとタブラ演奏  (無料、投げ銭大歓迎)   9月3日(水曜日)夜7:30〜8:30ごろ  場所:インド料理ガンガー   電話:(052)806 5570  
「バカの壁」養老猛司 読みました。感想は・・、豊富な体験から知りえたところの 持論を、他者の意見をうまく利用して、おおざっぱだから分かりやすくという利点をこれまた 利用して、語ったところの本です。こんな本がベストセラーになること自体驚きです。世の中 おかしいのです。いかに体験欠如症候群の人が多いかということです。言ってることも いたって短絡的?おおざっぱ、信仰については部外者が建て前論で断裁しているだけです。 「バカの壁を唱えるバカ」という評論本でも書きたくなります。自分で考えることが出来ない ような人には他者(養老)の意見を読んで、いかにも自分が体験したような錯覚に陥る おバカさんたちがこんな本を買うのでしょうか?世の中不思議なことだらけです。 だからおもしろいのかもしれません。名誉も地位も学歴もない私がこんなことを 言っても誰も振り向きません。バカの壁を指摘する養老さんもバカの壁の中のバカも 同じバカなのだということを私はいいたいのです。バカの壁を知っていたとして、それだ からといってその人をバカ呼ばわりするほど養老さんあなたは偉い人なのですか? 私に言わせてもらえれば、五十歩百歩ですよ。イエスが二千年まえにすでに言っています。 「己を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」この隣人は同じ一神教仲間を差しているのでは ありません。「よきサマリア人」の話を読んだことがありますか?さらにペテロが剣を もって兵を追い払おうとしたとき「剣を持つ者は剣にて滅ぶ」とも言っています。 一神教のなんたるかをまったく理解していない、あなたが現状の結果と体験から推測して 二元論、多神教をより賛美されることに、反論します。多神教でも、一神教でも、二元論でも あなた流に表現すればバカはバカの壁を作るのです。養老さん、あなたの持論もすでに バカの壁を作っていますよ、もっと高みから見てご覧なさい。あなたのバカさかげんが 私にはよく分かります。(表現がいたって挑発的傲慢なことをお許しください)(7.19)
 息子のインド行きが、明日です。本人はひょうひょうとしているように外見は見受け られます。今日の英語検定二次試験も問題なくクリアーしたみたいです。 13歳で、インドに一人で行く少年はそうはいないのではないかと思われます。これも 育った環境の影響です。わたしは金儲けに関してはあまりうまくありませんが、仕事柄 インド関係には多少の人脈があります。それが今回は大変役立っています。 インド舞踊家の小久保シュバさんとの関係もさかのぼれば、不思議な縁です。  20年ほど前同じ職場で知り合い、お互いその会社をやめてからも、親しくしていた 小久保君という口は悪いが気はやさしい?ちょっと変わった男がわたしの友人にいるのです。 若い時は小説家志望でやたら本を読み、短編小説を書いては読まされた思い出があります。 ちょうど11年前のことです。ガンガーを始めて一年ほど立っていました。 知り合いのお客さんの紹介でした。 「ミティーラ美術館」が企画したインド舞踊団・ママシャンカールによる日本縦断公演の 荷物運び兼トラック運転手を捜しているという情報があり、誰かいませんかと電話で 問い合わせがあったのでした。二か月間いっしょに行動できる人間はそうはいません。 失業中か、プータロウぐらいなものです。そのプータロウがたまたま身近にいたのでした。 それが小久保君だったのです。その当時、彼は半年働いて、残り半年は貯えで食い繋ぎ、 お金がなくなるとまた働くという、いたってデカダンスな生活をしていました。ただ、彼は 運転が大の苦手で2t・トラックと聞いて、ちゅうちょしていました。 わたしが「人生にこんな機会はないよ、小説の題材にもなると思うよ」と説得したのが、 つい昨日のような気がします。(つづく)(7.20)
 息子がインドへ旅立ちました。機内にはいる直前、わたしに電話をしてきました。 「いまから機内にはいるから」と、私は「健康に気をつけ、絵を沢山描いてきなさい」と 励ましときました。「シャンティ・ニケタンの相川さんと塚本さんに、宜しくと 伝えておいてね」とも付け加えときました。 妻と妻の母、妻の妹とその娘の三人が空港まで見送りに行きました。わたしは小牧空港 まで車で送って、仕事があるのですぐに帰って来たのでした。そのさい別れ際に、ニッコと した笑顔がめずらしく大きく口を開けていました。矯正の金属がくっきりと見え、とても うれしいのだということがよくわかりました。いつもは少し開ける程度の笑いなのです。 矯正の金属が見えるのを気にする、きゃしゃな性格なのでした。空港から帰ってきた妻に 「機内に入る前に電話してきたよ」というと 「電話してきたの?まあ、よく気がついたわね」妻の感想でした。 13歳、いろいろな可能性が秘められている年齢です。つまずくこともあれば、飛躍する こともある難しいといえば、難しい年頃ですが、これまで親の保護の元、密かに貯えて いた秘められた力を試すには一番良い歳かもしれません。子を信じて送り出す勇気が 親の方にも必要です。中学生の犯罪が取りだたされる昨今ですが、親の生き様、しつけが もろに反映されるのが、この年頃なのかもしれません。子は親の背中を見て育ちます。 まずは親が自信をもって、たくましく生きていることを子に示せるかどうかです。 たくましく生きるとは、見かけのカッコ良さではなく、泥まみれになりながらも必死に なって家族を守ることです。その親の姿そのものが子には輝いてみえるのです。(7.21)
 バンコックで7時間のトランジットをして、無事インドに着いたみたいです。 シュバさんのお姉さんから国際電話で夜中の12時半、カルカッタ空港出口で赤いハンカチ をお互い見印にしていたので、赤いハンカチを持った小柄な少年サンタと無事出会った との連絡がシュバさんにあったとのことです。まあ、これで一安心です。今度は最終目的地 のシャンティ・ニケタンヘ向かって、今朝の9時半の列車に乗らなくてはいけません。 シュバさんのお兄さんが段取りをして下さっているはずなので、安心しています。 シャンティ・ニケタンはカルカッタから列車で2時間半ほどのところです。インド人が珍しがって 話しかけてくること間違いなしです。それらのことに対して、一人で考え対応しなくては いけません。それも英語で答えなくてはいけません。いい人生体験になることと思われます。 親の大切な役目の一つは自立した、一個人として社会の中で生き抜く、たくましさを子に 養うことだと思っています。自分で考え、判断して行動することができて始めて、一人前の 人間です。私たちから巣立つのも、もうまじかかもしれません。子の未来と親の未来、共に 希望をもって歩んで行きたいものです。(7.22)
 息子から電話がありました。二階の自宅にいた妻が出ました。 無事にシャンティ・ニケタンの相川さんの家に着いたとのことです。妻は嬉しかったので しょう。すぐに店にいる私に知らせてきました。シャンティ・ニケタンへの列車に乗った ことはシュバさんから連絡をいただき、知っていましたが、ボロブドールで下車して シャンティ・ニケタンへ着いたのかどうかが、多少心配だったのです。いらぬ心配でした。 電話代が案外高いので、妻は心配してすぐに電話を切ったそうです。 シャンティ・ニケタンにもインターネット・オフィスなるものがあり、そこからメールを 送ることができると、相川さんから聞いていた妻は息子にメールで知らせるようにと言った そうですが、息子の性格からよほど何か困ったことが起きないかぎりはメールを送って こないでしょう。それでいいのです。絵を描きに行ったのです。そちらが忙しくてメール どころではないでしょう。一つの事ができればそれで充分です、これもあれもと欲張ると 結局、何もできなくなります。好きなことをしてくればそれで充分です。 親の心配などしなくていいのです。帰国したら、彼の展覧会が待っています。息子には 芸術大学には行かないように、常々言い聞かせてきました。何故かというと、卒業しても 就職を考えたとき、絵や彫刻ではほとんど就職口などありません。学校の先生になれれば、 それはそれでいいのですが、息子の性格からすると、先生という職業には向いていません。 でも今は少し違ってきました。それは何故かというと、今回のインド行きで彼への私の見方 が変わってきたからです。自分の道は自分で切り開くこことができる男になったなと 思われることがあったからです。それはリ・コンファーム(搭乗の再確認)の件です。 リ・コンファームをシュバさんのお兄さんがして下さることになっていたのですが、息子は 「自分でしますから、結構です」と断わったそうです。自分でオフィスへ電話するとのこと です。英語で電話ごしにする勇気はどこからきているのか?私なら頼みます。 英語に自信がありませんから。このことをシュバさんから聞かされたとき「超されたな」と 思いました。子に超されたことは嬉しくもありますが、わたしの苦手が英会話と金儲け? なのでしかたないことと自分を慰めてもいます。親の反対であきらめるようでは たいしたことありません。本当に好きなら、自分を信じて歩むことです。 シャンティ・ニケタン大学(芸術大学)に行きたいならば、反対はしないつもりです。 まだ、高校がありますから、その間に進路を決めればいいのです。(7.24)
 いま「少年H」を読み始めました。妻が買ってきた本です。数年前ベストセラーになった 本です。妹尾河童さんが書かれた、自伝です。河童さんはインドのトイレの本とか、 ユニークな発想をされる方で、以前から気になっていた人の一人でした。96ページ読み ました。感想は涙あり、笑いありの読みやすい本ということです。読みやすさでは 「バカの壁」も同じでした。読まれる本の条件の一つは誰もが読みやすいと思うこと かもしれません。内容はむずかしくなく、戦時中の出来事が淡々と描かれているのです。 体験から来る真実があります。子どもの時の記憶が大人になっても新鮮に残っている ところが興味をそそられました。でも、もうこれ以上は読まないと思います。追体験は 別にしたくないという思いがあります。アシカレの話の参考になればと思ってみたのですが、 どうもなりそうにありません。  きゅうきょ、アシカレが完結しました。行き当たりばったりの、筋書なしの書き込み形式 なので、こんなふうに完結することもあるのですね?いまだに終わったことが信じられません。 著者が信じられなくてどうするの!これでいいのでしょうか???ちょっと検討してみます。 でも、多分このままにするのでしょう。これはこれでいいのだと思います。 アシカレを校正して、編集し直してから公募展に出すかどうするか考えたいと思います。 出しても勝てる?かどうか検討しないといけません。負けそうだと思えば、他の童話を2〜3 まとめて、それを公募展に出すかもしれません。勝つための出品にしたいと思います。掛け声 だけで終わらないようにしたいものです。  いま企画しているところの書き物が有ります。 息子のインド行きを親の立場から見た、子の自立をテーマにしたノンフィクションの書き物です。 昨今、頻繁に起こっている中学生の凶悪犯罪に対する警鐘になれば、との思いからの書き物です。 内容はというと、旧友の小久保君との関わりとシュバさんとの結婚、さらにシャンチ・ニケタン 大学に留学している相川さんのことを折り込みながら、いまインドに行っている息子への 父親の思いを、長崎の幼児殺害事件の中学生の犯人と親の在り方とを比較しながら、自分の 子育て論を書く上げる。さあどうなるでしょうか?あとのお楽しみです。(7.25)  
 「印度シャンティ・ニケタンの旅」(息子の一人旅について想うこと) エッセイを書き出しました。でも、ノン・フィクションはむずかしいものです。 嘘はかけませんし、プライバシーの問題もあります。いいかげんな気持ちでは書けません。 面度なことですが、登場人物に掲載の許可を取らなくてはいけません。昨日から書いた分を 妻に見せたところ、赤字で訂正された箇所がたくさん出てきました。面倒くさい作業ですが、 訂正しなくてはいけません。  最近、店が暇です。冷夏なので客足が遠のいているのでしょうか?暇な分、書き込みは いたって順調です。ちょっとした作家気分で長い時間書き込みができます。細切れ時間と ちがって、ずっと書くことに専念できることは、作品作りにおいては大変いいことです。 ただ、これでは店はやっていけません。お客さんそこそこでいいので、来てください。(7.27)
   「印度シャンティ・ニケタンの旅」  スケッチと写真展 サンタ・アラカネ  8月19日〜9月7日まで(但:28日は臨時休業です)  中学二年生、希望と不安をバックに入れて、一人シャンティ・ニケタンへ インド料理ガンガーにて  住所:日進市梅森町上松661ー6  電話:(052)806 5570  営業時間:火〜日曜(9:30〜15:00、17:00〜21:00)       月曜のみ(10:00〜14:00)
「インド・スケッチ展覧会記念・投げ銭コンサート」  夏の夜の、インドの調べ  シタールとタブラ演奏  (無料、投げ銭大歓迎)  9月3日(水曜日)夜7:30〜8:30ごろ  場所:インド料理ガンガー    
   
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