2003年9月の「思い」

 新風舎の公募展に無事応募できました。校正が不十分でしたが、まあしかた ありません。後は審査委員が判断されることです。余韻に浸っていられるのも、 この辺までです。次ぎの作品にとりかからなくてはいけません。ゴキブリの物語です。 毎日毎日、ゴキブリを殺している私としては、罪滅ぼしの意味をこめて書き上げ たいと思っています。 武豊から,わざわざ展覧会を見に来られた方がいらっしゃいます。大変律儀な 方です。忙しかったので、余りゆっくりとは話ができませんでしたが、お互い 謂わんとすることは、理解できたつもりです。息子を思う親心、ここにあり。 いつか願いが叶えられますことを信じたいです。  太田義之さんとの写真と言葉のコラボレーションは私としては刺激的で、 いい経験だと思っています。ただ、印刷が不十分なので、写真の良さが半減いや それ以下になってしまっていることが、大変残念です。逆境を逆手に取り、 私は写真から、誘発されて言葉が生まれたように、今度は蒼生舎の読者に 言葉から写真をイメージしてもらうのはどうでしょうか? 写真の印刷による不備を今度は言葉で補うのです。ただ、これだと私の言葉が 一人歩きしてしまい、写真から受ける自由な発想が生まれなくなる可能性が あります。・・・、そのへんを私が丁寧に解説して、どうにかこの問題を解決 したいと思っています。生写真の良さをどこまで、言葉で言い表せるか? 難しい問題ですが、難しければ難しいだけ、やりがいもあります。あとテーマに ついてですが、見る側に固定観念を植え付けないような漠然としたものがいいの ではないかと思います。 タイトル「幻視」(写真と言葉) モノクロ写真から言葉が生まれ、さらに(蒼生舎通信の読者は)言葉から幻視 (写真)を想像する。(写真・太田義之 言葉・眼我 真) こんな見出しはどうでしょうか? (9.6)  
(昨日の書き込みの一部を推敲してみました。)  太田義之さんとの写真と言葉のコラボレーションは私としては刺激的で、 いい経験だと思っています。ただ、蒼生舎通信の印刷が不十分なため、 写真の良さが半減、いやそれ以下になってしまっていることが、大変残念です。 この逆境を逆手に取り、写真から、誘発されて詩が生まれたように、 今度は蒼生舎の読者に私の言葉から幻視(写真)をイメージしてもらうのは どうでしょうか? 写真の印刷による不備を今度は言葉で補うのです。ただ、これだと私の言葉が 一人歩きしてしまい、写真から受ける自由な発想が生まれなくなる可能性が あります。・・・、そのへんを私が丁寧に解説して、印刷の不備を解決 したいと思っています。生写真の良さをどこまで、言葉で言い表せるか? 難しい問題ですが、難しければ難しいだけ、やりがいもあります。 あとタイトルについてですが、見る側に固定観念を植え付けないような漠然と したものがいいのではないかと思います。義之さんの言われたようにタイトルは
「幻視」(写真と言葉) でいいのではないかと思います。さらに付け加えて モノクロ写真から詩が生まれ、さらに(蒼生舎通信の読者は)詩と言葉(写真の 描写説明)から幻視(写真)を想像してください。 (写真・太田義之 言葉・眼我 真) 蒼生舎の印刷では、はっきりとは見えないモノクロ写真の美しさを、私の言葉で 補ってみるつもりです。その説明は詩ではなく、言葉で客観的に描写して みたいと思います。詩は詩で私の幻視を表現して、写真の説明は、いたって 客観的に描写したいと思っています。詩と言葉で義之さんの撮られたモノクロ 生写真の美しさをどこまで再現できるかです。ただ、言葉は思考を限定しやすく、 固定観念を植え付ける可能性があります。自由なイメージを崩さず、なおかつ 幻視を感じさせられるか?これも実験です。人生も同じように、一度きりの 実験です。なにごとも怖がっていては、時間切れになってしまいます。 あわてず、落ち着いてチャレンジです。義之さんと私のコラボレーションによる 実験です。おもしろいかもしれません。義之さんの写真があっての私の言葉なの です。タイトルの順番は最初に写真で、次ぎに言葉です。 作品はすでに一人歩きしています。いい作品ほど一人歩きをするものです。 あとは見守ってあげるだけです。 生みの親が義之さんで、育ての親?が私なのかもしれません? (2003.9.7)
 今日は忙しい日です。名古屋テレビの取材が朝一番にありました。 モーニングの取材です。12日、朝の番組「どですか」で放映されます。 7:45分あたり放送されるとのことです。興味がある人は見てください。私が 面白おかしく話をしています?3:30分からは画廊の取材です。 こちらは地元のCCNET有線放送の取材です。インド半年、日本半年という 生活をしていらっしゃる林さんの個展を取材したいとのことです。(9.8)
 原因があって結果がある。過去があって今がある。精神の病に悩んでいる方たちは 過去にその原因があるのだと思います。その過去の原因をはっきりと究明しなくては、 病の治療はできないのではないかと思います。私はその手(精神科)のプロ(医師)では ないので、断言できませんが、そんな気がします。それと家庭内の親子関係が不自然と いうか、親が苦しんでいる我が子の立場で物事を考えられない、そんな親が子を追い 詰め、ついには精神的におかしくして、しまうのではないかと思います。身近にいる ある人を見ていると、そんな思いが起こってきます。(9.10)
 小泉内閣の新メンバーを見て、思うこと。 この人は自分の意志を通すためなら、他人の心、思いなど気にしない、ある種の冷淡さ を持ち合わせた性格の人だと思いました。人の感情をもてあそぶ?様なところが 見受けられます。小泉さんは、政治家として日本国を任せられる人材なのか?大いに 疑問です。  きょうから写真のグループ展が始まりました。みなさん力が入っていて、見るからに 奇麗という写真ばかりです。奇麗なものが好きな人にはすばらしい写真ばかりです。 でも?私の好みとして、答の出ている問題はおもしろくないのです? 私は見かけだけが奇麗なもの、何故かそんなものが嫌いなのです。 小泉さんも見かけは奇麗ですね。(9.23)
 今朝の朝日新聞の記事に若年痴呆症の介護についての苦労話が二つ載っていました。 見出しは「薬に頼る 介護の現場」となっていました。 記事の一部を抜粋します。「統合失調症向けの薬は、痴呆の患者に向かないものもある とされる。抗精神病薬を多用するとパーキンソン症状が出るが、その副作用を抑える 薬の中には、痴呆症状を悪化させるものもあるという。・・・第一に介護の環境を整え ることである。薬物療法は最後の手段。・・・」 統合失調症の知人について、常々思っていたことが、この記事で有る程度確証が持て ました。「抗精神病薬を多用するとパーキンソン症状が出る。その副作用を抑える 薬には、痴呆症状を悪化させるものもある」まさにこれです。 統合失調症の知人は著しく、記憶力が落ち、物忘れがひどいと愚痴をこぼしています。 これは抗精神病薬の副作用を抑える薬によってもたらせている薬害なのです。 彼曰く「薬を飲まないといけないから、薬を止めるわけにはいかない」 薬を飲まないと、自己コントロールが出来なくなって、家庭内暴力を起こす? 家族は薬を飲ませておけば安心、本人も暴力を振るうことに恐怖を覚え?薬を飲み続け るのです。「薬を飲まないと、自己コントロールが出来ない」ここが問題だと思います。 統合失調症は情報処理する脳神経の未発達により、過剰な情報に対して処理不能に陥り、 そのようなときに、頭がパニックになり異常行動をとるのだそうです。異常行動は 個人差があり、突然倒れたり、暴力を振るったり、いろいろな症状としてでるみたいです。 脳神経の未発達は私の想像からすると、幼児期から思春期の生活・家庭環境が原因の 一つではないかと思っています。特に思春期の出来事に対する親の対処のしかたに 問題があるような気がします。本人の立場にたって親が思いやりのある方法で適切に 対処していれば、そんなにひどくはならずにすむのではないか? 要するに、脳神経の未発達は過度のストレスから起こるのではないかと思っています。 過度のストレスを取り除くことができるのが、親なのだと思います。 本来、ストレスを取り除くべき親が、逆にさらなるストレスを子に与えたとしたら、 その子の脳神経は過度の緊張から、発育不全になってしまう。これは、まったくの素人の 考えです。いろいろな要因があるので一概に言えませんが、以上が現段階での、私の 思考の結論です。  では未発達になってしまっっている脳神経を、どのようにしたら正常に育成することが できるか?それが医師の仕事だと思うのですが、多くの医師は治療という名のもとに、 ただ薬を与えるだけなのです。家族の不安を取り除くために、パニックに陥らない ように、思考を停止させるような薬で患者を薬物中毒?にするのです。 これは根本的な治療ではなく、ただの対処療法でしかありません。薬を飲んでいたら 良くなるか?大いに疑問です。むしろ、薬を飲み続けている限り統合失調症は 良くならないのではないかと思います。じゃあどうしたらいいか?個人個人、環境や 育ちが違います。それぞれにあった治療方法が必ずあるはずなのです。それを探すのが 医者の本来の役目だと思います。薬をだして、それで終わりでは、あまりに情けない 医療行為です。でも、現実はこんな医者ばかりなのです。情けないことです。 ここで最後の砦が親であり、家族なのです。親が目覚め、家族で統合失調症に立ち 向かわなくてはいけません。統合失調症の子といっしょになって、親が子の目線で 物事を考えられるかどうかです。過去に脳神経未発達の要因らしこものが、何処かに あるはずなのです。子と話しながら、己の洞察力を研ぎ澄まして、要因らしきものを 見附だすのです。そのことをいまさら聞き出してもしかたがないことのかもしれませんが、 嫌な過去を聞いてあげることで、少しでも親子の信頼関係を取り戻せるものなら それにこしたことはありません。親が「一緒になって病気を治療するんだ!」という 意思表示を子にすることが、悩める子には必要なるのかもしれません。 普通の社会生活ができるように、祈る思いで子に接して、子と同じ目線で考えて あげられるかどうかです。願いはいつか叶えられることを信じて、気長に統合失調症に 付き合ってあげることです。  私の実家に正月、帰省することを今日決めました。5年ぶりです。生活に追われ、帰る 気分になれなかったのと、妻が気を使うから行きたくないというのも大きな理由の 一つでした。今回は妻から「帰ろうか?」と言ってくれました。これで心良く 帰省できます。フェリーで大阪南港から別府へ、船旅もいいものです。大晦日の夜、乗船 して元旦の朝6時ごろ、別府港に着きます。四泊五日ですが、フェリーで行き帰り、二泊 しますので、実家にとまるのはわずか二泊だけです。店もあるのでそんなに休めません。 5日の月曜が仕事始めになります。正月休みは12月31日〜1月4日です。(9.25)
昨日からの続きです。  うつ病と統合失調症は同じ様な病気ではないかと思っています。 うつ病は統合失調症と違って、脳神経はちゃんと発育しているのですが、脳神経を 流れるパルスが少なくてなって起こる病気ではないかと思います。だからうつ病は薬 などの治療で治るのだと思います。ただ、脳神経がちゃんと発育してのうつ病なのか、 そうではなくて未発達によるうつ症状=統合失調症なのかが問題です。うつ病といいながら 案外、統合失調症(精神分裂症)の方がいらっしゃるのではないかと思います。  巨人軍の原監督が辞任されました。去年、新人監督でありながら日本一になられた方 なのに・・・、また渡辺オーナーがちょっかい出したのだと思います。思慮のない、 思いつき発言はただ相手を傷つけるだけです。私も気を付けなくてはいけません。 (9.26)
 私のホームページを読まれる方がいらっしゃることを知り、あまりいいかげん なことは書けないと改めて思わされました。先日の統合失調症の書き込みの続きを 書きます。  知人の若者について。彼は十代の後半から内臓のいたるところがおかしくなり、 病院で調べてもらうのですが、いっこうによくなりません。 大きな病院を転々と変わって調べてもらうのですが、なかなか原因がわからないのです。 そうこうしているうちに二年ほど経ってやっと、某大学病院で原因が分かりました。 コウ原病という難病で、治療方法も分かっていない病気なのです。多くは女性がかかる 病気なのですが、二十歳の彼がこのコウ原病だったのです。二年前からの内臓の異変は すべてコウ原病が原因だったのです。 それから彼はその治療のため薬漬けの日々を送るのでした。 自分の抗体が外からの病原体を攻撃するのではなくて、自分の抗体が自分自身を 攻撃してしまうのです。朝は関節が痛くて、起き上がれないとか、あと自分の内臓など を壊していくのです。そのため医者の勧めで、自分の抗体を殺す薬を飲み続けました。 ちょうどエイズの逆です。二年間飲み続けた結果、抗体は減ってコウ原病は良くなった のですが、今度は自分自身で抗体が作れなくなったのです。ようするに免疫不全症です。 余分な免疫(抗体)が無くなって、自分の体を攻撃しなっくなったのはいいのですが、 今度は自分で自然に作られるべき必要な免疫までもが出来なくなったのです。こんどは エイズのような現象ですが、エイズとはまったく違います。こんどは以前とは逆に 免疫を作る薬をせっせと飲んでいるのですが、効き目がないようです。 もう助かる方法は骨髄移植しかないと医者に言われたそうです。 これは冗談みたいな実話です。薬害以外の何物でもありません。 私ならこんな医者は訴えてやるのですが・・・。彼はこの二年間のうちに 何度も自殺未遂を犯し、精神科で統合失調症と判断されたそうです。 二年前のあの、はつらつとした絵本作家を夢見て、希望に燃えていた彼からは 想像もできない現状です。薬のせいで、一時はぶくぶくに太り、会話もたどたどしく、 まったくの別人のようでした。昨年うちの店で二年半ぶりに個展をしました。 たどたどしくもありましたが、一時よりは少し精神的によくなっているのでは?と 思っています。  次ぎに書く人はすごい女性です。彼女は中学時代にコウ原病を発病したのです。 彼女の母親がコウ原病なので、その可能性が多少あったのかもしれません? 父親は開業医をされていて、ある意味では恵まれていたのかもしれませんが、 これからの彼女がとった行動を私は賞賛したいのです。 なんと彼女は自分の病気は自分で治すという強い意志を持ち、医学部をめざすのです。 原因不明の病気なので、その研究をしたいというのです。しかも自分がその病気に 犯されているのです。病気に苦しみながらも彼女は二浪して医学部に合格しました。 昨年卒業と同時に、良き理解者にも恵まれ結婚もされて、いまは某有名病院で インターンをされています。 病気に負けて、すべての原因を病気のせいにしている限り、その人は精神的に立ち直れ ないのかもしれません。病気も個性の一つと考え、気長に病気と付き合えるかどうかです。 「五体不満足」?を書かれた車椅子の彼は障害を個性と思って、一つも気にして いないのです。太っている、背が低い、などの体格的な引け目と、下半身が無い障害を 同じ次元でとらえ。しかも、その障害を個性と認めて臆することなく、社会で元気に 生き抜いています。コウ原病の女医さんやこの障害者の彼を見ていると、健康な私たち は逆に励まされます。  「聖書」に「もっている人はさらに与えられ、もっていない人はもっている ものまでも取り上げられてしまう」という言葉がります。これは神を信じる信仰を 言い表しているのだと思いますが、私はこれを信仰うんぬんではなく日常生活での 在り方を言い表していると受け止めたいのです。 「自分を信じて歩むことが出来る人はさらに与えられ、自分自身を信じられない人は いまもっているものまでも取り上げられてしまう」 受け取りようによっては少し怖い話です。 これに信仰が加わったとき、この本当の意味がわかるのかもしれません。 毎週水曜日午後三時(店の休憩時間)からガンガーの店で聖書読書会を行っています。 興味のある人はお知らせ下さい。歓迎します。(9.30)
   太田義之さんとのコラボレーションを以下に記載します。写真は蒼生舎通信を 見てください。私なりのタイトルを付けてみました。 一年後に写真集の公募展に「写真と言葉」で応募するのはどうでしょうか? 一粒で二度おいしい! 蒼生舎通信で楽しんで、公募展でまた楽しむのです。結果ほ二の次ぎです。 せっかくのコラボですから、大いに楽しみたいものです。どうでしょうか?  
 
      「後ろ姿」(写真と言葉)   見る者の 想いに染まる 海の色 夏の輝き 父母の汗

 太田義之さんの撮られたモノクロ写真展を見ていたら、テーマの一つに「幻視」と

いう題がつけられた写真たちがあり、彼曰く「目に見えない、浮遊している何かを感じて

撮った写真たち」というようなことを言われました。人によっては違う何かを感じ、

答えのない何かに私は共感したのでしょう。写真を見ていたら、自然と誘発されるように

「言葉」が生まれてきました。まったくの偶然による写真と言葉のコラボレーションです。

さて、あなたには何が見えますか?(写真:太田義之 言葉:眼我 真)

2003.8.19 


     「輝き」(写真と言葉)

木もれ日の

一つ一つが

重なって

日の落ち葉かな

  蝉しぐれ 

 森の道に沿って、右下から中央へ木もれ日がぽつぽつと
花を咲かせたように重なって見えました。もしかしたら、花だった
のかもしれません。うっそうとした森から抜け出す、その瞬間を捕えた
義之さんの写真、木もれ日の輝きに心うたれます。
私は日の落ち葉と、蝉で夏を読みましたが、もしかしたら
道の先に見えるのは桜の木?なのかもしれません。
ただ、あれが桜の木なら輝きは桜の花の白さかもしれません。
桜の木なら「蝉すぐれ」を「さくら並木」にすべきです。
あなたの心にはどのように映りましたか?
(写真:太田義之 言葉:眼我 真)
2003.9.13

       「お〜い!」(写真と言葉)    置き去りの 車かなたに  ここは何処  あるはおばな 呼ぶ人も無し  
 
 印刷の写真では、中央右手にワゴン車がポツリと一台あるのが
識別できるかどうか?
さらに、おばな(すすき)?みたいなものがポツリ、ポツリと
あるのが感じられるかどうか?
おばなではないと思いますが、あえて季節感を出すために、おばなとしました。
閑散として何も無いところに、変な魅力を感じる写真です。
「何も無い」ということは心を解放して、ありのままでいられるという
ことかもしれません。逆にあるいは
何も無い寂しさから不安になり、そこで始めて人は自分の存在を問い直す。
寂しさのような孤独感をこの写真から、感じるのはその所為かもしれません。
孤独を知る人は己の存在意義を探している人かもしれません。
自分の存在意義を問うても、何の答も返ってこない、
そんな孤独感のようなものを、この写真から受けました。
あなたは孤独ではありませんか?
孤独の先にあるのは、平安なのか、絶望なのか?
 
 
 (写真:太田義之 言葉:眼我 真)
 2003.9.30
 

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