12月の「思い」


 そろそろ復活?の時期ですが、何かと忙しくてゆっくり書き込みができません。
義理の父が某新聞を取るようにと新聞代を払ってくださることになり、好きではない
某新聞社の新聞を12月から取ってます。政治面を除けば、他社の新聞と大差ないので
それなりに読んでいます。「医療ルネッサンス」でトゥレット症候群なる病気があるのを
始めて知りました。12月2日から毎日連載され今日6日でこの病気の記事は終了
しました。遺伝的要因による脳内神経伝達物質ドーパミンとセロトニンの働きの異常が
関係しているとのことです。幼児期にドーパミの働きが年齢相応より早いペースで低下
すると、チック症状が出て、これは遺伝によるもので、環境には左右されない。一方、
セロトニンは環境変化を受けやすい。日中は活発に動き、夜に十分休息を取るような
メリハリある生活をしないと、チックを強めてしまうと考えられているそうです。
ここでも昼は活発に動き、夜は熟睡することがセロトニンの分泌を促し、病気治療に
よいとのことです。病気だということで、過剰な過保護はかえって子によくないとの
ことです。子に幼児期から規則正しい生活を身に付けさせることを親は胆にめいじる
べきです。それには親自体が子の見本にならなくてはいけません。小学生なら夜9時すぎ
ぐらいには床につき、朝は6時ぐらいに起きる。中学生のうちの息子はいまでも
たいてい10時ぐらいに寝て、朝は6時すぎに起きてきます。
 突然顔をしかめるなどの運動チックと、意味のない声を出すなどの音声チックを伴う
トゥレット症候群、治療方法は夜に十分な睡眠を取れるように指導、これと共に
「ドーパミン活性調整薬」を処方する。
遺伝によるものはどうしようもありませんが、症状を抑えることは後天的な努力でなせる
ことだと思います。今回のトゥレット症候群の病気でも結婚され、病気と気長に付き合い
ながら生活している患者さんの例が数人書かれていました。周囲の理解と本人の意志が
大切なのかもしれません。現実を冷静に見つめることができるかどうかです。
まずは治療が優先されるべきです。現実が見えなければ、ひとりよがり(12.6)

 昨日、息子と二人で映画「マトリックス・レボリューション」を見てきました。 三部作の最終作です。二部の終で疑問に思っていたことが、すべて解決されました。 信じて決断すること、そこに愛があることの大切さを謳っていました。 マシン(機械)と人との共存で物語は終わっていました。見方を変えれば、 スミス(マトリックスの管理人?)がマトリックスの世界で異常に増殖しなければ、 最後の山場でのネオ(主人公・人類の救世主)とマシンのボス?との取り引きは成立 しなかったことになります。そうすると同じことの繰り返しで今回の救済劇も、 以前(過去5回)のように終わっていたのでした。ただ、今回はネオが一人の女性を 愛したことで、過去5回とは違った結果になったのです。そのことは二部の最後の 場面で「いままでの救世主とはそこが違う」とプログラムのシステムの主?が語って いました。この映画のテーマは「愛」だと思いました。それと自分を、仲間を信じて 決断する勇気の大切さ、その根底にはやはり「愛」があるのです。ただのアクション映画 ではありません。アメリカ映画です。アクション好きなブシュさん、あなたも一度観て みたらいいですよ。ただし、あなたにはただの戦争映画にしか心に映らないかもしれま せん。目は見えても心の目は盲目なブシュさんへ。共存を考えるべきです。小泉さんも 同じです。葬儀で絶句したあなたですが、イラクでは毎日のように死人が出ています。 テロリストにも家族はあります。同じなのです。みな同じなのです。違いを比較したら きりがありません。違いを探すのではなく、共通点に目を向けるべきです。 人類の共存のために。  後、考えさせられたことは、自己犠牲のことです。ネオの自己犠牲がなくては平和は こなかったのです。そういう意味では救世主?なのかもしれません。 イエスの自己犠牲(十字架上の死)とダブらせているつもりかもしれませんが、・・・ 内容が違います。イラクで行われているイスラムの自爆テロも自己犠牲ですが、これも ネオやイエスとはまた違う死です。ネオは条件(平和)の申し出についての結果の判断を すべて敵であるマシンのボス?に任せていました。マシンは嘘をつかないと、信じての 行動なのでしょうか?そうではなくて自分を信じての行動と考えるべきかもしれません。 人は嘘をつく生き物なのだという前提に立てば、イラクの自爆テロも目には 目をの発想で、アメリカをまったく信じていないのです。これでは自己犠牲も平和への 糸口とはなりえません。かえって暴力の上塗の繰り返しです。アメリカとイラク、 相互不信からなる争いです。和解は?イスラエルとパレスチナのように難しい問題です。 日本を含め、第三国は平和への道を模索すべきです。北朝鮮の問題もあり、政治判断は 難しさを極めていると思われます。さあ私はどうすべきか?まずはガンガーの再建を 最優先すべきです。イラクもマトリックスもあったもんではありません。でも、 自分のこととなると?です。情けないの一言です。(12.9)
  無欲、無心は勇気と決断がいる崇高な行為かもしれません。 イエスが「だれでも一番先になろうと思うならば、一番あとになり、みんなに 仕える者とならなければならない」といわれています。「自分に才能があるとか、ないとか」 を問いかけている間はなにも解らないのかもしれません。吹く風に己をまかせて生きられる 勇気と決意があるかどうかです。ただ惰性にまかせるという意味ではありません。 それとは似て非なるものです。あるがままに素直に生きる勇気と決意を与えられるのが、  信仰なのかもしれません。この人を見よ!イエスの生き様に救いがあります。 明日はクリスマス・イブです。イエスが十字架にかけられるとき、賛成したユダヤ人たちの 群衆の中に己の姿を見ることができるかどうか?自分はまったく逆の立場に実は立っている のではないかと、自問する視点を忘れないようにしたいものです。 「一番先になりたいと思うなら、一番あとになり、仕えるものとなりなさい!」この意味を 身をもって知りえた人は勇気と決断のある方だと思います。誰でも命令される側より 上に立ち命令する人になりたがるものです。それか人より優れていることを探したがるものです。 その逆をイエスは唱えるのです。世間的には矛盾を感じることをイエスはいとも当り前の ように唱えます。それに信仰の真理が内在しているのです。無欲、無心で見ると世の中おかしな ことがいろいろとあります。こういうと私がいかにも無欲、無心のような言い方になって しまいますが、それは違います。私は自分の弱さに日々苦しんでいる弱い人間です。弱さを 知っているだけ、無欲無心の大切さが理解しているつもりです。今日は一日中、賛美歌を店で 流しています。心洗われる思いです。約2000年前に生まれたイエス・キリストが いまも多くの信者の心をつかんでいるこの事実は現実なのです。2000年前からずっと イエスの言葉が語り継がれている事実は現実なのです。これはすごいことです。(12.23)  
今日はクリスマスです。世間の多くの人はイエスの誕生を祝うことよりも、自分達の 幸せを祝う記念日になっているようです。キリスト信者でない人までもが、意味を知らずに 祝うところのクリスマス。この現実は見方を変えればおもしろい(あるいは怖い)現象 かもしれません。信じてもいない信仰の儀式を借りて自分達のためのお祭りにしてしまう、 ご都合主義。まじめなクリスチャンもそうではない人も同じように祝う。でもそこには 天と地のほどの違いがあり、それを指摘すると、嫌われる社会。静かに賛美歌を聞きます。 クリスマス・ソングではなくて、賛美歌です。心静かに、イエスを思う、この幸せ。 12月25日にイエスは生まれていないのに、祝うこの不思議。 形式を重んじる人類の行為です。それはそれで意義があるのです。 ただ、12月25日にイエスは生まれていないのに祝うのは何故か? その辺を考えてみるのもいいかもしれません。25日に生まれていないのに祝うことの 意味。知らないで祝うよりも、知っていて祝うことの方が意味があると思うのですが・・・。 (2003.12.25)  
 


11月の「思い」
 

 私の絵の恩師であるYAG美術研究所代表・山田友造先生の初個展が栄の
ギャラリー・タマミジアム?で行われているそうです。電話で知らせを聞いただけなので、
場所のギャラリーの名がこれでいいのかどうか?いま一つはっきりしません。大津通りに
面していて、錦通りと広小路通りの間で、一階が「めがねのタマミ」ということです。その
二階だそうです。実に実直で、いい絵を描かれます。もう60歳を過ぎていらっしゃるのでは
ないかとおもいますが、権威的な組織には属さずに「YAG美術展」をもう30年?ぐらい
催していらっしゃいます。実にいい絵なのです。一年に一枚、徹底的に写実にこだわり
描き続けるのです。こういう人もいるということです。私達夫婦を引き合わせて下さった
恩人でもあります。私は仕事の関係で最終日の火曜日の四時ごろに行くつもりです。
 ゴッキの続きを書き込みました。ちょっと行き詰まっていたので、吹っ切れました。
「飛んだ鳥」という以前作った童話を引用してゴッキに付け加えました。
(11.1)
 日本人の中国留学生によるパフォーマンスに対して、中国の学生たちが抗議デモを している 事件について。日本人留学生とそれを指導した日本人教師の無知に驚かされ ます。 留学をするならば、せめてその国のことをもっと知っておくべきです。 言論、思想の自由の無い国。中華思想についても、常識として知っておくべきです。 まったくの無知には驚かされます。そんな学生は留学する資格はありません。そっこく 強制送還すべきです。日本人の恥さらしです。(11.2)
 今日の「聖書読書会」はマルコ八章21節〜30節までしました。 ガリラヤ湖の北、ベッサイダはすでに異邦の地なのです。そこでは純粋なユダヤ語を 語るユダヤ人ではなくて、ギリシャ語をかたるユダヤ人たちの地なのです。この地では パリサイ人やヘロデ党などによる、身の危険を感じることなく、伝道に専念できます。 逆に言えば、ユダヤの地ではイエスはもう語れなくなってきていたのです。身の危険 を感じ、伝道できなくなっていたのかもしれません。今回の奇蹟は盲人の目を癒す、 奇蹟です。目に唾を付け、二度行って、見えるようになった経緯が細かく描かれて います。この奇蹟でも、村から離れ、人が見ていないところでの奇蹟です。 良くなった盲人にも「村に入ってはいけない」と忠告をしています。人に知られる ことを極力嫌うイエスなのです。  27節からは弟子たちへの質問です。ピリポ・カイザリヤはギリシャ人の都市です。 ここで、イエスは弟子達に、民衆が自分のことを何と言っているかを聞きただします。 ペテロがイエスに向かって「あなたこそキリストです」と答えます。 キリストはギリシャ語でメシア(ヘブル語で『救い主』の意味)を意味します。 ペテロのこの言葉に対して、イエスは、自分のことは誰にも言わないようにと忠告 します。キリスト(メシア)の本当の意味を、多くの民衆は充分に理解をしていない ことを身をもって、体験していたのだと思われます。弟子でさえ本当に理解して いないことへの孤独感がイエスの言葉の節々から感じられます。人類の救いのために、 伝道しているのに、多くの民衆はその奇蹟にしか興味を示さないことへの挫折感みた いなものがイエスを襲っていたのではないでしょうか? そこには栄光に包まれた救い主(メシア)の姿はなく、無理解による孤独な苦難の メシア(キリスト)がいます。あなたも他の人に理解されないことから起こる無力感 みたいなものを感じたことはありませんか?(11.6)
 今日の朝日新聞に育英会貸与金「444億円が回収不能」とありました。 「01年度末では17万9千人が期日がきても355億円を返還していない」と 書かれていました。借りたものを返さない人が約17万9千人もいるのです。 回収機能も問題があるみたいです。特殊法人の怠慢経営の付けがこんな形になった のかもしれませんが、借りた者の責任放棄は、結局は教育の在り方が間違っている ということへの警鐘なのではないかと思います。教育を受けるために借りたお金を 踏み倒すとは・・・。情けない実情です。日曜の選挙の投票率が気になります。 選挙権の放棄は国家の衰退を意味するのではないかと思います。  もう一つ新聞の記事から、見出しに「怒りの壁」とありました。これは有名な 「嘆きの壁」をもじったものだと思います。これは聖地エルサレム帰属問題です。 エルサレムの旧市街「神殿の丘」にある「岩のドーム」を、 ユダヤ教では、ダビデ王と神との契約が納められた箱を祭った場所として聖地なのです。 イスラム教では、同じ場所を予言者ムハンマドが昇天した場所として聖地なのです。 キリスト教では、キリストが十字架にはりつけにされた受難の地として重視されて いるのです。キリストの墓がある「聖墳墓教会」もこの旧市街にあります。 東エルサレムにあたる旧市街を含めて、イスラエルは強化コンクリートの壁でヨルダン 川西岸と分離する計画を着実に実施しています。この分離壁は後世への、さらなる紛争 の火種になることでしょう。イスラエルの傲慢といい、アメリカの傲慢といい、 あの養老さんが「バカの壁」で一神教の愚かさを書きたくなるのもわかりますが、これ は本来のイエスの教えからすると、完全に間違った行為なのです。(11.7)
 以前「脳と人間」計見一雄 著(発行所 三五館)なる本を 「無だ愚痴が多くて、読み辛い」とけなしました。確かに読みやすくはないのですが、 精神科医としての経験とその関係の知識は豊富で、わたしの知らないことを実によく 知っていらっしゃるのです。それは当り前といえば当り前のことです。読みづらくて、 まとめづらいのですが、気になることから私なりにまとめてみることにしました。  思想家アウグスチヌスの言葉に 「過去に関する現在、現在に関する現在、未来に関する現在があることだけは確かだ」 とあります。現在があっての過去であり、未来なのです。その現在がアヤフヤなのが 統合失調症なのです。現在という情景を脳が認識するのには、かなりのエネルギーを 費やするそうです。自己の行動やその他を映す鏡である「現在」が壊れているのが 統合失調症であるという説があります。自己や他己を映す「現在」を失い、ついでに 時間までも失ってしまう病気なのです。過去が現在をアヤフヤにするのです。 なぜそのようなことが起こるのか? 脳がエレルギーを要する現在認識をサボり、楽な過去のデータの再演だけを延々と 繰り返すからです。その結果、妄想の住人となってしまう。 いつも同じことを繰り返しながら、そこからけっして学ぶ(学習する)ことが出来ない のです。過去の出来事(恐怖)、情動が現在を閉ざしてしまっているのです。 治療方法は?難しいことです。わたしはただの素人です。本を読み、知ったかぶりを しているだけなのかもしれません。ただ、何かのお役に立つことができればという 思いから書いています。  まずは信頼関係ができること、次ぎに話を聞いてあげることです。 現在のこと、過去のこと、しだいに自分から過去の出来事が、情動が再現されるように なれば、一歩前進かもしれません。過去の嫌な出来事を語り、その中で 現在に原因がないことを認識させることができるかどうか?つまり、 過去に影響を受けていない現在を認識させることができるかどうか? もし、認識できれば、その現在をフィールドとして、逆に嫌な過去を映し出し、その 呼び出された嫌な過去と正面から向き合うことができるかどうか?その時に、 失ったもの、あきらめなくてはいけないことなど、過去を認める勇気と、いまある現実を 素直に認める認識が持てれば治療の糸口にたどり着くのかもしれません。 その時始めて失った時間が戻り、過去から現在へ時間が流れだし、未来が見えてくるの かもしれません。  統合失調症の方は時間が止まっているのかもしれません。 過去に縛られ、流れていない時間の中で窒息しかけているのかもしれません。 過去の恐怖が、無意識に患者さんの時間を止めているのかもしれません。 過去の恐怖が現在をも支配下に置いているので、現在を的確に認識できないのかも しれません。その過去の恐怖が現在ある今とは関係無いものだということを認識する ことができれば、治療の糸口につながるのかもしれません。その恐怖とは何かです? 続きは後日。  自己防衛による現実逃避が病気の原因ならば、無下に現実に戻さなくてもいいのでは ないかという、逆の考えも起こってきます。これも後日書き込みたいと思います。 (11.10)
本「脳と人間」は多くのことが書かれているので、今日は前日の続きではなくて、 別のことを 書きます。最終的にはすべてが一つの方向ヘ向かって纏まるように 努力したいと思います。 ただ、それまで紆余曲折な文になることをご了承ください。  「脳が投げる投網」 統合失調症の患者さんが経験するところの、目の前の現実が崩壊するという異常な体験を、 どのように私達は解釈すればいいか。普通には外界の認知の仕方がおかしい、外からの 情報の入り方、脳へのインプット入力系の異常の方を重視して解釈しがちである。しかし、 その過程にはアウトプット、つまり出力系の障害も参加していると見るべきである。 誤差を計算機に戻し、修正する操作を「フィードバック」という。 「フィードバックの原理とは、自分の行動の結果を調べて、その結果の善悪で未来の行動 を修正することを意味する」 生体制御論で、アウトプット(出力)のことをフィードフォワード投射と呼んでいる。 簡単にフォワード投射とだけ言うこともある。大脳皮質内でのフィードフォーワド投射 (やり取り回路)の密度(頻度)は、天文学的数字になる。フィードフォワードの結果 をフィードバックする回路、それがさらに次ぎの修正フィードフォーワード投射情報に なって、というような循環的回路を、再起回路ともいう。 アウトプットがインプットに戻り、修正インプットが修正アウトプットを生じ・・・。 脳が現実との間でつながっている連続の仕方も、これと同じ様な原理だと思われます。  現実を生きるとは、上の記事のように情報の入力(インプット)、出力(アウトプット) の繰り返しによる修正を行うことで、それは生物(人間)の営みの基本なのかも しれません。これらの入力、出力の修正がうまくいかないことが精神の病といわれる 由縁かもしれません。 「腹が減ったから、バナナを食べる」についての検証。 「腹が減った」と「これがバナナ」の二つの情報が大脳皮質へ行く。 ここまでがインプットです。これから先がアウトプットで、バナナを食べようという 意図を持って、バナナを手に取って、皮をむいて食べることを開始する。 インプットからアウトップトへ折り返す部分(最高次中枢)が、大脳皮質前頭連合野と 呼ばれる部位である。「気持ちが言葉(行為)になる場所」でもある箇所です。  緊張症という病について。 1・脳のアウトプット系が作動しなくなることによって、現実との断絶が生じる。 2・障害の場は「気持ちが言葉(行為)になる場所」であるらしい。 3・現実とのつながりを維持していることと、正常な睡眠がとれることとは、密接な   関わりがある。 4・現実とのつながりがいったん回復した後、極端に疲労しやすく、ほんの少しの行動しか   できない時期を通過する。 5・回復期には、現実とのつながりを求め、さまざまな試みをする。 6・疲労しやすいこと、依存性、特に意志決定に関する他者依存は要注意。 気持ちと言葉の間の部分を「意図センター」と計見さんは名付けています。 私はそれよりも、気持ちと行為の間の部分を「意図センター」とすべきだと 思います。(11.13)
 バナナを食べるとき、手に取り、皮をむき、口に入れる一連の行為を順序よく スムーズに行うためには、そういう行動のプログラムがあらかじめセットされて なくてはいけません。「こういうふうに食べよう」という目的があって、 次ぎに運動の中枢に命令が行く。そのプログラムを作る、言い替えれば、意図を 形成する場所が中間にないと気持ちは行動に結び付かない。意志は現実化しない。 気持ちは行動を伴わない。したがって実現しない。緊張症はこの「意図センター」が うまく作動しないので、気持ちだけが先行して、行為が伴わなくなり、日常生活すべて が緊張感で覆われ、何もできなくなり、生活に障害をきたすのだと思います。 後、ここで重要なのは一連のシステム動作が時間に沿って動いているということです。    意図を持つためには、頭の中で次ぎの行動の実験をしてみることが必要です。 「思考」を定義して「行動の予備実験」である、と言ったのはあのフロイトです。 それは脳の中でシュミレーションしてみることかもしれません。いくつか想定した プランの中から一つのやり方を選択して「意図」(思考)ができ上がる。 脳はシュミレーションで近未来の絵を描いてみる、このような形で意識(思考)を 作り出す。「意図センター」が意識を作り出すことを能動的に行っているとすれば、 このセンターは脳の他の部分の機能をも統合しているはずです。  バナナだと分かるためには記憶の回路にバナナに関する情報を一セット提出させ なくてはいけません。これをいかにして食べるかについても、食べる社会的常識も 記憶系の協力が必要です。「意図センター」による統合が行動を支配しているのかもしれません。 統合失調症の統合もこのへんからきているのかもしれません。 「意図センター」は脳の機能の結果として位置付けられている名称で、「精神」という 現象を生み出しているのです。脳の働きの結果として「精神」現象が出現しているのです。 精神病の各病名はそれぞれの症状の現象にたいする名称なのです。 脳の働が異常をきたす現象、それが精神病なのです。 同じことを何度も繰り返しですが、精神は脳機能の産物であって、 精神病はこの脳の機能不全からおこる病気なのです。 「意図センター」の異常が統合失調症なのではないかと想像します。 この「意図センター」はどういうものなのか?ということになります。   (11.14)  社民党の土井たか子党首が辞任されました。当然の結果で、もっと早く辞任すべき でした。護憲、護憲と言う前に、責任ある党として、北朝鮮問題、秘書給与流用問題 についての明確なる謝罪と責任をちゃんと取るべきでした。 土井さんはすでに護憲を言う資格はありません。何か勘違いをされているのではないかと 社民の方々に言いたくなります。党の存在自体、意味をなしません。北朝鮮労働党との 関係、拉致問題への謝罪、などなど責任を放棄して、護憲は成り立ちません。 憲法第九条は理想論として、誇るべき憲法だとわたしも九条の護憲には賛成なのですが、 同じことの繰り返しになるので書きませんが、土井さん何か勘違いをされていませんか!
 11月13日 聖書読書会マルコ八章31〜38まで(八章の終まで)  ピリポ・カイザリアのギリシャ人の村で、弟子たちとかわされた会話 から、ペテロが「あなたこそキリストです」というと、イエスはだれにもそのことは 言うなと、彼等を戒めた。ついに弟子達にに告げる時がきたのです。 イエス自身が長老、律法学者、祭司長などによって殺され、そして三日の後によみがえる ことを弟子に告げました。ペテロの(後日書き込み?)
「 本当の自分なんて、無い!」と断言している人の記事を新聞で読みました。 そうかもしれません。現実の自分が本当の自分なのです。 「本当の自分はこんなんじゃ無い」と言い訳をしている人をみると、そうじゃなくて、 今を生きるために精一杯努力している人なら、そんなことは言わないと思います。 現実が本当の自分なのです。そこからすべては始まるのです。これは私自身への 提言でもあります。ここ何日も精神的にまいっています。自営業にとって客の来ない ことは死活問題なのです。毎年、冬になると落ち込みます。売り上げも、私の精神も ・・・、落ち込むと書き込みが出来ません。悪循環なのですが、今を直視して改善策を 練なくてはいけません。息子は未来に向かってはばたく準備をしています。可能性に 向かって挑戦する勇気を持ち合わせています。一方、中年のおやじは生活維持のために 「ひー、ひー!」言っています。なさけないとことですが、これが現実なのです。 すべてを認め、一歩一歩、歩むしかありません。バレーボール男子日本、ガンバレ! 弱くても、必死に頑張っている姿には励まされます。男子バレーの弱くても必死に 頑張っている姿に息子は感動しているみたいですが、同じように私の働く姿にも感動? してくれているのでしょうか? 男子バレー三勝七敗(七連敗中)今日は強豪ブラジルです。 負けても負けても、くじけずに立ち向かう心の強さが大切なのだと思います。 私もつい負けそうになりますが、家族が支えてくれます。近々、家族でガンガーの店の 前をもっと明るく、感じのいい店に模様変えをすることになっています。 息子が企画して、妻と息子二人で実行するとのことです。私はというと・・・、力仕事 はまかせてください。あまり商売熱心ではない私に、家族がついに立ち上がりました。 熱血家族の奮闘物語りでも書きたくなります。 「欠けたるを補う」という言葉が聖書にあります。夫婦は「欠けたるを補う」 という言葉の雛型かもしれません。アダムの肋骨からできたイヴ、本来アダムとイヴで 一つのものなのです。結婚とは欠けたものを補いあい、欠けたものを一つにするという 意味があるのかもしれません。夫婦、二人で一つのものなのです。 それが家族の基本です。基本がしっかりしないと家族はばらばらになってしまいます。 私の欠けたものを妻が補い、妻の欠けたところを私が補う、さらに子が 夫婦のほころびを繕うのかもしれません。家族が社会の最小単位だと思っています。 (11.29)   

生徒募集!     植物画クラブ「アトリエ花」    植物画をいっしょに描きましょう。       日時:月曜日午後2〜4時。月2〜4回      入会金:2000円 月謝2000円〜4000円 場所:ガンガー梅森店  日進市梅森町上松661ー6 TEL(052)806ー5547又は                        806ー5570  講師:荒金たえこ。京都市立芸術大学日本画卒、国費留学生としてインド              バローダの大学でインドミニアチュールを学ぶ。  
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