2004年3月の思い


 甥への手紙と実家への手紙と、このところ手紙を書き続けています。私に出来る
ところの最善をしたいという思いからです。効果のほどは?です。何かのきっかけになればと
いう程度の気持ちで書いています。
 第三回家族読書会 三月一日の準備 
「ルカによる福音書」一章26〜38
 この箇所は有名なマリアの受胎告知の記事です。26節に「六か月目に、」とあります。
マリアの記事なのにエリサベツの妊娠からの時間で出来事を表わしています。当時は今と違って
時の概念が確立していなくて、抽象的に時間を表現できなかったのかもしれません。それとも
マリアの出来事もエリサベツの出来事も同一の出来事(神の摂理)として表現したかったの
かもしれません。多分そうなんでしょう。マリアの「処女」を明記することで何を言い表した
かったのか?これも神の恩恵による、神からの一方的な愛の現われを表現したかったのだと
思います。(3.1)
 昨日は家族で「ロード・オブ・ザリング」第三 王の帰還 をみてきました。 フロド、サムらポビットの勇気と友情、ゴンドールの王の末裔とエリフの姫との愛などが 語られた作品でした。コンピュータを駆使した視覚による迫力は凄まじいものがあり、 映像のリアルさが、いやおおなしに臨調感を盛り上げます。サムがいたからこそリングを 火口に捨てられたのですが、選ばれしフロドなくしてこの物語は成り立ちません。サムは この出来事の後、幸せな家庭を持ち、多分幸せに歳を重ねていったことと思われます。 フロドはエリフやガンダルフと共に、西の未知なる地へと旅立ちました。彼にはこの 出来事が死ぬまで暗い重荷となるのかもしれません。選ばれたフロトと他の戦士たちとは、 やはり違いがあるのかもしれません。重荷を背負わされる者とそうではない人、どちらが 良いとか悪いとかの問題ではありません。運命、定(さだめ)なのかもしれません。 人が神を選ぶのではなく、神が人を選ぶのです。選ばれた人にはそれなりの使命があり、 重荷をも覚悟しなくてはいけないのかもしれません。聖書のイエスの母マリアしかり、 バプテスマのヨセフもしかりです。選びは神の方から一方的にやってくるのかも しれません。人はただ、ただ「然り、然(しか)り」(はい、わかりました)と言うのみ なのかもしれません。(3.2)
 昨日、ガンガー読書会ではイエスによるエルサレム宮殿での 最後の討論の箇所を勉強しました。パリサイ人とヘロデ党によるカイザルへの税金の問題と、祭司 のサドカイ人による復活問題に対して、イエスは明快な答えをします。唖然とする反イエス支持者 たち、イエスの信仰の強さが際立ってみえます。命をかけた伝道なのです。彼等を 論破するイエスには使命があり、その使命のために・・・。(続きは後日)    「息子への伝言」(生きるとは伝えること) 2004年3月 荒金 誠  何かを目指すことの大切さについて。目指す何かは個人、個人違っていいのです。 「いいのです」と言うより、違って当り前なのです。何事も目標に向かってひた向きに 一生懸命努力することが、大切なことなのだと思います。お父さんが中学、高専時代に 成績が良かったのは、一途に勉強していたからです。何のために勉強していたかという ことになると「?」疑問が残ります。このことが一番大切だったのかもしれませんが、 お父さんの場合これが抜けていたのです。勉強の成績が実社会に反映されなかった のは、そのためだと思っています。でも、何のために勉強していたかという目的意識の 欠如を除けば、いたって真面目な学生生活でした。中学、高専と一途に勉強したという 事実については、今でも「誇り」に思っています。ちょっとした助言があれば、もっと 早い時期に人生の指針を見い出せたかもしれません。このことは自分が親の立場に なってわかったことです。親は自分の体験を子に伝えるべきなのです。私の親は自分の 体験を余り語りませんでした。戦時中、戦後の苦労を体験したからだと思いますが、 言葉で語るよりも社会で生き抜くことに知恵を働かせ、お金儲けに精を出していました。 自分達が苦労したぶん、子には苦労をさせたくないという親心、感謝すべきことですが、 ややもするとこの親心がかえってあだになることもあります。親の過保護は子の成長を 妨げることもあります。自分のことは自分でするという、いたってシンプルなことが しつけとして身についていないということです。私の体験から言えることは、自己責任 の自覚と自己管理能力を子に養うのが親の勤めだということです。それにはまず 親が見本をみせなくてはいけません。子に望むならば自分がまず、見本をみせるべき なのです。子に何か伝えたいのなら、まず自らが自覚してメセージ(伝えたいこと)を 実行すべきなのです。親も完璧な人間ではないので、欠点は欠点として認め、欠点を 補いながらも、さらに伝えたいことを自らが態度で示すべきです。偉そうなことを 言っていますが、さて私は何を言いたいのか?その前に、最近思ったことを書きます。  最近観た映画「たそがれ清兵衛」「ロード・オブ・ザ・リング」もそうですが、 「生きる」とは「伝える」ことだということです。清兵衛もフロドも自分の生き様を 子に、あるいは後世の人に伝えることが、親(清兵衛)の勤めであり、先人(フロド) の勤めなのだということです。 「たそがれ清兵衛」の物語は次女の回想という形で語られていました。 父の生き様を誇りに思う気持ちが映画全面に現われていました。「たそがれ」と陰口を たたかれても、平然として己の生き方を変えようとしない父親の姿をいとおしく思い、 貧しくとも娘として愛されていたことへの喜びがひしひしと感じられる映画でした。  「ロード・オブ・ザ・リング」はフロド、サムらポビットたちと選ばれた戦士たち との勇気と友情、さらにゴンドールの王の末裔とエリフの姫との愛などが語られた作品 でした。コンピュータを駆使した視覚による迫力は凄まじいものがあり、映像のリアル さが、いやおおなしに臨調感を盛り上げます。サムがいたからこそリングを火口に捨て られたのですが、選ばれしフロドなくしてこの物語は成り立ちません。 サムではフロドの役は勤まらなかったのです。サムはこの出来事の後、幸せな家庭を 持ち、多分幸せに歳を重ねていったことと思われます。一方、フロドはビルボ、 ガンダルフやエリフ達と共に、西の未知なる地へと旅立ちました。彼にはこの出来事が 死ぬまで暗い重荷となったのだと思われます。選ばれたフロトと他の戦士たちとは、 やはり違いがあるのかもしれません。重荷を背負わされる者とそうではない人、 どちらが良いとか悪いとかの問題ではありません。運命、定(さだめ) なのかもしれません。人が神を選ぶのではなく、神が人を選ぶのです。選ばれた人 にはそれなりの使命があり、重荷をも覚悟しなくてはいけないのかもしれません。 その重荷を後世に伝えられるのは、やはりフロドなのです。本として伝えたのはこの フロドでした。ビルボもそうです。サムはサムで子に彼の生き様を伝えたことと思われ ます。重荷でなくてもいいのです。サムも「たそがれ清兵衛」も親としての役目を りっぱに果たしていたのだと思います。「生きる」とは「伝える」こと。 私が伝えたいことは私の「生き様」なのかもしれません。 「生き様」なんて抽象的すぎて分からない、と批判を受けそうです。言い替えれば 「私の体験を語ること」と言えばいいのかもしれません。 (続く)(3.7)  
  「恩師への手紙」  お変りありませんか?私の方はそれぞれ忙しく暮らしています。家族聖書読書会も 始まり、私自身が新しく一歩前に歩みだせたような気がします。「生きる」とは「伝える」こと ではないかと思います。まずは家族から私の想いを伝えたいと思います。 イエス様の十字架への道を思うとき、ベタニアからエルサレルへの繰り返しの訪問は、 弟子たちへの最後の貴重な伝道だったのではないかと思われます。 死を覚悟した上での十二弟子への思い、人類の救いはここからすでに始まっていたのかも しれません。苦難のメシアへの道を選ばなくてはいけなかったイエス様の思いを察するとき 人の、自分の罪深さを思い知らされます。悔い改め、日々この繰り返しです。 悔い改めとは変わるということ、以前の自分とは違う自分に変わるということだと思います。 イエス様を信じるということは、古い自分を脱ぎ捨て新しい自分に変わるということを、 いま少しずつ気付かされているような気がします。二十代から変わりたいと思い続けるきた 私です。悔い改めを口で唱えてきましたが、同じことの繰り返しを、ただ繰り返して、 いままできていたみたいです。でも、その繰り返しの挫折感があったからこそ、 今の自分があるのだとも言えます。 「生きる」とは「伝える」こと、それは信仰の立場にたつと伝道ということかもしれません。 少しずつですが、自分に与えられたものを出来ることなら「文」で伝えていきたいという 思いが起こってきます。以下は昨年十月二日の私のホームページの書き込みからの抜粋です。   「魂・心の平安について」  (
内容省略、読みたい方は私のホームページ、「思い」2003年10月を見てください。)    先日、桝本進さんが愛農高校からの帰りに、ガンガーに寄ってくださりました。 娘さんが愛真高校の一年生ということで、渡辺先生と私の関わり(高専時代)について 話をいたしました。 ちょうどその直前に、矢内原忠雄先生の「イエス伝」(マルコ伝による)角川選書で、 渡辺先生のお父様(渡辺清光様)についての記載P274の箇所を読んでたところでした。 桝本さんから先生の御病気の再発を伺い、手紙を書かねばという思いになったしだいです。 日々の祈りと生きる道を探している私ですが、高専に行かなければ先生とお会いできなかった ことを思うとき、本当に高専へ行けたこと感謝しています。 進学校一年生の半ばで受験勉強に悩み、不登校になっていた私をみかね、両親が薦める まま、高専に進学し直した私ですが、行き場所を与えてくれたのは神様の導きだったと 信じています。取り留めのない手紙になりましたが、名古屋の地で、日々 主にある平安と、渡辺先生のご回復を心からお祈りいたしています。早々。荒金 誠      連続児童殺害の少年Aの仮退院についての記事が連日新聞に掲載されています。 今日は加害者少年Aの両親の手記が仮退院についての思いとして綴られていました。 涙を流している自分に気付きますが、ご両親のご苦労は一生ついていくでしょうし、 本人も罪を背負っていかねばなりません。さて無事に生き抜いていけるのか、人ごと ながら心配になってきます。(3.12)
 おもしろい話があります。以前私が書いた藤原新也さんの書評が藤原さんの著書 「空から恥が降る」の中に掲載されているのです。 文藝春秋出版から以下のようなメールが届きました。    眼我真さま 突然メールを差し上げる失礼をお許しください。 文藝春秋出版局の藤田と申します。 インターネットで眼我さまのお名前を検索した のですが、もしや、藤原新也さんの本の書評 をネット上に掲載なさったことはありませんか? 小社では藤原さんのご著書「空から恥が降る」 の文庫化作業中なのですが、そのなかに眼我 真さんの書かれた「ディングルの入江」の書評 が掲載されております。単行本にしたときは 手違いでご許可をいただくことができなかった のですが、文庫収録の際にはぜひご許可を いただきたいと思い、検索した次第です。 もし、人違いでしたら、大変申し訳ございません。 藤田    書きたいことはいろいろあるのですが、何かけだるいのです。 私の苦手な花粉がちらほらしているみたいです。去年に比べれば今年は非常に花粉の量が 少ないのは確かです。でも、何かけだるいのです。これは春のせいでしょうか? 全盲の天才ピアニスト、辻井伸行さん(15歳)の名は忘れられません。天才という言葉がやたら 安易に使われているなか、彼こそ天才の名に値する人だと思いました。全盲、生まれた時 からの盲目ゆえに、五線譜を知らない音楽家なのです。 「音符はどうして覚えるのですか?」という問いに、 「2〜3回その曲を聞けば大丈夫です」といとも簡単に答えていました。 彼は目の見える私達のように五線譜で覚えるのではなく、音で覚えているのです。 彼の弾くピアノのメロディーは目の見えるピアニストの曲とはどこか違うのです。 耳でおぼえた彼と、目で覚えた他のピアニストとは違うのです。五感で弾いている彼と 五線譜を頭で追いながら弾くピアニスト。五線譜のピアニストも最終的には五感で 弾けるようにならなくては一流とは言われないのだと思いますが、やはり違うのです。 努力して五感で弾くのと、それしか方法がない彼とは違うのです。生まれたときからの 全盲だから弾ける世界なのかもしれません。「欠けたるを補う」という言葉が好きです。 目の見えない、その欠けるたものを、神様が音楽の天分で補って余るものを彼に授けた のかもしれません。障害によって生まれた天才です。障害、欠けていることはけっして 悪いことではないのです。 考えようによっては、神様から与えられた賜なのかもしれません。  同人誌の掲載の件ですが、ある読者から同人誌への継続依頼を直接電話でいただきました。 いったんは辞めるつもりでしたが、このような読者がいらっしゃることを忘れていました。 そんなにたいした文でもないと思っていたのですが、それなりに評価していただいている みたいです。ありがたいことです。その読者のために継続して文を寄稿することにしました。 (3.22)
さて、柳の下に二匹目のどじょうがいるのか?疑問ですが、藤原新也さんの著書 「東京漂流」「印度放浪」を書評した以前の文を改めて読み直してみました。すると、 なんと文のつたないことか。 言っている内容については今も同じ思いですが、文章表現が 「つたない」につきます。恥ずかしくなります。藤原さんにメールで送れば、もしかしたら ・・・。柳の下のどじょう的発想ですが、やめました。功名心で何が生まれるというので しょうか、情けないことです。でも、読み直して、文のいたらなさに気付かされただけでも、 いい勉強になりました。一応、訂正して読める文に直しておきましたので、そのうち、 日の目を見ることもあるかもしれません。(3.23)
藤原新也さんの著書「空から恥が降る」に掲載されている私の文は以下です。    藤原新也さんの「沈思彷徨」のP74に83〜87年の彼の出版についての 小さな書き込みがあります。「ディングルの入江」を読んだときこれほどの本が なぜ文学賞を取っていないのか不思議に思ったのです。今ベストセラーの「命」を 書いている柳美里さんの泉鏡花賞と野間文芸新人賞のダブル受賞の「フルハウス」 、芥川賞受賞の「家族シネマ」などを読んだ時よりも私は「ディングルの入江」を 読んだ時のほうが感動がおおきかったです。人によって多少の好みの違いがありま すが、なぜ藤原さんは賞をもらえないのか不思議でした。P74にその訳が書いて ました。彼は「東京漂流」に与えられた評価である、大宅壮一賞および日本ノン フィクション大賞を辞退していたのです。彼らしい行為です。多分これ以降、 彼は賞から縁が無くなったのだと思います。表現者として賞という名の世間の評価 を気にしなかった、あるいはうっとうしいと思ったのかもしれません。彼は自分で 自分の価値を、表現者としての価値を見つけ出している 貴重な人間なのかもしれません。(2000.10.4 朝 5:40)    掲載されたのは、私のこの指摘が的を射ているからだと思われます。たいした文では ありませんが、興味そそがれる人物であるところの藤原新也さんの著書の末端に、私の このような文が掲載されたことは光栄なことかもしれません。(2004.3.24)
  藤原新也著書「東京漂流」の書評。2000年10月 眼我 真   「東京漂流」は問題提起のエッセイ集と言った感じです。藤原さんの視点が 何処にあるかよく分かり、藤原さんを知るにはいい本だと思います。高度成長期の 前と後の日本人の有り様を比較してみると精神の変貌、変化がいたるとこにみられる ことを出来事、事件を通して提起しています。彼は特に都市の景観、家の作りなどの 変化がもたらした日本文化の変容に注目しています。その変容は日本人の精神構造 をも変えてしまったというのです。この本は1983年に発行されているのですが、 すでに現在の諸問題をも予見しているところがあります。  彼の生い立ちが少し書かれた箇所がありました。父親は旅館を経営していて、 仕事柄旅館にはいろいろな人が来て泊まっていかれたのです。普通の家と違い お客さんが主役のこの家は、彼にとっては未知との遭遇を探索する楽しみの場でも あったのです。本人は大変この旅館を愛していたようです。しかし、高度成長が もたらした都市計画により二足三文で立ち退きを強制させられます。両親は別の場所 で旅館を再開するのですが、時代の大きな流れには逆らえず、旅館経営は失敗して 家族放浪の旅が始まったのです。人の精神構造を形づくる上で幼児体験は重要です。 旅館という特殊な環境が彼の精神構造に与えた影響は大きいと思われます。 旅芸人などの人たちとの接触が異世界へと彼を誘ったのかもしれません。  藤原さんの写真について、知人が「色々な藤原さんの写真を見ているけれど、 カルカッタの路上生活者の写真が一番好き。カルカッタでの路上生活者の写真は 他の写真家が撮るような上から見降ろした視点ではなくて、その路上生活者に 成りきって、その視点で捕えているから、好きです」と言われます。 「東京漂流」は彼のものの見方、視点、目のつけどころなどが良く分かる本です。 常に弱者、犯罪者の立場から対象を捕えようとしています。問題提起と現状分析が鋭く、 よって将来の予見も鋭いのです。私が思うに問題提起することで、藤原新也は自分の 居場所を確認していたのではないでしょうか?自分の存在価値を見い出すために写真を 撮り、本を書いていたと言ってもいいかもしれません。 読者は彼と同化してはいけないのです。彼の視点は彼のものであって、他者が取得できる ものではないのです。読者は藤原さんの写真と言葉を通して、いかにも自分も同じ価値観 でものを見ていると錯覚するのではなくて、自分は自分の体験を通して、自分なりの視点 を持たなくてはいけないのです。 藤原さんは問題提起をすることで自分の存在理由を確認していたのです。その問題提起に 対する解決方法は読者、個人個人が自分で考えなくてはいけないことかもしれません。 「世の中の些細なことに疑問を持ち、自分で思考して、自分で解決方法を見つけなさい」 と彼は言っているのかもしれません。個人がもっと自立した己になることを、彼は自己の 書物で、主張しているかのようです。  彼白く「集合住宅、団地などが現われる前は、日本家屋構造は機能的ではないが 世間に向かって開放されており、自然環境の中で呼吸をしている生き物であった」 今はその逆だ、と言っています。私もよく実家の昔の家を思い出します。 縁側があり便所が住まいの外にあり、横雨のときは濡れながら便所にいったものです。 テレビなどで怖いドラマを見た後は便所にいくのが大変辛かったことを思い出します。 台所にかまどがあり。正月前の餅つきはかまどで餅米を蒸して、中庭で近所の人達と 和気あいあいと餅つきをしたものです。父が健在な間は毎年、暮れの楽しい行事でした。  「東京漂流」では、カルカッタのTライ救済病院でのシスターとの問答が感動的です。 彼は自分で納得できないと、気が済まない性分なのでしょう。 それは知識で知っただけでは理解したことにはならないということを、体で知っていた からだと思います。「本を捨て、街へ出よう」なんて生易しいものではありません。 屍を潜り抜け、はいつくばって最前線を生き抜いてきた事実、体験がそうさせるのだと 思います。ある意味で、その体験は水戸黄門の印籠と同じ効果があります。 キリスト教の真髄に近い問題を、彼は無意識のうちにシスターとの話の中で、 察知してしまっているのです。自分の理解力を越えたものを感じる感性、彼独特の 未知のものへの嗅覚が働いているのです。そして未知のものを収穫してしまう。 例えば野性のブッシマンが未知の獲物を体験から察知して、捕獲してしまうような ものです。これはすごいことです。長年聖書を読んでいても理解しにくいことを、 自分の実体験の中からシスターとのやり取りで、察知してしまう。 この感性が彼のすごいところです。  もう一つ気になる記述は、雑誌の連載を打ち切った後で担当の編集者と酒を飲み、 その男性が「カルカッタってそんなにいいとこですか」と藤原さんに聞くと 「人が犬になっても生きて行けるところですよ。包容力があるんです」と こんな返事をしていました。 人が犬になる?日本にいるホームレスとも違って、犬になる。 今、家に泊まっていらっしゃる知人と寝る前に藤原新也さんの話をしていたら、 田舎暮しの話になり「『乞食』になる覚悟があれば田舎暮しも出来ますよ」このような ことを知人は言われました。知人の話の「乞食」も日本のホームレスとは違っています。 犬と乞食も違います。乞食には人格がまだ残っていますが、犬には人格が残っていません。 「人が犬になる」何とすごいことを言う人なのでしょう。 藤原さんは印度でカルカッタで、いやというほど「人が犬になる」ところを 見ているから、すーっと自然に言葉として出てくるのでしょう。乞食も人も犬に なったとこを藤原さんは見ているのです。人の極限、あるいは生き物の極限を 知ってしまったということでしょうか。それともこれも彼独特の表現方法の一つ なのか?まあどっちにしろすごいというか、日本にいては決して出てこない表現です。 犬が犬を食う、人が犬を食う、ここまでは普通です。藤原さんはさらに 犬が人を食うとこを見ている。あと残るは人が人を食うです。人が人を食うは 人の尊厳の問題として過去語られてきています。山の遭難、海の遭難などで、 そのような実話もあります。それは許される行為なのか? 犬が人を食うところは藤原さんはその目でいく度も見て、写真にも撮られています。 動物も人間も同じ生き物という藤原さんの考えは、平和ボケした日本社会に犬が 人を食べる写真を発表しました。それは自然界の掟である弱肉強食の世界でも あります。じゃあ人が人を食べるとはどう判断すべきなのか。藤原さんに聞いて みたいです。何と答えるか、もっともらしく真面目に答えるのか、それとも例の 彼独特の表現方法で煙にまくのか。待ってください「東京漂流」でカシミール 難民キャンプ場の悲惨な現場を見たとき、人が人を食べているような現場を 見られた?と書かれた箇所があったような気がしますが・・・? 猟奇事件で以前、パリで日本人がパリジェンヌの死肉を食った事件がありました。 先ほど「乞食になる覚悟があれば田舎暮しもできますよ」と知人が言ったと 書きました。この意味は俗世間を捨てるくらいの覚悟という意味で 「乞食になる覚悟」と書いたつもりです。印度の乞食は日本の乞食と違い、 物を乞うときも威厳があります。ヒンドウ教ではものを施すのは自分のためです。 だから施しを受ける時も印度の乞食は「あなたのために乞うてあげましょう」 というところがあります。ところが日本の乞食はちがいます。身分の差別用語 として「乞食」が使われているからかもしれません。以前は違って、印度の 「乞食」と同じく威厳があったのだと思います。「乞食」は仏教思想から出て きた言葉だと思います。  犬と人は同等、同じ動物と考えれば人が犬になることも有りえます。 そういう見地からすると差別意識は自然となくなります。藤原さんはそのことを 言いたかったのかもしれません。人は王様も乞食もいっしょなのです。生ける物 すべて平等の見地からすると王様であっても乞食であっても人の尊厳に差異は ないのです。しかも、生き物としては犬や動物ともいっしょなのです。差別とは 差別と感じる人のその人の見地がそこに表われるのです。差別用語はその言葉を 受け止める人の見地を計る天秤になります。 例えば、ある人が「あなたは乞食みたいですね。」と言ったとします。 その人が明らかに差別を意識して言ったのならば 「いえ、私はあなたと同じ人間です」あるいは「はい、乞食です。あなたも私も 同じ乞食ですよ」と答えその差別意識に反論するかもしれません。 しかし、その人が「乞食みたいに自由に、物に囚われず何処えでも行けて、 いいですね」と言っなら、決して差別的な意味で「乞食」という言葉を使って いないのなら「はい、私は乞食のように自由です。天からの授かり物で充分 生きています。 感謝、感謝」と答えるかもしれません。 こちらが「乞食」は貧しい、汚い、社会の底辺を生きる卑しい人だと思っている 限り、生ける物すべて平等という価値観は身に付かないと思います。 藤原さんはそのことを印度での体験を通して、生き物すべて平等という 価値観を学んだのだと思います。  世界に出て、一年のほとんどを海外で過ごす。そんな生活を始めて二十五年、 その間に日本の社会はおかしな方向に進んでしまった。藤原さんだから見える おかしなところが、この本「東京漂流」につまっています。(3.25)
 「東京漂流」の書評を藤原さんのホームページに送りました。 もしかしたら、また彼の目に止まるかもしれません。 さて、柳の下に二匹目のどじょうはいるのか?「書評エピソード・2」へと つながっていくのかどうか、乞うご期待!(3.26)
 藤原さんからメールが届きました。 「東京漂流」書評を読んでいただき、しかも感想までいただきました。 ありがたいことです。調子に乗って「ディングルの入江」の総評を送りました。 私の性格は「まっしぐら、一直線」なのかもしれません。 藤原さんも驚かれているかもしれません。以下が今日送ったメールです。    返信のメールをいただけるとは思ってもみませんでしたので、 驚きと感謝でいっぱいです。あの「ディングルの入江」の書評がそちらに 送られたのは、私の意志ではなく、無断で誰かが送ったものです。 私の名を使って下さっていたので、そのまま放置していましたら、今回の ような結果になろうとは、不思議な感じです。私の生まれは別府です。 鉄輪も知っています。私が幼稚園児のころ藤原さんは高校生で別府に 住んでいらっしゃったのです。私の実家は浜脇温泉から山の方へ行き、 日豊本線の線路から少し山際にさしかかる、朝見神社の近くと言えば 分かってもらえるかどうか?東別府駅から歩いて20分、別府駅から 歩いて20分のあたりです。 仕事は名古屋の近郊で印度料理と画廊の店ガンガーを経営して 14年になります。 ペンネームの眼我真(ガンガマコト)はこのガンガーからとりました。 妻が絵の勉強で印度に留学していたので、私も結婚後、印度と関わるように なりました。私の回りには藤原新也ファンが多くいらっしゃいます。 藤原さんの本の書評はあと「印度放浪」と「沈思彷徨」の二点あったはずです。 もしよろしければ後日メールでお送りいたします。 そちらに送られた「ディングルの入江」の書評は書評全体からすると ごく一部です。以下に「ディングルの入江」の全体の書評を記します。   「風のフリュート」「ディングルの入江」 フリュートはディングルの映像版です。写真は、やはりすごいです。 なんだろうこの圧倒感、感性の鋭さ、個性の強さ、これは何処から来るのか、 彼の人生、生い立ちを調べないと分かりません。レベルが高いです。 逆境を乗り越えた強さ?人生の底辺を知っている強さと優しさ。 そんなものを藤原さんから感じます。また楽しみが増えました。 柳美里さんが、以前、井上ひさしさんに「お父さんは宝ですね」と言われた そうです。不幸の原因が宝物?ものを作り出すような仕事をしている人 (表現者)にとって育った環境は運命的なところがあります。 才能が同じでも環境が違うと表現されるものは違ってきます。 柳さんも平和な家庭に生まれていたら、このような優れた作家にはなれ なかったと思います。環境は選べないところがあります。特に幼時期は自分で 選べません。世の中、才能のある人は沢山いらっしゃいます。しかしその才能 が表現者として開花する人は限られているのかもしれません。それこそ見城さん が言っていた「王様と乞食しか表現者になれない。そこに葛藤があるからだ」 このことは正しいのかもしれません。藤原さんにも柳さんと同じ臭いがします。 不幸が才能を開花させたようなところが感じられます。これは私の直感です。 もし違っていたらお許しください。 「ディングルの入江」はなかなか良いです。なにげもないありふれた ところで、ありふれた女性を表現するのに「飾り気のない健康な肉づきの娘」と 書いていました。ちょっと笑えました。海外生活が長く表現が英語的な感覚で とらえていらっしゃるためなのか、文章も個性的です。つい引き込まれます。 アイルランドの荒涼とした漁港が舞台です。ガンガーのクーラをちょっと強めに して臨場感をだす。謎の女性プーカの絵を藤原さんが批評する。 彼の得意な場面です。力がはいります。自然描写も写真的、絵画的で、読む 側の脳裏に風景をイメージさせる文章力です。 心に残る文章が有りました。「アダムとイブとが楽園を離れたときから人類はそ のまま楽園から遠ざかり、廃虚に向かいつつあるんだって。次々となにかを 手に入れようとする人間の限りない欲望が、ほんとうは次々と大事なものを手放 し自分たちを追い詰めつつある...。」河島英五さんの歌に結婚して冷蔵買い、 洗濯機を買い、テレビを買い、ものが増えていくにしたがい会話がなくなり、 車を買ったら別れた。といった内容の歌を昔聞いていたことを思い出しました。 後、力車のおじさんの歌で一日何ルピーかの売上でも、 「おれは世界一の幸せものさ」と自慢するおじさん、心に残る歌詞です。 際限のない欲望は破滅をもたらす、その限界線を何処で引くか? ここまでなら大丈夫、これ以上はいけない。個人の裁量によるところのものと、 人類の問題に関わること、お互い関連があるのか?あるのだと思います。 藤原さんが25年間も世界中を旅して思ったことの大切なことが、この小説の 中に凝縮して書かれているのだと思います。 荒涼としたアイルランド、最果ての地、不必要なものはそぎ落とされ必要なもの だけが生き残れる地。ここを小説の舞台に選んだところが藤原さんらしい、 世界を見て回って感じたことの答えがここにあるのかもしれない。 いい本です。氷山のように水面下に膨大な経験と知識が有り、この本は水面上の 極小さな一角でしかない。この本が出版されたのが1998年ですから、彼が 54歳のときです。しかも小説活動の第一作だそうです。それまでの膨大な旅の 経験と知恵は測り知れないものがあります。心に残る文章がまたありました。 「話しの中に出てくる不死の島(ティー・ナ・ニーグ)とは自分の長生きの欲望 をかなえる島というのじゃなく、むしろ人が自分というものを消すことによって 得られる大きな人間の命の輪のことじゃないかと。・・・人は死してもその輪は ずっと生きつづけるんだ。だから自分の長生きの欲望をかなえるために島を 目指した者の前では、それは近づいたとたんに消えてしまう」 解説をすると。 不死の島とは島全体が一つの生命体としてあり。そのなかのどれ一つも別々では なく手を取り合ってつながっている(私利私欲には無縁です)。 過去も現在も未来も一つにつながっている。その不死の島は何処にでもあ り得る。民族であり、家族でもあり得る、と私は解釈しました。私の解説では、 ちょっと分かりずらい人は本を読んで見てください。 夜、最後まで読みました。うーん、部分部分面白い所が沢山ありました。 プーカが死に彼女の遺品を取りにウイックローの彼女のいたアパートにいき、 貸家の主人と遺品を見て、ここで完結させたほうがよかったのでは?ここは胸を 打つ場面です。つぎの第十章はいらないのではないか?ケイン・マックールを捜 して彼女の遺品を渡す。この箇所があると彼女のアパートでの神聖な出来事 が 半減してしまうのでは?素人の感想です。知人は第十章があったほうがいいと 言っていました。 以上が「ディングルの入江」の書評です。 2004年3月27日 眼我 真(荒金 誠)    同人誌の掲載について、思いが一転、二転しています。(3.27)
 先日送りました、49号の原稿の件です。 申し訳ありませんが、あの原稿の訂正か、掲載中止をしていただけませんか。 理由は以下に記します。  文藝春秋出版のメールを見て、藤原新也さんの著書に掲載されたと思い込み、 驚いてあのような文をかきました。藤原さんの著書を調べても「空から恥が降る」 が記載されていないのです。おかしいなと思って調べていたら、彼の日記の コーナーに「空から恥が降る」の本についての書き込みがありました。それを 読むと、出版社の意向で藤原さんのホームページに寄稿してくださった方々の 感想、意見などをまとめて一冊の本にしたとのことです。藤原さんへの投書は 私がしたのではなく、誰か知らない人が無断でした行為でした。その結果の 出来事だということと、この本は藤原さんの著書では無いとのことになるので、 49号の私の文章に誤解が入っていることになります。 今回、メールの件で有頂天になっていた自分に気付かされました。 有頂天になっているときに「東京漂流」の書評を藤原さんにメールで送りました ところ、心暖まる返事が返ってきましたので、あの書評自体は掲載されても かまわないかとも思いますが、「東京漂流」の書評だけでは、何か不自然な気も します。やはり申し訳ありませんが、掲載は中止にしてください。 その代わりに「魂・心の平安」の原稿を49号で掲載してください。 後日、「魂・心の平安」の原稿をお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。 その後50号の原稿として「統合失調症についての一考」をお送りいたします。 申し訳ありませんが、以上で蒼生舎通信の掲載は終わりにしたいと思っています ので、よろしくお願いいたします。 3月30日 眼我 真
  
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