2004年6月の思い


 今日で五月も最後です。昨日は思いがけずに、いいものをいただきました。 他の人にどうかと、二、三の人に声をかけたのですが、誰もいらないとのことで、 じゃあ私が引き取りましょうと、残り物の処分としていただいたのですが、これが思いが けずに、いいものだったのです。 マックのパソコンで私が使っているのよりも新しいタイプのものです。  今日のもう一つのいい話?はラジオで聞きました。 人の人格形成で一番土台となるべき基礎は何かということです。 以外なものだったのです。言われればそうかと納得できるのですが、普段は案外忘れがちな ものなのです。それは「情緒」なのです!感情というと大きくなりますが、その元の感じる 心なのです。情緒、感じる心を養うことが、人格形成の基礎だというのです。 学力とか能力とか、性格とかいうものではなく、一番大切なものは怒り、悲しみ、喜びと いった情緒をうまく表現、コントロールできる人になることなのです。 その基礎があって始めて、その上に学力、能力などが積み重なっていけるのだそうです。 この情緒という基礎ができ上がっていない人は、成長過程で挫折してしまうと、もう立ち直れ ない貧弱な人格となってしまうそうなのです。その方は聾唖者(ろおあしゃ)の教育に長く 関わってきた方のようです。途中から、つまみ聞きをした程度なので、全容はわかりません。 私はたまたま人格形成の基礎が「情緒」というところだけを聞くことができました。 思い当たる節があります。うつ病、統合失調症なんどの精神的障害を引き起こす病気などを 患う人は人格形成の段階での、この情緒の基礎が出来上がっていないのかもしれません? 情緒を形成するのは幼児期から小学生ぐらいの時期です。この間に、怒り、悲しみ、喜びと いった感情を他者との交わりの中で、体験を通して身につけるべき大切な時期なのです。 (5.31)
 昨日の続きです。人を構造物に例えるならば、ビルの基礎となる地下の土台には 「情緒」がくるのです。「情緒」が安定していないと、その上にいくら立派なビルを建て ても、ちょとの揺れで、グラグラになり倒れてしまいます。忘れられ安いこの「情緒」 をいかにして育てるかが、以外にも人間形成の一番大切なことなのです。しつけとか 学力とか才能などは後から本人が、その気をだせば自然と身に付くものなのです。 「情緒」を育成するのに一番の影響を与えるのが親であり、特に母親です。 母親がどのように子と接するかで、人格の基礎が出来上がってしまうのです。 教育熱心な母親よりも、感情豊かな育て方を心がける母親の方が、子には幸せなのです。(6.1) 何も難しいことではないのです。子の言い分をちゃんと聞いて、同じ目せんで考えて 上げられるかどうかなのです。会話・コミニケーションの基礎です。上からの一方的な 教育、しつけは、ひ弱な子(人間)に育ててしまいます。 それこそ基礎がぐらぐらな砂土に高層ビルを建てるようなものです。(6.1)
 今朝の新聞から、言語表現の能力が磨かれるにつれて、人は身体言語 (泣く、暴力を振る、叫ぶ、など)に訴えることが少なくなった。 柳田国男の随筆「涕泣(ていきゅう)史談」にそのようなことが書かれているそうです。 言葉で感情を意のままに伝えられるようになって、涙という「身体言語」に依存する 度合いが低下したそうです。感情を言葉で表現することで、気持ちを相手に伝えられる ことを学び、人は無益な「身体言語」を回避してきたのかもしれません。  以前、藤原新也の著書「幻世」での私の批評で、「言葉」と「物」について書きました。 まだ読んで無い人は先月の映画「パッション」批評を読んでみてください。その中にも 同じことが書かれています。なぜそんなことを言うかというと、昨日起こった長崎の 少女殺人事件についけの一考察をする上で、今朝の新聞記事(柳田国男の言葉)を ヒントに、「言葉」と「身体言語」から事件をひも解いてみたいと思ったからです。 さらに、昨日の人格形成「情緒」基礎論も絡めて、書き進めたいと思います。  書きたいことは沢山ありますが、時間が私にはありません。寝る時間と仕事以外は すべてを書くことに費やしなくてはいけません。仕事の時間が案外膨大なのです。 まあ、自分の選択した仕事ですから、好きでやっているといえばそれまでです。  「少女殺人事件についての一考察」 (つづく)(6.2)
 「身体言語」についていろいろと調べてみましたが、これは柳田国男さんの造語 のようです。「涕泣史談」(ちくま文庫、柳田国男全集、第九巻)を読んでみなくては いけません。図書館にあればいいのですが、もしなければ私の推論から話を押し進めて いくことにします。図書館に行くのも時間を見つけなくてはいけません。今日の午後、 休憩時間に行って見ます。それまで思い当たることを書き連ねてみます。  言葉を発生できない幼児は泣いたり、怒ったり、笑ったり、あるいは物を叩いたりして、 人に意思を伝えようとします。表現したくても表現できないもどかしさを本能的に知って いるのかもしれません。そのとき親なり大人が、その幼児の目を見ながら、根気よく 語りかけるのです。「何をしてほしいのかな?」相手が納得するまで、 根気よく聞くことが、まず大切だと思います。 先日の聾唖者(ろうあしゃ)と関わった方の話を思い起こすと、同じように聾唖者が 何を伝えたいのか、まずは根気よく聞いて上げることが大切だと語っていました。 こちらが一方的に「こうなんでしょう」と決め付けるのではなく、聾唖者が何を伝えたい のか、うまく言葉にできないもどかしさから、時には叩いたり、暴れたりしますが、 ひたすらに気長に聞いてあげることだそうです。 何事も、まずは聞くことから人は学ぶべきなのかもしれません。 伝えたくても伝えられないこのような障害者との信頼関係はまずは聞いてあげる行為から 始まるのかもしれません。幼児や聾唖者などの言い分を正しく聞いてあげようと しない人とは逆に、信頼関係が保てなくなるのかもしれません。 一方的に「こうなんでしょ!」と決め付けるような親に対しても同じです。いつしか子は 何も語れなくなり。他者との会話もまともにできない子になってしまうのかもしれません。 感情を言葉で相手に伝えられない子は、情緒不安定となり、感情を行動(身体言語?)で しか表現できなくなるとも言えるかもしれません。  何か行き当たりばったりの文章です。ちょっと推敲してみます。(6.3)
 昨日、図書館に行ったところ、なんと休みでした。 年に何度かの長い休みの最終日だったのです。今日はちょっ用事があるので、図書館に 行くのは明日にします。それまで「身体言語」なる言葉についての考察は一休憩とします。 長崎少女殺人事件、チャットと交換日記での中傷が殺意の発端とは・・・。精神鑑定をしない ようなことを弁護士は語っていましたが、私としてはすべきだと思います。中傷がいやで 殺人にいたるのはやはり正常?ではないと思われるのですが? 何が正常かという問題もありますが、自分にとって都合の悪いものは排除してしまう感覚は 異常です。中傷を書くほうも問題ですが、止めるように言って、聞き入れられないとなると 殺人という手段で問題を解決させようとする感覚はやはり異常です。命の重さをいかにして 教えられるか?これも親の勤めなのかもしれません。 それこそ人格形成の基礎が出来てないのです。(6.4)
 燕の雛が大きくなり、いまにも 巣立つのではないかと思えわれます。梅雨入りも間近です。田植えの時期ですから、時間に 余裕のある方などが今の時期に田植えの加勢に行かれると、農家の人に喜ばれるかもしれません。 ただし、素人の方はかえって迷惑がられたりして、嫌がられるかもしれません?(6.6)
 柳田国男の著作をはしり読みしています。日本民族学の開祖のような偉人の残された 書く物は膨大な量です。昭和37年に86才で他界されていますが、最後の10年間を 「海上の道」、日本民族の祖先の伝来を南方からの米伝来と絡ませて、ひも解く持論の 完成に費やしたようです。藤原さんが「東京漂流」で、高度成長期を前後して日本人の 文化伝承の変調が日本人の精神構造をも変えたと指摘していましたが、柳田国男さんは そのずっと前に日本文化?の変容による精神構造の変調を指摘していたみたいなのです。 藤原さんの種本があるとしたらこの柳田先生あたりなのかもしれません。 「逆説の日本史」の井沢元彦さんの種本も、いろいろなところから推測できますが、 藤原さんも同じように何処からか種を仕込んでいたとしてもおかしくありません。 これらは私の推測でしかありません。他だ、インド放浪は彼のオジリナリティーなのは 変わりません。誰でも先人の偉業に影響を受けたとしても、おかしくないのです。 その先人の偉業を知らない人にはその影響を受けたところのことを明記していただくのと、 そうでないのとは、少し受ける印象が変わってきます。 井沢さんは影響を受けたところのことをさほど明記されずに、いかにも自分が発見した かのように持論として自慢していらっしゃる節が伺えるので、私としては余り評価して いません。最初は井沢さんを高く評価をして、彼の著作を読みあさっていた記憶がよみ がえります。あるとき、直木賞か芥川賞作家の長谷部日出男か?ちょっと名前を忘れ ましたが、ズウズウ弁でしゃべる青森出身の作家でした。彼の著作物で出雲大社について 書かれた箇所だったと記憶しています。ある説について書かれていたのですが、その時 彼はこの説は先人のある人がすでに何々という著書で唱えていますと、正直に前置きを されていました。彼はいたって純朴な東北人だと思いました。一方、井沢さんの書かれた 「逆説の日本史」にも同じ様な説が出ていたのですが、彼はその説をいかにも自分が 発見したかのように自慢していたのでした。他人のふんどしで相撲をとっているのに、 そのことは内緒にして、持論のように書き振る舞っていました。それからというもの私は 彼の書物は読まないというか、読む気がしなくなりました。 ちょっとした言い回しですが、人の書かれた物を参考にしたときは、ちゃんと明記すべき だと思いました。無意識の表現の中に著者の人格までもが出て来るものなのですね、 私も気を付けなくてはいけません。 柳田さんに戻りますが、これから腰を入れて彼の著作物を読みあさってみたいと思います。 身体言語なる言葉が彼の全集第九巻「涕泣史談」に記載されているという新聞の記事を見て、 探したのですが、第九巻の目次に「涕泣史談」が出ていませんでした? 第九巻を後日読んでみます。(6.7)
 「バトル・ロワイアル」「ボイス」の映画監督ならびに原作者などは、 今回の少女殺人事件での加害者への影響力をどのように思われているか、 一度お聞きしたいものです。ついでに映画出演された役者さんたちにも、事件への映画の 影響について、感想をお聞きしたいです。 以前、ある映画で大戦を引き起こした日本側の中心人物を英雄的に扱った戦争映画が 上映されるというので、社会党関係の大手労働組合が上映にあたり抗議をしたという 出来事がありました。その映画の制作発表の場でのことです。制作者側の監督、俳優たち へのインタビューで、ある女優が開き直り、 「私達は役を演じただけです。いい映画に出演できてうれしいです」 このような発言をされたように記憶しています。戦争を肯定的に描いた映画の内容に 関しては無頓着で、自己肯定で完結させているこの女優を見て、他者への思いやりに 欠けた人は無知を越えて、馬鹿に見えるものだとつくづく思いました。 この女優はいまでも時たま、ドラマなどに出演していますが、ドラマの中で何を言っても、 あの会見場の厚顔、無知なイメージが思い出されてしかたありません。(6.8)
   今日は皇太子が先月発言なされたことへの説明責任文みたいなものが新聞に 記載されていました。昨日は長崎少女殺人事件の被害者の父親が手記を発表され ました。この二つの文についての考察をしたいと思います。昨日の父親の文は 思いのままつづられた、なにげない言葉のられつの中に、このうえない深い悲しみの叫びが 漂う、実にせつない文です。涙なくしては読めない文でした。一方、皇太子さんの文は 配慮に配慮を重ねたあげく、第三者には理解しがたいというか、どうでもいいような 内容になっていました。プライバシの問題ですから、ただ暖かく見守ってください。 との主旨だったようです。そんなことなら国民の前で、記者会見で言うべき問題では なかったのです。二つの手記を読んだ印象の違いは何処からきているのか? 守るべき者を失った者の悲しみと守るべき者を守れない者の戸惑いの差でしょうか? 前者は自己の無力さに絶望し、後者は自己責任を他に転換することで、現状を打開したいと 画策しているかのようです。悔いる魂には必ず救いが来ると私は確信しています。一方、 他への責任転換によるその場しのぎの画策は根本的解決にはほど遠く、問題の先送りの ような気もしますが、これも皇室という閉鎖的な環境の中での、彼なりに考え抜かれた 結果の愛する者への愛情表現なのかもしれません。 「悔いる魂は必ず救われる」ことを信じる私としては、違う環境のお二人、 皇太子妃と御手洗恭二さんの再起(復活)を心からお祈り申し上げます。(6.9)
 趣味とは楽しんで、心豊かにするものだと思いました。どんなに上手でも そのことが楽しくなければ、心豊かにはなれません。かえって下手な方が、楽しめる こともあるのかもしれません。上手、下手関係なく、楽しめる趣味を持つことは大切な ことです。昨日、ギターの上手な知人と余り上手ではない知人が私の店でギターを交えて 初対面をしました。余り上手ではない知人は上手な知人の演奏を聞いて、いろいろと 質問をしていました。いかにしたらもっと上手に弾けるようになるかを、彼なりに考えて いるようでした。それなりの収穫があったようです。これからうちの店で時たま、 練習させてください。と言ってきました。上手になりたいという、意欲が心を豊かに させるのかもしれません。私もいっしょに練習しようかとも考えています?でも、 私にはそんな時間がありそうにないのです。 書くことに使命を感じている私としては、やるべきことをしなくてはいけません。   「涕泣史談」見つけました。執拗(しつよう)に柳田さん関係の本を読んでいたら、 ついに出てきました。『不幸なる芸術』に収録されているとのことです。全集第九巻では なかったのです。今日は忙しいので、明日図書館で再度探してみます。今回は間違いなく 「涕泣史談」をみつけられると思います。ただ、先日の新聞記者の言い回しと柳田さんの 言わんとしていることに違いがあるようなのです。 新聞記者は身体言語についての一部を取り出して、長崎少女殺人事件にこじつけた節が みうけられるのです。柳田さんは近代人は泣くことが少なくなったが、それは不自然だと 言っているようなのです。昔の人はもっと泣いたというのです。まだ読んでもいないのに、 こんなことを書くのは何故なのでしょう?なんとなく分かるのです。 新聞の記事を読んだ時から、自然の流れからすると、現代人は泣かなくなった! 言葉、情報という知識が本来動物的であるべき感情をも理性でコントロールしようとして、 不自然はストレスを生み出し、それが屈折した社会を造り出してしまった。 民族学の研究者としては、現代社会がいかに不自然な社会であるかを指摘している はずなのです。科学のあまり発達していない時代は、自然の中に「畏敬の念」を感じ、 そのことで人と自然の関係がバランス良く保たれていたのだと思います。 新聞記者は少女が言葉によるコミュニケーションがとれないから、身体言語でもって 相手に襲いかかった。普通の身体言語(泣く、怒る、叩く)ならばかまわないのですが、 彼女は度合を知らず、ルール違反を犯しました。  先日の私の書き込みから 「言葉で感情を意のままに伝えられるようになって、涙という『身体言語』に依存する 度合いが低下したそうです。感情を言葉で表現することで、気持ちを相手に伝えられる ことを学び、人は無益な『身体言語』を回避してきたのかもしれません。」  言葉で感情を旨く伝えられないので、少女は「身体言語」(怒り)を行動で現わした。 それが殺人という身体言語だった。というのが記者の言わんとするところだったと私は 理解しています。そのことについて反論をします。 「身体言語」を伝えるのに、即殺人がおかしいのです。泣く、笑う、怒る、叩くなりの 身体言語は自然です。逆に彼女は身体言語をうまく表現できなかったから、殺人に いたったのかもしれません。感情を身体言語でうまく表現できないから、言葉と情報の世界 だけで、自己解決を計った。それが殺人だったといえるのかもしれません。 (言いたいことがまだ整理されていません。思いが先になり、思考が後を追いかける 状態です。時間をかけて、思考の整理整頓をしたいと思います)(6.11昼)  今日は筆が進みます。「柳田国男の民俗学」谷川健一著、岩波新書。のp219に以下にような ことが書かれています。 「このように柳田は、日本人はよく泣いたという。しかし、声を出して泣くことが社会生活 上に濫用されるようになったので、それを抑制する風が起こったのだが、むやみに抑制せず、 濫用だけを防ぐように教育すればよかったと柳田は言っている。ということは現代人が 自己表現をあまりにも言葉に頼りすぎているという弊害があらわれているからにほかならぬ。 そして『その理由又は事情を分析して見ようともせずに、ただ単に慟哭という一種の交通方法を 遮断したとても、それで世の中が楽しくなった証拠にはならない』と警告している」さらに 「『涕泣史談』では現代は人間の泣くことが少なくなった時代である。(柳田いわく) 今日の有識人に省みられて居らぬ事実は色々有る中に、特に大切だと思はれる一つは、 泣くといふことが一種の表現手段であったのを、忘れかかって居るといふことである」    柳田さんは「泣く」ことから現代人の表現手段の貧困さを指摘していますが、同じく 「笑う」「怒る」「喜ぶ」などの感情も言葉に依存しすぎるあまり、身体表現(言語)というか 感情表現が苦手になってしまったのではないかと私は推測するのです。 そのことは「言葉」の持つ伝達手段としての本来の役割を充分理解していない東洋人だから とも言い替えられるのかもしれません。? 藤原新也さんの「言葉」と「物」の関係において、西洋の「言葉」の文化(信仰)に対して 東洋は「物」の文化(信仰)だと書きました。この「物」とは「感情」と置き還れられるかも しれません。「物」から直接感じられる感受性豊かな心が人には大切なのです。物事、現象を 分析して、解説する科学も必要ですが、人格構成の上で基礎となるものは、科学的な知識では なくて感情を司る情緒なのです! 本来、「物」の文化だった日本が、明治以降「言葉」の文化であるところの西洋文化に傾倒 しすぎて「物」の豊かさ、大切さを忘れてしまった結果、近いところで長崎少女殺人事件などの 諸問題を引き起こしていると言っても過言ではないのかもしれません。(つづく) (やった!藤原さんと柳田さん、それに先日の聾唖教育者の言われたことをミックスして まとめることができました)    あと今月のテーマであるところの「愛するということは変わること」へ繋げれば 完璧なのですが、そう旨くいくかどうか?このテーマは宗教的な要素を必要としているので、 宗教のことから入らなくてはいけません。そうなると普遍性がなくなり、信じるという 自己の自主性が問われることになります。「信じる」というところを、いかに普遍性を踏まえ て書き進められるかです。難しいかもしれません。他だ、愛するとは相手の立場になって 考えられるかというふうに話を進めれば、旨く表現できるかもしれません。 愛するとは愛する対象(ここでは人とします)の立場になって、その人のために自分が 変われるかということです。では変わるとはどのようなことを言うのか? 価値観の転換とでも言えばいいのでしょうか。相手の価値観を受け入れ、自己の価値観 を転換するとなると、大変なことです。たまたま同じ価値観ならばさほどたいしたこと ではないのですが、それまでの人生を転換させるほどの違いがあるとすれば、人の 努力では不可能かもしれません。そこに「愛」という奇蹟?がこの一見不可能に見える 変化(転換)を、可能にさせるのかもしれません。全ての人に等しく与えられた欲は 食欲、睡眠欲、性欲と誰かが言っていました。 食欲、睡眠欲は人が生きていく上で必要不可欠なことです。性欲も種の保存として これまた必要不可欠です。人の愛にはこの性欲もからんできます。これがからんでくる と複雑になるのかもしれません。どろどろ?した愛欲は昼メロで充分です。と言って 愛欲を下品なもののように扱うと、それこそ身体言語の否定につながるのかも しれません。「おおらかに性を語る」民俗学のテーマになりそうな問題提起です。(つづく)  (6.11夜)
 昨日の書き込みと以前のものをまとめて「長崎少女殺人事件についての一考察」 としました。その文章は「眼我通信」来月号に発表します。柳田さんの「涕泣史談」を まだ読んでいないので、その部分の書評を書き加えて完成とする予定です。(6.12)
柳田さんの「涕泣史談」を読んでいますが、学者の文は読みづらいというか、彼の文には 無駄な言葉が、ちょこちょこ出てくるのです。回りくどいというか、読んでいて疲れてくる 文体です。もっと言いたいことを整理して、文を推敲してもらいたいです。偉い学者なので 誰もそんなことは言えなかったことでしょう。それと講演の話を文に書き直したものが案外多く、 読みにくいのはそのせいかもしれせん。流れるような、清楚な文ではないことは確かです。 忙しいので、ゆっくり読んでいられませんが、何か良いものが有るかもしれないという期待を、 推進力にして読み進めてみます。  先日、「逆説の日本史」の著者、井沢元彦さんの批判の時、長谷部日出男さんの ことを書きましたが、名前を調べたら長谷部ではなく長部でした。長部日出男でした。 長谷部日出男で検索したら、日本画家の日出男さんしか出てきませんでした。 おかしいので、もしかしたらと思い、長部日出男で検索したら、出てきました。 作家で「鬼が来た」の著者だったのです。今から二十六年ぐらい昔、友人に進められて 読んだ記憶があります。「鬼が来た」は版画家の棟方志功の伝記です。良い本でした。 彼の最近?の作品に天皇の由来を追及した本があります。これを読んでみたくなりました。 後日また図書館にいって探してきます。次ぎから次ぎと、したいことが出て来ます。これは 考えようによっては幸せなことかもしれません。(6.13)
 テレビの歌ランキング「Count Doun100」なる番組(32チャンネル)で以前 一青よう(ひととよう)さんの「ハナミズキ」が放映されていました。以前から彼女に 興味があったので、つい見入ってしまいました。実に表情豊かに歌われるその姿に感動を 覚えました。体全体で歌を表現しているのです。顔の表情一つにしても、しかり。 手の動きも、しかり。彼女独特のある種の手話のような動きに魅了されます。この表現力は 彼女の生い立ちから来ているのだと思いますが、その辺の情報について私は詳しくないので これ以上語ることは出来ません。台湾育ちの、日系ハーフという環境が影響していることは まちがいありません。日本人が忘れかけている身体表現を具現化して見せてくれる貴重な アーチストです。(これは柳田さんの身体言語問題のヒントになるかもしれません。後日 改めて、検討してみます)  今日、月曜は昼の二時で仕事が終わりの日なので、いつものように日頃は見れない映画や 歌の専門チャンネルで情報を仕入れました。 「Count Doun100」を見ていたら、64位あたりで、また矢野じゅん子さんに 出会いました。デビュー曲「てろてろ」の弾き語りをしていました。 「伝えることが、私の使命ですから」そんなことを以前テレビで語っていたことを 思い出しました。 私は同じ番組をずーっと最後まで見ることはあまりしません。 ちょこっちょこ番組を変えながら「流し見る」とでも言うのでしょうか?歌番組を見ながら、 26、27チャンネルあたりで、洋画を見るのです。洋画を見ながら、他の番組例えば アニメなど細切れに見てまわります。 このような見方は私個人で独占できる月曜日の午後二時から四時あたりまでの間だけです。 今日は歌番と洋画と別の洋画の三つを平行しながら見ました。こんな見方で内容が理解できる のは私ぐらいかもしれません。26チャンネルの洋画も27チャンネルの洋画も途中から 見たので、題名もわかりません。でも、だいたいの粗筋はそれだけで十分理解できました。 一つは泥棒が刑事に成りすまして大活躍をする、ハチャメチャなストーリでした。ただ、この 黒人の主役の表情がじつに豊かだったのが唯一の救いでした。もう一つはシリアスな内容で 黒人の高校生五人が警察官一人を人質に取って、学校にたてこもり、自分立ちの要望を受け 入れるように脅迫する内容のものでした。これも途中からというよりも、終わりかけを観たと いったほうがいいかもしれません。映画の終わりの方で語られていた 「生きている限り、すべては自分次第!」という言葉がいまも印象に残っています。 今日見た歌番の矢野さんは「自分次第」という意味を実感して、自分の道を歩んでいらっ しゃる人だと思いました。芸術家にとって一番大切な才能は何かというと、 「夢をあきらめないこと」だと某小説でミュージシャンのヒロインを描いた箇所に出ていました。 「伝える」とは使命感がなくては出来ないことなのです。他だ、好きだから、上手だからでは この「伝える」使命は起きてきません。 先日、ギターの上手な知人と余り上手でない知人について少し書きました。 二人とも個性豊かな人です。趣味は自己満足の産物です。心豊かにするという意味では 趣味も大切なものですが、 「伝える」使命、「夢をあきらめない」はもう趣味の範囲ではないかもしれません。 「生きている限り、すべては自分次第」です。 何か目標を持つべきなのです。目標、夢に向かって自分の道を見つけ、歩めるかどうかです。 評価は後から、自然とついてくるものです。あきらめずに頑固に自分の道を歩めるかどうか にかかっています。私は書くことに使命を感じています。後世に残るような書き物を一つ 残せればそれで本望です。(6.14)
 「涕泣史談」を読み終えました。感想は、問題提起 をして、後は後世の人(若者)に検討しなさいという意味合いの書き物でした。 「泣く」をテーマに、自己の多少の知識を踏まえて、書き綴ったエッセイみたいなものです。 題名に偽り有り!期待はずれでした。(6.18)
 少し書き込みがおろそかになっていました? いつものゲーム癖が出てしまいました。でも、多分今日からまた書き込みに励むことと 思われます。台風は幼いころからの体験で別にたいして気にしていません。いつものように 店でごろごろ?していましたら、やたら風が強く、店の前の「すずなりの木」が東風に あおられ、倒れそうなのです。「すずなりの木」は勝手に私が命名した名前です。八年前に 植えた時はそれこそ50cmほどの小さな木でしたが、いまは三mほどの大きな木になりました。 でも、あまりの風に倒れそうなのです。上の枝が多すぎて頭でっかちなのです。急きょ、 上の方の枝打ちをすることにしました。雨の中、枝打ち、枝打ち。 通りすがりの車は「変なおっさんがこの台風の中、何をしているのか?」奇妙なまなざしで、 私の脇を走っていきます。枝打ちはいいのですが、落とした枝の始末がたいへんです。 拾って、家の脇へやりますが、雨の中拾いきれません。風に飛ばされて道路に多少まき散ら されました。まあこんなもんでしょう。一仕事したという自己満足の中、あとは店の暇を どのように活用するか考えます。こんな日は誰も来ません。昨日 のことです。知人が演奏した曲を録音した MD、近所の人にテープに入れ替てもらいました。たまたま、その話をしていたら、 お客さんでパソコンに詳しい人が 「私のパソコンなら、MDからCDへ変換できるから、CDに入れてきてあげますよ!」と 言われました。その方は仕事の関係で、スイスなどに行かれた時にお土産を下さる、 気さくな方です。リストラで同僚が次ぎから次ぎと「肩叩き」に会い、次ぎは自分 かと?一時は不眠症になり、げっそりと痩せられました。奥さんも心配そうにされながら、 うちの店に来ては私と話をしたのが一昨年あたりでした。いまはすっかり元気になられ、 来るといろいろと話されて行かれます。昨日はリニアモーターカーに試乗した話をされました。 時速500キロの体験談を聞かされました。早々、彼はユニークな方です。 以前、雪がちらつく日?に来られたときのことです。秋田出身の彼は車が好きで、若い時、 広い駐車場でわざと急ハンドルを切って、雪上で滑った時のハンドルさばきを何度も体験して、 滑ったときのハンドルさばきを会得した、とのことです。雪の積もった日にノーマルタイヤで 時速60キロぐらいで走っても、全然安心だそういです。私も滑ったときのハンドルさばきに は、私なりの推論があったので、彼の体験論には納得しました。 これは秘訣があるのです。彼の体験論を聞いて私の推論に確信がもてたのです。 その少し後に、たまたま大雪が降り、その滑ったときのハンドルさばきを実践することになる とは夢にも思ってみませんでした。カーブでたまたまハンドルを取られ、瞬間に理論の実践を 実行したら、なんと真直ぐに立ち直ったのです。ヤッタ!わざと滑ったのではないのですが、 滑ったことで、私も推論でしかなかった、滑った時のハンドルさばきを会得できました。 ノーマルタイヤで雪の中、時速60キロでも安心かもしれません? でも、まずは滑らないように走ることです。(6.21)
 そうそう知人のテープの話をするつもりだったのです。 軽快なエレキ演奏、もっと表現したいことがあるのでは?あるいは表現できるのでは? もっと別の演奏も聞いてみたい気分にさせられます。 泥臭くなく、軽快というところに彼の長所と同時に短所?がそこ(軽快感)に同居している のかもしれません?音楽素人の感想です。  器用、不器用について以前にも書き込みで書いたような気がしますが、知人の演奏から 思いつくままに書いてみます。宮沢賢治の「ゼロ弾きのゴーシュ」だったか? (主人公の名・ゴーシュに疑問が残りますが)この作品の主人公は不器用な演奏家です。 下手でも一心に練習すれば上手になることを暗示しているような作品だったと記憶しています。 武者小路実篤の「ばか一」?これも題名の馬鹿は漢字だったか、忘れました。小、中学校生 あたりで読んだ記憶があります。道端に落ちている何の変てつもない石を飽きずに描き続け、 下手な絵をみんなから馬鹿にされ、あだ名が「馬鹿一」と付けられ、馬鹿にされながらも 描き続けるのです。いつしかその描く石は不思議な世界を表わし・・・ 後は内容を忘れました。これも不器用な絵描き?の話です。うまくなりたいという熱意が 良い作品を生み出し、感動を相手に伝えるのだと思います。音楽は素人なので、あまり語れ ませんが、絵について言えば、上手な絵は誰でも器用な人なら描くことができます。他方、 下手でも魂のこもったような絵がときたまあるのです。これらは決して有名な絵描きでない ことも、多にしてあります。絵と音楽では多少違いがあります。絵は道具があれば誰でも 描けますが、音楽特に楽器演奏は基礎的なテクニックをマスターしてないと表現したく ても出来ないのです。でも、基本的なテクニックさえあれば、あとは絵の世界に通じる ものが、そこにあると私は思っています。伝えたいものが自分の中にあるかどうか?です。 伝えたいものが自分の中になければ、いくら演奏が上手でも聞く側に感動は伝わってきま せん。軽快な演奏の裏に伝えたいものがなければ、物足りなさ?みたいなものが残ります。 あと本人が音楽を楽しんでいるかどうかです。馬鹿一は誰からも認められなくても、 本人は楽しんで描いていたのです。伝えたいものが有れば、自然と表現したくなるもの です。音楽でも、絵でもそれは同じだと思います。  知人の一人が、アガリスクとプロポリスで商売しないかと話を持ちかけてきました。 癌に効くという話は宣伝などで知られている商品です。ブラジルの知人から直接仕入れ られるので、安く手に入るから、他よりもグット安く売れるとのことです。 インターネットで売る手があります。自然食品として、すでに多くの関係商品が 流通しているもようです。インターネットなら私でもやれなくはないことです。 他だ、金儲けにあまり興味がない私みたいな者が商売として成り立つものか?疑問です。 「アガリスクとプロポリスの専門店・ガンガー」なんて感じなのでしょうか? (6.22)  
 世に問うには手段を選ばなくてはいけません。私は言葉という表現方法を選択して います。以前は絵を描くことを表現方法とした時期もありました。組織に属すことがあまり 好きではないのと、いろいろな事情から絵による表現手段は休止となっています。 老後にでもなって時間の余裕ができれば、また絵も再開したいという希望は捨てていません。 あと書道というか、筆と墨による表現方法もぜひやりたいことの一つです。さらにピアノの 演奏もしたいのです。やりたいことは山ほどありますが、いま出来ることといえば、やはり 文章書きです。音楽はまったくの素人ですので、主観的な見方しかできません。主観的とは 好き、嫌い、分からないといった程度の判断しかできないということです。 昨日の書き込みで知人のテープを聞いて、思いつくまま書き連ねました。 ギターのあまり上手でない知人が「自分の世界を持っている。いいね!」と言われていました。 確かに彼の世界なのです。逆にもっと自己の世界にのめり込んで、もっと内面の奥深いものが 出てくれば、もっとすごい音楽になるかもしれません。 可能性はいつ何処にでも残っているものなのです。なぜ音楽を辞めたのか? もったいない気がします。一度否定をした音楽を再度、見つめ直す機会が到来することを 信じたい気持ちです。大人の音楽というものが有るかどうか知りませんが、人間的に苦悩を 経験して、苦しんだ分、深みのある大人の音楽?に成長するのではないかと思われます。 挫折に負けてはそれで、終わりです。挫折を乗り越えた強さとやさしさが音楽に深みと、 濃く?を増すのかもしれません。又聞かせてください。早々。(6.23)
 中日新聞六月二十二日の「中部の文芸」欄に蒼生舎通信50号の記事が少し掲載され 私の映画批評が「特に良い」と書かれたみたいです。記事は清水信さんという詩人が 書かれています。2年ほど前も、その方に私の「サトルの冒険」を誉めていただきました。 そのときも個人的に書き物を送ろうかと思ったのですが、住所を調べるのが面倒くさかったので、 結局、送りませんでした。今回はたまたま蒼生舎の太田さんからいただいた新聞のコピーに 彼の住所が書かれていました。後日私の書き物と「眼我通信」を郵送しようかと思っています。  息子のやる気にやっとエンジンがかかったみたいです。いままでと違います。こんなに 真面目に勉強する姿は初めてです。内申が良くないことを自覚して、目標の高校には内申を 少しでも上げなくてはいけないことに気付いたようです。多分、このままいけば合格するでしょう。 私の場合と逆です。私は三年生のころはもう、受験勉強に疲れを覚え始めたころですから、 そのまま惰性で高校に入ってしまい、なんの楽しさもなかった記憶があります。  (6.24)
 見かけはぱっとしなくても魂の清い人と見かけは紳士でも魂が薄汚れている人、 世間的には見かけの紳士が評価を受けるかもしれませんが、神の前では魂の美しさが 問われます。見かけの評価、世間体を気にしていること自体がすでに裁きを受けている ことなのかもしれません。真理を見抜く清い魂で全てのことを見通して生きたいと思います。 何が正しくて、何が正しくないか。少し見えてきたつもりです。 魂の砕けた清い人!この指に止まれ。(6.25)
6月26日以降の「思い」を読みたい方は下記をクイックしてください。
「思い」続きへ進む