2004年7月「思い」


  一昨日は柳田さん関係の本を読んでいて、思い付いたことを書き並べました。
昨日は一昨日の続きの柳田関連の本を読み、少し飽きてきたので、
今度は別の本NHK「歴史発見」4の中の「かぐや姫」(秘められた怨念)
「邪馬台国」はどこか?を読み、「酒てん童子」は甦る、を途中まで読んで、寝ました。
昨日は読書の日でした。一昨日の書き込みはそこそこ面白いことを書いていると思って
います。日本人の現状を長崎少女殺人事件の考察で、情緒不安定な社会と指摘しましたが、
ではどのようにしたらいいかという対応策は何も上げていませんでした。
ここで、一昨日の『直感と洗脳』でふれたことを思い出してください。
「魂の自由から生まれたところの『直感』と、魂の自由を奪われた無意識の『洗脳』を、
あたかも自分が生み出した直感のように錯覚する感覚。
懐疑的に自己を批判する冷静な精神を身につけなくてはいけないのかもしれません。
これが西洋の言わんとするところの『言葉』文化の円熟した社会の有り様かもしれません。
自己批判精神が『言葉』文化には特に必要なのだと思います」と書きました。
自然に恵まれた農耕を主にした民族にとっては、自分を含めて全てに対して懐疑的になる
必要はまったくありません。自然に身を委ねればいいのです。一方、自然に恵まれていない
狩猟の民においては、他者は当然自己をも疑ってみなくては弱肉強食の世界を生き抜いては
いけないのかもしれません。意思の疎通は当然言葉による理解ということになります。
(この辺は推測の域です。詳しく調べたわけではありませんので、私の推論に間違いがある
かもしれません?)言葉による理解の前に、人はここで、懐疑的に自己をも含めて、疑って
みるという分析をおこなうのです。相互の「言葉」の限界を補うものとして、社会通念から
決まり、法律なるものが生み出されたのだと思います。
社会生活を行なう上で、ある一定の制約を設けることで「言葉」に重み、責任を与えること
としたのではないでしょうか?西洋では基準がはっきりしていますが、東洋は基準が有って
無いようなものなのです。西洋では言葉の集大成?であるところの聖書が基準にあるのだと
思います。東洋ではその基準は「物」(自然)であって、その「物」はここに多少基準が
違うのです。西洋は「言葉」に依存していて、東洋は「自然」に依存しているとでも
言えばいいのでしょうか。日本国においては前回の大戦後、この東洋の基準の「物」
(自然)から「言葉」(科学?)へ基準を移行させようとして、今日まで国家を上げて努力
してきたのだと思います。この過程で「言葉」の基準で有るところの「聖書」について学ぶ
ことをしないで、末端の科学や思想、文化をまねることからその精神(基準)を学んだ
つもりになっていたのではないでしょうか?少し頭が混乱?してきました。
膨大な世界を私のつたない言葉で綴るのにはまだ無理なのかもしれません。
今回私が言いたかったことは
「物」から受ける直感的なものを大切にすべきであって、言葉で知った情報を直感と錯覚
してしまわないように、直感的な感覚も一度懐疑的に疑ってみることも必要だということを
言いたかったのです。言葉や情報が入り乱れているような社会では、自分ですべてを再認識
することから始めなくてはいけないのかもしれません。
原点にもどり再認識するということです。私にとってその原点とは「聖書」であったのです。
今回柳田国男さんを知って、この方も貴重な原点の一つだと認めました。
「聖書」は西洋の原点で、柳田さんは日本の原点を差し示す一つの指針かもしれません。
柳田さんの書かれた書物を調べることで、日本国、日本人をよりよく知ることになると
思われます。私に欠けていた日本民族についての知識がこれで少し身につくかもしれません。
方向性が示されてきたみたいです。「聖書」と「日本民族」について勉強していくべき
なのです。許されることならば「聖書」と「日本民族」についての研究を徹底的にして
みたい心境です。
 インドに留学されていた女性が今日、店に来られました。昨年は夏休みに店で個展を
された方です。とても気さくで「おおらか」な人柄です。今年も8月に展覧会をされる
ことになりました。一年ぶりですが、少しスリムになられ?美形な顔だちになられて
いましたが、性格は明るくほがらかな雰囲気で変わっていませんでした。教職につけると
いいのですが?彼女のような人が教育者になれるような世の中であってほしいです。
「眼我通信」の長崎少女殺人事件についての話になり、インドで「エモーション」(感情)
とか「エモーショナル」(感情的な)と言うと、みんな嫌な表情をされるそうです。
それと日本語の「情緒」という言葉が英語には無いとも言っていました。この辺は
イギリスに留学されていた店のお客さんに聞いてみなくてはいけません。その方は
第二外国語(英語)教育についての研究をされている方で、いかにしたら日本人が
英語を身につけることが出来るかを研究対象にされているので、専門家といえば専門家
です。「エモーション」と「情緒」について彼女の意見を伝えた上で、彼にその感想なりを
聞いてみたいと思っています。柳田国男さんの「涕泣史談」についても言葉(英語)の
研究をされている方なので、感想をお聞きしたいと思っています。(7.1)

 「古代オリエントと旧約聖書」講演 月本明男(発行・ちとせのいわ聖書研究会)  一年前に行なわれた講演会の講義内容が小本となって送られてきました。 集会に出席していない私みたいな末席を汚すものに有難いことです。 月本先生は立教大学で「聖書考古学」の教鞭をとられていらっしゃる方です。 旧約聖書「伝道の書」七章14節 「順調な日は楽しめ、逆境の日には考えよ(自分を見つめよ)」と書かれています。 この言葉のように、バビロン捕囚というイスラエル民族にとって、歴史的に見て最も 逆境の時期だった時に、少数の自覚的な者たちによって集められたイスラエルの歴史書 を纏めて、編集されたものが旧約聖書なのです。  人の人生も同じかもしれません。苦しいときほど神への祈りは切実となり、一心に祈る ことによって、自分を見つめ直し、一人考え、また祈る。その繰り返しの中で、神はいつしか その信じることころの度合?によって素直な悩める者に、逆境を乗り切る力を与えられる のだと思います。「信じるところの度合」とは人の側の度合ではなく、神にとっての度合 なのかもしれません。要はそのようなものは人の側からは推測不能な領域であって、 「逆境を乗り切る力」は恩恵として一方的に神から与えられるものなのかもしれません。 「逆境を乗り切る力」が恩恵ならば、その逆境そのものもある意味「恩恵」なのかも しれません。すべてを「恩恵」と思える心の強さが信仰にはあるとも言い切れるのです。 明本先生は 「この旧約聖書を残した民は、あのピラミットを作る経済力も技術力もなかった。バベルの 塔を作る技術力もありませんでした。しかし、その信仰を旧約聖書という形で残すことに よって、あの古代エジプト、古代バビロニアが成し遂げられなかった、もっともっと大きな、 そして深い影響を人類史に及ぼした計り知れない影響を思います・・・。」と言われていました。 講演は「バベルの塔」の話で纏められていました。 バベルはバビロニアで、バビロニアにあった実在の塔の話へと進みます。詩篇(150篇) の137篇だけが、読まれた時代がはっきりしているということです。 バビロン捕囚のイスラエル民の一人が歌った詩。(詩の説明は省きます)先生は 「旧約聖書の限界はどこにあるのだろうかと考えてみますと、・・・イスラエル民族という 発想を乗り越えきれなかったことではないかと、そう思います。・・・ そのことを認め、われわれがこの旧約聖書をしっかりとふまえつつも、これを突き抜けた ところで福音を語られたイエスのことを、そして新約聖書のことを思わざるを得ないので あります」と言う言葉で話を終えられていました。 考古学者らしく詳しい資料で説得力のある話でした。でも、結論は一般に言われていること で終わっていました。すでに言われていることの裏付けとしては専門家らしい分析ですが、 話の結論は言い尽くされていることの繰り返しなのです。何か物足りなさがのこる話でした。 上に書いたところの箇所で  「人の人生も同じかもしれません。苦しいときほど神への祈りは切実となり、一心に祈る ことによって、自分を見つめ直し、一人考え、また祈る。その繰り返しの中で、神はいつしか その信じることころの度合?によって素直な悩める者に、逆境を乗り切る力を与えられる のだと思います。「信じるところの度合」とは人の側の度合ではなく、神にとっての度合 なのかもしれません。要はそのようなものは人の側からは推測不能な領域であって、 「逆境を乗り切る力」は恩恵として一方的に神から与えられるものなのかもしれません。 「逆境を乗り切る力」が恩恵ならば、その逆境そのものもある意味「恩恵」なのかも しれません。すべてを「恩恵」と思える心の強さが信仰にはあるとも言い切れるのです。」 以上は私の考えです。  資料の新発見も大切かもしれませんが、より深い洞察力が問われるのだと思います。 こんなことを書くと、お前は何様のつもりだと小言を言われそうです。 立教大学の名の有る教授に対して、カレー屋のおやじが生意気な奴と軽蔑されること 間違いなしです。トラウマなのかどうか知りませんが、言い争うことが嫌いなのです。 だから私はこのホームページでしか、このようなことは語りません。 関係者は誰も読まないと高をくくっています。 昔からそうです。何となく生意気なのです。どんな有名な人の話でも、何かとケチをつけて 批評してしまいます。しかも、そのことは公にしない。だから認められない? でも、こんなことはたいしたことではありません。今はもっと大切なことが私にはあるのです。 (7.6)
 知人が貸してくれた鬼束ちひろさんのCDを家族の集まる居間で聞いていたら、息子が 「ここで聞くの?」と言うのです。ようはテレビが見れないから、よそで聞いてくれという ことなのです。しかたなく寝室にCDラジカセを持っていき、聞きながら寝ました。 翌日、息子はCDを買ってきました。何を買ったのか?聞いたら「東京エスムジカ」? 私の知らないグループ名でした。ちょっと耳にしたような個性ある名です。 エスムジカ?どうゆう意味なのか息子に聞いたら「よく分からないけど、 eth.nic(民族の)のethとミュージカル(musical)のlをとった eth.musicaを「エスムジカ」と読むんじゃないの?」と言っていました。 私はmusical(ミュージカル)とmusic(音楽)の間をとって「musica」 (エスムジカ)という造語を作ったのではないかと推測したのですが?ただの音楽ではなく ミュージカルに近い、しかもエスニック調の音楽を目指しているのかもしれません。 「東京」と頭に付けたところが?いかがなものかと疑問を持ちます。 息子に「一青ようの方が良いのに!」と私の好みを言うと、「インターネットでアンケート を読んでいたら、一青ようよりも東京エスムジカの方が、いいという声があったから」 というのです。「お父さんも聞いてみたら」と無理やり?聞かされました。 「う〜ん、お父さんには元気すぎて、疲れる」と感想をいいました。やはり一青ようが いいです。人にはそれぞれ好みが有りますから、良い悪いではなく、好みの違いを認めあい お互い理解しあうことは大切なことです。鬼束ちひろもいいのですが、詩が難解で す〜と心に入ってこないのです。この辺は好みです。若い!人生の苦難を経験してジャズ あたりを歌いだすと、おもしろいかもしれません。(7.9)
 最近、小柳ゆきさんを見ませんし、聞きません。 才能だけではその世界で生き抜いていけないのかもしれません。鬼束ちひろさんも才能 だけでは潰されてしまうかもしれません。最後はひた向きな一途さが、道を開くのかも しれません。「てろてろ」を最近よくラジオから聞きます。「ボイス・マジック」という タイトルで公開生放送が行なわれるみたいです。そのイベントに矢野詢子(じゅんこ)さん が来られるので、その宣伝を兼ねてラジオから「てろてろ」が流れてくるのです。 「ボイス・マジック」(声の魅力)は彼女にはうってつけかもしれません。魅力の秘密は 彼女の「ひた向きさ」です。「馬鹿一」のひた向きさです。才能有る人には無い、 「ひた向き」の強さです。雑草の強さです。雑草は踏まれても、踏まれても、根を張り、 力強く生きます。きれいな花は踏まれると、すぐに枯れてしまいます。この雑草にも きれいな花が咲くのです。たいてい小さく目立たない花ですが、見ようによっては かわいらしい花です。そんな花をいとおしく眺められるようなゆとりのある生き方を したいものです。  最近は忙しいので、ゆっくり書き込みも、図書館にもいけません。 まあこうゆうときもあっていいのです。人生そんなに急いで何処へ行く?です。 まあ、ゆっくりしましょう。寝て、英気を養うことです。  先月のテーマだった「愛するとは、変わること」のいい例がジェンキンス氏です。 彼は愛する家族のために、変われるかどうかです。脱走兵の事実と向かい合い、アメリカの 軍法会議に出廷する覚悟ができるかどうかです。 ジェンキンス氏の問題は愛するとはどうゆうことかが問われる出来事なのかもしれません。 (7.10)
 インドに留学されていた方が私の書き物の中で「藤原新也さんのヒンドゥ教 についての記載を読んで、ちょっと腹が立った」と言われました。サンタル人という原住民 は多神教で、神秘的な人たちだそうです。ものすごく奇麗好きで、ゴミなどは決して、 そこらに捨てることはしないそうです。一方、ヒンドゥ教徒はゴミをあたりかまわず捨てる そうです。ゴミを捨てるからヒンドゥ教は良くないというのも?ですが、彼女が言いた かったのは、インドにはヒンドゥ教以外にもすばらしい原始宗教があるということだと 思います。その辺を深く追及しなかったので、いま言ったことは私の独り合点かもしれません。 今度会ったら彼女に確かめてみます。 それと「ガンジスの死体とか乞食とか、強烈な印象の写真を撮っているが、もっと普通の 平凡な生活もあるのに」このようなことも言われました。そうなんです。 彼はやはりジャーナリストとなのです。話題性がなくてはいけないのです。 彼の表現者としての限界がそこにあるのかもしれません。(7.11)
 「漂白の精神史」(柳田国男の発生)著者・赤坂憲雄 小学館ライブラリー。 面白い、何が面白いかをこれから書きます。赤坂さんは東大出の大学教授です。柳田さんの 研究をテーマに、柳田さんのたどられた後を追跡調査しながら、検証していくのです。 日本思想史を専攻されているとのことです。特に柳田さんを研究されているみたいです。 それだけ彼(柳田)は貴重な資料を後世に残されたということです。赤坂さんはその後を たどっているのです。この本は柳田国男さんが明治十年代に展開し、その後なぜか放棄した 「漂白民論」(被差別部落について)を、継承?しながら追求した書物とでも言えばいいの でしょうか?後を追随するだけでいいのかという疑問が残ります。でも、失われた文化を 掘り起こすことは、現代という今を懐疑的に見るためには必要なことなのかもしれません。 今を懐疑的に見つめるために、柳田国男の発生させた民俗学を再発見する必要があるのです。 私の思いをすでにこの赤坂さんはされていたということです。私の道は自分で切り開かなく てはいけません。赤坂さんと同じことをしていてはいけません。私の発想は間違ってないと いうことかもしれません。そこが面白いのです。機会があれば柳田国男全集を手に入れたい と思っています。(7.15)
 暑さになじむのに体力を要し、書き込む気力が無くなっていました。暑さに体の方が なじんできたみたいです。書き込む余力が出てきました。 「才能」について考えさせられることが身近に起こりました。  息子が英語の弁論大会に出場することになったのです。学校代表の選考会があり、 選ばれた十名から代表の五人を選ぶのですが、指定された英文をみんなの前で読み上げ、 それを聞いて英語担当の先生達が五人を選ぶのです。 上位二名が高円宮杯全国英語弁論大会の愛知予選に出場することになっています。 三位が愛知県中学生英語弁論大会へ、四位五位が地元のAHI英語弁論大会へ出場する ことになっているのです。そこで「才能」について思い付いたことを書き込みます。 努力では補えないものがあるのです。今回の英会弁論大会で、いくら英文を読みこなしても 聞き取れない発音ならば、意味は伝わりません。聞くことが出来て始めて、語ることが 出来るのです。言い替えれば、弁論大会で問われることは語る人が聞く力がちゃんと 備わっているかということなのです。逆説的ですが、英語をちゃんと聞き取れない人は 自分が言っている英語を客観的に批判(理解)できないのです。自分が言っていることを 批判できないということは、理解していないということにも繋がります。これは日本語でも 同じです。自分の語っていることをちゃんと批判できますか? それが才能ということなのかもしれません。これは努力では身につかないしろものです。 息子の場合、ちゃんと聞き取れるから、ちゃんと発音でき、外国人が聞いても理解できる のです。聞き取るとことのできない人がいくら文章を読みこなしても、自己満足の世界で あって、外国人には意味不明の発音なのです。英語弁論大会について書きましたが、これは 他のことにも通用すると思っています。音楽の場合なら、演奏する側の人が、ちゃんと冷静に 聞く側の立場で自分の音楽を批評できるかということです。良い耳を持っているかという ことでもあります。良い耳とはどういうことかということになります。 私の独断で書き進めようと思えばすすめられますが、音楽はいま一つ、未知の世界なので、 偏見で書くわけもいきませんし、今日も忙しくて疲れているのも事実です。 後日、余裕があればこの先を書き込みたいと思います。(7.21)
 英語の場合は聞き取る力が大切なのだと思われます。書き物の場合も読解力が問われ ます。聞き取る力や読解力は努力もあるかもしれませんが、才能のような気がします。 与えられた力とでも言えばいいのでしょうか。努力で出来ることと、努力だけでは越えられ ない壁があるのは間違いありません。ただ、それが幸せと繋がるかというと、そうでも ないのです。人の幸せと能力は正比例とは限りません。人生(人間)の価値は能力主義 ではないということです。努力で越えられない壁は誰が作るのか?それは誰でもなく、 自分自身なのかもしれません。何か矛盾を含んだ言い表し方ですが、では自分で作った壁を 乗り越える力はどこからくるか?才能ではこの壁は打ち崩せません。 「一途な想い」「ひた向きな想い」がこの自分で作った壁を打ち崩すのです。 才能は個人、個人によって限界がありますが、この「ひた向きさ」はその限界を打ち破る 強さがあるのです。無私無欲な「ひた向きさ」は無限の力かもしれません。 人の幸せは何処にあるか?結論は自分で探すことです。ただ、言えることは才能の有無では ないことです。壁を打ち破る「ひた向きさ」に秘密が隠されていると私は言いたいのです。 柳田国男にもこの「ひた向きさ」を感じます。後世のために、いまある伝承文化を 残さなくてはいけないという使命に似た「ひた向きさ」です。生前葬をするような人には この「ひた向きさ」がすでに欠如しているのです。私に言わせれば、ただの「死に体」です。 (某写真家にたいする私の批判です)(7.22)
  生活する体力にエネルギーをとられ、創作まで余力が残っていないようです。 でも、それはある意味、生きているということの裏返しなのかもしれません。あるいは それは自分を納得させるための詭弁なのか? ボ〜とするのが私の趣味の一つです。最近、ボ〜としています。考えようによっては これは幸せなことなのかもしれません。ただ、平和ボケしないようにしなくてはいけません。 そろそろ「眼我通信」を作らなくてはいけません。さて、平和ボケした状況で使命?は 果たされるのやら?息子の自慢話をしているようでは、たいしたものは生み出せないかも しれません。こうゆうときの逃げ道?は「祈り」です。神に祈ることで、自己修正を します。平和な時ほど、祈らなくてはいけません。「私を救けてください」と日々祈って います。(7.24) 
 最近、わが家にスズメ蜂が巣を作っています。先週は大きな巣を二個も駆除しました。 どちらも低いところだったので、香取線香で蜂を追い払ってから、ゆっくり巣をしまつ すればよかったので、楽勝でした。今日夕方見つけた巣は二階のベランダの裏の壁に 作っているものでした。高いのでどのようにして香取線香を近づけようかと工夫をして いたら、なんとスズメ蜂をさわってしまったのです。私も驚きましたが、彼?も驚いたの でしょう、始めて蜂に刺されました。瞬間の痛みの後は、ちょっと麻酔薬を打たれたような? 感覚とでも言えばいいのでしょうか。蜂に刺されたあとの処理を医学書で調べ、応急処置は しておきました。明日になると刺されたあたりが、張れ上がるとのことです。 仕事にさしさわりなければいいのですが、それが少し心配です。一度目は大丈夫ですが、 二度目からは気を付けなくてはいけません。出来た抗体が反応して、ショック死を起こす 可能性があるのです。明日もう一度挑戦して、危ないようでしたら、市役所に駆除してもらう ことにします。  今日は眼我通信の「ルカによる福音書」の続きを書き上げるつもりでした。 新約聖書の書き物で一番古い物が「マルコによる福音書」です。それは過去の学者が研究 され、最も古いということは証明されています。そのマルコにはなぜかイエスの誕生の いきさつと死後の復活の出来事が書かれていませんでした。ルカでエリサベツとマリアの 妊娠のいきさつを読み、何故書かれていないのか?考えさせられました。 この出来事は信じる気持ちで読まなくては理解できない出来事なのだということです。 復活もそうです。信仰心があって始めて理解できる箇所なのです。 よって、最初から信仰心を問うような処女妊娠と復活について語るよりも、 誰でも信じられるような物語を書くべきだという気持ちがマルコにあったので、自然と イエス自身が歩まれた(奇蹟の)生き様に重点を置いたと考えてもおかしくないと思える ようになりました。わかりやすく、ありのままに書かれたのが「マルコによる福音書」だと いうことです。ルカはマルコの書かれた物を読み、マルコの書かなかった箇所を書き加える ことで自分の使命を果たそうとしたのかもしれません。学者として歴史に沿った史実として、 後世に残そうとされたのだと思われます。  「ルカによる福音書」第一章39〜56節 マリアとエリサベツは親戚関係だということです。天使ガブリエルの言葉から親戚の エリサベツが妊娠されていることを知り、また自分自身に起こった事実を確認するために、 ザカリアの家を訪れたのだと推測できます。マリアの言葉を聞き、エリサベツも再確認した のだと思われます。「主の母上がわたしのところにきてくださるとは、・・・」(43節) 神を信じている者同士でないと、理解できないような会話の内容です。46節〜55節は 「マリアの賛美歌」と言われる神への賛美の言葉です。イエスの生涯を予言したような 内容の歌詞です。当時ユダヤ人の間で愛唱されていた賛美歌だったのかもしれません。 48節に「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。」神の前にあって自分を 「卑しい女」と言うマリアの謙虚さに人の在り方を見る思いです。感謝と恩恵を感じる 心には謙虚さが無くてはいけないのです。自分が卑しい存在という感覚があるかどうか? そんな自分をさえ、神は覚えてくださっていて、しかも祝福してくださったという事実が この賛美歌をマリアに歌わせたのです。感極まっての歌だったのだと思います。 エリサベツも同じ思いで聞いたことだと思われます。女性の最も美しい姿の一つにこの妊娠 があるのかもしれません。(7.27)
 やっと出来ました。眼我通信 No.4(八月号)今月は書き込みが少なく、原稿の 密度?が薄いかもしれませんが「継続は力なり」の格言のように続けることができたことに 個人的には満足しています。また書くことの楽しさを昨日から味わっています。 聖書読書会も今日で「マルコによる福音書」を完了しました。 一年と八か月、良く続いたものです。メンバーの一人が仕事の関係で抜けることになりました。 少ないメンバーですが、私一人になっても会は継続するつもりです。(7.28)  
 実に面白いことがありました。眼我通信で「直感と洗脳」という記事を書きました。 情報が無意識に入ってきて、知らない間に洗脳されているという現代社会の一面を 指摘したつもりです。柳田国男の「ひた向きさ」に使命感を感じるというような内容の ことも書きました。今日、時間があったので図書館に本を物色しに行ったのです。例の 長部日出男さんの「天皇はどこから来たか?」を探したら、またしてもないのです。 誰かが貸し切っているのではと疑いたくなるぐらい、棚に並んでいないのです。しかたなく 「日本史鑑定」高橋克彦と明石散人の対談集(徳間書店)を借りてきました。以前、読んだ ような?でも多分その時は興味無しに読んだのだと思います。 目次を読んで驚き山椒の木です。第五章「柳田民俗学が陥った罠」とありました。 柳田国男さんの種本というか、元になる資料を提供した人物がいて、その方は佐々木喜善と いう遠野に居られた文学者だということです。しかも、柳田さんはその恩のある佐々木さん を文壇から抹殺するような仕打ちをされたとのことなのです。男の嫉妬と言うか、おぞまし い権威主義的行為で、自分の業績にけちをつけるような者は平気で抹殺してしまう、卑劣な 柳田国男像が浮かび上がってきました。伝承文化の保存活動における柳田さんの業績は偉大 ですが、その行為の一部に彼の作為があり、純粋な学者というよりは業績を重んじる官僚的 作業があったようなのです。彼が最初に、世に問うた「遠野物語」にその痕跡が如実に 残っているのです。やっと賞賛する人に出会えたと思ったら・・・。でも、正直言って おかしいと感じるところもあったのです。死ぬ前に最後の仕事として、十年の歳月をかけた 「海上の道」が現代の研究からすると、多少的外れなのです。 日本人の先祖は稲作とともに南方から北上してきたという彼の説は、私が読んでも無理を 感じていたのです。先見の明がないのです。まあ時代が古いので、当時としてはしかたのない ことかと、好意的に解釈していたのです。しかし、今日の書き物を読んだ後では、先駆者的な 学者という印象ではなくて、権威主義的民俗学活動家というイメージに変わってきました。 藤原さんのメッキがはげたと思ったら、今度は柳田さんのメッキまでもはげてきました。 信じられるのは自分だけなのか?いや、自分をも疑ってみる必要があります。 先日、情報社会の「直感と洗脳」です。でも、信じる物がなくては生きては行けません。 疑っても残るものが唯一あります。それがこの胸の内にある「思い」です。 我が思いは誰にも支配されず、私だけのものでありたいと思っています。後、信仰です。 (7.29)
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