2004年9月〜10月の「思い」  

 ロシア南部・北オセチヤ共和国の小学校人質事件、ネパールでの民衆による モスク襲撃事件、イスラエルでの女性による自爆テロ、北京日本人小学校への脱北者29人 駆け込み事件、きな臭いにおいが立ちこめてきます。混沌とした中にあって真理は隠され ています。全ての出来事の裏に、さらなる現実があるはずなのです。表の情報に誘導される ことなく、真理を見抜く鋭い洞察力が問われます。  浅間山も噴火したようです。知り合いが聖書の「黙示録」を絵で表現した図鑑?を 貸してくださいました。忙しくて、まだゆっくり見ていません。おぞましい世の中になれば なるほど、純粋なものが尊ばれるような気がします。聖書読書会でこの「黙示録」を読もう かという考えがありますが、新しいメンバーと相談しながら進めたいと思います。 以前のメンバーはそれぞれの理由で抜けました。求めよ、さらば与えられん。 持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられます。 ある意味で、これは怖い話です。心して聖書を読まなくてはいけません。 真理は聖書の中にあり、その真理をいかにして汲み取ることができるか? それが一人、一人に問われるのです。興味がある人は私といっしょに、真理を汲み出して みませんか?聖書を私と一緒に読みましょう。(9.2)
 ロシア南部の中学校人質事件、人質の数も400人が1200人?だったり、 情報操作なのだと思われますが、情報が右往左往して良く分からない事件内容になって います。いえることは人質の生命よりも、テロに屈しない強権プーチンはロシアの利権を 優先させたということです。テロの標的になることを長年やってきロシアへの報復です。 チェチェン共和国の独立問題も要はエネルギー問題が絡んでいるのです。消費大国にとって これからはエネルギー問題絡みで絶えず争いに巻き込まれる可能性があります。  すべてに時があることを再確認させられる出来事?がありました。 二十代、社会人になって結婚するまでの期間、給料の多くを聖書関係の本に費やしたもので したが、若い時は何かと忙しくて読む暇が無く「老後の楽しみに取ってます」と冗談半分に よく言ったものでした。老後にはまだ早いのですが、昨晩、塚本虎二著作集を屋根裏から 持ち出して読んでみましたところ、実によく理解できたのです。多分、以前は読んでも 興味が付いて来なかったのだと思われます。やっと理解できる歳になったということかも しれません。投資した甲斐がありました。読みもしない全集を買い求めていたことが 役立つ日がきたのです。これらの全集を今集めるとなると、かなり大変なことだと 思われます。内村鑑三全集、矢内原忠雄全集、塚本虎二全集、関根正二全集(一部未完) あとそれぞれの著作集があり、詳しく調べないと数は分かりません。金額にするとかなりの 高額?になるとおもわれます。一冊4〜5000円の全集もあります。金額以上の価値が ある私の貴重な財産の一つです。今は生活費に全てが使われていて、本にお金をかけること すらできません。本当に良い買い物を若い時にしたものだと思います。これも渡辺先生の 影響です。感謝します。先生は五人の子供さんのために、全集を五セットづつ買っていたの です。おこさんが小学校に行かれていた時分にです。本を置く場所が無く、屋根裏に保管して いたことを思い出されます。私の友人がぜひ読みたいからと、その一冊を借りて、紛失した 事を思い出します。全集は一冊でも抜けると価値が無くなるのです。その一冊を探すことは 至難の業です。出版社はばらでは売ってくれません。古本屋で出てくるのを待つしかないの ですが、特殊な本ですから、至難の業です。その友人は高専を卒業すると、新興宗教の伝道師 となってアメリカに渡りました。十年ぐらいは文通していたのですが、いつのまにか 音信不通になってしまいました。(9.4)
自己の弱さを思い知らされます。やらなくてわいけない事があるのに、逃避的なことに 時間を費やして、やらなくてはいけない事から逃げているのです。私の弱さです。使命感の 欠如がもたらすところの弱さです。気分転換が苦手な私はこのジレンマに陥るとしばらく 書き込みが出来なくなるみたいです。なぜなら思考停止状態でいつものゲームに逃避行。 でも、今回は今日で終わったみたいです。久しぶりの話し相手からヒント?をいただきました。 その方はマイケル・ムーアの著書「バカで間抜けなアメリカ人」が面白かったと言われました。 その方は映画「華氏911」はまだ見ていないとのことです。忙しい方なので、映画館に行く ことはできないみたいです。先日、マイケル・ムーアさんがオスカー賞、アカデミー賞を 辞退することを宣言したとの放送がありました。賞を受賞すると半年間テレビ放送が出来ない 規約があるとのことです。大統領選がある12月直前にこの「華氏911」をテレビで放映する ことを企画しているとのことです。少しでもブッシュ再選に抵抗したいとのムーアさんの 心生きの表われです。明日、図書館に行って「バカで間抜けなアメリカ人」を探してみます。 題名のイメージと違って、緻密な資料と分析でまじめな書き物だとその方はムーアさんの著書 を誉めていました。映画もそうです。緻密な調査の裏付けがなされた真面目な映画でした。 ムーアさんの見かけと言っていることのギャップと同じです? 見かけはパットしないのに(失礼)、言っていることはとてもインテリジェンス(知的)な 内容なのです。(9.11) 
 昨晩「ビートたけしのこんなはずでは!!世界を震撼9・11同時多発テロ!! ブッシュは全てを知っていた?」なるテレビ放送があったのです。私は仕事で見れません でしたが、妻と息子が観たとのことです。ブッシュは全てを知っていたというよりも、 テロを仕掛けたのはブッシュ自身ではないかという疑念を提供していたみたいです。 見ていないので何とも言えません。情報操作の怖さを知らされます。別方向からみるとこんな 見方もできるのかという指摘を提供した意味はあると思いますが、それが全て正しいかと いうと?情報を判断するのは他者でなく各人、個人が一人一人判断すべきなのです。ただ、 その情報が本当に正しいかどうかは各人が判断しなくてはいけません。そこで、鋭い洞察力が 問われます。昨晩のテレビを観てすぐに、ブッシュ首謀説を唱えるのは、まさしくマインド コントロールそのものです。全て、一度は疑ってみることです。いろいろな情報を入手して 自分で判断すべきです。私はまずはマイケル・ムーアさんの「バカで間抜けなアメリカ人」を 読んでみます。「華氏911」はすでに観ましたので、これからは彼の著書を検討してみたい と思います。何事も自分で考え、思考することです。人の意見は参考程度にすべきなのです。 (9.12)
 12日に書いた「ビートたけしのこんなはずでは!!・・・」というテレビ番組を見たと いうお客さんがいたので、「華氏911」を見ましたか?と質問したら、 「映画を見なくても、あの番組で内容は分かるよ」とおっしゃりました。 まさしくマインドコントロールされた人の言葉です。自分で判断しなくて第三者の言葉を そのまま鵜呑みにして、判断させられているのです。検証することを辞めた時点で、 その人は思考停止しているのです。稲川淳二の得意な怖い話に出てきそうです。その方は 先に「華氏911」を見て、後からあの番組を見ていたら、また違った感想を持ったかも しれません。残念!  昨日からアラスカ、カナダ北部の川、ユーコンとマッケンローをカヌーで下った人の 写真を展示しています。すごくいい写真なのですが、写真にあまり興味がないとのことです。 自分の才能に気付かない人もこれまた、残念です。一方、才能が無いのにやたら意識過剰な 人もこれまた、残念。人のことを気にしているようでは、私も「残念」の仲間入り かもしれません。やらなくてはいけないことをちゃんとやれるかどうか?自分の使命感を 見失うことなく歩んでいきたいものです。迷ったときは原点に帰ることです。 私の原点は「聖書」です。(9.15)
 長崎少女殺人事件にたいする審判がおりました。 家裁の決定の骨子をみると「女児は認知面、情緒面に偏りがあり、怒りには回避か 相手への攻撃かという両極端な対処行動しか持たない。」とありました。幼時期において、 親が女児の問題性を見過ごしており、親の養育態度は女児の資質上の問題に影響を与えた。 と書かれていました。私のホームページの「思い」5月31日から6月2日にかけて この事件に対しての考察をしています。まだ読んでいらっしゃらない方は読んでみてください。 それと私が書いた「長崎少女殺人事件についての一考察」(2004年6月12日)なる書き物を読めば、 私の指摘がいかに的確だったかが理解されることと思われます。 私の洞察力の正しさを再確認させられます。 この程度のことで、自画自賛してもしかたありません。無言実行、信じる道を前に向かって歩む だけです。(9.16)
 昨晩マイケル・ムーアさんのドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」が テレビで放映されました。私は40分ほど見て寝ました。映画の放映時間は二時間半ほどでした。 私よりも長く見ていた息子と妻に二、三質問をしてから、以下の書き込みをしました。  題名の「ボウリング・フォー・コロンバイン」の意味するところは何なのか? コロンバインの高校で乱射事件を起こした高校生二人が乱射事件を起こす前に、地元コロンバイン でボイリングをしていたのです。ボウリングのピンは人の形に似せて作られています。 以前は射撃の標的にされていたという事実もあります。 乱射犯人の高校生二人はボウリングも、銃で人を無差別攻撃する乱射も同じ次元だったのかも しれません。ストレス発散という意味では同じ次元だったのかもしれません。 ムーアの名付けた題名を「コロンバインでボウリングをしよう!」と私は訳しました。 「あなたも乱射予備軍ですよ!」とアメリカ銃社会を皮肉って付けた題名だと思います。 彼の作品題名はいつもそうですが、聞く側にインパクトを与えます。 著書「アホで間抜けなアメリカ人」、映画「華氏9・11」(自由が溶けだす温度)など。  カナダもアメリカも同じ銃社会なのですが、カナダではアメリカのような銃による乱射事件は 起こっていません。それは何故か?国家の成立過程の違いよるのか? そうではなくて、社会の産業構造の違いが影響しているのではないかと思われます。 軍需産業が経済の基盤をなすアメリカとそうではないカナダの違いが、同じ銃社会でありながら コロンバインのような乱射事件が起こる、起こらないの違いを生み出しているのだと思います。 アルカイダを生み出したのもアメリカです。アメリカは軍需産業を潤わせるためには戦争を 続けなくてはいけないのです。世界の何処かで、戦争をしなくてはいけないのです。 国民にはテロの恐怖を与え続けながら、情報操作によって政府の意向に従わせるようとしている のです。ブシュがケリーに変わってもさほど違わないのかもしれません。 この軍需産業への依存度を減らさない限りは何も変わらないのかもしれません。 アメリカは自由を履き違えたイヴのように、繁栄というサタンに惑わされてしまったのかも しれません。イヴによって人類に死がもたらされたように、そのうちアメリカによって世界に 終わりがもたらされるのかもしれません。 (キリスト教でいう「イヴによって人類に死がもたらされた」この意味を知りたい方は 私まで一報ください。個人的にお知らせいたします。)    余談ですが、昨晩の映画でムーアさんがインタビューしていた場面が多く出てきました。 気になったことが一つ、ムーアさんと相手が同じ服を着ていた場面を二度覚えています。 最初のときは青色のティシャツで次ぎは紺色のティシャツでした。すぐに寝たので、その先は 知りません。あれは偶然だったのか?意図的に同じ服にしたのか? 案外ムーアさんが相手にプレゼントして、自分も同じ服装をして仲間意識を相手に与えていたの かもしれません。相手に率直に答えてもらうための手段の一つだったのかもしれません。 ムーアさんはあらゆる意味で切れ者です。名刑事コロンボを思い出しました。風貌はいま一つ 洗練されていないのですが、そのことで相手(犯人)に安心感を与え、いつのまにか犯人に ボロをださせるのです。ムーアさんにも同じところがあります。相手に安心感をあたえると いうか、本心を聞き出す手腕はたいしたものです。人間マイケル・ムーアに興味が湧いてきます。 彼の自伝があれば読んでみたいものです。(9.17)
 昨日のムーアさんの映画「ボウリング・フォー・コロンバン」の感想をまとめた書き込み を妻と息子に読んでもらいました。私の書き物をあまり読まない二人ですが、一昨日は たまたま同じテレビ番組を見たので、私の書き物を理解しやすいと思い、読むように強要? しました。私がどのような思考をしているか、少しは理解できたものと思われます。 読んでも損はしないのが、私の書き物だという自負が私にはあります。  読んで嫌な思いがするようでは、読み物として問題があるのだと思われます。 知り合いに一人そのような方がいます。認めてもらいたいという想いからの行為だと 思われますが、読むに耐えれない作品を持ってこられる人がいます。でも、・・・彼には 彼なりの事情があって、それを思うと、面と向かって「つまらない、読む気がしない」とは 言えないのです。困ったものです。正直に言えない辛さを「ぐっ」と我慢しなくては いけないのです。彼はそんなこちらの想いを、まったく意に解さない性格?なのです。 困ったものです。作品に対して注意すると、ああでもない、こうでもないと言い訳を始め ます。人の意見を聞かないくせに、作品は読んでほしいのです。要は「ほめられたい」と いう一心なのです。困ったものです。余り関わりたくないのですが、そうもいかない事情も あって・・・、困ったものです。ずばずば正直に言えば、私の前には現われなくなること でしょう。それも一つの手ですが、何か彼のためにならないかという思いがあると、 そこまで言えなくなります。ようは文才がないのに、彼はそれを自覚していないのです。 文才がなくても、好きで一心に無心に書いているのならば、それはそれでいいことだと 思います。でも、彼は自分には文才があるという変な自信を持っているのです。そんな 偏った心からは人に感動を与えられるような書き物は生まれません。仮にその偏った自信が 何かによって、微塵に打ち砕かれたとして、その後にそれでも書きたいという無心の魂が 湧き起こるようであれば、そこから生み出されたものには何かしらの輝きあるものが生み 出されるのではないかと思います。しかし、彼にはそんな忍耐がまったくありません。 微塵に打ち砕かれたら、多分彼は生きては行けないのだと思います。その前歴があるのです。 さあどうしたものか?彼には申し訳ありませんが、あまり関わらないのが私にとっての 一番の得策なのかもしれません。彼によって私が悩まされることは、ある意味で難題を 問題提起されているようなものかもしれません。考えようによっては、それはそれで 私にとっていいことなのかもしれません?何事もプラス思考に転じることができるのは、 私の特技の一つかもしれません。取り止めのない文になってしまいました。(9.18)
 当分、ムーアについて書かねばならないかもしれません。店の雑誌を整理していたら 雑誌の中の映画の宣伝が目に止まりました。「華氏911」の宣伝ポスターです。 主演ジョージ・W・ブッシュと大きく書かれていました。?ブッシュから自己承諾を得て いるのでしょうか?フイルムは過去に報道されたものを使用していると、聞いているの ですが、肖像権はどうなっているのでしょうか?本人ブッシュに了解を得なくても、あの ようなドキュメンタリーならば、他で使われたフイルムを編集して映画にすることは 違法ではないのでしょうか?多分、違法ではないのでしょう。 名誉棄損で訴えることは可能だと思いますが、ブッシュ陣営としてはそんなことを すればムーアの思うつぼだということぐらい百も承知です。だからブッシュ陣営は無視を 決め付けているのだと思います。(9.19)
 テレビで久しぶりに鬼束ちひろさんを見ました。野外ライブでの新生?鬼束の 御披露目です。「育つ雑草」とかいう新曲だったと思いますが?雑草はほたっていても 育つものです。雑草のような生命力を得たいという願望から作られた曲なのかも しれませんが、それは雑草でない人の発想です。あんなケバケバしい鬼束ちひろさんは 見たくないというのが、私の本心です。挫折に我を忘れ、もがき苦しんでいるのだとしたら 原点に帰ることをお勧めいたします。もしかして、その原点をも分からないのかも しれません。ならば、音楽から離れて、一個人として人間として、自己を見つめ直すことが できればいいのですが。「音楽を始めたのはどうしてか?」初心に戻って、いまの自分を 問い直すべきかもしれません。 でも、新生?鬼束ちひろが良いという人もいるかもしれません。 セクシー?ロックでいいんじゃない!なんていう人もいると思います。 私の好みは神秘的もの静か、内に秘めた熱情を静かに語る、そんな曲をもう一度 歌ってもらいたいものです。(9.21)
 眼我通信を作らなくてはいけない時期になりましたが、なかなか筆が進みません。 一回パスしようかとも考えています。月刊誌とした訳ではないので、別にかまわないと 言えばかまわないのです。あと少し日があるので、努力だけは続けていきたいと思って います。  昨日、久しぶりに図書館に行きました。「アホでマヌケなアメリカ人」を借りたくて マイケル・ムーアさんの著書を探しました。アホの本はなかったのですが、 「おい、ブッシュ、世界を返せ!」がありました。それと井沢さんの「逆説の日本史」 の本の参考文献を調べましたら、何もかかれていませんでした。以前「井沢さんの 主張は他人の意見を取り入れていて、他人のフンドシで相撲をとっている」と 書きましたが、それが証明された思いです。参考文献なる項目がまったくないのです。 普通、人の意見なりを参考にしたときは、ちゃんとその人の名を出すか、本の題名を 記載すべきです。彼にはそんな常識もないのです。 「おい、ブッシュ、世界を返せ!」は映画「華氏911」の原作です。 映画で観ているので、映画の再確認といった感じで読んでいます。彼は特別なコネクション があって、特殊な情報からあのような映画、本を作られたわけではありません。 みんなが知っている情報を元に、ある推論を立て、それを実証していく手法を取って いるのだと思います。私がそうなのです。多分、ムーアも同じだと思います。だから 私と同じような結論になるのだと思います。(9.26) 
 マイケル・ムーアの名を知り始めたころ、某新聞で某映画監督がムーアの映画 「ボウリング フォー コロンバイン」を批評している文を読んで 「そうか、カンヌ映画祭で、ムーアが受賞したのは話題性だけなのか?」と 思ったものでした。その映画監督の名も忘れましたが、彼曰く「ムーアの ドキュメンタリーよりも素晴しいドキュメンタリーは他にもあり、○○さんの ○○というドキュメンタリー映画は感動させられます」こんなコメントだったと 記憶しています。○○監督と作品名は記憶に留めていません。興味の無いことは、 極力覚えようとしない癖が私にはあるみたいです。その批評文は間違っていたと、 いまになって思われます。価値観の違いからくる評価の違いは、世の中よくあること です。でも、ムーアのドキュメンタリー映画「ボウリング フォー コロンバイン」 を「たいしたことない」と評価した某監督は「何を観ていたのか?」と反論したく なります。ムーアが指摘していることは、これから起こるであろう世界的規模の不幸 を予言しているような、すごいドキュメンタリーだということが、まるで解って いないのです。それを「華氏911」が証明しています。人の批評ほど当てに ならないものはありません(私の批評も同じです)。何事も自分で見て、読んで、 確かめることをお勧めいたします。(9.28)
10月の「思い」

 聖書、創世記の箇所で人を造られたところを以下に記します。 第一章26節 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を 造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這う ものとを治めさせよう」。「治める」を国語辞典で調べてみました。 「1.しずめる。平和にする。2.すべる。統治する。3.いとなむ。4.学ぶ。5.なおす。」 平和にする。おいおい、人は地上に平和をもたらしていますか?その逆ではないですか? ブッシュさん、あなたの行為は「治める」という神の意思に反していませんか! (10.12)
 「華氏911」のテレビ放映が大統領選前日に全米で放送されることに なっていたのに、急遽テレビ局が中止を決めたそうです。政治的圧力に屈した形になって しまったのです。ムーアは某放送局を契約違反で裁判に訴えるそうです。 大統領選への影響を期待していた人々にとっては、大変残念なことです。私もその一人です。 何処か?他の放送局でもいいので、放映されますことを祈りたい気持ちです。 勇気ある放送局?が名乗り出てもらいたいものです。「うちでやりましょう!」なんてね? でも、地方の放送局では効果が余り期待できません。私としては選挙を左右するような結果を 期待したいのですが、現実は厳しいかもしれません。  日曜朝のテレビ番組「報道2001」はよく見る番組です。今日も見ました。 桜井よしこさんが出ていらっしゃいました。彼女の話にはいつも感心させられます。 頭が良く、明快な答弁と静観した態度、話のわかりやすさは視点が明確で、自信の あらわれなのかもしれません。元ニュースキャスタということもあります。卓越した 洞察力には毎度感心させられます。彼女は実にいい仕事をしています。 中国の脅威についても語っていました。(10.17)
 日本海海域での中国政府との境界線問題が緊急課題になってきました。 日本海での中国ガス田の開発に伴う境界線問題は、これからの二国間の国家としてのスタンスの 有り様を表わすところの象徴的な問題となると思われます。中国の本心が如実に現わされて くるものと思われます。境界線に対する解釈がまったく違う日本と中国。常識的に考えれば、 日本海をお互いの陸地から均等に二分したところを境界とするのが普通?です。 中国は沖縄海溝を境界と考えているのです。自国に有利になるようにしか解釈しようとしない 中国政府は傲慢だといえるかもしれません。最終的には国際裁判所のような第三者機関によって 判断されるべき問題だと思います。後、ガス田での採掘も問題です。地下のガス田は境界を 越え日本側の資源をも採掘してしまう可能性が大です。ヨーロッパの採掘会社がこのガス田 での中国との共同開発計画を破棄したとの新聞記事を先月の始めに読んだばかりです。 破棄した理由は日本政府への配慮からだと記されていました。国際的常識から考えても おかしいのは中国政府の考え方だというが証明?された事例です。日中関係はこれからいろいろな 意味で最大問題となる危険性を含んでいます。何故かといえば、中国が国益を国家の中心に置き、 繁栄という魅力に取りつかれているからです。今のアメリカと同じです。 繁栄のためなら嘘も方便なのです。イラクの大量破壊兵器の存在がいい例です。 アメリカと中国の騙しあいが、これからの国際紛争問題に絡んでくると思われます。 騙されないように、一人一人が諸問題を監視する必要があります。(10.19)   
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