2005年1月の「思い」  

 あけまして、おめでとうございます。2005年が始まりました。 筆無精な所為で、年賀状の返事をまだ書いていない人達には申し訳ありません。 もうしばらくお待ちください。(この書き込みを読まれている方はほぼ、 いらっしゃらないと思われますが、念のために書いておきます) 忘れていた人からいただく年賀状はうれしいものです。お返しに私の書き物を 送ろうかと思っています。あまり自己主張をしたくないのですが、喜んで下さり そうな人にだけ、私の書き物を送りたいと思います。 そのため少し忙しくなります。  中国が今月の6日に13億人の大台に達するとの発表がありました。 2010年には14億人になるとの予想です。一人っ子政策によって13億人達成が 4年遅らせることができたとも伝えてきています。恐ろしい数字です。 この人口増加はインドも同じです。特に中国ではエネルギー問題が深刻になって きます。食料受給も大変ですが、それ以上にエネルギーです。工業化の進む中での 人口増加はエネルギー不足に拍車をかけます。さあ中国政府はどのような打開策を 打ってくるのやら?「乞う」発想よりも、いかにして「奪う」かに重点を置くよう ではアメリカと同じです。私が危惧するのは、アメリカと同じ発想で中国も将来の 世界戦略を模索していくのではないかということです。何度も書いていますが、 中国の中華思想は世界の中心が「中国」で、その他はすべて蛮国という考えなのです。 この思想はめんめんと、現在も受け継がれています。(1.5)
 北がインドネシアへ義援金を1500万円ほど出したそうです。自国民の 救済を差し置いて、何故か?インドネシアは北にとては大事なお客様なのです。 何のお客かというと、国際条約を無視してインドネシアのテロリストへ武器を輸出 しているのです。そうゆう関係だということを、考慮してこの支援の意味を考えなくては いけません。人道的支援なのですが、ある意味テロリストへの救済をも含んだ支援なの ではないかと、私のようなへそ曲がりは疑ってしまいます。 有名人も個人的に義援金を申し出ているようです。F1レーサのシューマッハはなんと 10億円、大リーガーの松井秀喜さんが5000万円、一方ブッシュ大統領は104万円 だそうです。金額の多さではないかもしれませんが、ブッシュさんが104万円なら、 小泉さんも104万円にするのでしょうか?   「眼我通信」用の聖書研究の下書きを以下に記します。  「ルカによる福音書」一章26節〜38節と二章1節〜20節まで クリスマス前日ということもあったので、マリアの受胎告知とイエスの誕生記事を 学ぶことにしました。 「受胎告知」26節から38節まで 26節に「六か月目」とあります。エリサベツの妊娠から六か月目ということです。 エリサベツとマリアは一対の関係なのです。二人の妊娠がキリスト教にとって、とても 大切なのです。「ガリラヤの町の一処女」とはっきり明記していることは、「処女」に 深い意味を持たせたいからだと思われます。ここに「処女降誕」という奇蹟が起こるのです。 婚約者のヨセフと交わる前に聖霊によって身ごもるのです。常識を越えたところに奇蹟は 起こると言えば、信じるか信じないかのどちらかになってしまいます。分からないという 答も残されてはいますが、理解して分かることと、信じることで分かることもあります。 この手の奇蹟は信じることでしか、分からないことの一つだと思います。詭弁のように 聞こえるかもしれませんが、イエスの存在を信じられれば処女降誕は別にたいした問題 ではなくなるのです。「マルコによる福音書」のようにイエスの誕生を省いた方が、いいの かもしれません。水戸黄門の印籠(いんろう)のような目先の印(しるし)よりも、 イエスの生き様の方が、私にとっては価値があります。御使(みつかい)ガブリエルによって 告げられたマリアは驚き「わたしにはまだ夫がありませんのに」と反論しますが、聖霊 によって身ごもることを知らされ、さらにエリサベツの身に起きた奇蹟も知らされます。 「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」 「はしため」とは奴隷ということです。従順なマリアの言葉に神も満足されたことでしょう。 ここで、二章へ飛びます。イエスの誕生の記事はマタイとこのルカにしかありません。 マタイでは東方の三博士が星に導かれて、イエスの誕生を祝う話です。ルカでは 羊飼い達が、天使の言葉に導かれて、飼葉おけの中のイエスを祝う話です。マタイでは 博士で、ルカでは羊飼い。マタイだから博士なのか?ルカだから羊飼いなのか? それともお互いが重複しないように、配慮して違う話を記載しただけなのか? マタイがユダヤ人に向かって書かれた福音書に対して、ルカは異邦人に向けて書かれた と言われていることから、話の対象者(ユダヤ人、異邦人)の違いからくる、 違い(博士、羊飼い)なのかもしれません。そうなると創作ということも考えられなく はありません。疑えばすべて分からなくなってしまいます。記事の裏に書かれている 真理を読み取ることが大切なのかもしれません。これまた詭弁に聞こえてきますが、 どこまで真理に近づくことができるか?読み解くことにします。 二章1節に「全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た」とあります。 この記録はローマ帝国に紀元四年になされたと資料が残っているそうです。ただ、そこに イエスやマリア、ヨセフという具体名は残っていないようです。 イエスの誕生が紀元四年説はここからも伺われます。さらに「クレニオがシリアの総督 であった時に行なわれた最初の人口調査であった」イエスの誕生の年を明解にするため に、二重の資料に記載されていることを暗示しています。ただ、誕生した日が分かって いません。紀元四年の何月何日なのかが?です。12月25日でないことは確かです。 なぜ12月25日ではないかは、いままでに言い尽くしてきました。聖書に書かれている 羊飼いの記事を読めば分かるのです。「夜、野宿しながら・・・」と記されています。 ユダヤの12月は寒くて、羊たちは村の宿舎で「ぬくぬく」とした中で、干し草を食べて いるのです。野宿などはしていないのです。決定!説によるとイエスの誕生は、三月か 四月あたりではないかと言われています。羊飼いに天使が表われたことが特出です。 無学な教養のない羊飼い、でも純真で神を信じている人達だったのです。奇蹟はこの ような人達に告げられ、目に見える形として起こったのです。天使のお告げが正しかった ことを目にして、羊飼い達は神を賛美します。 人が神を選ぶのではなく、神が人を選ぶのです。奇蹟はその象徴です。奇蹟は与えられる もので、恩恵なのです。「おまけ」と私は解釈しています。 信仰にとって奇蹟はあればあったで、すばらしいことですが、それは「おまけ」であって、 こちらから望むべき物ではないと考えています。 イエスの誕生は「おまけ」ではありませんので、誤解のないように。   これで「眼我通信」6号が出来そうです。あと時評を多少書いてみたいと思っています。  三日は息子の唯一の休みの日だったので、家族三人で映画を観にいきました。観た映画は 「ターミナル」でした。息子の希望で決まりました。主演はトム・ハンクスで、実話を映画化 したとの息子の説明です。実話に多少の脚色が入っていると思われますが、実際あっても おかしくない時代背景です。内乱による国籍剥奪、無国籍の男性がターミナルで日々を過ごす 中での人間模様をおかしく、面白く、ちょっとロマンチックで、涙を誘う話やら、盛り沢山な 演出で単調な生活にめりはりを付けていました。(1.6) 
 去年は災害がたくさん起こり、年明けも去年の続きで、スマトラ沖の津波による被害の 大きさに驚かされる年始めとなりました。災い転じて福となれればいいのですが、 亡くなられた方々には「お気の毒」としか言いようがありません。世界中がこの災害で 一致団結できればいいのですが「善意は集まれど、争いは絶えず」が現実のようです。 イラクは混迷の一途で、選挙など実施出来る状態ではないと思われます。テロリストの 標的にされている限り、イラクに平和は訪れないのではないかと思われます。 アメリカがイラクから手を引けばいいのですが、・・・。 国連主導の平和が理想的なのではないかと思われます。  知り合いのバリ雑貨店が閉店したので、うちの店で処分市を去年から開催しています。 知人の女性が「この織は手抜きだよ、上から色を塗って誤魔化しているから」と言われ ました。言われてみると確かにそうなのです。その方は裏の生地を丹念に調べながら 「日本人はだまされて買ってくるんだよ。現地の人はしたたかだよ」と言われました。 言われるまで、色を塗っていることに気付かなかった私は、素人そのものでした。 何人かのお客は気付いていたのかもしれません。 「織だから高いです」と言っていた私は無知でした。雑貨店の持ち主がバリから帰国 されたら、一言いわなくてはいけません。彼も知らなかったのか?どうか。 彼から聞かされた言葉は「これは織だから他の布よりも、高く売るように」でした。 織は織でも、手抜きでした。知ると知らないでは、天と地ほどの違いがあります。(1.7)
 日曜日の朝、「報道2001」をテレビで見ていました。小沢一郎さんと桜井よしこ さんが、論客として招かれていました。二人とも同じ次元で語り合っていました。同じ 次元とは?二人は、考えてから語っているのです。誰でも考えてから語っていると思って いらっしゃるかもしれませんが、そのとき二人の語りを聞いていて思ったのです。 この二人は普通の人とは違うんだということが分かりました。 普通の人は考えと、語りが、ほぼ同時なのです。ところがこの二人は多少ですが、考えの 方がコンマ何秒かわかりませんが、語りより早いのです。考をまとめてから、それから 話しているのです。このコンマ何秒かの違いが、普通の凡人との大きなる違いなのです。 考えをまとめてから話すのと、考えと話しが同時では、全然話しの深さが違ってくるの です。考えることが日頃から訓練されているからだと思われます。私事になりますが、 私はよく、会話をしているときなど、自分の会話の最後の言葉、文?なりを省いてしまう 癖?があります。言い訳に聞こえるかもしれませんが、私の頭の中では、声として口から 出すより先に、頭の中で会話を完結されているのです。自分の頭の中ではすでに完結して いるので、あえて口に出して、相手に説明することを省いてしまうのだと思いました。 ようは私もあの二人のように、語るより考えが先行していることをいいたい訳です。 こんな説明で分かってもらえますか?(ただの自己満足の世界かもしれません)(1.11)
 今朝の新聞から、「カースト制の壁、津波でも壊せず」 インドは今回の津波の被害に対して、海外からの援助を全面拒否しています。以前から 援助は極力拒否してきた経緯があります。何故、拒否するのか?自国は大国だという 変なプライド?が拒否の理由だと言われています。カーストについての注がありました。 「カースト」 インドの社会的身分制度。ブラーミン(聖職者)、クシャトリア(王侯武士)、バイシャ (商人)、シュードラ(隷屬民)の4つに大別され、この枠組みから外れた最下層の 被差別カーストがある。職能別など2000以上もの集団に細分化される。   今回の記事はこの被差別カーストの人達への差別からくる、無援助を指摘しています。 インド南東部の被差別地区住民には救助の手が差し伸べられていないのです。 インド人による差別は宗教でも救えない、矛盾を含んだものです。キリスト教、仏教、 イスラム教には無い、この差別はヒンズゥ教が持つ独特の矛盾だと思っています。 なぜこのような矛盾を認めているのか?古くはバラモン教の時代における政教一致の 政策の悪癖がいまだに残っているのではないかと私は推測します。 日本も明治維新の時代まで士農工商という身分制度がありました。そのときにあった 被差別階級の人達を「よつ?、えた?」とかいう言葉で表現していたと記憶しています。 インドはいまだ日本でいう明治維新が起こっていないのかもしれません。この問題は 根が深い問題なので、簡単に書くわけにはいきません。人の欲望を満たすために、差別 することで、満たされない現状を民衆に受け入れさせる。被差別民を差別することで、 民衆の不満を緩和させる?政治統制の手段の一つとして、被差別民を権力者が利用して いたのではないかと推測するのです。私の推測はある一面からの指摘です。 もっといろいろなものが関わってきていると思われます。機会があったら、この問題に ついても書いてみたいと思っています。(1.12)
 昨晩はスティーブン・スピルバーグ監督の「A・I」を途中から観ました。 SFとして見れば、矛盾も気になりませんでした。母親への想い、愛情の一途さを ロボットという媒体を通して表現していました。愛することの美しさをロボットを通して、 現代人へ「忘れてはいませんか?」と、問いかけているようでした。  今朝の新聞にインドネシアのイスラム最高指導者が豚を食べても良い!支援物資を食べ 餓死しないようにとの発言をされたとの記事が載っていました。戒律を今回だけ無視する ということは?いかがなものかと、私は疑問に思っています。人命を優先することに 対する配慮は充分理解できますが?信仰とは何か?イスラム教について知識がないので、 多くは語れませんが、キリスト教の旧約を共用していることから推測すれば、やはり この発言はおかしいのではないかと思っています。でも、机上の論理より、現場の悲惨さ が救いを求めているのであれば・・・、私が反論することではないのかもしれません。 以前、あるキリスト教の信者の親が、子の輸血を戒律に反するという理由から拒否した ことがあります。その子は輸血をしなかったために、ついに死に至ったのです。 「戒律」とは何かを考えなくてはいけません。「戒律」を守る、守らないは本人が決める べき事柄ではないかと思っています。今回は特例なのだと思われますが、・・・。  日本の鎖国時代にあった「踏絵」を思い出してしまいます。キリシタン弾圧の一端とし てイエス・キリストの絵を踏ませて、信仰を確認させるのです。キリスト教の戒律の中に イエスの絵を踏んではいけないという項目はありませんから、私なら平気で踏んだことと 思います。でも、絵を踏むことが、キリスト教信者ではないことを証明する手段であると いうのであれば、ちょっと違ってきます。でも、幕府の意向が邪悪な行為なのであれば、 踏まないことがクリスチャンなどという建て前論など、どうでもいいことのように 思われます。話が横にそれてきました。今回の津波の被害者にたいする最高指導者の発言 にたいする私の意見は?個人の自由意思にまかせるべきではないかということです。 食べることで命を得られるのであれば、それも良し。戒律を守ることで、食べるものが 無く、死を選ぶのであれば、それはそれで良しなのかもしれません。 当事者が決めるべき信仰問題を指導者が配慮して先に決めてしまうことに、多少の違和感 を覚えるのです。第三者が口先で言うのは簡単ですが、現実としては難しい問題です。 (1.13)
 またまた新聞の記事から「?」と思ったことを書きます。 「戦争番組に『政治介入』」NHKプロデューサ内部告発と見出しはなっていました。 内容を読むと?このプロデューサは核心部分を推測で語っているのです。NHKの上司の 言葉から政治が介入したと直感した、と記しています。直感で告発しても、証拠不足で 帰り討ちに合うだけです。しかも会見では涙を拭いながら語ったと記事にありました。 男が腹を据えての告発に涙では白けます。感情に流され、自己の安っぽいプライドのために 告発したのではと、軽薄さを感じ得ません。42歳の家族持ちが、「家族を路頭に迷わす わけにはいかないと4年間悩んだが・・・」。悩む対象を間違えているのでは、マイケル・ ムーアさんを見習いなさい、そんなことで告発しても、何の役にもたちません。それこそ 家族を路頭に迷わすだけです。干されることを覚悟での告発だと思いますが、NHKを 辞めても、この男性はたいした仕事は出来ないのではないかと推測してしまいます。帰り討ち、 残念!切腹!(1.14)
 読書会のメンバーの一人が再入院したとの知らせを受けました。薬を減らしていたこと からくる反動のような症状だということです。精神の病は難しい問題を含んでいます。 自己を客観的にみれない、客観的に判断できない。クスリ漬けを恐れるのはいいことですが、 薬を止めればいいかというとそうでもないのです。薬を飲まなくてはいけない現状を認識して、 薬を減らすにはどうしたらいいか?減らすリスクを何処かで、補わなくてはいけないのです。 その判断が出来ないで、ただ減らすだけでは病気を再発するだけです。病気が改善した人の 話をしましたが、彼は自覚した自己を持ち、菜食主義にこだわりました。 病気治療は薬にたよるのではなくて、食べ物から、体内から改善しなくてはいけないという、 ある種の自己哲学を持っていたようです。そのことで精神の病を克服したのです。 菜食主義をしたから改善されたというよりは、そのことで克服感を得たのではないかと 推測します。そのことが精神にも良い影響を与え、病から脱出できたのではないかと 私は推測しているのです。だから形式的に誰でも菜食主義をすれば、精神の病が 良くなっるかといえば、否・NOです。自己哲学を持った人と、そうでない形だけの人 では、こだわりに対する達成感が違うのだと思います。達成感の違いが病の克服にも 違って表われるだと思います。 再入院した人はこの哲学のような、自己核心がまったくない状態で、ただ形だけまねて 薬をへらしても意味がありません。試行することはいいことですが、学習しなくては先へ 進めません。退院したら彼にその辺を話してみます。薬を減らそうという意思は尊い行為 だと思います。彼がもう一歩先へ進めますように、祈りたい気分です。  久しぶりにギターの上手な知人が店に来てくれました。息子が学校から帰ってきたので、 さっそく息子のエレキで演奏してもらいました。息子がエレキの生演奏を見るのは始めてだと 思います。受験が控えているので、今はギターにのめり込めないことを自覚しています。 彼の演奏姿を見ていたら、息子も高校に入ったら、エレキにはまるなと思いました。 好きなことはいくらあってもいいのです。絵も好きだし、英語も好きだし、ギターも 好きになればいいと思います。好奇心は旺盛な方がいいのです。歳をとっても好奇心を忘れ ないようにしたいものです。  今日はいいことが続きます。息子が学校の入り口で、聖書をタダでもらってきたのです。 日本語と英語、同時訳の聖書です。買えば二、三千円はする本です。 宗教団体?が何も言わずに本を配っていたそうなのです。いやいや渡された友達もいた みたいです。私にとっては大変ラッキーなのです。 読書会のメンバーが増えるので、聖書が足りなくなると思っていた矢先です。 息子にそう言うと、友達でいらないと言っていた人がいたので、さらに二、三冊もらって くれることになりました。「やった!」    聖書読書会はこれまで水曜日の夜8:30から10時まででしたが、参加者の都合で 今月から、第三?日曜日の午後3:00から4:30までと変更になりましたので、 興味がある人で、日曜日の午後が空いている方は参加してみませんか? 今月は23日の日曜日です。今度の日曜日ですので宜しくお願いいたします。 参加されたい方は事前にガンガーまで、ご連絡ください。(1.20)
 何かと忙しく店の中を動き回っています。先日の読書会のメンバーの一人が再入院した件で、 書き足さなくてはいけないことに気付きました。知人と話していて、気付いたことです。 精神の病は精神の伝達物質の不足から起こることを以前書いたと思います。そのときの内容は かなり忘れましたが、その伝達物質の不足を補うものが、西洋医学の薬だとすれば、東洋医学は 血行の流れを重視しているのかもしれません。これはまったくの素人の考えです。伝達物質を 薬で補う西洋医学、伝達物質の補足をしなくて、血行の流れを良くすることで、西洋医学でいう 薬の役割を果たそうとしている東洋医学。両方使いこなすことがよりよい方法なのかもしれません。 西洋医学の薬は副作用があり、それらが社会生活に支障をきたしやすいのに対して、東洋医学は 対処療法的ですが、副作用もなく、一時的には速攻性もあり、効果もみられるみたいです。 ちょっと感じたことを書いてみました。何か間違っていたり、疑問でもあればお知らせください。 (1.22)
 店が忙しく、ゆっくり書き込みができません。嬉しいことです。暇で、落ち込む ことを思えば、良しとしなくてはいけません。書きたいことはいろいろあります。 先日、歯医者の待合室で読んでいた新聞に「朝を知らせる?DNA遺伝子が、うつ病や 不眠症に影響を与えることがマウスの実験で証明された。」という内容だったと 記憶しています。朝を知らせる?この辺の表現が違っていたような気もします。 朝を知らせるメカニズムが遺伝子レベルで解明されてきたことによる発見なのだと 思います。不眠やうつ病に影響を与える遺伝子の研究が進いでくれば、他の精神病の治療 にも新しい道が開けるかもしれません。  昨日テレビで筑紫哲也VS爆笑問題「拝啓ブッシュ大統領閣下・・・」 なる番組がありました。出演者はそこそこのメンバーだったのですが、討論の盛り上がりに 欠け、表面的な追求で終わっていました。視聴率を考えてか?お茶を濁す爆笑問題では 内容の深いものには成りえないはずです。もっと内容の有る番組にすることもできた はずなのですが、残念です。管直人さんも出られていたのに、二、三言う程度でした。 出演者の中に先日私が批判をした外交評論家がいたみたいです。確認するまではいたら なかったのですが、名字が一緒で、言っていたことも同じでした。一人「こいつか!」と 思って、軽蔑のまなざしで見ていました。(1.27)
 昨日の書き込みで某外交評論家のことを多少書きましたが、書き足りなかったので 今日また彼について書きます。あのテレビで彼は「日本がどちらについたら有利か? 中国、アメリカどちらか?となると、そりゃあアメリカですよ!」無知は困ったものです。 「どちらについたら有利」という発想が根本的に間違っていることに気付いてなく、持論を 検証する学習能力も無い人は評論家の肩書きを外すべきです。どちらにも付く必要は無いのです。 外交の妙は、いかに国益を守るかにあります。本当の国益の意味も解らない無知な評論家は それこそ国益を害するものです。憲法九条はアメリカの占領下でGHQ?によって無理やり 日本国民に押し付けられた憲法だと言う人達がいます。そうではないと反論する人達もいます。 私は無理やり押し付けられたとは思っていませんが、もし仮にそうだとしたら、昨年からの アメリカ政府筋の九条改憲への干渉発言はおかしなことになります。 それこそアメリカのご都合主義の表われとしか言いようがないのです。無理やり押し付けて おきながら、こんどは日本軍が必要になったので、軍隊を持ちなさい。そして、アメリカの ために率先して戦場に行ってください。われわれはもうイラクの二の舞は困るので、後方から 見てます。さあ日本軍よ、アメリカのために死んでください。こんなとこでしょうか。  常連さんの中で、私の童話を読みたいという人達がちらほら、いらっしゃいます。 最近は評論ぽいものしか書いていません。ご要望があるのでそろそろ、物語でも と思っているところです。まずは「ゴッキの宇宙」からということになります。(1.28)  
「思い」の表紙へ