2005年3月の「思い」

 「憲法九条の成立と解釈の推移についての一考察」 2005.3.1 眼我 真  昨日、常連の先生(国際法)からいただいた文献についての感想を以下に記します。 外交フォーラム「日本の安全保障」1996年NO.94の中の「日本の安全保障観はいかに推移したか」 神戸大学教授 五百旗頭真(いおきべ まこと)さんの記事です。  GHQ側と日本政府側とのやり取りを当時の資料と、関係者へのインタビューから、 憲法九条がどのような経緯でいまの様な条文になっていったかを克明?に追求 した書き物です。克明に?を付けたのは、後世の人が過去の出来事を調べるには、 ある推測を立て、その推測をもとに、そのことを証明するという手法をとるしか、 当時の出来事を解明することはできないと思われるからです。当事者全員が健在で、 当時のことを正直に答えてくれたのならば、真実というものが浮かび上がってくる かもしれませんが、生存者は少なく、インタビューも限られた人となれば、資料から の推測となり、書き手の洞察力の域をでないのではないかと思います。 五百旗頭真さんはGHQのケーディス次長がマッカーサー・ノート (国際紛争解決のための戦争、のみならず自国の安全保持のための戦争を放棄する)から 「自国の安全保持のための戦争」を削除したのです。さらに「要綱」の発表後、国民の 多くが「自衛戦争を含めての戦争放棄」と解釈していることに驚き、芦田均小委員長が修正の 申し入れをしてきた時にケーディスは心から歓迎したそうです。芦田修正は・・・と いうぐわいに話はすすみ、第二項冒頭には「前項の目的を達成するため」を挿入して、 戦力や交戦権を持たないのが侵略戦争に関する限りであるとも読めるように修正していた。 ようは、いろいろと画策をしたけれども、結論として現在の憲法九条におちついたのは、 世論の圧倒的な支持を受けたからだということで結論づけています。ある意味、玉虫色に することで、解釈に幅をもたせたとも受け取れます。  敗戦後という複雑な時代背景も関わってきます。59年前の出来事です。 内容は、そんなことだったのかという事実確認ができるものですが、五百旗頭真さんの 解釈による偏り?もあるのではないかと推測させられる記述もありました。 戦争放棄と自衛権についてのGHQとの攻防、解釈の問題、当時の内閣と後の政府の 解釈の推移など、おおざっぱに分かりやすく書かれています。 この書き物の最初に書かれている、引用文が実に象徴的です。 注に1946年二月二十一日の幣原首相・マッカーサー会談に関する閣僚への報告を芦田均厚相が 記憶したもの。憲法調査会「憲法制定の経緯に関する小委員会報告書366頁とあります。  以下少し長い引用をします。 マッカーサー最高司令官「・・・。この際、日本政府は国内の意向よりも外国のおもわく を考えるべきである。もし軍に関する条項を保存しておけば諸外国はなんというだろうか。 またも日本は軍備の復旧を企てる、と考えるにきまっておる。日本のためにはかるに、 むしろ第二章のごとく国策遂行のためにする戦争を放棄すると声明して、日本がモラル・ リーダーシップをとるべきたと思う。 幣原首相(口をはさんで)「リーダーシップといわれるが、おそらくだれもついて行く者 (フォロアー)はないだろう」 マッカーサー「フォロアーズがなくても日本は失うところはない。これを支持しないのは、 しない者が悪いのである。(アメリカ案を容認しなければ)日本の安泰を期すること不可能 と思う」 マッカーサーの最後の言葉が象徴的です。 「フォロアーズがなくても日本は失うところはない。 これを支持しないのは、しない者が悪いのである。」    1946年三月六日民政局主導でまとめられた合意案「憲法改正草案要綱」が政府から 発表されました。三月九日の毎日新聞の記事から 「国際法の権威、横田喜三郎教授の論評は第九条が1928年のパリ不戦条約第一条に 等しいと指摘するもので、双方とも侵略戦争のみの放棄であるとの解釈にあった。」 「不戦条約でも国際法上自衛のための戦争は禁止されていないし、自衛権発動の場合の 戦争を放棄するものではない。」この説明は九条の第一項ついては疑念の余地はない。 第二項は無条件に戦力と交戦権を否定している。しかし、これは第一項を受けたものと 解すべきで、自衛権の発動、国際協力の場合には兵力の使用は可能なのである」 この解釈は新憲法案が発表された当時、まったく例外的であった。 自衛権をも放棄というように、解釈が推移していくのは、当時の日本政府とアメリカ政府の 諸事情によるところが、実に大きいことを改めて実感させられました。 吉田茂首相もしかりです。解釈に変更がきたすことを予知しての草案だったと思われて なりません。それはそれでよかったのだと私は思っています。過去を知り、現在の情勢を 判断して、日本国の将来をどのような方向へもっていこうとしているのかが、 今問われているのだと思います。 私の持論は、この第九条をうまく利用すべきだということです。 押しつけられたものだとしても、第九条は実に利用価値のある憲法だと気付くべきなのです。 アメリカの意向のもと、軍備化を強いられそうな今、政府としては対中国、北朝鮮に対する 抑止力としてのアメリカを全面に出しながら、軍国化には憲法改正のための国民投票によって、 賛成を得なくてはいけません。この国民投票で世論がNOをだせば、おもしろいのです。 政府としてはアメリカに従う態度をとりつつ、国民はそれに反対を唱えればいいのです。 うまくアメリカと中国を手玉にとって、日本が「漁夫の利」を取れるかどうかです。 そんな綱渡りのような国際政治を日本政府がとれるかどうか?日本国の将来がかかった 重大問題です。何度も引用しますが、マッカーサーの言われた 「フォロアーズがなくても日本は失うところはない。 これを支持しないのは、しない者が悪いのである。」この開き直りができるかどうかです。 繰り返しますが、第九条の二項を、自衛権をも放棄というような解釈をしてしまったことは、 今思えば結果オオライ(all right)だったと私は思っています。世論の無意識の選択が 戦後日本の復興を救け、軍国化を免れ、今の繁栄を導いたのだとも言いたいです。 この憲法九条は日本の将来を守る守護神になるものだと思います。 (3.1)
  眼我通信8号ができました。  先日の「おかしな話」は実話を脚色したものですが、その当事者から実に変な手紙を いただきました。自己弁護と反論で綴られた手紙です。私の言葉は彼の病んだ心には、 ただプライドを傷つけられただけだと思われたみたいです。第三者が何を語っても、 自分を批判する言葉は、彼にとっては絶対に認められないのです。彼と関わることは やはり辞めます。読書会で聖書を通して語るぐらいにとめておきます。手紙の間違いも 指摘しないことにします。かわいそうな人です。 イエスがよく語られる「幼子のような素直な心」が如何に大切か実感させられた 出来事でした。「聖書読みの聖書知らず」にならないように、私自身反省させられました。  外では小雨が降っています。 神の意思は何処にあるのか?聖書の中にその糸口が隠されているはずです。 聖書と自分と現実の世界、そのすべてを見守る神。 「我思う、故に我有り」なのか? 存在自体に神の意思が働いているのではないのか? 病める男の存在意義は何処にあるのか? 病める者を知ることで、私に「正しい在り方」を知らしめるためか? 病める者を知ることで、 「幼子のような素直な心」とはいかようなものかを知らしめるためか? 我も病める者の一人なのか?自分の弱さを知り、その弱さに泣き崩れる者に、 神の救いはもたらされる。 祈り「私を救ってください!」と泣ける者に、神は手を差し伸べるのです。 神に反論する者には、何も与えられることなく、 さらに「持っているものまでも、取り上げられる」のです。(3.4)
 大変忙しい日々を過ごしています。 テレビのおかげだと思います。土日はカレーの売り切れ状態が続いています。一時のことだと 思いますが、その何割かはリピータとなって、二度三度と店に来ていただきたいものです。 忙しくて、サービスのいきとどかなさが、心配の種です。まあ、しかたがありません。 最善を尽くすのみです。体力的にきついので、なかなか書き込みができません。(3.8)
 昨日の新聞の記事から「アンデス奇蹟の生還」つらい記憶と喜び交錯。以下引用します。  「1972年、南米チリのアンデス山中にチャーター機が墜落し、仲間の遺体を食べて二か月 以上飢えをしのいで生還したウルグアイ人男性の当時の所持品がこのほど発見され、 32年ぶりに男性の元にかえった」という記事です。 ストラウチさんは、ラグビー部OBとして同行。食料が底をついた際、死んだ人の肉を 食べることを提案した一人。「善悪の観念や罪の意識はなかった。『とにかく生きたい』 という本能だけだった」と振り返る。彼は生きることの大切さを訴えようと各地で講演活動 も行なっている。「日本では生きる意味を失って集団自殺する若者たちが増えていると聞く。 ぜひ日本でも講演したい」と話す。現在の本人写真も掲載されていました。  私がそのような状況にいあわせたとしたら、死んだ人の肉を食べたか? 私はそんなにしてまで生にこだわらないのではないかと思います。私は死肉を食べれなく、 神への信仰を信じ、自ら餓死を選ぶと思われます。ストラウチさんは自己肯定することで、 出来事をつらい記憶の中に閉じ込めてしまっているのだと思います。逆に講演などをこなして、 生の喜びを訴えることで、自己の行為を正当化しているのかもしれません。 「とにかく生きたい」で済まされる問題なのかどうか?難しい問題です。 先日のスマトラ沖の津波でイスラム教の最高指導者が食の戒律を今回に限り、無視して良いと 明言した問題に似ています。当事者の選択問題です。 第三者がとやかく言う問題ではないのかもしれません。(3.9)
 花粉症の症状が昨日から出てきました。今日は目のかゆみと鼻水、くしゃみが出てきました。 体力的にもなんとなく、疲れやすくなります。睡眠と休息、甜茶(てんちゃ)を充分とって、 これらの症状に対処したいと思います。(3.10) 
 息子の中学卒業が無事終わりました。卒業文集を少しずつ読んでいますが、息子は実に 善い先生に担任をしていただいたと思いました。先生の送る言葉が善いのです。努力するこを あきらめないで続けていれば、いつか結果がついてくることを諭するような文です。それと 音楽祭での発表会のMD録音をCDに取り直して、クラス全員にプレゼントされたのです。 そのために、わざわざMD録音をCDに録音し直すためのパソコン機器を自腹で買ったそう です。こんな先生もいらっしゃるのです。家庭訪問の時と息子のインド旅行写生展で店に 他の先生たちと来られた、二度しか私はお会いしたことはありません。見ためは背が私と同じ 程度で小柄な感じでしたが、実直で落ち着かれた大人の印象でした。眼力というか、目が生き ていたような気がします。生徒に送られたCDには一人一人に言葉が添えられていたそうです。 息子には「才能あるご両親に育てられた賛太君の将来が楽しみです」そんなことが書かれて あったそうです。担任の先生には挨拶程度しか話したことがないのですが、常連で同僚の 先生はよく私の書き物を持って行かれます。多分その先生から私の書き物を借りて、読まれて いたのだと思われます。常連の先生と賛太の担任の先生は親しいと聞かされていましたから、 多分そうでしょう。じゅあなかったら「才能ある」という言葉は出てこなかったと思われます。 それにしても善い先生です。 担任の先生が店に来られることがあれば、MD録音をCDに取り直す方法をお聞きしたい ものです。(3.11)
 昨晩のテレビ番組から「世紀の天才・ダビンチ最大の謎と秘密の暗号」 小説「ダ・ヴィンチ・コード」を下地に進められた謎解きダビンチ伝とでも言えば いいのでしょうか。最後の晩餐の絵のヨハネと思われていた人物は実はマグダラの マリアだったという説を実証したといった謎解き番組でした。途中からしか見ていません。 確かにペテロの手がナイフを握っていることへの回答としては納得させられるものでした。 救い主に妻がいては弟子としては布教しずらいと思ったのかもしれません。後世の教会 の立場として、イエスに妻がいてはメシア像が崩れてしまいます。そのことを恐れての ペテロのナイフなのかもしれません。ただ「マグダラのマリアがイエスの妻で、子がいて サラと名付けられていた」というくだりは大いに疑問です。異端の聖書に出てきそうな 記述です。異端・グノーシス派の人間イエスとしての解釈と言えばいいのかもしれません。 異端の聖書を読む時間があったら、本物の聖書をもっと読みなさいと言いたくなります。 以前もこのことについて書きました。(3.13)
 20日行なう読書会の資料としてルカ伝三章1〜2節の解説を矢内原忠雄・著 「聖書講義 ルカ伝 上」p65から引用します。 1.皇帝のアウグストは紀元14年に死に、その次の皇帝がテベリオであるから、 その在位15年は紀元29年になる。しかるにイエスの生誕は紀元前四年と認められるから、 紀元29年には33歳であり、三章の23節に照らして考える時、少し時代が遅すぎる 感がある。しかし、テベリオは紀元11年からアウグストと皇帝の位を共同にしたから、 その年から計算するとその在位15年は紀元26年となり、イエス30歳の年であって、 三章の23節の記事に適合する。ヨハネはイエスよりも6ヵ月だけ年長であるから、 この時イエスと同年か、もしくは31歳と考えてよいであろう。 2.「総督」(プロクラトール)はローマ帝国の官名であって、パレスチナ方面ではシリアに 最高の総督が居り、ユダヤ総督はその下に属する地位であって、ポンテオ・ピラトは ローマから派遣された者で、ローマ人であった。 3.「分封の国守」(テトラルケース)は、国王の四分の一を治める者という語義であるが、 四分の一ということにかかわりなく、王国内の小区画を治める領主を指す。ヘロデ大王の死後 その王国が分裂され、かれの子らによって統治されることになった。その一人ヘロデ・アンチバス という者が、ガリラヤのテトラルケースに封じられていたのである。 4.イツリヤ及びテラコニケはガリラヤの北、ヘルモン山麓の地方で、その分封の国守ピリポ は、ヘロデ・アンチパスの異母兄弟であった。 5.アビレデはシリアの一地方である。ルサニヤという人物については詳しいことはわからない。 6.ユダヤ人の制度によれば大祭司は終身職であって、一人でしかないのであるが、アンナスが 大祭司であった時、ローマに総督の意を損じてその職を免ぜられ、その子カヤパが代わって 大祭司に任命された(カヤパは紀元18年に大祭司となり、36年まで勤める)。 このためユダヤ人の法律によればアンナスが大祭司であり、ローマ帝国の任命によればカヤパが 大祭司であって、二人の大祭司が同時にいたという変則的状態を示したのである。  以上のように、年代を確認しようとする努力が、歴史家たるルカの特徴である。 (入力疲れました。)  息子の入試が無事すべて終わりました。後は結果を待つだけですが、すでに東海高校が 決まっているので本人も安心しています。昨日買ってきたスターウォーズのゲームをのんびりと 久しぶりにやっています。ここ数ヵ月ゲームをやる気分になれなかったのだと思われます。 何をしなくてはいけないかをちゃんと分かっているので、安心してみていられます。 私も一緒にゲームを鑑賞?しています。(3.16)
 「竹島の日」の制定で、韓国が日本への抗議で揺れています。過去の歴史を直視しない ということは、自国のことも他国のことも解らない無知な国にしてしまいます。 個人レベルで言えば、引きこもりのような状態です。1954年9月25日に日本政府は 竹島問題の国際司法裁判所付託を提案しますが、韓国政府はこれを拒否しています。 第三者による法的決着を避けておきながら、世論を扇動しての反日抗議はおかしなことです。 真実を見つめることが出来ない人、国家はいつしか「井戸の中の蛙」になってしまいます。 韓国政府は支持率を回復するために、国民の反日感情を利用しようとしているみたいです が、これまたおかしなことです。北朝鮮、中国、韓国と外交問題の難題が山積みです。 「さあどうする、先送りの小泉さん」多分何もしないで、またまた先送りで知らん顔なの でしょう。(3.17)
 今朝の新聞から『ダ・ヴィンチ・コード「恥ずべき本」』という見出しが目に 止まりました。イタリア枢機卿(カトリック)が「ダ・ヴィンチ・コード」を批判して、 波紋を呼んでいるという内容の記事です。13日に私が書いた内容とほぼ同じです。 ただ、恥ずべき本とまでは私は言いませんが「もっと読むべき物がありますよ」と 言及したいだけです。(3.18)
 先日の追伸です。コード(暗号)という意味です。 「ダ・ヴィンチ・コード」は「ダ・ヴィンチの暗号」ということになります。  花粉が次第に身体を蝕んできました。まだ、少し余裕はありますが、いつ危険信号?の 点滅に変わるか・・・。ただ、ぼ〜と、してやり過ごすのみです。よって、書き込みは 進まないと思いますが、ご了承下さい。  息子が一人旅に明日出ます。22日には帰って来て、翌日の合格発表を見に行くとの ことです。(3.19)
 2003年10月15日の「思い」に異端キリスト教グノーシス派についての書き込みを しています。その前後にもグノーシス派について書いていると思いますので、 興味のある人は見てください。  息子は瀬戸内の間鍋島(漢字があっているかどうか?)に「青春18キップ」を使って、 行きました。朝7時前に家を出て、夕方6時前に間鍋島のユースに着きました。 無事に着いたことを電話で知らせてきました。ローカル線を乗り継いでの旅でしたが、 良い経験になると思います。画材を持ってのスケッチ旅行、天気もいいみたいですから、 良い絵が描けることと思います。二泊して明日の夜、帰ってくるはずです。  実に嬉しい話があります。私が送ったところの「引きこもり」関係の本が大いに役立ち、 実にタイミングよく、偶然?ですが、その著者がその地区で「引きこもり」の講演を 先日の14日になされたそうなのです。夫婦そろってその講演を聞き、講演後その夫婦は 私の薦めた本を手にして、その著者に挨拶されたのです。講演を聞いて「よかった!」と 感想を聞かされ、良いことをしたと私も胸が熱くなりました。私の行為が何かの役に 立てれば、私も幸せです。先日の「おかしな話」の後日談もあるのですが、彼の悪口に なってしまうので、その記載はやめます。感謝されることもあれば、無駄な行為で終わって しまうこともあるのです。救いが彼の上にもたらされることを祈るだけです。しかし、 多分それは無いと想います。それはなぜかと言うと、その訳を以下に記します。 先ほど「実にタイミングよく、偶然?ですが」のところに「?」を付けましたが、 偶然ではなく必然的だったのかもしれません。このあたりに「神」の存在を認めたく なります。必死になって行なっていれば、「運」といか「偶然」も引き寄せてしまい、 それが「必然」ととらえられないこともないような状況を産み出すのです。しかし、 「おかしな話」の彼にはこの「必死さ」が欠けているのです。だから彼には「運」も 「偶然」も引き寄せられないのです。さらに 「持っている人は、さらに増し加えられ。持っていない人は、持っているものまでも 奪われてしまう」のです。(3.21)
 昨晩、ちょっと不思議?なお客さんが来られました。常連さんの紹介で来られたのですが、 私の書き物に興味をもって来られたのです。店に入ってくるなり、注文を済ませると、 私の書き物を読まれているではありませんか、「珍しい客だなあ」と思いながら料理を出し終わって、 食べている時に、何気なく話しかけました。すると、憲法九条や国際情勢について語りかけて くるではありませんか、「おいおい」と思いながら、もしや以前常連さんが私の書き物を 「知人の食品会社の社長に見せてもいいですか?」と聞かれたことを思い出しました。 私の推測は当たっていました。「へー、世の中はいろんな方がいらっしゃるものだ」と 思わされました。その方は自分で平和の会みたいな集いを幅広く持たれているみたい なのです。私の持論と共鳴するところが多々ありました。忙しい人みたいで、食事が 終わると、ゆっくりとする間もなく帰っていかれました。帰り際に、私の書き物を二、三 お渡ししました。また来られるようなことを言われていたので、来られることを楽しみに したいと思います。さらに社長が帰られる時に、紹介された内の常連さんは クラッシク・カーのディラーが本職というよりは、旅行記などのエッセイストで有名な方 なのだそうです。常連さんは私にはそのことは一言も語っていませんでした。以前 「職業は何をなされていますか?」と質問したら、明解には答えられなくて、車関係の 仕事をしているような話で煙に巻かれたような記憶があります。旅行記のエッセイストなら 車関係?かもしれません。(3.21)
 昨日はいろいろあり、忙しい一日でした。私事から書きます。 流木アーチストの山根さんが来られ、以前からお借りしていたアーチの流木オブジェを 今のまま、ず〜と?お借りすることになりました。無欲な山根さんは「無償でいいです」と 言ってくださったのですが、それではあまりに気が引けますので、私が山根さんの人物画を 描いて、彼にその絵を差し上げることにしました。久しぶりに本気で絵を描かなくては いけません。いい機会です。自分の原点はここから、いえちょっと待って下さい。 私の芸術?の原点は絵の前にありました。それは書道でした。でも、習い事は自発的と いうよりは、親の薦めと習慣です。自覚しての芸術はやはり絵が始めなのかもしれません。 よっしゃ!胆を入れて山根さんを描きたいと思います。  あと酒井さんにもお礼を言わなくてはいけません。これはテレコムランドさかい・ オーナーの酒井さんです。息子の入学祝いに携帯電話をプレゼントするのにあたり、 いろいろと相談に乗っていただき、しかも家族で食事がてら店に来られた折に、わざわざ 息子が買うところの携帯電話を持参していただきました。仕事とはいえ、書類もその場で 終わらせていただき、忙しい私としては助かりました。しかし、最新の携帯はすごいです。 画像が320万画素、今ある内のデジカメよりもきれいな画像です。音も鮮明で驚き です。わが家で始めての携帯です。文明開化の利器がまたわが家に加わりました。  万博が始まりましたが、ロボットや映像でいくら自然を美化してもしょせん、 人間の自己満足による驕り(おごり)以外の何物でもないことを知るべきです。 自然への畏敬(いけい)の念を忘れてはいけません。  ライブドア関連の出来事が新しい展開へと進みました。2月24日の私の書き込みを 覚えていますか?水面下で闇の力(政治家)がうごめいてきたみたいなのです。 去年の野球への参入でもそうでした。楽天がライブドアの参入を阻んだのも、水面下で 政治家が動いたと思っています。今回も同じ状況だと推測します。 しょせん、一匹狼では母船軍団に立ち向かえません。堀江さんはマネーゲームをして いるにすぎないのです。今回のソフト・バンクは楽天の比ではありません。堀江さん 身の安全に気を付けられることを忠告します。マイケル・ムーアさんは敵も作りますが、 味方もそれ以上に作ることの名人です。ムーアさんの志には「誠」がありますが、 堀江さんには「誠」が欠けている節があり、多くの世論も敵にまわしています。 堀江さん、暴漢に襲われる危険性も出てきました、くれぐれも身体にお気を付けください。 (3.25)
 今日の朝、田原総一郎さんがテレビでアーミテージ前国務副長官とテレビ電話で 話されているところを数分だけ見ました。そこで「憲法解釈は内閣府の解釈であって、 自衛権行使の軍隊は現在の憲法でも持てる」とこのような内容のことを明言されました。 アーミテージさんも分かっているといった感じで、同感していました。 歴代の内閣府が憲法九条を戦後一貫して現状(自衛権をも放棄)のように解釈して きたのは、五百旗頭真(いおきべまこと)さんの言うように、世論を恐れての解釈と いうことになるのでしょうか?そうではなくて、やはり、その方が戦後の日本国繁栄に 都合がよかったからだと思われます。でも、ここにきて九条の改憲に政治が動き出したのは、 内外にアメリカ擁護のため集団的自衛権の行使を明記することを、アメリカに強く要望 されたからなのだと私は推測します。  昨日また「ダ・ヴィンチ・コート」に関わる番組がありました。 前回(「最後の晩餐」の謎解き)から今度は「モナリザ」の謎解きです。 私の結論はやはり「こじつけ」ということです。二枚のモナリザは面白かったですが、 いままでのモナリザはマグダラのマリアを描いたものだという結論は実におかしな 結論です。当時の貴婦人の肖像画には「貴金属などの装飾品を描くものだ」と言って おきながら、もう一枚の若きモナリザ(若きジョコンダ?婦人画)にも貴金属の装飾品が 無いことを無視していました。繰り返しますが、モナリザも二枚目の若きモナリザ (ジョコンダ)も同じく貴金属の装飾品を付けていませんでした。 もう一つの証拠、柔和な表情は聖書に出てくる女性だけだという説にも異議があります。 確かにモナリザは柔和な表情をしていますが、このジョコンダも柔和な表情です。 彼等の説からするとモナリザも新しく発見されたジョコンダも聖書に出てくる 女性ということになってしまいます。おいおい、そうなると他の証言からおかしく なってきます。要はモナリザはマグダラのマリアだという説には矛盾があるのです。 その辺を無視して、一方的に「モナリザはマグダラのマリアだった」などよく言えた ものです。推理小説としては面白い筋書ですが、現実的には少し無理があります。 まったく否定することも出来ませんが、肯定するには証拠がいま一つあやふやです。 (3.27)
 読書会に来たいけど、遠くてなかなか来られない人のために、メールによる読書会を 開こうかと思っています。毎週水曜日に発信する予定です。聖書の何処を読むか? 旧約から選びたいと思います。その人以外にも、希望があればメール発信するつもりです。 希望者は私までお知らせください。四月から始める予定です。忙しくなりますが、自分の ためでもあります。  息子は毎日勉強に精を出しています。高校の勉強がもう始まっていて、予習をして おかないと、春休み開けの授業は予習を完了したものとして、その先からの授業なのです。 中高一貫教育の高校ですから、中学からの生徒は中三ですでに高一の数学と英語を終わら せているのです。高校から入る生徒(34名)は選ばれし者であって、遅れている分を 追い付くにはハードな勉強しかありません。そのハードな勉強に耐えられる者として、 選ばれし34名なのです。これは鍛えられます。厳しい条件ほど克服がいがあります。 息子に負けないように、何故?か私も燃えてきます。おかしな親です。 春休みで、のほほんとしていたのも先週の金曜日まででした。土曜日に宅配で30キロ ほどの教科書が送られて来てからは、受験生に逆もどりです。一日中勉強しています。 目標があって、必死に努力することは、実は大変大切なことなのです。能力があればの ことですが、能力がない人に強要することは拷問と等しいことですが、そうではなくて 能力が備わっていれば鍛えることは、良いことだと思っています。(3.28)
藤村記一郎さんについてのお知らせです。 高校で数学を教えながら、音楽活動をされてきた方です。でも、ついに今週でその教員生活に 終止符を打たれ、音楽活動に専念されるとのことです。 昨年「すうがくソング・教育基本法をうたう」なるCDを出されました。ガンガーでも 販売してますので、興味のある方は店においでください。 藤村先生の音楽活動はミュージカル、合唱などの作曲や指揮者と幅広くなされています。 機会があれば、ガンガーでもミニ・コンサートをお願いしたいと思っています。 家がガンガーに近いのも好都合です。  メールによる聖書読書会の箇所が決まりました。旧約聖書の「ルツ記」です。 来週の水曜日から発信します。毎週水曜日に発信する予定ですので、興味のある方は 私までお知らせください。(3.29)
 
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