5月の「思い」

  今日の日曜美術館はすごかった。藤原新也さんの解説がすごかった。 「ラ・トゥール」の絵をひもとく、藤原新也の解説?がすごかった!久しぶりに言葉に 感動しました。ラ・トゥール最晩年の聖ヨハネの絵をひもとく彼の言葉一つ一つが意を 得ていて、宗教の本質をも踏まえ、私は久しぶりに感動しました。 現象を省き、小さくなることが本当は難しく、ラ・トゥールの聖ヨハネ像は照らされて 光るのではなく、内からの光りで闇を照らし、しかし薄暗く、小さく、挫折に満ちた 面影の中で、内から照らす希望?は羊に草をやること。聖ヨハネにできることは何か、 それは子羊(信者)に餌(信仰)を与えることです。ラ・トゥール自身が自分を知り、 信仰の本質を見抜いていたから描けた絵なのです。でも、それを読み説く藤原さんは すごい人です!ビデオに撮りました。観たい人はご連絡ください。お貸しします。(5.1)
 朝の仕込みがないので、今日はゆっくりできると思っていたら、流しの配管が詰まり、 配管掃除にえらく手間がかかりました。疲れました。暇な時に、配管が詰まったことは ラッキーだと思えば、気も落ち着きます。忙しい時でしたら、パニックになっていた かもしれません。何事も思いようです。  昨晩の藤原新也さんの解説を冷静に分析してみると、自分の言葉で語ることの大切さを 知らせてくれはしますが、藤原さんの言葉自体がそんなにすばらしいことなのか?と 今朝は昨晩の書き込みを少し冷静に判断しようとしています。藤原新也さんを見るのは 始めてなので(写真では何度か見ています)、生(なま)藤原を見られた驚きから あのような高揚した文を書いてしまったのかもしれません。でも、ちょっと待てよ。 藤原さんはラ・トゥールを今でいうところの「引きこもり」のような作家だと、言って いましたが、それは違うのではないかと反論したくなりました。例えで「引きこもり」の 様なといわれたのだと思いますが、分かりやすくするために「引きこもり」と言われた ことがかえって、間違った指摘をしているのではないかと反論の糸口になります。 「引きこもり」が自己表現の一つなのかという疑問が出てきます。社会現象の事象であって 当然、芸術表現の手法ではありません。内面を見つめるということと「引きこもり」は まったく異質です。内面をみつめるとは、客観的に事象、自己を洞察できなくては意味が ありません。逆に言えば、「引きこもり」の人達は、客観的に事象、自己を洞察する ことが出来ない人達なのだと思います。(つづく)(5.2)
時間が経つと、言いたかったことが見えなくなります。藤原さんへの反論?は嫉妬かも しれません。「コロンブスの卵」を先にやられてしまったことへの言いがかりとでも 言えばいいのかもしれません。藤原さんのラ・トゥールへの研ぎ澄まされた観察力は、 人並みはずれています。そこが彼の藤原新也たる由縁です?桜井よしこ、藤原新也と すごい人が世の中にはいます。私も彼等に負けないように、自分の人生を自分の足で 歩んで行きたいと思いました。     メール聖書読書会「ルツ記」 その四 眼我 真 2005.5.4 二章14節〜23節 まで 「・・・あなたの食べる物を酢に浸しなさい」酢とは今で言うジャムのようなものです。 彼女は遠慮して刈る人々の後ろで麦パンを食べていたら、ボアズからここへ来て、 ジャムを付けなさいと言われ、さらに焼麦までもご馳走になり、「食べて残した」とは 食べ切れなかったものを持ち返りように取って残したということです。 午後からの仕事にあたりボアズは若者にルツへの配慮を事細かく指示します。ボアズの 気配りは年配者のやさしさ以上のものが感じられます。17節1エパとはいまでいう 36.4リットル(約二斗)です。かなりの量です。20節ナオミは嫁(ルツ)に言った、 「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主(神)が、どうぞ その人を祝福されますように」生きている者へのいつくしみは当り前ですが、死んだ者 をも顧みて、慈しむ神への賛美の言葉です。ナオミの夫エリメレクはすでに亡くなって いて、その親戚ボアズはエリメレクの亡き息子の嫁で、しかも異邦の民である嫁ルツに 対して、こうも手厚くもてなしたのです。23節「・・・そうすればほかの畑で人に いじめられるのを免れるでしょう」当時は異邦の民はいじめにあっていたのです。 イスラエルの地では今も同じ様なこと(宗教の違いによる、いじめ)が起こっていると 思われます。旧約の中で「ルツ記」が異質なのは異邦の民であるルツを好意的に記述して いる点です。ただ、ルツが姑ナオミの信じるユダヤ(イスラエル)の神を信じていたと いうことを考慮に入れなくてはいけません。  人の本質を見抜くことが、いかに大切かということをつくづく知らされます。 ボアズはルツの態度、受け答えの言葉からルツの本質を見抜いていたのだと思われます。 見かけの現象、噂に惑わされることなく、物の本質を見抜く心眼を養いたいものです。 (つづく)(5.4)  
 人と人の繋がり、外見だけの繋がりではなくて、良き人とは心の面でも 繋がっていくみたいです。ありがたいことです。「うたごえ喫茶」なるものを企画 しようという話が起こってきました。藤村先生はガンガーの苦境?をさっして、この 企画を持ち出してくれたのだと推測します。ホームページと眼我通信で、それらしき ことを書いたことが先生の心に「うたごえ喫茶」なる発想を起こしたのかもしれません。 ありがたいことです。六月の「サラサとルルジ」のミュージカルが終わった後の、7月 から月一回のわりで、金曜日の夜ガンガーは「うたごえ喫茶」に変わります。 具体的内容が決まりしだいチラシなどで発表したいと思います。興味のある人は期待 してお待ちください。老若男女、歌に興味のある方はもちろん、ない方もいっしょに 楽しみましょう。みんなこの指止まれ!(5.5)  
 11年ぶりに友人が尋ねてきました。札幌の北、30分ほどの地でクラシック・ ギターをひた向きに作り続けている友です。制作の話を聞くと、採算度外視のガンコ 一徹な作風が伺えます。そんなにしてまで、いい音にこだわれば、作るのにも時間が かかり、採算が合わないはずです。月に1〜2本しか作れないそうです。作れば売れる ので、もう少し量産を考えそうですが、彼はいい音にしか興味がないようです。 同じものは作らない、常に前の作品よりも、いいものを産みだすのが彼の信条だそうです。 弟子を二人育成したそうですが、この弟子が職人としては、性格的にあまり良くなかった みたいなのです。いい音作りよりも、金儲けのほうに興味があるみたいなのです。彼の 性格からすると、それは許せないことなのです。 そのことも原因なのか?わかりませんが、思うところあって、6月いっぱいまでギター 制作から離れるとのことです。彼曰く「いままであまりに忙しすぎたので、気分転換の つもり」とのことです。経済的にはあまり恵まれていないようですが、救いは 彼がいまでも信仰を持ち続けていることです。彼の人生の根底に信仰があるかぎり、 どんな境遇であろうとも、彼の心に平安があるはずです。 健康に気を付け、よりよい音を探究し続けてもらいたいものです。人生の良き伴侶が いてくれればいいのですが、こればかりは・・・・。世の中、矛盾だらけです。 彼のような人が生活費を稼ぐために苦労して、世渡り上手な人は簡単にお金を儲け、 楽をして生きているのです。彼の一途さは一部の人にしか知られていません。 私はその一人です。彼の上に神のお導きがありますように、心から祈ります。アーメン。  竹島問題であやふやだったことが今日はっきりとしました。国際法律学の先生に お聞きしました。1905年島根県の竹島領有告知にもとづき、明治政府は国として、 これを認め、竹島を占有したという事実がある以上、まちがいなく日本の領土なのです。 占有とは実際に住まなくても、監視挺などの巡回をもって占有とみなすのです。 韓国の言い分の植民地下で反論できなかったというのは、なんの言い分にもならない とのことです。植民地政策自体が違法ではなかった時期、韓国植民地下状態での竹島 日本国領有宣言は国際法上なんの違法性もないということです。 1905年以前において、韓国は竹島を正式に領有告知しておらず(韓国側の言い分で、 領有告知していたというのは竹島以外の別の島であって、竹島かどうかの明記はないとの ことです)、どこの国も所有宣言していない島を最初に領有告知した国が所有権を持つ のは当り前のことであって、よって竹島は間違いなく日本の領土です。(5.7)
 昨日の友人の話ですが、これも偶然が重なった出来事なのです。二日前、 藤村先生に北海道でギター作りをしている友がいると話したばかりなのです。しかも、 ちょうど6月中頃に「ぞうれっしゃがいく」の関係で先生が北海道に行かれると聞き、 機会があれば彼の工房を尋ねたらどうですか?とお勧めしていたところなのです。 昨日は彼から電話をいただいた後、すぐさま藤村先生に電話を入れ、会う段取りを 取りました。たまたま彼が6月いっぱい広島にいて、6月に藤村先生と北海道で会う ことは出来ないことが分かりましたが、ガンガーで偶然?会えたのも何かの縁かも しれません。あともう一つ偶然?が続くことがあったのです。友人の音信を気にされて いた教会の恩師がいらっしてたので、お節介な私はさっそく恩師に電話を入れました。 「青木さんが北海道から来られました。今も札幌の無教会に毎週出席され、信仰を 持ち続くていらっしゃいます。・・・」と近状を伝えて、「それは良かった」となり、 恩師の奥様と世間話を始めたら「娘のみよしが絵本を出したの、多分『11の約束』と いう題名だったと思うわ?教育基本法を絵本にしたものなの、とってもきれいな絵本よ。 大きな本屋さんなら店頭に置いてあるはずよ」と言われました。これまた偶然なのか? 青木さんの話から教育基本法へと流れが変わってきました。なんと藤村先生も昨年 「すうがくソング&教育基本法をうたう」というCDを出されていたのです。いつもは 「すうがくソング」と簡略化して言っていたものです。正式には「すうがくソング& 教育基本法をうたう」なのです。これまた教育基本法で恩師の娘みよしさんと 繋がりました。これも縁かもしれません。絵本と歌のコラ・ボレーションなっていうのも いいかもしれません。さっそく明日恩師の家へ「すうがくソング」のCDを持ってお伺い することにしました。新たな展開が起こるかもしれません? 起こらなくても、何かの繋がりはできればそれだけでもすばらしいことだと思います。 人と人の繋がりが善意の輪となり、善意の輪が広がり平和の輪となり、その平和の輪が 世界を覆い尽くすぐらいに広まり、世の悪意を駆逐できればすばらしいことです。 まずは気心のしれた身じかな人との繋がりを大切にしていきたいと思いました。 (5.8)
 ちょっとしたことで、またまた気になることに出会いました。 「世界がもし100人の村だったら」なる本です。恩師がこの作者と娘さんの関係で 懇意にされているとのことです。「こまった」と思いました。私はこの本の著者を評価 していないというより、人のフンドシで相撲をとったと今でも思っています。すでに 亡くなられたアメリカの社会環境学者がメールで唱えた「コロンブスの卵」的発言を 彼女は詭弁的方法で利用していると思っているからです。 翻訳業の女性作者がいくら善意を回りに降りまいたとしても、本来の原作者は彼女では ないのです。その社会科学者の名を全面に出すべきです!いつのまにか軒を借りて、 母屋をぶんどってしまった感が私にはあります。こんなことを恩師に言うもんなら・・・。 常々、お年寄りとは仲良くしたいと思っているので、恩師の前では猫をかぶり、知らん顔を していました。陰口をつくことをお許しください。真理は時が解決してくれます。 100年後この本がどう評価されているか?時が裁いてくれます。  「戦争のつくりかた」なる本もいただいたのですが、これまた少し批判したくなります。 3ぺージの「60年ちかくまえに、『戦争しない』と決めました。」 敗戦国として、与えられたところの「戦争しません」宣言であって、自分で勝ち取った 「戦争しない」ではなかったのです。だから解釈の幅をもたせ、柔軟な対応をしてきたと いうのが真実ではないかと思います。明日またこの先を書き込みたいと思います。 (つづく)(5.10)
 「戦争のつくりかた」この本自体の意とするところには多いに賛成なのです。 ただ、『「戦争しない」と決めた』という出だしの表現に問題を感じました。 アメリカによって与えられた「戦争しない」を今度はアメリカの都合で「戦争もします」 に変えられようとしていることに注目すべきではないかと主張したいのです。 日本国政府の意向だけで変更しようとしているのなら、この本に書かれているような 流れになるかもしれませんが、裏でアメリカの世界戦略が見え隠れすることをもっと 言うべきなのです。すでに政治家などの多くがアメリカの都合で、踊らされていることに 明白だと思います。60年前にアメリカによって与えられた「戦争しない」は、ただの 偶然的産物だったのか?いや違う!と私は言いたいのです。 敗戦後与えられた「戦争しない」は偶然ではなくて、アメリカの思惑に反して、 これは人類にとって必然的産物だったのです。 「戦争しない」とは無抵抗精神によるところの高尚な意志力がなくては、決して成立 しない行為だと思います。今になって日本国民は「戦争しない」ことの本当の意味を 知らされることになるのかもしれません。一方的にアメリカから与えられた 「戦争しない」が60年経って始めて、その本当の意味を日本国民一人一人に問いかけて いるのかもしれません。「戦争をしない」とはどうゆうことですか? 今度は自分達の意思でこの「戦争しない」を、裏で操っているアメリカから勝ち取らなく てはいけないのです。まさしくこれからの日本国の有り様と、世界平和の有り様が 試されることになります。政治の流れからすると、憲法改正の国民投票が最大の試金石に なると思われます。  一人よがりの偏見だと思われる方は率直な意見をお聞かせください。 間違いを指摘され、その指摘が正しければ、私の思考の中ではいくらでも訂正して、 反省する余地を残しています。    メール読書会 旧約聖書「ルツ記」三章1節〜5節 (その五)眼我 真  先の余りないナオミにとって心残りはルツの身のよりどころです。 ここで「あがない人」という当時の制度?についての参考資料を引用します。 「あがない人」制度?では人が貧困その他の理由で土地を売り渡した後、その人の近親者 がこれを買い戻す権利を認めています。「あがない人」とは土地所有者が子なくして 死ぬ時は、その未亡人をめとって子をもうけ、その子をして土地を相続させる義務を 持つ者のことであった。 ナオミがルツの「あがない人」としてボアズに目をつけたのは、話の流れからして当然 かもしれません。2節の「ボアズはわたしたちの親戚ではありませんか、」とは 「あがない人」として申し分ないことを言い表しているものと思われます。ナオミの 3節〜4節のことばの意味することを察したルツは素直に「あなたのおっしゃることを 皆いたしましょう」と言います。「あがない人」としてボアズを選んだことをルツも 理解したものと思われます。ボアズが近親者でなかったらこの「あがない人」は成立 しません。また、近親者でもいいかげんな人なら「あがない人」にはなれなかったものと 思います。ボアズだから、ナオミもルツも慕って「あがない人」に選んだのだと思います。 歳の差が気になりますが、神のみ旨(むね)に委ねる勇気があれば、信仰心があれば気に ならないものかもしれません。今でいう結婚とは違って、氏制度維持のための義務的 気持ちが優先していたのかもしれません。内容は違いますが、今で言う一方的な 「押しかけ女房」です。(つづく)(2005.5.11)
重大発表をいたします。 長らく続けてきたところの「インド料理と画廊の店ガンガー」を 7月いっぱいで、閉店とします。 足掛け15年になりますが、売り上げの落ち込みはいたしかたありません。 それなりの努力はしたつもりですが、いたって金儲が下手で経営能力も乏しく、 ここえきて家族の協力も得られない状態では、もうこれ以上店を続けても良い結果が 得られそうにないので、きっぱりと辞めることにしました。お客様や、関係者には これから口頭で伝えていくつもりです。まずはこの書き込で発表いたしました。 7月の終わりにはさよならパーティーでもしようかと思っています。それらのことは またの書き込みでお知らせいたします。画廊予約者やその他多少迷惑をおかけすることに なるかもしれませんが、何とぞご了承していただきたいと思っています。 辞めた後、どのような仕事に就くかはこれから考えたいと思います。 良い仕事口があれば私までお知らせください。 建物自体は私の所有物ですので、存続します。店も利用していただけるのでしたら、 お値打ちでお貸しいたします。テーブルも調理機具もセットでお貸しいたします。 店の使用希望者は私までお知らせください。(5.12)
 
緊急提案です! 一部の常連さんが閉店の噂を聞きつけ店に来られました。 「どうして?」「展覧会やライブでお客を呼んだら、このまま継続出来るのでは?」など と言ってくださいました。一人の常連さんは「何時かガンガーで個展を開くのが夢で、 絵を描き溜めてあった!」と言って、作品を数点もって来られました。 ありがたいかぎりです。その方のために展覧会の期間を設けることにしました。 売り上げが上がれば、継続可能です。6、7月と頑張って売り上げを上げる最後の努力を します。売り上げしだいですが、8月も営業するつもりでいます。 毎年夏は儲かる月なのです。8月以後は売り上げしだいです。ガンガー継続のために、 みなさんの知恵とご好意を賜わりたいしだいです。
 
昨日は実に疲れるお客さんが来られました。夕方5時半ごろでした。 初めてのお客さんです。店に入るなり、実に雄弁で、語彙(ごい)力 が豊富で、ただ者 ではないことを察知した私は、彼の話を引き出すことにしました。久しぶり?でしょうか、 聞くことに疲れ果てました。9時半まで延々と、4時間話しぱなしでした。それも、実に 多岐にわたり、専門的分野の話でした。私の記憶機能がヒートアップして、身体に 疲労感を与え、精魂尽き果てる思いでした。私と違い、雄弁に語られた64歳になられる お客さんは、至って元気がよく、気持ちよく帰られたことと思います。ありがたいことです。 ガンガーという場が無ければ、決して出会えない人です。やはり店は継続したいです。 後は結果を出すだけです。頑張りますので、ご支援をお願いいたします。(5.15)
 一昨日の方とは主に憲法、歴史、政治、彼の経歴にまつわる雑多なことを 4時間にわたり聞かされたのでした。今日は徳林寺で伊藤昭さんに会ってきました。 話はちょっと横道にそれますが、以前精神を病んだ?陶芸家について書き込みをしました。 その彼が徳林寺に住み込んで、寺の雑事をしていました。家を火事で無くした後、旅に 出て、昨年から徳林寺でお世話になっているとのことです。ある人から精神を病んで しまったのではと?聞かされていた彼は徳林寺でりっぱに再生していました。あるいは 病んではいなかったのかもしれません。行方知れずになっていたので、噂が噂を呼んで、 わたしもそれに乗せられてしまったようです。彼についての情報を不確かなまま、掲載 したことをこの場を借りておわびいたします。話は伊藤昭さんへ返します。 雑談をしていたら、昭さんが詩人清水信さんとお知り合いだということを聞かされ、世間は 狭いというか、繋がっているとつくづく思いました。昭さんのお兄さんが中学生の時、 お兄さんが英語を教わっていたのがこの清水信さんだったのです。昭さんは銭湯でよく 清水さんといっしょに湯船につかっていたとのことです。この続きは明日書き込みます。 今日はさわりだけです。(5.16)
 昨日の続きです。清水信さんは詩人で、文芸評論家です。全国から多くの個人誌、 同人誌などが彼の元に送られてくるそうです。中日新聞の「中部の文芸」コラムを 担当されていて、以前そのコラムで「蒼生舎通信」に掲載していた私の連載小説 「サトルの冒険」と「長崎少女殺人事件についての一考察」を評価していただいたことが ありました。「蒼生舎通信」への寄稿を辞退した後、清水さんに批評していただきたく 思い、勇気を出してこれまでの作品(詩集、童話、眼我通信など)の一部を送りしました。 郵送して一、二か月経過しても清水さんからの返事が来ないので、大した作品ではないと 思われ、無視されたものと思い、私も郵送したことを忘れることにしました。すると 昨年の暮に清水さんから「本と雑誌」と「清水信文学選」が送られてきました。 「本と雑誌」には1ページを割いて、私の送った作品群に対して、丁寧な批評をして 下さっていました。感謝です。  伊藤昭さんは妻の昔からの知人で、絵本作家、画家、文筆家と多彩な方です。15年 前、ガンガーを始める時に徳林寺でサモサ(インド風揚げ餃子)の作り方を直伝して いただいた関係です。徳林寺の花祭(お釈迦様の誕生を祝う祭)でいつもお会いして いましたが、今年は私の都合でお会いすることが出来ませんでした。先日、お客さんから 「伊藤さんが前立腺ガンの治療のために、ずっと徳林寺に滞在してますよ」と聞かされ、 元気な内にお会いしたいと思い、さっそく昨日店の閉店後、徳林寺に伊藤さん直伝の サモサを持って、見舞いがてら行きました。知人からガンでも骨などに転移してなければ、 前立腺ならホルモン注射で治療すれば大した病気ではないよと知らされ「伊藤さんは 多分転移していないから大丈夫だよ」とも聞かされました。  ここから昨日の続きとなります。徳林寺は天白区相生山にあり、自然の雑木林に 囲まれたネパール密教で有名なお寺です。個人のプライバシーに関わるので、和尚さんに ついては書くのを控えます。良い意味でユニークな和尚さんです。 昨日は伊藤さん、憲ちゃん、ネパール留学生と私の4人で会話を楽しみました。 伊藤さんは以前と同じくひょうひょうとしていらっしゃって、病気と共に歩む覚悟が すでにできていらっしゃっるようでした。私の書いた憲法九条についての書き物を二点 ほどお持ちして、読んでいただきました。乞食を(こじき)と表記していましたが、内容 から(こつじき)の方がいいと言われました。確かにそうです。あと「人事」を「他人事」 に直すことも指摘されました。内容については同感ですと、共感を得ました。和尚さん にも読ませたいと言っていただき、以前国会討論で社会党の議員が与党の議員から 「武力で攻撃されたら、どうするのですか?」と質問されたときに、その社会党の議員は 「いさぎよく死ねばいいのです」と答えられたそうです。それをテレビで観ていた和尚 さんはその社会党議員の潔(いさぎよ)さに共感したそうです。そんな話も出てきました。 あと清水信さんと私の経緯を簡単に説明していたら、昨日の記述のように同郷の知り合い ということが分かりました。不思議な縁です。清水さんのお兄さんが絵描きさんで、 伊藤さんが好きな絵描きさんだということです。あと妹さん?の娘さんが詩人で最近 若くして(47歳?)亡くなられ、追悼詩集で書かれた清水さんの言葉がよかった、と 伊藤さんは言われていました。申し訳ありませんが、この辺はうら覚えで不確かです。 その詩集を今度読まさせていただくことにしています。あと留学生の話から内のお客さん で某大学教授の方も徳林寺にちょくちょく来られていることも分かりました。あと思い 当たることは、そうそう伊藤さんと憲ちゃんの関係が実によかったことです。 無意識の内に師弟か親子関係のようなものができ上がっているのではないかと思われました。 お年寄りをいたわり、敬意を表わす憲ちゃんに対して、迷える若者を諭するような存在の 伊藤さん。徳林寺という場が二人を引き合わせ、お互いが影響しあって、共に生きて いるという感じがして、実によかったです。伊藤さんは山梨の大月山中、奈良子の里で 独り自給自足の生活を長いことされてきました。出身は三重県鈴鹿市で、あとインド、 ネパールに若いころからよく行かれ、天白にある徳林寺の和尚さんとは旧知の仲です。 絵も絵本も人柄がそのままにじみ出たような、ほのぼのとした作品群です。 徳林寺にずっといられるのなら、ちょくちょくおじゃましたくなりました。(5.17)  
メール読書会 旧約聖書「ルツ記」三章6節〜13節(その6) 眼我 真 「飲み食いして、心をたのしませたあとで、・・・」ただ食事をするのではなく、 心をたのしませたとあります。ボアズの性格が伺えます。一人で黙々と食べるのではなく みんなといっしょに語らいながら、にぎやかな食事をしたのではないかと思われます。 「ボアズの足の所をまくって、そこに寝た」ボアズの翼の下に庇護を乞うかたちであって 自分から積極的に強要するのではないところが、ルツとナオミ二人の奥ゆかしさ?が 現われています。信じる者へわが身を委(ゆだ)ねる、いさぎよさのような気構えを 感じさせられます。「あなたはだれですか?」当時は電気なるものはなく、光りは油に 芯を浸し、その芯に火を付けるランプだったとおもわれます。真っ暗な中、誰だか見分け がつかなくて、発した一言です。「・・・はしためルツです。あなたのすそで、 はしためをおおってください。あなたは最も近い親戚です。」 はしため=奴隷、「あがない人」(前回説明済み)になって下さいという嘆願です。 このルツの言葉にたいするボアズの返事が実に奥深いものです。 「・・・主があなたを祝福されるように。貧富にかかわらず若い人に従い行くことはせず、 あなたが最後に示したこの親切は、さきに示した親切にまさっています。・・・」 「若い人に従い行くことはせず」肉欲に負け、節操のない行動はしなかった、という ことです。その次の「最後に示した親切とさきに示した親切」とは?  ここで仏教でいう乞食(こつじき)の問題と絡めて、このボアズの言葉を考えてみます。 「施(ほどこ)す」とは「乞(こ)う人」を救うというよりも、施す本人の救いのために 行われる行為なのです。ボアズがルツに施したのはルツのためというよりは、信仰上では ボアズ自身のためだったのです。「さきに示した親切」とはルツが最初にボアズの畑を 選び、落穗拾いをしたことを指していると思われます。「よくぞ私の畑を選んでくれました」 という意味だと私は解釈しました。「最後に示した親切」とは「あがない人」に選んで くれてありがとう、という意味だと思います。ナオミとルツの行為も信仰の発露であって、 ボアズのこの言葉も信仰あっての発露です。  なぜ「乞食」の例を出したかといえば、日本人には分かりやすいと思えたからです。 仏教精神にキリスト教を接ぎ木してもいいのではないかという思いも私にはあります。 内村鑑三は「武士道にキリスト教を接ぎ木する」言いましたが、 私は「仏教精神にキリスト教を接ぎ木する」と言いたい気持ちです。 ボアズとルツの会話には、根底に神への謙遜と感謝がにじみ出ています。 11節から13節の言葉にも、ボアズの気配りと謙遜があふれています。 「しかし、主は生きておられます」この言葉にボアズの生きた信仰が伺えます。 神の存在を身をもって体験したことのある人しか使はない断定的な言葉です。 「その人が、あなたのために親戚の義務をつくすことを好まないならば、わたしは あなたのために親戚の義務をつくしましょう。・・・」これまた謙虚な言葉の中に、 自信めいたものを感じとられます。すべては神のみ旨(むね)なのです。 与えられた運命に対して常に感謝の気持ちが持てるかどうか? 自分の存在に生きる意味を見い出せた人は、どんな境遇でも感謝の念を忘れないものです。 誰にでも、どんなものにも、生きる意味が与えられているのです。 それを知りえるかどうか?が人生の分かれ目のような気がします。 感謝して生きていけるか、不平ばかりを言って生きていくかの分かれ目です。 信仰はそのことを気付かせてくれて、生きる支えとなる「生きた教え」だと思っています。 (つづく)(2005.5.18)
 昨日のメール読書会追伸です。  ボアズは歳若いルツのことを考えて、歳老いた自分よりも若い近親者の方が良いと 思っての13節の発言です。常に相手(ルツ)のことを考慮して行動するボアズは、 若者に道を譲る勇気?をも持ち合わせた信仰者です。   詩「雨上がり」 雨上がり。 水たまりに足とられ、靴の中まで濡れた嫌な思い出、なつかしい。 今は舗装され、水たまりもできないきれいな道、 あじけなさを踏みしめ淡々と歩く。 均一な世界なんて嫌だ、 忙しさで忘れていたことがよみがえる。 水たまりに、あめんぼう、長靴でどろ遊び、どろんこで飛び跳ねた。 そこには父もいた。幼き自分もいた。 雨上がり。 舗装は水をはじき、てかてかと思い出もはじいてる。 (5.19)
 下手な詩を掲載しました。きらめくものがいま一つ欠けています。 「いま一つ」が重大なのです。まあ、こりずに続けることも、これまた大切なことです。  某新聞から、「不破議長の講演から」という記事に靖国神社の実態が記されていました。 中国、韓国政府が小泉首相の靖国神社参拝を非難する理由が分かりました。ただ、中国、 韓国政府は反日非難のこじつけに靖国問題を利用しているという思いは残ります。これは 内政問題であって、小泉さんを非難すべきなのは国内のメディアであって、世論なのです。 靖国神社自体が国粋主義の凝り固まった組織であって、その神社を公人として一国の首相が 参拝するのはいかがなものかと、個人的には思いはしました。靖国神社の実態を公平に、 マスメディアを通して、国民に向かって公に知ら示す必要があると思いました。そうすれば 小泉さんの人間性も浮き上がってくると思われます。不破さんの講演が本になって出版される そうですから、図書館などで読まれることをお勧めいたします。  昨日も徳林寺に行ってきました。伊藤さんに清水信文学選10と「本と雑誌」(2004)、 あと私のエッセイ的書き物の乗鞍家族旅行記と竜吟の山歩き、それに 「十三歳インド一人旅」をお持ちしました。ついでに絵も忘れずに、私の作品二点と 息子の作品一点(竜吟の山歩きで描いた一点)を持って行きました。 お寺のギャラリーで伊藤さんが所蔵している浅野弥衛さんの絵を観ながら、会話を楽しみました。 和田美子さんの遺稿本「母音の無き」(2005.5.5発行)も読ませていただき、清水信さん (清水さんも先生と呼ぶべきかもしれません。伊藤さんもお寺では先生と呼ばれていました)  改め清水先生の姪ごさん(美子)への想いが書かれた文も拝読させていただきました。 キーワードの「望郷」について語られていたと覚えています。異国の地で詠む歌を 「望郷の想い」をキーワードで説き明かしていたと思います。私の場合では「望郷の念」は 生まれ育った土地への想いではなくて、在りし日の父の面影という過去の思い出が望郷への 想いと同じ感覚を起こさせるのです。失った悲しみは何を持っても補えないものかもしれ ませんが、時間の経過という忘却が悲しみを癒す一つの手段であると同時に、逆に忘れたく ないという想いも起こさせます。相反する思いが混在する矛盾が、詩や歌を産み出すの かもしれません。  1時間ほどしてから場所を代え、寺の食堂で和尚さんたちと雑談となりました。 ネパールの留学生が日本で一番おいしいメロンパンを買ってきたからと、みんなで食べ ましょうということになり、おいしく「日本一のメロンパン」をいただきました。そのすぐ 後に、和尚さんが出来たての手作り全粒粉パンを持参されました。これがなんと「日本一の メロンパン」よりもおいしかったのです。それから全粒粉の話になり、いま買っている 粉の値が高いという話になりました。まてよ知人が責任者の「わっぱ農園」も無農薬小麦 を作っているはずです。昨年、うちの店の常連二人をその農園に就職斡旋した私です。 多少の事情は知っているつもりです。以前、その就職したうちの常連さんに小麦粉の値段を 聞いてくれるように頼んだままになっていることも思い出しました。 さっそく直接、責任者の知人に電話を入れました。翌日(今日)電話とファックスで 値段を確認して驚きました。安いのです。うちもこれから「わっぱ農園」の全粒粉を使う ことにしました。「よかった、よかった」紹介した甲斐があります。 喜ばれれば紹介した私も嬉しくなります。    昨日は聖書読書会を行いました。飛び入りが二人ほどいましたので、少し新鮮でした。 新約聖書「ルカによる福音書」三章1節から38節まで (つづく)(5.23)
  詩「雨上がり」(私望郷) 2005.5.25 眼我 真 雨上がり、 水たまりに足とられ、靴の中まで濡れた嫌な思い出、 今は舗装され、水たまりもできないアスファルト、 あじけなさを踏みしめ淡々と歩く、 なんという均一な世界、あじけなさ。 雨上がり、 舗装は雨水はじいて、てかてかてかと朝日に照らされ、 一瞬視界を無くした私。 雨上がり、 水たまりに、あめんぼう、 長靴でどろ遊び、水たまりみつけて、どろんこになって飛び跳ねた、 そこにはあなたもいて、幼きわたしもいた。 視界を無くした私に思い出がはじける。   先日の詩を推敲しました。幾分よくなったと思われます。   メール読書会 「ルツ記」(その七)三章14節から18節まで 眼我 真  以前聖書で女性の名の付いた書き物は「ルツ記」だけだと明記しました。 これは私の間違いでした。矢内原忠雄・聖書講義の「ルツ記の大意と精神」に エステル記も女性の名を表題にした書き物であることが書かれていました。 エステル記を良く読んでいないところの私の間違いでした。これで「ルツ記」の次に 読む箇所がきまりました。その「エステル記」を読みたいと思います。  14節「この女の・・・」まだボアズが「あがない人」と決まったわけではないので、 ルツのために変な噂が広まることを気づかっての発言です。16節に「そこでルツは その人が・・・」14節でもそうですが、「この女」「その人」三人称で表記しています。 なぜ三人称なのか?ちょとした疑問です。翻訳上の問題なのか?当時の文体表現の慣習 なのか?取り立てるほどの問題ではないのかもしれません。18節しゅうとめは言った 「・・・きょう、その事を決定しなければ落ち着かないでしょう」 ボアズとしては兄弟婚の法を遵守して、「あがない人」を決めなくては、 ユダヤ人としての責務を放棄することになり、それは几帳面なボアズにとっては決して 許されないことなのです。ナオミはボアズの性格を充分把握しての発言だと思われます。 女性は男性よりも、生きる上では計算高いかもしれません? ナオミをみているとそんな気もしなくもありません。2005.5.24(つづく)  
 何かと雑事に追われ、書き込む時間がとれません。 先日、恩師から頂いた本が三冊でした。「世界がもしも100人の村だったら」 「戦争のつくりかた」あと「11の約束」(えほん教育基本法)です。 先の二点はすでに批評しました。残るは「11の約束」です。これが恩師の娘さんが 「世界がもしも・・・」の制作者と共同著作の本なのです。批評しなくてはいけません。 副題になぜ「えほん」と付いているのかが、良く分かりません。読む対象をどの年齢に 設定しているのか?教育基本法を分かりやすく読み説いたつもりなのだと思いますが、 ちゅうとはんぱな読み説きです。まずは原本の教育基本法を全面に出し、その解説として 読み説きと例え話などの実例の見本みたいな小話を持ってくるような筋にした方がずっと 現実味があって、理解されやすいと思いました。創作の斬新さとか、真新しい発想では なく、流行のダイジェスト版的サプリメントのような本です。私見を言わせてもらえば、 サプリメントは健全な人が飲むべき物ではないという思いが私にはあります。自然の物 から食べて摂取すべき栄養を、科学的に合成した人工物で栄養の補給をすることじたい、 おかしな、安易な発想だと思っています。 サプリメントのような本とはどのようなことを指していうのか? 自然の営みから著者が必然性を伴って、葛藤のすえ産み出された創作物ではなく、 すでにあるものを利用して作為的な要素だけを取り出した物であって、コピー社会が産み 出した安易な作り物とでも言えばいいのか? 目的がまずあって、そのための手段をいかに合理的に処理するかを考えた結果できた物。 著者の創作における葛藤が抜け落ちている、目的達成のための安易な作り物。 「11の約束」は教育基本法の説明本です。「世界がもしも100人の村だったら」の 原作はアメリカの社会学者が世界へ向けて発信した「平和を祈ってのメール伝言」です。 教育基本法、原作をもっと全面にだして、読者に問うべきです。 (批判に少し片寄りがあるかもしれません。個人的に毛嫌いしている傾向が見られますが、 これは私の性格ですので、お許しください。ご意見があればお知らせください。) (5.28)

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