2005年11月の「思い」

 こんなに長いスランプ?はホームページを立ち上げてから始めてのことです。 書きたいことが見つからないので、そのまま自然に任せています。 身近な出来事から書きます。まずは息子のエレキ・ギターの件ですが、アメ横に出かけた 時は試し弾きをしただけで、買わずに帰ってきました。アンプの違いに驚かされたみたい で、エレキ・ギターを買い換える前に、アンプのいい物をインターネットで買いました。 歪の音色が出せるローランド製品のアンプです。当分これでいいようなことを本人は 言っていました。ギターのお古がないので、いまだ練習を始めていない私です。気長に 息子のお古か、友人からのプレゼント?のギターを待ちます。  小泉さんの最後?の組閣が終わりました。残り一年を切った任期で、山積みの重要懸案 を処理あるいは道筋がつけれるのか?大変疑問です。竹中平蔵大臣が最重要人物のような 気がします。ポスト小泉がささやかれていますが、竹中さん無くして改革の実現は無理です。 そうなると、来年9月に小泉さんが引退した後、誰がリダーシップをとるかとなると、 私見として言わせていただければ、それは竹中平蔵さんしかいないような気がします。 リリーフとしてなら、竹中さんが最適です。ただ、首相選出のための20名が集められ るどうかが問題です。改革という点だけを考えた時、しがらみの無い平蔵さんが最適人者 だと思います。後の人たちは帯に短し、タスキに長しです。次の次あたりが安部さんの 出番かもしれません。でも不安だらけの内政、外交です。誰がなっても大変な時代になって しまったという感がしてなりません。  女子高校生が母親にタリウムを摂取させて殺害しようとした事件が発覚しました。 彼女の部屋には動物の死骸などがあり、薬物などで殺害した形跡が残っているようです。 インターネット上では母親の症状をプログに掲載していたとのことです。祖父母と両親、 兄の6人家族で、自分にとって必要性のない、あるいはじゃまな人物として母親を実験 にして薬品の効果を調べたかったのかもしれません。小動物では飽きたらず、ついに 身近で必要の無い人物として母親を使って実験したのか? 少女の心の闇は解明されるのでしょうか?異常です。親、家族は以前から娘の言動に 違和感を抱かなったのでしょうか?部屋の中を調べるのも親の責務かもしれません。 プライバシーの問題もありますが、監督責任も親にはあるはずですから、本人に知らせ ないで、そっと部屋などを調べることは許さていいことだと思います。それこそ動物の 死骸などがあれば、異常に気付き、それなりに対処のしかたも変わってきます。 
このところ三日ほど野球の素振りをしています。初日は100回、二日は200回 昨日は300回ほどの素振りをしました。今日は400回に挑戦です。二日目ですでに 手の皮がはげてしまいました。左手の親指の付け根の関節のところです。これも ダイエットの一環のつもりで、毎日500回の素振りをするつもりでいます。 気のせいかもしれませんが、多少気分が晴れてきたような心もちです。(11.2)
 ついこの前、諏訪の方から9年前の作品をまた買いたいという問い合わせが あったことを書き込みでしました。後日談というか、ちょっと変なことになっている ようなのです。作者が無償で作品を差し上げるということを諏訪の方に伝えたのです。 電話ではとても喜ばれているようで、こちらも世話をしたというか、中継ぎの役目が 出来、それはそれで満足していたのです。ところが、いざ作品をそちらに送りますから、 住所を教えてくださいというと、手紙をそちらに送りますから、それからでいいです。 という話になったのです。積もる思いでも手紙に書かれるのかのと思い、手紙が送られて 来るのを待っていたのですが、一向に来ません。1週間経っても来ないので、またこちらから 電話をしたのです。すると、遅くなってすみません。今書いていますから、待っていて くださいとの返事です。それからさらに1週間が過ぎました。?。 これはどうゆうことなのか?諏訪からは何の連絡もありません。 筆無精ならそれはそれでいいのです。住所だけ知らせていただければ、それで済むこと なのです。彼との電話のやり取りを思い出しているのですが、昔話に感極まった様子や、 9年前に付き合っていた彼女の話をしたときの、冷めた口調で「別れました」と言った ときの落差。二度目の電話の時に、彼女と昔話をして懐かしんだと言ていた、その彼女 とは9年前の彼女なのか?作品はどうでもよくて、昔の思い出に浸りたいだけではないかと 推測したくなります。私からはもう電話しないことにしました。手紙が本当に来るのか どうか?疑問です。作者には「手紙が来るのを待っている状態です」とだけ 伝えておきました。(11.3)
 先の組閣で小泉さんの盟友といわれる山崎拓さんの派閥からは 一人も入閣がありませんでした。(武部幹事長は山崎派だったと思います。) 山崎さんは山崎派会合で、一人も入閣できなかったことを謝り、副大臣では多くの仲間を 入れたいと抱負を語っていましたが、蓋を開けると、これまた0人でした。 政務官ではやっと山崎派から3人だけ採用されていました。 今回、山崎派は自民各派閥の中で一番少ない人事採用だったのです。 盟友なのに、何故か?小泉さんから無視されたような内容になっています。 このことはマスメディアでは取り上げられていません。私なりに推測しました。 今朝の新聞に「攻防激化・戦没者追悼施設建設」安部官房長官は慎重姿勢、山崎氏ら 超党派推進議連は・・・、となっていました。山崎さんが靖国問題解決のために画策して いるこの戦没者追悼施設問題が冷遇の一因になっているのではないかと思われます。 河野洋平さんなどもこの超党派推進議連に名を連ねていましたが、先頭に立っているのが 山崎拓さんです。(河野派は山崎派とは対照的に今回は前回よりも多く採用されています) 盟友でも意見が違うと、冷遇してしまうところの小泉さん、一方有能なイエスマンや 同じ価値観で尻尾を振る人には対照的に優遇するのです。このようなリーダーの元では 猫をかぶった狼が育成されるのではないかと危惧します。織田信長は本能寺で明智光秀に 寝首をかかれました。織田信長を自称されている小泉さん、くれぐれも寝首をかかれ ないように注意されますように、早々。(11.4)
 お客さんで私と同じく中年太りを気にしていらっしゃる方が、昨日自転車で食事に来ら れました。以前は趣味で自転車競技をしていたということで、本格的な出で立ちなので 驚かされました。そういえば7月?に糖尿病で入院された知人も以前はトライアスロンを されていたのですが、止めてから太りだし、ついに糖尿病を患うことになってしまった のでした。その知人は先日書き込みで書いた人です。日曜日に自転車で食事に来るお客 さんです。(月一回の割合で、岡崎から自転車で来られるお客さんもいられます。)  昨日のお客さんとの話に戻します。私が素振りをしていることを言い、少し体重が減って きたこと、さらに今朝アクワッチ?(その場で腰を落とし、立ち上がる)をしたら10回 できつくなったことを言ったら「森光子さんは150回毎日されているそうです」と 言われました。そうなんです。85歳の森光子さんは毎日150回いまもされているのです。 あの元気の元は日頃の鍛練があってのことなのです。85歳、現役で舞台をこなしている のですからすごいです。見習はなくてはいけません。いまの私には150回は無理ですが、 15回を日に6回することにしました。体力が付けば、しだいに回数を増やしていきたい と思っています。  息子の中学時代の同級生(女性)が友達4人と食事に来られました。 「ずっと、サンタ君はインド人だと思っていました」と言われたのにはつい笑って しまいました。確かに、歯の矯正をしてから、一段と鼻が高くなり、横からみると日本人 離れした顔立ちかもしれません。中学二年の時には一人でインド旅行もしていますから、 誤解されてもしかたないかもしれませんが、サンタは間違いなく私たちの子供で、日本人 です。(11.5)
 今朝(11.6)の「報道2001」番組で少子化対策・男女共同参画大臣の 猪口邦子さんと文部科学大臣の小坂憲次さんが出ていました。後から中川農水大臣も出ら れたみたいですが、時間が無く途中までで、猪口さんと小坂さんの話しか聞けませんでした。 現場の教師たちで作っている「教師の会」から教師がコメンテータとしていらっしゃて いました。ちょっと変わった名でしたが残念ながら覚えていません。その方の話が一番 リアルで内容がありました。両大臣とも分かっているようで、頭でっかちの官僚的発言 でした。西部萬?(大学教授)も堅い頭をしています。相手の話を理解して、その場で 臨機応変に対応できないで、ただ持論を語るだけです。  地域、家庭の有り様が変貌してしまった現在社会において、良き?過去を回帰しても 時代は流れいます。国民の有り様も変わってしまった現在においては、新しい秩序を確立 しなければいけない時期にきているのかもしれません。両大臣とも「机上の話」であって、 現実はちがってますよ、と現場の教師はいまの若者像を的確に言い表し、伝えたいことを 語るのですが、大臣たちは持論の繰り返しで終わっていました。猪口大臣、小坂大臣とも 教師の語られることに対して多少理解をしめしているようでしたが、それでも結局は 欧米的発想の政府案に固執しているようでした。実情に合わない改革を実行しても、 社会が混乱するだけです。現場の意見を充分検討してから、改革を進めてもらいたいものです。 (11.7)
 諏訪の方からやっと手紙が送られてきました。よっかた。善い出来事を 嫌な思い出に変えてしまうのではと危惧していましたが、私の取り越し苦労でした。 手紙にはやはり9年前に付き合っていた女性のことが書かれていました。彼女に絵を 差し上げ、いまも多分玄関に掛けてあることでしょう、ということです。絵を通して 彼女との思い出に浸りたいのかもしれません。絵の代金を払いたいとの催促ですが、作者が 無償で差し上げると言っているのに・・・。こちらから着払いで送ってしまえばそれで すむことです。絵をコンポして明日さっそく送ることにします。(11.8)
 私自身が体調ならびに精神が疲れているようなので、自分の使命?を思い起こすために 昔の自分の書き物を読み直すことにしました。自分自身の文章に励まされることも あるのです。 「病についての一考察」(私のホームページの書き込みからの抜粋)眼我 真   「魂・心の平安について」  知人からのメールを読み、いかに病気に苦しんでいる人が世の中に多いいかという ことを、改めて思い知らされました。いかにして病気と付き合えるか? イエスは至る所で病気の人を治療されています。治療を終えた後、必ず 「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われています。 そして「このことは誰にも知らさないように」と付け加えています。 イエスの奇蹟(治療)は治療を受ける側の信仰心が試されるのです。すがる思いで、 イエスを信じることが出来て、始めて完治するのです。信じる心の強さが奇蹟を 起こさせたと言ってもいいかいれません。「誰にも知らせないように」は イエスの本当の目的は医療行為にあるのではなくて、信仰による魂の救いにあった のです。でも、多くの群衆はイエスによる治療の奇蹟を見たくて、各地方から 集まってくることになるのです。そのような時、イエスはただ一人、人気のない ところ(山など)へ行かれて、一人になって祈ります。 すでに群衆の思いとイエスの思いには、天と地のほどの差が出来ていたのです。 イエスは何かあると、人を避け、静かなところで祈られました。人は群衆の中に いては自分自身の本質を「知る」ことは出来ないのかもしれません。イエスのように、 一人孤独の中にいるとき、始めて自分を見つめ、自己の存在意義を問い詰めることが できるのだと思います。孤独は自己を知るための入り口なのではないかと思います。 ただ、孤独に押し潰されてはいけません。では、どうしたら孤独に打ち勝って、 本来の自分を知り得るかが、問われます。それは自分を信じるこことができるか どうかだと思います。自分を信じるとはどういうことかというと、いまある自分を 素直に認め、そのいまある自分の存在には、ちゃんと意味があるのだということを 認めることができるかどうかです。私はすべての生けるものには存在意味があり、 必然性があるのだということを言いたいのです。  統合失調症という病気も必然性があって存在するのだと思います。患者さんにこんな 言い方をすると、お怒りになられるかもしれませんが、病気は人類(個人)にとって 必要なのです。生きる意義を問う機会を与えられるからです。 癌もコウ原病も統合失調症も風邪も花粉症なども、これらはすべて同じ次元なのだ と言いたいのです。え!癌と花粉症が同じ?実に変なことを言っていると思われる かもしれません。病気の度合ではなく、心の有り様が重大だと言いたいのです。 いかに心、魂があるかが大切なのであって、病気の個々の症状はあまり関係ないと 言いたいのです。いたって乱暴な表現ですが、私のいいたいことは 目に見える現象に惑わされて、「魂の平安」を見失わないでほしいということです。 キエルケゴールという哲学者が「死に至る病」という本を書かれています。内容は はっきり覚えていませんが、ようは魂の救いが一番であって、それは神を信じる ことが出来るかどうかだと言っていたのだと記憶しています。彼曰く、最も怖い 病気は「死に至る病」であって、それは神を信じないことだと言っていたと 思います。私はもう一つ見方を変えて「救いに至る病」を語りたいと思います。 病気によって己の弱さを知らされ、生きる価値など無いと、どん底まで落とされた 人にこそ「救い」は来るのだと言いたいのです。健康で自分を信じて歩む人には本当の 「救い」は来なくて、病気を患い、自信も無く苦しんで、苦しんで、どん底まで 落されたような人にこそ「救い」の機会が与えられると言いたいです。 ただ、その苦しんでいる人が自己の力によりすがっているかぎりは「救い」はこないとも 言いたいのです。今日の書き出しを思い出して下さい。 イエスは「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われています。イエスの教えは まったくの他力夲願なのです。自分が努力してどうにかなるとか、自分の力で切り開く とかではありません。まったくの他力夲願なのです。すべてを信じ、すべてをイエスに 委ねられるかどうかなのです。信仰とは自分が無なって、すべてを委ねる勇気を与えら れることなのです。 イエスは「健康な人には医者はいらない、私は病人のためにきたのです」と 言われています。ここでいう病人とは魂の病める人のことです。イエスは魂の病める人の ために語り、そのような人を救うために、命を捧げたのです。 「この人(イエス)を見よ!」です。 迷える人はイエスの生き様を見なさいと私は言いたいのです。  取り留めのない文になってしまいました。いいたいことは病気の治療とは 結局は魂の治療なくしては有りえなくて、逆に魂が救いにあれば、病気の症状は 気にならないということを言いたかったのです。 「魂の平安」が最も大切なことであって、「魂が平安」ならば統合失調症もなんのその、 別に怖くないと言いたいのです。たいへん大胆な表現で、言うに安く、行い難くです。 まずは、「魂の平安」を求めるところから始めなくてはいけないのかもしれません。   今日の書き込みは魂、心についてです。私は医者ではないので、医療については 語ることができません。 ただ、経験と私の信じる信仰でならいくらでも語れます。その一部を披露しました。 あなたの心に平安が訪れますように、心からお祈り申し上げます。(「思い」2003.10.2参照)   「統合失調症についての一考察」   以前、ヨーロッパ大陸において、血液中の血小板が人類の平均値よりもかなり多い人種が、 数%存在する話を書き込みでしました。狩猟民族の時代においては怪我が致命的でした。 怪我(出血)をしても、すぐに止まる体質が英雄の条件の一つだったのです。ところが、 狩猟時代から農耕時代になり、現代にいたっては、血小板が多い体質は動脈硬化につながる ため、悪い体質と言われるようになったのです。古代においては英雄の条件だったことが、 現代社会では嫌われる体質になってしまったのです。 同じことが統合失調症でもいわれるとのことです。 たまたま読んでいた夲に以下のようなことが書かれていました。  精神医学者中井久夫著「分裂病と人類」参照。  未開とよばれる社会には、一時的な精神錯乱はあっても、慢性化したり再発したりする 精神病はみられない。西欧の文明と接触する地点から、始めて病気としての妄想や幻覚など、 分裂病に似た精神反応があらわれる。これは社会の有り様そのものが、分裂病の源泉に なっているのです。分裂病になる可能性は全人類がもっているだろうと仮定し、その重い 失調状態が他の人よりも分裂病に成りやすい「分裂病親和者」(S親和者)を考えたとき、 その人は他の人よりも、わざわいに対して最も遠くから、最も早く、最も強烈に感じ、 あたかもその事態を察知してしまうタイプの人間なのかもしれません。 人類史は狩猟採集文化から農耕文化へ、という大きな流れでとらえらた時。 はるか古代の狩猟採集段階では、S親和型の「兆候性の優位」が魅力的な力をもっていたのです。 現代の狩猟採集民・ブシュマンは三日前に通ったカモシカの足跡を見つけ、かすかな草の乱れ や風の運ぶかすかな香から、獲物の存在を見つけられます。彼等の社会では兆候的なものに 敏感であることが優位を保証するのです。つまり「S親和者」は先ほどの血小板の話と同じく、 古代(未開地)では英雄の条件の一つに数えられるのです。ところが、「S親和者」はこれまた 血小板の話と同じく、農耕文化への移行とともに、優位性の大半を失うのです。かえって 少数者=負(マイナス)性をおびた存在として、とらえられるようになるのです。農耕社会は、 整理整頓、清潔、清めの儀式、整序された世界の裏で起こる権力と支配の世界。近代社会は いまだ、強迫的な農耕社会の延長上にあるのです。この強迫的な世界ではS親和者はたえず 分裂病という失調状態へ落ち込む危険にさらされているのです。 社会との折り合いの困難さによって生じるS親和者が人類の相当数を占めるようになることが、 いま必要なのかもしれません。 兆候性にすぐれた、孤独なS親和者だけが、現代人による盲目的勤勉のはてのレミング的悲劇 (レミングというネズミ科の小動物は、時々大増殖して死の大行進をする)を回避しうるから である。精神科医の中井さんはこのように語っているそうです。 これは失調症の一つのとらえ方として面白いかもしれませんが、病気に悩んでいる人には 説得力に欠けます。  発展途上国からの留学生が都会で生活していたらノイローゼになることが往々にあるそう です。そのようなときは、自然の中で一週間ほど過ごすと、元へ戻るそうです。 自然の中での狩猟採集的生活が、悩める人を元の健康状態に復元させるのです。 都会にいても、できるだけ自然に接するように心掛けたいものです。  話を私の論で進めてみます。自然淘汰という言葉があります。人類も自然淘汰の原理に 従っているのです。進化論でいう自然淘汰。人類が精神的に病んできていることは身近な出来事 からでも言えます。家庭崩壊、学級崩壊、自殺者の増加、などなどいくらでも列挙できます。 人類への警告なのかもしれません。レミング的人類の死への大行進にたいする警鐘がこれら 悩める人々の声なのです。悩める人々の声が警鐘そのものなのです。だからみなさん他人事の ように知らぬ振りをするのではなくて、身じかに声を聞きましょう! 痛みを分かち合うところから、すべて始まるのかもしれません。まずは語ることからです。 痛みの原因がどこかにあるはずなのです。今はやりの「癒し」という言葉を私はあまり 好きではありません。痛みの元を探って、嫌な想いをしなくては刺は抜けません。 見かけの「癒し」は、その場かぎりの、まやかし?でしかありません。痛みを和らげる癒しは 対処療法であって、根本の治療ではありません。本当の治療は痛みを覚悟して痛い刺を抜く ことです。その刺が何処にあるのか?それが大問題なのです。 個人個人違うので、この先は断定などできません。自分で刺を見つけられれば、もう病気では ないのかもしれません。あとは時間の問題かもしれません。抽象的な表現で申し訳ありません。 後、何かあれば個人的に話をしましょう。私のような者でよければのことですが。 (2003.10.18)
 父親の33周忌が11月10日に行われました。私は帰省しませんでした。 11月10日が命日だったのも忘れていたような親不幸者です。母親からの知らせの電話で気付いた しだいです。お供え物だけ宅配で10日に間に合うように、郵送しておきました。 今年になって、父親の死んだ歳を超えて生き存えている私です。以前、マラソンでいえば折り返し点を 通過するようなものだと書きましたが、人生にゴールなどというものは無いのかもしれません。ただ、 やり遂げたい夢みたいな事は漠然とあります。先日38歳で亡くなられた本田美奈子さんなどは、 やり残した無念さでいっぱいだったのではないかと思われます。 告別式で南野陽子さんが「努力家で一生懸命生きていた美奈子が先に亡くなって、私を筆頭に怠け者が 生き残っているなんて・・・」インタビューに答えていたのが印象的でした。 後、テレビ番組「相棒」で水谷豊の相方の俳優さん(名前を忘れました)が「天使のような美奈子が、 本物の天使になってしまった。」このようなことを語られていました。 ミュージカル「ミスサイゴン」で歌っていた曲のCDをいつか手に入れたいと思っています。 先月、リリースした(生前最後になってしまった)CDの売り上げが何処まで上がるか? 注目したいと思います。(11.11)
書き込みがだいぶん復調してきました。まだ、6〜7割ですが、 どん底は峠を越えたみたいです。来週にはメール読書会を再会させたいと思っています。 読書会が再会できれば8割の回復と自己分析しています。ダイエットは食欲の秋に 負けています。食べた分運動をすればいいのですが、店にほぼ缶詰状態で素振りと スクワットだけでは、エネルギー消耗量が限られていて、食べたぶんの消耗は出来ても、 減量まではいきません。間食を止めるべきなのです。自己暗示を掛け、減量に挑戦です。 細く、ほどほど長く生きるのが私の希望ですから、そのためには健康でなくては いけません。大器晩成を自負しているので、そのためにも頑張りたいと思います。 (今日は自己暗示?の独り言です。)  諏訪の方から、お礼状と粗品が送られてきました。店を維持してきたからこそ起きた 出来事でした。新しい常連さんも多少増えてきました。私がそこそこに輝いていないと、 やはりお客さんも増えません。眼我通信の読者の方達にもお待たせしています。来月には 再会せたいです。「終わりよければ、すべて良し」です。 今年最後の月に眼我通信を再会させて、来年へ繋げたいものです。(11.12)
 メール読書会「創世記」(その十)第二章1節〜4節a 2005年11月16日 前回は2005年9月6日「創世記」(その九)第一章24節〜31節でした。長い休憩をとって しまいました。2ヵ月ぶりの再会です。よろしくお願いいたします。  今日は二章1節から4節の一行までとします。一章1節から二章4節の一行までが P(祭司典)資料で、4節の二行からはJ(エホバ典)資料による別の創造伝説です。 聖書は二つの創造伝説を並列に記載していることになります。 P(祭司典)資料は神のことを「エロヒム」と呼び、J(エホバ典)資料は「エホバ」と 呼んでいます。年代的にはJ資料が一番古く、紀元前9世紀の中頃、P資料は紀元前五 世紀中頃と言われています。ここで安息日(日曜日)についての面白い?記述を 見つけましたので、そのことについて書きたいと思います。  矢内原忠雄先生の「創世記」によると、 「安息日の制度はバビロンより出たるものであり、元来は満月のときに祝われた喜悦の日 であったらしい。イスラエル人もバビロン捕囚の頃から安息日を熱心に守るようになった 為め、P資料の記述者はこの制度をイスラエル人自身の信仰に結び付ける意図を以て、 創造の御業を六日間に割り当て、第七日を神の安息としたものであろう、と学者は説明 している。」 捕囚(捕虜)として異郷の地(バビロン)に連れて来られたイスラエル人が異教の慣習 を身に付けたのが、この安息日の由来とは不思議な気がします。この聖書の創造伝説も いろいろな他宗教の影響を受けながら整理されて、いまの形式に落ち着いたということ です。ただ、聖書にはその由来の形態をそのまま残してあって、私はそこに価値を見い 出したいのです。矛盾する二つの創造伝説を平行して記載するなど、普通は有りえません。 普通はどちらか一つ、あるいは二つの要素を折り込み一つに纏めるはずです。 旧約聖書が編集されたのが紀元前440年ごろということです。当時の編集に関わった 人たちは真面目な信仰者だったのだと推測されます。矛盾を矛盾として、そのまま記載する 勇気を持ち合わせていたのです。矛盾の裏には信じて仰ぐ、信仰が有ったのだと思います。 すべては神の御業なのです。 信じて仰ぐことが信仰の始まりであって、最終点でもあります。 次回は二章4節の2行から始まるJ資料の創造伝説を読みたいと思います。(11.16〜17)   
 メール読書会を発信する予定でしたが、書き込み量が少ないので、今日か明日には 発信するつもりです。  昨晩は流木作家の山根さんが個展の案内を持って来られたので、ついでに来年の1月 ガンガーで作品展をしませんかと、私から話を持ちかけました。 「四コマ漫画の某作家と山根さんで二人展はどうですか?」驚かれていましたが、 「何なら私も参加してもいいですよ」ということで、無理やり?承諾していただきました。 私は正月休みに制作するつもりです。さてテーマは?彼に任せましたから、後のお楽しみ です。(11.17)
 某新聞の企画で行われているシンポジウム「戦後60年・昭和史の再検証 『戦争責任』を考える」の記事を読んで感じたことを以下に記します。 「定まらない歴史観、必要な構造的分析」基調講演のあと6人のパネリストによる 討論会です。基調講演は「あの戦争が問うていること」作家・保坂正康。パネリストの 国際日本文化研究センター助教授 牛島圭は「歴史を解釈する際に、倫理的断裁をしては いけないということだ。倫理の前に論理を駆使して史料をながめることが必要だ。 戦争犯罪という言葉があるのは、戦争が合法的なものと認められていた証しだ。今日の ように殺人は重罪であり、戦争を殺人を前提とするという視点に立った場合(倫理的裁断)、 戦争犯罪という言葉の意味が成立しなくなるおそれがある。」 ジャーナリストの桜井よしこは開戦の裏に米中結託があったことを軸に語られ、 「・・・日本は罠にはまってしまった。愚かな外交を展開した責任は私たちにあるが、 そのような外交状況を作った側(アメリカ)の責任も考えなくてはいけない。」 彼女のいつもの論説です。「日米戦争は事実上ハル・ノート(日米交渉最終段階の41年 11月26日、コーデル・ハル米国務長官が示した対日回答の日本側の呼び名)で 始まった。日本だけが悪かったというのではなくて、戦争開始の責任という意味で、 もっと公平な視点も必要だ。」 あと民主党の原口一博議員、自民党加藤紘一議員、東大教授・御厨貴(みくりやたかし) 各人なかなか良いことを言われていました。極端な右翼も左翼もいなくて、同じ次元で 語り合えるメンバーをあえて新聞社が揃えたのでしょう。それはそれで良かったと思って います。アジアにおける日本、前回の大戦の過ちを二度と犯さないためにも当時の情勢を 充分検証する必要があると思います。現状は多少違いますが、きな臭い匂いは何か類似性 を含んでいるような気がしないでもありません。(つづく)
 「検証・戦争責任」の続きを書きます。 記事の抜粋をします。史料として西安事件を分析すると、西安事件は国共合作成立のため の出来事。張学良が西安に蒋介石(国民党)を呼んで幽閉状態にし、周恩来(共産党)が 来て交渉が始まる。中国側が国家統一のために、中国人覚醒のために、幽閉をして交渉 させた。歴史の流れの中で、一致抗日として必然的に国共合作(中国の国民党と共産党との 二度の提携関係。一度目は1924年国民党の孫文が共産党員の国民党入党を認めて実現、 36年の西安事件後、日中戦争勃発で第二次国共合作が実現)が成立した。  アメリカ、イギリスは国民党の蒋介石に援助を与え、日本への対立構造は基本的に 作られていた。西安事件のすぐ後、アメリカは日本に経済的な抑圧策を取り始め、41年 (昭和16年)7月には在米資産の凍結へと進む。日本にとっては精神を一つ一つ、 むしり取られるような状態で、外交面では完全に包囲されていた。 日本がいかに戦争回避をしようとしても、米国にその気がなければ、努力は無に帰す。 米国の対日政策は、日本側から戦争を始めさせることだった。 米国はハル・ノートを日本政府に突きつけた翌日、軍の指揮官に戦闘態勢に入るように 指示を出している。日米戦争は事実上ハル・ノートで始まった。(桜井) 桜井よしこが責任転換的発言をあえて?していらっしゃるのは、そこに彼女なりの意図が あるのだと思いたいです。自縛的意見が支配しやすい国民性に対する啓発として、彼女は 自己の意見に使命を感じていらっしゃるのかもしれません。  一部を抜粋しましたが、歴史は繰り返されると云われます。小泉さんは前大戦の二の舞 を避けるべく日米同盟の強化を強調しています。これから起こるかもしれない戦争では 「はめられる」のではなく、逆に陥れる?ことを考えているのかもしれません。 世界平和という次元から考えた場合、言うべきことはちゃんと言える主体性のある 日本国家であってもらいたいものです。米国が間違っていたら、それはおかしいと言える 国家であってもらいたいものです。現実は目先の国益を優先して、米国に尻尾を振って いるだけのような気がします。(11.19)  
 高橋尚子さんが今日の午後、東京国際女子マラソンに出場されます。一昨日、会見で 右足に故障を抱えていることを言われていました。このことを知ってから、私は彼女の アスリートとしての使命は終わったと思いました。勝負する前に、負けた時の言い訳を しているようなものですから。今、午前中ですが、14時半過ぎには結果が出ていること でしょう。結果はどうであれ、完走してもらいたいものです。彼女がこれからどんな 人生を歩まれるか、多少興味があります。  完璧に私の予想は裏切られました。彼女のゴールしてからのインタビューには実に 感動させられました。夢を追いかけることの大切さを彼女は体現して私たちにみせて くれました。挫折を乗り越え大きく、一回りも、二回りも大きく成長していました。 彼女の人間性に感服させられました。みごとなアスリートぶりでした。 ありがとうございました。夢を持ち続けることの大切さを久しぶりに思い出させてくれました。 本当にありがとうございました。(11.20)
 メール読書会「創世記」(その11)第二章4節二行目から14節 11月23日  1章と違って、天体とか地球の形成などは省かれています。こちらの資料の方が1章 よりも古い(紀元前9世紀ごろ)ことを考慮すると、こちらがイスラエル民族による ところのオリジナル性が強い資料ではないかと思われます。 6節「泉がわきあがって土の全面を潤していた」水が生命の源のいうことを、暗示して いるかのようです。 7節、土(アダマー)から作られたから後でアダムと呼ばれるようになります。 最初は固有名詞ではなく、人を表わす普通名詞でした。 1章27節では「神は自分のかたちに人(男と女を同時に)を創造された。」 となっています。こちらの資料は紀元前5世紀ごろですから、ギリシャ神話の影響などが あって「自分のかたち」というような言葉が使われているのではないかと推測します。 天使もそうですが、人と神の姿が同じという発想が何処か?異邦の宗教から影響を受けた のではないかと思われます。これらは私個人の私見です。2章7節ではまだ「女」は作られて いません。「命の息」とは神の生霊ということなのかもしれません。人は土から作られ、 神の「命の息」よって生きる物(生霊)とされたのです。よって人が死ぬと、肉体は土に 帰り、霊は天にいる神の元へ帰るということになるのかもしれません。 8節「東のかた、エデンに・・・」イスラエルからみて東ということです。エデンの園は どこにあったのか?桃源郷のようなものかもしれません。 9節に「命の木」と「善悪を知る木」が特別に記載されます。3章での出来事で重要な 役?を果たします。 10節エデンから川が流れ出して4つの川となった。と記載されています。 4つの川についての記載が注解書にありましたので抜粋します。 11節の「ビソン」はハビラの全土をめぐると記載されているが、ハビラの所在が 不明であるためビソンが何川を指しているのか不明である。人多くはこれを印度の大河・ ガンジス若くはインダスと想像する。 13節「ギホン」の流れるクシはエチオピアの事であるから、之はたぶんナイル河であろう。 14節アッスリヤの東を流れる「ヒデケル」はチグリス河であり、「ユフラテ」は読者 周知の事実として、所在を別に明記していません。  復帰二回目です。このまま順調に歩んで行きたいと思っています。(11.23)
「自民新憲法草案 前文論争」の記事から  憲法起草委事務局次長・舛添要一議員(国際政治学者)が主になって草案を作られた ようです。草案の前文は中曽根康弘元首相の美文調の表現を、ばっさりと切り捨て、 どちらかというと機能優先の事務的表現で合理性をもって良しとしている節があるよう です。叩き台としての草案ですから、これから紆余曲折して、よりよい前文となることを 信じたいものです。本文については特に注目されている9条がやはり気になります。 9条一項はそのまま残すようになりそうですが、二項がどのように変えられるのか、 心配です。(11.24)
 使っていたフロッピーが何故か?壊れてしまいました。以前にも一度同じ 症状になったことがあります。アイコンが開かなくなってしまいました。 元の状態に戻すにはどうすべきか、検討します。とりあえず応急処置で「思い」だけは 継続させていきます。(11.25)
 壊れたと思われるフロッピーは一年と3ヵ月間酷使?した物でした。新品に交換して また始めたいと思います。  某新聞で広島平和研究所所長・浅井基文さんが「小泉さんが靖国参拝した日は、 東郷英機らA級戦犯らが合祀された日です。彼は『靖国と政府の考え方は違う』と いいますが、アメリカ向けの言い訳で、こういう日を選んだことで関係者には別の メッセージを出しているのです。一国の最高責任者の外交としてはあってはならない ダブル・スタンダード(二重基準)です。」と書かれていました。 APEC首脳会議でのインタービューで「靖国にある遊就館の主張と政府の見解は同じ ですか?」というような質問に対して、小泉さんは「違います。」と明言しました。 それを聞いた私は」ほう、戦没者への純粋な追悼の念からの参拝という彼の主張は本当 なのかと」ちょっと見直したのでした。 でも、この新聞の記事で「東郷英機らA級戦犯らが合祀された日の参拝」となると ちょっと違ってきます。一年365日の中でこの日にしたのは偶然ではなく、意図した ことだということになります。つまり合祀(ごうし)された日を特別に選んで行った ことになります。東京裁判でA級戦犯とされた方々への追悼も含めての戦没者への 追悼となってしまいます。「A級戦犯を裁いた東京裁判は、戦勝国が勝手に裁いた 冤罪」とでも彼は言いたいのでしょうか?それこそ歴史を後戻りする蛮行です。 死ねば皆同じという神道の発想なのか?さらに不確かな情報ですが「彼は首相になる前は 靖国参拝をしていなかった」ということを言われるお客さんがいました。もし、これが 本当ならば、彼はわざと中国、韓国を挑発するために参拝していることになります。 その理由を探索する必要が起きてきます?この情報はガセネタなのでしょうか? 知っている人がいましたら私まで一報下さい。  某新聞の「検証・戦争責任」3人の学者が各々の立場で、日中戦争への突入は 何故?と終戦の決断の遅れた理由について語ってもらっています。2人の話は体したこと ないので、省きます。 「拙劣だった終局判断」劉傑(北京生まれ、東大文学部卒、早稲田大学教授)の記事が 良かったので上記の私の書き込みと関連がある所だけ一部を抜粋します。  ・・・東京裁判の評価は。  日本人は、不満があっても受け入れるしかないとも思う。事後法だとか、勝者の一方的 裁きだとか、確かに問題がないわけではない。ただ、この問題は当時の状況から考える べきだ。日本は、天皇制さえ維持してもらえれば、無条件でポツダム宣言を受け入れる という結論に至った。裁判はまさにその線で行われ、ある意味で天皇制を守った。 ・・・日本は過去をどう位置付けるか、積極的に考えてこなかった。東京裁判を受け入れ、 過去の歴史を整理してから、将来を展望する作業が必要かもしれない。  小泉さんを筆頭に多くの国会議員の方々は心の奥底では、いまだ東京裁判を認めて いないのかもしれません。(11.26)
12月のディナーメニューにクリスマス特別セットを二つ入れることにしました。 1.サンタセット ¥1500円  サラダ  カレー2種類   ダルスープ  シークカバブ または サモサ  ライス または ナン  ドリンク 2.トナカイセット ¥1000円  サラダ  カレー1種類  ダルスープ  サモサ または チキンティカ  ライス または ナン  ドリンク    12月のイベントのお知らせです。 12月9日 第6回「うたごえ喫茶」夜7時から9時過ぎまで       司会進行・伴奏 藤村記一郎 ¥1000円(ドリンク付き)   23日 ヒンドゥー&アラビアンナイト        バリダンスとベリーダンス(エジプト)無料       夜7時〜(30分ほど)   30日 塚本裕子(ひろこ)個展イベント       ヒンドゥー影絵       ペルー民族ダンス       ライブ など 無料       夜7時30分〜9時 (11.28) 

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