2006年2〜3月の「思い」

 日曜日に知人が私のためにギターを持って、来店しくれました。ありがたいことです。
弦が古くなっていたので、私のために弦を新品に替えようとしてくれていたら、なんと
ブリッジ(弦をとめる箇所)ごと本体から外れてしまいました。さあどうする?
彼が修理のしかたを教えてくれたので、後で私が修復することになりました。
言われたとおりにしたのですが、ブリッジと本体のすき間が大きく、ボンドを埋め込む
かんじで固定しました。翌日、弦を張り、さっそく練習です。息子に聞きながらの練習
です。今朝、私が店でギターの練習をしていたら、一軒となりのギター好きの知人が
来られました。ギター大好き人間の彼は私の練習用ギターを弾き「なかなか良い音で軽いし、
練習用ならこれで十分ですよ」と言ってくれました。ただ、ブリッジの浮きぐわいが気に
なるようで「12フレットあたりになると弦高が高いので弾きずらい」と言われ、
もう一度ブリッジを外して、サンドペーパーで磨き、膠(にかわ)で附け直すのがいいと
言われました。「膠(にかわ)」で附けるとは?昔はすべて膠で接着していたとのことです。
私の妻が日本画で膠を使うことを彼は知っていたのです。ギター本体の表面が少し湾曲して
いるので、水平に密着させることは難しいけど、ヤスリなどで削りながらやれば今よりも
良くなると言われました。「ギター自体は良いものですよ」といわれたことで気を良くした
私は再度、修復に挑戦です。今回は本体の湾曲を考慮して、本体をノミで削りながら、
ブリッジとのすき間をいかに少なくするかを考えながら、慎重に、かつ大胆に修復をしま
した。仕上げは膠(にかわ)を溶いた液体を妻が使用していたので、それを少し煮込んで
濃密にして接着剤として利用しました。今回は一昨日よりも本体に密着していますから、
弾きずらさは無くなると思われます。念のため明日まで重しを乗せて静かに放置しておきます。
18時間経過すれば弦を張ってもいいと思いますので、明日の朝弦を張ることにします。
何かとお客さんに助けられながらの人生ですが、楽しみがまた増えました。明日は吉田タクロウ、
井上陽水あたりの楽譜を古本屋で探して来るつもりです。これもお客さんからの情報です。
近くの某古本屋では60〜80年代の古い楽譜が安く買えるそうです。(2.1)

 ギターの修復を予定通りおこないました。前回より密着はしているのですが、調律を しているとメキメキときしむような、嫌な音がしてきます。これはいけないと思い、 他の方法で解決することにしました。一昨日のお客さんはブリッジが外れたときにボルト でブリッジを固定したと言われていました。さらに、ボルトに巻きバネでも付ければ、 共鳴していい音になるのではとも言っていました。これだ!と思い、穴をあけボルトで 固定をしてさらに巻きバネをギターの内側にボルトとボルトの間に取り付けることに します。サイボーグ・ギターになってしまいますが、より良い音になることを信じて 決行してみます。もし、共鳴しないようでしたら、バネは外します。  サイボーグ化は成功です。バネの共鳴も素人ですが微かにしているようです。ギターに 詳しい人が来られたら、弾いていただき感想をお聞きしたいものです。古本屋でダイアグラム (ギター用の楽譜)付の歌集を買ってきました。後はコードをきれいに弾きこなすこと です。手の小さいこと、太いことを克服していかなくてはいけません。日々努力です。 (2.2)
 サイボーグ化の件ですが、バネを固定しているナットがきつく締め付けれないので、 ゆるんできているのか?変な金属雑音が聞こえてくるような?ナットを締め付ける 工具がみつからないので手できつく締めただけなのが気になっていたのでした。 この際だから、バネだけ外すことにしました。これで完了です。ボルトはこのまま使用します。 当分ギターにはまりますので、話題が乏しくなることをご了承ください。コードGの小指とF の親指のバレー・コードがうまくいきません。ギターだこが指にできれば、楽になると インターネットの「ギターにはまる」初心者コーナで解説があったと思います。ギターだこ、 早くできれとばかりに弾いています。後何か良いアドバイスがあれば私まで教えてください。  昨日買ってきた古本楽譜の中で弾けそうなコードの歌を見つけました。「四季の歌」です。 このコードなら今の私の技量でも弾きこなせそうです。来週あたりには弾き語りができる ようになっているものと思われます。  ギターのことで、「良い音ですね」と常連のお客さんに今日も言われました。 そうなんです。なかなかいい音なのです。店で練習しているので、常連さんにはついギター 談義をしてしまいます。初心者のこわいもの知らずかもしれません。耳にたこができたら そのように言ってください。言われないと何度も繰り返し自慢話をするかもしれません。 (2.3) 
 ボルトで固定したのは正解でした。ブリッジの端のすき間に埋めていた膠に亀裂があり、 きしきしという音はこれだったのかもしれません。ボルトで正解でした。今日もお客さんと ギター談義をしました。その方も弾かれる方で、コードの話から演奏方法など、いろいろと 教わりました。ありがたいことです。休憩時間、二階の自宅で弾き語りの練習をしていたら、 妻が歌だけ聞かせてというので、結婚以来始めて、というよりも結婚前も無かったことです。 初公開でした。ボイス・トレーニングの効果が発揮されました。息子も聞いていたみたいです。 息子も風呂場で歌う練習をしているようですが、私は店の中と車の中で、どれだけ高音が発声 できるか挑戦しています。かなりの効果だと自負しています。素人の思い込みは怖いものが あります。変な自信となっているのですが、多少人前で上がるところがあるので、これぐらい の自信が丁度いいのではないかとも自己判断しています。家族に私の歌声を始めて聞かせた ことになります。これもギターの取り持つ縁かもしれません。弾き語りが楽しみです。(2.4)  
 指先が痛くなってきたら、休憩がてら書き込みをします。冬はインド料理店としては どちらかというと暇な時期なのです。ちょうどギター練習には良い時期でした。先日、 常連さんの紹介で来られた始めてのお客さんから、お礼?の意味を含めてなのだと思い ますが、韓国産の塩と海苔のセットを郵送でいただきました。暇な時間滞だったので、 いろいろな話を私がしたことへのお礼?なのだと思われます。ありがたいことです。 私の話で喜んでいただければ、この上ない光栄です。自分が楽しくなくては人を楽しませ ることはできません。今、ギターにはまっていることが、いろいろな意味で私を輝かせて いるのかもしれません。そのお客さんが、この夏にサマー・コンサートを企画して私にギター を弾いてくださいという要望がありました。その時は、いいかげんに? 「はい、いいですよ」と軽く返事をしていたのですが、こんなお礼をされては、いいかげんでは 失礼になってしまいます。本気で演奏するつもりで精進したいと思います。具体的に目標 を定めた方がいいのかもしれません。年末は自作の曲と詩で弾き語りをすることは公約と して掲げていましたが、今回は夏に古い歌(70年代)の弾き語りをすることを決めました。 他の演奏者を募って、私の初デビューをこの夏(8月の終わり当たり)に実施いたします。(2.5)
 三人展も終わりました。最終日の夜、展覧会を見に来られた人が10月に展覧会をされ ることになりました。これも山根さんと猪子さんのおかげです。少しづつでも利用者が 広がっていくことは、店の活性化にも繋がります。縁が繋がって行くように、私も努力し なくてはいけません。ギターもその延長上にあるものだと思っています。ただの遊びでは ないつもりです。  先日から読売新聞で「膨張中国」というテーマで記事が毎日書かれていることに気付き ました。第六回は「キリスト教徒」がテーマになっていました。「投獄覚悟の地下教会」 という題が付いていました。たまたま先月の中ごろに、常連さんが中国に帰国される中国 人を連れて来られたのですが、その方がこのキリスト教徒だったのでした。日本に来て 10年ほどで、その間アメリカに半年ほど行かれたときに、知人の紹介で教会に行き、 そこで仏教の良さを説明して行くうちに。ミイラとりがミイラにされてしまったのでした。 キリスト教を批判するには、まずはキリスト教を知らなくては攻撃できないと思い、いろ いろな書物を通して勉強していくうちに、逆にキリスト教に感化されたとのことでした。 キリスト教の話になると熱弁をふるい、霊体験を語るその方を見ていて、私とは違うなと 思いました。私が聖書の中にも矛盾しているところがあり、批判して、批判して、残った 中に真理を見つけたいというようなことを言うと、「聖書は神の言葉そのもので、すべて 真実です。」と主張され、私の言い分を理解できないようでした。これからも日本に 居られるのなら、ゆっくりと私の主張を説明していきたいと思いましたが、4日後に帰国 されるとのことでしたので、それで話は平行線のまま終わりました。縁があればまた会う ことがあるかもしれません。中国のキリスト教のこともそのときお聞きしました。新聞の 記事と同じ様なことを言われていました。中国のキリスト教徒が8000万人もいるとは 知りませんでした。その内75%が地下教会員というのは驚きです。国家が認可している 教会は共産党の支配下あって、純粋なキリスト教ではないとのことです。彼女も地下教会 に行くと言っていました。大変なことではないですか?と質問したら、小人数で集まる 分は、大丈夫と言っていました。新聞にも同じことが書かれています。中国政府も小規模 なものには黙認しているようです。もしかしたら、アメリカ政府は中国の弱点であるとこ ろの信仰、言論の自由が無いことを逆手にとって、密かにキリスト教による共産党崩壊を 計画しているのではないかと邪推したくなります。彼女はある意味純粋なのだと思われ ます。真っ白な心に、染み込む色は鮮やかです。純白なら純白ほど、染まりやすいのです。 宗教が乱立いている先進国にない純粋さのようなものが、信仰の自由がないゆえに中国に 残されていると言い替えてもいいかもしれません。道具として宗教が利用されることの ないように祈るばかりです。イスラム教は政治権力争いに利用されている節があります。 純粋な宗教ならば、風刺絵に抗議して暴動などは起こさないものです。 神のみ旨に従うのみです。アーメン。  常連さんで、ごく親しい人が来られ、ギターの弾き語りを聞きたいと言われたので 井上陽水の「夢の中へ」をゆっくりとしたリズムで歌いました。コードが早く 切り替えれないので、ゆっくりでもいいですかと了解を得てから、おもむろに 一番だけ弾き語りをしました。反応はなかなか良いお誉めの言葉をいただきました。 「ソフトな声だから、良いですよ」ということです。やった!という感じです。 (2.7)
 メール読書会「創世記」(その19)第5章1節から31節 2006.2.8  5章はアダムの系図の章です。第4章と5章に三通りの系図が記載されています。 4章17〜22、4章25、26と、この5章です。4章17〜22はJ(エホバ典) 資料で、あとの二つはP(祭司典)資料からです。J(エホバ典)資料ではレメクから 役割分担が別れ、各部族に分かれていくことが記載されていますが、ノアの記述があり ません。一方、P(祭司典)資料である5章ではノアまでの系図が記載され、レメクから ノアが生まれ、ユダヤ民族の部族が生まれた記述になっています。創世記の編集者は 各資料を網羅することでの矛盾よりも、記録としての貴重さを重視したのではないかと 思われます。正しい、正しくないの判断は人の思いでは推し量れないものがあり、神の み旨に任せる意図のもと、このような記述をあえて選ばれたのだと思いたいです。5章の 全部を系図に使っていることから、系図が重要な意味を含んでいることを暗示しています。 遊牧の民にとっては定住者よりも身分の証を求めるのは理解できることです。私は誰々の 子であって、何がしの子孫でありますと、明言できることが信用の一端を担っていたもの と思われるからです。P(祭司典)資料はいたって形式的だそうです。確かに5章は 機械的に記述されています。出てくる名は男子名だけです。いま日本国でも天皇の継承に ついて男系、女系と議論をかもしだしていますが、ユダヤでは男系系図だったのです。  素朴な疑問が起こってきます。アダムとエバから生まれたのはカイン、アベルとセツと なっています。カインは妻をめとり、エノクを授かります(4章17節)。 ではカインの妻は誰の子なのでしょうか? 神はアダムとエバ以外にも人を造られていたのでしょうか? それかアダムとエバの間に聖書に記載されていない子がいたのでしょうか?ありえます。 男子でない女子の名は記述から削除されていた可能性があります。 ではカインと結婚した女性は実の妹か姉だったことになるのでしょうか? このようなことは誰も探究していないのでしょうか?疑問が残ります。4章17節の所 ではカインが妻をめとり、彼女(名前は出てきません)はみごもり、エノクを生み、 カインは町を建てた、とあります。町とは人がかなり集まらないと成立しません。では その人達は何処から発生したのでしょうか?アダムの子・カインの時代にすでに多くの人 がいたことになります。矛盾です。アダムの系図以外にも人類の発生はあったと解釈しな くては矛盾が残ります。ただ、聖書に記載されていないだけなのだということになります。  あと生きた年齢がいまの常識と違って、かなりというか不思議なぐらい長生きをされて います。アダムは何と930歳まで生きたことになっています。このことで以前ある学説 から引用して持論を展開したことがあります。 以下にその書き込みを記載します。   新聞の記事から『人は何歳まで生きられるか?』 「地球上の生き物は、激しい環境変化に対処しながら進化してきた。ある環境に適応した 個体が長く生き続けるようになると、遺伝子の多様性がなくなり、大きな変化がきた時、 種全体が絶滅しかねません。個々の細胞が自ら死ぬことで個体の生命を維持している ように、私たちも限りのある命を生きることで、もっと大きな種の連続性を保っている のです。」大きな環境の変化に対して、種として適応するには寿命が長くてはいけない のです。人でいえば125歳が最長だということです。これは種の保存から、長い年月 をかけて遺伝子が作りだした摂理なのです。  ここから聖書の話と先ほどの新聞の寿命記事を絡ませて書きます。 アダムとイブ(エバ)が楽園・エデンの園から追放され、人類に死が与えられた。 楽園においては環境の劇的な変化は無く、人は死を知らずに生きていた。ヘビの誘惑に 負け、罪が人に入り、罰として死、労働の苦しみ、出産の苦しみなどが与えられ、楽園を 追放されるのです。逆に言えば、環境の変化(楽園からの追放)が結果的に人類に死、 労働、出産苦を与えたと言えなくもありません。環境の変化に対応するために、進化を してきたとも言えます。進化がもたらしたものは、良いことばかりではなく、諸刃の刃の ように、他方として滅亡の危機ももたらしています。普遍の園・エデンは進化もなければ 滅亡も無く、時は止まっていて、すべてが普遍なのです。エデンを追放された人類が生き 残る道は、寿命を縮めて(新聞記事からの引用)、環境に適応していく道だったのです。 (創世記の話をどのように解釈するかは別にして、聖書の記述に基づいて話は進めます。)  創世記五章5節にアダムの寿命は930歳と記されています。人の寿命が次第に短く なってきたことは、旧約聖書を読んでいけば分かります。旧約聖書の中程に記されている 「ヨブ記」によると、ヨブ記42章16節にヨブの寿命は140歳となっています。 イエスの時代はもう少し短くなって、現在と同じ寿命感覚だったと思われます。 これは偶然なのか?単なる私のこじつけなのか? 聖書では寿命がアダム930歳、ヨブ140歳と次第にイエスの時代に近づくにしたがい、 寿命が短くなってきています。環境の変化に適応するために、寿命を短くしたという新聞の 記事と不思議と一致しています。何かを象徴、暗示しているのか?推理していくと、 いろいろな物語が生まれてきそうです。このようなことからも、聖書という書物に興味が 湧いてきます。(2005年6月13日)  一年がいまの365日だったのか?という疑問があります。物理的に900歳までも 生きられたのか?疑問はあります。分からないことは分からないとして、疑問は残して 先へ進みたいと思います。この系図の中で21節〜24節のエノクと28節のノアの二人 だけが、特に神に祝福を受けた人だったようです。ノアについては6章で有名な方舟の話が 出てきます。次回はこの「ノアの方舟」の話になります。(2.8)
     私のギター談義です。Fコードが多少ですが弾けるようになりました。まだ雑音が混じった 和音ですが。先週に比べれば進歩しています。井上陽水の「傘がない」をコピーしたくて 練習を始めました。FコードとBmコードが曲者ですが、挑戦する価値はあります。 コードだけの練習は飽きてきますので、曲を歌いながらのコード練習にはうってつけです。 「傘がない」は意味しんな内容です。一種のブラックユーモアかもしれません。 あまり陽水のことを知らないので、意見を言うと間違ったことを言う可能性があります。 素人の感想です。

 今日の昼は久しぶりのお客さんが来られました。8年ぶりあたりになります。
瑞穂の時はよく来られていたのですが、梅森に移転してからは少し来ずらくなったようです。
彼女と話しだすと、話題がつきません。今回は8月にガンガーで親子二人展をされることに
なりました。私の弾き語りライブもこの展覧会期間中に行う予定です。彼女は書道家で、
息子さんは4歳の幼稚園児です。モーツアルトは4歳で作曲をしていたとか、同じく4歳で
作品展をされることに親としての嬉しさが込められているのだと思われます。8年間の
ブランクを感じさせない会話でした。(2.9)
 ギターだこが出来つつあるのですが、人差し、中指が痛くて練習ができません。 「痛いときは練習をしないことです」と常連さんのギター教室の先生が言っていたことを 思い出します。眼我通信16号もそろそろ発行しなくてはいけませんが、さしたる書き 込みもないので、もう少し内容のある記事が書けるまで発行は待ちたいと思います。  お客さんから借りている本を一冊読み終えました。終わりのところがちょっと早足で、 もっとじっくりと書いてほしかった気もしますが、心地よいさわやかさが残る作品でした。 後、二冊預かっているので、気が向いた時に読むつもりです。(2.11)
 今週はメール読書会を休みます。ギター漬け状態で、書く意欲が起こりません。関係者 には申し訳ありません。来週は発信しますので、宜しくお願いいたします。ギターだこが 出来ました。Fコードもほぼ弾きこなせます。今挑戦してしているコードはBbです。 歌のレパートリーも増えつつあります。「夢の中へ」「傘がない」「心もよう」 (井上陽水)あと加藤登紀子が歌っていた「知床旅情」と森山良子の「この広い野原いっぱい」 ここでBbコードとBbmがでてきますが、まだBbmの方が私には多少弾きやすいです。 指の柔軟体操?を考えだしました。弾きながら、休憩してはこの指運動をしています。 後、ボイス・トレーニングも行っていますが、これが正解でした。何が正解かというと、 素人の発想で行っていたことが、ほぼ正解だったのです。インターネットで調べたところ、 なんと私の独学持論とプロの方々の意見がまったく一致していたのです。我ながら驚きます。 動物的直感?は衰えていませんでした。歌を唄うには、唄うための体力が必要ということ です。昨年の11月からやってきていたスクワット、腹筋運動(特に足上げ運動)、 腕立てふせ、これらがいいのです。あと、発声練習も喉に力をいれなく、いかに気管支を 腹で響かせるか?これです。あと私がやっていることは、楽譜を見ない(読めないので、 見たくないのもあります)で、耳で聞くかです。耳で聞いて覚えるのです。ギターの3弦の 開放音が音階の「ソ」なので「ソ」だけは、調律しながら耳で覚えるようにしています。 私のガンガー・デビューは早まるかもしれません。  お客さんから薦められていた本を二冊読み上げました。猫が主人公の「ゆきの山の惨劇」 (猫探偵正太郎)はおもしろかったです。猫好きな人にはお薦めの本です。所どころ笑えます。 あと「ふたたびの虹」こちらは大人のほろ酔い恋愛物語とでも言えばいいのか、中年の恋 物語でした。これも読者を引き付けるツボを心得ていて、心憎い作品です。軽く読み流すには いい作品でした。(2.16)
 わたしの弾き語りデビューが決まりました。3月30日夜7時からです。帽子デザイナー 山崎さんの個展打ち上げパーティーを借りてのデビューです。演奏者は4〜5人ほど出演する 予定です。昨日は私にギターを提供してくれた知人が来られ、演奏の助言をいただきました。 ちゅっとしたことですが、実に演奏がうまくなったような錯覚をする演奏方法の助言でした。 ギターを弾き慣れている人には当り前のことですが、素人の私には新鮮でした。弾き語りが 現実味をおびてきました。後は慣れです。コード・チェンジがスムーズになってくれば本格的な 演奏らしく聞えるはずです。まだまだ雑音が混じっているので、ちゃんとした左手の押さえも 習得しなくてはいけません。課題を持って練習していくことが上達する秘訣の一つだと思っています。 後、耳の聞く力をいかに養うかが大切だと思っています。これは感性の問題もありますが、一つは 相手のことを思い遣るやさしさ?が問われるのかもしれません。ここで言う相手とは演奏者に対しての ギターから出る音を指しています。音へのやさしさ?とは、実に変なことを言っていると思われる かもしれません。音をよく聞くということです。自分が出す楽器の音、自分の声をよく聞くというと ことです。今のところはそのような問題意識を持ちながら日々練習に明け暮れています。(2.20)  
 久しぶりです。ギターにはまって、楽しくて、書く興味が私の中に起こってきません。 メール読書会も二週休んでいます。関係者とわたしの書き込みを楽しみにしてくださっている方々 には申し訳ありません。当分、今の状態が続きそうです。3月30日の私の初ライブまで書き込みは 出来にくい状況です。一様、人様にお聞かせするからには、それなりの完成度で望みたいと思って います。以前と比べたら、かなり上手になっていますが、弾き語りとしてはまだまだ、たどたどしい かぎりです。しかし、練習をすればするだけ上手になっていくのが分かるので、楽しくなります。 お客さんからのリクエストで「神田川」(かぐや姫)を一昨日から練習しています。コードチェンジも かなりスムーズにできるようになってきました。あと「結婚しようよ」(吉田拓郎)もリクエストを 受けているので、次は「結婚しようよ」です。(3.1)
ホームページ書き込みはしばらくぶりです。 ギター演奏に精出しているため、他(書き込み)のことがおろそかになっています。メール読書会も 休会中です。3月30日のライブまではギター漬け状態になっていると思われます。読者の方々には 申し訳ありませんが、しばらくの間お待ち願いたいと思います。演奏するからには今出来る最大限の 努力を演奏にそそぎ込みたいと思っています。日々少しずつですが上達しています。自分の演奏が 日々上達しているということが客観的に理解できることが、演奏に引き込まれる理由なのかも しれません。3月30日のライブは「帽子とギターの集い」ということで、帽子は山崎晴子さんの オリジナル帽子の展示で、演奏者は私を入れて7名のギター奏者です。夜7時から9時までです。 私は7時になったら一番に弾き語りを3曲します。井上陽水の「夢の中へ」「傘がない」と新谷のりこ が歌っていた「フランシーヌの場合」の替え歌をうたいます。興味のある方は夜7時にガンガーまで 来てください。(3.10)
 久しぶりです。ライブのギター演奏の準備もほぼ出来たので気が楽になってきました。 演奏はパフォーマンスとして、下手な技術を熱い想いでカバーする私の姿を見てもらう ことが主です。演奏自体は下手ですが、下手なところを見てもらいたいのです? 演奏も表現の手段の一つであって、伝えたい「思い」があっての演奏なのです。演奏が未熟な のに伝えたい「思い」がある者の演奏は見物かもしれません。上手な人の演奏はそこら辺で、 誰でもしていることです。下手な人の演奏は見物です?常連でギターの上手な人が、先日来られた ので、私の演奏を聞いていただきました。「マスターの演奏がいまのままであり続けることが 出来たら良いのに・・・、半年、一年と経って、普通に上手に弾くようになると、つまらない」と 言われました。下手なのに味があるということらしいのです。 下手な分、弾きたいという熱意が、もろに伝わってくるということなのかもしれません。 人は学習して成長する動物です。幼子の純真さは成長と共に薄らいでいくものですが、 純真さを保ことを意識して、努力すればその純真さは成長しても失われないものだと思います。 私の狙いは、下手な私がどのようにして上手になっていくか、その経過を見ていただきたいのです。 半年後、一年後と夏のライブ、冬のライブと演奏していくつもりです。  体調の変化について一言、昨年から始めたスクワット、腕立てふせと腹筋運動の成果が思わない ところで効果を発揮しました。それは骨盤のズレが修正されたということです。スクワットで毎日 40から60回屈伸運動をしていたら、腰の周辺筋力が骨盤のズレを矯正してしまったのです。 自覚できるようになったのは2週間前からです。以前は、お姫様座りで右に足を出す ことは問題なくできていたのですが、足を左に出すには窮屈な痛みを伴わなくてはいけません でした。それが自然とできるようになったのです。先月あたりから、腰に多少の違和感を持った ので、意識的に腰を左右に動かしたり、お姫様座りを左足出しで座ったりしていました。すると、 ときたま骨盤がコッキと鳴ったりもしていました。車を運転していても右に少し片寄っていた 中心線が、真直ぐに修正されたのが雰囲気で分かります。お姫様座りも、左右問題なく座れます。 斜めに見ていたものが、真直ぐになってきたのです。これは新しい発見です。腹筋でボイス・ トレーニングも出来るようになったし、体重もいつのまにか3、5キロ減量になっていました。 いいことずくめです。(3.28)
 今日はライブの日です。平常心で演奏することに専念いたします。 演奏曲は「ガンガーの店へ」(夢のなかへ)「金がない」(傘がない)と替え歌と、 もう一曲は迷いましたが、初に決めた「フランシーヌの場合」の替え歌を演奏します。一時は 自作の詩の語りにするつもりでしたが、いろいろ考えたすえ元にもどしました。平常心ならば 弾き語りできるはずです。安藤美姫の四回転ジャンプよりも成功の確率は高いと思っています。 練習では五回に四回は成功しています。(3.30)
昨日のライブは盛況でした。出演者、お客さんから「マスターはいまのままでいるべきだ」 「上手にならなくて、ずっといまのままでいてほしい」という意見をいただきました。 ギターの演奏が上手にならないほうがいいとは?いまのままがいいとは? 一体どうゆことなのか?理解に苦しむ感想をいただきました。何かしらの感動を与えたのは 間違いありません。ただ、自分では何がいいのか?まったく理解できません。ただ、 必死に演奏していたのは自覚しています。その姿に感動を受けたのでしょうか? ドレミの音階も弾けない私は、ただ自分の詩に曲を付けたい一心で、弾き語りのコードを ジャラジャラ弾いて、替え歌を熱唱していただけです。替え歌「金がない」も 「ガンガーの店へ」も、おおうけでした。すべての演奏者の演奏が終わった後に、予定外の アンコールを受け、私は二度も演奏してしまいました。アンコールなど想定していなかったので、 二度目の演奏では疲れてしまいました。昨日の今日、大役?を果たして疲れています。 昨日の「いまのままでいてほしい」という意見の検証をしなくてはいけません。  前原代表の辞任、永田議員が議員辞職で決着をつけるみたいですが、前原さんの責任は 大変重いものです。西沢といういかがわしい人物を信じた?永田さんんも問題ですが、 懲罰を再三受けながら、懲りない永田さんの意見を信頼した前原さんも問題です。厳しく 言わせていただければ、今回の民主党の大失態はすべて前原代表の党首としての資質欠如 から起こった出来事です。危機管理能力のない人物が中国脅威論を論じても、説得力は ありません。自分の危機管理が出来ない人間(前原)が国家の危機論を論じる愚かさを 見た思いです。永田さんは問題外です。(3.31) 
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