2006年4月の「思い」

 
 昨日(3月30日)のライブは盛況でした。出演者、お客さんから「マスターはいまの ままでいるべきだ」「上手にならなくて、ずっといまのままでいてほしい」という意見を いただきました。ギターの演奏が上手にならないほうがいいとは?いまのままがいいとは? 一体どうゆことなのか?理解に苦しむ感想をいただきました。何かしらの感動を与えたのは 間違いありません。ただ、自分では何がいいのか?まったく理解できません。ただ、 必死に演奏していたのは自覚しています。その姿に感動を受けたのでしょうか? ドレミの音階も弾けない私は、ただ自分の詩に曲を付けたい一心で、弾き語りのコードを ジャラジャラ弾いて、替え歌を熱唱していただけです。替え歌「金がない」も 「ガンガーの店へ」も、おおうけでした。すべての演奏者の演奏が終わった後に、予定外の アンコールを受け、私は二度も演奏してしまいました。アンコールなど想定していなかったので、 二度目の演奏では疲れてしまいました。昨日の今日、大役?を果たして疲れています。 昨日の「いまのままでいてほしい」という意見の検証をしなくてはいけません。  前原代表の辞任、永田議員が議員辞職で決着をつけるみたいですが、前原さんの責任は 大変重いものです。西沢といういかがわしい人物を信じた?永田さんんも問題ですが、 懲罰を再三受けながら、懲りない永田さんの意見を信頼した前原さんも問題です。厳しく 言わせていただければ、今回の民主党の大失態はすべて前原代表の党首としての資質欠如 から起こった出来事です。危機管理能力のない人物が中国脅威論を論じても、説得力は ありません。自分の危機管理が出来ない人間(前原)が国家の危機論を論じる愚かさを 見た思いです。永田さんは問題外です。(3.31)
 きょうから4月です。自分の演奏を聞いてみたくなりました。 30日のライブではどうだったのでしょうか?私にギターを提供してくれた太田君が録音のための ミキシング?を、これまた提供してくださるようです。感謝です。メロディーが浮かんでも、 五線譜が読み書き出来ない私としては、浮かんだメロディーを録音するしか方法がありません。 まだ具体的にメロディーが浮かぶわけではありませんが、日頃から心がけていきたいと 思っています。詩の場合は思いついた言葉を紙に書き留めます。後からその言葉に肉付けをして いきます。同じようなことが音の場合でもいえると思います。(4.1)
 常連さんで、ライブに来られなかった方々から感想を聞かれますので、 「自分としては満足した演奏が出来たと思っています。」 「いまのままでいてほしいという感想もいただきました。」というお客さんの感想も 忘れずに付け加えています。4月1日土曜日の夜は8時過ぎからライブの店開きでした。 初日で口コミのみの宣伝なので、私を含め4人ほどでした。瀬戸の安藤さんはジャズなど 彼の得意な曲を披露してくださり、「せっけんクラブ」の富田さんは60年代の懐かしい フォークを弾き語りで披露してくださいました。わたしは井上陽水の「心もよう」を少し だけ(まだ弾きこなせません)披露しました。あと定番?になりつつあるところの 「金がない」もやりました。富田さんが30日のライブに来られなかったので、彼のため に「金がない」を披露しました。(4.4)
 ギター演奏ライブのために長らく休止していたメール読書会を再開しなくてはいけません。 同じく眼我通信もNo.15で止まったままになっています。今日はまず、メール読書会を 再開いたします。後日、眼我通信No.16も発行したいと思います。長らくお待たせいたしました。    メール読書会「創世記」(その20) 第6章1節から4節まで。2006.4.5 人が増え始め、女の子も増えたことは1節から理解できます。次の2節には 「神の子が娘を好み(趣向)で妻にした。」とあります。これはどのように解釈すれば いいのか?神の子=天使とみていいのか?私はそうではなく神の子とはイスラエル民族の ことを表わし、後に明記される選民思想(特別に選ばれた民族)の思いからこのような 表記になったのではないかと推測します。イスラエル民族が他の民族の娘と交わり、 混血児?が生まれたということではないかと思います。他の民族と交わることを神は良し としなかったということです。そして、3節に驚く記述がなされています。 人の寿命を120年と定めるということなのです。以前、人の寿命についての記述をした 私としてはこの記述を見つけ、なぜここにこのような記述がぽつりとなされているのか? 不思議に思えてきました。5章の系図でアダムが930歳で亡くなった、とかいう記述が あまりにも現実的でないので、ここで訂正というようりは、話に現実味を出すため神の罰 という理由で900歳から120歳へと実際の寿命にも戻したというのが真相ではない かと推測します。民数記13章33節にこのネピリムという巨人伝説の記述が あるそうです。巨人英雄伝説はいたる地域に存在します。自分達よりも優れた民族を そのような異形の民族として捉えていたのではないかとも推測するしだいです。(4.5)
 今朝の読売新聞の一面に「ユダは裏切ってない?」という記事が出ていました。 米国の科学教育団体が1700年前の「ユダの福音書」の写本を解読したという内容です。 13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書にはユダは12 弟子の中でも特に優れていたのでイエスによって選ばれ、密告するようにイエスによって 指示を受け、実行したということです。2世紀に異端の書としてキリスト教会から追放 された福音書です。近年世界的にベストセラーとなった「ダ・ビンチコード」もこの類の 異端書をモチーフにした書物です。イエスの指示でユダが密告したとなると、聖書の 福音書の記述、イエスのメシア像がおかしなものになってしまいます。ようは、これは 異端書にすぎないので、別な意味でキリスト教史の一端を示しているということでは価値 があるかもしれません。  昨日のメール読書会で気になることがあります。 「創世記」6章3節に「彼の年は120年であろう」と記載されていますが、120歳と いう数字はどうして120?なのか気になります。以前寿命についての記述のときに、 遺伝子の分裂回数の限界が寿命の限界であって、最新の現代科学で探究した結果、人の場合 は125歳が最長寿命ということです。2500年以上前の時代に120歳を限界と決めた この記述には驚かされます。統計をとって120歳が最長だったというわけではないはず です。誰かこの数字120について何か知っていることがあれば私までお知れせ下さい。  民主党の新党首が決まりました。小沢一郎さんです。さあ、真打ち登場となるのか どうか?挙党体制を強調していますが、菅さんがどのポストにつくのか?興味があります。 (4.7)
「わたしは変わらなくてはいけない」という民主党代表小沢さんの言葉が、 どこまで真意なのか?学習して、自己の欠点を克服する覚悟はあっても、現実として 出来るかどうかは別の話です。小沢さんの手法を拝見させていただくことにします。  時間が許すときは、常連さんの前で生演奏をしている私です。興味のある方は暇な 時間を見計らって来てください。それか、土曜日の夜8時半から11時までガンガーの店は ライブハウスに変わりますので、その時でしたらゆっくりと私の演奏を鑑賞?できると 思います。昨日の土曜日は一軒隣の伊藤さんが森山直太郎、山崎まさひろ?の曲を5〜6曲 弾き語りされました。上手な方の演奏を見るのも勉強になります。(4.9)
 お客さんからお借りしていた本、「桜さがし」「観覧車」著・柴田よしき、他の二冊は 早々と読み終えたのですが、この二冊だけちょうどライブの前だったので、読み終える のが伸び伸びになってしまいました。昨日一応、読み終えました。ただ、全部を読んだ わけではなく、短編集なのでシリーズのメイン(本の題名になっている短編)だけを 読みました。長く借りていたので、お返ししなくてはいけません。でも、返すとなると また、何か面白い本でもあれば、お借りしたくなってしまいます。  ギターの演奏がこれ以上上手になってほしくないというご要望に答え、珍答を思い付き ました。左手でコードを押さえ、右手で奏でる。この逆をやってしもうということです。 様は左利きの演奏に挑戦ということです。右利きでは今まで通りの演奏で上達のための 練習します。一年ほどして、かなり?弾けるようになったら、こんどは逆手での演奏に 挑戦するのです。右と左で同じ人間が弾き語ると、どうなるかという実験です。それには ギターがもう一つ必要になります。左ようのギターを手に入れなくてはいけません。普通の ギター弦を1から6逆に張ればいいのだと思います。一年後あたりに新しい?ギターを手に いれるように努力したいと思います。一昨日の夜ばライブで演奏して下さった伊藤さんの ギターをちょっと弾かせてもらったのですが、実に弾きやすかったです。音の響もよく、 定価10万だけはあります。彼はギターの目利きにもかなりの実力者なので、値段に 関係なく良い音のギターをコレクションしています。14本ギターを持っているとのこと です。今の私の持っているギターよりも良い音のギターを、できたら手に入れたいもの です。そうすれば今のギターを左利きように弦を張り替えればいいのです。一年後あたり をめやすに挑戦してみたいと思います。  今のギターでちょっと弾く格好だけしてみたら、あることに気付きました。爪です。 右と左で手の爪の長さがぜんぜん逆なのでした。左手はコードを押さえやすくするために、 ぎりぎりまで爪を切り込んでいます。一方、右手は弦を弾きやすいようにかなり伸ばして います。これが左利きでの演奏を難しくします。伸びた爪の右手でコードを押さえること は不可能です。左利きで弾こうとするとこの伸びた爪がじゃまになってきます。よって、 この発想は不可能?ということになります。ご愛敬でなら、多少はできるかもしれません が、それでは私の意図したこととは違ってきますので、この企画は中止にします。(4.10)
メール読書会「創世記」(その21) 第6章5節から10節まで。2006.4.12 前回のメール読書会で気になることがあります。 「創世記」6章3節に「彼の年は120年であろう」と記載されていますが、120歳と いう数字はどうして120?なのか気になります。以前寿命についての記述のときに、 遺伝子の分裂回数の限界が寿命の限界であって、最新の現代科学で探究した結果、人の場合 は125歳が最長寿命ということです。2500年以上前の時代に120歳を限界と決めた この記述には驚かされます。統計をとって120歳が最長だったというわけではないはず です。偶然なのだと思いますが、不思議なことです。5節に主(神)は人の悪が地にはびこり」 とあります。ここでいう悪とは6章1節からの流れからして、男女の性的乱れを指している ものと思われます。エデンの園を追放されたのも、知恵の実を食べ、性に目覚めたからという 説も唱えられるように、性欲の乱れを宗教では大変嫌います。宗教の純血を守るための戒律 ということかもしれません。異端の書にイエスに妻がいて、それがマグダラのマリアで、二人の 間に子もいたということが書かれていることを、推理小説風に拡大解釈したのが、世界的 ベスト・セラーとなった「ダ.ビィンチ・コード」だと私は思っています。6節「主は・・・ 悔いて、心を痛め、」とあります。自由意思を与えたことを悔いる神というのも、なにか人間的 です。親が子の放蕩に悩むようなものです。人の親はだからといって、出来の悪い子を抹殺する ことは許されません。でも、神はされたのです。ノアの家族を除いて、人をすべて抹殺したことに なっています。恐ろしいことです。10節に「ノアはセム、ハム、ヤベテの三人の子を生んだ。」 とあります。記述方法として父親の名しか出てこなくて、母親の名は記載されません。父親のノアが 子を生んだわけではなく、母親の名を記述しない習わしのようです。11節からが、有名な 「ノアの方舟」の話になります。 今朝の読売新聞の記事で鋭い?指摘をされている「現代おとな考」鷲田清一(大阪大学 副学長・ 哲学、倫理学)の内容を大ざっぱに纏めてみました。 耐震偽装問題から偽メール事件と地位ある人の幼稚さ、事件を起こした当人も、糾弾する 人たちもどこかとても幼稚に映る社会。自活能力がない人でも、政治家や経営者になれる 世の中、「一人前」にならなくても何となく生きていける、セーフティーネットによって 保護されている世の中?「福祉充実」の裏側で、働くこと、調理すること、修繕すること、 育てること、看護すること、介護すること、これら生きていく上で、欠かせないこれらを 人々は社会の公共サービスに委託している。これらを福祉の充実と世間ではいうが、裏を 返せば、各人がこれらの自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。人が幼稚でも、 ある程度の地位にいられるのも、これらのシステムに身を委ねているからだ。このたびの 事件の数々は、そうしてシステムを管理している者の幼稚さを表に出した。 ナイーブなまま、思考停止したままでいられる社会は、じつはとても危うい社会である ことを浮き彫りにしたはずなのである。 「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた 後、安心して 絶望の方へ走っている」 17世紀フランスの思想家、パスカルの言葉はいまも異様なほどリアルだ。 人はもっと「おとな」に憧れるべきである。これ以上向こうに行くと危ないという感覚、 あるいは物事の軽重の判断、判別、これらをわきまえてはじめて「おとな」なのです。 「おとな」の社会でないと他方の大事なもの、「未熟」は護(まも)れない。 (ここでいう「未熟」とは芸術をはじめとする文化のさまざまな可能性を開花させた 感受性を指していると思われます。「幼稚さ」とは違うものです。)(4.12)
 ギターの弦高をより低くするために、ブリッジに付いている弦の支板?(プラスチック) を削っていたら、低くしすぎてしまいました。たまたま、昨晩伊藤さんが来られて、私の ギターを弾いていたら、弦が他のフレットにさわっているとの指摘を受けました。 1弦と3弦がシタール(インド楽器)のようなビヨ〜ン、ビヨ〜ンと他のフレットに さわって、怪しげな音を奏でることが判明しました。言われるまで気付きませんでした。 元にもどすには?パーツを買ってきて、交換するように伊藤さんは言われました。それも 確かに確実な解決策ですが、私はブリッジの弦を支えている板(プラスチック)をずらす ことで、応急処置をすることにしました。後日、伊藤さんから教えていただいた、近くに あるマニアックなギターパーツ屋さんで、その部品を買ってくることにします。今朝、 さっそく、私が考案した応急処置をしたら、これまた予想どうり、うまくいきました。 弦高もぎりぎりまで落すことに成功しました。弾きやすいギターに変身しました。 いろいろ加工していけることは重要なことのように思えてきました。いい音を出すには どのようにしたらいいのか?創意工夫することで、幾分か楽器との一体感?が生まれて きたような気がします。一昨日の「自活能力」という言葉が気になっていたのですが、 自分で何事も創意工夫して、解決していくことを意味しているのではないかと思います。 ギターの弦高を修正することから以上のようなことを思い付きました。(4.14)
   昨日、中日新聞の折り込み記事にガンガーのモーニング記事が掲載されました。 そのため、今朝のモーニングはパニック状態になってしまいました。何よりも、疲れました。 明日あたりも用心しないといけません。最善を尽くしますが、何分一人でこなさなくては いけないので、大変です。今日も対処できなく、オーダースットプにしてしまいました。 申し訳なく思います。運悪く帰られた方たちが、暇な時に再度来られることをお祈り いたします。今日のライブは?(4.15)
今日も大変でした。対処出来ないこともあり、ご迷惑 をお掛けしたこと思います。一組だけ帰って行かれました。またの起こしを? 昼も忙しくそれでも暇になると、熱唱する私でした。「神田川」をそろそろ披露できそうです。 昨日のライブはジャズの安藤さんと弾き語りの伊藤さんが演奏してくださりました。 豊川から、わざわざ来られた方のために、私はいつもの歌を熱唱し、安藤さんの伴奏で 私の詩の朗読もしました。11時まで語り、歌いました。(4.16)
 昨日のライブでお客さんが帰られた後で、伊藤さんと安藤さんがギター談義をされ、 伊藤さんが安藤さんのエレキを弾いていたら、こんなに弦高が低いとフレットに触って しまうよ!と言われました。安藤さんが「僕はそんなに強く弾かないから、大丈夫ですよ」 と言われ、ジャズを弾き始めたときに、先輩に注意されたのが、強く弾かないようにと いうことでした。伊藤さんが弾くと他のフレットに触ってしまうのです。 そんなに低くしても弾きこなす安藤さんはすごいのかもしれません。彼曰く「野球でも、 柔道でも、剣道でも、名人は力をいれなくて、タイミングで打ち、投げることができる のと同じで、ギターもタイミングよく弾けば、力を入れなくても十分弾けます」と いうことです。右手と左手のタイミングを意識しながら、リズム良く弾たいものです。 これからは、無駄な力を抜いて、タイミング良く弾きこなすように努力したいと 思います。意識して練習するのと、ただむやみに弾くのとでは、長い目でみると違いが でてくるものと思います。(4.17)
 昨日は2時からガンガーが休みなので、ギターのサドルを買いに(息子も試験日で、 早く帰ってきたので)息子といっしょにマニアックなギターショップ屋さんに行きました。 サドルのサイズがいろいろとあるのではないかと思っていたのですが、やはり!100円 だったので、少し大きめ?で一番あいそうなものを選んできました。息子は店に入るなり すぐに外に出ていき、外で待っていました。店内が殺風景?パーツも限られたものしかなく、 入り口にギター教室の案内があったので、オーダーメイドのギター制作と教室で生計を たてているような?ちょと変わった感じのお店でした。息子は一目で、それらを察した ようでした。息子はエレキギターを見たかったようなので、後から近くの中古楽器 ショップ屋さんへ見にいきました。夕方、買ってきたサドルを紙ヤスリで微調整してから、 ブリッジにはめると、嘘のようにぴったりとサイズがあいました。チュウニングして、 弾いてみると、替える前と音の響が違っていました。かなり良くなっているのです。 サドルの材質の違い?はまりぐわい?結果オーライです。一段と良い響となった私のギター です。後、改良の余地があるのはブリッジ本体です。ギターを頂いて、最初に修理をした ところですが、素人判断でした修理なので、もっと良い方法があるはずです。友人でギター 制作職人の青木さんが秋に実家の豊田に帰って来られたら、より良い修理方法をお聞き したいと思っています。さらに、良い響のギターにする方法を彼なら知っているはずです。 (4.18) 
 昨日から首が回りません。異常に肩が懲り、そのせいで首がまわりません。 妻は50肩ではといいますが、私はギターの弾きすぎからきているものと思っています。 以前も、一度ありました。体調もおかしくなりそうなので、しばらく(首が回るように なるまで)ギターの練習は休もうかと思っています。1、2日で良くなるものと思って いあます。  昨日は、オカリナのすごい演奏者が来られ、自分の曲を2〜3曲吹いていかれました。 先週来られたお客さんで、そのとき私のギター演奏を聞いていただいたのでした。 オカリナをされることは、そのときお聞きしていました。でも、こんなに本格的とは 思っていませんでしたので、驚かされました。本来はサックスが専門で、次がオカリナ、 インドの笛(名前を言われましたが、忘れました)その次がギターかなって言われ、私の ギターを弾かれ「いいギターですよ」と言ってくださいました。一昨日サドルを替えた ばかりで、音が良くなったことを彼に言ったところでした。「楽器を大切にあつかうこと は、良いことですよ」と言われ、彼のオカリナへのこだわりも聞くことができました。 オーダーメイドのそのオカリナは普通の人が吹くと、音程が一定しないので、演奏する には難しくなるように、わざと製作者に依頼して作ってもらったそうです。既製品の オカリナは吹くと一定の音がでるように作られているけれども、彼の場合は、そうでは なく不安定な音に魅力を感じていて、自分の吹き方?で音が変化するように特注で作って もらったということです。そのこだわりの彼が私のギターを上手に弾かれ、音の確認を され、「いい音ですよ」と言ってくださり、「上手に修理されましたね」と言って 下さったときは、嬉しさを覚えました。バンドを持っていて、オカリナの演奏会を ガンガーでしたいとも言われました。音響の確認のために、オカリナを吹かれたようでした。 この広さなら生演奏でちょうど良く、家が近いことも何かの縁かもしれません。 新しい音楽仲間が増えました。感謝です。  メール読書会「創世記」(その22) 第6章11節から22節まで。2006.4.19 ノアの記事はJ(エホバ典)資料とP(祭司典)資料の二つの資料を平行して記載して います。それぞせの違いがありますが、矢内原忠雄の解説によると同じ一つの資料から 時期がずれて伝えられたことによる違いではないかと書かれていました。 要は、バビロニアの洪水伝説(ギルガメシュ)が時代を超えてヘブル人に伝えられ、古い J資料は紀元前9世紀の中頃で素朴で自然体である、一方P資料は紀元前5世紀中頃で 形式をこのみ、儀式典礼に関することが多く記載されています。 11節「乱れ、暴虐が地に満ちた」とあります。何をもって、乱れ、暴虐と判断するのか? 神の言葉ということから、神がそのように判断したということです。さあ神とは? いかなる存在かということになります。  今日は肩懲りで首の周辺が痛く、体調がよくありません。明日この続きを書きたいと 思います。(4.19)
 昨日の読売新聞に「歌うオヤジ、フォーク回帰」という見出しがありました。 フォーク酒場なるものが、40代、50代の男性たちで活気を得ているという内容でした。 私の場合は彼等とはちょっと違うのです。フォーク酒場で弾き語りをされる方達は青春時代 にギターを弾いていて、社会に出てから弾くことを止めた人達が復活をしだしたという ことです。一方、私は青春時代にまったく音楽と無縁だったのです。本当に2ヵ月半前 までは演奏などもってのほかでした。26歳の時に何を考えたか?6ヵ月ぐらいピアノの 練習をしたことはありました。これも挫折?というか興味がなくなったので、すぐに止め てしまいました。まあ、経緯は違いますが、歌うオヤジに違いありません。ただ、 フォーク回帰ではなく、私にとっては新鮮な音楽としてのフォークです。  昨日のメール読書会の続きを書きます。 エデンの園での記述は神話の域を出ません。聖書編集にあたり、いろいろな資料を折り込み ながら、ユダヤ民族としての創造神話を確立したのだと思います。そこには信仰という 柱がすでに確立していて、神に選ばれしユダヤ民族をいかに言い表すかということに重点が 置かれていたものと思われます。神は自分のかたちにかたどって人を造ったと明記して います。ここで言う人とは選ばれしユダヤ民族を指していて、他民族は眼中にないものと 思われます。神話においてどこまでが真実かなど読み取れません。そうありたいという 願望も多分に含まれていることと思われます。神と人(ユダヤ民族)が一体となって、 イスラエル国を作り上げた経緯を編集者は意図していたものと思われます。地上が乱れ 暴虐が満ちた、とは神への信仰が薄れたことを嘆いていて、裁きという神の審判を持ち出す ことで、人への啓示を差し示していたのだと思われます。ノアという敬虔な信者を擁護する ことで、神への信仰を要求していたとも言えます。信仰を護ることで、ユダヤ民族は 救われるということです。洪水伝説は世界中にあります。「ノアの方舟」はユダヤ民族の 洪水伝説であって、信仰をもって人は救われることを表現しているのだと思います。 「ノアの方舟」の種本はバビロニアの洪水伝説(ギルガメシュ叙事詩)であることは 研究者によって公表されています。内容の一番の違いはバビロニアでは10番めの王様が 生き残るそうですが、聖書ではノアという平民であることです。ただ、ノアは信仰において最も 正しい者であったことが特質しています。(4.20)
 今朝の朝刊に先日書き込みで取り上げた 「ユダの福音書」が大きな記事で取り上げられていました。私の私見と同じような解説が なされていて、さほど新しい事実関係は出ていませんでした。では何故、「ユダの福音書」が異端の 書なのかを私なりに分析いたします。全文を読んでいないので、反論される人もいられる かもしれませんが、一点だけ指摘すればそれで説明はいらないほど、ある意味分かりやすい判断 方法です。以前、知人から「トマスの福音書」なるものの全文を送ってくださった方がいて、 そのときも異端書の特徴を感じていました。要は、異端書はその著者を第一の弟子と持ち上げている ところです。他の弟子と比較して、トマスを第一の優れた弟子だと誉め、ペテロ(カトリックの教祖?) をけなしていました。後、十字架と復活についての記述が無く、異端の理由はその辺にあります。 今回の「ユダの福音書」でも、ユダを特に優れた弟子で、だからイエスに選ばれて密告したとの記述は 異端の最たる理由です。聖書に精通していない人には大したことではないと映るかもしれませんが、 イエスがメシア(救い主)かどうかはキリスト教の最重要課題です。イエスがユダをつかってわざと、 密告させたとなると、このメシア像が崩れてしまいます。キリスト教の崩壊です。だから、異端なのです。 なぜ崩壊するのかは私の「メール読書会」を気長に読んでいけば、自然と理解できることと思われます。  一昨日からの首の痛みが和らぎました。そろそろギターの練習ができるものと思われます。(4.21)
 多忙です。昨日のライブは内輪で盛り上がりました。藤村記一郎先生も飛び入りで来て 下さり、先生の作られた数学ソング数曲とグレープの「精霊流し」を初めてということで すが、弾き語りをされました。味のある声で丹羽さんも数曲熱唱され、伊藤さんは今回は 伴奏などを主にされました。真柄さんも伊藤さんの伴奏で元ちとせの曲を2曲歌われました。石鹸の 富田さんも昔懐かしの曲を数曲歌われ、和気あいあいとした雰囲気で和みました。 私はというと「神田川」に挑戦したのですが、失敗してしまいました。上がり症?が出て しまいました。再度、体調を整え、次回挑戦します。何度でも挑戦する、しつこさが私の 取り柄かもしれません。少し遅く来られた藤村先生に、私の定番となりつつある替え歌 「金がない」を披露しましたところ、替え歌の詩が良いと誉められました。愛知県の 何とかという歌のフェスティバルで私の替え歌「金がない」を歌ってほしいとの要望が ありました。大変光栄ですが、・・・私のような者でいいのでしょうか? 先生はギターはまだまだ下手だけども、詩が現在日本社会の庶民の声を実に良く言い表し ていて、さすが物書きの詩は違う、このようなお誉めの言葉を受けました。そのときは 迷って、返事をしませんでしたが、今朝早く目が覚めて良く考えてみたら、こんなチャンス? はめったにないことで、私の人生の記念になるし、息子にも良い意味で刺激にもなると 思いました。何も取り柄のないオヤジが必死に生きる姿を見て、何かを感じてもらえれば、 それだけで十分です。あと私と同じようなオヤジ世代にも何かしらの刺激になれば いいなと思います。あと人生を楽しみたいという個人的な希望もあります。刺激を楽しむ ということかもしれません。是非、出場させていただきたいと思います。後で、先生に メールで「フェスティバル参加の件、宜しくお願いします。」と返事を出すつもりです。 家族にも早々、意思表明をしました。9月9日の日曜日です。私個人の都合で店を休む ことは、・・・多分15年間で初めての出来事だと思います。 それだけ私にとってすごいことなのです。(4.23) 
 昨日はガンガー「うたごえ喫茶」の日でした。先日の藤村先生言われていたコンサート の内容が多少わかりました。「愛知のうたごえオリジナルコンサート」愛知県の40ほど のサークルや合唱団が参加している、「愛知うたごえ協議会」なる組織の催し物です。 そのコンサートに昨年参加された竹中さんが、たまたま「うたごえ喫茶」に来られていた ので、多少の事情を伺うことができました。藤村先生が実行委員(講評委員)なので お任せして、私はギターを一定のリズムで弾けるように、コード進行をスムーズに変換 できるように、淡々と練習あるのみです。  今日も大変忙しい一日となりました。メール読書会の日ですが、精根尽き果てそうです。 メール読書会はできたら明日発信するつもりです。今日はもう何もしません。(4.25)
 昨日のライブは、いま展覧会されている作家の友人とその音楽仲間の方が急きょ参加 され、とても盛況でした。私もアンコールを受け、二度ほど歌いました。声がよく通る ようになったのが演奏していて実感できます。キイーもちゃんと取れるようになったと 思います。お客さんからも同じ様な感想をいただき、私も納得しています。多分、演奏に 慣れ、余裕ができてきたからだと思います。ボイストレーニングの成果が少しずつ出てくる ことを信じて、日々努力したいと思います。相変わらず、忙しい日々です。店が忙しい ことはいいことです。体調を維持しながら、仕事と趣味を両立させていきたいと思います。 ICレコーダなる録音機を買いました。そろそろメロディーをイメージする練習をしたいと 思います。あと自分の演奏と声を聞いてみたい気もします。さっそく時間を作り、演奏を 録音してみます。後日、感想を書き込みたいと思います。(4.30)

 

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