2006年7月の「思い」


 昨日は8時半のライブの前に常連さんが食事に外国人女性2名と来られ、音楽好き ということで、私の自作の曲を5〜6曲披露しました。日本語がほとんど話せない とのことですので、英語で言い替え出来るところは英語で歌いました。 金がないシリーズ第二弾の「笑って吹き飛ばせ」は意味が分かったのか?笑いながら 歌っていました。No money Noprobulem ワッ・ハッハ という 感じです。ちょうど英語が上手なお客さんがいらしゃたので、わたしの詩集から 二つほど詩を選んで、その英語訳をお願いいたしました。今週は彼女の英語訳に 曲を付ける予定です。さあ?英語の発音と私の曲(感覚)がマッチするかどうか? 外国人のお客さんにも理解できる歌ができるかどうか?挑戦です。  今日は別に「おまじない」という詩に曲を付けました。五線譜に音を書き込み ながらの作曲です。ギターで音を拾いながら、音符を書き、仕上げはアコーディオン で弾いて作りました。コード進行はこれまた一昨日ジャズの安藤さんに教わった A-bleus(Aブルース)にしました。いろんな方の助言を仰ぎながらの創作活動です。  昨日は久しぶりに、聖書読書会も行いました。メール読書会がよく休止になって います。その所為かどうか知りませんが、読書会のメンバーからの要望で行いました。 私個人としては良かったです。読みながらの話は、身が入り読んだという実感が 読書会の後に残りました。これも読書会をしましょうと、声をあげてくれた塚本さんの お陰です。ありがとうございました。これからも読書会を企画して定期的に実施したいと 思います。(7.2)
 作曲が楽しくて、書き込みがおろそかになっています。今朝で13曲目ができました。 今日のは英語の歌にしたのですが、いま一つピントきません。後日、編曲します。 こんなことばかりしていていいのかと、自責の念に駆られます。店の経営が落ち込んで います。さあ?どうする!店の運営に熱意がわかない私の姿勢が一番の原因だと思われ ます。いかん、いかん!うつつを抜かすもこの辺で終わらせ、本業に精を出さなくては いけません。メニューを新しくしなくてはという思いもあります。6月31日に経営難に ついて、愚痴ぽい?ことを書いたところ、「店は大丈夫ですか?」と知り合いがHP (6月31日分)を読まれたのを、お聞きして来ましたと、言われたお客さんが いらっしゃいました。ありがたいことです。こまめに私のHPを読まれている方が おられるということです。まじめに書き込みを続けなくてはいけません。反省です。その お客さんはその噂をお聞きになって、わざわざ来られ、しかも心配してくださいました。 このようなお客さんのためにも、頑張らなくてはいけません。  英語の歌も昨日の「おまじない」と同じくAブルースでコード進行をつくりましたが。 私が作ると何故か?ブルースに聞えないのです。本来ブルースとは・・、といった知識? といか、ブルースを知らない男が、いくらコード進行がブルースだといっても、ブルース の歌心がなければ、別の歌になってもおかしくないのです。英語の歌にしても、本来 外国の歌などまったく知らないというか、興味がないのです。要は自分の詩に曲を付け たいだけなのです。そう言いながら、本心はミスマッチが生み出す妙?を狙っているのです。  (7.7)
 新展開が起こりそうです。今朝、ふと思い付き、ある人に電話を入れました。 「私とデユオを組みませんか?音符が書けるようになったので、今自分の曲を音符に書き 出しています。だから、私以外の人も私の曲を弾けるようになったので、私がボーカルを 担当して、演奏をお願いしたいのです。」こんな内容でした。彼の返事は「いいですよ!」 ということです。デュオの名前は?今思い付いたのは「ガンガー3号」です。もっと良い 名前があれば、そちらにします。デュオの初デビューは8月12日のコンサートになると 思われなす。もう少し早くなるかもしれません。(7.8)
 店の件ですが、頑張るだけ頑張ってみます。身内からは非難ごうごうですが、やるだけ やって、あとは?最悪(インド料理ガンガー閉店)の結果になったとしても、 月一回の「うたごえ喫茶」と毎週の「土曜日ライブ」だけは別の仕事をしながらでも継続 可能です。自分の家ですからそこは大丈夫です。昨年のように告知はしません。同じこと の繰り返しはいやですから。(閉店の告知をしてから、撤回した経緯が昨年の今ごろでした)  昨晩のライブは新しい展開となり、ちょっと驚いています。ブルースの語り調子が 私にあっているとの評価をうけました。「ガンガー3号」(私と安藤さん、伊藤さん?)の、 デビューでした。「Marine Blue and Only Girl」を安藤さんと伊藤さんの伴奏で 歌いました。みなさんの反応はいままでで一番?「いままでで一番いい」という人も多々 おられました。私は歌だけの担当だったので、気が楽くだったのも良い結果につながった のだと思いました。「語りブルース」といったかんじでした。英語の歌も歌えることが 分かり、自分としては大きな収穫がありました。安藤さんから他のライブ・ハウスで 歌いませんかというお誘いを受けましたが、当分はやめておきます。(7.9)
 新曲「うんこ雲」もブルースにしました。コード進行が単純なので、ギターにあまり気 をとられないので、楽に歌えます。ただ、楽にまかせてといると、ブルースしか歌えなく なりそうな気もしてきます。こんな話で、本題から逸らしています。今の最大の問題は 店のことです。さあどうする?正直わかりません。閉めるのは簡単ですが、・・・。 閉めれば、問題解決といくのか?どうなるというのか?分かりません。(7.10)
 昨日は良い助言者がお客さんとして来られました。始めてのお客さんでしたが、 気さくな方で、私のギターについての助言をいただきました。1、声は良いから、伴奏を 他の人に頼んで弾いて頂くといいですよ。2、好きな曲を弾けるように練習して、曲作りの 参考にしたらどうですか?私の音符をみて、歌っている音と違っている箇所があり、歌に 合わせて、音符を書き直すか?音符にあわせて歌うか?その方は絶対音階をお持ちだと 言われ、私の曲「私の上ではホ・ホ・ホ」を歌に合わせて音符を書き直してくださいました。 初めてなのに、気さくにいろいろと助言を頂きました。ありがとうございました。ヒット 曲の練習は3月に「傘がない」と「夢の中へ」の二曲練習しただけで、それからはほとんど 自分の曲作りにのめり込んでいました。自己に埋没して、泥沼?に浸っていたのかも しれません。まずは名曲の弾き語りを練習しながら、音楽の音作りを学ぶ必要があるのです。 独学の難しさです。広い視野で物事が見えなくなることを指摘された思いでした。先人に 学ぶことから始めなくてはいけません。手持ちの井上陽水CDの中に、楽譜本に掲載され ている曲が「傘がない」「夢の中へ」以外に他に2曲まだありました。まずは、その練習 から始めたいと思います。次回のライブはこの替え歌を披露したいと思います。(7.11)
迷ったら初心に戻ることです。井上陽水の「青空、ひとりきり」の替え歌で 「雨空、一人っきり」という替え歌を作りました。あと賛美歌48番の「夕」の替え歌 「大地」も作りました。賛美歌はたどり着くべくして、たどり着いた感があります。 ゴスペルとは違って、日本の普通の教会で歌われている賛美歌をギターコードで弾き語る、 このことを忘れていました。弾き語りの目標が一つはきりしてきました。自分の歌を弾き語る のは当然ですが、他にもう一つ、そうです。賛美歌の弾き語りもしたいことの一つです。 賛美歌48番のコーラス部の低音部?をギターコードに変換してみました。合っているのか? 疑問ですが、歌ってみると違和感はありません。このパターンで賛美歌のギターコード化を 自己流で変換していくつもりです。そのうち、誰かに確認をしてもらうつもりです。聖書関連の 専門本屋に行けば、もしかしたら賛美歌のコード表付き楽譜があるかもしれませんが、 自分で手探りで試行するところに私個人の楽しみがあります。これも土曜日のライブで発表します。 メール読書会が休会中です。今日できたら発信したいと思います。(7.12)
 メール読書会「創世記」(その26)第9章1節から17節 2006.7.14 1節に「神は〜彼等に言われた」とあります。ノアたちと話をされたということです。 多くの信者は神と話をしたいのです。「祈り」はその表われです。でも、返事は? 明快に神の言葉を聞かれた方は?ノアは聞いたことになっています。私も祈りはしますが、 神の声なるものを直接聞いた記憶はありません。間接的にこれが神の仕業?なのかという ことは何度か経験しています。でもそれは解釈の問題かもしれないので、直接神の声を 聞くということは、すごいことなのです。私も聞けるものなら聞きたいものです。  3節に「すべて生きて動くものはあんたがたの食物となる」とあります。ここで人類は 肉食を始めたと解説書には書かれています。それまでは菜食しか許されていませんでした。 1章30節に「食物として青草を与える」とあります。4節には肉の食べ方の支持が なされています。イスラム、ユダヤ教徒は今もこの血を抜き、お祈りで清められた肉しか 食べてはいけないことになっています。生贄として神に捧げる儀式と関連があると思われ ます。6節には「殺し合い」をしてはいけませんという啓示がなされていますが、現実は イスラムもユダヤ教徒も血と血の報復に明け暮れています。聖書の謂わんとするところは、 ノアのように、素朴に信じて謙虚に生きることを賛美して、そのような人間を誉めたたえ ています。15節に神自身が「にじ」を見て契約を思い起こし、二度とこのような洪水は 起こさないと書かれています。神自身が「にじ」を見るということです。神とはそのような 存在なのでしょうか?人為的ですが、創世記におけるこの箇所の著者はそのように書いて います。教会もそれを支持しています。神は今(2006年7月14日)も虹が出ると、ノアとの 約束を思い出すということです。そんなことを思うと、神という存在が少しリアルなものに 感じられます。一方、本当かな?と疑います。(7.14)
以下のことを書いて、店の件は終わりにしようと 思ったら、妻からの提案で、ガンガーのモーニングを止めて、午前中バイトをもう一つ こなして、ランチ(12時)からガンガーを始めたらということになりました。以前も 二年間ほど、早朝のバイトが終わってから9時まで2時間ほどのバイトを掛け持ちで やっていたので、これならこなせると思われます。よって、店は存続します。 以下の文は却下しますが、一様読んでもらうのもいいかなと思って掲載いたします。    インド料理ガンガーの店は8月いっぱいで閉店とします。毎週土曜日のガンガーライブと 月一度の「うたごえ喫茶」は9月以降も継続していくつもりです。15年間の生活から 新しい生活環境をまた作り出さなくてはいけません。仕事も探さなくてはいけません。 一度、終わらせてから再出発とします。いろいろあり、簡単に言えない心境です。 お客さんとの出会いは忘れられない思い出です。インド料理ガンガーは閉店ですが、 土曜日のライブではちゃんとしたガンガー・カレーを出したいと思っています。土曜日は 夕方6時ぐらいから開店したいと思っていますが、次の仕事がどのようなものか?まだ 決まっていないので、その辺は断定できません。内緒にしていましたが、6年前あたり から、早朝のアルバイトを続けています。水曜日と日曜日以外は毎日朝3時過ぎから6時 ごろまで働いています。これだけでも多少の生活費にはなりますが、家族を養うには足り ません。後、足りない分を昼の仕事で補うつもりでいます。(7.15)
 またまた自慢話になります。 ある意味すごいことをやってしまいました。ギターのフレットを交換したのです。ギター をしている人なら、意味が分かると思います。特別な工具を使うことなく、ドライバー セットと金槌とペンチ、ヤスリこれだけで、フレットを交換しました。ほぼ完璧です。 誰も(素人は)やらないことをやってしまいました。ギターを弾く人は擦りへった フレットは、プロの職人に修理(交換)を頼むみます。 頼むと2〜3万円かかるので修理をあきらめる人もいると聞きます。ギター職人の経験が あれば別ですが、私のようにまったくの素人が簡単に修理してしまうなど、誰も思わない ことです。それを簡単にやってしまいました。以前、インターネットのギター工房で、 フレットの取り付け風景を見ていたので、大体のイメージは想像できました。でも、急に 思い立ち、すぐに行動してしまう。われながら行動力には驚かされます。使っていない クラッシク・ギターのサウンド・ホール(穴の空いた箇所)近くで使わないフレットを 3ヵ所外して利用することを思い付きました。フレット交換するギターは3週間ほど前に 知人から頂いた古い(35年前の)ギターです。かなり使い込んだのか、わざとフレット を削ったのか?知りませんが、2〜3割ほどしか残っていないフレットがかなりあり、 私には弾きずらいものでした。でも、音はいいのです。35年前のギターで音の響が実に いいのです。35年という月日はお金には替えられない貴重なものです。フレットさえ 修理すれば、いいギターに変身するのは確かなのでした。知人のギター職人が豊田に帰省 する秋まで待てば、彼に修理を依頼できたのですが、秋まで待てませんでした。でも、 実行してよかったです。やればできるのです。誰もやらないことをやり遂げたという体験 は大切なことです。常識という枠をまた一つ突破らうことができました。これからも チャレンジ精神で何事も挑戦するつもりです。(7.17)  
 映画「ダビィンチ・コード」を観てきました。私は本を読んでいませんが、妻が本を 読んでいたので「本と同じだった?」と聞くと、「かなり省略していて、ダイジェスト版 みたいな感じ」と言っていました。フィクションをサスペンス調に仕上げていて、娯楽と してはそこそこかもしれませんが、映画の終わり方がフィクション映画を現実に合わせ ようとして無理があり、それまでのリズム感のあるサスペンス調とは違って、単調(平凡) な終わり方でした。まあそこが作家の能力限界だったのだと思われます。内容は真実を 居り混ぜながら、フィクションをいかにも事実のように描いていて、聖書の解釈の違いを 意図的に事実と混ぜあわせ、新事実発見の様な幻想の中でのフィクション劇でした。 単なる娯楽映画です。話題になったのは、キリスト教社会で話題になることをテーマに しているからであって、作品の良さからくるものではないことが伺えました。キリスト教 を知らない人が観たら本当かなと勘違いするかもしれません。  ギターの弦を新しい物(少し高価)に替えたのですが、ギターの体型にあった弦を選ば なくてはいけないことを実際体験をして分かりました。値段の高い弦ならなんでもいいか というと、そうではなくて35年前のギターには極細が良くて、最初に頂いた17年前の 中国製のギターは極細よりも一つ太目のLight弦が良いようです。35年前のギター にLight弦を付けたら、音の響がいま一つ良くないのです。安物の極細の弦に戻すと、 響が良くなりました。35年前のギターは17年前のギターよりも一回り小さいのです。 インターネットで「弦」ついて調べたら、やはりギターの体型で弾き方が違い、それに よって弦も細さを選ばなくてはいけないとのことでした。ただ、一概に言えなくて、 個人的に自分に合った物を選ぶことが優先されるとも書かれていました。すべて学習です 昨日は「弦」について勉強させられました。  今週の土曜日はガンガーライブを10時に終わらせ、深夜12時ごろから瀬戸でライブ をしなくてはなりません。ガンガー以外で演奏するのは始めての体験です。しかも、一人 で30分ほど演奏しなくてはいけません。楽しみです。興味のある方は私までお知らせ 下さい。ライブ場所をお知らせいたします。(7.19)
 明日の深夜ライブにあたり、歌う曲目は 1、笑って吹き飛ばせ!(今年の5月1日に出来た最初の曲、金がないシリーズ第2弾) 2、ヤッホーおやじ(金がないシリーズ第3弾) 3、おやじを認めよう!(おやじの癖を笑うのはやめよう) 4、人生の足跡(詩と曲が同時に出来た歌) 5、ネパールを夢見た男(坂野公康レクイエム)   この歌が出来上がる経緯には不思議な偶然=必然が伴っている。 6、私の上ではホ・ホ・ホ(のんびりした雰囲気を意識して作りました) 7、朝 ありがとう(家族への思いを歌にしました) 8、Blues(ブルース)の曲をガンガーオールスターズバンドで演奏   ボーカル・眼我真、ギター演奏・安藤雅彦、その他の演奏者(その場で飛び入る歓迎)  「おまじない・ちちん・ぷいぷい」  「Marine Blue and Only Girl 」  「うんこ雲」    今年(2006年)の2月からギターを始めました。音楽とはまったく縁がなく、いままで 生きてきました。詩を6年前から書き溜めていますが、誰も私の詩に曲を付けてくれないので、 ついに自分で曲を付けることにしました。3月30日にはガンガーの店で初ライブを いたしました。井上陽水の「傘がない」の替え歌「金がない」と「夢の中へ」の替え歌 「ガンガーの店へ」の2曲を披露いたしました。元来、上がり症なので、その克服には 下手なうちから人前で恥をかくことだと思い立ち、弾き始めて1週間後には常連さんの 前で、了解を得て歌っていました。4月からは自分の練習も兼ねて店で毎週土曜日の 夜8時30分から11時まで、ライブを企画しています。 誰でも参加できますから、気軽に参加してください。お客として食事もできます。  3月30日のライブでは私の演奏の成長過程を見ていただくことをテーマに演奏いたし ました。8月12日(夜6時30分から)には第二回目の発表会をガンガーで行います。 「夏のガンガー祭典」と題名を付けました(私のギター演奏の成長過程を見ていただく こともライブの目的の一つです)。今日はガンガー以外で歌う始めての体験日です。  私の楽しみの一つは常識という壁(バカの壁)を打ち破ることです。先日はギターの フレット(ギターを押さえる指板に付いている金属の線?)を自分で交換しました。 特殊な工具など使わないで、何処の家庭にでもある普通の工具で交換したのです。 あと一週間に一曲新曲を作ることも自分に課しています。どんな創作も伝えたい「思い」 があれば可能なことです。一番大事なことはその熱い「思い」があるかどうかです。 熱い「思い」があれば自然の発露として何かが生み出されるはずです。それが歌だったり、 陶器だったりするのだと思います。創造とは「伝える」ことだと思います。 その「思い」を伝えることだと思います。芸術は音や物で表現する(伝える)ことだと 思います。人生を生きることも、ある意味「創造」と通じるところがあります。 人生を生きるとは、自分の生き様を「伝える」ことだと思います。今まで、私の場合 伝える手段は絵画であり、文章でした。2月からはそれに音楽が加わり、自己表現に 挑戦しています。いつかはこれら(絵画、文章、音楽)がお互い影響しあって、何か別な 物へと変わっていくかもしれませんが、今はギターによる自作の歌作りに夢中です。  私の新曲披露は毎週のガンガー土曜ライブで発表していますので、興味のある方は インド料理と画廊の店「ガンガー」までお越しください。今日はありがとうございました。     2006年7月22日 ガンガー店主 眼我真     連絡先(052)806ー5570 インド料理と画廊の店「ガンガー」
 昨日の深夜ライブは好評でした。私も90点ほどの満足度です。次回も演奏することが 決まりました。少しずつでも、歌の輪が広がり、私の理解者が増えることは嬉しいことです。 9月あたりから、他のライブハウスでの演奏も考えようかと思います。安藤さんのお誘いも ありますし、私の歌を聞いてもらいたいという思いもあります。月一回、火曜日の夜10時 ぐらいなら店の営業時間とバイトの関係で可能です。緑区の某(名前を知りません)ライブ ハウスを安藤さんが推薦してくれています。彼もそこでジャズバンドの演奏を月一回の割で 演奏しているみたいです。ガンガーの土曜ライブもあるので、他のライブハウスの道場破り? みたいなことのならないようにしたいと思います。純粋に歌を歌うだけの参加という形に なると思います。  さっそく安藤さんが、昨日のお礼にと昼過ぎにスイカを一個持ってきてくれました。 コントラバス?の奏者で安藤さんの陶芸の弟子?(本人は強制されて弟子になったと言い ながら、いま陶芸にはまっています。とのことです)の方と来られました。ライブは好評 で、私のギター演奏については、いまのまま下手な方が味があっていいという人と上手に なった方がいいという人と賛否両論だったそうです。歌については良かったですとの感想 を頂きました。30人ほどの前での演奏はいたって楽しく、笑い話を交えながら饒舌に こなしました。話を交えての演奏は楽しく、聞く側も真剣になって聞いてくれました。 ありがとうございました。(7.23)
 さっそく新曲が出来ました。「わたしは罪人」という題名にしました。詩と曲を同時に 作りました。まだ楽譜にしていません。レコーダに録音もしていないので、多少曲が 変わる可能性もあります。まあ変われば変わったでいいです。その時の気分で曲が変わる のもいいかもしれません。   「わたしは罪人」 わたしは罪人 愛を語ることが出来ない あなたの許しを求め 思いを語る 罪人よ 偽善を語るな! わたしは罪人 愛を語る勇気がない あなたを求め 許しを求める 弱い罪人 救いたまえ! あなたの許しで この罪人を救いたまえ この思いを歌にして あなたへ送る  許したまえ わたしを 愛を語る勇気を与えたまえ 歌で愛を語る勇気を与えたまえ 愛はすべてを許し 打ち勝つ力を与える 愛は許し 愛は力 わたしは罪人 あなたの愛をください わたしは罪人 あなたの愛で救ってください 愛は許し 愛は力  わたしは罪人 救ってください   さっそく録音しました。熱唱でした。これで一安心。(7.24)
   先日の深夜ライブについての詳細な説明をしていませんでしたので、説明いたします。 陶芸をされているジャズ演奏の上手な安藤さんのお誘いでした。愛知陶器?工場跡で制作 している作家たち(10人前後?)が三ヵ月に一度、駐車場に作った共同の陶器釜で陶器 を焼くのです。三日間焼くのですが、中日は必ず土曜日として、夜7時ごろからライブを 企画して、大勢の参加者でにぎわいます。深夜になると一般の人は帰られ、関係者が残る のですが、徹夜で薪をくべるので、元気づけに深夜ライブをいたします。その深夜ライブ に招かれたのが今回私でした。11時ごろに店を出て、真っ暗な中、うら覚えの道を勘 たよりで、瀬戸へ向かいました。昼間は何度か走ったことがある道でしたが、真っ暗な 深夜は始めてでした。道も多少万博で新しくもなっていたみたいです。知らないうちに 瀬戸駅に着いてしまいました。予定ではもう少し西に着くはずだったので、古い地図で (11時30分ごろ)若い女性に道を尋ねようとしたら、最初怖い人と思われたのか、 逃げ腰で聞いていた女性でしたが、道尋ねと分かる、安心したのか?快く目的地への行き 方を教えてくれました。11時40分前に着きました。着くと駐車場の釜の左側に大きな テーブルが二つほどあり、食べ物や飲み物が散乱?していました。まばらな人なので少ない 人数だなと思いながら、荷物(ギター)をもって車から降りと安藤さんがすぎ前にいて、 さっそく会場へと案内されました。隣の部屋がライブ会場で広い舞台もありましたが、 聞く人たちの椅子が見当たりません。「準備が出来たら、教えてください」との安藤さんの 声に「はい、すぐにでもいいです」といって、付き添ってきたガンガーのお客さんで、 ギター好きな田中さんに「最後にガンガーオールスターズでブルース3曲歌うので、 ギターの準備をしておいてね」といって、準備完了「椅子とかいいのですか?」と聞くと 「みんなその辺のものを持ってくるから、大丈夫ですよ」ということでした。 しばらくすると、ぞろぞろと椅子持参で人が集まってきました。総勢30人ほど(後から 聞いた話では瀬戸窯業高校の生徒が7〜8人いたとのことでした)だと思われました。 前もって持参した曲目と自己紹介文を安藤さんに配って頂き、さあ始まり始まりでした。 30分ほど一人で熱唱しました。話を交えながら、いたって順調です。多少の緊張感があり、 聞く側も真面目に聞き入ってくれていることが、実感として私の方へ伝わってきました。 私は案外、人前で演じるというか、自分の世界を披露?することが好きなのかもしれない と、そのとき思いました。笑い話も交えながらの楽しい時間でした。最後にブルースを 安藤さんと田中さんの伴奏で3曲歌い上げました。「おまじない・ちちん・ぷいぷい」 では釜焚き成功を祈願?して釜焚きの歌詞で歌いました。「1300度上がれ!」と アドリブを入れての熱唱でした。大満足のライブでした。病みつきになるかもしれません。 演奏後は釜横のテーブルに座り、雑談をして帰ってきました。 田中さんは朝まで付き合って、仮眠を三時間ほどとってから、昼前にガンガーに来られ、 いま家に帰るとこだと言って、昼食をして自宅の豊明に帰って行かれました。 みなさんありがとうございました。(7.25)
 昨日はガンガー「うたごえ喫茶」の日でした。 藤村先生が新しいガンガー・テーマソングを作って下さり、その練習をいたしました。 電話番号入りの歌は店の宣伝には打ってつけです。さっそく練習して、ガンガーライブ でも弾き語りで歌いたいと思います。うたごえ喫茶の後での雑談で、ガンガー復興の意見 が沢山出されました。駐車場の入り口を表示する大きな看板設置。店の外見を良くする。 目立つインド料理の旗を作り車の運転者が気付くようにする。メニューを増やす。 健康志向の食べ物であること、スパイスの効用などを店内に大きく表示する。チラシの ポスティングをする。ガンガー応援歌を外に流す。などなどです。 まずやれることからしたいと思います。スパイスの効用やナンの小麦粉(国産無農薬) を紙に表示して、レジ上あたりに貼ります。後、ガンガーの旗が良く見えるように、歩道 の草取りを今朝一番にしました。  スパイスの効用について。 自然治癒力を高める効果があるのが、スパイスです。弦楽器で例えるならば、弦のバランスが崩れた ときにチューニングするのが、このスパイスなのです。人の体調が崩れたときにバランスを元に 戻す効果があるのです。  おなかの調子が悪いときは、クミンやフェネルで、風を引きそうなときは、ショウガたっぷりに スープ、のどが痛いときは挽きたてのブラックペパー、便秘のときはアジョワン、鼻づまりのときは シナモン、ブラックペパー、カルダモン、ブラッククミンを粉末にして鼻で吸う、インフルエンザの ときは牛乳にターメリックの粉を溶かして飲む、バジリコと乾燥ショウガを煎じて飲む、風には クローブと塩を熱湯に入れて飲む、など「アーユルヴェーダ」の本に記されています。  ガンガーのこだわりはスパイスだけではなく、塩はニガリの入った天然塩を使い、ナンの小麦粉は 知多の武豊で取れた無農薬小麦粉の全粒粉(精製していない小麦粉)を使っています。 テーブルの水差しには竹炭(たけすみ)が入っています。    メール読書会「創世記」(その27)第9章28節から17節 2006.7.26 ノアの家族以外は人類は全員死滅したので、ノアの子供達から人類はまた増えていった ということです。子の名はセム、ハム、ヤペテとあります。女子の名は記載されていません。 セム、ハム、ヤペテは男の子です。男同士から子孫はできません。もしかしたら? ノアの妻(セム、ハム、ヤペテの母親)とこの三人の間に出来た子孫が人類ということも ありえます。ただ、単純に姉妹の名が記載されていないだけなのか?です。それにしても 兄弟、姉妹の近親から人類が生まれたということなのでしょうか?この辺は誰も疑問に していないようです。20節21節、天幕という移動式の幕屋をすでに作っていたという ことです。宗教儀式がすでい完成されていたのか?宗教自体が確立していたということ でもあります。話が飛んでいます。すでに完成した後から、振り返って記述する場合に このような記述になるのではないかと推測いたします。出来事と記述に時間差があることを 表しています。21節のノアの失態に対する23節からのハムとセム、ヤペテの対処方法 の違いが、ノアの心をかたくなにしてしまい、後々の民族差別を人類に与えたようにも 思えてなりません。裸のまま天幕で寝るという失態をしでかしたのはノア自身なのに、 そのことには振れずに兄弟に告げたハムを呪うという発想が陳腐です。神の前に正しい 人として選ばれたノアがそんな失態をやらかすのでしょうか?やらかしたとしても それだけでハムを呪うということが、短絡的すぎます。多々の出来事がごちゃ混ぜに なってノア伝説に混ぜこまれているようにも思えます。先日、観た映画「ダ・ビンチ・コード」も 3000年もすれば伝説として実際にあったかのような解釈をされてしまうのかもしれません。 (7.26)
 今日は「坂野公康レクイエム」の日です。それはさておいて、月曜日は新曲の 生まれやすい日です。昨日の午前中に浮かんだ歌をレコーダに吹き込んでいたものを 書き出し、詩を訂正しながらまた一曲完成させました。土曜日に安藤さんから、G・C・D だけのコード進行で曲を作ってみたらという提案がありました。私はやたら、コードを変化 させて曲作りをしています。それはコード変更が遅いので、修行のつもりで、変更を早く するためにわざと複雑?にしているのですが、それがギター演奏の足を引っぱっているとの 判断からの提案でした。ビートルズの有名な曲で、このG・C・Dだけの曲が何曲かある そうです。さっそく昨日の午前中に鼻唄で作ってみました。こんな簡単に、出来ていいのか という驚きもありますが、出来ました。「友よ!語り合おうよ」という曲名にしました。 青春、真っ最中の歌です。昔を思い出しながらつくりました。昨日の午前中に鼻唄で歌って いたとき、すごくいいメロディーラインが生まれ、やった!と思ってレコーダに吹き飲んだ つもりでいたら、なんとマイクのスイッチがオフになっていました。ショックでした。二度と 出てこないメロディーかもしれません。残念!  「友よ、語り合おう」 春にわかれて あれから幾日 たっただろう 真夏の光の中 汗ながしわかれた 春を思い出す 友よ あれから幾日 たっただろう それぞれの道を 歩みながら 季節は いま夏だ!   友よ元気か お盆には帰るか おれは日焼けした この顔を  おまえ達に見てほしい おれも一人前の男だと 自慢したいのさ 友よ会いたい わかれた あの場所で 語らい 大人の話をしようよ   あれから幾日 つらい日もあっただろう 語らい泣きたいことも あっただろう ルル〜ル、ルル〜ル それぞれの人生を 大切に 語らい合おうよ わかれたあの場所で また 合おうよ それまで頑張って生きるさ 夏はふるさとを 思い出させる 季節だ 友よ 語らい合おうよ ルル〜ル、ルル〜ル (7.31)
 
 
 
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