8月の思い
 
 昨晩、久しぶりに流木作家の山根さんが来られました。来年の一月また今年のメンバーで 「ハッピー・ニュー.イヤア」?パート2を行うことになりました。そこで、オープニング・ パーティなるものを企画して、私がシタール(インド民族楽器)、猪子さんがハーモニカ、 山根さんが流木ギター型二胡?でバンドを組んで演奏することになりました。曲は私が作る 予定です。シタールは今朝一番で修理をして、さっそく弾く練習を始めました。明日の 「夏のガンガー祭典」で私の作った曲をシタールで弾き語りするつもりでいます?さあ、 どうなるやら・・・。  シタールの練習をしていたら、腰が痛くなりました。独特な座り方が左腰に負担を与え、 以前から骨盤のズレ?で左股に違和感を覚えることがある私にはシタール演奏のための左足 の使い方は大変負担になっていたのでした。これでは長時間の練習はできません。 今日も一時間ほどしたら、もう左腰とその付け根が痛くなってしまい、耐えられません。 独自に開発した座り方だとまだ大丈夫でしたので、明日はこの座り方で演奏することにします。 正式な座り方ではないので、一言理由を説明しなくてはいけません。シタール演奏を知って いる人が見たら、「おかしい」と忠告されるのは必然的ですから。(8.11)
土曜日のライブの報告をしなくてはいけません。 大変盛況でした。お客さんも多く来られ、食事やドリンクの注文をこなすのに忙しく、 ゆっくり演奏を聞けませんでした。オカリナの北川さんは打楽器奏者二人とのセッションで 聞き応えがありました。あと森さんたちアコーデオン四人組も壮観でした。夫婦デュオも いつもながら良かったのですが、アンプの音量が少し大きく、私にはうるさく聞えました。 飛び入りもありました。アコーデオンとギターのデュオは練習なしで、突然でしたが キャリアがおありなので、それなりに良かったです。あと知人から聞いてきましたという 地元のギター奏者が飛び入りで演奏され、6時半から始まったライブは10時半過ぎまで続きました。 多くの人は10時ごろに帰られ、私が最後に演奏した10時すぎには10人ほどになっていました。 私はお客の応対で疲れていましたが、最後の力を振り絞って、3曲歌いました。余興で一昨日からの シタールもちょっとだけ披露しました。あと締めは、ガンガーオールスターズでブルース 3曲を歌い上げました。みなさま楽しまれて帰られたようなので、よかったです。  あと今展覧会されている親子一家の自作の歌の披露もあり、常連さんの伊藤・真柄デュオと ジャズの安藤さん、富田さんも歌われました。安藤さんのウクレレも好評でした。 参加された演奏者の方達、聞きに来られたお客さん、ありがとうございました。12月には 年末の「冬のガンガー祭典」を行う予定です。そのときはまた宜しくお願いいたします。  今朝、シタールの教則本を屋根裏の本の中から見付け出しました。さっそく妻に教えを 乞いながら練習を始めました。一日で練習曲一曲マスターしました。腰さえ痛くならなければ もっと練習出来たかもしれませんが、適度の練習でこれぐらいが丁度いいのかもしれません。 腰の痛さも慣れてきたようで、前日よりもやわらいでいます。一ヵ月もすれば平気になれる と思われます。(8.14)
 メール読書会がまたまた、休会中です。今日か明日には発信したいと思います。 昨日は、新しい試みとして、聖書を題材にした歌を作りました。「ノアの虹」という題です。 あまり詳しく語ると、説明しなくてはいけなくなって、歌としては理解しにくくなるので、 おおざっぱに言いたいことを一つにしぼり込みました。「ノアの方舟」の話の後に、虹が 神様との約束のしるしとして空に表われたことを歌にしました。聖書の物語を歌で表現して いくことをこれからの目標の一つにするつもりです。あと自作の童話を琵琶法師のように、ギターで ギターで語ることにも挑戦したいと思います。ようはただのギター弾き語りではなくて、 伝える手段としてのギターであって「ギター弾き」が目標なのではないということです。。 まだ漠然とですが、やりたいことが少し見えてきました。(8.17)
 小泉首相の靖国参拝問題では国内でも賛否両論です。 小泉さんは何故参拝をするのか?公約だからか?それでは主体性に欠けるような気がます。 死者を弔うためだけか?中国、韓国への対立を鮮明にするために意識的に行っているのか? 自民の首相選で当時の派閥勢力からすると小泉さんは負けていたのを「私が首相になったら 靖国参拝します」と公約に掲げたことで、遺族会の自民党員票を獲得して、9回裏2アウト からの逆転さよならヒットにつながったのだと思います。首相選に勝つための参拝だった のが、いつしか中国、韓国の強い反発に引くに引けなくなっての開き直りが8月15日の 参拝だったのではないかと思います。問題提起として彼の行為は評価してもいいかも しれません。彼の行為はあの戦争の再検証を、今の日本国民に提示したということです。 中国、韓国国民も、もう一度あの戦争はどうゆことだったのか?再検証する機会になれば いいのですが、片寄った判断しかできない国柄は世界の歴史から取り残される可能性が あります。日本国はそのようなことにならないように、ぜひ政府、国民が一緒になって 再検証してもらいたいです。私も個人的に再検証していきたいと思います。  今週は2曲新曲が生まれました。「約束の虹」と「ヨッ!ラッキー」です。 二つとも虹をテーマにしています。「ヨッ!ラッキー」の方はお客さんといっしょに歌える 箇所を設けました。「ラッキー」の所(7ヵ所)を一緒に歌うのです。今日ライブで発表 します。お客さんと一緒に歌えるような曲がいいという安藤さんの意見を取り入れて、 作ってみました。要望に答えて作れるとは、我ながら大した?ものだと思います。(8.19)
 書き込みが減っています。書き込みを読まれている方々には申し訳ありません。多少、 精神的夏バテ?ぎみです。太陽がギンギン照っていると、こんなことを(曲作り)していて いいのかと、自責の念が起きてきて、精神的に落ち込んできます。そう言いながらも曲は 相変わらずちゃんとできています。今週の新曲は「ボンクラカッシャ」という曲名にしま した。ボンクラカッシャは私の造語です。思い付いた歌をレコーダに吹き込み、それら短い 鼻唄を繋げて一つの曲にしました。新しい試みです。詩も構成しながら、作っていきました。 夏は本業もそこそこ忙しく、経営的には大丈夫だと思っています。改善すべきところを改善 して、さらに本業に精を出さなくてはいけません。秋、冬と暇になる前に、対策を練って おかないと、「アリとキリギリス」のキリギリスになってしまいます。けっして遊んでいる わけではありませんが、お金を稼げない人間は「負け犬」という発想がはびこっている 社会風潮においては、私のような人間は辛い立場です。(8.25)
 今朝の出来事です。ネコが車に引かれて 死んでいました。近くの野良ネコだと思われます。縞の子ネコです。目がギョロッと、口から舌が迫り出されて いました。車道に置いたままではさらに引かれてしまい、原形を留めなくなる可能性があります。 そうなると処理するにも、きついものがあります。いつもながら私は死骸のネコの尻尾を持ち上げ、 段ボールに入れ、蓋をして歩道に置きました。後で、市役所に電話して取りに来てもらいます。 これで三度目です。看取ることが出来、よかったです。どんな生き物でも、誰かに死を看取って もらいたいものだという思いが、私にはあります。自分がそうだからかもしれませんが、死を見つめる ことで、生の意味を知るからです。生きることには意味があり、誰でも、どんな生き物でも存在自体に 意義あるのだと信じています。ある人は蚊を殺すことも殺生だからと殺さない人がいます。 殺生の意味は何か?病気にかかり、治療することは殺生ではないのでしょうか?病原菌を 殺すことは殺生に値しないのでしょうか?ネコ殺しをエッセイで告発して、抗議を受けた 女流作家はどの時点で殺すかの線引きを彼女の価値観?で判断して、避妊手術も子ネコ殺し も同じという持論で持って、話を展開させています。同じ様なことですが、法律、常識の 範囲内での話となると、蚊を殺すことは殺生ではないかもしれませんし、病原菌を殺すこと はなおさらです。避妊手術をどう見るか?でも、子ネコ殺しは犯罪にあたります。女流ホラー 作家は自己の世界に埋没して、常識が欠如しているのでしょう。いくら詭弁を使っても殺し は殺しです。あと、殺生ですが、病気にかかったら治療しないのが、不殺生の精神では ないかと私は言いたいのです。それぐらいの覚悟がないと「不殺生」など大それたことは 言えません。どこかで、自己満足してるだけなのです。(続く)(8.26)
  昨日の書き込みはちょっと説明不足?言葉足らずでした。言いたいことは、不殺生を唱えるなら 病原菌も殺さないという覚悟がなくてはいけないという持論を主張したかったのです。人の唱えることは 何処か自己満足で終わっているところがあり、矛盾を指摘することで、人の弱さ、愚かさを 見つめてほしいという思いが私にはあります。特に宗教家が陥りやすいのが、偽善です。宗教の名の元で かえって見失っているものが無いか、自己反省を促したいおもいです。イスラエル・パレスチナ問題、 イスラムのテロリスト問題など最たるものです。(8.27)  子猫が路上に横たわっています。近づいて見ると、目は眼球が飛び出しそうになっていて、焦点はもう ありません。固定された眼球。口からは舌が迫り出しています。あとはこれといった損傷はなく、 アスファルトの上に置かれています。猫の死骸を処理するのは三度目です。最初は今回のように、車に 跳ねられた黒猫でした。次は死因ははかりませんが、わが家の敷地内で日当りの良いプランタの脇で、 やすらかに昼寝をするかのように、寝たまま死んでいた大きなトラ猫、今回は縞の子猫でした。 死を看取ることは大切です。どんな動物も同じです。生きた証の死なのです。私も死ぬときは誰か 愛する人に看取ってもらいたいものです。死は生の続きのはじまり。終わりではないと信じたい。 その旅立ちに立ち合えるのとは光栄です。死よ厳粛であれ!生よ歓喜であれ!   「子猫の死」 2006.8.27 子猫が車道の真ん中で、横たわっています。 近づいて見ると、目は眼球が飛び出しそうになっていて、 焦点はもうありません。 固定された眼球。 口からは舌が迫り出しています。 日の出が旅立ちを祝っているかのようです。 私が看取ってあげましたよ。 死は生(いのち)の続きの始まり、あなたの 旅立ちに立ち合えたのは光栄です。 死よ厳粛であれ! 死よ新たなる始まりであれ! 生よ歓喜であれ! アーメン
 久しぶり?今週はすでに三曲創作しました。「さよなら 子ねこ」「おわりの花火」 「ユニコーンと夢作品」それぞれ思い入れのある作品です。「さよなら子ねこ」は詩 「子猫の死」を歌にした作品です。「おわりの花火」は一枚の私の絵を見ながら、イメージ を膨らませて作った歌です。始めてのラブソング?です。イメージさえわけば何でも歌に 出来ることが分かりました。「ユニコーンと夢作品」はジャズ演奏とウクレレも上手な安藤 さんの制作現場(愛知製陶)での共同釜焚きを歌にしました。安藤さんと鉄のアーティスト (名前が出てきません)がトランペットの練習を二人で始めたと言われたので、私と曲で ジョイントできる歌を作りました。曲の中にトランペットの演奏箇所を折り込んだ、釜焚き 応援歌です。次回の愛知製陶での、私が歌うライブ用の歌として作りました。  土曜日のライブで常連の田中さんが「ガンガー・おやじバンド」を作ろうと言い出し、 井上陽水のコピーバンドということで私と二人で作りました。私が歌を担当して、伴奏は 田中さんです。人の曲を練習しない私としては、他人の歌を歌うだけでも、自分の曲作りの 参考になればという思いもあります。  先日、「アリとキリギリス」の話を例えで書き込みで使いました。冬になりキリギキスの 食べ物がなくなったとき、アリは見殺しにします。遊んでいたから自業自得だという話 だったと記憶しています。小さいころ、何故アリさんはキリギリスさんを助けなかったのか? 疑問に思ったものでした。今になって思うに、アイもキリギリスも同じなんだということです。 アリは働くことが好きで、ただ働いていた。キリギリスは遊ぶことが好きで遊んでいた。 ただそれだけのことなのです。他者を救うとは好き、嫌いの次元ではなくて、その者の人格んpの 尊厳問題なのだということです。後日時間があれば書き込みたいと思います。 私が歌を始めて、曲作りを始めて、今まで接してきた人の中に、いろいろな人間性をかいま 見る機会が与えられました。人生勉強になります。へんなプライドを持たれている方々は 私のような「ちょとつ猛進型」は理解出来ない、あるいは理解したくない節が見受けられます。 理解できないものを拒絶するのではなく、理解できないものを受け止める寛大さを持ちたい ものです。私は信じる道を邁進するのみです。(9.1)
 作曲を5月から始めて、店の曲を作らなくてはという意識はまったくないまま、昨日まで 来ました。興味がないと行動しないのが私です。最初に替え歌(ガンガーの店へ)を作った のはギター練習のためであって、店の宣伝が目的ではありませんでした。ただ人の歌を歌う のはおもしろくなかったので、「ガンガーの店へ」という替え歌を作りました。 ところが、昨日の晩、突然ガンガー宣伝?の歌が出来ました。以前から気になっていた ガルーダ(インドの女神)の人形を主題にしたガンガー応援歌です。店のエアコンの下で くるくる回っているガルーダの人形がユニークなのに気付いていた私です。お客さんの中 にも気付いていた人がいらっしゃいます。その人形が店の守り神という設定の歌です。 9日の「愛知うたごえオリジナルコンサート」にどうかと思って、藤村先生の奥様に話を したら、すでに歌う歌詞は印刷されているので、いまからは無理ですと断わられました。 残念!です。土曜日のガンガーライブで「ガルーダの守る店ガンガー」を発表します。(9.4)
今週は二曲できました。25番目「ガルーダの守る店ガンガー」この二番の詩が面白い かもしれません。26番目「まんまるまっ赤なくしゃみ」これまたユニークな歌になりました。 これは4番まで歌詞をつけました。曲作りは順調です。このままいけば一年で70〜80曲 ぐらい出来そうです。数作れば、良い曲もできるはずです。今のところ自分で気に入っている曲は 「ヤッホーおやじ」「友よ、夏だ!」「私は罪人」「終わりの花火」あたりです。人によっては 「おまじない・ちちん・ぷい・ぷい」「うんこ雲」が良いという人もいらっしゃいました。 「人生の足跡」「ボンクラカッシャ」「バーム・クーヘン食べたい」「まんまるまっ赤なくしゃみ」 このあたりも面白い曲だと思っています。来年3月には10曲ほど選んで、CD化したいという 夢を持っています。ライブ感覚でトークも折り込み、ミキシング録音したテープをCDにして、 自宅のパソコンで自主制作CDを作り、店で販売するという夢に向かってまっしぐらです。(9.6)
 「ガルーダの守る店ガンガー」を藤村先生が補作曲してくださいました。私の作った曲とはかなり 違って、劇的な作品となりました。ドラマチックという感じです。ここらがプロの由縁だと 思いました。私にとっては新鮮な体験となりました。多分、先生も新鮮?な感覚で補作され たのではないかと自分勝手に思っています。この「ガルーダの守る店ガンガー」がもう少し 早くできていれば9日の「愛知うたごえオリジナルコンサート」で発表出来たのにと、多少 悔やまれます。まあ来年がありますから、来年に取っておくのもいいかも?ただ、来年の 9月までガンガーが存続していなくてはいけません。みなさん?頑張りましょう。  「愛知うたごえオリジナルコンサート」の報告をしたいと思います。 午前中のリハーサルにはいろいろと忙しくて参加できませんでしたが、「うたごえ喫茶ガンガー」の 出番には間に合い、ちゃんと歌ってきました。うたごえ喫茶の有志も10名ほど集まり、 「ここがぼくらのガンガーさ」と「ガンガーの店へ」の2曲歌いました。「ガンガーの店へ」 は午前のリハーサルでキーを下げたことを知らされていなかったので、譜面通りに歌って いたら、隣で歌っていた一色さんが「キー下げて」と言われました。店で一人特訓した成果を 披露できなくて残念でした。2時から3時までいれたので、他の参加者の作品も聞くことが できました。トヨタ自動車労働者有志のグループは内部告発的な内容で、こんなこと歌に していいのかな?と多少驚きながら、歌にして訴えることも有だと思いました。(9.12)  
土曜日のライブでは、藤村先生が昼のオリジナルコンサート打ち上げ会?からの帰りに店 に寄ってくださり、私と「ここがぼくらのガンガーさ!」と「ガルーダの守る店ガンガー」の 二曲を歌われました。先生のギター演奏でのデュオは初めての体験でしたが、私としては とてもカッコ良く歌えたと思っています。ありがとうございました。土曜ライブでは初披露 だったので、常連さんも驚かれていたみたいです。私一人での弾き語りではよく音を外す ので、歌が下手だと思われている節がありますが、先生の演奏でちゃんと歌えたので、多少 偏見が無くなったのではないかと思われます。ギター演奏がもっと上手になれば、弾き語りの 歌も聞かせる歌声に変わっていくと自分なりに分析しています。(9.13)
 今週も2曲できました。「なれたら、いいな」と「よかあった・ガンバレ野バト」 どちらも実際の出来事を詩にして、歌にしました。「なれたら」は朝日に輝く空の雲を歌いました。 「よかあった」は店の入り口の木に巣を作っている野性のハトの雛を歌にしました。  今日から月曜日まで日進市民会館で開かれている日進美術展に親子三人絵画を出品しました。 お客さんの梅村(母と娘)さんがその批評会に参加して、私たち三人の絵の批評を聞いて、 報告にわざわざ店に来て下さりました。朝は妻の日本画を、夕方は息子と私の洋画の批評を 聞きに二度も市民会館に行ってくださったのです。ありがとうございました。感謝です。 妻と息子の良かった所と足りなかった物が何かはっきりしました。ただ、私の絵に関しては 白い服はあれでよかったと自己判断しています。人物の「潔白さ」を強調したかったので、 あえて白いままの衣服にしたのです。バックの夜空との対比も意識して「白」を強調した つもりです。その白い服が物足りないというのなら、価値観?の差としか言えません。 私の絵に関する批評では審査員との価値観の違いが見受けられました。それはそれでいいのです。 公募展の批評とはそんなものなのです。妻と息子は欠けた所がはっきりして良かったと思います。 梅村さんありがとうございました。(9.15)
3〜4日前から、右目が赤く充血しています。一ヵ月 前にも同じ症状になったことがあります。そのときは目薬ですぐに良くなりましたが、今回は 長引いています。原因は?見にくい楽譜を見続けていたからか?自己判断では楽譜を薄暗い場所で 見続けたのが原因だと思っています。演奏練習を控え、明るいところで演奏するようにしたら 回復すると思っていますが、なかなか思うようにいきません。しばらく目薬で様子を伺います。  台風13号で野バトの巣が大揺れです。さあどうする?細い幹の枝に巣をつくっているので、 ちょっとした強風で大揺れです。昨年はそれで(台風)巣から卵が歩道に落ち、割れたのでした。 今年はすでに雛にかえっているので、その心配はりませんが、今度は雛が巣から落ちないかと、 心配しています。家主として、対策をこうじることにしました。ヒモで細い幹を固定させるのです。 ロープというものが家にないので、荷物作り用のビニールヒモで間に合わせることにしました。 四方から幹を固定させました。揺れも少なくなって、一安心です。ただ、まだ台風が来ていないので こんなもんですが、台風直撃となると・・・、あとは野バトの野性の強さに頼るしかありません。 夜中、強い風と雨音で目が覚めてしまいました。それでなくても睡眠不足ぎみで、多少疲れています。 心配になり下の店まで降り、様子を伺ってみました。歩道には雛らしきものは落ちていません。 枝の揺れもそんなになく、一安心して床につきました。朝一番に巣を覗き込むと、雛が二羽元気よく はばたいていました。よかった、よかった。この辺の出来事を歌に出来ないかと画策?しています。 (9.18)
 今週の曲も無事できました。「チェリー(さくらんぼ)」という題名にしました。 妻の描いたチェリーの水彩画を見ながらイメェージして歌を作りました。ものの一分でできて しまいした。こんなに簡単に出来ていいのかという感じです。言葉と曲が湧いてくるというか? 出来るときはこんなものかという、淡泊?というかあっさりしています。以前にもこんな感覚の 時期がありました。6年ほど前です。一年間に250篇ほどの詩を作り、一年六ヵ月ほどで350篇 作ったことがあります。そのときは詩が長くなり、童話へと移行していき、さらに小説への長編作品へと 変貌していき、長い文章を書いていくうちに、いつしか詩を書かなく(書けなく?)なったのでした。 何故そんなに急いで詩を作ったかというと、金子みすずさんが3年で515篇?ほど作って亡くなられた ということを知って、金子さんの多作に挑戦するつもりで、2年間で500篇を目指した記憶があります。 創作を競争の道具としてというか、挑戦することで、達成感を満たしたかったのかもしれません。 内容が問題なのですが、数で満足したいという欲望がなせる業なのかもしれません。不純物が混ざって いてはいい作品はできないものだと思います。童話と小説はある意味純粋性が保たれていたと思います。 競争する必要がないのです。詩も競争して作るものではないのですが、詩のような小作品?となると 何故か、数作らないといけないという脅迫観念に襲われてしまいます。何故か数にこだわってしまいます。 「働き蜂の習性」?が私の根底にあるのかもしれません。そろそろ物書きに戻らなくてはいけないのでは ないかと自己分析しています。物書きとしての思考が止まってしばらくします。そろそろ補充しないと、 種切れして、駄作しか出来なくなってきそうです。聖書に戻り、思考を深めたいと思っています。  手持ちのギターで新しい発見をしました。ギターについて詳しい方にとっては大したこと ではないのですが、私としては新発見なのです。息子が弾かないからというので私にくれた ギターをいままで余り評価していませんでした。新品で買った中国製の安いギターです。 音は大きいが、品が無いというイメージで時たま暇潰しに弾く程度でした。ピックは柔らか 目の物しか持っていなかったので、それで弾くと何か音が雑に聞えてなりませんでした。 前回の土曜のライブでお客さんが「硬いピックない?」と言われ、これしかありませんと、 私のピックを渡すと、「柔らかい」といわれました。硬さで違いがあるのか?とそのとき 思いました。ピックの硬さについては余りというか、ほとんど考えにありませんでした。 そのことが頭の隅にあったので、息子のギターを弾くとき、もしかしたらこのギターは弦が 私のギターの中では一番太い弦を使っているので、硬いピックで弾いてみると違った音になる かもしれないと思い立ちました。ただ、普通のピックは柔らかい物しかないので、もしか したらサムピック(親指用)の材質が硬いかもしれないと思い、さっそくサムピックで弾い てみました。するといままで柔らかいピックでしか弾いていなかったので、驚きました。 別のギターのような迫力ある音が出るのです。「箱音」と言えばいいのか?ギターの ボディ全体が共鳴するような迫力ある音が出るのです。たまたま、2〜3週間前にナットと サドルの調整を暇にまかせて行っていたことも好を奏したのかもしれませんが、実にいいの です。5900円(新品)のギターとは思えません。5万円のギターと言えば、信じて しまいそうな、そんな音をさせます。いまはこのギターを弾くのが楽しみになっています。 ギターの材質はベニアの安い作りですが、表面塗装が日本製よりも分厚く、そのため音が 反響して箱音、ボディ全体が共鳴するのだと私は分析しています。ギターは値段ではないとも 言えます。あと自分の好みの音を探すことも必要かと思いました。アルペジオで弾くときは 35年前の東海製(ハニング.バード)ギターで、アップ・ダウン奏法でガンガン弾くとき は硬いピック(サムピック)で、息子の中国製ギターを弾くことにしました。使用目的に よってギターを使い分ける知恵も付いてきました。多少進歩しています。(9.20)
 昨日の昼「うたごえ喫茶」などで知り合った藤村先生の知人の竹中さんが来られました。 私の書き物「眼我通信」の古い号を読まれて、共感したことを私に伝えるために、食事がてら 来られました。ありがたいことです。かなり以前にお渡しした「眼我通信」です。私の特異性に 共感したのだと思います。自分(竹中さん自身)や藤村先生は団塊の世代の次の世代であって、 団塊世代からみたら新参者あつかいされ、団塊世代のしていることを批判しようものなら、 袋叩きの目に合うことを経験しているので、私の書き物の中に出てくる批判は実に共感できると いうような話だったと 私は解釈しています。同じ感覚の人間に出会えたことへの喜び?の ようなものを彼から受け取りました。私も同じ意味で、理解者がまた一人増えたという思い でした。自己表現していかなくては理解もされません。「思い」を書き物や歌で表現していき たいものです。(9.21)
 今朝、ふと思ったことを書き連ねます。物を生み出す(創造)ことに意義があって、 生み出された物に対しての評価は別に気にしない(誉められれば嬉しいし、けなされれば それなりに反応します。その場合、悪意からの批判なのかどうかが問題です)、私見を 言わせてもらえば、物を創造する人(表現者)は自己作品を冷静に自己分析、自己批判 できないようでは問題外だということです。今私は歌を作っていますが、ビートルズの曲も 私の曲もオリジナルという意味では まったく同じなのです。ただ、人の評価はビートルズと 私の曲では大いに 違います。でも、私にとっては人の評価は先ほど書いたように、さほど 気にならないのです。悪意からの評価には異を唱えますが、好き嫌いのレベルなら、そりゃあ 個人の自由で、ビートルズが好きという人が圧倒的多数です。そんなことは私には興味が ないのです。作るという行為が楽しくて作っているわけであって、良い評価を受けるために 作っているわけではありません。ただ、自分の作品の未熟さを克服したいという思いは 充分あります。私個人としてはビートルズの曲よりも自分の作品(曲)のほうが好きです。 だから私は人の曲をほとんど歌いませんし、練習もしません。文章でも同じです。絵でも同じです。 なんでしょうか?自己表現における、独自性を大切にしたいという思いが強いのです。独自性を もっと評価すべきです。(9.22)
 30番目の記念すべき曲ができました。古い詩「つばめの赤ちゃん」に曲を付けた 作品です。これも、ものの一分かからないで出来ました。録音して楽譜に直すのに一時間半は かかります。この辺が素人の手作りです。ちっと慣れみたいな感覚で簡単に出来上がることに、 多少の危機感?みたいなものが無きにしも非ずです。ような同じレベルの歌しか作れなく なってきているのではないかという危機感みたいなものです。以前のような新鮮な感動が 薄らぎ、惰性でつくっているのではないかという思いが沸き起こってきます。壁を見つけ、その 壁をよじ登る、越える力が自分にあるのか?壁自体が見えなく、井戸の中をぐるぐる回っている だけではないか?上を見て、下を見て、客観的に自己を分析しなくてはいけません。公表して 多くの人に批評してもらわなくてはいけません。誉め言葉より、欠けている所を指摘して くださる方が表われることを期待します。謙虚に反省すべきは反省して、前進したいものです。 (9.24)
 一昨日わが家の猫二匹がヤモリ(守宮)をベランダから連れ込み、虐待して遊んでしまった ようです。朝、居間に死んだヤモリが横たわっていました。妻が昨晩そのことに気付いて いたのですが、怖くて猫を諌(いさ)めることが出来なかったとのことです。ヤモリは宮を 守ると書いて守宮(ヤモリ)と読むそうです。家の害虫を食べる守り神として中国では喜ば れる生き物だそうです。そのことをお客さんに話していたらそのお客さんが、ヤモリの歌を 作ったらというので、さっそく作りました。「守宮(ヤモリ)レクイエム」31番目の曲に なりました。 「つばめの赤ちゃん」の歌の中に雛の鳴く箇所が二箇所あるのですが、ギターで表現しづらく ジャズの安藤さんに「何かいい方法はありませんか?」と相談したら、「カズー」?という 楽器がいいんじゃないかとアドバイスを頂きました。ハーモニカーのように吹く楽器で ハーモニカよりも簡単だということです。500円ぐらいであるということなので、さっそく どこかの楽器店で手に入れたいと思います。  ギターのことで、気付いたがあります。湿度が多い(46%以上)日は楽器の鳴りが悪く なることは知識として知っていましたが、実際本当だということが理解できました。 35年前のTOKAIのギターと息子の5900円の中国製のギターはさほど湿度に影響を 受けないようで、雨の日もさほど音に驚くほどの変化はみられません。ところが、17年前 の中国製の無名ギターは時たま音が鈍くなりことがあり、原因はブリッジを修理した後遺症 だと思っていました。昨日も音が鈍く、あまりの鈍さに弾くのを辞めたほどでした。今朝、 確認のため弾いてみると、昨日とうって変わって、爽快な音なのです。? 原因はと考えました?今朝は秋晴れの爽快な朝でした。昨日は雨模様の一日でした。 時たま鈍くなったのはブリッジの後遺症ではなくて、湿気に敏感に反応していたからなの だということに気付きました。ではこの17年前のギターだけが、こんなに湿気に敏感 に反応するのは何故なのでしょうか?ギターの材質に関係しているのではないかと、素人 判断をしています。湿気に敏感なのは良いことなのではかとも思っています。湿度が46% 以上だと音に良くないことは、有名なバイオリニストの千住?(彼女はストラビバリウスを 所持していて、湿度46%を過ぎると極端に音が悪くなるとラジオの対談で言われていま した)が言われていました。裏を返せば、湿度に敏感に反応する楽器は、良い楽器といえる のかもしれません?そのことを考えるとこの17年前の中国の無名ギターにも愛着が湧いて きます。それぞれ個性があって楽しいです。ギターの違い(個性)を楽しんでいます。  安倍さんが掲げる「美しい国 日本」?何が美しいのでしょうか?見かけの美しさを 唱っているだけのような気がします。(9.27)
 今週の新曲は3曲です。30番目はすずめの「がんばれ・すずめの赤ちゃん」、 31番目はヤモリの「守宮(ヤモリ)レクイエム」、32番目はゴキブリの「ブラボー・ゴッキ」と 身近な生き物たちを歌っています。誰も歌にしないようなものを歌にしています。生き物へ の賛歌のつもりです。我ながら気に入っています。小説「ゴッキの宇宙」も未完のまま放置 されています。やらなくてはいけないことが山ほどあり・・・。フー!  来年の正月は帰省しようかと思っています。3年ぶりです。たぶん私一人での帰省に なると思います。その際、ギターを持って帰ろうかとも思ったのですが、正月の帰省ラッシュ の中、あの大きなギターを持ち歩く勇気(体力?)がありません。そこで、ウクレレなら コンパクトで持ち運びが便利です。12月までにウクレレを手に入れて、帰省までの間に 自分の曲をウクレレで弾けるようにしてから正月に帰省したいと思っています。当然 ウクレレは別府に持って行きます。おふくろは私の演奏を聞いたことがないので、ぜひ 生演奏を聞かせてあげたいのです。(9.30)
 
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