(V) 2章 文明の形成と科学産業革命
2-1 宗教哲学の発達
社会,組織,政治では補いきれない心の問題を解決することが社会の安定をもたらした。
ギリシャ哲学 BC500〜300年にかけてヘラクレィトス,ソクラテス,プラトン,アリストテレス,エピクロス,デモクリトス等が倫理,自然,について論理を重んじ知を求めた。
キリスト教 AD10年(西暦10年以後ADを省略)頃旧約聖書のユダヤ人の世界から脱却し、神を信じ自らの罪を悔いれば体制から疎外された者を含みすべての人が神の愛により救われることをイエスが説き、30年死刑になった後その教えをペテロ,パウロが広め、被支配者層を中心として広まり400年にはロ−マ帝国の国教となり、ゲルマン人の移動後西ヨ−ロッパ諸国に広まり、現在はヨ−ロッパ,アメリカ大陸,オ−ストラリアでは日常生活,制度,法律等に欠かすことが出来ない。
イスラム教 アラビア半島メッカのマホメット(570〜632)が瞑想の末アッラ−の啓示を受け広めたもの。ユダヤ教,キリスト教の影響を受けているがイスラム教が最終正当な継承者と主張する。ユダヤ教,キリスト教と同じく中東発祥一神教である。布教に軍事力が併用され、アラブイスラムが中東,北アフリカ,イベリア半島に(700〜1100年)オット−マントルコの時代(1400〜1600年)には東南ヨ−ロッパ,ドナウ川下流
ハンガリ−まで進出した。アジアでもパキスタン,インドの一部,アフガニスタン,インドネシア,マレ−半島まで広まっている。政治にも宗教が入ってくるのが特徴である。
仏教 BC500年頃インド北部王族の子釈迦は生老病死を持つ人生の問題に悩み、出家苦行後熟慮を重ね、悟りを開き中道と慈悲の教えを説いた。死後その言行をまとめたものが仏教となり、東アジア,中国,モンゴル,チッベット,朝鮮半島,日本に伝えられ発祥のインドでは殆ど消滅し、中国も共産主義国家となって同様に亡びその他は強弱色々だが今日も影響を残している。
儒学 中国春秋時代末孔子(BC551〜479年)が春秋(BC770〜400年)の乱れた世を正すべく、BC1044〜771年の西周の時代を理想と考え、再現しようとした言行を弟子が論語としてまとめた。儒学の体系としては其の他前漢(BC200〜AD8年)の時代五経(詩・書・礼・易・春秋)と言う古い経典と、後に大学・中庸・論語・孟子を四書として加え清以前の中国で国教のようなもであった。
漢の武帝はBC136年五経を中心に高級幹部採用試験を行い、以後四書も加わって科挙の試験として最終試験には皇帝が自ら選ぶ重要なものとして1905年清が亡びるまで続いた。
儒学は朝鮮,日本に伝えられ統治層の学問として定着したが日本では国情に合わせて取捨選択を行い、易姓革命を廃棄し孝より忠を重んずるなど手を加え、天皇の伝統を中心にしてまとめ、幕末海外侵略の危機を補正した儒学を活用して乗り切った。しかしその後日常活躍しているとは思えないが、今でも大きな影響を残している。
2-2 十字軍がルネサンス・宗教革命・科学の発見の引き金を引いた
アラブイスラムよりキリスト教の聖地エルサレムを取り戻すべく1096〜1270年にかけて7回も十字軍の遠征を行ったが目的を果たすことが遂に出来なかった。其の中には仲間同士の勢力争いに終始したり、同じキリスト教のビザンツ帝国のコンスタンチノ−プルを占領したり見当はずれの事が多かった。しかしイスラム社会と深くふれ合ったため別の結果を生じ、アラブが受けついだギリシア・ロ−マの文明を吸収し野蛮なゲルマン人の目を開くことになり、社会の体制に疑問と批判の心を起し真実を追求することとなった。その様子を「U-2 西ヨ-ロッパ諸国の発展と科学」の1章 1300〜1600年ルネサンス,宗教改革,東洋へ航海で取り上げた様に十字軍がギリシヤ,ロ−マ文明との仲立ちを行い、ルネサンスが生じ宗教改革から科学の発見に到った。
しかし何故科学の発見がヨ−ロッパで起きて中東,インド,中国で起きなかったのか。それらの国は古代文明発祥の地で創造の生命を使い果たしたからだとも言える。それでは其の文明を伝えられた周辺の国はどうだったろうか。朝鮮,日本ともに先進文明に敬意をはらって受け入れたものの、さらにもう一歩ふみだす気はなかったようである。その原因は三つにわけて考えられる。
(@)伝えられた宗教の影響 儒学は宗教ではないが一神教のような一つの真実を追求する厳しさに欠けている。これが日常の生活のみならず周囲の自然を見る姿勢に影響し、存在する唯一つの真実を追求するエネルギ−は発生しないので、科学の発見には到らなかった。むしろその必要がなかったといえる。なんとなれば儒学の要素は先王,過去の聖人君子の道を正しく受け継ぐこと、先人の道を祖述することである。普遍的真実を追求して成立する科学とは別世界である。
イスラムは政教一致であり宗教のリ−ダ−の意向に左右されるので、一神教であっても作為と思い込みが入りやすく科学にはむかない。キリスト教でも司祭,司教の強いカトリックのほうが不利の面がある。(地動説とロ−マ教皇の争いを参考にしてほしい)
(A)ヨ−ロッパが受けた文明にギリシヤの比重が多かった ギリシヤ人は論理を好むインドア−リアの性癖を受け、論理で社会成立を成功させた。時とすると行き過ぎ詭弁になっても論理が成立すれば正しいとされ裁判は勝利であった。
受け取ったヨ−ロッパは実験と観察を加えて主観の誤りを排除し科学へたどり着いた。
(B)ヨ−ロッパ人の論理性 かれらもインドア−リアで、成立した古い時代から論理に長じた民族である。一貫した論理で整理されることは十分条件ではないが必要条件である。之に加えて十字軍の付録として東方の文明にふれ発生した批判の精神から、実験と実証の手法が加わり十分条件となり科学が成立した。
我々日本人には不得手な面であり、それが原因となり1868年明治維新から136年その間日露戦争,日支事変,太平洋戦争,バブル崩壊等さまざまな経過を辿り、伸びては叩かれ成果はあったものの目標には達してない。成長と変化には長い年月がまだ必要と思はれる。
2-3
産業革命成立の条件と近代文明
産業革命が生じた原因は二つある。一つは1400年ごろ発見された科学であり、もう一つはエネルギ−の供給が豊かになったことである。科学の成立と進展が影響したことは万人のよく知る所であるが、化石エネルギ−(石炭)が産業革命を推進したことは見落とされている。
鉄 17〜18世紀イギリスで鉄の生産が高まり、鉄鉱石を木炭で還元して作る生産性が高まるとともに高炉による製法が広まり、イギリスの森は木炭にするため消滅した。1709年ダ−ビ−はイギリスに多い石炭からコ−クスを作り木炭の代わりに使用した所、木炭より多量の鉄を得る事ができた。また送風にニュコ−メンの蒸気エンジンを使用し生産性をあげた。石炭を採取する炭坑で生ずる水も前記エンジンで汲み上げ問題を解決した。その結果高炉の温度が上がり生産される鉄に炭素が多く入りこみ、鉄は銑鉄となり脆く鍛造できなくなった。そこで1740年頃イギリスでは坩堝にいれて長時間加熱し空気によって溶けた鉄の炭素を酸化して鍛鉄を得、1784年には反射炉に銑鉄をいれて加熱,攪拌することでより生産性の高い鍛鉄を得、製鋼法の途を開いた。U-2 7章18世紀科学技術による産業革命にあげてあるが、石炭のエネルギ−で鉄鋼が作られるようになった。
今日製鉄法は巨大になったがやはり同じ様にコ−クスで鉱石を加熱還元して作り、付属機械の稼動は石炭,石油,原子力で発電した電力によっている。鉱石から還元された銑鉄に空気から電力で分離した酸素を転炉で吹き付け炭素を抜き鋼にする。要するに鉄鉱石にエネルギ−をつぎ込んで鋼が出来る。
動力 ニュ−コメンのエンジンは連続回転運動には不向きであったがU-2 7章の蒸気機関の発明で1769年ワットが今日の蒸気機関を発明し、今は電力モ−タ−,内燃機関に替わっているが、1930年頃まで動力は石炭エネルギ−による蒸気機関であった。今の動力は石炭,石油,原子力により直接又は電気に変換しているがエネルギ−無しに動力は発生しない。
諸機械 1733年イギリスのジョンケイがフライングシャトルを発明し、綿布を効率的に作ることを始め、以後1760年ハ−グリ−ブの紡績機,1769年ア−クライトの自動紡績機,1785年カ−トライトの動力織機等高性能の紡織機が発明され、ワットの蒸気機関発明後はそれで駆動して更に生産性が向上した。紡織機以外にも蒸気機関車,鉄道その他諸機械及びそれを作る機械が18世紀にイギリスを中心に発達した。
近代文明 (1)鉱石から科学技術とエネルギ−を使用して鉄鋼を作り,(2)鉄鋼から科学技術とエネルギ−を使用して機械を作る,(3)機械にエネルギ−を加えて生活の利便を生じ近代文明が生れた。
この三つの過程いずれもエネルギ−を使用して成立する。18世紀のイギリスではエネルギ−は石炭であり20世紀始めまで全世界すべて石炭であった。機械で説明したが化学製品等あらゆる産業生活に成立し変化のある所必ずエネルギ−を必要とする。
20世紀初めに石油の使用が始まり、天然ガスが加わり自動車,航空機,ロケットはこれ以外の燃料では考えられない。又石炭,石油,原子力による発電が始まり、石炭で蒸気を作り直接エンジンのエネルギ−として使用することは今では無いが、石炭か石油かとゆうことは基本的な問題ではない。(4)更にエネルギ−としてではなく石油天然ガスから作られる高分子プラスチック抜きでは現在の豊かな生活は成立しない。
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