(T)3章 平等と不平等
3-1
なぜ存在するか
平等であると言っても、能力,性格に抜き難い差が有り幸,不幸を生ずることは事実で遺伝もからんでいる。全体が平等であれば進歩向上の意欲が生じないので不平等の存在は神の摂理かもしれない。其れに対応するには進化論に目を向けることも必要である。
3-2 進化論
ダーウインの進化論 ダーウインが140年前に示した「種の起原」によると「変化した多様な形質が生存競争による自然選択により生存に有利な形質が生き残り進化する」が骨子である。その後遺伝子が発見され、そこに生ずる突然変異の現象を加え修正する他、発見された古代生物の歴史に合わせて補正を行い色々の進化論が提出されている。
之に反対する意見として「形質獲得の説」がラマルクにより唱えられ、例えばキリン高い木の葉を食する為に首が長くなったと言う様に必要で修得した機能が子孫に伝わると考えた。しかし遺伝子が発見され、いかに生前努力しても生殖細胞(卵又は精子)の遺伝子は変化せず,修得した機能は子孫に伝わらない事が今日明らかになっている。しかし以上の進化論の実証には非常に難点がある。実証するには進化について数百年〜数万年以上、場合によっては数百万年〜数千万年にわたり条件を変えて実験的に検証する必要がある。これが出来ないと科学として成立せず必要にして十分な条件をもっていない。
突然変異は立証されており遺伝子に変化を与えるが、発生確率が等しいので分子時計として使える。又また機能の変化に対する抵抗から生ずる蛋白質の種類により変化の早さに差がある。しかしこれで判るのは例えば爬虫類から哺乳類が分岐した年代が推定出来るだけで,進化を生ずる機構を説明しない。突然変異は生物に対し有利にも不利にも働くので、進化がどの方向に進むか判らず環境に適した進化を形成するのに数十億年経ってもあてにならないのではないか。
ダーウインの進化論で誤りなく残るのは「生存競争による自然選択」だけで,選択される多様な形質がどうやって生ずるかはわからない。又自然選択と言っても結局判断できるのは,生き残っているかどうか結果次第である。力の強さ,知恵の程度で勝敗が決まるとばかり言えない。力,知恵とは何か今ひとつ判らないからである
ここで「形質獲得の説は誤り」及び「進化に当事者が直接関わらない」が正しいとする二つの実験を考えてみよう。
一つはネズミの尾を切る処理を数世代にわたって行っても短い尾のネズミは生まれなかった。
もう一つの実験では細菌と抗生物質との関わり合いである。細菌はストレプトマイシン、キロマイシン等抗生物質で増殖を止めることが出来るが使用し続けると耐性菌が発生する。突然変異した菌が増殖するからである。この菌は抗生物質に会ったため突然変異したのではなく,非常に少ないが事前に突然変異菌が存在し、抗生物質が無い時は外の菌と同じ様に増殖するが、抗生物質出会うと其れだけが生き残り急速に増加するのだ。異なる耐性菌が遺伝子を譲りあってどんな抗生物質も効かない菌さえある。
これらの現象から生物は環境が変わった時、自ら変化して環境に合わせることをしない。変化が有ったと見えるのは始めからその要素を持っており自然選択されただけと結論されている
ここで問題にするのはネズミも菌も実験を行った時に、自らを変える必要が無かった事である。ネズミは長い尾が必要であり菌は突然変異菌をすでに用意してあり環境の変化に対する対応は出来ており実験は無意味で何も証明しない。「形質獲得」の説を否定しようとすれば、生物が変化する意志を持って働きかけても効果が無いことを証明しなくてはならない。他の生命そんな事をさせるなどできるわけがなく実験は見当はずれといえる
要するに「形質獲得」説は証明も否定もできない。
分子生物学よりの視点 殆どの動植物は遺伝子を対で持っており,減数分裂で4本となり内2本が交差し一部変更された父母よりのもの各一本,変更されてない父母よりのもの各一本(計4本数に変化はないが2種類から4種類)と卵、精子は多様化する。
もう一つもっと大きな動きは遺伝子の重複である。生命が発生してから遺伝子が新たに作られたのは40億年前生命発生初期だけで、後は重複、借用により新しい遺伝子進化が行はれたと言う。事実各タンパクはファミリーを作っているものが多く重複、修飾により先祖より分岐したものとかんがえられる。
この重複の原因になるのが転移因子で突然変異より影響も頻度も高い。進化との関係の研究が行はれているが近い将来「選択される多様な形質」がいかにして生ずるか判明すると思はれる。生命当事者の要求と転位因子による遺伝子変更との関係はあるのか、あるとしても生命当事者の満足する結果とならないかもしれない。成功か否かは自然選択がきめるので生命の自由にはならないであろう。成功するには多くの試みが必要であるし実証するには短くて数百年、又は数万年要るだろうが分子生物学の手法で人一代の間に実証するやり方を発見出来ると思う。問題は生命のだすサインの機構と望ましい転移の関係がどう生ずるかである。
3-3 歴史より平等不平等の考察
アフリカよりでた人類 現在の人類は6万年前アフリカより、モンゴリア(中国、タイインドネシア,日本,アメリカ原住民を含む)は東北へ、ヨーロッパ人は西北へ(おおざっぱな話でアラブ、南インド人等はよく分らない)と分岐した。勿論残留アフリカ人はそこで進化を続けた。この三者に差が有り更にヨーロッパ人同士、モンゴリア同士にも大きな差がある。
アフリカにいた時の集団中の差がそれぞれ拡大固定したとも考えられるが、アフリカにいた時は集団も小さく交流もありそれほど大きくはなかったと思われるが、6万年経つと考えられない程の差となって存在している。之は偶然の変化の積算とは考えられない。事態を乗り切るため色々の試行を数えきれない程行い、その内自然選択されて残ったものに差がついたのであろう。個別の歴史で家系を取り上げてみよう。
日本史上の例 人材を次々出した例として藤原氏、北条氏があげられる。藤原氏は中臣氏(祭司をつかさどる)より出た鎌足が有能で権力中枢に座り以後数世代にわたり人材が続き権力を確立した。北条氏についても地方豪族だったのが頼朝と結びつき氏政以後代代人材を出した為他の家人から抜け出して権力を握ることができた。
その他自分らの周りをみても秀才の子弟が同じく秀才である確率が高い事を知っている。両親の出来が悪ければその子弟は努力を尽くしても限界がある。「天才は努力の賜物
」と言うが素質が無ければ人一代の内には辿り着く公算は少ない。
藤原、北条の系列がのし上がる前どうだったかは記録に無いが、生き延びて向上する努力と野心の流れに長い年月が自然にあって遺伝子にも変化が生じ、才能形成に成功し力をつけ社会での機会にも偶然めぐり合って現世の成功が成立したのであろう。史上に名をとめる前の努力と夢を持つ事にこそ最大の功績があって成功の果実は子孫が味わうことになる。
しかしその成功は又永遠のものではなく満足を生じ衰退に向かい二度と日の目を見る事がなくなるのが常である。
ローマ帝国 ローマも同じ流れをたどった。伝説的には紀元前753年建国されたが弱小部族であり、北方エトルリアの支配を受け前500年ごろ支配を抜けだしたがその後もエトルリア、ガリアの侵攻を受けていた。前300年より強盛になりイタリアを統一し、ポエニ戦争でカルタゴを破ってから地中海沿岸を中心にローマ帝国として君臨した。紀元後410年西ゴート族の侵入まで700年繁栄した。建国より弱小の悲哀をなめながら400年後上昇し、繁栄の頂点に達してから衰退700年の運命を終えた。栄枯盛衰の典型例をしめしている。
イギリスとドイツ イギリス(グレートブリテン又はU.K.)はスコットランド、ウェールズ、アイルランドのアルスター地区、イングランドから成り前二者はケルト人の子孫が主体、後の二者はアングロ,サクソン,ユートにデーン人(ノルマンの一族)よりなり、後の部族がイギリスの歴史を動かしてきた。この部族はドイツのゲルマン人と殆ど同族であるのにイギリスは近代史を作り上げる最大の力になったのに、ドイツは19世紀に至るまで中世の様子を引きずり立ち遅れた。
イギリスは議会政治をつくり株式会社制度を考案し資本を集め産業を興し易くした外、特許制度を作り技術の公開と発明者の権利を計り産業,技術,社会が発展し易い途を開いた。
科学的発見にも力があった。ニュートンによる力学微積分学,マクスウエルの電磁気学,ボイルの法則,ジュールの法則,ハーベーの血液じゅんかん,ハットンの地質学,ドルトンの原子論,ネピーアの対数,ジェンナーの種痘等数しれずある。又其れを裏うちするベーコンの実証的な哲学の傾向が一般にあり進展を支えた。
結果として産業革命が起こりワットの蒸気機関を元にして各種機械を発明して社会を豊かにした。支える素材として製鉄技術がおこり、鉄鉱石を鉄にするため木材にかえて地質調査で発見されていた石炭それもコークスにして還元と溶解に使用銑鉄(脆い鉄と称した)を作り、熔けた状態で空気を吹きこんで鋼(ねばい鉄と称した)にするベッセマー法を成立させた。ベッセマーは特許法に権利を守られて開発に専念できたのが大きかった。
ドイツではこの様な流れは起きなかった。これは単なる能力の差が原因となったのではない。原因として第一に挙げられるのは環境の安定度である。イギリスではエセックス王が829年イングランドを統一してから王朝が色々変わりはしたが、国としては統一して存在したが、ドイツではいくつかの王国として諸侯が並立し、国としては1871年プロシヤを中心としたドイツ帝国が始めてである。
450年イギリスに渡ったアングロサクソン王エセックスは829年イングランドを統一した。その前後デーン人の侵入がはげしく1016年〜1042年にはデーン王クヌートの支配を受け、さらに1066年には別のノルマン人の侵攻をうけのルマン王朝が成立した。島内では先住のケルト即ちウェールズ,スコットランド人との抗争を持つ多民族の構成でありながら国として安定したストレスが存在したと考えられ、之は進化の要素になる。
ドイツではサクソン,ブルグンド,フランク族(いずれもゲルマン人)が東フランク王国,神聖ローマ帝国となり、オーストリアハプスブルグ帝国があったものの諸侯並立で国家としての求心力が働かなかったばかりか、新教,旧教(キリスト教)の対立があった所に外国の干渉を受け近代国家への成長がなかった。
第二の原因として人種の多様性が文化の多様性を生むことである。ドイツはゲルマン単一であるのに、アングロ,サクソン,ユートがゲルマン人、それにかなり近いがノルマン人、又見落としてならないのがケルト人である。歴史上ストレスの原因でもあったが文化の多様性に功績があった。この民族は集団として組織を上手に作ることが下手である。ガリア人がローマによって滅ぼされたのもその欠点からであった。しかし個人をあげるとゲルマンとことなるユニークな人材をおおくだしている。例えばスコットランドから移住した(アメリカへ)カーネギー,アメリカ海軍創設者ジョンポールジョーンズ、アイルランドからはヘンリーフォード,ケネデイ,レーガン
―――いくらでもでてくる。
第三の原因は島国であった事である。島国は外からの侵入を防ぎ易い事と、内部の抗争があっても外部からつけ入られ難い事のため、平和の安心感が存在し進歩の要因になった。これらのことが重なって829年エセックス王の統一から1600年のエリザベス一世まで800年かかり諸問題を克服成長し、スペイン海軍を破るまで力をつけ1700年代には制海権を握っている。
史上名を成した者は突然現れない
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フイリッポス2世―――アレキサンダー大王
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源義朝――――――――源頼朝
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足利家時―――――――足利高氏 源義家が 「我が七代の子孫に吾生まれ代わり天下
をとるべし」との置き文を残した。家時は七代目であり天下を取れざるを嘆き「我が命を短め三代にて天下を取らしめ給え。」と八幡大菩薩に祈って腹を切った。三代目が高氏 である。
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徳川の先祖は流浪して豊田の山奥松平郷の豪族に婿として入り込み、数代かかって平地を求めて南下し家康に至って遂に岡崎、浜松に地歩を固めさらには天下を取るまでに至った。
以上の数例であるが上昇志向が長い年代続き辛苦の末事が成ることが多く、親が辛苦の末非業の一生を終え子が成功で報いる話はよくある事で、親の非業の度合いが大きいほど子孫の成功が大きい事も目につく。又これら史上に名をとめた者の前に無名の先祖が流した労苦無しにその物語が成立するとは考えられない。
3-4
進化についてのまとめ
1−能力,性格は遺伝にとり決まり決定的な影響を子孫に与える。いかに努力しようと素質が
なければ一生の内には或る水準をこえることはない。
2―与えられた環境に大きな影響をうける。
3−長期のストレスから生ずる努力の集積が進化をもたらす。
4−その期間は数百年以上であるが、人類の歴史では短そうで200〜300年でも相当の
変化がありそうである。
5−以上の結論は歴史より推定しただけでそれ以上の根拠はない。しかし分子生物学の進歩
が証明してくれるものと信じている。
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