Marie Antoinette



マリー・アントワネットは1755年11月2日、オーストリアの女帝マリア・テレジアの末娘としてウィーンで生まれました。ウィーンでは両親に愛され気ままに暮らしましたが、1770年、ハプスブルク家とブルボン家の同盟政策のために14歳で、16歳のフランス王太子(のちのルイ16世)と結婚することになりました。そして4年後、ルイ15世の崩御と共に、18歳と20歳の若い王太子夫妻は王位につくことになりました・・・

私の大好きな歴史上の人物です。大学時代に苦しんだ卒論のメインテーマも彼女についてでした。その題目はずばり「マリー・アントワネットは悪女か。」というもの。卒論に彼女のことを書こうと思ったのは、きっと小学校の時に初めて借りた伝記が『マリー・アントワネット』だったからだと思います。漫画ですけどね。その時は革命や処刑のことなど全くわからず、何を理解して読んでいたのか思い出せません。そしてしばらく彼女のことを忘れていましたが、(笑)高校で世界史を学び、フランス革命を習った時に、初めて池田理代子さんの『ベルサイユのばら』を読んだんです。私は実際にこの漫画を読むまで、この漫画の主人公がマリー・アントワネットだということを知りませんでした。ただ、フランス革命の漫画なのだと。(今考えるとな〜んにもわかってなかったんだなぁと反省しております)
一般的に「浪費」だとか、「赤字夫人」だとか、「不貞」、「軽率」なんて、あんまり良く言われないマリー・アントワネットですが、私はちょっと違うイメージを持ってます。それは最後まで強く、フランス王妃としての誇りを失わなかったということ。卒論のために彼女についてのいろんな本を読みましたが、私の中で作られた彼女のイメージは『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネットに一番近いと思います。


マリー・アントワネット

ルイ16世

マリア・テレジア
18世紀のフランス王妃。ご存知浪費をしまくったために民衆に嫌われてしまい、最終的には共和制の犠牲となってギロチンの露と消えた「悲劇の王妃」です。 フランス国王。こいつが情けないからいけなかったと私は思う。優しさと優柔不断は紙一重だけれど、もう少しこの人が強い人なら歴史は変わっていたかもしれないと思います。 言わずと知れたオーストリアの女帝でマリー・アントワネットの母親です。外交政策のために娘をどんどん政略結婚させました。

王妹エリザベート

マリー・テレーズ王女・ルイ・シャルル王子

デュ・バリー夫人
マリー・アントワネットが最後まで信頼していた最愛の友達と言えると思います。その証拠に最後の手紙を彼女宛に送っています。 マリー・アントワネットの最愛の子どもたち。マリー・アントワネットは子どもが生まれてからはめちゃくちゃな浪費をしなくなったそうです。 娼婦出身でありながら、ルイ15世の公式寵姫にのぼりつめた。マリー・アントワネットが輿入れしてきた時にこの人がらみでいざこざが起こった。

ハンス・アクセル・フォン・フェルセン

ポリニャック公爵夫人

ランバル大公妃
ベルばらファンなら誰でも知っている、マリー・アントワネットの愛人です。この人が実在しているって知らない人が多いみたいですね。なんでかな??ヴァレンヌ逃亡事件では彼女のためにありえないほど精力的に働きました。あんたはエライ! コイツ!!コイツのせいですべてが悲劇になったと私は思っています。自称?王妃の親友。マリー・アントワネットに巧みに取り入って散々富を搾取したあげく、革命が起こると彼女を見捨てて国外へ逃亡しちゃいました。薄情者!! マリー・アントワネットの寵臣の1人です。みんなが王家を見捨てて逃げる中、この人は王妃のもとへかけつけ支えていました。王家に味方したことで1792年の「9月虐殺」で腹を切り裂かれて殺されてしまいました。残酷・・・

これが噂の軍艦ヘア

160万リーヴルのダイヤモンドの首飾り

晩年のマリー・アントワネット
当時はマリー・アントワネットのおかげでこんな変な頭が大流行。これで馬車の形もかわりました。王妃もしたことないような髪形にして!!と頼んでくる貴婦人もいたとか。すごいっす。 これはレプリカですが。マリー・アントワネットが巻き込まれた首飾り事件という詐欺事件で、問題になったものです。マリー・アントワネットは全く無関係であったのに、この事件のせいで国民からの人気はものすご〜く落ちてしまいました・・・今の日本のお金にして200億円はしたそうです。 以前あった華やかさは全く感じられません。真っ白な顔が彼女の苦労を物語っています。処刑されたとき彼女は38歳でしたが、60歳の老婆に見えるほど老け込んでしまっていたそうです。

コンシェルジュリーのマリー・アントワネット

処刑直前のマリー・アントワネット
ここに投獄されたら生きては帰れないと言われていました。マリー・アントワネットに裁判は行われましたが、所詮それは初めから死刑が決まっていた形式的なもの。彼女を待つものは「死」しかなかった。 ダヴィッドにより、恐ろしく写実的に描かれている。

ここに書いた事は一応史実に基づいてるつもりですが、かなりユキの主観が入っています。
気分悪くした方がいたらごめんなさいね。でも歴史の解釈ってそんなものだと思います。


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