Parker Big-Red

 

Parker  Duofold  Senior

 

 
 

1925年製

Parker  Duofold  Senior
 

 
       
  「ビッグレッド・シニア」   「上  シニアのFP」
「中  シニアのSP」
「下 ジュニアのFP」
  「我が家のビッグレッド」  

 今回紹介するのは、今日の筆記具界の礎となった万年筆の紹介である。その名は「Parker Duofold」であり、愛称を「Big Red」という。
 最初に作られた
「Duofold(Big-Red) 」(Duofoldの命名の由来は、インクがこれまでの万年筆2倍も貯蔵できることから名付けられて)はParker社が販売をしていた「ジャックナイフ」(JACK Knife)からの分枝したものであった。それは、1921年に赤い硬質ゴム製を素材として、ボタンフィラーによりインクをたくさんに貯蔵することが出来る万年筆であった。
 当時の万年筆はインクの貯蔵量も少なかったことや、黒一色であった。このことから、「
Duofold Big-Red」は、大きく時流に乗った商品として浸透していった。オリジナルの完全サイズのシニアDuofold5.5インチ/長さ13.8cmの)で、これより小さいジュニア・サイズとring topDuofold レディがそのあと製造に付け加えられた。
 
  「シニアとジュニア」   「シニアとジュニア」   「シニアのNib」  
 
 
Duofoldに用いられた色は、1926年までは赤と黒だけであった。その後、他の新しい色として、ヒスイ色が導入された。1927年の後半以降には、現代に通用する非常に好ましい色の導入があった。それは 「Lapis Lazuli Blue」 と「 Mandarin Yellow」の2色であった。
 
1928年に、 「Pearl & Black」、1929年の終わりに、 「バーガンディ色」や、「 Modern Green」が導入された。こうした、製品開発は筆記用具界の先達的な役割を果たした。Parker Penが、万年筆の発展に大きく貢献した 時代であったといえる。
 1921年当初の「Big Red」の場合、キャップにバンドは付けられてなかった。ハードラバーは割れにくいという宣伝であったが、 机から落としたキャップが割れてしまうことがあった。そこで、その改善策としてキャップバンドが着けられた。以後、材質が改良され割れにくいものとなってきたが、キャップバンドは装飾として生き 残った。1950年代に販売されたものでは、バンドに彫刻されたり、模様が入れられたりもした。キャップの割れ防止と言うよりも装飾として取り付けられていた。
 
  「シニアのペン芯」   「シニアのキャップ」   ボタンフィラー  
  「1920年代のFP」   「当時の広告1」   ボタンフィラーの構造  


 
 Duofold赤と黒以外の色で作られた万年筆は、特に変色しやす かった。それは、インクフィラーのゴムサックの劣化により、バレル(胴軸)が影響をうける傾向があった。変色していないこの頃の万年筆なら、より明るい色(Greenや、Pearl)のペンはかなりのプレミが付く。 ) 最初に使用された非常に透明な薄緑のものは特にデリケートであり、綺麗なものの数が少ない。また、その後に出された、明るい青い万年筆は、原状に近い色のものを見つけるのも非常に難しい。

 
Duofoldの製造は、Parker Penを万年筆メーカーのリーダーに引きあげたもとである。Duofoldの開発はParker penにとって大成功であったといえる。このDuofoldの初期時代の生産が終了した1934年以降は、後継器であるバクマティックVacumatic)で、Parker Penはさらなる発展をしたのである。

       
  「当時のセット品」   「当時の広告2」   「当時の広告3」