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bP   V6関連

KYOちゃんへ

2003.11.6  by ぽん


  遅れ馳せながら、KYOちゃんのHPのBBレポ読ませてもらったよ。
KYOちゃんの感じたことが、すごくよく伝わってきた。
特に、「でもね、ミッキー・・・」からの5行は、心打たれたよ。
厳しい意見でも、感じたままを表現するって大事じゃないかな?
批判と非難は違うから。愛するがゆえの苦言ってこともある。

お芝居は何度も繰り返し見ることが、前提ではないから、
1度で、伝えたい事を伝えきらなければいけないのだけれど、
今回は日本人にはわかりづらいイギリス階級社会が大きなポイントだけに、何度か見ることによって、自分の中で消化できた部分もあった事は事実。

坂本くんの実力が脇を固める皆さんに比べると、あきらかに劣る事も事実。
ファンというひいき目で「頑張ってる」と感じても、やっぱり実力は歴然だもんね。
ただ、「あばたもえくぼ」かもしれないけど、
舞台に立ったときの彼の人を惹きつける力は、かなりのものだと思う。
TVに出るとその魅力が活かされないけど、舞台だとがぜん輝く人っているよね。
彼もその一人じゃないかと思うんだ。(アイドルとしてはそれは、まずい?)
だから、坂本くんやV6のファンじゃない人も、彼を評価してくれるんじゃないかな。

という前提で、わたしが感じた事を書くね。
KYOちゃんレポのたくさんの疑問符に対する、
答えにはなっていないかもしれないれど。

ライオンズ婦人について、わたしが持った印象は、
子どもを産む性である、女性の哀しさ。
彼女のとった行動は、勝手だし、理不尽だし、失礼だし。
ただ、本当にジョンストンさんを蔑んでいたのだとすれば、
その人の子どもを欲しいとは思わないんじゃないかな?
  子どもを生めない女性の苦しさは計り知れないものがある。
わたしに子どもができたのは、結婚して3年くらいたった頃だけど、
結婚した時すでに30才だったから、人に会うたびに
「子どもは?」って聞かれて、すごく辛かった。
これって、無意識の言葉の暴力だと思った。
相手が善意で言ってくれているのがわかっているだけに、
よけいに言われる方は苦しむ。
わたしの場合、自分の意志で作らなかっただけで、
欲しいのにできないということではなかった。
それでも、すごくいたたまれない気持ちになったから、
これが、欲しいのに、努力しているのに子どもができない人は、
どんなにか辛いだろうと思ったの。
この事で、苦しんでいる人はたくさんいるよね。
ライオンズ夫人はその苦しみの中で、暮らしてきて、
ジョンストンさんに「一人ちょうだい」と言ってしまった時点で、
もうすでに、精神のバランスを崩し始めていたのではないかと感じたの。

もうひとつ、あの時代・あの社会での、ライオンズ夫人とジョンストンさんとの関係は、
かつてのアメリカや南アフリカの人種差別までは行かないにしても、
それに近い感覚があったように思った。
だから、あんなに理不尽な対応を、こともなげにできてしまったのかもしれない。

女性は子を産むことのできる性。
自分自身、子どもを得た事に感謝している。
だけど、生まないことを選択する権利はあると思うし、
生まなくても人として幸せに生きていける道はあるはず。
でも、そんな風に考えられなくて苦しんでいる多くの女性に、
思いを馳せてしまったの。
ライオンズさんを観ていてね。

なぜ、ミッキーにエディとリンダが一緒にいるところを見せてしまったんだろうね。
そうする事で、エディからリンダを引き離せると、思ったのかな?
かつて、エディからミッキーを引き離したように。
正常な判断力を失っていたのかもしれないね。

ジョンストンさんについては、子どもたちへの深い愛に感動した。
(感動って言葉がなんだか安っぽく感じるけど)
双子を生んで家に連れて帰った時の、引き離される我が子への想いを歌う島田さんの歌に、泣けて泣けてしょうがなかった。

ミッキーのママは、最後になぜ2人に本当の事を伝えたんだろう?
それを、ずっと考えているの。
そうする事でしか、ミッキーを止められないと思ったのか。
結果は皮肉にもそうする事で、ミッキーの怒りと哀しみのスイッチを
再び入れてしまったんだけど・・・。
でも、ミッキーはエディを撃ったのではなく、銃の暴発だったんだよね。
やはり、迷信通りの運命だったのか?
このお話は「迷信」という切り口を持ってくることで、
自分の生き方を、何かのせいにする人間の弱さを象徴しているんだけど。
それまで、迷信にとらわれていたミッキーのママは、
迷信なんてどうでもよくなったのかもね。
本当の事を伝えずにはいられなかったのだと思う。
真実だけが、あの状況を切り開ける鍵だと。
二人の命は奪われたけれど、ある意味では真実こそがやはり鍵だったんじゃないかな?
わたしたちの心の鍵穴に、しっかりさし込まれたのだから。

ナレーターが舞台の冒頭に言う言葉「心の変わりに、胸に石」
これが引っかかってね。未だに、答えが出ないんだけど・・・。
心を、石にしてしまう事でしか、この例え様もない哀しみを、
受け止められなかった・・・ということかな?

階級社会が日本にも・・・と言うのは、同感。
今の日本にイギリスのような階級社会は無いけれど、
質は違うけどそれに似たものはあるような気がするの。
コツコツ頑張っても、報われない理不尽さがね。
子どもたちは、小さい頃から差別・選別の中で、
自己肯定感が持てずに苦しんでいる。
若い子は就職難。
「勝ち組・負け組」なんてものさしでしか、人の価値が計れないなんて、おかしいと思う。
運良く仕事に就けたわたしたちの世代だって、人減らし、過密労働の中で
体すり減らして、ぼろぼろになっていくような気がする。

一方では大企業には減税するし、金融機関に税金投入するし・・・。
この上、消費税の税率アップ?
いったいどれだけ、我慢しろというのかな。
若い子達が、未来に希望を持てなくなってるよね。
息子が働く頃には、もうちょっと希望が持てるようにしたい。

イギリス人も日本人も屈折してる。やっぱり島国だからかな?
「もっと、ストレートに怒りや喜びを表してもいいのになあ・・・。」
と思うことも、しばしば。

ミッキーのことを、思うと今でも胸が痛む。
「おれ、大人になっちまった。」と、
はき捨てるように言ってしまう自分自身が、大人になれていなかったんだもんね。
でも、大人になるってどういう事なんだろう。
自分が置かれた境遇を「しかたのない事」と甘んじて受け止め、
不満を押し殺しながら生きていく事が、大人になる事なのだとしたら、
それは、幸せになるということとは違うと思う。
エディから仕事や住む場所を世話してもらって、それに感謝して、
その中で「ささやかながらも、がんばって生きていこう」としても、
ほんとうにミッキーは幸せになれただろうか?
与えられた境遇の中で、のし上がろうとどんなに頑張っても、
「エディと同じ所には立てない」ということが、
聡明なミッキーにはわかってしまったんだと思う。
だからこそ、自分がもしかしたらエディの立場になれたかもしれないと
知った時のショックが大きかったんだろうね。
あれは、お母さんに向けられた言葉というより、
社会に向けられた言葉だと、わたしは受け取ったの。

ミッキーが、リンダではなくエディに銃を向けた理由は、なんとなく理解できた。
自分にとってただ一つ残された大切なもの。
それは、リンダなのだとミッキーは気づいたからではないかな。
自分が人として生きていく最後の砦、頼みの綱がリンダだったと。
人を愛する事が、人としての証だから。

このお芝居で同じ人間が7歳から大人までを演じる事に
深い深い意味があると思う。
あんなに、魅力的で、賢くて、かわいいミッキーが、
成長するにつれて、自分らしく生きられなくなるのはなぜ?
それは、心の弱さや彼の性格もあるのかもしれないけれど、
それだけでない社会の矛盾が存在しているからだと思うの。
もちろん、彼の弱さが不幸に拍車をかけたのは事実だけど。
貧しいという事が不幸なんじゃないと思うんだ。
貧しくても、明るくたくましく生きていたものね、ミッキーのお母さんは。

子どもの頃は、身分や貧富の差なんて関係無く、
人と人として、お互いの個性を認め合って分かり合えた、
かけがえのない友だちだった2人。
エディがお金持ちだから、ミッキーは彼に惹かれたのではないと思う。
エディの人間性に惹かれたのだと思う。
エディも同じ、自分に無いものを持っているから、ミッキーに惹かれたんだよね。
双子だから波長が同じだったり、2人で1人ともよく言われているし。
互いに惹かれ合うのは必然だったのかもしれないけど。

子どもの頃のミッキーとエディが、人間本来の姿だと思うの。
なのに、大人になると、互いの置かれている立場の方に目が奪われ、
互いの人間性を認め合うということが、できなくなった。
子どもの頃の純粋な二人を見ているわたしたちは、
そのことの理不尽さに胸が締め付けられるんだと思う。

それから、このことも言わせて。
サミー兄ちゃんのこと。
見方によっては、
「なんて、ひどい人なの?あなたのおかげですべてが悪い方向へ行ってしまった。」
と、思われてしまうかもしれないけれど、わたしはそうは感じなかったの。
演じていた役者さんの人間的魅力もあるのかもしれないけれど。
7歳のミッキーが「サミー兄ちゃんになりて〜な〜」と目を輝かせて言うほど、サミーはやんちゃで悪がきだけど、魅力的な子だった。
ミッキーのママも、他の子と同じ位サミーを愛していたはず。
サミーの犯した罪を正当化はできないけれど、
境遇が違えば、また違う人生もあったかもしれない。

BB観て、坂本くんの成長に驚いたよ。
歌う時の声量はもうちょっと欲しいなあ・・・って思ったけど。
去年の「フット」の時、(別サイトへの)レポにも書いたけど、           
東京最終日の昼の部で、村井さんが泣いてしまったの。
その前はレンと神父の対決シーン。
その日の坂本くんのレン・・・すごかったの。
もちろん他の日の彼の演技も素晴らしかったんだけど、
この日はことさら、迫真で・・・。
彼は「計算」や「技術」で演技するんじゃなく、「気持ち」で演じるタイプだから、見るたびに違う表現をする。
この日のレンの思いはすさまじく、村井さん演じる牧師の心を貫いた。
見ているわたしはそんな風に感じられたの。
だから、村井さんも思わず入り込んでしまったんじゃないかな?

今回のBBでも、そんな坂本くんを存分に堪能できた。
無邪気な子ども時代。多感な少年時代。そして、崩れていく切なさ。
舞台で輝く彼をもっともっと見つめていたい。
見つめ続けていきたい、これからも、ずっと・・・。
先立つものの問題は残しつつ・・・。

他のメンバーについても、少し。

「末っ子〜」については・・・。
一郎くんは、簡単なようで実は難しい役だよね。
しかも22歳の准くんに、25歳の普通のサラリーマンの役。
いくら、実年齢より大人っぽく見えるとはいえ、この役を演じるのは大変だろうなあ。
でも、わたしはこの「普通」という意外性が、けっこう気に入ってるの。
あの、煮え切らないほんわかした感じ、(でも、実はすごく重要な存在なんだけど)がけっこう好きなのよ。
先週の3女のお姉さんとのキャッチボールのシーンなんて、象徴的だったよね。
あの、おっとりさ加減は素の准くんに近いような気がする。
わたしが、コンサートなどで観る素の准くんのイメージは、あんな感じなんだ。
キャスティングした人は、センスあると思うよ。
これからの展開と准くんの演技に期待したいな。
でも、あんなにきれいな「普通のサラリーマン」はいないな・・・きっと。

「あした〜」のいのっちの方が、
わたしの持っているいのっちのイメージとは違って、
「いのっちさすがに、いい芝居するね!」って思ってしまう。
世間的には、いのっちはああいうイメージなんだろうけど。
もっと、もっと、複雑で奥の深い人だよ。いのっちは・・・。
先週のマッキー・・・切なかったなあ。
絶品でした。井ノ原さん。いい仕事してますね。
しかし、お話は現実のシングルマザーの生活とはかけ離れてる。
だいたい、断水なんかで、お休みになる保育園がどこにあるの?
「お父さん」を押し出した行事をやる無神経な保育園がどこにある?
わたしの住んでいる区では38℃の熱の子は預ってもらえないよ。
病後児保育はあるけどね。
毎週TV見ながら、ぶつぶつ言ってる。
もうちょっと、リアリティをもって描かないと、
同じような立場の人は冷めてしまうんじゃないかな?
せっかくいいお話なのに・・・。
などと言いつつ、毎週泣いてるんだけどね、わたし。

KYOちゃんとほぼ同じ頃にV6に目覚めて、やっと2年半。
魅力的なVの6人と、KYOちゃんをはじめ多くの友人に
出会えたことに、感謝しているよ。
昨夜も就寝前のひととき、息子と
「夏コン楽しかったね。あんな事もあったね。こんな事もあったね。」
と夏の思い出を語り合ったの。
ささやかだけど、幸せな時間でした。
「LIV6」DVDまで観てしまって、あらためて6人揃った時のパワーに感動。
これからも、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと応援していくよ!

bQ

ぽんちゃんへ

2003.11.7 by KYO

 私のHPでの、記念すべき初めての公開メール。
 勇気が要ったでしょ? ありがとう、ぽんちゃん。
普段貰うぽんちゃんからのメールは、もっとハジケていて面白いんだけど、
今回は、私のサイトに合わせて、ちょっと堅めに書いてくれたんだね。
ぽんちゃんのあふれる想いが、長い文面いっぱいに感じられるよ。
私こそ、ぽんちゃんをはじめ、尊敬できるV友さんたちに出会えたことが、どんなに自分の支えになっているか、計り知れない。
これからも、どうぞ末永く、よろしくお願いします。

ご意見をお待ちしています