ミニエッセイ

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2008.8.29(金)  北京オリンピック 〜 感動の『GIFT』

 閉幕してから、もう5日も経つというのに、まだ私は、余韻に浸ってうっとりしている。
 今回のオリンピックは、良かった。
 時差が少ないため、リアルタイムでTV観戦できたことが大きいだろう。

 北島の雄叫び、内村のガッツポーズ、谷本の小躍り、そして上野413球の熱投・・・・
みんなライブ中継で、痛いほど拍手しながら胸一杯に感動を受け取った、幸せな時間だった。



 NHKのオリンピックテーマソングも良かった。Mr.チルドレンの『GIFT』。
初めて歌詞付きで聴いた時に、涙が止まらなかった。
 (※以下、正確な歌詞ではなく、大意)

 『一番きれいな色はどんな色?
  一番光っているものは何?
  ぼくは探していた
  君が喜んでくれる最高のギフトを

  本当の自分を見つけたい 生まれた意味を知りたいって
  ぼくが両手でそれを渡す時、謎を解くヒントになればいいな
  受け取ってくれるかな
  君に渡したくて、長い間握り締めていたから、
  グチャグチャになっちゃったけど

  白か黒かと問われれば困ってしまう
  白と黒の間には、無限の色が広がっているから

  地平線には果てがない
  もうやめようかと何度も自分に問うと
  その度に まだ続けたいという答えが返る

  知らぬ間に背負わされた荷物が増えていたけど
  君の分まで持つよ
  だから、そばに居てほしい

  果てしない旅路の果てに選ばれる者は、ぼくじゃないかも知れない
  それでも、また走ってゆくよ
  日差しや日陰や、全てが意味を持って互いを称え続けるなら
  どこにいても光を感じることはできる

  受け取ってくれる君が居たから、探せたギフトだよ
  ぼくの方こそありがとう』

曲頭から続くアスリートからの言葉はここで終わり、曲の最後は、貰い手である私たちの言葉で締められる。

 『ぼくは抱き締める 君がくれたギフトを
  いつまでも胸の奥で ほら光り続けているんだ・・・・』



「いっぱい背負った荷物だけど、君の分も持つ」というのが、泣ける。
日本中の期待とプレッシャー、どんなにか重かったことだろうに。
 『それでも、僕は背負う。君の分も持つ。だから、そばに居てほしい』
 
私は、歌詞のあの部分を聴くと、北島康介選手を思い浮かべてしまう。
北島選手はレース直前に、ユニフォームの胸元の日の丸を、ギュッと強く握り締める。
あの瞬間に、彼は日本で見守る人たちの熱い声援を感じ取っているのだと思う。
あの瞬間に、日本国民と北島選手は強く結ばれ、魂の純度の高い祈りが行き交っているのだと思う。

 血のにじむような努力と練習の、長い年月の果てに、孤高の戦いに挑むアスリートたち。
私たちは、せめて気持ちだけは、彼らの側に居たいものだと願う。



2006.3.11(土)  インターネットに棲む魔物

 今更ながら・・・インターネットが好きである。
 放っておけば、24時間くらいやりかねない。
 それほど好きだが、技術的には、いつまでも私は初心者の域にいると思う。
 要は、様々な感性に依って編集された、多種多様な情報を見ることが好きなのだ。
 読むことも、発信することも好きである。

 大手掲示板にも、よく出入りする。
 常駐するのは、ヤフー掲示板。
 つい最近、2チャンネルなるサイトの面白さも知り始めた。

 しかしながら、よく言われることだが、インターネットには魔物が棲んでいる、と私も思う。
 正確に言えば、人間の心の奥底に潜む悪魔を、インターネットが解き放つのだろう。
 実生活で溜まった鬱憤を、顔の見えない知らない相手に、平然とふりかける人が、残念ながら居るという現実。
 利用者の低年齢化もさることながら、神経がキレやすくなるほど疲弊した、現代人像が目に浮かんで悄然となる。

   (マナーは他人の為ならず。回り回って自分に返ってくる)

 反対に、目をみはるほどの英知や、思わず背筋を伸ばしてしまうような、優れた良識に出会えることも、少なからずある。
 だから、インターネットはやめられないのだ。
 悪魔だけでなく、たまには天使にも出会えるから♪



2005.7.30(土)  『リング』と『着信あり』

 『リング』を知るまでは、日本で1番怖い怪談は、『四谷怪談』だと思っていた。
『雨月物語』や小泉八雲の『怪談』も怖いけれど、なんといっても構成・演出が秀でている『四谷怪談』以上の恐怖は、もうないだろうと思っていた。
 だが、『リング』は、勝るとも劣らない。
 というより、現実性がある分、背筋の凍る恐怖は『四谷怪談』を凌駕するかも知れない。

 『リング』の怖さは、幽霊の怨念以上に、ラストの1分。
 観客は、突如突きつけられた生きる人間の業に戦慄すると同時に、タイトルの意味を理解する。

 一方、『着信あり』
出だしはさりげない日常風景(トレンディドラマ風)。
以降、終始ハラハラする緊張感が続き、観客を引き込む手法は、全体的に優れていると思う。
 しかし、観終わった感想は 「なんだかなぁ。世にも奇妙な物語みたいだな」
 男女2人が謎を解きほぐしていく、すんでのところで呪いを回避する、と思わせてどんでん返しという『リング』の2番煎じでも、良いんですよ別に。
 いただけないのは、テーマの浅薄さ。
 一体、こんな悲惨な無差別殺人を繰り返させる、どんな理由が美々子ちゃんにあるというの?

 グロテスクな心霊シーンが多ければ、観客は怖がるというものではあるまい。
 驚かせて叫ばせるのは、心臓に悪いだけで、質の低い恐怖である。
 グロテスクさのない、上質な怪談映画が観たい。



2005.4.3(日)  インフルエンザA型

 長男の友達が、学習塾のディズニーランド旅行に誘ってくれて、同級生の半分近くが参加するというので、長男はそれはそれは楽しみにしていた。その日は3/29。
 一方、私は長女と2人旅で、25年ぶりに訪れる京都1泊旅行を楽しみにしていた。それが3/31。
 我が家の楽しいイベント計画は、この3月末に集中していた。
 この3月末は、私たち一家の心の支えになっていたと言ってもいい。

 それが、3/28の朝になって、壊れた。
突然長男が38℃の発熱。
ただの風邪だと思って受診した病院で検査の結果、
「インフルエンザA型ですな」
 以来、特効薬タミフルと解熱剤のお世話になる。
 ディズニーランドは、その時点でキャンセル。
 一方京都は・・・長男が1人で留守番できる程度にまでは回復させたいと、私は必死に看病した。
2日後の30日、ようやく長男の熱が下がる。
ところが入れ替わりに、今度は私が発熱!
検査の結果、
「お母さんにインフルエンザA型が移ってしまったようですな」

 2ヶ月以上前から練りに練った計画も、入念な下調べも、全て水泡に帰した。
宿もレンタサイクルも新幹線も京都御所参観も、全てキャンセル。
悲しいというか、空しいというか・・・
 でも、私は熱にうなされながらも、次善の策を練った。
幸い丸1日で熱が下がったので、翌日から再び宿探しを開始。
長女の都合のいい日と合わせて、当初予定宿の近くに宿を決め、京都御所の参観申し込みは間に合わないので、コース計画を練り直した。
 とにかく、近いうちに京都へ行ってこうようと思っている。
 そう思うことが、今度は心の支えになっている。

 長男?
 長男は、もう数日で中学に入学する。
それ自体が人生のイベントなんだから、それで充分ではなかろうか。
 またいつか、良いことがあるさ、彼には。

 私がインフルエンザを発症した夜は、夫が珍しく早く帰宅して、家事をやってくれた。
新幹線切符の払い戻しに行ってくれたのも、夫である。
 私がどんなに京都行きを楽しみにしていたかを知っているので、リベンジ京都行きを申し出た時も、すんなり許してくれた。
 ありがたいものだ。

 それにしても、近年になく盛り上がる予定だった春休みなのに、台無しにしてくれたなぁ、インフルエンザよ・・・



2004.11.18(木)  ようやく慣れた8時間の使い方

 「行ってきます!」「行ってらっしゃい!」
と家族全員を送り出してから、誰かが帰ってくるまで、8時間。
 この8時間の使い方が、なかなか難しかった。

 専業主婦になって、約半年。
 気持ちの持ち方や時間の使い方などに、最近になって、ようやく慣れてゆとりが出てきたところである。

 初めの1ヶ月半ほどは、なぜか「スラムダンク」に取り付かれ、むさぼるように昼はインターネット、夜は繰り返し読書(?)で過ぎていった。
 次の1ヶ月は、子ども関係の行事やその準備で目まぐるしく過ぎ、台湾中学生の短期ホームステイも受け入れ、それが終わればV6コンサートに舞い浮かれ、コンサートから帰ってからはV6への揺り返しにどっぷり浸って、気がつけば9月に入っていた。
 9月10月は、PTA新聞の編集発行に追われ、10月終盤は家業の小さな会社の決算業務に追われ・・・
 振り返れば、11月に入ってから、ようやく息がつけたということだろうか。

 それにしても、どこへも勤めに行かなくていいのだから、時間はたっぷりあるはずだ。
 仕事のことを考える必要がないのだから、精神的にも余裕が生まれたはずだ。
 そのはずなのに、ああそれなのに・・・
この半年間のゆとりのなさは、一体何だったのだろう?
 やりがいというか、生きる手応えというか、充実感がないゆえに、心が整理されていかない。
 それゆえの混乱ではなかろうか。
 職に就いているときは、そういう充足感をどこかに与えられて、心が安定していたのだと思う。

 主婦という仕事は、嫌いではない。
 むしろ、好きだし幸せな仕事だと思う。
 ただ、それにどっぷり腰まで浸かることが、怖い・・・。
 今ようやく私は、主婦という仕事に、おっかなびっくりながらも、正面から取り組もうとし始めたところなのかも知れない。