日々の雑感 〜
               
+ 主婦の雑言

        

2002.11.12(火)

 私は独身の頃は公務員だったので、民間企業の生き残るための戦いの熾烈さが、今イチ分かっていないかも知れない。
 だが、会社というところが社会の断片であり、そこに参加する(つまり職を得る)ということだけでも、昨今の不況風すさぶ社会情勢からみれば、容易いことでない、ということぐらいは分かる。
 だから働く人々は死に物狂いだ、と思い込んでいた。
 

 

2002.10.2(水)

 どうにもならない矛盾は、人間社会には満ちており、その中で人の温かさに救われながら、私たちは生きていくのだろうなあ。

 矛盾に苛まれる人たちを、私は気の毒だと思い、できる限り応援してきたけれど、いざ自分に矛盾が振りかかった時、どうしたらいいか分からず、ただ呆然としてしまっている。

2002.7.20(土)

 職場の課内では、私が一番古株なので、一応先輩扱いをしてもらってきた。
 しかし、立場上全員等しい事務アルバイトなので、そういつまでも好意に甘えてもいられない。元より私は、先輩として君臨するタイプでもないし、実力主義大いに結構。
 自分の能力を発揮したくて仕事に行っている(プラス経済的事情)のであり、職場で友人ができるのも自然な流れならいいが、無理にならいらない。
 だから派閥など、とんでもない。
 だが、女性ばかりの職場というのは、往々にして嫉妬を中軸とした、水面下のドロドロがあるものだ。
 それが、顕在化してきた。
 たいそう疲れる仕打ちを受ける日が、続いている。


2002.7.18(木)

 私は、口下手である。
 それは、より相手に理解してもらうために言葉を選んでいるうちに、タイミングを逃してしまうせいもあるけれど、表現より理解の方に頭脳が働いてしまうことが大きい、思う。
 侮るなかれ、表現するものより、100倍は理解している。
 理解が表現を押しつぶしている、と言ってもいい。(不幸なことだが)
 だが私が理解しているということを、相手が理解できる人である、とは必ずしも限らない。
 そういう相手というのは、理解能力に欠けることが多いので、話していて、とことん不愉快な思いをさせられる。
誰でも、そういう体験はあると思うが。

 

2002.7.11(木)

所ジョージの「笑ってゆるして」という番組に 「ちょっと昔の旅」 というコーナーがある。
10〜40年ほど昔のある1日を、無作為に抽出し、当時の新聞・雑誌を参考に、その日最も輝いていたと思われる人を、有名無名に関わらず選び、ドキュメンタリータッチで紹介するコーナーである。
ゆえに取り上げられた人たちは、世界単独一周したヨットマンやら、ボブスレーのママさん選手やら、新発見した学者やら、それこそ多種多様にわたっている。
しかし共通しているのは、どれも懸命に光り輝いた人の一生が与える、心から感動する人間ドラマである、ということ。

昨日は、パンティストッキングの生みの親(名前は忘れた。ごめんなさい)であった。
小学校教師を務めていて、その村のあまりの貧しさに心を痛め、人々を豊かにする道は日本得意産業の発展と見定め、絹糸工業を学び直して大手会社に就職し、利用者の身になって、ストッキングの革命的改良を重ね、ファッショナブルで丈夫なストッキングを世界中に普及させた人である。
この人がいなければ、私たちはいまだに、高価で扱いにくく、すぐ破れる縫い目の目立つストッキングを、はかざるをえなかったことだろう。
世界中の女性たちが、彼の恩恵を受けている、というわけだ。

心洗われるような、思いがした。
人間、やっぱり自己中心的ではなく、世の中のために生きなきゃ嘘だよね。

2002.5.29(水)

 数ヶ月に一度回ってくる、小学校の交通当番で、朝7:30から8:00まで、子供たちの交通整理(?)をした。
 車の行き来はそれほど激しくないし、小学生たちは元気一杯にカワイクあいさつしてくれるので、けっこうルンルン楽しくやっていた。途中までは。
 が!
 あと残り5分くらいの時、どこからともなく初老の男性がふんぞり返ってやって来て、目が合って私が「おはようございます」と挨拶したにも関わらず無視して、無言で私の傍らに立ち、子供たちにはブッキラボウに声をかけ始めた。
 どうやらこの人も、地域の代表当番かなんからしい。
 最後の一団を見送った後、校長がやって来て、その人にのみ
「ご苦労様です」とヘイコラ、あいさつした。
 終始、私を無視である。

 ほんっと、頭に来た。
 30分立ちっ放しで旗振りしたお母さんには一言もなく、最後の5分だけふんぞり返っていばってた地域のエライさんには、ヘイコラヘイコラする校長。
   おバカッ!と叫びたかった。

 

2002.3.16(土)

ポンキッキーズという子ども番組で、誕生日を祝う歌のバックに、
象だのキリンだのライオンだのハイエナだのの、動物の赤ちゃんたちの映像が流れていて、
不意に涙がこぼれてきて、困った。

命というのは、本当に美しい。
草食動物も、肉食動物も関係なく、全ての赤ちゃんは、無邪気でかわいい。

しかし、その後繰り広げられる、残酷なドラマを思うと、
全ての生物に組み込まれた宿命の凄絶さに、悄然としてしまう。

争いなんて、嫌なのに。
誰かが犠牲になるなんて、
死ぬなんて、嫌なのに。


2002.3.6(水)

HPを作るっていうのは、私の10年来の念願だった。
時間的・技術的理由を口実に、ずっと自分にお預けをさせてきた夢であった。
多分、夢が実現するのはもっと後か、もしかしたら永久に叶わないかも知れない、と思っていた。
それが、ふとしたきっかけでひょっこり出来てしまうのだから、世の中わからない。

だがHP開設と同時に、パッタリと筆が進まなくなってしまうのもまた、世の常なのだろう。
私は作家を志した中学生の頃から、いや初めて字が書けるようになった6歳のころから、文を書く星の元に生まれたがごとく、暇さえあれば何かしらコツコツ書いているような子どもであった。
(いや、もちろんイラストも描いたが♪)
それが幸か不幸か、そのまま大人になった。
ほんの1年前までは、童話の公募に毎年応募していたし、新聞にも何回も投稿して掲載されている。

それが大きなチャンスに向かうと、パッタリと筆が止まるんだな、これが。
度量が小さいのか、つくづく、〆切に追われる作家はエライ、と思う。
私のHPなんてホント、何の制約もなく、あえて好き勝手書き連ねられるように作ってあるのに、
それなのに、ああそれなのに、筆が重たい私のバカ。


2002.3.2(土)

今日の新聞、「失意の若者へ」という編集長のコラムに、感銘を受ける。

力・健康・幸せ・富・称賛・成功を求めて全力を尽くしたのに、神は、
    謙遜を学ぶために弱さ
    より良きことをするように病い
    賢明であるようにと貧困
    得意にならないように失敗を 授けたという。
人間の尊大さや傲慢さを諌め、人生を深める滋養が、失敗や敗北の中には、あふれているのだと。

私は、うぬぼれていなかったか。
傲慢に陥っては、いなかったか。