児童文学について
|
2005.1.19 昔、小学校で読み聞かせをしていた時、選ぶ書物によっては、「失敗!」と思うことが何度かあった。 その中で、私の感覚として、絶対失敗しないベスト5は、かこさとし、松谷みよ子、いとうひろし、斎藤洋、そしてこの那須正幹の諸先生であった。 那須正幹氏の著作量というのは、ズッコケシリーズ50巻の他にも、「ヨースケくん」「タモちゃん」「山賊小太郎」シリーズ「お江戸の百太郎」シリーズ「海賊モーガン」シリーズなど、児童書だけでも実に膨大である。 その中でも25年間、アニメやコミックに負けず、小学生たちに絶大な人気を誇ってきたズッコケシリーズは、まさしく児童文学の金字塔であろう。 そのズッコケシリーズが、先月発刊の「卒業式」をもって、いよいよ完結した。 昨夜読み終えた。その感想は、一言で言えば「寂しい・・・(涙)」 内容が乏しいという意味の寂しさではなく、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の寂寥感である。 価値観や生活様式などの急激な時代の変化が、ぐっと胸に来る。 たくあん先生同様、作者に対しても 「お疲れ様でした。長い間、本当にありがとうございました」 と最敬礼を送りたくなる。 最後の最後まで、ハチベエにはハラハラさせられ、ハカセの冷静な解析やモーちゃんのあったかさも変わらず、ズッコケ三人組の冒険は、中学生になって質的変化は経るとしても、きっとこれからも続いていくのだろうなぁ、と思った。 私たちは、そうやって大人になっていった。幾多の別れで心に区切りを付けながら。 ズッコケシリーズは、最新の4〜5冊を除いては、全部読んだ。 好きな順に「花の児童会長」「うわさの株式会社」「未来報告」「忍者軍団」「恐怖体験」「マル秘大作戦」「大震災」「文化祭」。何より、初巻の「それいけズッコケ三人組」も忘れてはなるまい。 卒業式でたくあん先生は、名簿を見ずに、1人ひとりの児童の名前を呼ぶ。 無機質に列記された子どもたちの名前を読むと、 「あんなこともあった。こんなこともあった」 と、読者である私も胸に去来するものがあり、涙が止まらなかった。 わくわくハラハラ、楽しい小学校時代を、登場人物たちと共に読者にもプレゼントしてくれた「ズッコケ三人組」。 たくさんの夢と冒険と、心の豊かさをありがとう。 |
2002.5.18 「ワンピース」という少年マンガを、児童文学として評することに異議のある方も多いだろう。 その点において、「ワンピース」は、ずば抜けている。 登場人物の個性と魅力も、すばらしい。 そして、全ての人々が、生きるのに必死(ちょっと妙な表現だが)である。 2002.5.25 今、寝る前に子どもたちに、ワンピースの読み聞かせをやっている。 読み聞かせに耐えるマンガ、というのは、やはり立派な文学だと思う。 2002.7.4 ようやく読み聞かせワンピース劇場、全23巻、終了。 2002.9.11 「ワンピース」25巻が発行されるまで、「シャーマンキング」劇場をやってきた。 2002.9.22 シャーマンキングについて 武井宏之 「ワンピース」が、外へ外へと広がってゆく世界であるなら、「シャーマンキング」は、内へ内へと人間の魂を掘り下げてゆく世界である。 内へ内へと掘り下げながらも、小さく固まることなく、常にダイナミズムを失わず、バランスを崩すことのない作者の精神的統合性に、感嘆する。 2002.12.20 ナルトについて 岸本斉史 10月にTVアニメが始まったとたん、我が家の長男が夢中になったのが、忍者マンガの「NARUTO―ナルト」である。 一族の末裔とか、血筋とか、里とか、裏の裏とか、見た絵面もおどろおどろしいが、内容もまたおどろおどろしい。 はずだが、突き抜けた清らかさがある。 |
2002.11.26 やっと、ハリポタ第4巻「炎のゴブレット」を読了した。 これは、12歳前の子どもには、やめた方が良いかもな。 今までは、死や拷問や、あらゆる残虐さや冷酷非情さ、人権・差別・奴隷支配など、つまりは「現実社会」から、離れたところにハリーたちはいた。 そういえば私も、初めて真摯に「社会的恐怖」について考えたのは、14歳の頃だったな。 ついでのようで何だが、松岡佑子の訳は、美しく豊かな日本語であり、私は好きである。 |
by.KYO
2002.5.18 まず、瞳の輝きが違う。 本を読む子が大人になった場合と、本を読まない子が大人になった場合の差は、理解力・表現力・創造力において、天文学的大きさの能力差になる。 ただし、昔から大人たちが嘆いてきた、 本を読む子には、読解力の他にも、以下の能力が着実に身に付いていく。
|