街づくりの政治学

道路と速度の政治学(1999.1.11)

名古屋瀬戸道路『環境破壊』万博道路
(この論文は『疑問だらけの愛知万博』1999年1月11日所収のもの)

 人が道を造る時、それは日々の暮らしに幸せをもたらす何かを運ぶためであったり、見知らぬ人と出会うためだったのでなかったか。そして人間にとって、道とは自らの肉体で自律的に移動するためのものであった。しかし皮肉にもそのごく当たり前のことが、今回の「自然との共生」「環境の保護」をテーマにした愛知万博計画の中で忘れられ、加速化するモータリゼーションの諸問題を置き去りにしたまま万博アクセス道路=名古屋瀬戸道路として企(たくら)まれている。

 この自動車専用道路は名古屋の都市高速2号から出発し、日進市で東名高速道路とつながり、長久手町そして瀬戸市万博会場を抜けて、東海環状自動車道へつながる大きな道路である。今回問題になっている万博道路というのは、日進市の中央に日進インターをつくり、そこから乗り入れ、東名と交差し(ジャンクション)長久手町につながる計画、それに続く瀬戸市内万博会場近辺を通る計画の二つを別々に都市計画決定しようとしている道路である。

 前者の日進市と長久手町については、1998年3月18日に県の都市計画審議会で決定されているが、瀬戸市内については環境アセスも済まないうちに公聴会等の手続きを、愛知県は進めている。

 この道路計画がいかに問題が多く、環境と人を破壊していく道路であるかということを、日進市の実態を中心に明らかにしてみよう。

  1. 自治を放棄した日進市:

     1993(平成5)年の11月に県に対して日進市当局は「メリットのない名古屋瀬戸道路は要らない」と言ったという。「名古屋瀬戸道路がなくても、名古屋IC、東名三好ICが近く、自動車専用道路などいらない。一般道の整備が先である」というのが市当局の立場だったようだ。
     この意見のは今も全く正しい。しかし最近では、日進市がそれを「否定」し、それをきちんと発言するのは住民になった。
     1994年6月27日の愛知県道路建設課と日進市(当時は日進町であるが以下まぎらわしいので「日進市」と記す)幹部との「万博道路=名古屋瀬戸道路」建設打ち合わせで、県は日進市を真っ二つに割る自動車専用道路を万博会場の瀬戸市から引き、名古屋高速道路につなぐルート案を提示した。
     当時ルートはA−植田・高針接続案、B−上社接続案、C−大森接続案の三つがあった。日進市はBルートを希望した。しかし県は「ルートは知事より選定された。知事レベルで決めた」と言い。日進市の「我々が反対してもそのAルートなのか?」という問いに「町が反対しても県はこのAルートしかないと考える」と一方的に押しつけている。
     結局、日進市は「我々は地域への説得など責任が持てない。名古屋瀬戸道路建設は県の責任ですべてやってもらうしかない」と自治を放棄する。
     同年7月27日には、「名古屋瀬戸道路連絡調整会議」が名古屋市、愛知県、瀬戸市、豊田市、日進市、長久手町、中部地建(愛国道)20数名が参加し開かれる。ここで、本格的に名古屋瀬戸道路計画がすすめられていく。むろん、県民にはその内容を知ることができない。ルートがどうなっているのかはもちろん、計画の概要すらわからない。
     その年の9月7日には県が日進市(当時町)へ来て「ルートは変更できない」と言い、日進市は「我々では対応が困難、国策として県主体で進めて欲しい」と自ら地方自治の理念を捨て去っている。こうした反市民的な行為がこの道路の「初めの一歩」には強く染みついていたのである。

  2. 住民には知らせるな!独裁行政

     しかも、日進市長は1995(平成7)年の市長選をひかえ、この道路問題による混乱を懸念して、「地元説明会へ入る時期を考慮して欲しい」とまで県に申し伝えていたという。当時の選挙戦で、候補は、この名古屋瀬戸道路の事は全くふれていない。市民はほとんど何も知らされていなかったのである。
     このあと、日進市長は「名古屋瀬戸道路計画についての要望書」を県に提出している。それは、1.市民の生活環境を悪化させない計画にすること、2.地元理解が得られるように、3.現在整備中の事業との違和感が起きないように、の三点である。(平成6年10月13日付け)
     しかし、これは市長の市民の追求を避けるための免罪符的な行為であり、市民に知らされることのなかった無責任極まりない「要望書」である。
     この年もおしつまった12月日進市は県との打ち合わせで、「(日進町から日進市への)市政施行をはじめとして住民の行政不審が高まっている」と述べ、この計画手続きをすべて県に押しつけようとしている。 この道路の都市計画決定は、タテマエ上は日進市で原案をつくり、それを県にあげて県が決定するという手続きを取る。つまり、タテマエでも日進市がまず原案を作らねばならない。しかし、その原案をつくれば、日進市は住民からの批判や問題点の指摘に応ぜざるを得なくなる。そこで、日進市は、地元でこの道路の原案を作ることを放棄し、県の案そのままを踏襲する決定を市長独自で、議会にも、日進の都市計画審議会にもはからずに行ったのである。
     現実には、名古屋瀬戸道路の説明会等でも、市長はほとんど中身のある発言はしなかった。それは、無責任という名の「独裁的居直り」でしかない。
     こうした無責任極まりない道路行政の実態が万博アクセス道路名古屋瀬戸道路計画にはあった。この道路が、民主主義から程遠い愛知県の無責任型大型公共事業として存在することはお分かり頂けただろう。

  3. 環境破壊道路

     この名古屋瀬戸道路は、道路そのもののが地域に及ぼす環境の破壊についても大きな問題を孕んでいる。
     この道路の及ぼす住民への「害」についていくつかあげてみよう。

    1. 自然環境の破壊

       日進市も長久手町も瀬戸市も完全な自然が保全されているわけではない。しかし、都市化した名古屋に比べれば、その自然の豊かさは貴重なものである。
       日進市の中心には田や畑があり、古くからの農家がある。概ね、そのド真ん中をこの道路は通る計画である。コンクリートの物体が街の景観を台無しすることは眼に見えている。しかも、岩崎川の岸沿いには、街のお年寄りが丹精込めて育てた桜並木があり、それが道路によって一部切られ、高架の下になる。日当りが悪くなり「枯れる」のは必然である。
       また、岩崎川支流には絶滅危惧種イタセンパラの棲息が確認されており、道路工事や道路そのものによる「殺害」もあり得ると自然保護にたずさわる人からは警告されている。しかし、日進市も愛知県も積極的に保護しようとはしていない。
       日進市の北小学校から50mも満たないところをこの道路が走ることになる。
       瀬戸市近郊ではこの道路によって囲まれる80世帯近い住民がルート変更を要求している。

    2. 住民の声は「万博道路騒音」で聞こえない のか

       長久手町では、この道路のルートについて、県有地である農業試験場を通し、民家に影響のないようにしたらどうかという意見が公聴会で出された。しかし、県の考えは「これまで実施してきたデーターの継続性が断たれる」との理由で、農業試験場の「優位」が確認された?「研究の米」の方が「住民の住居」より大事だという県の態度は非常識極まりない。
       日進市では、この道路の一時中止を求めて1万3千名の請願署名が出されたが、議会は多数で否決。しかもこの道路計画を議題にした日進市の地元都市計画審議会の傍聴はおろか議事録の公開も拒否である。おまけに当該の審議委員にすらその議事録を見せないという徹底した秘密主義である。
       「初めに道路ありき」の施策は前にみたように県政内部のみでなく、住民にも大きな牙をむき出しはじめている。
       日進市北新町では、県や市当局に要望書を出し、道路建設は「断腸の思い」で認めるが「要望に添って建設して欲しい」という意志を表した。しかし、「地下トンネル」「土地改良事業への配慮」「生活道路の充実」などそのすべての要望に、県の回答は「NO」であった。このように、たとえ地域が「断腸の思い」で条件付で賛成しようとも、その住民の気持ちなどは無視され計画をすすめようとするのは火を見るより明らかだ。

    3. どこが環境博?道路なのか

       今回の名古屋瀬戸道路は愛知万博へのアクセス道路である。「環境にやさしい」万博なら、自然との共生をテーマにした万博なら、公害排出自動車専用道路である名古屋瀬戸道路自体を考え直すことからはじめるべきだ。
       どう考えても、この道路は無駄どころか、害悪の集積過積載交通道路である。

  4. 道路の公共性とは何か?

     大規模な道路は常に「公共性」の名の下に住民に対して暴力を振るう。そして、道路に反対する者を「地域エゴ」「住民エゴ」「思い遣りのないワガママ」と安易に決めつける。
     名古屋瀬戸道路建設計画に反対する運動をはじめた時、『公共性』を無視した住民運動のように捉えられていた。しかし、一つづつ行政当局のやりかたを検討して行くと、それが、実は「公共性」の名を借りた「全体主義」そのものであることが判明していく。
     前に述べた、日進市都市計画審議会の議事録公開拒否という情報の隠匿をする行政当局が、同時に「情報公開条例」の策定を進めているのである。一体、この現実は何を物語っているのだろう。
     日進市民にとって大きな影響がある公共事業としての名古屋瀬戸道路建設計画の問題を検討している議事録が「非公開」ということは、タテマエですら民主主義の体をなしていない。この「行政の程度」の低さは、それを黙って許している住民の「民度の低さ」でもあるだろう。『公共性』とは住民の沈黙の上に成り立つものだったのだ。行政は住民の方を見て執務をしていない。行政は住民を踏み台にして、憲法も人権も執務内容と切り離して扱う。
     自動車専用道路建設という便利さの追求が、住民を底なし沼に引きずり込む。多くの官僚は「道路ができれば、街は発展する」というが、彼らには「より速く動けるものがより価値がある。遅いものは価値なく、排除されるものだ」という近代産業社会の神話の行き詰りがまったく理解できていない。
     コンクリートやアスファルト舗装の立派な道路が、裸足の子どもを排除し、自動車を持たない者の生活を窮地に追い込み、障害者や弱者の交通手段を奪ったという事実を忘れてはならない。
     生活者が自分の足で歩け、移動できる安全な道こそが、『新たな公共性』として行政の主軸に据えられるべきだ。(1998-11-28)

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