街づくりの政治学

政策と実行の問題(1999.9.24)

 ボクは現在、新市長の政策グループに参加している。そこでは、数回会合がもたれて論議がされてきた。しかし、船出が難しい。参加している人の思いが色々とあって事務局以下みんなが、それぞれの感覚で、その調整に苦労している。

 しかし、ことは単純なのだ。それぞれの参加者が「提案」を持ち寄り、それを検討していけばいい。それが、質として高いものならよい。市長が、あとは、それをどう料理するかである。行政の手腕である。いわゆる、質の高い諮問機関になればいいのだ。「市長に圧力をかける」という言い方が問題になったこともある。しかし、圧力を感じるのは市長であって、ぼくらではない。圧力は緊張と読み替えることでよしとしたい。ボクは、市長を「よいしょ」するのでなく、政策を論議していくためのグループにしか興味はない。なぜなら、内部でよほど切磋琢磨しないと、確実に実力が低下するからだ。そのことははっきりしている。

 そして、そこには、老若男女関係なしで話し合いがなければならない。会議がどうも男性的=権威的になりやすい。だから、できるだけ、自由に論議したい。もちろん無責任という意味ではない。小さな動きやすいメンバーでつめたらいい。同じテーマで二つのグループが提案してもいい。そんなフレキシブルな論議が必要だ。

 行政ときちんと「権力的に分割」していないとだめだと想う。市長を応援するためにも、きちんと真摯に論議しなくてはいけない。自主規制が一番怖いとボクは想っている。

 たとえば、教育にしたって、「昔の親は立派だった」とか「昔の先生は権威があった」などという現実の学校や子どもを知らずに「お説教」などたれても、ほとんど意味がない。つまり、昔に戻れないのだ。今をどう変えるかということしかない。それには、現実に子育てをやっている親が教員がどうしていくかを、自分の頭で考えることが重要になってくる。理想を語るサロンと現実を変える調理場とは区別しなくてはならない。日本人の苦手な民主主義の試練の場である。

 今後、この政策グループがどんな風になろうとも、ボクは政策についてきちんとモノを言っていこうと想っている。市長に期待しているボクはその点元気にやれそうだ。あまり、徒党を組むことが苦手なボクは、コツコツと仕事をしていきたい。いずれにせよ、自分の棲む街のことなのだから。逃げることは無理だもの。

(1999.9.24)



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