街づくりの政治学

私の「新設小学校意見交換会」への総括

これは、2000年5月から愛知県日進市の南小学校が分離し、新設小学校ができることになった。そのために、市民参画で案を練ろうという、新市長の意向があり、嫌々参加の教委を交えての「意見交換会」が5回開催された。そのまとめである。
  1.  交換会への基本的見解

     現職の小学校教員として参加できたことがボクにとって大きな意味があった。こうした交換会が行政の主催で開催されたことは、画期的なことであり、地方自治の市民参加の理念を具体的にするものとして、高く評価できるものだと思う。市民の参加者も公募されたことは、誰もが参加できるということからよかった。しかし後に述べるように、行政側の参加については、教育委員会・南小教員の参加者がもっと多くても良かったように思う。

     こうした会議には、資料の提供がもっとあると良いと思う。情報公開を進める上でも、行政自らが提出されることが望ましい。存在・不存在自体を検討する以前に、どのような「資料」が、どのような形であるのかも分からないのが普通の市民である。
     テーマが、複合施設を中心に展開されたが、本来の学校教育を抜きにしては意見交換はできないのであるから、日進市の教育がどうあるべきかという点からも、現場の校長・教員らと話がしたかった。意見の内容を限定し狭くしよとする意図が教委に見られたのは残念であった。

  2.  意見交換の中身について

    1. 複合施設の考え方に関して
       複合施設のための意見交換会だというが、お互いの施設が、より有効に使えて、生かせるような視点が必要であろう。それは、前提的に市民や子どものニーズや、理想、理念が不可欠である。むろん、そのニーズが対立することも十分あり得る。その際に、何をもって優先とするのかが重要である。将来に禍根を残さないようにするには、どうするか?あるいは、どう考えているか?この点では、さらに突っ込んだ検討が必要になる。
       また、現状の日進市民の生活環境、教育環境、子育て環境がどのような状態だと把握しているのか?が問われなくてはならない。例えば、学校は「地域の広場」であるということであるなら、それは子育ては街全体でやるんだという意味だから、現実がどうなっているのかを情報収集しなければならない。
       その点で、教育委員会は地域の子ども会、学童保育所、学童クラブ、大手塾、公園などに出かけて 子どもの実態を見ることが必要ではないか?つまり、建物に入る子どもの実態をどうみているのか?例えて言うなら、椅子や机の高さと成長など検討事項は多い。

       今回の会議で気になったことをまとめると、以下の点になる。

      1. 地域に開かれた学校
        というコンセプトが、教育委員会には十分に理解できていない。これは、新教育課程や日本の教育制度の基本的な改革に関わる重大なことであり、そのコンセプトに立って「どのような具体的な教育施策があるのか」を明確にしないところに大きな問題があった。
      2. つまり、複合にしても、ハードが複合なら、地域の住民や子どもは「開かれるか」というというとそうではない。それぞれが、いままで担ってきた、学校教育、地域の文化施設、放課後児童の施設そのものが、質的に転換していくから「複合」なのであって、たんなる「近付けば開かれる」というものではない。
      3. だから、これからの学校教育、社会教育がどのようになるのかということがもう少し語られるとよかったと反省している。

    2. 個別的な施設に関して言えば、次三点にしぼられる。

      • 図書館については、児童が日常の授業で使うものは、ある程度特殊な書籍が多い。しかし、それなら、一般の図書館と分離した方がいいのか?というと、「これからはそうではない」と言える。つまり、今までのような学校図書館は今までの教育に即したものであるから、学習の中身が変われば学校図書館自体も変化すべきだ。一般の人と一緒に学ぶ機会も増えるだろうというのが、今後の学校教育である。ならば、当然、一般の人たちに混ざった図書館利用があるはずだ。
      • 児童クラブについても同様に、今までのように「子どもを預かる場」から、生きる力を育て、地域に根ざした「子どもを育てる場」となるのだ。そうならば、学校の「育てる」ことと、児童クラブで「育てる」ことの、共通点と相違点を明確にしないと、複合化の意味が出てこない。現存の留守家庭の子どもたちを対象にした学童保育所の生き生きした生活教育を学ぶ姿勢を児童クラブ等が持つ必要がある。公設公費民営という理念が重要になる。
      • 集会室についても、集まりやすい場があることが地域の活性化につながるとしたら、まず「簡単な手続きで使える」ということに重点をおくべきだ。学校の授業に差し支えることはよくないと一般的にはいえるが、「今地域の大事な話し合いなんだから、多少のことは我慢しなさい」という現実もあるはずだ。その時に、学校の職員が、その地域にどれくらい関わっているかが問題になろう。地域に根ざした、地域の風をきちんと受け入れることができるだけの学校職員の意識を育てることも重要な課題ではないか。

       要するに、建物がいくら立派でも、金をかけても、結局宝の持ちぐされになっては意味がない。だからこそ、地域住民の意識と前向きな姿勢が必要になる。行政と住民が相互に努力することの重要性は繰り返してもたりない。

  3.  今後の方策と提言

    1. 新小学校を子どもにとって使いやすいものにするためには、今後開かれる予定の具体的設計段階でも十分に、かつ具体的に説明し意見交換をし、市民の要望することにどう応えるかを考える必要性がある。
    2. 目に見えるかたちをとることで、市民の意見を行政に反映させること。
    3. 今後の行政は市民無視(責任も権利も含め)ではできないことを認識したと思う。市民でできることを、率先してやること。協力することの意義を理解したし、単なる反対のみではないことも理解していただいたと信じる。
    4. 専門家であることのメリット、専門家でないことのメリットのつき合わせがいかに重要かが明らかになった。今後も市民参画の重要性を広く認識していって欲しい。

    最後に

     本来、こうした論議の中で、「地域に開かれた学校」というコンセプトは「新教育課程や日本の教育制度の基本的な改革」に関わる重大なことである。したがって、教委が「どのような具体的な教育施策・理念があるのか」を明確にしないで論議ははじまらなかったはずである。
     つまり、いままで担ってきた、学校教育、地域の文化施設、放課後児童の施設そのものが、質的に転換していくその具体的な計画が「複合」なのである。だから、これからの学校教育、社会教育がどのようになるのかということがもう少し語られるとよかったし、それを、明確にしない、理念と施策を持たない教育委員会(南小校長を含め)は責務放棄とさえなろう。
     図書館についても、これからの図書館がどのようにあるべきかという事なくして、一体どうやって「地域に開かれる」のか。そして、今までのような学校図書館は旧態然の教育に即したものである。ところが、学習の大きな改革と内容・中身が変われば学校図書館自体も変化すべきであるから、その点においても教委の姿勢は不明確であった。
     いずれにせよ、学校を作る話に、現場に直接携わる、過去携わっていた教育長や学校長の参加がなかったことは、今回の意見交換会の一番の反省点である。むろん反省すべきは教委である。きちんとした五回の会議に、一度も教育長なり校長が参加しなかったこと、最後の公開説明会の席でも、わずか三十分で途中退場した教育長と欠席した南小校長らの「学校現場の責任者」こそが、一番「地域市民に開かれた」姿勢の無いことを物語っている。「子どもと地域のことを真剣に考えていない」と言われても仕方あるまい。
     最後に、矢野重典文部省教育助成局長のことばを複雑な気持ちで引用し、終わりたい。



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