現職の小学校教員として参加できたことがボクにとって大きな意味があった。こうした交換会が行政の主催で開催されたことは、画期的なことであり、地方自治の市民参加の理念を具体的にするものとして、高く評価できるものだと思う。市民の参加者も公募されたことは、誰もが参加できるということからよかった。しかし後に述べるように、行政側の参加については、教育委員会・南小教員の参加者がもっと多くても良かったように思う。
こうした会議には、資料の提供がもっとあると良いと思う。情報公開を進める上でも、行政自らが提出されることが望ましい。存在・不存在自体を検討する以前に、どのような「資料」が、どのような形であるのかも分からないのが普通の市民である。
テーマが、複合施設を中心に展開されたが、本来の学校教育を抜きにしては意見交換はできないのであるから、日進市の教育がどうあるべきかという点からも、現場の校長・教員らと話がしたかった。意見の内容を限定し狭くしよとする意図が教委に見られたのは残念であった。
本来、こうした論議の中で、「地域に開かれた学校」というコンセプトは「新教育課程や日本の教育制度の基本的な改革」に関わる重大なことである。したがって、教委が「どのような具体的な教育施策・理念があるのか」を明確にしないで論議ははじまらなかったはずである。
つまり、いままで担ってきた、学校教育、地域の文化施設、放課後児童の施設そのものが、質的に転換していくその具体的な計画が「複合」なのである。だから、これからの学校教育、社会教育がどのようになるのかということがもう少し語られるとよかったし、それを、明確にしない、理念と施策を持たない教育委員会(南小校長を含め)は責務放棄とさえなろう。
図書館についても、これからの図書館がどのようにあるべきかという事なくして、一体どうやって「地域に開かれる」のか。そして、今までのような学校図書館は旧態然の教育に即したものである。ところが、学習の大きな改革と内容・中身が変われば学校図書館自体も変化すべきであるから、その点においても教委の姿勢は不明確であった。
いずれにせよ、学校を作る話に、現場に直接携わる、過去携わっていた教育長や学校長の参加がなかったことは、今回の意見交換会の一番の反省点である。むろん反省すべきは教委である。きちんとした五回の会議に、一度も教育長なり校長が参加しなかったこと、最後の公開説明会の席でも、わずか三十分で途中退場した教育長と欠席した南小校長らの「学校現場の責任者」こそが、一番「地域市民に開かれた」姿勢の無いことを物語っている。「子どもと地域のことを真剣に考えていない」と言われても仕方あるまい。
最後に、矢野重典文部省教育助成局長のことばを複雑な気持ちで引用し、終わりたい。
「今後、各教育委員会、校長の主体性や責任はますます重くなるといえるし、地域住民の意見・協力、地域住民からの教育委員会や学校等への働きかけがより一層重要となるといえよう。子どもたちや地域のニーズを的確に把握しながら、教育改革の実現に向けて強い意思をもって、制度の様々な運用の工夫、多様な行政手法や指導方法の開発などをどんどん進めていただきたいと強く期待している。」(『教育委員会月報』2000年4月号:特集「現場の自主性を尊重した学校づくり」9頁より)