笑う男「生」学


男と女しかいない性教育の迷い?

  1.  性教育の果敢な挑戦と大きなお世話?

     性教育をボクは受けた経験がない。性に関する理解は、だれでも自己学習であったように思う、ボクの世代は。当時、性のことを「表」では口に出すことは恥ずかしいことであり、「裏」ではこんな楽しい話題を口に出せないのは恥ずかしいことであった。六年生の頃、女性だけで「生理指導」がされた時に、ボクら男性はそれが「何事か」を十分熟知していたし、そのあやしさはかなり高級なものであった。女性らも、「教えてあげようか………」などともったいをつけながら、ボクら男をバカにしていたし、そのあたりのかけひきは十分おもしろかったのだ。そう、性はおもしろいものなのだ。真剣に「ヒューマニズム教育」として考えると頭が痛くなるのだ。
     最近の性教育は、性行動を人間のすばらしさとして語るし、科学性から教育性、人権性まで、すべて格調高く構造化されている。まあ、教育と名のつくことはみんな構造化される運命ではあるかもしれないが。だから、「セクシャリティのあやしさ」はふっとんでしまっている。もちろんボクのいうあやしさこそが「男の論理よ!」ということも言えないことはないので、少数派の考えという読者の判断にクチゴタエはしない。しかし、性交を教えてくれる教員のその態度がどうもエラソーで、気持ち悪いと思ってしまうので申し訳ない。
     むろん、病気が心配だったり色々とごたついている生徒諸君は、ちょうど良い機会だろうから、そのチャンスが用意されているのはいいことだ。でも、別に性交を教えてもらわなくても大丈夫なんじゃないかと思うが、これも男の論理だろうか?まあ、子どもが聞きたいから教えてやるのはいいことかもしれない。だが、ボクは、「そんなことを君達に教えたら、あまりに無味乾燥に思えてくるから、教えないよー」と言いたい気もする。なんていうか、おいしい店は、よほど親しくならない限り教えない!という感じかな。性教育はどうも、むつかしい。小さな子どもに、なんで教員が「子どもの幸せを考えて」性交を教えきゃいけないのか?と思うのだ。子ども自身が、そういうことを教えてくれる悪がきもいないような孤独な生活をおくっているとしたら、そっちの方が問題だろう!
     山本直英さんの書いた『性教育ノススメ』(大月書店1986年刊)の232頁に裸の男女がだきあっているシーンがある。「赤ちゃんはどこからきたの」という本が紹介されている。そこのコメントに「ムードもソフトでとても好意的に見れます。…お産の場面もリアルですが美しいシーンになっています。」という主観的なことが書いてある。むろん、山本さんはそう思ったんだから別にいいけれど、ボクはそう思えないので、困ったなと思った。つまり、性・セクシャリティの「教育」は、自己の主観や嗜好に違いがあることを忘れると「美学観」や「価値観」の押しつけという「教育の本質」を丸出しにしてしまうんだなということだ。ボクは「教育」という行為が、「すばらしいもんだ」とか「人間の発達を促す」という先入観をもって捉えていないので、そんなことが言えるのかもしれないが。山本さんは「そう感じない人は間違っている」と言っているのではないので別にいいけど、「こういう性の在り方が善い」という押しつけは、いすれにしても困る。そして学校はそれを平気でやっちゃう恐さがある。

  2.  男と女と???も含めての、そして母性愛神話解体の性「教育」もありだな

     ボクは以前、同性愛の人が多く参加している集会に出た時、「どうして岡崎さんはヘテロなの。わたしたちホモは、ホモが普通なのよ。ヘテロが珍しいと思うのよ」と言われてなるほどと思った。確かに、視点が変わればそうだなあ。いま学校教育の中で性というのは、男と女しかいない。ところが伏見憲明さんの『性のミステリー』(講談社現代新書)を読むと、いろんな性があってそれぞれが、それぞれのアイデンティティを持っている事がわかる。そしてそれは、とりたてて「異常」なことでは、ないことが分かる。
     イタリアのダラコスタたちは、女が女と暮らすことを選ぶのは、資本主義が押しつけた宗教としてのヘテロ・セクシャリティーに対する最も強烈な闘いであるとまで言う(『愛の労働』インパクト出版会)。もう男だ女だという時代も終わるかもしれない。教員も色々な性へのアプローチができることも資格の一つにあげていい。
     また、相変わらず「母性愛」「父性愛」に縛られている保護者諸君も多い。しかし、そんなこと言っていないで、企業戦士や、戦士の専属奴隷になっている自分の作動版を引き抜いて欲しいものだ。「お父さんの背中を見せるのです」と言う人もいるが、疲れた背中なんか見たくないぜ。父とか母という神話のような役割を気にせず、しっかり親をやろうじゃないか。性教育もそういう生活まるごとのセクシャリティとジェンダーをもっと題材にしたらいいのに。先生の性交体験より、生活体験の方を聞く方が面白いとおもうけどな。(1999-4-8)●


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