笑う男「生」学


「お茶をいれたりすること好きな女性もいるはず」だってえ?

 今度、自分の住んでいる街の「男女共同参画推進懇話会」の市民公募委員になっ た。今まで、色んな地域の共同参画の話し合いに参加してきたので、少しでも自分の 街の政策推進にやくだてないか?と思って応募したら、激戦?の中、公開抽選の結果 「当たった」のである。これから、わずかの機会だが、行政と直接 「男女共同参画」 について話せるのがうれしい。
 男女平等、ジェンダーフリーという基本的な課題が、無矛盾で全部すべて正しく て、水戸黄門の印籠になっていると考えるなら、そうとう問題だ。フェミニズムだっ て、いろんな考え方がある。ボクはフェミニストは怖いなどと思わずに、率直に話す ようにしている。「遅れているわね」と言われても構わない。分かったようなフリを して、うなずいているよりはよっぽどいい。職場における性差別がどれほど根深いも のかを認識するのは大変だ。
 以前、「お茶を入れる男」はすごいと言われたが、別にそんなもんどってことは ない。入れたい人が、入れる必要性を感じる人が入れればよい。男も女もない。が、 ボクが問題にしているのは、「女がお茶入れるのが当たり前」というムードと言説だ。
 以前、高槻の小学校へ遊びに行った時、男性校長がコーヒーを入れてくれて、驚 いたことがあった。驚くボクにも驚くが、しかたがない。幸か不幸かそんな校長には 今までお目にかかったことがないんだから。
 ところが、ある席で「お茶くみを女に押しつけるというが、お茶を入れたい女の 人もいるはずだ」という意見が男性から出たことがある。むろん、これは反論のつも りではない。なにかしら「面白くない!」のである。
 それで思ったのは、実際のところ、ボクの周りに「人にお茶を入れるのが好きな 女性」というのが、何人くらいいるだろうか?ということだ。ボクの周りには、「み んなで飲もうよ」ということで「お茶を入れる人」はボクを含めて結構いると思う。 でも、自分がやっている仕事を後に回して、誰かのためにお茶が入れたくて入れてい る人なんていない。たいていは、女の仕事だと、小さい頃あるいは「職場の作法」と 管理職に押しつけられ、心に刷り込まれて、「しょうがないから入れてやるか、仕事 だもんね!」的な人しかいない。まぁ、そういう人も、ボクの周りにはほとんどい ないけど。
 友人の女性は「入れたくて入れてるオンナがいるだってぇーざけんじゃないよ!」 と怒っていた。
 また、こんなことを言う男もいる。「オンナはあぐらかいて、仕事をしていない。 俺たち男は頑張っている!男女平等なら、仕事も同じにしなくてはいかん!」と。
 それは、ピントがずれている。同じ仕事をしていないのは単に職場差別だ。あん たがやらなきゃいいんだから。仕事が平等でないのは、男女関係ないんだから。サー ビス残業は、ただ働きなんだから、やってる方がいけないんだから。従順に仕事人間 になって、企業社会人間になって、それには女も男も乗っかる必要はない。
まず、それを恥ずかしく思う方が先なんだから。

(2001年9月3日)


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