2004年6月27日作成のち改訂
岡崎作成(逐次改訂)
教職員編
( ) | ジェンダーフリー教育の研修会を職場単位で実施したことがある。
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( ) | 男女共同参画社会についての理解を深めるための研修をしたことがある。
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( ) | 管理職に男女が混ざっている。(管理職とは校長、教頭)
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( ) | 休憩休息時間のお茶入れは女性に偏りがない。 |
( ) | 重いものを運ぶときに「男性の先生方よろしく……」などと言わない。
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( ) | 日直や当番・代表勤務などが男女偏らない。 |
( ) | 靴箱、小物入れロッカーなどが男女別になっていない。
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( ) | 出勤簿や休暇簿などが、男女色別等になっていない。
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( ) | 女性教員に会計が集中していない。
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( ) | 生活指導、体育主任は男性に固定的でない。
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( ) | PTAと管理職レベルの懇親会でセクハラ的に乱れる。
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( ) | 職員旅行でセクハラ的に乱れる。
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[コメント]
(1)学校はすごくいそがしいので、研修をする時間がない。単純に言うと、三時過ぎに、
こどもを帰して、そのあといつまで研修をするのか?たとえば、週に1,2回、二時半に
全員を下校させていることはできる。その場合でも、たいていは会議が入っている。
それに休憩時間がお昼にとれないので、午後休憩に充てている。研修よりも、学級事
務などや教材の研究や準備の方がやりたいと思っている教員が多い。研修がなかなか
できない原因には、ジェンダーフリーへの教員自身の「意欲関心態度」が低いのと、
忙しいことの両方がある。
(2)男女共同参画社会実現については、ほとんどの教員がくわしく知らないだろうと、ボ
クは予測している。
(3)管理職は男性が90%である。女性は、極めて少ない。女性の管理職希望も少ないと言
われている。小学校の男女比は半分より圧倒的に女子が多い。担任を持っている比率
は、男性は3割くらい。管理職は9割というアンバランス。ちなみに「管理職とは校長
と教頭」です。
(4)お茶入れはずいぶん男もやるようになった。重いものも男性教員だけではやりきれな
いので、女性も当然参加する。その時に「あなたは女性だけど、重いものが持てそう
な体つきだから手伝ってください」というのは、セクハラ発言かどうか?聞かれて困っ
た。
(5)昔、冬休みは女性の先生は家庭が忙しいから、男性で学校当番をやりましょう!と言
われたことがある。
(6)出勤簿などは、けっこう男女色別にしてあるところがある。ちなみにボクの学校は、
休暇簿などは、男はブルーで、女はピンクだ。
(7)女性教員が給食会計や学級学年会計の仕事をしていることが多い。その反対に、体育
主任や生活指導主任はこわもて男性教員が多い。こわもて女性教員という言い方が可
能なのかよく分からないが、現実的には、体を張らなくてはならないときがあるので、
そのときは、どうすればいいかということが現場ではある。男子生徒や突っ張り生徒
が男性より女性への暴行暴力暴言が多いのが現実。ジェンダーの問題は広がりがある。
児童生徒編
( ) | 男女混合名簿が出席簿、累積簿、健康診断票、歯の検査表、目の検査表、指導
要録など「男女別にする必要の無いもの」は混合にしてある。
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( ) | 運動場など学校・学級の集会を実施するときに男女混合列である。
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( ) | 体育の授業は原則、男女共修である。(水泳は微妙ですが)
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( ) | 年間でジェンダーフリー教育の授業が設定されている。 |
( ) | 男子教諭も性教育(特に男子)への参加が積極的である。
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( ) | 靴箱、ロッカー、机の配置など男女混合にする。 |
( ) | 学級委員、児童会生徒会などで、男子が「長」、女子が「副」としない。
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( ) | 給食で、配膳は女子、運搬は男子という性別役割分業をしない。
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( ) | 委員会やクラブ活動など、メンバーを男女別にしていない。
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( ) | 劇や演技などで、男女別にこだわらないようにして、「かわいい」「たくましい」と固定的にしていない。
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( ) | 「女のくせに」「男のくせに」を子供に対して言わない。
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( ) | 持ち物を、必要ないのに男女別、男女色別などにしない。
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( ) | 男は青、女は赤などというイメージ先入観を持たせない。
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( ) | セクハラをしない。(子供を必要以上にさわらない。スキンシップと称してさわらない。では、どうやって子どもと交流するのか?という問題もある。)
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( ) | 騎馬戦、棒引きなど、身体接触のある体育的授業では、子供たちの意向を十分くみ取って授業する。
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( ) | スカートめくり、ちんちんキック、おっぱいタッチ、トイレをめぐるいたずらなどに、ジェンダー的視点(DV、虐待、性的人権侵害)でも対処する。
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( ) | 体育、運動着に、いやがるブルマを押しつけない。
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( ) | 父の日、母の日などの取り扱い検討。
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( ) | 家族のイメージを固定化しない。家族そのものの様態が色々あるんで、けっこう注意が必要です
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( ) | ボタンが取れたから「お母さんに」付けてもらいないさい等の言い方の検討。
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( ) | PTAの役員が、会長は男性で、あとは女性。「母親代表」とかがあったりする。
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( ) | 「信頼していれば」とか「信用していないのか」などといって、性にかかわることや、生理などの個別的な個人的なモンダイを「男女問わない!」と男女混同的に言わない。
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( ) | 男子に「くん」、女子に「さん」という言い方を問い直していく。
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以上
[コメント]
男女別に教育することは実際にはほとんどない。ただ、一緒にいながら、男女を不
必要に分けることがもんだいになる。女男という順序でなく、男女を「分ける必要が
あるのか?ないのか?」が一番問題である。
最近のジェンダーフリー教育バッシングは、男女を差異と見ないで、「ジェンダー
フリー教育は性差を無視している」という誤った認識に論議が展開されているので、
もう少し、きちんとした論議も必要かもしれない。
ジェンダーは、男女を「二項」でなく、「非対称な階層秩序」と見る視点が多い。
まあ、言ってみれば、関係性の中での構造差別を指す。だから、「なんでも一緒にし
ようなどいうのがジェンダーフリー教育だ」などと言ってはいないと思うのだが。
基本的には、人権問題であるということが認識できればいいのではないか? と私は
考えているのだが。
さて、バッシングはともかくとして、私はジェンダーフリー教育を、先験的に、全
面的に正しいと思うこともまずいと思う立場である。さまざま緊張感を持って実施し
ていくことが重要ではないだろうか。トップダウンで、教委が「やれ」と言ったから
やれというのもおかしなことだ。
つまり、学校の教育が成立しているのは、ジェンダーバイアスと他の諸問題が関連し
て成立しているからだ。私は、研究者でなく、学校で働く生活者なので、ジェンダー
バイアスに敏感なら、他のことにも敏感になることが重要だと思う。
いじめや、不登校、教員の疲労、世俗的な欲心と結託した教育改革、こうした中で
学校の教育は成立している。ここが肝心。
(2004年11月改訂)