『おそい・はやい・ひくい・たかい』No.11
編集後記
- 今年の春休みは学校へ毎日登校することになった。転勤するのでもないのに、どうしたのかというと、仕事が残ってしまったのだ。子どもと文集を作ったが、三学期中にそれを印刷して、帳合し、綴じることができなかった。しかたがないので、数人の子に頼んで、春休みに手伝ってもらうことにした。
作業が終わったので、お礼に、自販機でジュースでも買って飲んでくれと、5人に六百円渡した。ところが、その子たちが、「お金がこれで足りるのかしらね。百二十円の5人分でほんとうに六百円になるのかしら。先生はよく間違えるし、ウソつくから、もう一度みんなで計算してみなきゃね」といって、筆算をしはじめる。頭にきて「ちゃんと合っとるにきまっとるがねぇー」というと「いやいや、まだまだ」という。同僚いわく「子どもたちも岡崎学級の子になったね」と。
- 教育委員会へ久々に抗議に行った。教育委員会の施設課が学校に放置してあるPCBの保全に関して対処が遅く、誠意がないので、怒る仲間と訪問した。つい大きな声になってしまうが、これも子どもを思う気持ち。
課長がボクの手を握って、「岡崎さん、私たち一生懸命やっていますから……」という。「なにをいうか!」おじさんに手を握られて、よけい頭にきてしまった。結局、総務課と話しあいをし、善処するように要求した。役所は二〜三年で人事異動があるから適当にやっておけば責任が追及されないと思っているふしある。事なかれなのだ。ったくもう。
官僚というかコッパ役人には「論理」と「主体性」というものがない。だから、人事異動で喜び勇んで教育委員会に入る同僚をみていると、思考をピーマン化(中身がないの意)したのだなと思う。学校も役所の一種だからこのピーマン化作用にうち勝つためには相当努力が必要になる。ボクもけっこう苦労している。
- どこの学校でも総合的な学習をどうするかで、教員たちは右往左往している。また、あわててもしょうがない。いくつかの総合的な学習に関する公開研究会に参加した。どの学校の教職員もみんな頑張っていることはよくわかるが、相当お疲れの様子。同情を禁じえない。しかし、いった「ゆとり教育」はどこへいってしまったのか? いや、そもそも「ゆとり教育」なんてほんとうにあったのか?
(岡崎 勝)