少し前のことだが、名古屋栄の地下街を歩いていると、「ちょっと、まってください
ね」とどこからか、声が聞こえてくる。ボクに言っているのではないことは確かだろうと思い、そのまま通り過ぎた。
しばらくして、また、そこを通ると、「ちょっと、あのー」と小さな声がする。どうもヘンだ。首をヒネって周りをみると、宝石店のカウンター越しに、店員の女性がボクの方を見て、「あのー、ちょっとー」と笑顔で、ボクにささやいている。「はあ、……」というと、「お友達に、こんな可愛い宝石はいかがですか?」と商売がはじまった。
なるほど、いらっしゃい!いらっしゃい!という、元気な大声で通行人を寄せるのでなく、ささやきあやしげな色っぽい声で、通行人を「釣る」のである。
ボクは「ははは、ボクは、映画のように、熱い缶コーヒーを、貧しく二人で飲みながらプルトップを『この指輪をあげよう』と彼女にいう方ががいいんではないでしょうか」とその店員さんに言ってしまった。
「なんだ、このオヤジ」と思ったかもしれないが、ボクみたいに、金の無さそうな男に声なんかかけないでよ!と強く抗議したかった。
むろん、キラキラの宝石店に、ボス缶コーヒーのプルトップや、ウーロン茶のプルトップは売っていないが、愛する気持ちを宝石を買うことでその証明とする「やり方」をボクはあまり好まない。むろん、「あまり」と言ったのは、「そういうことは断固、一切、完全に拒否すべきだ」と言うほど、自分自身徹底してこなかったので、それを自覚しているからだ。
しかし、「あのぅー、ちょっと」の突然のささやき声は、なかなか効果的だなと思っ
た。「さあーいらっしゃい、いらっしゃい」よりはアーバンな感じがするので、若者の風吹く街には似合うな、と思う。聞こえる最小限の声で遠くの人に呼びかけるという、いずれにしても、ちょっとした発想の転換であるが、よくやるなと感心してしまった。
教室で、授業中に「ねえねえー、ちょっとぉー」という小さい声でやってみたら、六年生の女の子が「気も悪ぅうー」と非難した。やむを得まい。でも、君だって、大きくなったらちゃんと仕事で、声かけをしなくてはならないのだよ。
時々街の中を歩くと、サービス業のワザが色々勉強できるのはいい。いずれボクがナンパされそうになったドキドキワクワクの話もしたい。●
1999.9.5