卒業式あたりに、「日の君強制を考えるネット」が電話ホットラインを解説した。ボクは三日目の最後の後半、夕方の電話番を担当した。現職教員2名と学生3名で、名大の安川先生のワーキングルームで電話をまった。まあ、三日目だと殆どない。卒業式から三日たって怒りの電話なんてものは、普通はない。安川先生の図書室で海老原治善『現代日本教育実践史』をみつけ、感動して読んで、時間をつぶした。電話なんかかかってくるかな?とみんなでつぶやきながら、激励の訪問者からいただいたおいしいようかんを4切れくらい食べたころに、唐突に(そりゃ、電話が、今から鳴るよとはいわないけど)コールがあった。タッチの差で、学生さんAが受話器をとる。「ア、ア、ア、あの、日の丸、えーと君が代、えーライン、いやホットラインです。」と慌ててしゃべる。みんな、けっして笑わない!やっと、来た!ついに来た!と、Aさんの顔がゆがむ。おっ、右翼からか?嫌がらせもけっこうあったからな、このやろー!とみんなこぶしを握っている。すると、受話器をボクに差し出し、「オカザキさん、奥さんからですよ!」…………(ごめんな)。「なに?」「あのね、県教委の教職員課から電話があったわよ。じゃあね」
さて、日曜日の11日は埼玉の小川町の学童保育所主催の講演会に招かれて、必殺の日帰り旅行だった。3〜40人のこじんまりした、たのしい気分の中でおしゃべりした。ときどき1000人とか大勢だと、だれにむかってしゃべっているかわからないので、とても不快になることがある。以前3人という極少数の講演会もあったけど、まあ、楽しかった。講演料はお返しした。3人じゃなぁ。講演会は昔の知人だったので、まあ、気楽だった。学童の親や近隣の人もいた。みんな、するどい人で、おもしろい。ボクの恥ずかしい本にサインをしてくれといわれ、営業なので一応したが……。小川町へ行くには池袋から東武東上線で一時間かかる。そういえば、3月20日がまたやってくる。丸の内線で池袋まで東京駅から行く途中、思い出した。思わず水溶性物質の入った、新聞紙につつまれたビニール袋がドアの付近にないか確かめてしまった。
2000.3.11