三年生の担任になった。先日、授業参観と保護者会が開かれて、一応無事に終った。役員も立候補してくれて、くじ引きにならずにすんだ。まあ、くじよりは立候補のがいいなあと思うが。でも、ある保護者から、こういう決め方はなんとかならないだろうか?という手紙をもらった。ほんとうにそうだ。ボクも、こうした決め方以前に、PTAそのものがもっと、はっきりとしたものにならないのだろうか?と思う。教員の大部分は、PTAどころじゃないよというのがホンネだ。いそがしいし。
組合活動への圧力が教育員会から出てきている。24日も市教委へ話し合いに行く。そういえば、ボクと同期の人間が教職員課の主事になった。校長歴1年である。そうか、そういう年齢になったのかと感慨「無料」だ。ボクにとっては、教育委員会だろうと校長だろうと、全く興味が無い。そんなもの(失礼)が、ボクにとって価値があるとは思えないのだ。しかし、同期の人間が教務や教頭や校長になって(出世と言うらしい)いくのを、うらやましく見ている人もいるらしい。まあ、好きで校長などになるのだから別に勝手だが、一度もうらやましいなどと思ったこともないし、そういう事に努力している教員が魅力的だとも思ったこともない。ご苦労さん!としか言いようが無い。別に彼らがいなくても学校は動いていく。そんなもんだ。こう言ってはなんだが、顔つき目つきが悪くなるダケではないか?と思う。偉いとも全然思わない。現代は優れた者が、上司になる時代でなくなっている。その事実をもっと明確に認識するべきだ。ボクは在野に居ながら、質の高いものをめざしたい。自分のために。
2000.4.23