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初日
二度と行く事は無いと決めていた沖縄旅行が何故か決まった。
朝6時前に家を出発し民間駐車場に車を預けた後
送迎車に乗り中部国際空港にはAM7時頃に到着して
荷物の預け入れと搭乗手続きを終え出発ロビーに向かった。
沖縄の地を踏むのは、なぁ〜んと16年ぶりだが
余裕のよっちゃんで旅行前の気分を味わった
さぁ!今回も三日間だが楽しい旅行の始まりだ。
土砂降り
セントレアに着いた時には土砂降りの雨だったが
沖縄の天候は快晴の予報が出ていたので
ウキウキしながら出発の時間を待った。
今回搭乗する飛行機はボーイング767-300型で
名古屋発着としては久しぶりの大きな旅客機だったが
満席の為に事前に席の予約が取れず
バラバラの席になってしまった。
快晴
離陸してしばらくすると雨雲を突き抜け
眩しいばかりの太陽が顔を出してきたので
普段の心がけ良いのだろうと一人悦に入っていた。
月が出ていたので思わず写真を撮ったが
縮小すると写っているのが解らないかも知れない。
窓からは入道雲が手が届く程近くに見えたが
もし夢がかなうなら孫悟空のように雲に乗ってみたい。
到着
一時間ほど眠っていたら着陸態勢に入る案内があり
外を見たら綺麗な海と小さな島々が目に入ってきた
人生二度目の沖縄の地に踏み入れる時がきた。
那覇空港には定刻通り2時間15分後に到着した。
自衛隊との共同空港の為に自衛隊機が多く駐機していて
民間飛行場とは雰囲気が違った。
ターンテーブル
到着して預けた荷物を取りにターンテーブルに向かった
中部空港発着にしては大きな飛行機だったので
なかなか荷物が出てこない。(イライラ)
これが500人乗りの747ジャンボだったらと思うと
待ちくたびれるだろうな!
せっかちな俺は絶対待てない?・・・と思う。
また、何気なく看板を見ると御土産と考えていた紅芋が
沖縄から持ち出し禁止になっているかと思ってヒヤッとした。
日本レンタカー
空港から出てレンタカーの受付に向かった。
が・・・東京便の後だったので
シャトルバスに乗るにも30分程待たされた。
現地に着いても超満員で息苦しくなってきた
沖縄ではツアーバスが無いのかと思うくらい
人・ヒト・ひとであふれていた。
もっと広い場所に移らんかい!!
結局日本レンタカーを出た時には昼を廻っていた。
残波岬
国道58号線を北上途中で昼ご飯を食べてから
最初の目的地である残波岬に行った。
車から降りると湿度が高く名古屋より気温は低いが
じっとりと汗が出て止まらない。
我慢して海岸に向かうとオーシャンブルーの海が俺を呼んでいた
思わず「海よ〜♪♪」と加山雄三の歌を口ずさんだ。
残波大獅子
残波岬公園の入り口では巨大なシーサーが出迎えていた。
※高さ7メートル程だ
由来は、読谷は昔中国との国交で大いに栄えた記念として
国交文化を後世に伝えるために昭和60年に製作されたので
他のシーサーと違って守り神では無いそうだ。
側には石碑があり碑文には
「夢を語れ!ロマンを抱け!人々の幸せと平和のために!」と
くさ〜い?セリフが力強く書かれていた。(笑)
エンジョイパス
今回は3千円で五箇所を自由に見学できるエンジョイパスを買った。
もちろん「美ら海水族館」も見学できる。
最初に見学したのは古き時代を演出した琉球村だが
入り口が解らず場内をウロウロしていた。
三線(さんしん)を演奏していたので
ここかと思っていたが無料休憩所だった。
ただ有料地区でも面白いところでは無い
展示品
展示品の中にはサトウキビを作る道具が展示されていたが
どの様に使うかは実演が無かったので解らない。
子供時代に歯でかんで甘い汁を吸った記憶があるが・・・
古い奴と思わんでくれ
(昭和一桁ではないぞ〜)
万座毛
今回の旅で一番来たかったのはここだ!!
パンフレットで見ていた象の鼻を自分の目で見たかった。
観光客は意外と少なかったので見学するには苦労しなかったが
場所が狭いので良い写真を撮るには苦労した。
16年前に来た時にはANA万座ホテルで泊まり
プライベートビーチで遊泳していたので観光はしなかった。
知らないと言うのは真に恐ろしかな〜
御土産
駐車場を挟んで両サイドに御土産やがそろっていた。
商魂逞しい御姉様達(?)がたくさんいて
買わずにおれない雰囲気が漂っていた。
勢いでTシャツを買う事になったのは言うまでも無いが
交渉次第で安くしてくれる店もあった。
御得感あり!
ビオスの丘
ホテルに行く前にビオスの丘に寄った。
森の中なので涼しいことを期待していたが
夕方になっても心地良くならないのは何故か?
答えは簡単で「沖縄である」から
竜がシンボルとして至る場所に造られているが
意味不明だ!!
東京第一ホテル(沖縄)
初日に宿泊するホテルは沖縄市にある東京第一ホテルだ。
豪華で立派だし部屋は広くてオーシャンビューだったが
ナビで設定しないと絶対いけない場所と思った。
また、館内は中国語が氾濫していたのでうるさかった
中国人よ、もっとデリカシーを持て!
ディナー
夕食は何とアルコール飲み放題のバイキングで3千円である。
案内されたテーブルの目の前にはズワイガニが山盛りに
もちろんステーキやその他にも多くの和洋食類が
また、別腹という女性が多いケーキ類も所狭しと置かれていた。
早速ビールで乾杯〜と立て続けに2杯程が喉チンコを潤した。
が・・・蟹&かに&カニを食べ過ぎて(ゲップ)
しばらく食べたく無いと思った。
二日目
二日目は沖縄旅行者の誰もがお勧めする「美ら海水族館」だ。
ホテルからは一時間弱で到着したが
朝早かったので水族館に一番近い7番駐車場に
駐車できたのはラッキーだった。
ここも当然エンジョイパスで入館した
入り口では記念写真を撮ってくれるサービスがあったので
30分ほど待って撮ってもらった。
大水槽
超人気なことが解かるほど綺麗だった。
ジンベイサメ3匹が王者の雰囲気を漂わせて
悠々と泳いでいた。
ところでジンベイサメは皮膚が10cmほどある為
天敵はいないといわれているが
シャチだけは怖いらしい?
聞いたんか?(ハハハ)
展示品
出口までは各展示品や当然の様に土産屋が待っていた。
今年NHKで放送され視聴率が良かった大王イカや
クジラ等と一緒に記念写真を撮る場所があった。
お土産は、ここでしか売ってないものは無いが
美ら海水族館と書かれている商品を記念に買った。
帰りの駐車場を見渡すと
どの車を見ても、お見事というほど
「わ」ナンバーのレンタカーばかりだった。
古宇利大橋
雑誌「るるぶ」で、お勧めの古宇利大橋の景観を見に行った。
最近の橋はカーブさせたデザインが多く見ていて飽きない
観光客も多く駐車場から車があふれていた。
橋を渡って島を一周したが見学する所は無かった
ただ反対側から見る古宇利大橋は意外と良かった。
雑貨屋シェリー
古宇利大橋の手前では雑貨屋シェリーがオープンしていた。
店長の名前は斉藤さんで昔は宮古島で営業していたそうだ
貝殻で造ったシーサーの為に同じものが無いのが特徴である。
今回見たシーサーの中で記念品としては一番良いと思った
観光で訪れたなら是非立ち寄ることをお勧めします。
値段はストラップが500円で
貝殻シーサーは1300円からとなっています。
マンゴソフト
駐車場の横ではマンゴソフトクリームが売っていた。
値段は400円と少々高かったが
シャリシャリ感があってとても美味かった
でも俺は量がもうちょっと多いほうが好きだぁ!
当たり前だがや〜。(以上名古屋弁で)
フルーツランド
エンジョイパスを使いフルーツランドに寄った。
子供はフルーツの食べ放題を期待していたが
さにあらず・・・
長居する場所では無いことを感じた。
ここで沖縄の豆知識が書いてあったが
過去の最高気温が2001年8月9日の35.6度
7月の平均気温は28.3度だそうだ。
我が地方のほうが余程暑いぜ〜
海中展望タワー
今まで各地の海中展望台を見てきたが
これほど綺麗な海に出会えたのは初めてだ
グアム島よりも綺麗だと思った。
展望台へ行く途中から餌を与えれば
驚くほどの魚が寄ってきたが
余程腹が減っているのかな?
ただ残念な事は
ここはエンジョイパスが使えないのだ。
アメリカンビレッジ
暇つぶしにアメリカンビレッジに行った。
自分はこの手の売店に行くのは全く興味はないが
同行者が是非行きたいと云うので寄った
店内に入ることは無いので写真だけ撮ったが
雰囲気は良かった。
守礼門(しゅれいもん)
二度目の見学だが残念な事にエンジョイパスは使えない
以前に来た時のことは全く覚えてないが
暑かったことだけは、しっかり記憶があった。
駐車場を出た所で「坂が多いので気をつけよう」の
看板を見た時には見学を止めようかと一瞬思った。
また、守礼門は首里城歓会門の外にあり
向いているのは日本本土では無くて
東シナ海を挟んだ北京である。
やはり沖縄は中国の族国と正直思った。
首里城内
首里城は琉球王国の幾多の興亡を伝える歴史の証人
琉球の島々を治め、中国、日本、朝鮮、東南アジアの国々と
外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として
王とその家族等が住み華麗な王朝文化に彩られた空間で
琉球の建築文化・美術工芸そして価値観を訴える「琉球の顔」だが
最初の看板どおりに坂道ばかりでしんどかった。(疲&疲)
淡々と見て廻ったが次は無いな?・・・と言うのが感想だ。
東京第一ホテル(那覇)
二日目のホテルは那覇市内にある東京第一ホテルだ
渋滞の為に国際通りを抜けるのに一時間くらいかかった。
去年まではワシントン・ホテルという名前だったが
典型的なビジネスホテルでシングル・ルームを
二部屋ぶち抜いた部屋だったので狭かった。
食事は飲み放題付きで2500円と安かったが
中華料理しか無く御得感は無かった。
ちなみに、ここも中国語が氾濫して五月蝿かった。
三日目
最終日は南部の「ひめゆりの塔」を見学した。
塔の記には戦争の悲劇が書かれており
第三外科壕は1945年6月19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け
壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち87名が死亡した。
さらに壕の生存者8名のうち教師1名(玉代勢秀文)と生徒2名(仲田ヨシ、又吉キヨ)は
壕脱出後に銃撃され死亡したとみられる。
従って、第三外科壕にいた人々のうち沖縄戦終結まで生き残ったのは
わずかに5名(ひめゆり学徒隊の生徒が4名、軍医が1名)のみである。
ひめゆりの塔
ひめゆりの塔と名はついているが
実物は高さ数十センチメートルでそれほど高くはない
また、慰霊碑の前に第三外科壕葉ある。
「ひめゆり」は学徒隊員の母校
沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と
沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で
もとは「姫百合」であったが戦後ひらがなで記載されるようになった。
なお、植物のヒメユリとは関係がない。
おきなわワールド
エンジョイパスが使える「おきなわワールド」は
国内でも有数の規模を誇る鍾乳洞をはじめ
赤瓦の古民家を再現した町並みを見ることができる。
伝統工芸や黒糖作りの体験もできるので体験してみると楽しい。
ヘビとマングースのショーや民俗芸能のエイサー(無料)も
毎日公開されているのでこちらも見逃せないぞ。
玉泉洞
通常なら涼しいと想像していた鍾乳洞だが
摂氏21度と書いてあったのに全然涼しく無かった。
鍾乳石の数は100万本以上あり国内最多と記してあり
順番に地煙の滝・青の泉・白銀のオーロラと続いた。
鍾乳洞は歩く距離が長いので時間にゆとりを持って行かれると良い
所要時間は、すべて見学して2時間以上は必要かと思う。
今回は「ヘビとマングースのショー」は見なかったので短時間で済んだが
土産物を買わせる為に出口までは長かった。
最南端
今年は一月に日本最北端の宗谷岬を見学し
今回は最南端(島は除く)に近い知念岬を見学した。
パラグライダー?で空中遊泳しているのを見ていたら
楽しそうで自分も乗りたくなってきた。
岬の先端からは南部の大海原と
沖に浮かぶクマカ島や久高島が見えた。
写真では解らないかも・・・
知念海上レジャーセンター
海底観光遊覧船で水中探査した。
30分程のレジャーだが餌付けされている場所に到着すると
カラフルな熱帯魚や大きなタイが集まってきた。
以前に佐渡島の尖閣湾で乗船した時は魚が全くいなくて
だまされたと思っていたので今回は良かった。
今度来る時は絶対ダイビングするぞ!!
旧海軍司令部壕
豊見城市にある旧海軍司令部壕を見学。
うたい文句は那覇空港から一番近い戦跡地だ
駐車場に到着したときにはアメリカ軍が
見学から帰って来る時だった
大型バスは軍のナンバーが付いていたので
もし英語が話せたら何故?と聞きたかった。
司令部壕の中
海軍少将の大田實(おおたみのる)の写真が飾られている
資料館から見学してくださいと言われた。
印象に残った言葉があった
「夜はみんな杖をもって歩いた、死体を踏まないためだった」
現在の日本はこのような方々の犠牲によって復興したのだと
改めて心にしみ込ませた。(泣)
那覇空港
レンタカーを返し那覇空港に到着した
那覇空港には国内で唯一のDFSがあるが
昔と違って買うものが無い(正確には買えない)ので
搭乗待合室で暇をつぶした。
ここは自衛隊と同じ滑走路を使うことを思い出し
カメラのレンズを望遠に変更し待つ事30分
自衛隊の戦闘機F-15が飛んできた。
かっこいい〜
中部国際空港
午後八時にセントレアに到着した。
荷物が出るまで時間がかかるので降りるのを後にした
機内から夜景を撮ったところ窓が邪魔して
いい写真が撮れないが空港から撮る写真と違って
これもありかな?と勝手に思った。
預けた荷物を受け取りにターンテーブルへ
無事に受け取り自宅に到着。
暑かったが楽しかった三日間の旅が終わった
ただ沖縄って坂が多いと思ったのが一番の感想だ!!