ようこそ! ひとみの部屋へ


「いのちと命」
 
は精霊、神の世界と言う領域の住人です。
でも私も生きていますから「いのち」があります。
貴女は人間と言う生き物ですから「命」がありますよね。
漢字で書けば「命」ですが、「いのちと命」は少し違います。


 貴女が神様と呼んでくださる私達は、貴女からは見えません。
でも見えていないだけで、私達は確かに私達の世界で、生きている存在です。

 肉体と言う物質を保有する貴女には、生きていく為の様々な制約が出来ます。
こんなもの無ければ良いのにと思うでしょうが、
その制約は私達にとってどれほど羨ましいものであるのか、考えたことはありますか。

貴女の目、耳、鼻、口、皮膚、
それがどんなに素晴らしい宝なのだと考えたことはありますか。
そんな貴女が持つものは「命」です。

見えない世界の私達が持つものは「いのち」です。
肉体はありませんが、感情は貴女とまったく一緒なのですよ。
愛し愛され、憎み傷つき、喜び悲しみ、癒し癒されて生きていることは、同じなのです。

貴女に歴史があるように、私にも歴史があるのよ。
存在するということは「いのち」そのものなの。
でも「いのち」と言えども、他の「いのち」と継ながっていなければ、
本当に生きているとは言えないの。

身内のことを暴露しちゃうけど、
神界の「いのち」は、長い間継ながっていませんでした。

今私達の世界でも、切れ切れになっていた「いのち」を
再び継なげようという努力をしています。
神々が離れ離れになっていたのですね。
心が継ながっていませんでした。

神の世界ではほぼこの「いのち」を継なげる作業は完了していますが、
貴女という人間の世界ではこれからね。
さあ、人として「継ながるいのち」の輪を広げて下さい。

私のお母さんのお母さんにあたる「日津地姫之大神」様が、
貴女に神の世界をどう受け取ってもらいたいかを仰っています。
日津地姫之大神様は、宇宙が出来始めた時、
真っ先に物質として「水の創生」をなされた方です。
どんなにやんちゃな私でもこのひとにはまったく頭が上がりません。

その日津地姫之大神さまが、
かんながらのMさんに仰った言葉を紹介します。
でもこれは貴女へのお言葉でもあるのよ。

さあ、神の「いのち」と貴女の「命」を継なげて下さいね。

   
  『歴史が深ければ深いほど故に、
     内包された神霊史は、傷は深く大きく、
     その中に生宮をも巻き込んで
     癒し、癒しの長き旅を続けなければなりません。

     造山活動も、川の流れも、全てが神情の一端であります。
     又、内耳も肛門も毛穴の開閉に至るまでが、
     神々の神情の現れの一つであります。

     神々が膿を出せば、生宮も同じく膿出しをするのですが、
     だからと言って、それが何かしらの信号を出している訳ではないのです。
     ただ映るだけです。

     苦しみ痛む時、神界で同じ体現をしている、いや、そのものの神情をもって
     同じく苦しんでいる神がいるということを、その時感じ取りさえすれば
     それで映しは終り、完結するのです。
     あなたがいつも仰っている識るということは、そういうことなのです。
     
     役に立てれば、うれしく思います。』  
(日津地姫之大神)

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