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無限の可能性」

よく若者には無限の可能性があると言いますよね。
でも多分私の独り言を聞いてくださる貴女は、、
もう若者とはいえない年なんでしょうねえ(笑)。

冗談はさておいて、一体
無限とはなんなのでしょうか。
皆さんは簡単に考えていません?

漢字の弊害と言いましょうか、映像としての言葉がイメージを作っちゃうのね。
文字通り、限りが無いというのがそれを読んだ時の印象です。
さあ今日は常識というものを壊しますよ。実験をしてみましょう。

1から始まって2,3,4,5,6、・ ・ ・ と数えていって下さい。
1万まで行くと疲れてきますね。
100万数えられましたか。
でもいいですか、無限まで行かなくてはならないのですから貴女はやめられませんよ。

無限とはこういう状態のことを言うのであって、無限という実体は無いのです。

数学で言う所の 0 と ∞ は
座標軸と制限をしないという約束事の単なる記号なのです。

東洋哲学とも言うべき仏陀の教えには、無限と言う数はありません。
最後の数を「不可思議」と言って、ここでやめなさいと教えています。
無限と言う数は無いのです。

あらあ、なんかまだ納得がいかないようね。

わかったわ、もうすこし他のことで無限は無いと証明してみましょうか。
小学生の算数の問題にしましょう。

半径の長さが分かっている円の円周の長さを求められます。
えっ、もう忘れちゃったの、しょうがないわねえ。

2πrといって。このπを円周率と言ったじゃない。
π=3,141592653897932384623279502884197169399375105820・・・、。

えー、今では3だけで円周を出しちゃうの?
 これ暗記している私は馬鹿みたいじゃない?
まっいいか。

円周率は円が無限の三角形で出来ているとして演算されたものだから、
このπは無限に続きます。
そうすると実際の円周の長さは計算上では
正解は無いということになってしまいます。

でも実際はひもでなぞらえてそれを計れば実際の長さは確定できますから、
無限と言う実体は無いことになるわねえ。

人間さんにも神さんにも「無限の可能性」なんてありません。
すべてが有限と言う限定の中にあります。


では有限と言うものはなんでしょう。
有限を有限にならしめているもの、それが制限とか限定と言うものなのです。

貴女がまだ若かった頃、
貴女を縛り付けていた家庭というものから脱出すれば、
無限の可能性が広がっていると思ったでしょ。
でも今度は社会というものが貴女を束縛し、
結婚し子供が出来、ますます貴女は限定の状態に追い込まれてしまいました。
なにかをやりたい!その想いがどんどん募ります。
背負い込んだものを捨ててしまえば、私には無限の可能性があるのに!

ごめんなさい、
ばかたれと言わせて頂きます。

あなたが人生をかけてやりたいものが見つかりました。
するとあなたの周りに夢という大きな大きな「輪っか」が出現しました。
しかしその輪は貴女の体から遠い所を取り囲んでいます。
貴女は功考えます。

もし今の私が18の独身であったのなら、
やれることは時間も含めて無限に在るのになあ!。


違うのです、
困難に見える制限、限定こそがこの輪を小さくさせていきます。
しかしそのことは逆に
貴女の夢を実現させたいというエネルーギ密度を高めていくのです。

有限の輪が小さければ小さいほど、熱意と集中力が高まります。
その高密度こそが、あなたを「奥義を知る」領域にまで到達させるのです。



さあ、女性がいよいよその本来の力を発揮しなければならない時代になりました。
ひとみは「真実とは何か」に気がつき、歩き始める貴女を応援します。
苦しい情況の中でこそ見えてくるものがあるのよ。


有限こそ、一番大切にしなくちゃならないものです。
困難に見える制限因子こそ、貴女を育てるのよ。
さあ、がんばれー。


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