本日の観光予定は、バンコク市内観光(王宮、エメラルド寺院、暁の寺、寝釈迦寺)とショッピング(宝石、タイシルク) をすませ、世界文化遺産アユタヤ遺跡群観光をし夕食後、再び「 アユタヤ遺跡ライトアップツアー」を楽しみ、空港へ案内される予定である。
王宮

王宮は、20万平方キロメートルの敷地内に、5つの宮殿とワット・プラオケ(エメラルド寺院)の大きな建物から できている。王宮の中央にそびえる白亜の宮殿をチャクリー・マハ・プラサト宮殿と呼ばれ、1階の武具・鉄砲博物館が公開されている。 チャクリー宮殿の西側に建っている宮殿で、1789年ラーマ一世により建造された。歴代の王様の戴冠式に使われてきた。 チャクリー宮殿を挟んで、ドウシット宮殿の反対側にあるのが、アマリン・ウィニチャイ宮殿で、その東側に、「王様と私」の舞台となった ボロマビマン宮殿がある。いずれも一般公開はされていない。
ワット・プラ・オケ

1782年ラーマ一世がバンコク遷都の際に、王朝の護国寺として建立した。本堂には、緑色に輝くヒスイでできた、高さ66Cm、 48.3Cmのエメラルド仏陀がおさめられている。この仏陀は、16世紀にはラオスの寺の本尊として 祭られていたが、ラーマ一世が戦利品としてタイに持ち帰ったものだそうだ。 本堂の北側には、黄金に輝く、プラ・シー・ラタナー・チェディが目を奪う。 チェディの東側にある正方形の建物は、プラ・モンドップと呼ばれ多くの仏典の原本が収められている図書館である。
ワット・アルン

王宮を出て、チャオプラヤー川を船で渡り少し歩くと暁の寺(ワット・アルン)に着く。 三島由紀夫の小説「暁の寺」の題材になった、高さ79mの大仏塔は、朝日だけでなく夕日に浮かび上がる姿もとても美しいそうだ。 大仏塔と4基の小仏塔が造られたのはラーマ三世の時代(1809〜51)だそうだ。仏塔は、中国陶器の破片が 埋め込まれキラキラと輝いている。境内では、大蛇を首にかけて写真を撮らせることを商売にしている若者達がいたが、 怖がる人々をいたずらっぽく振る舞う姿は、おもしろくなかった。
ワット・ポー

チャオプラヤー川を再度船で渡り王宮の南側にあるワット・ポーに着いた。寝釈迦寺とも呼ばれているこの寺は、 1788年にラーマ一世により建立された。バンコク最古であり、最大級の寺院だ。 長さ46m、高さ15mの釈迦仏像が、黄金に輝き、寝ている、姿は悟りを開いた涅槃の境地に達した ことを表しているのだそうだ。あまりの大きさに、撮影場所が限られており、順番にピンポイントから 涅槃仏を撮影していた。また、釈迦の足の裏には、バラモン教の真理が、螺鈿細工画に描かれていた。 境内に出て、庭に咲く珍しい花の名前を聞くと、菩提樹の花だそうで今まで見てきた菩提樹と全く違った ものであった。また、この寺には、タイ式マッサージの学校もありマッサージの総本山としても有名だそうだ。
アユタヤ

バンコクから北へおよそ80Km、バスで2時間程度かかってアユタヤに着いた。途中高速道路を利用したが それでも案外時間がかかった。アユタヤは、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中州にある。 1350年から417年間、アユタヤ王国の中心地であった。 最初に、山田長政で有名な日本人街跡にバスは到着した。アユタヤ遺跡群の場所とは、ずいぶん離れたところにあった。 家康時代には、御朱印船に乗って1500人以上の 日本人がやってきたそうだ。秀吉の残党が、新しい生活を求めてきたのではないかと想像が巡る。 日本人街歴史研究センターの資料を読みながら、この地で懸命に生きた長政や多くの日本人達の姿に、思わず涙を 浮かべてしまった。

