たけぼん0歳の頃

誕生
雪の降る寒い日に我が家の次男、壮流は誕生しました。
女・男・女の後に続いての子で出産までは両親からの反対などもあったりしたのですが、無事にこの世に生まれてきてくれました。
上の子3人は人気のある名前を母である私の希望でつけていましたが、今回は、主人が本を参考につけてくれました。
人生いろいろあるけれど、どんな時にもしっかり歩んでいってほしい、という願いが込められています。

                            
発病と診断
3ヶ月検診の時に身体の白斑が気になったので、内科検診で話すと「たぶん心配はないだろうけど、もしかすると先天性の病気の可能性もあるので一度、皮膚科を受診してください。」と言われました。
近所の皮膚科で診てもらうと愛知医大病院を紹介されたのですが、このときは他に心配もなくただの白あざだろうと言われました。
安心して帰ってきてその後まだ首の座りははっきりしないもののニコニコと笑うようになっていました。
でも、ポリオの一週間後の事です。おっぱいを飲んでいる最中に急に泣き出しては身体を前屈みに縮めるおかしな動きが気になりました。
それと同時にあんなにかわいい笑顔が消えていったのです。近くの小児科から名大病院を紹介されて、そこで検査の結果、結節性硬化症と診断されました。


病院の先生と
入院とACTH
どうして「うちの子がこんな病気になってしまったの?」という思いで、入院した当時は毎日泣いていました。点頭てんかんの発作はひどくなる一方でその時の壮流はくすぐっても笑いもせず無表情になっていました。大学病院に入院している親子はみんなとっても明るいのです。
中には 血液の病気で抗ガン剤治療のため、髪も抜けてしまい院内学級に通っている子供達もいました。命に関わってくる病気なのに前向きに生活している姿に励まされました。お母さんが泣いていたら子供が不安になるからいつも元気印でいるのです。だけど、子供が寝付いた後つらくて悲しくなってしまう事がいっぱいあることをお母さん達はお互いに知っているのです。同じ悩みを抱えた親同士であるからこそ・・・
壮流の点頭てんかんに対する治療は、B6の服用、TRH、ACTHの注射と進められていきました。でも、あまり結果はよくありません。 ACTH治療では、ホルモン療法のために顔はブクブクにふくれて、まん丸になってしまいました。
発作は減って脳波もきれいになってきているし、これ以上は副作用の事もあり治療は続行できないという事で退院となりました。
再発と訓練そして・・・肺炎
家に帰ってきて一週間もしないうちにすぐ再発。
でも「今回は薬で調整していきましょう」と言うこと事で、抗てんかん剤を飲み始めました。悲しい事に、発作はまたどんどんひどくなるばかり。この時にも身体はフニョフニョだったので 理学療法の訓練も初めていました。
発作は毎日あるものの、訓練により少し首の座りがよくなってきたのが唯一の喜びでした。
でも、そんな希望をな撃ち崩すかのようにACTHのあとの抵抗力がない身体のせいか寒くなった頃、風邪を引いて肺炎を起こし入院となってしまったのです。熱でうなされ、痰がからみ、点滴につながれて寝たきりの壮流。退院してみると、また元のように首はグラグラ状態。
このときにあとにも先にも一度だけ「いっそうあのまま死んでしまえばよかったのに」 と頭をよぎってしまったのは事実です。
今、思い出しても壮流に対してなんてひどいことを考えたんだろうと涙が出てきます。
この頃の私はまだ、壮流の障害を受け入れる事はできませんでした。